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先月、オーストラリア、Tasmania州の首席検事(検察局長?) Lara Giddings氏が明らかにしたところでは
30万ドルの予算を追加して法案を作成し、来年にも自殺幇助合法化法案が州議会に提出される見通し。
それに先立って、まずパブコメ募集が行われるだろう、とのこと。

もしも合法化されれば
オーストラリアで自殺幇助を合法化する最初の州となる。

合法化反対活動家らが、米国からWesley Smithを招いて講演会を開催したようです。
以下の記事はいずれも、Smithの講演を報じるもの。

Smithは一旦合法化されれば対象者は拡大されて
ウツ病でも離婚の苦痛からでも死にたいという人には
死が認められることになる、などと警告。

Warning over euthanasia Bill
Tasmania News, July 13, 2010

Euthanasia ‘bad medicine, worst policy: campaigner
ABC News, July 12, 2010


Wesley SmithのブログSecondhand Smokeの記事は
当ブログでも何度も取り上げています。

自殺幇助関連では「尊厳死」の書庫で、Wesley Smith で検索してもらうと出てきます。
2010.07.13 / Top↑
4.クインラン事件 「第2の物語」 (1~4の4)

NJ州最高裁の判決後、しかし病院は呼吸器の取り外しを拒否。
徐々に慣らして「乳離れ」を行い、カレンは完全な自発呼吸を開始する。

すると病院は態度を一変して退院を迫り、
カレンは6月にナーシングホームに移る。

その後1985年6月13日肺炎で息を引き取るまでの約10年間、
家族や施設の「通常以上の看護と援助ケア」が続き、
カレンは遷延性植物状態のまま生きる。」

マーク・シーグラーは
第1の物語を「見知らぬ者の医療」を
第2の物語を「親しい仲間の医療」を象徴する、と。

(この医療の分類には、いろいろ考えさせられます。
例えば、「治す医療」と「支える医療」とか、医療と生活との関係とか……)

両親は1980年に「カレン・アン・クインラン希望センター」を設立し、
NJ州に2か所のホスピスを開設。

カレンの父親ジョセフは「……強調すべきはケアであって、治癒ではありません。
愛情ある援助が機械的援助よりも重要なのです」と。


       ―――――――

アームストロングの戦略や、事件への世論の反応が
そのままAshley事件の正当化論、擁護論に重なっていくことに、
次々に驚かされながら本書を読んだ。

最も大きく印象に残ったのは、
高裁で検察の一人が指摘した事実で、

カレンの父親がカレンから呼吸器をはずしてやりたかったら、
最も迅速・確実にそれが出来る方法は訴訟を起こすことではなく、
呼吸器をはずしてくれる病院を探して転院することだった、と。

Ashley事件ではシアトルこども病院のWilfond医師が
もともと胃ろうの重症児の体重管理なら家庭でのカロリー調整で可能なのだが、
この事件では家族が医療職の関与を求めたことが特徴だと述べている。

どちらも、1つの家庭の中での問題解決だけを求めるならば
わざわざラディカルな行動を起こして世論に訴えることをせずとも
どちらのケースにも家庭内で解決の選択肢はあった、という事実――。

A事件でも
子どもの医療については親のプライバシー権の範囲内だとの擁護論は多かったけれど、
上記事実を考えると、コトの本質はやはり親のプライバシー権ではないと思われ、

(spitzibara仮説では、シアトルこども病院は2004年に、
Ashleyにおいてのみ、特例的に親のプライバシー権を認め、
それが一般化されることがないように水面下にとどめる判断をしたのだと考えます)

むしろプライバシー権を議論の表看板に据えつつ
実はプライバシー権を超えた問題提起をすることに
クインラン事件での訴訟の意味も
敢えてラディカルな成長抑制を実施・公開したAshley父の行動の意味も、あったのでは?

それは高裁で検察側が指摘しているように
コトがクインランという1つの家族を巡る権利の問題ではなく、多くの人の権利の問題であり、
Ashleyという一人の重症児の権利の問題ではなく、
すべての重症児・障害者の権利の問題である、ということなのだけれど、

しかし、それだからこそ、その事実を見えなくするために、またその結果として、
どちらの事件でも次の6つのことが行われていると思う。

① クインラン事件のアームストロング弁護士もA事件のDiekema医師も
問題を「家族の愛と信仰と勇気」の問題に矮小化し、感情に訴えて世論を誘導した。

② 延性植物状態のカレンには脳死状態だと事実に反する主張がなされ、
 重症障害児のAshleyには遷延性植物状態と誤解させる表現が多用されたり、
重症児は何も分からない赤ん坊と同じだというイメージ操作が行われた。
 
③どちらの事件でも、重症障害がある外見が「グロテスク」だと繰り返し語られて、
言外に「われわれと同じ人間ではない」と印象付けられていく。
つまり、そこに線引き・切り離しが行われていく。

ちなみに、前のエントリーに出てきている「無脳症のモンスター」の意味を当時は知らなかったので
エントリーの文中では使っていませんが、07年のシアトルこども病院生命倫理カンファで、
重症新生児の救命を「無益な治療」概念で否定する際に、
Norman Fostが「無脳症のモンスター」という言葉を使い、無脳症児を例にあげました。

カレンが「医学の進歩が死期に創出する終末期のモンスター」だったのだとすれば、
Ashleyは「医学の進歩が出生時の救命で創出する重症障害のモンスター」として描かれて、

クインラン事件が植物状態の人からの呼吸器の取り外しの容認への分水嶺となったのだとしたら
Ashley事件は障害新生児の救命差し控えや停止、それ以前の遺伝子診断などの新・優生思想と、
それでも自己選択で生み育てることを選択するなら介護を親の自己責任とする福祉切り捨てへの
分水嶺とまでは言わなくとも、一里塚くらいにはなっていくのかもしれない。

④クインラン事件で
通常の医療か通常でないかの判断は患者の認知レベルによって分かれるが
治療の拒否権があることに患者の認知レベルは影響しないというダブルスタンダードが
最善の利益論による代理決定を正当化しているのは、

権利・尊厳の侵害や背が高いことの利益を、Ashleyの認知レベルの低さを理由に否定しつつ
QOLの高さや親にケアされることが幸せだと主張する点では認知レベルの低さを問題にしないという
ダブルスタンダードを用いた「害とリスク」と「利益」による最善の利益で
Ashleyケースの医療介入が正当化されていることと並行する。

⑤このシリーズの2つ目のエントリーで引用した部分(以下に再掲)に書かれているように、

脳死はカレンの満たすことのない死の定義である。しかし、そのことを示すために反復される詳細な議論は、読む者に原告側の主張に対するたんなる論駁以上の印象を残す。脳死概念が、いまだそれを人の死とする法の成立していないニュージャージー州においても、確かな法的地位を既に獲得しているという印象である。しかし、実際には、事実は逆だというべきである。そうして倦むことなく繰り返される議論が脳死概念の社会的需要そのものを創出するのである。
(P.66)



クインラン事件で論争が起こり、続けられること、そのものによって、
未だに法制化されていない脳死概念が法的地位を既に獲得しているような印象を与え、
世論が脳死概念の法制化への受容の土壌を創り出したように、

Ashley事件でも、論争が続いていることによって、
“Ashley療法”・成長抑制療法は未だに倫理的に正当化されていないにも関わらず、
特に医療職と重症児の親を中心に社会の人々がその考えに馴染み、抵抗を薄れさせていく。

英国のKatie事件がAshley事件ほどの衝撃を持って受け止められなかったように、
オーストラリアのAngela事件に至っては、もはや誰も大した興味を持たないように、
重症児の“QOL向上のための”身体の侵襲は徐々に受け入れられ、
正当な根拠なしに、医療の中に位置づけられようとしている。

2007年の論争当時に、米国のメディアが本来の機能を果たしていれば、
論争のテーマは「“Ashley療法”の倫理的妥当性」ではなく
「シアトルこども病院の倫理委員会がしかるべく機能したかどうか」になったはずで、

そうすれば、クインラン事件の州最高裁が出した
医療職に権限を委譲し、セーフガードとして倫理委員会を利用する、という提案の、
その倫理委員会に政治的ぜい弱性があることを
Ashley事件こそが、あぶり出すことが出来たはずだったのだけれど。

⑥「かけ離れた権利が結び付けられるというねじれによって」
「歴史的な分水嶺としての意味を獲得していく」。

癌の叔母に関しての発言を根拠とするカレン自身の医療を拒否するプライバシー権と
実は成人したカレンには及ばないはずの家族のプライバシー権とが、
無理やりに家族の愛情神話で情緒的にごまかされて結び付けられてしまい、
世論の同情と涙のうちに、いつのまにか司法にすら政治的配慮が働いて
OKにされていくマジックは、

子どもの医療を巡る親のプライバシー権については、
特に知的障害者に対する侵襲度の高い医療は例外とされており、
身体の統合性に対するAshley本人の権利が守られるための
然るべき意思決定プロセスには一定のスタンダードが設けられてきているにもかかわらず、
親の愛情と、赤ちゃんと同じ重症児が愛情深い親の腕に抱かれケアされるイメージによって
メディアにも操作が行われ、いつのまにか世論が誘導され、
Angela事件では豪の司法までが操作されたかとすら思われるマジックとそっくり。

でも、①から⑤によって世論が情緒的に盛り上げられているので、
そのマジックが見破られにくくなっていることもまた、共通項。

A事件では操作が米国内にとどまらず、グローバルに及んでいることは
時代の違いを象徴していると言えるでしょうか。
2010.07.13 / Top↑
3.クインラン事件 NJ州最高裁(1~4の3)

1976年1月から州最高裁での審理開始。

原告側弁護士アームストロングが持ち込んだ新たな論点は「無益な医療」。

通常/通常以上の医療の区別から、論点を医療の無益性へと転換し、以下のように主張した。
(1990年代から本格的に議論される治療の無益性がここで既に持ち出されている)

個人は無益な医療行為の中止を求める権利を持つ。
それは、最近親者が後見人として適切に代行できる権利である。

無能力者にも拒否権はある。
本人の最善の利益を検討することで後見人によって適切に行使される。



(「無益な治療」概念については、後に90年代の議論で、ロバート・トゥルオグが
生命維持処置の制限に「倫理的に一貫した根拠は提示しえない」と、
またロバート・ヴィーチが「価値判断であるにもかかわらず
客観的な指標のように装われがち」と問題を指摘している)

3月31日 最高裁は7名の判事全員一致で逆転判決。

事件を終わらせるための、最初から結論ありきで理由づけした判決。

父親の家族のプライバシー権の行使ではなく、カレンのプライバシー権の後見人による代行として。
最高裁の判決文にも「カレンの姿勢は胎児様でグロテスク」。

アームストロングが敢えて避けた「通常/通常でない」の区別を持ち出し、
治癒可能な患者の場合は「通常」とみなされる治療が
回復の見込みがない患者の心肺機能を無理やり維持するような場合には「通常以上」となりうる、と。

無益性による停止ではなく、通常以上の治療の停止として認めたもの。

医師に裁量権を認めながら
判断のバランスを保障する装置として倫理委員会の利用を提案し、
責任を分散することによって、訴追の懸念を減少する狙いもうかがわれる。

そこで判決の宣言的救済は、次のように書く。

カレンの後見人と家族の協力のもと、責任ある主治医が
カレンが現在の昏睡状態から脱して認知と知性のある状態に回復する合理的可能性がいっさいなく、
現在カレンにほどこされている生命維持の機器は停止すべきだと判断した場合、
カレンが入院している病院《倫理委員会》ないし類似の組織に相談すべきである。

もしそうした助言機関が
カレンが現在の昏睡状態から脱して認知と知性ある状態に回復する合理的可能性が
いっさいないことを認める場合、現在の生命維持装置は取り外すことが許されるし、
その行為については、後見人であろうと、医師であろうと、病院や他のものであろうと、
いかなる関係者についても、刑事上、民事上の法的責任を問われるものではない。
(p.211)



ここまでが世の中によく知られたクインラン事件の「第1の物語」。
その後の「第2の物語」については次のエントリーに。


【無益な治療論に関するTrouog発言エントリー】
TrougのGonzales事件批判(2008/7/30)
「無益な心肺蘇生は常に間違いないのか?」とTruog医師(2010/3/4)
2010.07.13 / Top↑
2.クインラン事件 NJ州高裁 (1~4の2)

1975年4月NJ州のカレン・クインランさんが
交通事故で昏睡状態となり人工呼吸器を装着。
(4月末、ベトナム戦争ではサイゴン陥落)

9月、呼吸器をはずしてやりたいとする父親が
自分を後見人として認めるよう求め、訴訟。

州高裁で弁護士アームストロングは、まずは、
カレンが脳死であり、既に死んでいる以上、呼吸器を外しても殺人にはならないと
主張する戦略に出る。

この際の論争によって、脳死の医学定義が承認されたと考える学者も。

脳死はカレンの満たすことのない死の定義である。

しかし、そのことを示すために反復される詳細な議論は読む者に
原告側の主張に対するたんなる論駁以上の印象を残す。

脳死概念が、いまだそれを人の死とする法の成立していないニュージャージー州においても、
確かな法的地位を既に獲得しているという印象である。

しかし、実際には、事実は逆だというべきである。
そうして倦むことなく繰り返される議論が脳死概念の社会的需要そのものを創出するのである。
(P.66)



カレンは脳死ではなく遷延性植物状態であることは明らか。

そこでアームストロングは戦略を変更。
クインラン一家がカトリック教徒であることから
今度は教会の助言を得て「通常以上の手段」を終わらせるための代理決定を主張する。
(「通常/通常でない手段」については前のエントリーに)

本人が生前、癌の末期の叔母についての家族との話などで、
通常以上の手段で無益な延命をされたくないと語っていたことが語られ、

アームストロングはシュトランクvsシュトランク(1969)
ハートvsブラウン(1972: 7歳10カ月の双子間での腎臓移植)の判例を引いて議論。
ともに、無能力者を巡る代理決定において
利益の比較考量によって臓器提供を正当化したもの。

カレンの昏睡は不可逆的で、
自立と身体的統合性の崩壊は既に避けがたく、死は単に遅らされているに過ぎないので、
呼吸器を外しても殺人には当たらない、との主張と同時に、
本人の意思と、家族のプライバシー権の主張へと。

しかし、実際には本人の意思はカレン自身のプライバシー権であり、
成人であるカレンに対して父親のプライバシー権がそのまま通用するわけではない。

そこでアームストロングはその2つのかけ離れた権利をつなげるマジックとして、
個人のプライバシー権を確立した2つの判例(シュトランク、ハート)には敢えて触れず、
家族のプライバシー権の問題として論じる戦略に加えて、

「特にプライバシー権を擁護するはずの補足的議論は
法理論の展開というよりも、人々の感情に訴えるものへとずれ込んでいく(p.103)」

「ここでも、
かけ離れた権利が結び付けられるというねじれによって、脳死問題の場合と同じように、
むしろクインラン事件が歴史的な分水嶺としての意味を獲得していくことになる(p.104)」

「『家族の愛と信仰と勇気』、それを拠り所にしてアームストロングは、
法的、医学的な問題に対処する姿勢を明らかにした。
法と医学に家族の愛を対置すること、問題をあくまでも私的な次元に引き戻しながら
論じることが原告側の方針だった。(p.107)」

これに対して検察側は、「法による裁きの場」と言う言葉を繰り返し、

「この法廷は愛の場ではありませんし、同情の場でもありません」
「カレンは死んでいない」、生きているという事実のみが重要であり、
回復の見込みの有無も関係がない、尊厳死も自己決定も宗教の自由も、問題のごまかしであり
「これは安楽死なのです」と説き、

事件を家族の問題に矮小化することは許されない、
「われわれがここで論じているのはこの不幸な若い女性とその家族の権利だけではなく、
無数の他の人々の権利でもあるのです」(p.109)と主張する。

(このあたりの擁護論の展開とそれに対する批判は、まさにAshley療法論争でも同じ。、
 ついでに言えば、英国の家族による自殺幇助・慈悲殺合法化論の展開と批判のパターンにもそっくり)

原告側の証人として出てきたNY大学神経学教授 ジュリアス・コライン医師は
カレンの「精神年齢を示すことは可能か」と問われ、
精神年齢で捉えることの不適切を言おうとして
「無脳症のモンスター・奇形児 an encephalic monster」を例にあげた。

その事例は同医師の意図に反して、
カレンがモンスターであるとの印象と、そういう事態への不安を人々に与えた。
その後のクインラン事件が「現代医学の進歩が創り出すモンスターの恐怖」の象徴となった一因。

被告側の証言でもカレンを診察したダイヤモンド医師がカレンの状況を説明した後で
「……きつい胎児姿勢をなしていました。実際、胎児といった人間的な言葉で説明するには
あまりにもグロテスクでした」。(p.157)

(次のエントリーで出てきますが、最高裁の判決もカレンの状態について
「グロテスク」という文言を使っています)

1975年11月10日、ミューア判事は父親ジョセフ・クインランの請求を却下。

世論が既に父親への同情を集めていたこともあり批判が集中する。
専門職からは治療継続の判断を医療職にゆだねた、との批判も。
2010.07.13 / Top↑
「死ぬ権利 ―― カレン・クインラン事件と生命倫理の転回」(香川智晶 勁草書房)を読んだ。

クインラン事件は
英語の勉強に熱心だった10代の終わりから20代にかけての事件なので
「事故で植物状態になった女性の親が呼吸器を外したいと裁判ですったもんだがあった。
最後には許可が下りたけど、いざ外したら、その人は自力呼吸ができて長いこと生きた」
という程度には記憶している、私の中でも比較的大きな出来事だった。

この本は、膨大な資料から、
複雑な事実関係と議論とを丁寧にわかりやすく組み立ててあって、
ちょっとしたドキュメンタリーのように面白く読んだ。

と同時に、世の中がある一定の方向に傾れ込んでいく時に
その時代の力動によるのか、もっと作為的なものなのかは別にして
その方向への動きを大きく誘導することになる事件での議論というものが
この事件でもAshley事件でも同種の欺瞞・マヤカシを含んでいることに
新鮮な驚きも感じつつ読んだ。

前半の内容はクインラン事件の内容と展開。
後半は、クインラン事件を分水嶺として範囲を拡大していく、その後の米国の
「死ぬ権利」議論と、生命倫理の役割についての整理。

どちらもまとめるつもりだったのですが、
読み終えて、いざ取り掛かってみたら、前半だけで力尽きてしまったので、
クインラン事件についてのみ、特にAshley事件との関連で興味のあることについて
以下4つのエントリーに分けて。

1. クインラン事件に関係する出来事や情報の整理
2. NJ州高裁
3. NJ州最高裁
4. 裁判後の「第2の物語」と、Ashley事件との類似点について

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1. クインラン事件に関係する出来事や情報の整理


【クインラン事件以前の関連の出来事】

1968年 脳死基準
    統一州法委員会によるモデル法「統一遺体贈与法:Uniform Anatomical Gift Act」

1970年 カンザス州で脳死を人の死とする州法。これを皮切りに相次ぐ。

「脳死基準がつくられたとき、移植研究の専門家たちは生命倫理による後押しを必要とした。
医学の専門家が登場しつつあった生命倫理に期待したのは、「臓器の収穫」に対する恐怖感を和らげ、
人々にハーバード基準を受け入れさせることだった。……そうしたところに、1975年、
クインラン事件が登場し、生命倫理学者にアドバイザーの役割が与えられることになったのである
(P.26)」と捉える学者も。

1971年 ヘストン事件 ニュージャージー
エホバの証人の輸血拒否
「死を選ぶ憲法上の権利はない」

カトリックの見解(ピウス12世)
通常/通常以上の区別。その区別が義務/義務でないものとの判断と重なる。

1972年 遷延性植物状態 コーネル大のフレッド・プラムと英ブライアン・ジェネットが提唱。


【プライバシー権】

プライバシー権についての概要は、本書に沿って
堀田義太郎氏と立岩真也氏がこちらにまとめておられます。

医療におけるプライバシー権については
「成人に達し、健全な精神をもつすべての人間は、
自分の身体に何がなされるべきかを決定する権利がある。
したがって患者の同意なしに手術をする主治医は暴行を侵すことになり、
その損害への責任を負う」(1914年カートゾ判事。後のIC法理の出発点の1つ)

家族の自律(family autonomy)
家族のメンバーに関わる基本的な意思決定を下す家族の権利’(the right of the family)

個人のプライバシー権と家族のプライバシー権については、
「ケアの絆 - 自律神話を超えて」のエントリーでちょっと考えました。

1965年 グリズウォルドvs コネチカット事件

CT州エステル・グリズウォルドはCT州家族計画同盟(Planned Parenthood League in CT)の会長。
結婚しているカップルに避妊の情報提供をしたことが州法違反に問われて、
同盟の医学部長と共に逮捕された。
州裁判所では1審、2審ともに有罪。
連邦最高裁で「プライバシーの権利」を理由に逆転無罪。

「プライバシーの権利をたんに情報を他人から守るだけでなく、
政府の介入から自由な個人を保護する活動領域を創り出すものとして初めて論じた」
画期的判決と、倫理学者。

1973年 テキサス州 ロー vs ウェイド判決

プライバシー権を妊娠第一期の中絶に適用。
プライバシー権は結婚、出産、家族関係や子どもの育て方にまで適用されるとの解釈。


【英米の安楽死議論】

1906年オハイオ州で安楽死法案(積極的安楽死を認めるもの)を皮切りに続くが未成立。
1930年代、英国でも議論が起こり始める。
1936年、英国議会に安楽死合法化法案。否決。35対14。
1938年 米国安楽死協会設立

事件以前に「死ぬ権利」と言う言葉を多用していた生命倫理学者ジョセフ・フレッチャーは
現代医学の進歩によって人間の誕生と死の場面に登場する「モンスター」の治療停止を
「死ぬ権利」の問題として提起し、安楽死を肯定していた。

同様の論法で1980年にヘムロック協会が設立される。
創設者はデレク・ハンフリー。


Hemlock SocietyはC&Cの前身
メディアによってFENの前身としているものもあるようですが
FENがHumphryの著書Final Exitをテキスト扱いしていることでもあり、
Humphry自身もどちらにも関わっているというのが本当のところではないでしょうか)

ちなみにDerek Humphry の著書は
Final Exit : The Practicalities of Self-Deliverance and Assisted Suicide for the Dying
Derek Humphry, 2002

日本でも翻訳が出ているようです。
「安楽死の方法(ファイナル・エグジット)」徳間書店から。

Amazon.comの内容説明には
「苦痛なく死ぬ権利を求めて。
本書はまさに人間最後の「至福」のありかを探る問題作である」と。

Derek Humphryのブログはこちらの、その名もAssisted-Suicide Blog
2010.07.13 / Top↑