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(前のエントリーからの続きです)

Elective Ventilation について、Wilkinsonの主張のキモは
「自己決定権の侵害には当たらない。むしろ自己決定権の尊重である」との論旨。

彼の論理の展開は4段階で、

① EVもSQVもいずれも一部の患者の自己決定を侵害するので、
自己決定論では解決にならない。

EVは、臓器提供をしたくない患者、
また臓器提供のための生命維持をされたくない患者の自己決定を侵害する。

SQVは、臓器提供を望んでいて
自分の臓器を無駄にされたくない患者の自己決定を侵害する。

② 英国を含め多くの国でマジョリティが臓器提供を望んでいるとすれば
SQVの方でより多くの患者の自己決定が侵害されることになるのだから
EVを選ぶことによって、この議論は「民主的に解決」できる。

③ また、上記の侵害による影響の大きさも違う。

EVで自己決定権を侵害される患者は、意に反した人工呼吸をされるが
十分な沈静と沈痛を行われるのだし、大した期間でもないのだから
それによって失うものはないが、

SQVで自己決定を侵害される患者は、
一人で最大7人もの命を救うという有徳の行為の機会を逃し
貴重な臓器を無駄にされるのだから失うものがはるかに大きい。

④ 大切なことは本人に選択の機会を与えること。

(たとえばレストランで友達より先に到着して、
友達が頼むメニューが分かっていれば先に頼んでおくこともできるけど、
やっぱり電話をかけるか、本人が来るまで待ったりするように
大事なのは本人に選択の機会を与えること)

臓器を提供するか、しないかの選択は
本人にさせるべき重大なものであり、
医師が勝手に決められるものではないのだから、

それほど大事な選択の機会を保障するためのEVは
医師の判断で選択的に行われるべきではない。
必ず行われるデフォルトにすべきである。


言いたいことが山ほどあるような気がするのですが、
とりあえず言いたいことの糸があまりに沢山あって絡まり合っているので、
すぐにパパッと言葉になる2点についてのみ、以下に。

① 「無益な治療は一方的な医療サイドの判断で中止・差し控えるべきもの」との
患者の自己決定権を顧みない“無益な治療”論がここでの議論の前提となっている。

それは一方的なDNR指定を巡る問題として英国でも
また「無益な治療」法のあり方を巡って米国でも
まだ生命倫理の議論が行われているところであり、
Wilkinsonの議論は現状をさらに進めてしまったところからスタートしているのでは?

Wilkinson自身は、Savulescuと一緒に
「臓器提供安楽死」「人為的脳死後臓器提供」を提唱した(2010)他にも
これまで以下のようなことを主張してきているので、

Savulescuらが、今度はICUにおける一方的な「無益な治療」停止の正当化(2011/2/9)
「“生きるに値する命”でも“与えるに値する命”なら死なせてもOK」とSavulescuの相方が(2011/3/2)

自分たちとしては既に“無益な治療”の一方的停止はデフォルトだと考えている、
または、そう考えているフリをして、今だ議論の余地が残る問題を勝手に解決してしまい、
知らん顔でEVを巡る議論の前提として織り込むという、
かなり厚顔なことをやっているのでは?

ちょうどアシュリー事件のDiekemaやFostが
「重症児だからやってもいい」かどうかが議論における最大の論点でありながら
いくつかの論文を書いて正当化するうちに、いつのまにか
「重症児にしかやらないのだから構わない」と論点そのものを勝手に解決し
知らん顔で正当化の前提に織り込むという不誠実な手段を使っていたように?


② 一番ムカつくのは
「EVで自己決定権を侵害される患者は、意に反した人工呼吸をされるが
十分な沈静と沈痛を行われるのだし、大した期間でもないのだから
それによって失うものはない」とシレっと書いている点。

これは、2007年当時の「無益な治療」議論で
「無益な治療が本人に苦痛を強いている」との治療中止正当化に対して
「十分な沈静と沈痛で本人の苦痛はないし、大した期間でもないのだからコストも大きくはない」として
出て来ていた反論の典型ではないか。

その反論を押しのけて正当化してきたはずの
「無益な治療の一方的な中止または差し控え」の上に乗っかって
「患者にとっては明らかに“無益な”介入を臓器目的でのみ義務付けろ」と主張しつつ、
その論拠に、その土台そのものを否定する指摘を持ち出してくる……?

もしもWilkinsonが「終末期の患者の人工呼吸は
十分な沈静と沈痛が行われれば本人への害にはならない」と主張するのなら
いま一度“無益な治療”の一方的な停止・差し控えを巡る議論に立ち返るべきでは?


この人がSavulescuと書いた「臓器提供安楽死」論文については、↓

「生きた状態で臓器摘出する安楽死を」とSavulescuがBioethics誌で(2010/5/8)
Savulescuの「臓器提供安楽死」を読んでみた(2010/7/5)
「腎臓ペア交換」と「臓器提供安楽死」について書きました(2010/10/19)
臓器提供は安楽死の次には”無益な治療”論と繋がる……?(2010/5/9)
脳死者減少が必至なら倫理の線引き変更も必至?「人為的脳死後臓器提供安楽死」も?(2012/2/14)
2012.02.22 / Top↑
先週、英国医師会が提言した「選択的人工呼吸 elective ventilation EV」については
どうも去年の暮れにNICEも新しいガイドラインで認めていたようですが、
相次ぐ動きに、英国メディアでも論争となっているようです。

EVへの批判の中心は当たり前ながら
「患者の自己決定権」に反する、というものらしく、

Savulescuと一緒に「臓器提供安楽死」や「人為的脳死後臓器提供」を説いたWilkinsonが
Oxford大学の実践倫理ブログで、2つのエントリーを書き、この問題を論じています。

Back from the grave: Should we allow Elective Ventilation?
PRACTICAL ETHICS, U. of Oxford, February 13, 2012

Obligatory Ventilation: why Elective Ventilation should not be elective
PRACTICAL ETHICS, February 16, 2012


読んでみると、英国医師会の提言のニュースを読んだ際の印象とは
EVの内容が多少違うので(私には結局は同じに思えるけど)、その点も含めて。

まず、あらかじめ指摘しておきたいこととして、
英語圏の医療用語としてのelective とは、
患者に医療上の必要が差し迫っていない医療行為をいうので、
ここでは「患者本人に利益のない」介入であることがelectiveと称されているわけですが、
それ自体がまず、えらくご都合主義の言い換えだなぁ、という気がします。

Wilkinsonは、その字面の「選択的」の意味を利用して
2つ目のエントリーのタイトルを「選択的なものにすべきではない」としており、
それは「つまり義務付けよ」と主張しているわけです。

EVとは、NICEの定義するところによれば、

Elective Ventilation (EV): The provision or continuation of life-sustaining treatment for a patient who would otherwise be allowed to die, until such time as their wishes about organ donation (if they expressed any) can be determined.

選択的人工呼吸(EV):患者の臓器提供の希望を(意思表示があったとすれば)確認できるまでの間、他の状況下では死ぬのを許される状態の患者に生命維持治療を提供するまたは続行すること。

Wilkinsonによれば、その反対はSQV(Status Quo Ventilation)で、

Status Quo Ventilation (SQV): The discontinuation or non-provision of life-sustaining treatment for a patient as soon as it is genuinely believed that it provides no medical benefit, regardless of whether their wishes about organ donation are known.

現状?人工呼吸: 患者の臓器提供の意思が分かっているかいないかに関わらず、延命治療には医学上の利益がないと誠実に判断された場合には、人工呼吸を中止する、または差し控えること。


うぉぉ……と思うのは、
前者の「死ぬのを許される」という表現しかり、
後者のSQVですら“無益な治療”の一方的な停止が織り込まれている点で、
現行の医療現場で問題となっている生命倫理の議論よりも
先を行っているように思えるのだけれど、

それでもWilkinsonは
SQVを「無駄の多い人工呼吸 wasteful ventilation」と呼びたいという。
「無駄の多い」とは、もちろん「臓器を無駄にすることが多い」の意でしょう。

ともあれ、これまでSQVが前提だった現場に
今回の提言でEVが持ち込まれた場合に、
実際にはどのような違いが出てくるのか。

それを説明すべく最初のエントリーの冒頭で持ち出されているのは
脳内出血で倒れて、病院に運ばれた時にはすでに手の施しようがない
62歳のMaryさんの仮想ケース。

これまでなら
臨床的脳死には至っていないものの
利益は見込めないので外科手術の適用にはならず、
回復の見込みもないためICUでの集中治療の適用ともならない。

しかし、今回の提言でEVが導入されると

Maryさんは、ICUに運ばれ、
いくつものチューブが入れられ、人工呼吸器や血圧計がつけられて、
そのまま臓器提供に関する家族の意思確認が待たれることになる。

家族となかなか連絡が取れなかったり、決断に時間がかかったりしていると、
Maryさんはその間に脳死状態に陥る可能性もある。
脳死となれば、controlled circumstancesで集中治療は中止される。

(Controlled cicumstances とは、この場合、DCDのプロトコル下で
手術室へ運び摘出の直前まで上記の臓器保存目的の介入が続けられる、との意では)

一方、もし家族が提供を拒否すれば、ICUで生命維持は停止される。


ここまでを読んで、私がすごく気になるのは
Maryさんが脳死にならないまま家族が臓器提供を決断した場合には
その集中治療はどうなるのか、という点をWilkinsonが全く説明していないこと。

「本人にとっては無益」とされたはずの介入が
臓器提供の意思確認の為だけに開始されたわけだけれど、
意思を確認し目的を果たしたからといって、
その段階で停止されるだろうか?

行われている「意思確認目的の介入」は
臓器提供になる場合にはそのまま「臓器保存」の機能も果たしてきたことになるわけで、
ここへきて、意思確認という目的を果たしたからといって
わざわざ臓器の鮮度を下げるのがわかっていながら中止するとは思えない。

それならば家族が同意した臓器の種類にもよるかもしれないけれど、
「提供意思を尊重するために」脳死の場合と同じく
Controlled circumstancesにおいて中止されることになるのでは?

そうであるならば、
「臓器提供意思のある人からその機会を奪わないために」
「家族の意思確認のためのEV」とは、実際は
「臓器摘出の直前まで臓器の鮮度を保つこと」を目的としたもの、
ということになるのでは?



この後に続くWilkinsonの義務付け論の内容については
(次のエントリー)で。
2012.02.22 / Top↑
世界中でモンサントに対する訴訟が広がっている。歌手のウィリー・ネルソンさんも協力。
http://action.fooddemocracynow.org/sign/i_support_farmers_vs_monsanto/?akid=472.356219.trR1JU&rd=1&t=2
http://planetsave.com/2012/02/17/willie-nelson-300000-activists-sue-monsanto/

【モンサント関連エントリー】
ゲイツ財団がインドで目論んでいるのはワクチン普及だけでなくGM農業改革も(2011/4/16)
「アグリビジネス」の後ろにはワクチン推進と同じ構図が見える(2011/10/5)
“大型ハイテクGM強欲ひとでなし農業“を巡る、ゲイツ財団、モンサント、米国政府、AGRAの繋がり(2011/10/27)
TPP進める経済界のトップ、やっぱりぐるっと廻って“ゲイツつながり”(2011/10/27)
ビル・ゲイツがダボス会議で「途上国の医療・農業支援はケチるな」(2012/1/26)


慢性的な痛みの記憶だけを消す化学物質。「永遠に晴れの日ばかりピル」で痛みとはおさらばできる日が来るか?
http://blogs.scientificamerican.com/observations/2012/02/17/eternal-sunshine-drug-points-the-way-toward-counteracting-the-agony-of-chronic-pain/

イスラエルでできた「ドナーカード保持者優先ルール」の完全施行は今年らしい。
http://ehln.org/?p=22181

日本語。鳥インフル:全文公開を・・・悪用防止徹底が前提 WHO勧告:先週どこかで「アメリカは世界中の人口の大半を死滅させられるだけの鳥インフルに感染した動物を持っている」との非難を目にしたばかり。
http://mainichi.jp/select/world/news/20120218k0000e040147000c.html

日本語。「中国の臓器移植」2011年には腎臓・肝臓合わせて約5500件。米国に次ぎ世界第二の移植大国。昨年には臓器売買を刑法で犯罪として初めて規定。
http://www.jiji.com/jc/c?g=tha_30&k=2012022000261

日本語。“チベット族の数百人が拘束”:中国の「死刑囚からの臓器摘出」と言われているものの中には、チベット族弾圧がらみのものが含まれている。⇒政治犯から生きたまま臓器を摘出する「新疆プロトコル」(2011/12/13)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120218/k10013112811000.html

英国で、日常的に親や家族の介護を担っている子どもは患者に関する重大な情報を持っているのに、子どもだというだけで病院スタッフが相手にしないので、ヤング・ケアラーにケアラー・カードを発行して、意識変革を、と。:一方で、子どもに介護役割が期待されてしまったり、医療決定に関与する責任まで負わされるのではないか、と危惧。
http://www.thisisnottingham.co.uk/New-ID-cards-recognise-role-young-carers/story-15255090-detail/story.html

日本語。同性婚合法化法案を拒否 米ニュージャージー州知事。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120218/amr12021813420011-n1.htm

シノドス・ジャーナル「障害者制度改革の重大な岐路 竹端寛」。:これまでの日本の障害者運動と、コイズミ改革前後辺りからの大きな流れが非常に分かりやすくて、頭が整理できた。
http://synodos.livedoor.biz/archives/1898730.html
2012.02.22 / Top↑
昨年2011年に国外からスイスに赴き
Dignitasで幇助を受けて自殺した人は144人で、
前年2010年から35%も増加。

スイスに在住の人のみを対象にしているExitでは
300人を超える自殺者に幇助。
257人だった前年2010年から17%の増加。

Exitで幇助を受けて自殺した人の多くはガン患者で、
平均年齢は76歳。

Dignitasでの2011年の自殺者の約3分の2は女性。

自殺する人全体で言えば男性が多いが、
幇助を受けて自殺する人の多くは女性である。

Assisted suicide numbers up in 2011
Swissinfo.ch, February 19, 2012

Dignitas assisted death rose 2011 report
Times Colonist, February 19, 2012


最後の自殺者総体には男性の方が多いが、
自殺幇助で死ぬのは女性の方が圧倒的に多いという情報に考え込む。

これまでも、女性が要介護状態になった場合に
男性よりも自殺幇助を望む方向に追い詰められやすいことについては
以下の2点を、以下にリンクしたエントリーなどで指摘してきた。

① 「ケアする者」の役割を背負わされている女性が「ケアを必要とする者」となった場合の
「家族に負担を負わせることへの恐れ」は男性以上に大きいという問題。

② 夫の介護には、支配―被支配の関係が妻の介護以上に入りがちであるという問題。

Cameron党首、自殺幇助合法化に反対を表明(2010/4/9)
シンガポールで末期がん女性が自殺幇助を希望(2010/5/12)
元クリケット選手「ALSの妻が一人で自殺したのは未整備の法のせい」(英)(2010/9/24)
妻の自殺幇助で逮捕されたITコンサル男性が「英国にもDignitasを」(2009/11/27)
女のエクスタシーと自殺幇助の関係性(2011/3/11)


「女のエクスタシーと自殺幇助の関係性」のエントリーでは以下のように書いた。
(この時の会話で使われたのが「エクスタシー」だったので、そのまま書いていますが、
実際に意味されていたのは「オーガズム」だったと思います)

エクスタシーなんて夢物語だ、セックスは妻としての退屈で苦痛なだけの義務だと
信じ込まされている女が1人もいなくなるまでは、

どうか、お願いだから、

「家族に(夫に)介護負担をかけたくないから」死にたいという望みに
「分かったよ。じゃぁ君の望みのままに」と思いやり深く応じて妻を死なせる夫を
免罪するような社会を作らないでください。


【Dignitas関連データ・エントリー】
Dignitasに登録の英国人800人(2009/6/1)
これまでにDignitasで自殺した英国人114人の病名リスト(2009/6/22)
Dignitasの内部をGuardianが独占取材(2009/11/19)
国別・Dignitasの幇助自殺者、登録会員数一覧(2010/3/1)
2012.02.22 / Top↑

今日はグループ活動にて「バレンタインのチョコ作り」をしました。

チョコ・カステラを型どって、クリームやチョコペンで飾り付けたのですが、
とても楽しそうに型抜いた後は、カステラを握って大喜び!! 

で、「クッキング」というよりは、まるで「工作」の製作のようでした。

出来上がった「作品」をお父さんにプレゼントしたかったのですが、
土曜日までは持ちそうにないため、紅茶と一緒に頂きました。




カステラを握って、大喜びぃぃぃ?

ありありと目に浮かぶ、
その既視感は……

ご、ごめんなさいっ。

実はこの子が幼い頃に、
スプーンがまだ自分でうまく使えなかったものだから、

誕生ケーキと言えば、大きなトレイに一切れのっけて、
好きなように手でこねくりまわしつつ食べる……

などということを
親がやらせてしまいましたっ……(汗)

思い出したのか、24歳になって?
2012.02.22 / Top↑
Savulescuと一緒に「臓器提供安楽死」「人為的脳死後臓器提供」を説いたWilkinsonが、英国医師会が提案した「選択的(臓器保存目的のみでの)人工呼吸」を道徳上、義務化せよ、と。:臓器提供安楽死はゼッタイに無益な治療論と繋がるって、ほら、spitzibaraの”予言”は当たったよ。こんなにも早く、とは思わなかったんだけど。
http://blog.practicalethics.ox.ac.uk/2012/02/obligatory-ventilation-why-elective-ventilation-should-not-be-elective/

1995年(以下のリンクの記事では1996年)に世界で初めて安楽死を合法化し、1年後に連邦政府によって無効となったオーストラリアのノーザン・テリトリーで、76歳の友人男性の自殺を幇助するため、メキシコで毒物を手に入れ持ちこんだたとしてMerin Nielsen(50)に有罪判決。実刑。Nielsenには借金があり、自殺したとされる男性の法定代理人として遺言による財産受け取り人となっていた。:自殺幇助には、こういう動機や、偽装が紛れ込むリスクがあることをもっと真剣に考えるべき。
http://www.news24.com/World/News/Man-jailed-for-assisting-in-suicide-20120216
http://www.abc.net.au/news/2012-02-16/man-jailed-over-assisted-suicide/3834112

【関連エントリー】
「やめておけ、豪の安楽死法は失敗だったぞ」と緩和ケア医がケベックの医師らに(2010/10/8)


米国で四肢まひの女性Christina Symanskiさんが四肢まひの性は生きるに値しないとして、餓死。死の直前までブログで自伝を書いていたらしい。無益な治療ブログのPopeは「胸をゆすぶられる」と。
http://medicalfutility.blogspot.com/2012/02/christina-symanski-quadriplegic-starves.html?utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed%3A+MedicalFutilityBlog+%28Medical+Futility+Blog%29

またも英国で家族に断りもなく医師がDNR指定。そのために目の前で死にかけている患者を医師も看護師も何もせずに見ていた、として調査に。検死官が担当医に「あなたは目の前にいる患者に注意を払うことも治療することも怠った」。それでもトラストは医師の行為に問題はなかった、との認識。
http://medicalfutility.blogspot.com/2012/02/coroner-inquest-into-unilateral-dnar.html

【英国でこのところ問題となっている一方的DNR指定関連エントリー】
肺炎の脳性まひ男性に、家族に知らせずDNR指定(英)(2011/8/3)
「本人にも家族にも知らせず“蘇生無用”」はやめて一律のガイドライン作れ、と英国で訴訟(2011/9/15)
高齢者の入院時にカルテに「蘇生無用」ルーティーンで(英)(2011/10/18)
高齢者には食事介助も水分補給もナースコールもなし、カルテには家族も知らない「蘇生無用」……英国の医療(2011/11/14)


米国小児科学会が、男児の包皮切除には一定の効果のエビデンスがあるとして、ポジション・ステートメントトガイドラインを出して容認にスタンスを変更する予定。:先導しているのは、もちろん学会の包皮切除検討委員会委員長を務めるDiekema医師。
http://intactnews.org/node/143/1329335101/circumcision-task-force-member-tips-hand-what-aap-plans-baby-boys

【関連エントリー】
Gatesの一声で、男児包皮切除にエビデンスが出てくるわ、小児科学会もCDCも方針を転換するわ(2010/8/16)
包皮切除件数減少を反対運動のせいだと騒ぐDiekemaのポチ踊り(2010/8/23)
包皮切除でのDiekema発言でNPRラジオに抗議殺到(2010/9/14)
2011年5月20日の補遺


14日、15日と続けて補遺で拾ったように、このところワクチン拒否に対する小児科医の診療拒否問題がまたぞろしきりに報道されているのだけれど、興味深いことに、その一方で、思想信条を理由に学校での強制接種を辞退することを認める州法を作る動きが広がっている。前者の記事に必ず登場しては「拒否するより丁寧な説明と説得を」と言うDiekemaが、こちらでは「ワクチン拒否に懸念を表明する小児科医が増えてきました。賛同者も増えています」と、ちょっとばかりトーンを違えている。:……もしかして、前者の報道がここへきて増えているのは、後者に対する牽制か??
http://www.usatoday.com/news/health/story/2012-02-15/Some-states-weigh-opt-out-laws-for-mandatory-immunizations/53110858/1

ビッグ・ファーマのノバルティスが2007年にインドでジェネリック薬を製造している会社をターゲットに起こした訴訟に、国境なき医師団(MSF)が批判キャンペーンを張っている。「MSFと一緒になって、利益よりも患者が大事だとノバルティスに訴えよう」「ノバルティスよ、世界中が見えているぞ」。:これ読んで真っ先に頭に浮かんだのは「訴訟によって商売の邪魔になる存在を強引に排除していくヤリクチは、モンサントにそっくり」。そういえばゲイツ財団はモンサントとパートナー。ノバルティスの役員も引き抜いたばかり。
http://www.msfaccess.org/STOPnovartis/
http://www.msfaccess.org/content/novartis-case-pictures

【関連エントリー】
ジェネリック薬を売らせないビッグ・ファーマの「あの手この手」が医療費に上乗せられていく(2011/11/15)
ゲイツ財団、ビッグ・ファーマ・ノバルティス役員の引き抜きへ(2011/9/12)
ちなみに、そのノバルティス役員の前任者タチ・ヤマダ氏は去年5月にゲイツ財団から日本の武田製薬に。その山田氏の周辺でどういうことが起こっているかは去年9月のLancetの日本特集から覗き見ることができる。


英国の障害者の就労年金省(?)から出た障害者支援プランに、障害者に無報酬で働き続けるか年金カットかの選択を迫るものだとして、障害者らが反発。
http://www.guardian.co.uk/society/2012/feb/16/disabled-unpaid-work-benefit-cuts?CMP=EMCNEWEML1355

日本語。韓国で7歳の子供に「7つの臓器を同時移植」
http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2012021732528

東亜日報 日本語 【重慶亡命事件】臓器狩りの真相が明らかになるか
http://www.epochtimes.jp/jp/2012/02/html/d48463.html

【関連エントリー】
A・Caplanが、死刑囚の臓器に依存する中国の移植医療ボイコットを呼びかけ(前)(2011/10/12)
A・Caplanが、死刑囚の臓器に依存する中国の移植医療ボイコットを呼びかけ(後)(2011/10/12)
「囚人を臓器ドナーに」は実施面からも倫理面からもダメ、とCaplan論文(2011/10/14)
政治犯から生きたまま臓器を摘出する「新疆プロトコル」(2011/12/13)

中立的な表情の人を見た時の脳画像など、ごくわずかな情報から不安神経症や気分障害のリスクの高い子どもを特定できるコンピューター・プログラムを開発中の科学者らが、精度が上がれば早期発見早期介入につなげられる、と。:これは国家にとって不幸になってもらったら困る人(例えば被災者とか失業者とか貧困層とか?)のマインドコントロールにも使える、とか?
http://old.news.yahoo.com/s/livescience/20120215/sc_livescience/computerprogramidsteensatriskofmentalillness

日本の介護保険 24時間訪問介護 4月実施は13か所
http://www.news24.jp/articles/2012/02/13/07199997.html
2012.02.22 / Top↑
いただきもの情報の、2月12日の中国新聞
「よろず相談室」コーナーがあまりに面白いので。

相談の内容は、55歳の男性から以下のもの。

近くで一人暮らしをしている78歳の母が病気で倒れ、食事や入浴などに介助が必要となりました。長男の私が最期まで面倒をみるべきだと思いますが仕事があります。母と不仲な専業主婦の妻は「自分でみるか、施設に入れて」と譲りません。


これに、74件の回答が寄せられたとのこと。
紙面で紹介されているのは6回答で、1つだけが男性からのもの。

簡単にそれぞれの要旨と年齢を並べると、

・その古くさい考えと思いやりの無さが、妻と母との不仲の原因では。(無職 73歳)
・家族だけで抱え込むより介護サービスを利用して。それは介護放棄ではないから。(介護士 38歳)
・仕事に逃げて妻に押しつけようとしている。私の夫も嫁しゅうと問題でそうだった。妻の気持ちを理解する姿勢で解決を。(会社員 41歳)
・嫌がる妻に無理に介護させても母が不快なだけ。母を思うなら施設利用を。(自営業男性 34歳)
・自分の世代では嫁の介護が当たり前で、ひどい仕打ちを受けつつ尽くしたが最後に感謝してもらって苦労が消えた。介護は妻と母親が仲直りするチャンス。(主婦 80歳)
・妻は介護士ではない。どうしても妻にやらせて自分は仕事に行くなら、母親の老後資金から妻に対価を支払うべき。(主婦 29歳)


ここまで読んで、パパッと頭に浮かんだ感想は、

・ただ一人「施設へ」と回答しているのは男性だということ。

・その男性の回答意図は
「嫌がる妻に無理にやらせるよりは、母のために施設へ」であり、
「専業主婦なのだから本来なら妻がやって当たり前」と
「妻が快くやってくれるなら、それでよいが」が前提され、
「嫌がる妻に無理にやらせることも選択肢ではあるが」も前提されている。

・質問者の妻が提示した選択肢は
「息子である夫自身が介護する」と「施設に入れる」のはずなのだけれど、

回答した男性の念頭にある選択肢は
「快くであれ渋々であれ妻にやらせる」と「施設を利用する」2つであって、
「息子である男性自身が介護する」という選択肢はなぜか消えてしまう。

というか、息子が自分で介護するという選択肢をなきものとするために
施設利用という解が持ち出されているのだけど、

「母親自身のための施設利用」と言い換え、
施設利用という決断の原因・理由を妻に、決断の利益を母親に転嫁することで、
夫であり息子である自分は2重に免罪されている。



・女性の回答は、それぞれに
自分の個人的な体験が生々しく反映しているなぁ、ということ。

・質問者の男性にとっては介護の方策の問題でしかないことが、
回答者の女性には、夫婦間の関係性や嫁・姑の関係性の中で受け止められていること。

・姑と不仲で介護は嫌だと言っている女性に、
「介護は姑と仲直りする絶好のチャンス」と押し付けるのも女性……。
こういう人が「私は姑のウンコを素手で受けてきた」と胸を張ったりするのかもなぁ。

・かといって、妻にカネを払えばいいという問題でもないと思うけど、
若い人たちはもうこのくらい割り切れているのだろうか。
母親の老後資金から払え、というのも、ちょっとついていけない。

・それにしても、質問者はもちろん、回答者の誰も
この母親本人は何を望んでいるのか、をまったく問題にしないのね……。

――と思ったら、さすがに心理カウンセラーのアドバイスには含まれていました。

介護の問題は、一人ひとりの生き方や人間関係を反映します。
相談者はまず、母と不仲な妻をこれまでどう支えてきたのか、夫としての自分を振り返るとよいでしょう。妻の「NO」は、単に義母や介護に対してではなく、かねてのつらさを受け止めてくれない夫に愛想を尽かして言っているのかもしれません。
今は介護保険は介護休業などの制度も利用できます。どうしても自宅で妻に介護を頼む必要があるなら、「やって当たり前」ではなく、妻を説得して味方につける努力や工夫が必要です。
社会的な支援をどこまで使い、どこまで家族で対応したいか。仕事を持つ自分には何ができるのか。自分の希望や覚悟を明確にし、誠意を持って妻に伝えましょう。母親の気持ちも忘れてはなりません。誰に介護してほしいか、本人に効くべきです。
妻や親とのこれまでの関係がよくなければ、簡単に結果は出ないでしょう。ですが、ここで真剣に向き合えば、夫婦関係や家族関係を変える好機にもなりますよ。


つまり、介護は家族の問題の一つであり、
家族の問題そのものから「男であることを盾にとって逃げるな」と言っておられるのですね。御意。

具体的な問題については
現実対応と、本人尊重というのは、どちらも的確なアドバイスと思う。

ただ、現実問題、こういう状況で本人の気持ちのありかって、往々にして
「介護も介助もいらない。私はまだ大丈夫」だったりするから
家族にとっては悩ましい、というものじゃないのかなぁ。

そうすると、こういう質問をする男性は
妻にも対応しなければならん、並行して母親にも対応しなければならん、わけで、
そういう手間なことを辛抱強くできるような男なら、
最初からこんな質問をしなければならん状況にはおかれない……とすれば、

結局は心理カウンセラーが指摘する原点に戻るのかも?



それにしても、
次回に向けて回答募集されている相談は40歳男性の

「妻が中年太りをしてきた。妻には綺麗でいてほしい。
本人を傷つけずに痩せてほしいと伝えるには?」

「よろず相談室」の担当者さんに少々問題があるのか、
それとも本当に世の中の男性ってな、この程度なんでしょーか?

私の周りの男性は、もうちょっと平均値が高いように思うんですけど。
2012.02.22 / Top↑
「新小児科医のつぶやき」ブログの2月13日のエントリー「ドクター・キリコへの需要」は、重症児・者の関係者必読です。「有床診療所がNICUあがりの重症児を入院させたら入院日に200点加算」と同時に、こちらは有床診療所にも重症児にも限らないけれど「入院から30日以内に看取った場合に」も加算。
http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20120213

日本弁護士連合会から「障害者自立支援法の確実な廃止を求める会長声明」
http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/2012/120215_2.html


Hilde Lindermannのインタビュー。No Ethics Without Feminism.:Lindermannといえば、シアトルこども病院が立ち上げた成長抑制WGのメンバーの一人。また、「育てるのが女性なのだから障害児の選別的中絶の決定権も女性にある」と主張してDreggerと論争していたのが忘れられない人。とても長い記事なのだけれど、Ouelletteも引用していたことだし、いつか読みたい。
http://www.3ammagazine.com/3am/no-ethics-without-feminism/

【Lindermann関連エントリー】
ケア負担になう母親に中絶の選択権?(2007/11/9)
「選別的中絶」というより「選別的子育て」(2007/11/11)


昨日に引き続き、WSJもワクチン拒否の親に対する診療拒否問題を取り上げている。:記事は読んでいないけど、どうせまたDiekemaが出て来ているんだろうと思う。ワクチン拒否の親というと非科学的な「自閉症のワクチン水銀犯人説」に踊らされている信奉者だと今だに解説されるけれど、今の親のワクチンへの不信はむしろビッグ・ファーマと医療界や行政との癒着の問題由来なんでは? それをいつまで経ってもWakefield論文のせいだということにしておきたい人たちがいるんじゃないのか、という気がしないでもない。
http://online.wsj.com/article/SB10001424052970203315804577209230884246636.html

ベトナムで、後継ぎの男児を産めないために義母や夫らから離縁されそうに気配を感じた36歳の女性が、生殖補助医療で辰年の男児を。
http://www.geneticsandsociety.org/article.php?id=6071

インドの生殖補助医療が、60代の夫婦にも行ったり、貧しい女性に代理母をやらせたり、未認可の薬を処方したり、インドからも母親の国からも国籍を取れない子どもを産ませたりと、どうにも行き過ぎ状態なので、政府もようやく法規制に乗り出す?
http://www.geneticsandsociety.org/article.php?id=6072

日本語サイトの写真集。「劣悪な環境の中、イタリアの道端で働くナイジェリア人売春婦たち」。
http://dailynewsagency.com/2012/02/13/the_life_of_nigerian_sex_workers_in_italy/

【ナイジェリア関連エントリー】
ナイジェリアの子どもたちの悲惨(2007/12/14)
ファイザー製薬ナイジェリアの子どもに違法な治験、11人が死亡(2009/2/1)
ナイジェリアの“赤ちゃん工場”摘発(2011/6/2)
2012年1月17日の補遺:そんなナイジェリアでビル・ゲイツはワクチン接種へと、せっせと政府の尻を叩く。


Save the Childrenによると、毎年、栄養不良から260万人の子どもが死んでいる。そこで英国政府はロンドン・オリンピックに合わせて世界飢餓サミットの開催を、と。
http://www.guardian.co.uk/global-development/2012/feb/15/life-free-from-hunger-save-the-children?CMP=EMCNEWEML1355

バングラデシュの子ども達が栄養不良で成長を阻害されていることに対して、英国政府が支援を約束。:こういう運動が、GM農業改革とか栄養強化したバナナみたいな慈善だかショーバイだかよく分からない話に繋がっていくことなく、真っすぐに子ども達への支援に繋がりますように。
http://www.guardian.co.uk/global-development/2012/feb/15/bangladesh-child-malnutrition-stunted-growth?intcmp=239

内田樹「日本辺境論」:日本人のメンタリティは「世界標準準拠主義」。だから「何かの理由で、挙国一致的な努力が要される時は、「世間の常識を知らない田舎者のままでいいのか」「世界標準からこんなに遅れているぞ」とという言い方が採用される。必ず採用される。」

で、これから「お手本の国のウソ」を読む。ちょっとでき過ぎの順番だけど、たまたま図書館で相次いで目についたものだから。
2012.02.22 / Top↑
の話、基本的には、

権威ある生命倫理学の学術雑誌the American Journal of Bioethicsの
創設者・編集長であり、いわばオーナーでもあるGlenn McGeeが
テキサスに本拠を置く幹細胞バンク企業 Celltexに職を得て、
AJOBの編集長の座を妻に譲り渡して、シレッとしているとして、
幹細胞研究を学問的に検討すべき立場にあるジャーナルのトップが
当の企業に身売りするとは何事か、との批判が噴出し、

また編集長の交代について
そうそうたるメンバー36人からなる編集委員会は事前に知らなかったとて、
ミネソタ大のLeigh Turnerを中心に、ツイッターで
編集委員の総辞任を求める声が渦巻いている、というもの。

これ自体が、米国の生命倫理学の信ぴょう性を揺るがす大スキャンダルなのだろうけど、
以下の記事を読むと、そこにはさらなるスキャンダルがいっぱいくっついていることに、改めて驚く。

しかも、情報をたどっていくと、
いきなり日本の科学とテクノの利権がらみの事情まで登場してくるとあって、
なんともコワい、諸々の“金魚のウンコ”的つながりっぷり――。


AJOBは、McGeeがペンシルバニア大に在職中の1999年に創刊。

ただし、McGeeは
AJOBとタイアップさせたウェブ・サイトを営利目的のサイドビジネスにしており、

05年に the Alden March Bioethics Instituteへ、
またその3年後にはカンザスの the Center for Practical Bioethicsへ移籍した際にも
AJOBと営利目的のウェブ・サイトを移籍先の機関へ持っていったものだから、
「生命倫理学を商業化している 」との批判を浴びた。

その時のいきさつは、以下のScientific American に詳しいとのこと ↓
http://www.scientificamerican.com/article.cfm?id=glenn-mcgee

(私はA事件の関連でSAこそ利権との関係がアヤシイと思っているけど)

ただ、これまでは、そうはいっても
一応は生命倫理の研究機関への移籍だったけれど、
今度は生命倫理学が検証の対象とすべき幹細胞企業への身売りとあって、
これまでとはまた話が違う、と非難ごうごうとなっている、というわけ。

さらに、身売り先のCelltexという企業がまたスキャンダルにまみれている。
テキサスで唯一の成人幹細胞バンクという謳い文句のこの会社、
韓国の企業RNLBioと組んで、FDAがまだ認可していない治療をやろうとしている。

それにはテキサスの新しい州法が隠れ蓑に使われるらしいのだけど、

それに先立つ去年の夏、これらの2社は
腰痛に悩むテキサス州知事に、この療法をやってあげたんだそうな。

喜んだRick Perry知事は、
自分の主治医がオーナーの一人であるCelltexをテキサス州で初めて認可し、
友人・知人はもちろん政治的恩義のある筋にもこの治療が受けられるように
新しい州法の法案をせっせと後押しした……という噂。

詳細はこちらのMSNBCの記事(2008)に ↓
http://www.msnbc.msn.com/id/44291973/ns/politics-decision_2012/t/rick-perry-pushed-bill-could-benefit-stem-cell-doctors-firm/#.TzsVGlGwByJ


……となれば容易に想像されるように、
上記のAJOBとタイアップしているMcGeeの有料サイトにも
The Texas Association for Stem Cell Ethics and Policyなるページがお目見えした。
もちろん、現在は削除されている。

そんな事情を経て、このたび、いよいよCelltexに天下っていくのに
立場上まずいからって、こっそりと編集長の座を妻に譲った。
妻に譲ればいいというものじゃないだろう、とツイッターで大騒ぎに。

現在のAJOBの編集委員リストはこちら ↓
http://www.tandf.co.uk/journals/journal.asp?issn=1526-5161&linktype=145

(あのスタンフォード大のDavid Magnusが、
Mcgee夫人ともう一人の現編集長なんですね)

Unethical Bioethichists?
Biopolitical Times, February 10, 2012


CellTexの相方のRNLBioという韓国の企業が、これまた胡散臭くて、
犬のクローンを作ったことで「恐らくは最も悪名高い」会社であり、
さらには患者が2人、ここの幹細胞治療で死んでいる……

という話があったので、
上記記事のリンクをたどってみたところ、
びっくりしたなぁ、もう。

なんと、なんと、死亡した患者の1人は
RNLBioの提携先の東京のクリニックで治療を受けた73歳の患者だと。

1年間の医療ツーリズムの契約をRNLBioと交わし、
その契約に基づいて東京にやってきて提携先のクリニックで治療を受けて
肺塞栓を起こして2010年9月30日に死亡。

もう一人は中国でやった患者とのこと。

この件に関する詳細(英語)は以下に ↓
http://sctmonitor.blogspot.com/2010/11/rnl-bio-outsourcing-malpractice.html
http://english.donga.com/srv/service.php3?bicode=040000&biid=2010102313878

そこで日本語で検索してみたら、

① JHM: 再生医療 臨床応用に新たな制度作り着手(2011/8/1)
http://www.e-jhm.jp/modules/jhm/index.php?page=article&storyid=729

しかし、なぜか、ここでは
一人は日本のクリニックで治療を受けた事実には言及されていません。

ちなみに、この記事で言及されている米国での脊損治療実験は
昨年11月に突然中止されています ↓

米国初のヒト胚幹細胞による脊損治療実験、突然の中止(2011/11/17)


② RNLBioの患者さんの死亡については、読売新聞が11月15日にこの事件を報道した模様で、
私も時々覗かせてもらっている「新小児科医のつぶやき」ブログが
詳細に調べてくださっていました。

同ブログの2011年11月19日のエントリー「なんとなく怪しげな…」によると、

このクリニックは京都のベテスダ・クリニック。開院は2010年5月。

ただし、この段階で、クリニックのHPは存在するものの、
2011年5月に税金滞納で不動産が差し押さえられており、事実上閉院している。

しかし、このクリニックを巡る新小児科医さんのリサーチは徹底していて
ここからさらに怪しげな話になっていくのです。

ホテルオークラでの開院式。
京セラの稲盛会長や前原誠二氏、京都の副市長ばかりか
国交省、官公庁のお役人までがご出席。

「富裕層観光」「今話題の最先端の医療技術」
「アトピー、リュウマチ、糖尿病、ガンなどの治療を……」
「韓国で行うと違法なので、日本にクリニックを作ったらしいです」
「目標は2010年に1万人、2011年には10万人」などなど。

詳細は、上記、新小児科医さんのブログで、ぜひ。


……この日本の話を、上のAJOBのスキャンダルと繋げて考えると、
やっぱり世界はspitzibaraが想像してきた通りではないか、と改めて確認する思い。

もともと私はAshley事件に関して
AJOBもJAMAもヘースティング・センターも、
あんな非論理的で論文として体をなしていないようなものを
よく掲載するよなぁ……と、不思議かつ眉ツバだった。

やっぱりアシュリー事件は改めて、縮図だ……。

そう考えると、
改めて背筋に冷たいものが走る。


【関連エントリー】
生命倫理が「治外法権的な聖域なき議論の土俵」に思えてきた
事業仕分けの科学研究予算問題から考えること
ゲイツ財団がコークとマックに投資することの怪、そこから見えてくるもの
日本の「ワクチン産業ビジョンの要点」の怪
「科学とテクノ」と「法」と「倫理」そして「問題の偽装」(2010/5/24)
「必要を作り出すプロセスがショーバイのキモ」時代と「次世代ワクチン・カンファ」(2010/5/29)
2012.02.22 / Top↑
これまでも何かと疑念が言われてきた、米国の権威ある生命倫理学雑誌AJOBの創設者 Glenn McGee氏がついに幹細胞バンク企業に転職し、非難ごうごう。ミネソタ大学の生命倫理学者 Leigh Turner氏が中心になってAJOBの理事の総辞職を求める動きも。:製薬会社・医療機器会社と研究者、医学雑誌の癒着に留まらず、そこに生命倫理学も。まぁ、もともと当ブログでそれらしい懸念は指摘してきたものの、なんという規模のスキャンダルか。
http://www.biopoliticaltimes.org/article.php?id=6070

オランダの死の自己決定権ロビーNVVEが3月1日から、自殺幇助宅配チームを6チーム稼働させる予定だとか。それぞれ医師一人、看護師1人で、年間1000人の安楽死希望に応じる。
http://www.onenewsnow.com/Culture/Default.aspx?id=1533784

そのNVVE、6日から12日まで「安楽死週間」を開催。安楽死の映画フェステイバルも。
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/9921#comments

Medical Futility Blogによると、どうやら去年あたりからNICUがコスト高だとの批判が出て、NICU側にコストを正当化しなければならないプレッシャーがかかっている模様。
http://medicalfutility.blogspot.com/2012/02/prediction-and-cost-of-futility-in-nicu.html

Diekema医師がNEJMに「児童期の予防接種率改善に向けて」。
http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMp1113008?query=featured_home&#t=article

それを受けたNYTの記事。
http://parenting.blogs.nytimes.com/2012/02/10/how-doctors-could-improve-childhood-vaccination-rates/

医学書院サイトにも関連で、李 啓充氏の連載「続 アメリカ医療の光と影 第215回」、「予防接種拒否を巡る倫理論争」
http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02965_04

【関連エントリー】
米国で「ワクチン打たないなら診てやらない」と医師ら(2011/7/6)
「ワクチン打たないなら診てやらない」の続報(米)(2011/9/27)


ゲイの男性から精子の提供を受けて子どもを産んだレズビアンのカップルに対して、ドナーの男性が子育てに参加する権利を求めて提訴。
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/9926#When:05:07:29Z

代理出産が禁止されているはずの中国で、富裕層の夫婦がいっぺんに8人の子の親に。妻が双子を生み、2人の代理母がそれぞれ3つ後を産んだため。
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/9929#When:12:15:29Z
http://www.guardian.co.uk/world/2012/feb/08/china-surrogate-mothers-year-dragon?newsfeed=true

米国の科学者によるグァテマラの人体実験に関する記事がNatureに。
http://www.nature.com/news/human-experiments-first-do-harm-1.9980

【関連エントリー】
タスキギだけじゃなかった米の非人道的人体実験、グァテマラでも(2011/6/9)
米の科学者ら、非倫理的だと承知の上でグァテマラの性病実験を実施(2011/8/31)


米国の精神障害の診断基準の改定版DSM-5に、英国の医師らから「いたずらに精神障害の診断を拡大させるもの」との批判。
http://www.guardian.co.uk/society/2012/feb/09/us-mental-health-manual?CMP=EMCNEWEML1355

英国の科学者ら、皮膚の細胞から脳細胞を作った、と。
http://www.canberratimes.com.au/news/world/world/general/brain-tissue-created-from-human-skin/2452497.aspx?src=enews

食べ過ぎが高齢者の記憶障害に関与?
http://www.medicalnewstoday.com/articles/241570.php


三原の知的障害者施設性的虐待:虐待確認、県が運営の法人に勧告/ 広島: 今日は高齢者施設での虐待のニュースもあった。
http://mainichi.jp/area/hiroshima/news/20120211ddlk34040496000c.html



自立支援法の重度訪問介護について詳しく知らなかったので

Yahoo!知恵袋の重度訪問介護と居宅介護に関する質問と回答 2009
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1431714744

川口有美子さんの「障害者自立支援法によるALSなどの長時間介護にかかる問題点」2007
http://homepage2.nifty.com/ajikun/memo/jiritsu2007.htm

2012.02.22 / Top↑
前のBMAの提言エントリーを書いて、
脳死者が減って脳死者からの臓器提供(DBD)件数が減少している都の下りで、「あれだ!」と
お正月にある方にいただいたままになっている情報を思い出したので。


Transplantation誌の2011年6月号に
オランダの医師3人が書いた論文。

“Is Organ Donation From Brain Dead Donors Reaching an Inescapable and Desirable Nadir?”
Erwin J.O.Kompanije, Yorick J. deGroot, and Jan Bakker
Transplantation 2011;91:1177-1180


アブストラクトは
The brain dead patient is the ideal multiorgan donor. Conversely, brain death (BD) is an undesirable outcome of critical care medicine. Conditions that can lead to the state of BD are limited. An analysis showed that a (aneurismal) subarachnoid hemorrhage, traumatic brain injury, or intracerebral hemorrhage in 83% precede the state of BD. Because of better prevention and treatment options, we should anticipate on an inescapable decline of BD. In this article, we offer arguments for this statement and discuss alternatives to maintain a necessary level of donor organs for transplantation.
脳死(BD)患者は理想的な多臓器ドナーであるが、救急医療の側から見れば望ましくないアウトカムでもある。もともとBDに至る病状も動脈瘤破裂、頭部外傷、脳内出血で83%と限られている上に、最近では予防や治療内容が改善されていることから、今後BDの減少は避けられない。そこで、この論文において、必要レベルのドナー臓器を確保するためのBDに代わる選択肢について論じる。


ただ、この論文が何らかの具体的な方策を提言しているというわけではなく、

論文は、DBDが減少してきた現状と、
予防と治療の改善によりさらに減少する見込みをデータにより解説し、
「現在のところ、心臓提供は“死亡提供者ルール”を尊重すれば、
脳死者からのみ可能である」と述べた後で

その解決策としてこれまでに提案されてきたラディカルな方法について概観する。

まず紹介されるのは
新生児、乳児からの心停止から2分以外のDCD提供など
(デンバー子ども病院の「75秒プロトコル」も含まれていると思われます)
米国での乳児からの心臓提供の報告はあるが、
「これらの実践には倫理的にも概念的も深刻な疑問がある」と書き、

さらにWilkinson とSavulescuは
「神経安楽死neuro-euthanasia」と心臓摘出による「臓器提供安楽死」という
「極端な解決策」を提案したが、多くの批判を浴びた、と書いて、

もう1つの難問としては家族の拒否率の高さを挙げて、
これはコミュニケーション・スキルを磨くことが有効だ、と。

心臓以外についてはDCDと生体肝移植をさらに進めるべく研究すべきだが、
生体ドナーへのインセンティブを高める様々な方策の提言には
WHOからも臓器・人体売買や貧困層、弱者への搾取の警告が出ている、とも。

で、著者らがこの論文で具体的に提案しているのは
生体ドナーからの腎臓と肝臓の提供を増やすために
地域限定でのキャンペーン、患者による啓発活動、ドナーの追跡調査など。

結論は、

移植医療界はBDに至る病気の予防と治療の改善によってBD患者が減少することを念頭に置いておかなければならない。この減少そのものは望ましく、また避けがたいものである。それにつれて移植可能な心臓数も減少するが、死亡者提供ルールを侵害せずに対処できる選択肢は存在しない。肺、腎臓、肝臓については、改善の余地がまだある。当面、ドナーとなる可能性がある人をタイムリーに特定する方法を改善し、生体提供の障壁を取り除く努力を払いつつ、道徳や倫理の境界線の引き直しを迫るような難しい選択肢については、その間に時間をかけてさらに検討してはどうか。


脳死者の発生が減り、脳死者からの臓器の減少が不可避となれば、
なるほど昨日のエントリーで拾ったBMAの提言のような
倫理も道徳も、実際にはセーフガードもどうでもいいから、とにかく臓器を、
と言わんばかりの“臓器不足”解消に向けた規制緩和が叫ばれていくのでしょう。

英国に限らず、どこの国でも――。


           ――――――

神経安楽死 neuro-euthanasiaについては、うっかりしていたので
SavulescuとWilkinsonの論文に当たってみました。

(全文が読めるようになっています。こちらから) 


なんと、
生命維持装置依存の患者からの臓器提供数とクオリティ向上策として
提案されている選択肢7つのうちの4番目がこれでした。

前に読んだ時には臓器提供安楽死が頭にかみついていたので
この辺りは全然ピンと来ていなかったのだろうと思います。

以下のように書かれています。

Option 4 – Neuro-Euthanasia followed by organ donation: Euthanasia by occlusion of blood vessels to the brain. Removal of organs after brain death certified.


脳への血流を疎外する方法で安楽死させるとは、
人為的に脳死にさせる、ということ、ですね。

「臓器提供を前提に人為的に脳死状態に陥らせたうえで
臓器を摘出する安楽死」ではないか、というspitzibaraの推理は当たってしまいました。

ぐぇぇ。



もう1つ、この論文で目を引かれたのは
オランダの著者による論文であることと、
文中で臓器確保率の高い優秀な国としてベルギーとスペインが挙げられていること。

オランダとベルギーは共に安楽死の先進国。

特にベルギーでは
「安楽死後臓器提供」がすでに実施されたことが報告されています。


「臓器提供安楽死」「安楽死後臓器提供」を含め、その他
これまでに提案されてきて“臓器不足”解消案についても、こちらに ↓

これまでの臓器移植関連エントリーのまとめ(2011/11/1)


また、スペインの安楽死については私は詳しくないけど、
動物の権利については奇妙にトランスヒューマニスティックな文化が気になる国。

チンパンジーに法的権利認める(スペイン)(2008/9/3)
2012.02.14 / Top↑
英国医師会(BMA)が
“慢性的な臓器不足”により年間1000人が死んでいる事態の解消のため、
臓器摘出に関して、思い切った提言を出した。

ざっと、以下のことを認めるよう提言している。

① 臓器ドナーにする目的でのみの延命。
② 生後3か月以内の新生児にも脳幹テストを行い、死亡宣告して心臓を摘出。
③ 高齢や有病などハイ・リスクのドナーからの摘出。
④ 死んで間もない患者から心臓を摘出し、
血液と酸素を送って機能を維持しつつ、
移植して拍動を再開させる方法。
⑤ ERのスタッフに提供可能性のある患者を特定し、
家族に働き替えるよう要請。
⑥ 臓器を提供するよう求められた家族の拒否率35%の改善に向けたキャンペーン。
⑦ 必要になったら臓器はほしいけど自分は提供しないという人の
「道徳的不均衡」についてのキャンペーン。
⑧ 運転免許の申請や更新手続きの際に提供への意思表示が去年義務付けられたが
それをパスポートや確定申告、GP登録、選挙登録などにも拡大。


臓器目的での延命は、提言では「選択的人工呼吸(elective ventilation)」と呼ばれており、
脳卒中などで脳幹検査で死亡宣告された患者を
単に臓器の鮮度を保つ目的で生かしておこう、というもの。

現在はこうした患者からは
肝臓、腎臓、肺しか提供されていないが、

1988年にこうした方法で心臓移植をやった病院があり、
その際には50%も移植に使える臓器が増えた実績があるが、
その後、1994年に保健省が違法行為と定めた。

それにより永続的植物状態が生じる恐れがあるとか、
他者の利益のための治療を患者に施すのは非倫理的だ、などの批判があるが、

BMAの倫理部門のトップ、Nathanson医師は、
ドナー登録している患者なら問題はないのでは、と。

このテクニックはスペインと米国ではすでに行われているし、
患者本人には無益な治療を他者への利益のために行う倫理問題についても
少しずつ意識は変わってきている、という医師も。

BMAの報告書は
「心肺機能停止に続いて死亡宣告された患者の心臓が
その後、拍動を再開して他人に移植されるというのは難しい概念なので
慎重な説明が必要となる」と書きつつも、

米国で成功しているこのやり方は
「研究すべき領域として、妥当かつ重要で」あり、
「提供可能な心臓を増やし、ドナーになりたいと望むより多くの人の願いをかなえるという
2つの可能性がそこにはある」と書く。

Nathanson医師は
「ちゃんと説明すれば、
動脈瘤のある人に移植されたドナーの心臓が
電気ショックでよみがえって打ち始めるとか、
そういうテレビドラマのような話ではないことが
家族にも理解されるはずだ」と。

もっとも、集中治療の医師らからの批判にも報告書は触れており、

脳死ドナーからの移植数が減っている焦りから、このような
あらゆる携帯の臓器提供に対して医療職、国民双方の信頼を損なう可能性がある介入に
手が出された、との批判や、

このようなやり方は許される範囲の境界線のものだ、などの指摘がある。

この記事に引用されている限りではNHSの関係者は
臓器さえあれば治療可能な病気で死んでいく人が毎年500から1000人いるのだから、と
BMAの提言を歓迎している模様で、

保健省のスポークスマンのコメントは
「死よりも前に行われる一切は患者の最善の利益にかなったものでなければならない。
患者に深刻な害や苦しみを与えることは本人の最善の利益にはならない」。


でも、その「死」の定義が、
移植医療の都合によっていかようにも操作可能だということは
「脳死」「DCDプロトコル」「循環死」などで明らかなわけで、
つまり保健省の言う「死よりも前」の線引きは、動かせるということでもあり……。

いろんな立場の人が、「厳格なセーフガードは必要だけど、
深刻な慢性的な臓器不足解消のためには、やろう、やろう」と
口をそろえて言っている。

「セーフガード」の中身についてなど、まるっきり興味ない口調で――。

Doctors’ radical plan to tackle organ shortage
Guardian, February 13, 2012


おそろしい……。
2012.02.14 / Top↑
今日ちょっと検索した際に目に着いた介護者へのアドバイス関連から
(改めて目を通して、良いものがあったら順次紹介しますねー)

アルツハイマー病協会のケアラー・サポート
http://alzheimers.org.uk/site/scripts/documents_info.php?documentID=546

仕事と介護のバランスをとるために (AARP)
http://www.aarp.org/relationships/caregiving-resource-center/info-08-2010/pc_balancing_work_and_caregiving.html

介護を始めたばかりの人に8つのアドバイス (AARP)
http://www.aarp.org/relationships/caregiving-resource-center/info-08-2010/gs_new_caregivers_rules.html

介護の危機状態を乗り切るために (AARP)
http://www.aarp.org/relationships/caregiving/info-11-2011/how-to-cope-with-caregiving-crisis.html

これはちょっと毛色が違うけど、「歳をとっても健康で自立するためのハイテク7種」
http://www.aarp.org/technology/innovations/info-12-2011/high-tech-health-trends.html


                ―――――

7日の補遺で取り上げたGMCの自殺幇助ガイダンスは、医師が直接患者に例えばDignitasの情報などを伝えてはならないけど、自殺幇助を希望する患者にカルテを渡すのはOKみたいなことが盛り込まれているらしい。:これ、Dignitasで幇助してもらうためにはカルテの情報が必要となるためだよね。
http://www.bmj.com/content/344/bmj.e959.short

NYT。カトリック系の病院が、思想信条の権利を縦に法律違反をやり始めている、という記事。:読む余裕がないし月に20本しか無料で読めないのでクリックしていないけど、もしかして、これは終末期医療について「差し控えることはしない」という主張では?
Whose Conscience?: Catholic hospitals are now claiming a special right to conscience that trumps law.

【関連エントリー】
カトリック系の病院が「ターミナルでなければ栄養と水分停止は自殺幇助」(2010/4/7)


PA州の大学では、キャンパスに緊急避妊薬の自動販売機があるとか。
http://www.msnbc.msn.com/id/46297601/ns/health-sexual_health/#.TzHHZiPKCcA

子どもの肥満の問題で、米国小児科学会が「砂糖を規制しろ」と言っている。:なんか、発想がいつも単細胞的。
http://ehln.org/?p=21981

07年に象牙海岸に有害物質を棄てて多くの被害者を出した一大スキャンダルの主、Trafiguraが今度は、南スーダンから石油を盗人したとして停戦条約結んだばかりのスーダンに非難されている。
http://www.guardian.co.uk/world/2012/feb/08/trafigura-in-south-sudan-oil-row?CMP=EMCNEWEML1355

【Trafiguraの有害ゴミ投棄事件関連エントリー】
象牙海岸の悲惨(2007/12/15)
「象牙海岸で先進国の有害ゴミによる死傷者多数」事件:続報(2008/10/24)
先進国の有害廃棄物でアフリカから3万人超える集団訴訟、最近はマフィアが核廃棄物を海に(2009/9/19)
アフリカに有害ごみ撒いた悪徳企業がメディアの“口封じ”狙うも、ネット・ユーザーに敗北(2009/10/14)


(岐阜)県、「医療通訳」プロ養成へ 在住外国人と病院の橋渡し:この動き、いずれ「医療ツーリズム」に引き取られていくかも?
http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20120207/201202071015_16192.shtml

26歳知的障害者を恐喝、中2男子逮捕:どんなに理屈で正当化しようと、社会が弱者切り捨てに血道を上げているというのに、子どもだけが弱者にやさしく育つわけがない。Peter SingerとかSavulescuの言っていることにも通じると思うけど。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120209-OYT1T00159.htm

9歳を殺した18歳。米。
http://news.yahoo.com/mo-teen-gets-life-possible-parole-killing-141938731.html
2012.02.14 / Top↑
英国のケアラー支援チャリティ、CarersUKのサイトから。

CarersUKのサイトのフォーラムで会員の一人が
「落ち込んだ時の立ち直り方」掲示板スレッドを立てた際に、
続々と集まったアドバイスのトップ20を集めたもの。

(とり急ぎのアップです。訳語については今後、順次ブラッシュアップします)

気持ちが沈む日に、ケアラーのあなたへ

1. 何をやってもダメな日は誰にだってあるもの。あまり自分を責めないで。

2. できたら、しばらく家を出て、どこかへお出かけに。

3. 元気になれる人と話をする。家族でも友人でも、こうしたフォーラムでも。

4. ありがたいなぁと思うことをリストにしてみる。

5. 一度に何もかもやろうとしないで一つずつ。あせらずに。

6. 夜は十分な睡眠を。睡眠不足はウツの元。疲れがとれないと気持ちもアップしません。

7. お風呂でプチ贅沢を。バブル・バス、バス・オイル、音楽、好きな本などで。

8. 車の中でCDに合わせ、大声で歌う。

9. 自分はケアラーなだけじゃない、って思い出そう。介護以外にやっているいろんなことを。

10.一人で何もせずにいるより、そういう時は忙しくしているほうが前向きになれる。

11.なんとか取り戻そうとあがくより今日は×な日だったと思い決めて、明日のことを考える。

12.起こっている問題を冷静に整理する。明日の問題は明日に。

13.いつもと違うことをするとレスパイトに近い効果があることも。花を飾ってみる、よそ行きの上着とか帽子を身につけてみると気分が変わるかも。

14.自分が大好きなものをいろいろ入れた「ハッピー・ボックス」を作っておく。元気になりたい時には開けて、その中のものを。全部でも可よ。

15.できたら、なにか身体を動かすことを。ウォーキング、ヨガ、ガーデニング。なんでも自分に合ったものを。

16.チョコレートとかカレーなどの食べものは、気持ちが明るくなる原料入りです。

17.やるべきことがあまりに沢山あって嫌気がさしてしまう時は、15分とか30分と時間を決めて、まず本を読んだり何もしないでいたり、気が向くままに「自分の時間」を作ってしまう。

18.創造的なことに耽ってみる。絵を描くなり、物語を書くなり、楽器を弾くなり、ゴチャゴチャから頭を離せるなら何でも可。

19.その日の過ごし方をざっと決める。いつも通りに暮らせるだけの用事を入れて、ただし余裕でこなせることだけを。

20.自分に言い聞かせて。私は一人じゃないって。


20 tips for low mood
Cares UK


特段、ケアラーに限らない内容のようにも思えますが、

それはともあれ、

「今日はなんだかなぁ……」という日のケアラーの方々に、
やっぱり、まずは、届けたい。

あなたの気持、こんなふうにちゃんと分かっている人がいるよ、
ケアラーのあなたに、こうしてメッセージを送っている人もいるよ、

……というメッセージとして――。
2012.02.14 / Top↑
(前のエントリーの続きです)


そうした共感を持って読みつつ、
それではあまりに希望というものがないではないか……と
暗い気持ちに陥ってきたところで、

ふいに、以下の鮮やかな一節が登場する。

失禁した私から見える世界は、その多くが、私とは関わりを持たずに動く映画のようだ。街行く通行人、楽しげな街角、忙しい喧騒は、私からは遠く、スクリーンを隔てた一枚向こう側に見える。そのかわり、これまでは余りに当たり前すぎて協応構造でつながっていることすら無自覚だった地面や空気や太陽は、くっきりとまぶしくその姿をあらわし、私の体はそちらへと開かれていく。彼らは失禁しようがしまいが相変わらず、私を下から支え、息をすることを許し、上から照らす。
活気あふれる人の群れから離れていく疎外感や、排泄規範から脱線してしまった敗北感と同時に、力強憶そこに存在し続ける地面や空気や太陽や内臓へと開かれていく解放感の混合。
失禁には退廃的ともいえる恍惚がある。
(p.216)


鮮烈な感動に襲われて、
涙が出そうになった。

ああ、これは「歎異抄」だ……と、しみじみと思う ↓

サンデル教授から「私の歎異抄」それからEva Kittayへ(2010/11/25)


そこから著者が主張しているのは、

……私の経験を通して言えることは、失禁を「あってはならないもの」とみなしているうちは、いつ攻撃してくるか分からない便意とのの密室的関係に怯え続けなくてはならない、ということだ。むしろ失禁を「いつでも誰にでも起こりうるもの」と捉えて、失禁してもなんとかなるという見通しを周囲の人々と共有することによって、初めて便意との密室的な緊迫感から解放されるのである。
規範を共有するだけでなく、同時に「私たちは、気をつけていても規範を踏み外すことがあるね」という隙間の領域を共有することが、一人ひとりに自由をもたらすと言えるだろう。
(p.220)

私と他者とのほどきつつ拾い合うような関わりではなく、単体で切り離された私の運動のみを問題化して、正常な発達のシナリオをなぞらせるようなリハビリの過ちは、そのようなモノや人や自己身体を含めた、他者の存在を軽視したところにあると言えるだろう。

解放と凍結の反復が他者へと開かれたときに、そこに初めて新しいつながりと、私にとっての意味が立ち現れる。そして、他者とのつながりがほどけ、ていねいに結びなおし、またほどけ、という反復を積み重ねるごとに、関係はより細かく分節化され、深まっていく。それを私は発達と呼びたい。
(p.232-233)


「どうせ赤ちゃんのまま」と決めつけ正当化される”アシュリー療法”の論理を始め、
全てを個体要因に帰して、個体への操作で問題解決を図ろうとする
「科学とテクノの簡単解決バンザイ文化」は、

ここに描かれた「リハビリの過ち」を、なおも繰り返し、さらに拡大しようとしている。

「リハビリの夜」もまた、
そんな時代に、鋭くも深い響きで警告を発する書なのだった。


                ―――――――

この本の本題とは全く逸れるけど、
一つとても印象的だったのは、

著者にとって親の介助はやって当たり前で、むしろ
親のペースに合わせさせられたことは不当な記憶として残っているのに、
パートナーの介助は「やって当たり前」にならないよう意識的な努力がされていること。

そこのところの違いが面白いと思った。
何がその違いを生むのか、これからじっくり考えてみたい。


親の立場としても、
親に介助・介護されることを、
親に養われるのと同じく「やって当たり前」と子には感じていてほしいし、
そう感じさせる親でありたいとも思う。

それは著者のように自立生活を送れず
成人した後も親の介助・介護を受けざるを得ない人であっても、
子にとっては「やってもらって当たり前」と感じられるようであれかしと、
親の立場として願う。

ただ、それは親と子の間での話であって、
何歳になろうと子は親の介助・介護を当たり前と感じていてほしいと願うからといって、
その親子の介助・介護関係を社会の中に置いてみた時に、
社会までが「いつまでも親がやって当たり前」というのは、
ちょっと話が違うんじゃないのか、と。

やはり、子が親に養われるのを「当たり前」と考える年齢を過ぎたら、
親が子を介助・介護することも当たり前ではないと捉える社会が
「当たり前の社会」なんでは?


それから、親としての立場で、
ものすごく体験が重なったのが以下の一節。

同じ身体障害者といっても、千差万別である。その差異を無視されて、“正しい”自立生活へと同化させられるのでは、私をまなざすのがトレイナ―から先輩へと移行するだけで、あいかわらず≪まなざし/まなざされる関係≫に陥ることになる。
(p.153)


障害のある子どもの親になった時、
まず、専門家から「我が身を省みず何をもいとわず
専門家の指導通りの療育に邁進する親」という
「優秀な障害児の(母)親」規範を押し付けられた。

同時に世間サマからは
「どんなに苦しくとも我が身のことは構わず、
常に元気に明るく前向きに、子どものために超人的な自己犠牲で献身する」
「美しい障害児の(母)親」規範を押し付けられた。

そういうまなざしと、「私は私なんじゃわい」と闘い続けてきて、
娘がようやっと成人し、親もそろそろ老いのトバ口に立ったところで
最近、ふと気付くと、時に、

障害者運動や支援職の人たちから
「子どもの障害像や家族や地域の状況がどうであろうと、
我が子に“自立生活”をさせるか、それを目指して全力を尽くす」
「正しい障害者の親」規範を押し付けられている……のか……?
という気がすることに、戸惑っている。

まなざされ、一方的に評価の対象物にされていると
意識させられることへの違和感は、いずれも変わらない。
2012.02.14 / Top↑
「リハビリの夜」(熊谷晋一郎 医学書院)

ずっと気になっていた本をやっと読んだ。
たいそう面白かった。ちょっと新鮮な読書体験でもあった。

言葉ではなかなか伝えにくいこと、普通はおそらく小説の仕事とされていることを
著者は小説という形式を取らずに試みて、一定の成功を見ている、といったふうな。

脳性マヒ者で、車いすを使って生活している著者は
子どもの頃から自分で歩くとか走るという直接体験は持たないものの
周りにいる健常者が歩いたり走ったりする姿を詳細に観察して
それを疑似体験とすることによって、
あたかも自分自身が歩いたり走ったことがあるかのように、
それらの体験を自分の身体感覚として知っている、と
書いているのだけれど、

ちょうど、その逆の疑似体験へと、この本は読者をいざなう。

脳性マヒの身体で生きて世界を体験するということが、
その人にとってどういう感覚なのか、ちょっと体験させてもらえたような、
その感触がなんとなく少しだけ分かったような感じがしてくる。

そんなふうに自分の体験を描きつつ全体としては、
個体のあり方や機能と能力を「正常」を基準に捉え、
あくまで個体への働きかけで「正常」へと問題解決を図ろうとする
リハビリの眼差しそのものの不当さを浮き彫りにし、

そこにある、そのような身体と、そのような身体をもった人と、周囲との、
「ほどきつつ拾い合う関係」に目を向けた問題解決を、との主張。

いわば「一つの身体」とその周辺の日常という小さな射程での
「医療モデル」から「社会モデル」への移行の過程を丁寧に解き明かしていきつつ、
リハビリ医療に根深い「医学モデル」への、
これまでにはなかった深みと厚みのある批判の展開ともなっている。

いくつかのキーワードがあって、その中心は「敗北の官能」。

例えば、

課題訓練前に行われる体をほぐすためのストレッチと、課題訓練がうまくこなせなかったときに苛立ちとともに行われるストレッチとは、強引に身体に介入されるという意味では同じだが、前者に「ほどけと融和」があるのに対して、後者にあるのは「かたまりと恐怖」である。
トレイナ―の動きは、私の動きとはまったく無関係に遂行されていて、私の身体が発する怯えや痛みの信号はトレイナーによって拾われない。トレイナーは交渉することのできない他者、しかも強靭な腕力を持った他者として私の身体に腕力を振るうのだ。
私の身体はやがて、じわじわと敵に領地を奪われていくかのように、トレイナ―の力に屈していく。
まず腕が、足が、腰が、一つまた一つとトレイナ―の力に負け、ふにゃりと緊張が抜けていく。
しかしそこには、折りたたみナイフ現象の時のような快感はない。むしろ、腕や、足や、腰を、私の身体から切り離してトレイナ―という他者へ譲り渡すような感じだ。
(p.67)

・・・「自発的に」という言葉は、トレイニーが自らの自由意志に基づいて運動せよという含みをもっているのだが、同時にそこには自発性だけではなくて「私の指示に従え」というトレイナ―の命令も込められている。つまりトレイナ―は「自らすすんで私に従え」と言っていることになる。だから、そこで掲げられる「主体」というのは、トレイナ―の命令への「従属」とセットになっているのである。
(p.70)


読んでいると、なにやら「敗北の官能」とは
人格が未成熟な虐待的な親によって育てられ、ダブルバインドで縛られ、
自分の人格を無視されたまま相手の都合で玩弄された
ACの体験にも通じていくような気がする。

さらに、例えば以下なども、
障害児が医療から「まなざされる」という体験は
なんのことはない、被虐待体験そのものではないか……と、目からウロコ。

人は皆、成長のある段階で、実際の他者にまなざされながら規範を覚えていく。やがて規範をほぼ習得しおえるころになると、他者がいなくても自分で自分を監視するようになる。さらに規範が身体の一部の用に当たり前のものになれば、とりわけ自分や他者から注がれる監視の眼差しを意識しなくてもよくなり、いわば「心の欲するところに従いて矩を超えず」の状況になる。
これはつまり、自由意志に基づいて主体的に行動しているという感覚のままで、規範から逸脱しないという状態になれるということだ。…(略)…それは、他者の内部モデルを、みずからの内部モデルとして取り込んだ状態とも言えるだろう。
しかし規範を取り込むことに失敗した私は、眼差しや規範との同一化に至ることなく、自分を監視する不特定多数の他者や自分自身の眼差しをひりひりと感じ続けることになる。それは第一章で述べた、「健常者向け内部モデル」と「等身大の内部モデル」の両方が一致しない私の状況に対応している。
規範の取り込みに成功した身体は、内部モデルによる予測的な制御で動くから、しなやかでやわらかく、身体の緊張度が低い。いっぽう私のように取り込みに失敗した身体は、ただでさえこわばる体をより緊張させて動かすことになる。
(p.126-127)


周囲の評価が気になり、緊張が強く、
承認を求め続け頑張り続ける一方で、
どれだけ承認を得ても常に満たされることがなく
「もっと」求めざるを得ないのも、また、ACの特徴の一つ。

そして、医療を始めとする科学とテクノの価値意識が
利権を背景にした経済の要請を受けて、俄かに席巻していく世界が
管理・操作・コントロール志向を強め、幼稚な人間観の短絡思考で、
どんどんと虐待的な親のような場所になっていくことを考えると、

この本に描かれているリハビリの被害体験は
世界中であらゆる形で「弱者」の立場に置かれる人に広がっていきつつあると
考えてもいいのでは……という気がしてくる。

(次のエントリーに続く)
2012.02.14 / Top↑
まず、昨日発表された障害者自立支援法に代わる新法の厚労省案の概要巡り、
今日の総合福祉部会関連。

障害者制度改革推進会議総合福祉部会(第19回) 配布資料
http://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/sougoufukusi/2012/02/0208-1.html

推進会議の動画(3時間)
http://www.youtube.com/watch?v=5agv-SqkqeY

2012年2月8日総合福祉部会での発言メモ(福島智)
http://www.scribd.com/doc/80901510/2012%E5%B9%B42%E6%9C%888%E6%97%A5%E7%B7%8F%E5%90%88%E7%A6%8F%E7%A5%89%E9%83%A8%E4%BC%9A%E3%81%A7%E3%81%AE%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E5%A7%94%E5%93%A1%E8%B3%87%E6%96%99

障害区分、5年で見直し、厚労省、自立支援法の改正案(中国新聞)
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201202070117.html

障害者支援制度 対象拡大の改正案(NHK)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120207/k10015842641000.html

障害者支援:新法案も「原則無料」見送り(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120207k0000e040196000c.html

同じく毎日の別記事。(誰かがツイッターで「一番正確」と評したもの)
http://sp.mainichi.jp/m/news.html?cid=20120209k0000m010072000c

その他、目についた出席委員からのツイートなど、こちらにリツイートしています ↓
https://twitter.com/#!/spitzibara

――――――

【その他の話題】

南カリフォルニアで、億万長者の娘たちによる呼吸器装着拒否の代理決定を巡り、息子Hector Noval氏から「財産目当てでされたこと」と。:自殺幇助にも終末期医療の延命拒否や希望にも、こうした問題は付きまとう。
http://medicalfutility.blogspot.com/2012/02/surrogates-kill-patient-for-money-noval.html?utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed%3A+MedicalFutilityBlog+%28Medical+Futility+Blog%29

Medical Law Reviewにスイスでの精神障害者の自殺幇助の実態に関する論文。
http://medlaw.oxfordjournals.org/content/early/2012/01/13/medlaw.fwr033.extract

2月28日から3月1日まで第39回日本集中治療医学会学術集会が幕張メッセで開催される。Leslie M. Whestine Walsh大学教授(哲学、生命倫理)がDCDについて批判的な講演を行う予定。ブログ「死体からの臓器摘出に麻酔?」から。
http://www6.plala.or.jp/brainx/2012-2.htm#20120228

英国保健省の高齢者介護制度改革はぜんぜん約束通りに進んでいない、と批判。
http://www.guardian.co.uk/politics/2012/feb/08/elderly-care-promises-not-kept?CMP=EMCNEWEML1355

NHSについても同じ批判が出ているけど、それでも保健省の法案は通すぞ、と連立政権。
http://www.guardian.co.uk/politics/2012/feb/07/coalition-force-nhs-bill-david-cameron?CMP=EMCNEWEML1355

日本語。「加州の同性婚禁止は違憲」米連邦控訴裁判決
http://www.asahi.com/international/update/0208/TKY201202080442.html

日本語。欧米件で“学術の春”運動始まる、電子ジャーナル出版大手Elsevierに対し学者たちのボイコット運動が急拡大:この前Peter Singer(Savulescuの方だったか?)がツイートしていたのは、このことだったのか。
http://hon.jp/news/modules/rsnavi/showarticle.php?id=3082

体罰は子どもの発達に悪影響:発達とか能力に悪影響があるから体罰はよくない、という研究がおこなわれること自体が、どこかねじれているような気もする。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/241245.php
2012.02.14 / Top↑
英国王立協会は7日、以下の報告書を刊行した。

Neuroscinence, conflict and security
The Royal Society, February 7, 2012

発展目覚ましく、ブレークスルーが相次いでいる脳科学が
軍事や警察の強化に応用された場合にどういうことが起こるかを検討し、
以下の3つの結論に至ったと述べている。

• Neuroscientists have a responsibility to be aware from an early stage of their training that knowledge and technologies used for beneficial purposes can also be misused for harmful purposes.

• The development of an absolutely safe incapacitating chemical weapon is not technically feasible because of inherent variables such as the size, health and age of the target population, secondary injury and the requirement for medical aftercare.

• Countries adhering to the Chemical Weapons Convention (CWC) should address the definition and status of incapacitating chemical weapons under the CWC at the next Review Conference in 2013.

・有益な目的で利用される知識と技術には、有害な目的で濫用される可能性もあることを、脳科学者は学生の段階から知っておく責任がある。

・相手方の人数(体格?)、健康状態、年齢などの変数、二次被害、事後の医療の必要などから、相手の戦力を奪う化学兵器を絶対安全なものとして開発することは技術的に実現不可能である。

・化学兵器禁止条約(CWC)の加盟(批准?)国は、2013年の見直し会議において、CWCのもとで相手型の戦力を奪う化学兵器の定義と現状を検討すべきである。




脳科学の新たな知見には、
特に脳神経損傷や障害、精神病などの治療に大きな光明をもたらす技術がある反面、
同じ技術は軍事や警察への応用も可能である。

それらは、味方のパフォーマンス強化技術と、
敵方の能力を無化するための兵器の開発の
2つの目的で応用されることになる。

報告書は特に
ニューロ・ファーマコロジー(脳科学製薬学)、脳機能の画像診断技術、
脳神経インターフェースの技術の開発が
国際社会にとって、英国政府にとって、科学の世界にとって
どのような影響をもたらすかを考察した、とのこと。

(本文は上のリンクからダウンロードできるようです)

それらの具体的な応用例について
以下のGuardianの記事がいくつか書いているので、
目についたものをざっと順不同に挙げてみると、

・兵士はリクルートの際に脳スキャンや脳波検査を受ける。
(学習能力や、判断を迫られた場合に攻撃的な判断をする傾向などが分かる)

・トレーニング中には学習能力向上のための脳刺激に関する講習を受ける。

・脳と兵器のインターフェイス(BMI)で、兵士の心の動きによって兵器を操る。

・捕虜をしゃべらせる、または敵を眠らせるためのデザイナー・ドラッグ。

そして、そこに、
先日SavulescuがルンルンしていたTDCSも登場する。

中東に派遣されることになっている米軍部隊の
ヴァーチャル・リアリティ訓練に使ってみたところ、
TDCSで爆弾やスナイパーなど道端に潜んでいる危険を見つける能力が向上したという。

ごくわずかの脳刺激で、
検出の正確さは2倍の速度で増したと
この実験を行った脳科学者は驚き喜びながら、

「科学者としては、自分の研究によって誰かが傷つくのは嫌ですね。
苦痛を減らしてあげたい。世界をより良い場所にしたい。それが私の望み。
ただ世の中には様々な考えをもった人がいる。
それをどうしたらいいのか私にはわからない。

もし私が研究を中止したら、助けられる人も助けられなくなる。
それに、どんな技術にも軍事応用はある」

報告書は、
このTDCSを脳スキャン技術と合体させれば
上の「人間の脳と兵器とのインターフェイス(BMI)」がいずれは可能になるが、
そうなれば、視覚イメージのプロセッシングは意識よりも早いので、
攻撃のスピードと正確さが格段にアップする、として

こうしたBMI技術の軍事応用には倫理と同時に法的な問題があると指摘。

例えば、
誤射によって別人を殺したり、結婚式に爆弾を落としてしまった場合に、
その責任は、兵士の行為にあるのか、それともBMIにあるのか、など、
個人の責任とマシーンの機能との間に線引きができない。
Neuroscience could mean soldiers controlling weapons with minds
Guardian, February 7, 2012


ここで指摘されている責任の線引きの問題は、
私が英語ニュースをチェックし始めた頃から既に指摘されていた。

07年、08年ころにそういう記事を読んだ時には
こちらの頭が現実について行っていなかったから
「いつかは」の話だと思って読み過ごしたけど、

実際、もうすでに以下のような現状。

2010年10月27日の補遺
ネバダ州の放射線物質の廃棄施設周辺を周回・警戒しているのは、ロボット兵士。一見、巨大な黒いカニ? Mobile Detection Assessment Response System というそうな。年間100万ドルの経費削減になるそうな。こいつは攻撃能力を装備されているわけではなく、不審者を見つけると、警備本部に いる人間の「おらぁ、そこのオマエ、オマエだぁ。とまれ、こらぁ」などとどなる声がこの巨大カニの拡声器で響き渡る。このカニに殺傷能力を装備すること だって、もちろん可能なんだろうなぁ……などと想像しつつ、写真を見る。
http://www.guardian.co.uk/science/2010/oct/24/nasa-robots-on-patrol?CMP=EMCGT_251010&

2010年11月29日の補遺
ロボット兵士やハイテク戦闘機器が導入されるにつれ、戦争は「安全」なものになるだろう、と。
http://www.nytimes.com/2010/11/28/science/28robot.html?_r=1&nl=todaysheadlines&emc=a2

それらハイテクで戦場がどうなるかというグラフィック(DRにちょっと時間かかりますが、それなりのグラフィックで はあります)。無人戦車、無人戦闘機、無人小型潜水艦、センサーで敵兵を探知する無人ロボット兵士などなど。:確かに「安全な」戦争かもしれないけど、そ れは、出て行って闘う立場を想定した場合。テロ攻撃を受けることも含めて逆の立場を想定すれば、対応不能なほどに「危険」なものになるということなんで は? それとも、それは西側キリスト教世界のゼニとテクノロジーの力は絶対的に優位だという意識? どっちの側に立っても、「安全な」戦争が行われている ところでは戦争が安全でなかった時代と同じ破壊と殺りくが行われているという事実に対して、感覚が鈍くなっていくんだろうな。じゃぁ、「安全な」戦争は、 起こしやすい、起こりやすい戦争だということにも?
http://www.nytimes.com/interactive/2010/11/27/us/ROBOT.html?nl=todaysheadlines&emc=ab1



ちなみに、同じ路線で、もう1つ、気になるニュースがあった。

英国政府がデモが暴徒化した場合に使うべく神経ガスの開発を検討中とか。
科学者らから非難の声。↓

http://www.independent.co.uk/news/uk/crime/government-may-sanction-nerveagent-use-on-rioters-scientists-fear-6612084.html
2012.02.08 / Top↑
英国医事委員会(GMC)は自殺幇助は違法行為であり医師は関与してはならないとするガイドラインを準備中。暫定案を提示し、3か月の意見聴取を行うとのこと。
http://www.bbc.co.uk/news/uk-16914285

英国のロイヤル・アカデミーからニューロサイエンスの成果利用に慎重を呼び掛ける報告書。悪用・誤用リスクに科学者はもっと意識を、と。Savulescuがこの前エンハンスメント利用を説いていたTDCSの軍事利用についても。
http://www.guardian.co.uk/science/2012/feb/07/neuroscience-soldiers-control-weapons-mind?CMP=EMCNEWEML1355

【関連エントリー】
脳刺激法のエンハンスメント利用を巡ってSavulescu(2012/2/2)


米国の児童虐待、年間に入院4563件、死亡は300人。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/241226.php
http://www.medicalnewstoday.com/articles/241237.php

ロスの小学校で、61歳のベテラン教師が23人の児童にいかがわしい行為をしたとして逮捕、起訴され、また同じ学校の別の教師が教室で2人の女児を虐待したとして金曜日に逮捕されたことから、スクール・ディストリクトが同校の教員全員を停職処分に。
http://www.guardian.co.uk/world/2012/feb/07/los-angeles-miramonte-school-removes-faculty?CMP=EMCNEWEML1355

子どもが学校に何度も遅刻するからといって、親が裁判所に召喚される米国ヴァージニア州。クラス3の軽犯罪として。「子育てに口を出すんじゃなくて、これは基本的に子どもの福祉問題ですから」
http://www.washingtonpost.com/local/education/parents-say-loudoun-officials-reaching-too-far-to-stop-school-tardies/2012/02/03/gIQAMUUmpQ_story.html

その話、こういう話と繋がっている ↓
「子どもがひとりで遊べない国、アメリカ」から「メディカル・コントロールの世界」へ(2011/12/20)
「子どもがひとりで遊べない」世界から、人が「能力」と「機能」の集合体でしかない未来へ?(2011/12/21)
授業中にケンカをすれば、スクール・ポリスがやってくる。そして逮捕(2012/1/12)


日本でも、子どもからSOS、2万通超・・・法務局に1年で
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120206-00000672-yom-soci

日本。障害者自立支援法に変わる新法の概要が出た。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120207/k10015842641000.html
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120207k0000e040196000c.html

短期入所先をHPで公表 重症心身障害者 岐阜
http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20120207/CK2012020702000101.html

日本。社会福祉士国家試験の問題に、死の自己決定権というにもあまりに誘導的な問題があった件。lessorの日記ブログのエントリーで、[社会福祉]死の「自己決定」を疑え。
http://d.hatena.ne.jp/lessor/20120206/1328546835

こんなのがあった。一般社団法人 社会的包摂サポートセンタ―。厚労省が創設した「社会的包摂ワンストップ相談支援事業」の実施団体に。
http://279338.jp/

【関連エントリー】
「弱者の居場所がない社会―貧困・格差と社会的包摂」メモ(2012/1/31)
2012.02.08 / Top↑
以下のエントリーで紹介した訴訟の続報があり、
組織的な自殺幇助団体Final Exit Network側が勝訴とのこと。

FENが「GA州法の自殺幇助関連規定は言論の自由を侵す」と訴訟(2010/12/11)


ジョージア州の最高裁判所は全員一致の判決として、
公然と自殺幇助を宣伝することを禁じた1994年の州法は言論の自由を侵すものであり、
したがって憲法違反であると認定。

問題となった個所は以下の文言。
(訳文はたいして吟味したものではないのでご了解ください)

(犯罪行為を問われるのは)直接関与する行為(コミッション)によって意図的かつ積極的に他者の自殺を幇助する、または自殺幇助の目的が明白な何らかの行動をとる用意があるとして、公然と宣伝したり名乗り出ること。

この法文だと、自殺幇助そのものが禁じられているわけではなく、
やりますと謳って幇助した者は犯罪者になるが、
黙って幇助した者は罪に問われないではないか、
というのがFEN側の主張。

判決もその主張に沿って、

「言論の自由を制限することなく全ての自殺幇助を禁じることも
自殺を幇助しますという意思表示を全面的に禁じることもできたはずなのに
州はそのいずれもしないことを選択した」

ということは自殺幇助そのものを明確に禁じているわけではないにもかかわらず、

「宣伝さえしなければ合法である行いを公然と宣伝したり申し出ることが、
なぜ言論の自由の侵害を正当化するほど重大な問題行為であるか、
州は説明することもエビデンスを提示することもできなかった」。

検察側は、もともと州法ができた時には
Jack Kevorkianの自殺幇助ケースを防ぐことを目的に考えられたものだ、と。

当時は、社会全体に、自殺幇助そのものに
否定的な意識が共有されているという前提があった、ということなのでしょうか。

この判決が今後、
米国に広がる自殺幇助合法化の動きにどのように影響していくのか、
非常に気になるところです。

メディアの報道の仕方を見ても、
この判決はGA州では自殺幇助は合法との確認である、と書く記事もあり、
「死の自己決定権」サイドの勝利を謳う記事もあり。

Ga. court overturns assisted suicide restrictions
Fox News, February 6, 2012

その他の記事の一部 ↓
http://www.google.com/hostednews/ap/article/ALeqM5iMsFcAABrZ_7DUGOvIn5MvZs8bAA?docId=4b22f9cef7bb479f8dc6c17e9e92f44b

http://www.ajc.com/news/atlanta/court-strikes-down-georgias-1334712.html


私には、
1994年に、将来の社会の変化を見通せないまま
不用意な文言で法律を作ってしまった議会のうかつさの問題、という気がするのですが、

そのうかつな文言が修正されるよりも、
一気に自殺幇助そのものの実質的な合法化解釈へとなだれ込んでいくのでしょうか。


【FEN自殺幇助事件関連エントリー】
尊厳死アドボケイト団体の幹部4人を逮捕、他8週も自殺幇助容疑で家宅捜査(米)
精神障害者への自殺幇助でもthe Final Exit に家宅捜査
Final Exit 自殺幇助事件続報:130人の自殺に関与か?
Final Exit Networkの公式サイトを読んでみた
CA州の自殺幇助事件続報
自殺幇助合法化議論、対象者がズレていることの怪
Final Exit自殺幇助事件、週末の続報
「ホスピスだって時間をかけた自殺幇助」にホスピス関係者が激怒
FEN創設者GoodwinのAP通信インタビュー
FENの自殺幇助ガイド養成マニュアル
精神障害者の自殺幇助で新たにFEN関係者4人を逮捕
FENが自殺幇助合法化プロモビデオをYouTubeにアップ
OhioでもFENによる自殺幇助事件か(2009/6/18)
久々に Final Exit Network自殺幇助事件の続報(2009/10/16)
FEN事件で精神障害者の自殺を幇助したボランティア、有罪を認める(2010/1/13)
闇の自殺幇助機関FEN事件の4人を起訴(米)(2010/3/10)
FENが「Kevorkian医師の半生記映画見て“死ぬ権利”考えよう」(2010/4/22)

その後もいくつか続報はあり、補遺で拾っています。
たしか、いくつかの訴訟では無罪判決が出ていたような……。未確認でスミマセン。
2012.02.07 / Top↑
1月27日のLe Monde紙で、
左派のフランス大統領候補、Francois, Hollande氏が
当選の暁には積極的安楽死の法制化を目指すと語り、
安楽死論争が再燃している、とのこと。

I propose that all adults in an advanced or terminal phase of an incurable disease, which is causing unbearable physical or psychological suffering and cannot be treated, may request, under specific and strict conditions, medical assistance to end their life with dignity.

不治の病気のターミナル期で
肉体的にも心理的にも耐え難い苦痛のある人に限定して、
厳しい制約を設けた上で、医療職の助けを得て
尊厳のある命の終わり方を希望できるように。

文末にリンクしたように、
フランスでは去年、自殺幇助合法化法案が否決されたばかり。

Hollande氏は、その法案の提案者だったとか。

French presidential candidate backs euthanasia
BioEdge, January 31, 2012


この話題、補遺で拾おうと思ってブクマしておいたところ、
今日Peter SingerがLe Mondeの記事をリンクした上で
歓迎のツイートをしているのを見たものだから、
ちゃんとエントリーにしておきたくなった。


【フランスのPAS合法化法案関連エントリー】
フランス上院、25日に自殺幇助合法化を審議(2011/1/13)
フランスの安楽死法案、上院の委員会を通過(2011/1/19)
フランス上院が自殺幇助合法化法案を否決(2011/1/27)
2012.02.07 / Top↑
カナダ王立協会、自殺幇助合法化を提言
2010年4月に議会で自殺幇助合法化法案が否決されたばかりのカナダで、法改正を求める訴訟が相次いでいる。スイスの自殺幇助機関ディグニタスで自殺した脊柱管狭窄症の女性(89)の担当医と遺族とが、海外へ行かなくとも幇助が受けられるよう法改正を求めて提訴したり、ALS患者の女性グロリア・テイラーさん(63)がまだ自由が利くうちに死にたいと“死ぬ権利”を求めるなど、2011年は自殺幇助合法化を求める大きな訴訟が次々に起こされ、激しい議論が再燃した。
そんな中、テイラー裁判の審理開始から2日後の11月16日、芸術・科学アカデミー、カナダ王立協会から自殺幇助と自発的安楽死の合法化を提言する報告書が発表され、英語圏のメディアは騒然となった。09年11月に同協会が立ち上げた終末期の意思決定を検討する専門家委員会が、2年間の検討を経て提言をまとめたもの。報告書は、意思決定能力のある成人なら、たとえターミナルな状態でなくとも規制・監督された制度下で十分に説明を受けた後で死を選択する「道徳上の権利」があるべきだ、そうした制度によって弱者が脅かされる「すべり坂」が起こるエビデンスはない、と結論した。
法務相は、この報告書によって「議会がすぐに議論を再開する予定はない」とコメント。いくつもの裁判の行方と同時に、“死ぬ権利”をめぐる議論に注目が集まっている。

認知症が進行した女性に安楽死(オランダ)
一方、世界で初めて安楽死を合法化した“先進国”オランダでは、認知症が進行した女性に積極的安楽死が2011年3月に行われていたことが判明した。ナーシング・ホームで暮らしていた64歳の女性で、名前は明らかにされていない。認知症が軽症の頃に、自立した生活ができなくなったり我が子が見分けられなくなったら安楽死させてほしいと、事前指示書(リビング・ウィル)を書いていたという。
 報道によれば、オランダではこれまでに認知症初期の患者21人が致死薬の注射で安楽死したとの報告もあるものの、進行した人の安楽死は今回が初めて。オランダでも例外的なケースであるため、当該地域の5つの安楽死検討委員会が調査した。その結果、医師は女性と何度も話をしており、本人の意図をきちんと理解した上での適切な行動だったと全ての委員会が承認した。また、オランダ医師会は今年「安楽死法は明らかに認知症患者と精神障害者にも適用される」と立場表明したばかりでもある。しかし、安楽死当時には女性は意思確認ができない状態だったため、同意を拒んだ医師もいたという(安楽死法では2人の医師の同意が必要)。

介護職の証言で「植物状態」覆る(英国)
一方、英国では10月に、植物状態と診断されてケアホームで暮らしている女性(53)に夫と妹が望んだ“尊厳死”を、介護士など直接処遇職員の証言に基づいて高等裁判所が却下するという興味深いケースがあった。
女性は事前指示書を書いていなかったが、家族は「誇り高く美しかった妻がこんな姿になって、本人も尊厳死を望むはずだ」「生きていることで妹が何を得られるというんです? 何の喜びもないのに」と訴え、女性の状態は生きるに値しないと主張して尊厳死を求めた。
一方、女性を日々ケアしている介護士らから出てきた証言は、女性は「簡単な指示に従う」「外出の際、太陽の方向に顔を向け、頬に当たる日差しを楽しんでいるように見える。海がきれいよと声をかけると、海の方を向いた」「介護士に好みがあって、好きな介護士が入室すると目を開けてにっこりする」「夫の来訪の後に涙を流していたことがある」「特定の音楽を聴いたら涙を流す」「音楽を聴いて、その歌詞をつぶやくように口を動かしていた」……などなど。
これらの証言によって、女性は「最少意識状態」であることが確認され、それまでの「植物状態」との診断が覆った。裁判官は「このような状況下で生命維持治療を差し控えたり中止することは違法行為である。もしも意図的に行われるなら、それは違法な殺人となる」と述べ、家族の訴えを退けた。
言葉や文字によるコミュニケーションが困難な人の意識状態について、誰が最も詳しく分かっているかの指標は、専門性の高さでも権威でも続柄でもない。日々その人に直接触れながらケアしている介護職の証言を求めた裁判官の賢明さに、拍手を送りたい。きめ細かく丁寧なケアが一人の女性の命を救ったとも言える事件――。介護ならではの視点に大きな力と希望を感じさせる、嬉しいニュースだった。


【関連エントリー】
カナダ王立協会の終末期医療専門家委員会が「自殺幇助を合法化せよ」(2011/11/16)
「IC出せない男児包皮切除はダメ」でも「IC出せない障害新生児も認知症患者も殺してOK」というオランダの医療倫理(2011/11/12)
「生きるに値しないから死なせて」家族の訴えを、介護士らの証言で裁判所が却下(2011/10/4)
2012.02.07 / Top↑
前の2つのエントリーのPeter Singerの「道徳ピル」の話題は
いつもお世話になっているBioEdgeブログを経由して読んだもの。

BioEdgeには登録すると週一(たぶん)で届くニュースレターがあって、
管理者のMichael Cookからのちょっとしたメッセージや解説がくっついてくる。

今回はSingerの「道徳ピル」についてコメントしていて、
その中に引用されているNYTの記事への読者コメントに
「なるほど~。考えがそこまで及ばなかったなぁ」と感心してしまったので、以下に。

Give the morality pill to men; women, for the most part, don’t need it… How bit a pill do you think we’ need to swallow? …Would it work on Wall Street? … Too bad there was no morality pill around when Bush and Cheney were in office… The rick folks will never take it; it will cause them to lose their edge.”

道徳ピルは男に飲ませてやってね。たいていは女性には必要ないから。
道徳的になるピルって飲みにくくなくちゃね。どのくらいの大きさがいいと思う? 
道徳ピルって、ウォール街にも効く?
ブッシュとチェイニー政権の時にそのピルがなかったのが残念。
金持ちは飲まないよ。なにがなんでもゼニ儲けるぞ、という欲が失せるからね。


昨日エントリーを書くに当たって私自身がのぞいてみた時に目についたコメントは
「幼児殺しを提唱するシンガーの言いそうなこと」だったか
「幼児殺しを提唱するシンガーにそんなことを言われるこたぁ、ない」だったか、
なにしろ、そういうニュアンスで「幼児殺し」という言葉が使われたもの。

「障害児には道徳的地位なんかない」
「障害のある新生児は殺したって構わない」
「アシュリーのような重症児は犬や猫ほどの尊厳もない」
「重症児や認知症患者への医療費は無駄」などと
平然と言えることはそもそも“道徳的”なのか……というのが
シンガーの“道徳ピル”提案を読んだ時に真っ先に頭に浮かんだ考えだったし。


Cook自身のコメントは ↓

存命中の最も影響力のある哲学者と言われているシンガーと、オックスフォードの親分であるSavulescuには失礼ながら、私自身は少々疑問を覚える。
生活水準と可処分所得の大幅な改善で20世紀には人々の道徳性は大きく向上した。労働者はぎゅう詰めの不健康なスラムで汗水流して働かなくてもよくなった。それでもなお過去100年間には2つの戦争が起こり、おぞましい大量虐殺が繰り返された。
なのに、毎朝のオレンジジュースと一緒に道徳ピルを飲めば、みんなマザー・テレサになるというのだろうか?
そんなことが本当に実現できるなら、その逆に、兵士を(またはヘッジファンドのアナリストを)無慈悲で不道徳にするピルだって魅力的ではないだろうか? あなたの考えは? Peter Singerが言うのがアタリなのだろうか?


ちなみに、Cookの解説によると、
moral enhancementについて同じことを言っているSavulescuは
Singerよりもラディカルで、安全で効果があるなら義務化すべきだと主張しているとか。


今日、このエントリーを書くためにもう一度元記事へ行ってみたら、
ずいぶんコメントが増えていました。喧々囂々の議論になっている模様。
でも、いずれも、どこかちょっとピントがずれている感じが……。


【当ブログのSinger関連エントリー】
P.Singerの「知的障害者」、中身は?(2007/9/3)
Singerの“アシュリー療法”論評1(2007/9/4)
Singerの“アシュリー療法”論評2(2007/9/5)
Singerへのある母親の反論(2007/9/13)
Singer、Golubchukケースに論評(2008/3/24)
認知障害カンファレンス巡り論評シリーズがスタート:初回はSinger批判(2008/12/17)
知的障害者における「尊厳」と「最善の利益」の違い議論(2008/12/18)
What Sorts のSinger 批判第2弾(2008/12/22)
「障害児については親に決定権を」とSinger講演(2008/12/26)
Singerが障害当事者の活動家に追悼エッセイ(2008/12/29)
Sobsey氏、「知的障害者に道徳的地位ない」Singer説を批判(2009/1/3)
Peter SingerがQOL指標に配給医療を導入せよ、と(2009/7/18)
P.シンガーの障害新生児安楽死正当化の大タワケ(2010/8/23)
「障害者の権利と動物の権利を一緒にするな」とNDYのStephen Drake(2010/11/1)
「Kaylee事件」と「当事者性」それから「Peter Singer」(2010/11/3)
Peter SingerがMaraachli事件で「同じゼニ出すなら、途上国の多数を救え」(2011/3/22)


閻魔堂論議「なぜ人間が特別なのか?」シリーズ
「なぜ人間は動物と違って特別なのか?」種差別批判からの問い 1(2010/10/7)
「なぜ人間は動物と違って特別なのか?」種差別批判からの問い 2(2010/10/7)
「なぜ人間は動物と違って特別なのか?」種差別批判からの問い 3(2010/10/7)

P.シンガー「大型類人猿の権利宣言」シリーズ
①Singerらの「大型類人猿の権利宣言」って、あんがい種差別的?
②Peter Singerの”ちゃぶ台返し”
③SingerやTH二ストにとっては、知的障害者も精神障害者も子どもも、み~んな「頭が悪い人たち」?
2012.02.07 / Top↑
前のエントリーの続きです。

Are We Ready for a ‘Morality Pill’
Peter Singer and Agata Sagan
NYT, January 28, 2012


ざっと、この記事の概要を以下に。

去年10月、中国で車に轢かれた2歳の子をみんなが見て見ぬふりで放置していった事件があったが、こういう話が他にもある一方で、自分の命を顧みず他者を助ける人の話もいくつもある。前者と後者を分かつものは何なのか、科学者は60年代から研究している。

最近のシカゴ大の研究では、ラットの中にも自分の食いぶちが減ることを承知で仲間を助ける行動をとる者がいることが分かった。それはつまり、行動を分ける要因がラット個々のうちにある、ということだ。人間にも同じことが言えるのではないか。

もちろん、既にずいぶん行われてきた「精神異常者などアブノーマルな人間」の研究だけでなく、さらに多くのマジョリティを研究する必要はあるし、状況要因や道徳的信念が作用していることは間違いのないところだが、もしも道徳的行動が個人要因において決定づけられているとしたら、それを研究し解明しなければならない。

既に脳の化学的コンディションが人の気分と関わっていることが明らかになっていることを思えば、脳科学が進めば、より道徳的な行動を取らせる“道徳ピル”も可能となるだろう。そうなれば、犯罪者に刑務所に入る代わりに“道徳ピル”を飲むことを選択させることだってアリでは? 政府が脳のスクリーニングによって犯罪予備軍を発見し、最も犯罪を侵す可能性高いグループには“道徳ピル”を飲ませてやることだってできる。ピルを飲みたくなければ、常に居場所が分かるようにGPSをつけさせておけば、犯罪を犯した時にもすぐに分かる。

50年前に「時計仕掛けのオレンジ」が物議をかもした際に、どんな酷い犯罪の予防であっても人の自由意志を奪うことは正当化できないとの批判があった。“道徳ピル”にも同じ批判は出るだろうが、もしも脳によって生化学的に道徳的な人間とそうでない人間の差が生じているとしたら、そもそも誰かが倫理的な行動をとるかどうかはその人の自由意志とは無関係で、誰も自由意志など持っていないということだ。

いずれにせよ、我々は間もなく、どのような方法で人の行動を改善すべく介入する科の新たな選択に直面するかもしれない。



例によって
「状況や信念が作用する」と言いつつ、
また、もっと研究が必要だとも断りつつ、
「もしも脳内の生化学コンディションが決定要因なのだとしたら」と
あくまでも仮定として提示しつつ、

しかし何度もそれを繰り返すことによって、
読者にまるでそれが既に確定した事実であるかのように印象付けつつ、
決定要因であることを前提にした犯罪防止の話へとどんどん進めていく。

Singerが実際に説いているのは
脳決定論であり、Savulescuと同じ moral enhancementと、それによる犯罪防止。

いつも思うのだけど、この人たちの話の進め方には、
学者としての学問的誠実とでもいうべきものが感じられない。

この人たち、「学者」というよりも「アジテーター」?


他にも突っ込みたいところはいろいろあるけど、
週末のこととて余裕がないので、

とりあえず2人の言うことを読んで、
私の頭に浮かぶつぶやきは、

そもそもアンタたちが、道徳的でない、んでは――?
2012.02.07 / Top↑
まず、前置き段階の話。

1月6日、親戚のお通夜から帰ってきて
始めて間もないツイッターのTLをお気楽にざっと見していたら
森岡正博先生のツイッターでJulian Savulescuが東京に来ている、と知った。

どうやら翌7日に東大のカンファでSavulescuが講演し、
その後、森岡先生もmoral enhancementについて発言される、とのこと。

ということは、Savuちゃんが話題にするのは moral enhancement……。

これまでの彼の発言からすると、それはゼッタイに
科学とテクノで人に手を加えることを意味するのは間違いない。

このブログではどちらかというと
無益な治療と、それを臓器提供安楽死や安楽死後臓器提供へと誘導する路線の発言を
中心に追いかけてきたので、急ぎ、検索してみると、

去年5月13日の東大での講演の報告がネットに出ていた ↓

報告 ジュリアン・サバレスキュ教授講演会「未来に合ってるだろうか? - 現代テクノロジー、リベラル・デモクラシー、道徳的向上の差し迫った必要性」

まさに moral enhancementのことをしゃべっている。

それを読んで頭が俄かにチャカチャカし始めて、
わわわっと一人で騒いでツイートしたのが以下 ↓

「我々の制限された人間本性(humanity) が人類(humanity) に対する最大の脅威になっているため、道徳上の欠点を有し、不完全でもある人間は、その自然本性を変えるために道徳的なエンハンスメントを行う必要があ る」とSavuちゃん、去年5月に東大でしゃべってた……。
森岡先生のツイートにあったmoral enhancementって、これですね。
じゃねーや。bioenhancementだから、そういう目的で道徳上の欠点を有し、不完全でもある人間を遺伝子操作によってまっとうにしてあげようって話なんだ、きっと。
もひとつ去年5月の東大でのSavuちゃん発言。「人々の反社会的行動には幼児期の虐待とともに遺伝子が関与しているが、プロザック(SSRI)を投与することで協調性を増し、攻撃性を弱めることが可能である」
「技術によって我々の人間本性を変えてまで人類は存続する必要があるのか、同様に、技術によってより「道徳的」となることに何の意味があるのかという疑問 を抱かざるをえなかった」と5月の講演の報告者は書いているんだけど、それは違う、既にSavuちゃんの手口にノセられているよ、と思う。
Savuちゃんが言っている「制限された人間本性」って一体なによ? 「道徳上の欠点」を有した「不完全な人間」って、どういう人間のことよ? それを誰がいつどこでどういう基準で決めるのよ? それがその人の「自然本性」だとどうやったら証明可能なのよ? 
「技術によって人間本性を変えてまで」とノセられるんじゃなくて、Savuちゃんが言ってる「人間本性」を疑うべきじゃないの?
親戚のお通夜から帰ってきてツイッター見たらSavu来日中で、いきなりコーーフンしてしまった。この人もう一方で「安楽死臓器提供」なんか説いてますから。合体させたら、どんな世界よ。http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/61036251.htm 
Savulescuが「反社会的な人間」の「本性」について言っていることって、昨日、kayukawaさんに教えてもらったロンブローゾと変わらないような気がするんですけど。
コーフンして間違えました。「臓器提供安楽死」でした。ちなみに「安楽死後臓器提供」はすでにベルギーで行われています。http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/62619452.html
ダメだ。頭と口(手?)がとまらなくなってしまった。アシュリー療法論争でもそうなんだけど、そこに提示されているのは土台が穴ぼことマヤカシだらけで本 来なら議論として成立しないはずの「議論」。それが議論として成立、進行してしまうのは、そのデタラメな土台にノセられる人がゾロゾロ出るから。
Savulescuが言っている「グローバル・ジャスティス」って、またの名を「グローバル(薬とテクノロジーくさい)金融慈善(実は人でなし)資本主義」なんでは?


で、この後、Savulescuがこういうことを言っているとしたら、
Peter SingerやNorman Fostも、同じことをもう言っているな、
言っていないとしても、そのうちに言い始めるな、という気がしていた。

そしたら、やっぱり……。

Peter SingerがAgata Saganって人と共著で
NYTのオンライン・コメンタリーに以下の論考を寄せている。

タイトル、私の独断と偏見で日本語にすると、
そろそろ“道徳ピル”考えてもいいかな?

Are We Ready for a ‘Morality Pill’
Peter Singer and Agata Sagan
NYT, January 28, 2012

内容は次のエントリーで。
2012.02.07 / Top↑
豪の緩和ケア・ナースが、死に行く人がよく口にする最後の悔いについて本を書いている。①周りの期待に応えるんじゃなくて勇気を出して自分に正直な人生を生きればよかった、②あんなに働くんじゃなかった(特に男性)、③勇気を出して正直な気持ちを言えばよかった、④友達と疎遠になるんじゃなかった、⑤その気になれば、もっとハッピーに生きることだってできたのに。
http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2012/feb/01/top-five-regrets-of-the-dying?CMP=EMCNEWEML1355

ゲイツ財団がシアトルの本部にビジター・センターと称する「ゲイツ財団慈善博物館」。写真多数。
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2094972/Bill-Gates-Foundation-Inside-Microsoft-founders-National-Museum-Of-Philanthropy.html?ito=feeds-newsxml

ダボス会議とその周辺でビル・ゲイツのGM農業改革が話題になったことから、それに対する批判がちらほら。:ただ、いつも思うのだけど、例えばワクチンでゲイツ財団を批判する人はワクチンのことしか見ていない。ここでもGM農業改革に疑問を呈する人はゲイツ財団が他でやっていることを疑っているわけではない。
http://www.delawareonline.com/article/20120201/OPINION10/120131063/Gates-all-us-should-reject-GMOs?odyssey=mod|newswell|text|Opinion|s
http://planetsave.com/2012/01/31/bill-gates-missteps-on-climate-food/

1月31日、NYでモンサントへの大規模な抗議行動。
http://www.foodrepublic.com/2012/01/31/nyc-protestors-come-out-against-monsanto

殺虫成分を自ら作るよう遺伝子操作されたとうもろこしに発がん性がある、とする情報サイト。
http://panna.org/blog/24-d-corn-bad-idea-and-heres-why

ビッグファーマ Allergan(ボトックスのメーカー)が去年4月からウェブで公開していた医師への支払記録を2011年の一部を覗いて削除。でもウチのサイトにちゃんと残っているよ、とPruPublica.:イェイ。
http://www.propublica.org/article/allergan-erases-doctor-payment-records

I Had Asperger Syndrome. Briefly というタイトルで。不器用な子どもだっただけでアスペルガーと誤診された人の体験談。NYTのコラムニスト。

Op-Edにも、アスペルガーの過剰診断の問題。
Asperger’s History of Over-Diagnoses:People with social disabilities are not necessarily autistic, and giving them diagnoses on the autism spectrum often does a real disservice.

前立腺がんの抗がん剤abirateronは高価だからNHSでは使えないとの決定に批判。
http://www.guardian.co.uk/society/2012/feb/02/cancer-drug-too-expensive-nhs?CMP=EMCNEWEML1355

妊娠中に魚を食べると認知発達の良い子が生まれる。:近年の英語圏の科学研究の一大目的は「子どもの頭を良くすること」。そんな文化風土の中から、Savulescuのような「TDCSは根本的に人間の学習能力を向上させる第一歩」だとか「学習エイド」みたいな発想の人が出てくる。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/241045.php

日本語の映画情報。天才医師が監禁&皮膚移植で亡き妻を再生、アルモドバル監督の最新作「私が、生きる肌」
http://www.cinra.net/news/2012/02/01/162424.php

英国の移民受け入れ、富裕層優遇策へ?
http://www.guardian.co.uk/uk/2012/feb/02/selective-immigration-policy-wealthy?CMP=EMCNEWEML1355

日本語。寛容の国オランダもブルカ禁止へ王手。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2012/01/post-2418.php
2012.02.07 / Top↑
昨日、今日と、また
ツイッターで「介護者の立場」で沢山つぶやいてしまったので、
以下に取りまとめ。

        ―――――――

「ケアの社会学」を読んでから、介護される者の権利と介護する者の権利には序列があるのか、そも「権利」が「優先順位」になじむのか、ということを考えて いる。それを考えていると、両者の権利がどこか被害者と加害者の権利みたいな2項対立の中に置かれてしまっているような気がしてくるのだけど

それぞれの権利やニーズを満たす責任を求める相手を、その2者関係の中に求めてしまう無意識が、そうした対立があるような錯覚を起こさせるのでは? 介護される者の権利やニーズを満たす責任は介護する者にのみ求めるべきではないし、

介護する者の権利やニーズを満たす責任も、その2者関係の外に求められるべきだという整理ができれば?

(ここへfiregardenさんから
「キテイさんの話はそういう整理ですよね」とのお返事をいただく。
この後、やり取りの中から介護者関連のspitzibara分のみ)

あー、結びついてなかったですが、そういえば・・・。と気づいて、ふっと思うんですけど、キテイさんが言っている「その人がおかあさんだから、おかあさんにも支援が必要」「みんなおかあさんの子だったんだから」の前に、「おかあさんは一人の人間」じゃダメなの?みたいな。

私のキテイさんの読み方が不十分だからかもしれないんですけど。70になっても80になっても我が子を家で介護し続けている親は「健康で文化的な生活」を送る権利を奪われている、というシンプルな事実は、どうして語られることがないのだろう、と。

おかあさんだから「おかあさん(介護者)の人権」の問題になってしまうけど、「おかあさんの人権」の問題はもともと「人の人権」の問題と何が違うのか、違わないはずじゃないのか、と。うぅ・・・まだ、うまく言えない。もうちょっと考えます。

介護者のニーズは二次的なものだというのが一度確認されてしまうと、生身の介護者の状態はうつろい変化するものだという当たり前の事実が見過ごされてしま いそうな気がする。自身が病や不自由を抱えても、それが「介護者の病」「不自由な介護者」の範疇に留まれば「2次的ニーズ」と扱われる、ような。

職場のストレスからうつ病になった人だと医師が診断書を書いて休職もあるけど、介護ストレスからうつ病になった介護者の、うつ病患者としてのニーズがとり あえず介護負担から離れて休むことにあるとしても、誰も「他に変わる人がいないから仕方がない」と考えて、それを疑わない。

そういう状態で自分でも「もうダメ」とはどうしても口にできず、そのホンネを周囲も察してあげることができないまま精神科受診だけでずるずる頑張っているうちに、自殺(未遂)にまでいってしまう人は実際にいる。子どもの殺害に至るプロセスにも、そういうことがあるんでは?

介護者の側から言えば、そして実際これは言いにくいことではあるけれど、「とにかくもう離して」と言うしかない心身の状況というのはある。介護される側へ の思いはあっても、それどころじゃなくなるほどに介護者の心身が擦り切れてしまう前に、程よく「小さなギブアップができる」支援があったら。

福岡で発達障害のある男の子が繊維筋痛症を患うお母さんに殺された事件の時に考えたことが「上手に小さなギブアップができる支援」だった。

上手に「小さなギブアップ」ができる支援(2008/10/1)
上手に「小さなギブアップ」ができる支援 2(2008/10/1)


それから、「小さなギブアップ」ではどうにもならない状況というものも現実問題としてある。親の老齢もその1。70になっても80になっても「小さなギブアップ」で頑張れというのは、80になっても90になっても「介護予防」励め、に近い。ならロボットスーツで?



【「ケアの社会学」関連エントリー】
上野千鶴子「ケアの社会学」を読む 1(2011/12/27)
上野千鶴子「ケアの社会学」を読む 2(2011/12/27)


【エヴァ・キテイ関連エントリー】
哲学者エヴァ・キティ氏、11月に来日(2010/10/12)
サンデル教授から「私の歎異抄」それからEva Kittayへ(2010/11/25)
ACからEva Kittayそして「障害児の介護者でもある親」における問題の連環(2010/12/1)


【キティ氏のAshley事件に関する発言エントリー】
Eva KittayとMichael Berube:障害のある子どもを持つ学者からのSigner批判(2010/10/13)
Eva Kittayの成長抑制論文(2010/11/7)
Eva Kittayさんに成長抑制WGのことを聞いた!(2010/11/12)
「成長抑制でパンドラの箱あいた」とEva Kittay氏(2010/11/28)
2012.02.07 / Top↑
サビュレスキュがオックスフォード大学のサイトで仲間とやっている「実践倫理」というブログで
TDCS(transcranial direct current stimulation 経頭蓋的磁気刺激法 )について書いている。

TDCSについては
金井さんというニューロサイエンス研究者の方のブログに日本語で詳しい ↓
http://kanair.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/transcranial_di.html

脳に電極をつけて電流を流して刺激するという、割と単純な方法みたいで
DBSみたいに侵襲的なものではない模様。

もっとも研究はまだ初歩的な段階で
分からないことだらけのようだけど、

Savulescuによると、この方法によって
言語、数学、記憶、問題解決、集中、運動の能力までが
向上すると言われているんだそうな。

もちろんトンデモ・ヒューマニストのSavuちゃんだから
この技術を損傷された能力の回復のために使うことの方にはあんまり興味はなくて、
それよりも「健康な人間」のメンタルを強化し、学習能力の向上に使える、
「根本的に人間の認知機能をエンハンスする第一歩」と言って
たいそうワクワクしている様子。

ただ一応は倫理学者として、
いかなるテクノロジーにも利益がある反面、思わぬ副作用だってないとは限らないのだから
そこのところは慎重にまだまだ研究を待ってから、とも述べるし、

「薬の開発でやったよりマシな目標設定をしなければ」
「過去40年間の過ちから学ばなければ」とも述べる。

(ここで具体的には何が「過ち」だったのか書いていませんが、
向精神薬を「頭が良くなるスマート・ドラッグ」として煽ったことで
攻撃性や自殺念慮などの副作用で多くの犠牲者を出したことを言っているのでしょうか?)


さらに乱用・濫用の危険性もあるので、
具体的に特定のグループを対象としたさらなる研究によって
リスク・ベネフィットを検証する必要があると繰り返しつつ、

後半で主に彼が書いているのは2点。

① エンハンスメントには「公平じゃない」「平等じゃない」という批判が
いつもでてくるが、この技術にはその批判は当てはまらない。

なぜなら、これは努力もしないで学べるという話ではなく、
努力に対する成果がより大きくなる、という話なのだし、
もしも安全で効果があるとなれば、誰でも使えるし、
また誰でもが使えるようにすべきである。

② リスクもベネフィットも幼い子どもでは影響が大きすぎるため
幼児にはこの実験は行うべきではない、という声があるが、
自分としては不同意。

障害児と健常児とでは効果が異なってくるのだから、
障害児と成人とだけの実験では正常な子どもへのリスクも効果も知ることができない。

よって、正常な子どもでの実験は不可欠である。
少なくとも正常範囲で最も学習能力が低い子どもで実験する必要がある。

(障害児に対置して「ノーマルな子ども」という表現が用いられていることに注目。冒頭「健康な人」も)

自分の意見としては、
まずこのような最も能力の低い子どもで実験を始めて、
それで安全性が確認できれば、その上のレベルの子どもへと
実験対象を広げていくのが良いと思う。

こんなことを言うと、
能力の低い子どもを実験動物扱いするのかという批判が出てくるだろうし、
その気持ちは分からないでもないが、
この技術の恩恵を受け、技術を利用する者が
研究に参加すべきだということではないだろうか。

この技術を一般的な教育エイドとみなすならば、
ある意味では、どんな子どももみんなが研究に貢献すべきである。


・・・・・・・・

例えば、
「重症障害児に対する”アシュリー療法”は倫理的に正当化できるか」という問題が
「重症児以外にはやらないのだから倫理的に問題はない」と正当化されてしまうことに見られたように、

「科学とテクノの簡単解決バンザイ文化」御用達の生命倫理学者さんたちは
チャレンジされている論点そのものを前提にとりこむことでその論点をないものにするという
結論先取りの卑怯なマジック論法を操っているのではないのか、という疑問を
私はいつも感じるのだけれど、

ここでも、TDCSという技術のエンハンスメント利用を巡って
Savulescuは同じことをしていると思う。

まず、彼が生命倫理学者として指摘している論点は以下。

・技術そのもののリスク・ベネフィット。(この検討には、さらなる研究が必要)
・乱用・濫用を防ぎつつ良い研究は推進する規制の必要。
・この技術には不公平だとのエンハンスメント批判は当たらない。
・正常な子どもへのこの技術の応用の安全性や効果を知るには
 障害児と成人だけでなく正常な子どもでの実験が不可欠。
・だから最も学習能力の低い子どもから順次、実験していくのが良い。

しかし、これらすべての前提として、まず問われるべき
「TDCS技術のエンハンスメント利用は倫理的にどうか」という問いはどこに?

まるで、
「エンハンスメントに対する『不公平だ』という批判がこの技術には当たらない」ことをもって
「だから、この技術のエンハンスメント利用は正当化された」といわんばかりで、

それがまた
「成長抑制には子宮摘出や乳房摘出ほどの批判は出なかった」ことをもって
「だから成長抑制は倫理的に許容された」ことにして「だから実施原則を」と先走った
DiekemaとFostの論文に、そっくり。

それと同じことが②の点についても言えて、
Savulescuの論理には2つの問題があると思う。

まず、
「幼児をこの技術の実験対象にすることはリスクの大きさから考えて倫理的にどうか」に対して、
Savulescuは「正常な幼児を実験対象にすることはこの技術のエンハンスメント応用のために必要」。

彼の論理には
「実験の必要」が「幼児へのリスクの大きさ」を正当化するとの前提が織り込まれているけれど、
まさにそれが「実験の必要はリスクの大きさを幼児では正当化しないのでは」と
問われていたのだから、Savulescuはその問いに実際には全く答えておらず、
上で指摘した通りの「結論の先取り」を行っている。

更に、先の問いは障害の有無によって「幼児」を分けているわけではないのだけれど、
Savulescuの中には「この技術のエンハンスメント応用は当たり前」と同時に
「障害児は実験対象にしてもよい」との意識が余りにも根深いために
「幼児を実験対象にすることの是非」が彼の中では自動的に
「正常な子どもを実験対象にすることの是非」に置き換えられてしまっている。

どうも、(一部の)生命倫理学者さんたちの言うことは、いかがわしい。

Transcranial Direct Current Stimulation: Fundamental enhancement for humanity?
Julian Savulescu, PRACTICAL ETHICS, January 26, 2012


で、思うに、その
「研究の必要」が「倫理問題をスル―することを正当化する」という論理って、
どうも医学を含めた科学の世界独特の“常識”みたいなところがあるんじゃないか、と……。

生命倫理ってな、本来は、その狭い専門世界の“常識”を
その外の広い世界の常識でもって問い直すことが、
その使命だったはずなんでは、と思うのだけど、

いつのまにか、その狭い専門世界の“常識”の方を
むしろ外の世界に向かって正当化し、受け入れさせ、布教していく役割を
生命倫理学者さんたち(の一部? 大半?)は担ってしまっているのでは?
2012.02.03 / Top↑
リーシュマニア原虫感染症、リンパ系フィラリアなど
これまでネグレクトされてきた10の熱帯病と取り組むべく、
ゲイツ財団の元に、英・米・アラブ首長国連邦の各政府、世界銀行、それから
グラクソ、サノフィ、ノヴァルティス、ファイザー、メルク、エーザイ、J&Jなど
13ものビッグ・ファーマがずらり集結。

みんなで力を合わせて新薬の開発と途上国への提供し、
2020年に向けたWHOのロードマップ実現を目指すのだとか。

特に10のうち5つの病気は完全撲滅、
その他も大幅に減少させることを狙う。

ゲイツ財団はこれまでの10年間にも熱帯病の撲滅には力と資金を注いできたが、
26日にも政府系資金の削減を補うべく、エイズ、結核、マラリア撲滅に
今後6年間で7億5000万ドルの提供を約束したばかり。

今回のキャンペーンでは同財団が研究資金として今後5年間に3億6500万ドル、
全体では研究、開発、分配に7億8500万ドルを集めるとしている。

ビル・ゲイツは、
「前は、カネを出すという人たちはいても、
配達するためのカネがなかったものだから
薬をオーダーする人が誰もいなかった」

「でも、今回は配達するカネも出る、薬を作るカネも出る、
こうして盛大に薬が届けられれば、毎年、以前の10倍もの人が使えるだろう」

また、下の方の記事では、次のようにも発言している。

「これまでも製薬会社はこうした病気の治療薬を提供してくれていたのだが、
その薬を、必要としている人たちの元へ配達するためのカネが不足していた」

去年ゲイツ財団は製薬会社に対して、提供する薬の増量を求めたが、
「提供した薬を本当に使うんですか、と製薬会社が言うんだ。
実際に現地に届けて分配するカネがあるんですか、とね」

そこでゲイツ財団自身が配達に3億6300万ドルを出し、
英米の国際協力機関にも同じ目的に拠出を求めた。
世銀もそこに乗ることになった……というのが
どうやら今回のキャンペーンのいきさつらしい。

ビル・ゲイツは、
こうした公と民との協働モデルはゲイツ財団の他の関心事である
農業と教育の分野にも広げていける、と語った、とのこと。

「民間セクターの企業のこうした問題での、
実行力、秀でた能力、そして深い理解は強大。
もしも公の側が民間をうまく引き入れられたら、
それこそ取るべき道」

農業は、もちろんモンサントと組んでのGM農業改革。
教育は、言わずと知れたマイクロソフト主導のIT化(成果主義による教師コントロールも)。

そして、ここでは言っていないけど、
いずれはTerra Powerによる次世代型原発の推進も念頭にあるはず。

今後それらの分野で、
ワクチンでやってきたことを繰り返そうと狙っているともとれる最後の発言、

この前どこかから報告書が出ていた
「民間のゼニの力で公的な国際農業関連組織が本来の機能を果たせなくなっている」との
「シアトル慈善資本主義クラブ」批判を彷彿とさせます。

Agencies, Drug Makers, Gates Target 10 Diseases
WSJ, January 31, 2012

Drugmakers Join Gates Foundation in Tropical-Disease Fight
Bloomberg, January 31, 2012


すごく不思議なのだけど、

これまで10年間にゲイツ財団は熱帯病の撲滅研究に資金を投入してきた。
例によって、各国政府や慈善団体、篤志家など世界中からカネを募ってきた。

ワクチンと同じように
「みんなで熱帯病に苦しむ途上国の人々を助けよう」と言っては。

でも、ここへきて「これまでは、届けるカネがなかった」という。
「だから、薬をオーダーする人が誰もいなかった」ともいう。

じゃぁ、これまでに投入されたカネはどこへ行っていたの?
少なくとも、薬は、それを必要とする人のところには届いていなかった、ということでは?

それ、「途上国の子供たちにワクチンを」と
世界中から集められたカネで届けられるはずのワクチンでも
よもや、同じことが起こっていたなんて言いませんよね?

「ワクチン資金が盗まれている」「別の目的に流用されている」などの
ニュースが最近ちょくちょく流れてますけど?

途上国政府がワクチンを打った子どもの数を水増しして報告しているという話も
そういえば前に、ありましたっけね ↓

「貧困国はワクチン接種した子どもの数を水増ししている」とIHME論文(2008/12/13)

「医療制度そのものが崩壊している国にワクチン届けても倉庫で眠っておしまい」とか
「医療インフラ整備にカネを舞わない限りワクチンに投入した資金は無駄」
「こんなの企業の利益でしかない」という批判も、たしか出ていましたっけね ↓

やっと出た、ワクチンのため世界中からかき集められる資金に疑問の声(2011/6/16)


いや、実際問題、時々頭に浮かぶ疑問なのですが、
この人たちの興味って、実はお金を集めることそのものにある……なんてことは?

やっぱり不思議な「ワクチン債」、ますます怪しい「途上国へワクチンを」(2011/9/4)


そもそも、
世界最強の慈善団体と、英米政府とアラブ首長国連邦と
WHOと世界銀行と、世界で一番金持ちのビッグ・ファーマが13社も雁首そろえて、

本当に貧しい国の人々のために、というなら、集めたカネで、
医療インフラや生活環境改善の方に取り組んだらどうなの――?

もしくは、アンタたち一部の人間だけが富を独占して、
貧しい国々や、各国の貧しい人たちが人間らしい生活も送れず
奴隷労働をさせられたり、怪しげな製薬会社の実験の被験者になるしかないような
世の中そのものをどうにかすることに取り組んだら、どうなのよ――?
2012.02.03 / Top↑
昨日“無益な治療”差し控えは義務へ:「無酸素しょう症新生児に蘇生25分はやり過ぎ」病院に賠償命令(仏)というエントリーで
末尾に昨年12月27日の日経メディカルのフランスに関する記事をリンクしたのですが、
会員登録した人でなければ読めないので。(文字数の関係で写真と票については省略しました)

◆【海外ルポ】治療差し控え進むフランス―法制定を機に緩和ケアが充実(本誌連動◇死なせる医療 Vol.5)
(メディカル・オンライン 2011. 12. 27)(久保田文=日経メディカル)
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/report/t164/201112/522922.html

フランスでは、2005年の法制定を機に、治療の差し控えや中止が終末期医療の現場に浸透しつつある。入院患者だけでなく在宅患者に対しても緩和ケアを提供する体制の整備も進む。ただ、非癌の緩和ケアは依然として手薄で課題も残る。
「病院などで、輸液や経管栄養、酸素療法などを中止してほしいと希望する患者や家族が増えていると感じる」─。パリ市内にある非営利ホスピス、ジャンヌ・ガルニエの医師のダニエル・デルヴィル氏は、05年に治療の差し控えや中止が合法化された後、終末期の患者や家族の考えが変化しつつある状況をこう話す。

なくなった刑事訴追のリスク
フランスでは25年ほど前から、終末期医療に患者の意思を反映できるようにするための制度作りが進められてきた(表6)。1999年には、「6月9日法」で患者が緩和ケアを受ける権利を保障。2002年には「3月4日法」で患者が病期を理解する権利や治療を拒否する権利を認め、医療現場では実際に、治療の差し控えや中止が行われてきた。とはいえ医療者にとって、そうした行為を実行するにはリスクも残っていた。「患者の死亡後に遠い親戚が突然やってきて、治療中止までのプロセスを問われるなど、刑事訴追されるリスクもあった」とデルヴィル氏は話す。

しかし、03年に起きたヴァンサン・アンベール事件を機に状況が変わった。交通事故で四肢麻痺になった21歳の男性の求めに応じて母親が安楽死を図り、男性が昏睡状態に陥った後、担当医も男性の延命治療を中止して塩化カリウムを投与した事件だ。担当医と母親は殺人罪に問われた。最終的に両者とも免訴されたものの、この事件を機にフランスでは終末期医療の議論が加速。05年、医師が治療の差し控えや中止を行うことを認める「4月22日法」が制定された(表7)。

同法は、患者の意思に基づいて、延命以外の効果がない治療や、過剰な治療を医師が差し控えたり、中止したりできるとした。また、命を縮めるリスクを伴う方法(例えばモルヒネの大量投与)でしか苦痛を緩和できない場合でも、患者や家族が希望すれば、緩和ケアを行うことを認めた。実施に際しては、医師は治療中止や緩和ケアがもたらす結果について患者に説明した上で、患者の意思を尊重することが求められる。加えて、話し合いの内容はカルテに記載しなければならない。患者が意思決定できない場合は、複数の医師で検討を行った上で、代理人や家族の意見、患者の事前指示書などを踏まえて、治療の差し控えや中止などを決定する。ただし、オランダやベルギーなどで合法化されている積極的な安楽死は認めていない。

4月22日法の制定により、治療の差し控えや中止、リスクを伴う緩和ケアを実施するためのプロセスが明確になった上、代理人や事前指示書についても法律に位置付けられた。同法の影響について、パリ郊外にあるポール・ブルス病院緩和ケア科医師のシルヴァン・プルシェ氏は「以前に比べて終末期医療について患者と相談しやすくなった」と話す。

一方、デルヴィル氏は、「これまでリスクを伴う緩和ケアを行う際は抵抗感を感じたが、リスクがあっても苦痛を取る重要性が示されたことで、今はそういうこともなくなった」と語る。たとえ患者や家族の意思だとしても、治療中止やリスクの高い緩和ケアに迷いを感じる医師は少なくない。同法は、医師の心理的な負担軽減にも寄与したわけだ。

非癌でも利用できる専門病床
法制定を機に、手厚い緩和ケアの提供体制も整いつつある(表8)。フランスの人口は約6500万人。06年の死亡者数は約52万人で、そのうち医療機関で死亡した割合は58%に上る。

緩和ケアユニット(USP)や緩和ケア認定病床(LISP)は、入院患者に専門的な緩和ケアを提供するための病床だ。USPは日本の緩和ケア病棟に相当し、独立型ホスピスや病院に併設された病棟など様々な形態がある。ただし、USPはフランス全土で約110病棟、約1200床に限られている。それを補完する形で、USPのない病院などに設けられているのがLISPだ。LISPは約4000床が整備されている。

USPの一つであるジャンヌ・ガルニエは、入院を希望する患者について、余命が何日程度か、どのような身体・精神症状があるか、独居や家族の疲弊度合いなど生活環境にどのような問題を抱えているかといった情報を、紹介元の医師から提供してもらい、多くの問題を抱える症例を優先して入院させている。ジャンヌ・ガルニエの事務長のセドリック・ブトネ氏は「特に高齢で独居の患者が入院するケースが多い」と話す。

約90%が癌患者だが、疾患は限定しておらず、筋萎縮性側索硬化症の終末期の患者や、急性腎不全で透析を拒否して予後が短い患者など、非癌の患者も約10%を占める。平均在院日数は19日。平均在院日数が短いのには、死期が迫った患者が多いことや、診療報酬が包括払いで一定の在院日数を超えると減額されることなどが影響している。

開業一般医も緩和ケア
USPやLISP以外の入院患者への緩和ケアの充実も図られている。現状では、終末期を迎える患者全員をUSPやLISPだけでカバーすることは到底できない。そこで近年、院内にモバイルチームと呼ばれる専門組織を設ける動きが盛んになっている。モバイルチームは日本の緩和ケアチームと同様、医師や看護師、臨床心理士、ソーシャルワーカーなどから構成され、院内の入院患者に緩和ケアを行う。現在、フランス全土に約320チームが存在する。

モバイルチームは、病院を退院した患者の自宅にも赴く。フランスには、急性期を脱したものの医療必要度の高い入院患者を自宅に戻し、自宅を病床と見なして病院の担当医師と地域の「開業一般医」(次ページの囲み記事を参照)が一緒に治療を行う「在宅入院システム」がある。モバイルチームはそれを緩和ケアの視点からサポート。退院患者の疼痛を緩和する薬剤の投与量設定などに当たる。これにより、患者を在宅に戻しやすくなるわけだ。

さらに近年、在宅患者への緩和ケアの提供体制も強化されている。06年の統計では、死亡者のうち自宅で死亡する割合は27%に上り、在宅での看取りも少なくない。緩和ケアに慣れていない開業一般医が在宅患者に対して緩和ケアを提供できるよう、病院と一般医が連携する仕組みも作られている。

疼痛コントロールに難渋する患者などについて開業一般医が専門知識を持つ病院の医師に相談し、助言を得る仕組みである「地域ネットワーク」がそれだ。地域ネットワークは、連携関係を築いた病院の医師や開業一般医が手挙げ制で行政に申請し、承認を得る公的ネットワーク。

フランスでは病診連携を促す目的で、様々な疾患に関する地域ネットワークが作られているが、緩和ケアの地域ネットワークはその1つで、フランス全土に約120ある。パリ市内の開業一般医で、パリ大一般医科教授でもあるセルジュ・ジルベルグ氏は「地域ネットワークでは、疼痛や呼吸困難に対するモルヒネ増量の仕方、経管栄養を中止する目安などについて相談している」と言う。

4月22日法の制定以来、モバイルチームや緩和ケアの地域ネットワークは増加。手薄だったUSPやLISP以外の入院患者や在宅患者への緩和ケアも充実してきた。プルシェ氏は「緩和ケアの提供体制は、十分整った」と評価する。

課題は非癌の緩和ケア
ただし、課題もある。一つは、4月22日法が制定されて6年がたった今でも、法律が十分に浸透していないことだ。ジルベルグ氏は、「4月22日法で積極的な安楽死が認められたと勘違いしている患者もおり、理解が進んでいないと感じる」と指摘する。

治療の差し控えや中止が選択肢となることや、どのようなプロセスで差し控えや中止ができるか知らない医療者もいるという。緩和的な治療を行っていてもなお患者に治療中止などの選択肢を示さず、治療継続にこだわる医師もおり、「医療者の考え方を変える必要がある」とプルシェ氏は指摘する。

また、「終末期医療について患者と話し合うタイミングが難しい」とジルベルグ氏は言う。高齢患者については事前に、どこまで治療するか、水分や栄養を投与するか、病院での治療を望むかなどを話し合うようにしているが、「患者自身が終末期を具体的にイメージできない場合、話し合おうとすると拒絶されることも多い」とジルベルグ氏は語る。

非癌の緩和ケアも課題だ。フランスの全死亡者のうち癌による死亡は約30%。前述の通り、USPやLISPは癌でも非癌でも利用できるほか、緩和に使う薬剤も疾患に関係なく投与できる。しかし、実際、USPやLISPの入院患者のほとんどは癌患者が占める。緩和ケアの地域ネットワークも、癌を対象に活動しているところが大部分。日本と同様、癌患者に比べて非癌患者の緩和ケアが手薄になっているのが実情だ。「今後は、終末期の認知症患者など、多くの非癌患者がUSPを利用したり、手厚い緩和ケアを受けられるようにしたい」とデルヴィル氏は話している。

フランスのかかりつけ医制と地域ネットワーク
フランスでは2004年に医療保険に関する「8月13日法」が制定され、16歳以上の国民にかかりつけ医の登録が義務付けられた。救急科や産婦人科、小児科、眼科、精神科(26歳未満)には直接受診が可能だが、かかりつけ医の紹介なしにそれ以外の診療科を受診すると、自己負担が高くなる。日本医師会総合政策研究機構フランス駐在研究員の奥田七峰子氏は、「かかりつけ医にゲートキーパーの役割を持たせ、医療費削減につなげるのが狙いだ」と話す。

フランスでは、幅広い疾患を診療する一般医科(medecin generaliste)が専門診療科の一つとして存在し、標榜科として認められている。国内に約21万人いる医師のうち約半数が一般医で、うち約70%が開業医だ。一般医以外の専門医は、開業医と勤務医がほぼ半々。国民は専門診療科にかかわらずかかりつけ医を選択でき、開業一般医を選ぶ人もいれば、病院に勤める特定の診療科の専門医を選ぶ人もいる。「ただ、予約を取りやすいため、80%以上が開業一般医を選んでいる」と奥田氏は説明する。

セルジュ・ジルベルグ氏は、「地域や医師によっても異なるが、1000~1500人程度の患者を抱える開業一般医が多い」と話す。開業一般医が在宅で看取るのは、一般的に年間数人程度だという。
 プライマリケアから終末期医療までを幅広く手掛けることが求められる開業一般医をサポートする存在が、様々な疾患について設けられている地域ネットワークだ。緩和ケアのほか、周産期、老年医学、癌、糖尿病、喘息などの地域ネットワークがあり、難治例への対応など一般医が困ったときに病院に相談することができる。
 臨床上の悩みに応えるだけでなく、実務的な相談も可能。老年医学のネットワークでは、「ベッドをレンタルしたい、ホームヘルパーを頼みたいといった在宅患者の個別ニーズの相談にも応じてくれる」とジルベルグ氏は話
2012.02.03 / Top↑