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何かとお騒がせのDNA研究者Craig Venterが、
研究室の化学物質から人工的に染色体を作った、
つまり世界初の新たな人造生命体が誕生したことを近く発表するとのこと。

報じているのは10月6日のthe Guardianの記事
 I am creating artificial life, declares US gene pioneer

専門的な知識は全くないので誤解もあるかもしれませんが、内容を大まかにまとめると、

あるバクテリアのDNAシークエンスを元に、
その遺伝子組成を生命維持のために最低限必要な5分の4にしぼる。
その遺伝子情報を載せた人造染色体を生きたバクテリアの細胞に入れてやると、
その細胞の種が変わり、新種の生命体が誕生する……という段取りのようです。

Venter氏は、
これはデザイナー・ゲノムの発展における巨大な一歩で、
ゲノムは「読む段階」から「書く段階」へと進みつつあると誇らしく語り、
この技術が進めば新種のエネルギーを誕生させて地球温暖化の阻止にも貢献できると、
デザイナー・ゲノムの持つ長期的な可能性を描いて見せています。

そして、

いろいろ考えるべきことがあるからといって、
大事なことに取り掛かるのに臆したりはしません。

我々がやっているのは大きなアイディアなんです。
生命に対する新たな価値観を創造しようとしているのだから。

こういう次元でやっている以上、
それが気に入らないという人も出てくるのは当たり前でしょう。


そのうちKatieのケースを巡って
英国のトランスヒューマニストがメディアに登場して、
言い始めるかもしれません。

「我々がやっているのは不自由な体と頭がもたらす不快からの解放であり、
障害に対する新たな価値観の創造という大きなアイディアなのです。
こういう次元でやっている以上、
それが気に入らないという人も出てくるのはやむをえないでしょう」

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ところで、文中、以下の1文が目に付いたのですが、

Mr. Venter said he had carried out an ethical review before completing the experiment.

実験を完了する前に倫理的な審査を行った主語が、Venter自身なのですね。
これ、一体どういうこと?

こういうのまで「専門家による倫理的な検討が行われた」という範疇に入ってくるのであれば、
せめて自分で自分の利益を守ることのできない人たちを巡る事案については、
どんなに煩雑で時間がかかろうと、
介護の苦労を振りかざして子どもの体に手を加えようとする親たちからの希望がどんなに強かろうと、
世の中のお金と権力のある人たちからどんな圧力がかかろうと、
裁判所の関与を残しておいて欲しい……と、私は思うのです。


【追記】上記ガーディアンの記事はフライングだったとの情報が以下のブログにあると
教えていただきましたので、取り急ぎ、以下に。


ついでに、19日のBBCに関連記事があったので、こちらも以下に。


こちらでは、その人造ライフがVenterチームによってまもなくできるとの「うわさ」とされています。
詳しいことになると文系頭がついていかないのですが、
the Guardianが報じていたのとは作成(?)手順なども多少違っているようにも思えたり。
ただ、この”ヴァージョン2.0の生命”を誰が一番先に作るかという競争の激化が
この記事ではテーマのようなので、フライングもその関係かも。

そういえばカーツワイルは確か、
新興テクノロジーによって強化された人体のことを
「ヴァージョン2.0の人体」と称していたっけなぁ……。

そして、2040年代には、
自分で自分の体をアップグレードする能力を獲得した「ヴァージョン3.0」になるんだとか……。

生命も人体も、まるでパソコンのソフトのようにプログラム可能なものになっていくんですね。
2007.10.20 / Top↑
終末期医療に関するものですが、英国の医療関連裁判の概要を日本語で解説してある論文を以下に。

終末期医療における法的枠組みと倫理的課題について
児玉知子 (国立保健医療科学院 政策科学部)
J.Natl. Inst. Public Health, 55(3): 2006

この中から、Katieのケースに関係するかもしれない事柄を私なりにまとめると、

イギリスでは1980年代後半から、意思決定能力を欠く成人に対する一定の医療上の決定において、病院などの医療機関が裁判所に認許を求める実務慣行があり、判例が集積されている。

意思決定能力を欠く成人の最善の利益について宣言を行う裁判権を有しているのは高等法院であり、判例法によって事前の高等法院の認許が求められている範疇は以下のように確立されてきた。

①同意ができないものに対する不妊手術
②植物状態患者への人工的栄養補給と水分補給の打ち切り

ただし、いつまでも裁判所の認許を必要とすることへの疑問が呈されており、今後は裁判所関与から専門医療従事者によるガイドライン重視へとシフトしていくものとの予想も。


いくつかのメディアがKatieのケースについて、親と医師との意見が一致すれば子宮摘出を行うことは法的には可能だと書いていますが、それは判例法と食い違っているのでは?


植物状態の事案では、裁判に申し立てる場合には患者の訴訟後見人としてオフィシャルソリシタが必ず関与を求められる。

イギリスで患者の最善の利益を考える基準としては、以下のようなBolan基準が参照されている。

Bolan基準とは: 医師が、「医療上の見解を持つ責任ある集団がその当時受容していた慣行」に従って行動していたことを立証すれば免責されるという治療および診断の過失の判断基準。

ただし、Bolan基準を最善の権利基準としてしまうことには批判もあり、法律委員会では以下の4点を最善の権利を決定する場合に考慮すべき4要点としている。

①本人の過去と現在の希望・感情・考慮したであろう要素
②本人の参加を促すこと
③相談すべき他者の見解(本人が指名した者、判断能力を欠くもののケアや福祉に従事している配偶者、親戚、友人またはそれ以外など)、継続的代理人、マネージャーなど
④その決定が本人にとってさらに制限を与えるものでないこと


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また、脊髄小脳変性症の40代の男性が、病気が進行して意思表示ができなくなっても栄養・水分補給を中止されたくないとして、それを可能とするGMC(General Medical Council)のガイダンスの違法性を訴えた裁判(2003年から継続中)について、以下2つの論文がありました。

治療の中止/差し止めについての一考察
 ――英国バーク裁判を巡って――
的場知子ほか 
(第30回死の臨床研究会年次大会一般演題発表抄録 2006)

治療を中止させない権利についての一考察
――英国Leslie Burke裁判を巡って――
的場知子 
Core Ethics Vol.3 (2007)

この論文に引用されているBurke氏の以下の言葉は、そのままKatieのケースに重ねて考えられるのではないかという気がします。

 

・僕が車椅子にのっているせいか、たいてい人はまるで僕がその場にいないかのように、あてつけのように僕の頭の上を飛びこして僕のことについて話すんだ。みんな僕にとって一番良い(最善の利益)と思うことをやってくれる――ぼくに尋ねはしないで。僕の小脳失調症がひどくなったら、医師たちは食物と水分の供給を中止することが僕にとっていちばん良いこと(最善の利益)だと信じている。[…]意識があるままで、身体の動きや言葉が全く意のままにならない。僕のことをほんとうによく知る人のみが、(僕ののぞみを)わかってくれるだろう。
・GMCのガイドラインは、人工的な食物と水分の補給は治療にほかならないという包囲網に(医師たちを)とじこめようとしてみたいに僕にはみえるんだ。もし医師が、僕が良いQOLにあると信じられなければ、彼は治療(食物と水分の供給)を中止することができることになる。
・食物と水分の供給は治療じゃないでしょう?それは人間の尊厳の問題だと僕は思う。ぼくたちには食べものと飲み物が必要だ。だから僕は怖いんだ。ほんとうに恐ろしくてたまらない。[…]僕は自分の人生を楽しんでいるよ。今のところ、生きてゆくことはほんとうに素晴らしいと感じている。自分の名づけ娘が大きくなってゆくのを、ずっとこうして見ていたいものだ。[…]僕は裁判官が医師たちに、本人からインフォームド・コンセントを与えられない限り、勝手に中止できないと言う判断を下してほしいと願っている。別に医師たちに敵対しているわけではないよ。このままでは、患者の同意のなしに医師たちは食物と飲み物の供給を取りやめられることになる。僕にとっては、自分の同意が何よりも重要な問題なんだ。

    Paul Burnell “Why I fear my future” 20040223 BBC News


ところで、この引用に私は1つだけ疑問を抱くのですが、

40代の男性の発言がこういう口調に翻訳されてしまう。

これこそ、彼が言う「車椅子に乗っているせい」なのでは?
2007.10.20 / Top↑