ワシントン州とモンタナを落としたC&Cの次なるターゲットはアイダホだ、との情報。
http://www.lifesitenews.com/ldn/2010/jul/10072309.html
自殺幇助を医師の判断で医師にやらせるのではなく、裁判所を判断機関として合法化しようと提案のコメンタリーがGuardianに。
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/belief/2010/jul/28/assisted-suicide-dying
Obama大統領の医療制度改革で、2012年に任意加盟で障害者の地域生活を支援するthe Community Living Assistance Services and Support (CLASS)プログラムがスタートする。障害の程度に応じて最低一日50ドルが支給されるが、すぐに加盟しても給付を受けられるのは2017年。:Ashley事件の頃に、障害当事者がしきりに運動していたCommunity Choice Actがこういう形になったもの?
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/07/26/AR2010072604721.html?wpisrc=nl_cuzhead
米国の障害者法成立20周年。Obama大統領が、政府もテクノロジー分野ももっと障害者の雇用を、と。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/07/27/AR2010072705699.html?wpisrc=nl_cuzhead
緩和ケアでしきりに言われる「スピリチュアル・ケア」だが、その内容については、患者が求めているものと医療職や家族が考えているものとの間にギャップがある。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/195815.php
英国キャメロン首相が犯罪防止策とコスト削減策として、犯罪防止パトロールを地域で組織したボランティアに、との方向性を打ち出し、“DIY取り締まり”と早速メディアがネーミング。
http://www.guardian.co.uk/uk/2010/jul/26/cameron-budget-cuts-diy-policing
国民一人一人がNHSのコスト削減に責任を持とう、と英国保健相。:これは上記のニュースとセットかも?
http://www.guardian.co.uk/society/joepublic/2010/jul/27/andrew-lansley-health-personal-responsibility
もう何年も問題になっている環境ホルモン、ビスフェノールは飲食物の容器だけでなく、紙やレシート用紙にも含まれていると分かった。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/07/26/AR2010072605001.html?wpisrc=nl_cuzhead
AIDS予防の女性用ジェルの今後に関する課題もろもろ。
http://www.nytimes.com/2010/07/27/health/27aids.html?_r=1&th&emc=th
3月にスペインで世界初のフル・フェイスの移植を受けた男性が、テレビのインタビューに応じた。
http://www.guardian.co.uk/world/2010/jul/26/full-face-transplant-patient
http://www.lifesitenews.com/ldn/2010/jul/10072309.html
自殺幇助を医師の判断で医師にやらせるのではなく、裁判所を判断機関として合法化しようと提案のコメンタリーがGuardianに。
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/belief/2010/jul/28/assisted-suicide-dying
Obama大統領の医療制度改革で、2012年に任意加盟で障害者の地域生活を支援するthe Community Living Assistance Services and Support (CLASS)プログラムがスタートする。障害の程度に応じて最低一日50ドルが支給されるが、すぐに加盟しても給付を受けられるのは2017年。:Ashley事件の頃に、障害当事者がしきりに運動していたCommunity Choice Actがこういう形になったもの?
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/07/26/AR2010072604721.html?wpisrc=nl_cuzhead
米国の障害者法成立20周年。Obama大統領が、政府もテクノロジー分野ももっと障害者の雇用を、と。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/07/27/AR2010072705699.html?wpisrc=nl_cuzhead
緩和ケアでしきりに言われる「スピリチュアル・ケア」だが、その内容については、患者が求めているものと医療職や家族が考えているものとの間にギャップがある。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/195815.php
英国キャメロン首相が犯罪防止策とコスト削減策として、犯罪防止パトロールを地域で組織したボランティアに、との方向性を打ち出し、“DIY取り締まり”と早速メディアがネーミング。
http://www.guardian.co.uk/uk/2010/jul/26/cameron-budget-cuts-diy-policing
国民一人一人がNHSのコスト削減に責任を持とう、と英国保健相。:これは上記のニュースとセットかも?
http://www.guardian.co.uk/society/joepublic/2010/jul/27/andrew-lansley-health-personal-responsibility
もう何年も問題になっている環境ホルモン、ビスフェノールは飲食物の容器だけでなく、紙やレシート用紙にも含まれていると分かった。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/07/26/AR2010072605001.html?wpisrc=nl_cuzhead
AIDS予防の女性用ジェルの今後に関する課題もろもろ。
http://www.nytimes.com/2010/07/27/health/27aids.html?_r=1&th&emc=th
3月にスペインで世界初のフル・フェイスの移植を受けた男性が、テレビのインタビューに応じた。
http://www.guardian.co.uk/world/2010/jul/26/full-face-transplant-patient
2010.07.28 / Top↑
前の二つのエントリーで「プライバシー権」を考えてみるきっかけになった
マサチューセッツ州の「学校で無料コンドーム配布」事件について
いくつか記事を読んでみました。
6月8日、マサチューセッツ州Cape Cod市の
Provincetown学校委員会が全会一致で通した方針は、
来年度から、小学校から高等学校までの生徒が、学校のスクールナースから
無料のコンドームをもらうことができるようにする、というもの。
親からは学齢期前の子どもがコンドームを入手できるのでは、との懸念や、
自分の子どもにはやりたくない、どうしても必要なら親が、との声も上がるが、
新たな方針では
コンドームをもらったことを親に通知する必要もなく、
また親が反対した子どもに渡すことを禁じることもしていない。
スクールナースと話をし、
安全なセックスについてのアドバイスを受けられるので、
子どもと大人の間でセックスに関するコミュニケーションが図りやすくなる、と
ガイドラインを執筆した学校委員会の責任者。
Provincetown to make condoms available at all schools
The Boston Globe, June 23, 2010/07/27
Provincetown Policy Outlines Condoms For Schoolchildren
WBUR、June 24, 2010
このニュースを受けて、Boston Globe紙が取材したところ、
Massachusetts州の24以上の学校区で、何年も前から
子どもたちにコンドームを与えていた。
論議を呼んでいるProvincetownのガイドラインでは
子どもたちは少なくともスクールナースと話をし、
安全なセックスについてアドバイスを受けた上でもらうことになっているが、
それよりもはるかにおおらかな学校区もあり、
Lexington 高校では
ガイダンス室や保健室に置いてある籠の中から
生徒が自由に持って行ってもいいことになっている。
Cambridge Rindge & Latin校がMA州で初めて
学校付属の医療センターでコンドームを配布し始めたのは1990年。
その1年後に、Falmouth学校区が
MA州で初めてトイレにコンドームの販売機を設置し、大きな論争となった。
学校区の責任者は
当時、教会のミサで地元の神父から叱責されたという。
複数の保護者が学校区を相手取って訴訟を起こしたが、
州の最高裁は1995年に学校区の方針を支持し、論争も収まった。
Falmouth学校区の学校では
販売機のコンドームが75セントで売られている一方で、
保健室の籠からは無料でとることができる。
去年1年間に学校で配られた無料コンドームは900個。
今回のProvincetownの新たな方針がメディアの関心を呼び、
不同意の姿勢を明らかにした知事が介入。
学校区は5年生以上に年齢制限を設ける方向でガイドラインを修正する模様。
他にHolyoke学校区でも、
6年生以上ならProvincetownと同じガイドラインでコンドームをもらえるが
Provincetownと違って、親によるオプトアウトが可能。
2004年にプログラムを開始した同学校区のスーパーインテンデントは
子どもたちの性病の発生率が低下したことをあげ、
最初は論議を呼んだが、今ではみんなが満足している、と。
95年の裁判所の判断では、
生徒がコンドームを希望したことについて秘密にする権利を学校に認め、
子どもがコンドームを受け取ることを親が拒むことを禁じた。
「コンドームの販売機が子どもの目に触れたり、
学校で配布するプログラムそのものも、
原告側の道徳や宗教感情にはそぐわないかもしれないが、
学校にそうしたプログラムがあるということだけで
憲法上の親の自由が侵害されたことにはならない」
Condoms old news in many schools
The Boston Globe, June 28, 2010
前に、未成年者の中絶を、親に知らせる義務が医療職にあるかどうかという議論を、
ちょっとだけ読んだ記憶があるのですが、
基本的にはそれと通じていく問題。
確かに、この問題は前の2つのエントリーでまとめた
Griswold事件や、米国のプライバシー権に直結しているようで、
いずれも問題は
「子どものプライバシー権」 vs. 「親のプライバシー権」という構図。
95年のMA州最高裁の判断では
子どものプライバシー権が親のプライバシー権を上回ると解釈されたものと思われ、
親の「道徳や宗教感情」に言及しつつ原告の訴えを却下していることは
道徳は社会の選好に過ぎないので、法に道徳を持ち込むことは間違いで、
それに代わって、法で禁じることの利益と害の比較考量で判断すべき、という
前のエントリーで読んだ論文で著者の坂本氏が説く、功利主義的な立場に
合致しているようにも思います。
が、科学とテクノロジーの進歩や、過酷な弱肉強食型グローバル経済を背景に
子どもに対する親のコントロールがどんどん強力になって行く現在、
70年代に整理された坂本氏の功利主義的解釈が
そのまま当てはまめられるとも思えず、
また、そもそも今回こういうニュースが報じられて論争となり
知事の介入まで招いていることを考えると、
95年のMA州最高裁の子どものプライバシー寄りの判決が
このまま不変だとも思えず……。
もしかして、米国のプライバシー権は、今後、
親が自分の好きなように子育てをし、家庭を営む権利としてのプライバシー権だけを
強化していくのではないでしょうか。
もしも子どもの個人としてのプライバシー権を本当に尊重するなら、
出生前遺伝子診断とか、デザイナーベビーとか、
自分の子どもの遺伝子を親が検査させて情報を知ることとか、
難しい問題が、芋づる式にぞろぞろと出てくることになり
親の決定権にとっても、科学とテクノロジーにとっても
非常に不利なことになりそうです。
(リベラルな親の決定権と、キリスト教原理主義者の親の決定権では、
個々の判断内容はまるで逆向きの話になりそうでありながら、それでいて、
「親の愛」を根拠に親の決定権を強化していく方向という1点において
両者は合い通じていきそうに思われるあたりが、また、なにやら恐ろしい)
親のプライバシー権と子どものプライバシー権の間には相克がある。
それを、ただ「親の愛情」や「子どもの最善の利益」などで曖昧にごまかして
結局は親のプライバシー権だけを強化していくのではなく、
そこに相克があることをきっちりと認識し、
未成年であっても、また障害のある子どもであっても、
「親のプライバシー権」の横暴で踏みにじられないだけの
個人としての「子どもの側のプライバシー権」が、しっかり守られるべく、
規制事実が積み重ねられてしまう前に、議論とセーフガードが必要なのだと、
改めてAshley事件を振り返りつつ、考える。
マサチューセッツ州の「学校で無料コンドーム配布」事件について
いくつか記事を読んでみました。
6月8日、マサチューセッツ州Cape Cod市の
Provincetown学校委員会が全会一致で通した方針は、
来年度から、小学校から高等学校までの生徒が、学校のスクールナースから
無料のコンドームをもらうことができるようにする、というもの。
親からは学齢期前の子どもがコンドームを入手できるのでは、との懸念や、
自分の子どもにはやりたくない、どうしても必要なら親が、との声も上がるが、
新たな方針では
コンドームをもらったことを親に通知する必要もなく、
また親が反対した子どもに渡すことを禁じることもしていない。
スクールナースと話をし、
安全なセックスについてのアドバイスを受けられるので、
子どもと大人の間でセックスに関するコミュニケーションが図りやすくなる、と
ガイドラインを執筆した学校委員会の責任者。
Provincetown to make condoms available at all schools
The Boston Globe, June 23, 2010/07/27
Provincetown Policy Outlines Condoms For Schoolchildren
WBUR、June 24, 2010
このニュースを受けて、Boston Globe紙が取材したところ、
Massachusetts州の24以上の学校区で、何年も前から
子どもたちにコンドームを与えていた。
論議を呼んでいるProvincetownのガイドラインでは
子どもたちは少なくともスクールナースと話をし、
安全なセックスについてアドバイスを受けた上でもらうことになっているが、
それよりもはるかにおおらかな学校区もあり、
Lexington 高校では
ガイダンス室や保健室に置いてある籠の中から
生徒が自由に持って行ってもいいことになっている。
Cambridge Rindge & Latin校がMA州で初めて
学校付属の医療センターでコンドームを配布し始めたのは1990年。
その1年後に、Falmouth学校区が
MA州で初めてトイレにコンドームの販売機を設置し、大きな論争となった。
学校区の責任者は
当時、教会のミサで地元の神父から叱責されたという。
複数の保護者が学校区を相手取って訴訟を起こしたが、
州の最高裁は1995年に学校区の方針を支持し、論争も収まった。
Falmouth学校区の学校では
販売機のコンドームが75セントで売られている一方で、
保健室の籠からは無料でとることができる。
去年1年間に学校で配られた無料コンドームは900個。
今回のProvincetownの新たな方針がメディアの関心を呼び、
不同意の姿勢を明らかにした知事が介入。
学校区は5年生以上に年齢制限を設ける方向でガイドラインを修正する模様。
他にHolyoke学校区でも、
6年生以上ならProvincetownと同じガイドラインでコンドームをもらえるが
Provincetownと違って、親によるオプトアウトが可能。
2004年にプログラムを開始した同学校区のスーパーインテンデントは
子どもたちの性病の発生率が低下したことをあげ、
最初は論議を呼んだが、今ではみんなが満足している、と。
95年の裁判所の判断では、
生徒がコンドームを希望したことについて秘密にする権利を学校に認め、
子どもがコンドームを受け取ることを親が拒むことを禁じた。
「コンドームの販売機が子どもの目に触れたり、
学校で配布するプログラムそのものも、
原告側の道徳や宗教感情にはそぐわないかもしれないが、
学校にそうしたプログラムがあるということだけで
憲法上の親の自由が侵害されたことにはならない」
Condoms old news in many schools
The Boston Globe, June 28, 2010
前に、未成年者の中絶を、親に知らせる義務が医療職にあるかどうかという議論を、
ちょっとだけ読んだ記憶があるのですが、
基本的にはそれと通じていく問題。
確かに、この問題は前の2つのエントリーでまとめた
Griswold事件や、米国のプライバシー権に直結しているようで、
いずれも問題は
「子どものプライバシー権」 vs. 「親のプライバシー権」という構図。
95年のMA州最高裁の判断では
子どものプライバシー権が親のプライバシー権を上回ると解釈されたものと思われ、
親の「道徳や宗教感情」に言及しつつ原告の訴えを却下していることは
道徳は社会の選好に過ぎないので、法に道徳を持ち込むことは間違いで、
それに代わって、法で禁じることの利益と害の比較考量で判断すべき、という
前のエントリーで読んだ論文で著者の坂本氏が説く、功利主義的な立場に
合致しているようにも思います。
が、科学とテクノロジーの進歩や、過酷な弱肉強食型グローバル経済を背景に
子どもに対する親のコントロールがどんどん強力になって行く現在、
70年代に整理された坂本氏の功利主義的解釈が
そのまま当てはまめられるとも思えず、
また、そもそも今回こういうニュースが報じられて論争となり
知事の介入まで招いていることを考えると、
95年のMA州最高裁の子どものプライバシー寄りの判決が
このまま不変だとも思えず……。
もしかして、米国のプライバシー権は、今後、
親が自分の好きなように子育てをし、家庭を営む権利としてのプライバシー権だけを
強化していくのではないでしょうか。
もしも子どもの個人としてのプライバシー権を本当に尊重するなら、
出生前遺伝子診断とか、デザイナーベビーとか、
自分の子どもの遺伝子を親が検査させて情報を知ることとか、
難しい問題が、芋づる式にぞろぞろと出てくることになり
親の決定権にとっても、科学とテクノロジーにとっても
非常に不利なことになりそうです。
(リベラルな親の決定権と、キリスト教原理主義者の親の決定権では、
個々の判断内容はまるで逆向きの話になりそうでありながら、それでいて、
「親の愛」を根拠に親の決定権を強化していく方向という1点において
両者は合い通じていきそうに思われるあたりが、また、なにやら恐ろしい)
親のプライバシー権と子どものプライバシー権の間には相克がある。
それを、ただ「親の愛情」や「子どもの最善の利益」などで曖昧にごまかして
結局は親のプライバシー権だけを強化していくのではなく、
そこに相克があることをきっちりと認識し、
未成年であっても、また障害のある子どもであっても、
「親のプライバシー権」の横暴で踏みにじられないだけの
個人としての「子どもの側のプライバシー権」が、しっかり守られるべく、
規制事実が積み重ねられてしまう前に、議論とセーフガードが必要なのだと、
改めてAshley事件を振り返りつつ、考える。
2010.07.28 / Top↑
(前のエントリーの続きです)
④ もう1つ、非常に興味深いのがソドミー禁止法。
米国の多くの州は
獣姦、ソドミー、オーラルセックス、同性愛を犯罪とする州法を定めている。
その後、オーラルセックスはコモン・ローで合法とされたが
いくつかの州では肛門性交以外にも禁止対象とする広範なソドミー法が存在する。
公衆トイレにおける同性愛者のソドミー行為を巡る裁判や
妻が夫をソドミーで訴えた訴訟などが続いて、その違憲性が問われ、
テキサス州のBuchanan判決によって、
婚姻関係を問わず、①成人間の ②合意に基づく ③私的な ④性的行為 であれば
憲法上保護されると、グリズウォルド判決のプライバシー権が拡大された。
(判決がいつだったのか論文からは分からず、検索してもすぐには出てこないのですが、
2003年段階でのソドミー法について触れた日本語記事があったので、こちらに。
実効はともかく現在もあるし、現在の同性婚を巡る議論に繋がっているわけですね)
⑤ Roe v. Wade
子どもを産むか産まないかを選択する権利を
修正9条によって保障されたプライバシー権として認めた、1973年の有名な判決。
憲法に明文として規定されていないとしても
その根拠が修正14条の「自由」にあるか、修正9条にあるかを問わず、
プライバシー権が憲法上の権利であり、基本的な権利であること、
そこに婚姻、出産、避妊、家族関係、育児、教育などが含まれることを確認した。
州が介入するには、
妊婦の健康保護、潜在的生命の保護という
「やむを得ざる州の関心事」によってのみ許される。
⑥ 断種 (sterilization)
目的で分類して、著者は以下の4種類を挙げる。
1. 犯罪処罰としての断種
2. 治療としての断種
3. 優生学的見地からの断種
4. 避妊の徹底したものとしての断種
特に3、と4についてみていくと、
3の優生施策としては、
1907年のインディアナ州の断種法が米国で最初。
執行されることはまれだったが、
その後、有名なBuck v. Bell判決で
ヴァージニア州の断種法を巡り連邦最高裁が
「痴愚は3代続けば十分」と、合憲と判断。
この論文が書かれた1974年現在、
半数以上の州が優生学的見地に立つ断種法を持っているが
(Spitzibara注記:北欧でも70年代半ばまで強制不妊手術が行われていた)
医学的実効性や誤診、人権上の懸念から執行に躊躇する州が多く、
筆者は、強制的優生手術が
身体の不可侵性もしくは幸福追求権としてのプライバシー権を侵害する可能性、
出産の権利を強制的に奪う可能性を指摘しており、
日本の優生保護法3条についても同様とする。
最も問題になるのは4の「避妊の徹底したものとしての断種」または「便宜的断種」。
コモン・ローでは、自己の身体を傷つける行為には
何人も有効な同意を与えることはできないとされてきたが、
70年代ですら美容整形を持ち出して著者は、その主張の根拠を疑っている。
(もっとも論文の基本的なスタンスは、
功利主義の考え方で道徳と法規制との間に一線を画する
米国のプライバシー権の考え方を紹介し、必ずしも同じとはいかずとも
日本でも検討すべきだと暗に提言するもの)
断種は、避妊と中絶の中間的なところにあって、
やはりプライバシー権に含まれるのではないかと暫定的に提案しながら
著者が最後までこだわっているのは「不可逆性」と「他人への危害の蓋然性」。
一律に州法で禁じるのはプライバシー権の侵害であるとし、
便宜的断種については個別に判定するほかないだろう、と結論している。
------
Ashleyの子宮摘出は、著者の分類のいずれにも当てはまらない。
強いて言えば、最後の「便宜的断種」に最も近いだろうと思うので、
ここの議論が私にとっては最も興味深いところ。
ただ、論文そのものが70年代に書かれたものであることを考えると、
Quelette論文が指摘したように、“Ashley療法”でもって、
新たな分類としての強制不妊が登場したと考えるべきなのでしょう。
それはまた、
この論文が書かれた頃には想像もつかなかった科学とテクノロジーの進歩を経て
米国のプライバシー権が、さらに大きく、危ういほど
拡大しようとしていることを示唆してもいる――。
やはりAshley事件は、何重にも象徴的な事件です。
④ もう1つ、非常に興味深いのがソドミー禁止法。
米国の多くの州は
獣姦、ソドミー、オーラルセックス、同性愛を犯罪とする州法を定めている。
その後、オーラルセックスはコモン・ローで合法とされたが
いくつかの州では肛門性交以外にも禁止対象とする広範なソドミー法が存在する。
公衆トイレにおける同性愛者のソドミー行為を巡る裁判や
妻が夫をソドミーで訴えた訴訟などが続いて、その違憲性が問われ、
テキサス州のBuchanan判決によって、
婚姻関係を問わず、①成人間の ②合意に基づく ③私的な ④性的行為 であれば
憲法上保護されると、グリズウォルド判決のプライバシー権が拡大された。
(判決がいつだったのか論文からは分からず、検索してもすぐには出てこないのですが、
2003年段階でのソドミー法について触れた日本語記事があったので、こちらに。
実効はともかく現在もあるし、現在の同性婚を巡る議論に繋がっているわけですね)
⑤ Roe v. Wade
子どもを産むか産まないかを選択する権利を
修正9条によって保障されたプライバシー権として認めた、1973年の有名な判決。
憲法に明文として規定されていないとしても
その根拠が修正14条の「自由」にあるか、修正9条にあるかを問わず、
プライバシー権が憲法上の権利であり、基本的な権利であること、
そこに婚姻、出産、避妊、家族関係、育児、教育などが含まれることを確認した。
州が介入するには、
妊婦の健康保護、潜在的生命の保護という
「やむを得ざる州の関心事」によってのみ許される。
⑥ 断種 (sterilization)
目的で分類して、著者は以下の4種類を挙げる。
1. 犯罪処罰としての断種
2. 治療としての断種
3. 優生学的見地からの断種
4. 避妊の徹底したものとしての断種
特に3、と4についてみていくと、
3の優生施策としては、
1907年のインディアナ州の断種法が米国で最初。
執行されることはまれだったが、
その後、有名なBuck v. Bell判決で
ヴァージニア州の断種法を巡り連邦最高裁が
「痴愚は3代続けば十分」と、合憲と判断。
この論文が書かれた1974年現在、
半数以上の州が優生学的見地に立つ断種法を持っているが
(Spitzibara注記:北欧でも70年代半ばまで強制不妊手術が行われていた)
医学的実効性や誤診、人権上の懸念から執行に躊躇する州が多く、
筆者は、強制的優生手術が
身体の不可侵性もしくは幸福追求権としてのプライバシー権を侵害する可能性、
出産の権利を強制的に奪う可能性を指摘しており、
日本の優生保護法3条についても同様とする。
最も問題になるのは4の「避妊の徹底したものとしての断種」または「便宜的断種」。
コモン・ローでは、自己の身体を傷つける行為には
何人も有効な同意を与えることはできないとされてきたが、
70年代ですら美容整形を持ち出して著者は、その主張の根拠を疑っている。
(もっとも論文の基本的なスタンスは、
功利主義の考え方で道徳と法規制との間に一線を画する
米国のプライバシー権の考え方を紹介し、必ずしも同じとはいかずとも
日本でも検討すべきだと暗に提言するもの)
断種は、避妊と中絶の中間的なところにあって、
やはりプライバシー権に含まれるのではないかと暫定的に提案しながら
著者が最後までこだわっているのは「不可逆性」と「他人への危害の蓋然性」。
一律に州法で禁じるのはプライバシー権の侵害であるとし、
便宜的断種については個別に判定するほかないだろう、と結論している。
------
Ashleyの子宮摘出は、著者の分類のいずれにも当てはまらない。
強いて言えば、最後の「便宜的断種」に最も近いだろうと思うので、
ここの議論が私にとっては最も興味深いところ。
ただ、論文そのものが70年代に書かれたものであることを考えると、
Quelette論文が指摘したように、“Ashley療法”でもって、
新たな分類としての強制不妊が登場したと考えるべきなのでしょう。
それはまた、
この論文が書かれた頃には想像もつかなかった科学とテクノロジーの進歩を経て
米国のプライバシー権が、さらに大きく、危ういほど
拡大しようとしていることを示唆してもいる――。
やはりAshley事件は、何重にも象徴的な事件です。
2010.07.28 / Top↑
香川智晶氏の「死ぬ権利 ――カレン・クインラン事件と生命倫理の転回」について
7月12日に以下の4つのエントリーでまとめました。
Quinlan事件からAshley事件を考える 1
Quinlan事件からAshley事件を考える 2
Quinlan事件からAshley事件を考える 3
Quinlan事件からAshley事件を考える 4
この1の中の「プライバシー権」に関する部分で
大きな判決としてグリズウォルド事件(1965年)が言及されていました。
コネチカット州の家族計画同盟の会長と医師が
結婚しているカップルに避妊の情報提供をしたことが州法違反に問われて
州裁判所では1審、2審ともに有罪とされたものが
連邦裁判所で「プライバシーの権利」を理由に逆転無罪となった、という事件。
情報を他人から守るだけでなく、
個人の自由な選択に政府の介入を認めない権利として
プライバシー権を正式に確立した画期的な判決とされるもの。
避妊情報が、それほど大それた問題だということがピンとこなくて、
私にはこの事件についての記述がイマイチ、しっくり理解できなかったのですが、
たまたま、その直前に、
コンドームを渡していた学校が問題になっているニュースが目についており、
避妊情報が犯罪になるというのも
学校で生徒にコンドームを渡すのも、どちらも私には理解できず、
しかし、それが米国のプライバシー権や、
Gates財団と繋がりの深いPlanned Prenthood Leagueと関係しているとなると
Griswold事件をこのまま理解不能のまま放っておくわけにもいかない気分に。
そこで、ある方に伺ってみたところ、
さっそく英文と日本語の資料を送っていただきました。
まず、読んでみたのは日本語資料の方。
道徳とプライバシー(1) と (2)
坂本昌成
政経(古い字体)論叢 第23巻 第5,6号、1974年1月
廣島大学政経学会(古い字体)
なるほど、グリズウォルド事件は、
米国社会についての背景知識がなければ理解できない事件だということが、
よく分かりました。
今回の論文で分かったGriswold事件とその背景と、
それがソドミー法、中絶法や断種法といかに繋がっていくか
米国のプライバシー権が拡大されていく過程について、
以下2つのエントリーで。
① 米国の社会背景
カトリックの影響が強い19世紀米国社会の道徳観では
もともと避妊そのものに対するタブーが根強く、
妊娠によって傾向が害される恐れのある既婚女性のみを対象とするものだった。
20世紀半ばになって、やっと
避妊による母親・家族の肉体的、社会的、文化的な効用が認知されるようになり、
何らかの方法で避妊している既婚者は1910年の15%から
1935-1939年では66%に増加している。
コネチカット州では1879年に制定された避妊禁止規定が存続し
避妊に関する情報を与えたものには罰則が規定されていた。
(実際に執行されたことはない)
② Poe事件
1969年に、血液型不適合のため過去3回奇形児が生まれ、
いずれも、すぐに亡くしたPoe夫妻と、担当医Buxtonが
同規定は憲法違反であるとの訴えを連邦最高裁判所に対して起こした。
結果的に原告の訴えは却下されたが、この時の少数意見として、
当該州法は、適正手段によらず、
憲法修正14条の「自由」を夫婦から奪っていること
この自由の中にプライバシーが含まれ、
避妊器具当の使用を禁じることは家庭の最も深い聖域に官憲が侵入する危険性があること
の2つの理由によってコネチカットの当該州法を違憲とする説が出ている。
③ Griswold事件
CT州家族計画同盟(Planned Parenthood League)の理事であったEstelle Griswold医師と
C.L. Buxtonとが既婚者に避妊に関する医学上のアドバイスを与えたとして逮捕され
州裁判所で有罪となった。
Buxtonは上記Poe事件の原告の一人。
連邦最高裁で判決文を書いたのは
Poe判決で少数意見として違憲説を唱えたDouglas判事。
コネチカット州避妊禁止法は、
憲法修正1,3,5,9条によって形成される「プライバシーのゾーン」を侵す、と判断。
ゾーンとしてプライバシーを捉えるDouglasの見解は
一般に「半影論(penumbra theory)」と呼ばれ、
つまり、これらの修正条項のいずれかに明確に規定されているというのではなく、
それら条項が放射状に一定範囲をカバーしていると捉える場合に、
その中で規定されているもの、という考え方。
憲法上に明確に規定されてはいないが、
憲法の全体によって、なんとなく、そういう権利が認められている、という
かなり、いい加減な考え方でもあり、
したがって、例えば夫婦だけなのか、未成年は、など、
その内容、範囲、侵害基準などは明確ではないまま残された。
その後の判例によって、順次確認されていくことになる。
(次のエントリーに続きます)
7月12日に以下の4つのエントリーでまとめました。
Quinlan事件からAshley事件を考える 1
Quinlan事件からAshley事件を考える 2
Quinlan事件からAshley事件を考える 3
Quinlan事件からAshley事件を考える 4
この1の中の「プライバシー権」に関する部分で
大きな判決としてグリズウォルド事件(1965年)が言及されていました。
コネチカット州の家族計画同盟の会長と医師が
結婚しているカップルに避妊の情報提供をしたことが州法違反に問われて
州裁判所では1審、2審ともに有罪とされたものが
連邦裁判所で「プライバシーの権利」を理由に逆転無罪となった、という事件。
情報を他人から守るだけでなく、
個人の自由な選択に政府の介入を認めない権利として
プライバシー権を正式に確立した画期的な判決とされるもの。
避妊情報が、それほど大それた問題だということがピンとこなくて、
私にはこの事件についての記述がイマイチ、しっくり理解できなかったのですが、
たまたま、その直前に、
コンドームを渡していた学校が問題になっているニュースが目についており、
避妊情報が犯罪になるというのも
学校で生徒にコンドームを渡すのも、どちらも私には理解できず、
しかし、それが米国のプライバシー権や、
Gates財団と繋がりの深いPlanned Prenthood Leagueと関係しているとなると
Griswold事件をこのまま理解不能のまま放っておくわけにもいかない気分に。
そこで、ある方に伺ってみたところ、
さっそく英文と日本語の資料を送っていただきました。
まず、読んでみたのは日本語資料の方。
道徳とプライバシー(1) と (2)
坂本昌成
政経(古い字体)論叢 第23巻 第5,6号、1974年1月
廣島大学政経学会(古い字体)
なるほど、グリズウォルド事件は、
米国社会についての背景知識がなければ理解できない事件だということが、
よく分かりました。
今回の論文で分かったGriswold事件とその背景と、
それがソドミー法、中絶法や断種法といかに繋がっていくか
米国のプライバシー権が拡大されていく過程について、
以下2つのエントリーで。
① 米国の社会背景
カトリックの影響が強い19世紀米国社会の道徳観では
もともと避妊そのものに対するタブーが根強く、
妊娠によって傾向が害される恐れのある既婚女性のみを対象とするものだった。
20世紀半ばになって、やっと
避妊による母親・家族の肉体的、社会的、文化的な効用が認知されるようになり、
何らかの方法で避妊している既婚者は1910年の15%から
1935-1939年では66%に増加している。
コネチカット州では1879年に制定された避妊禁止規定が存続し
避妊に関する情報を与えたものには罰則が規定されていた。
(実際に執行されたことはない)
② Poe事件
1969年に、血液型不適合のため過去3回奇形児が生まれ、
いずれも、すぐに亡くしたPoe夫妻と、担当医Buxtonが
同規定は憲法違反であるとの訴えを連邦最高裁判所に対して起こした。
結果的に原告の訴えは却下されたが、この時の少数意見として、
当該州法は、適正手段によらず、
憲法修正14条の「自由」を夫婦から奪っていること
この自由の中にプライバシーが含まれ、
避妊器具当の使用を禁じることは家庭の最も深い聖域に官憲が侵入する危険性があること
の2つの理由によってコネチカットの当該州法を違憲とする説が出ている。
③ Griswold事件
CT州家族計画同盟(Planned Parenthood League)の理事であったEstelle Griswold医師と
C.L. Buxtonとが既婚者に避妊に関する医学上のアドバイスを与えたとして逮捕され
州裁判所で有罪となった。
Buxtonは上記Poe事件の原告の一人。
連邦最高裁で判決文を書いたのは
Poe判決で少数意見として違憲説を唱えたDouglas判事。
コネチカット州避妊禁止法は、
憲法修正1,3,5,9条によって形成される「プライバシーのゾーン」を侵す、と判断。
ゾーンとしてプライバシーを捉えるDouglasの見解は
一般に「半影論(penumbra theory)」と呼ばれ、
つまり、これらの修正条項のいずれかに明確に規定されているというのではなく、
それら条項が放射状に一定範囲をカバーしていると捉える場合に、
その中で規定されているもの、という考え方。
憲法上に明確に規定されてはいないが、
憲法の全体によって、なんとなく、そういう権利が認められている、という
かなり、いい加減な考え方でもあり、
したがって、例えば夫婦だけなのか、未成年は、など、
その内容、範囲、侵害基準などは明確ではないまま残された。
その後の判例によって、順次確認されていくことになる。
(次のエントリーに続きます)
2010.07.28 / Top↑
| Home |