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Katieのケースは裁判所の判断を仰ぐことになったようですが、

18日のエントリー「なぜ小児科医は出てこないのだろう」で記事の存在を紹介したきりになっているので、遅ればせながら10月13日のthe Guardianの記事から、Alisonの発言を以下に。

もちろん、Katieを施設に入れることを考えたことはあります。今でも時々考えますよ。そういう、気分の落ち込む日があるんです。たとえばKatieと寝ていて夜中に20回も起きなくちゃいけなくて、次の朝になってベッドメイクしようと思ったらそこらじゅうウンチだらけで、頭はガンガンするし、メリッサはママ、ママあたしのお弁当は、ってうるさく言うし、そういう日に、ああ、もうイヤだ、こんなの、と思ったりしますよね。でもKatieが学校へ行ってしまうと、そういうのも忘れるんですけど。

この記事の冒頭には、Katieは「話すことができない、歩けない、言葉は一言も解さない。自分の名前も母親の顔さえ分かっていると思えたことは今まで一度もない。自分の体のぴくつきすら自分でどうにもできないし、膀胱や腸の動きもコントロールできない」。もちろんAlisonの申告に従って書かれていることを念頭に読むべき情報だろうと思います。

また、この取材の際、AlisonのパートナーであるPeterが、

すごく困るんですけど、メディアに出るKatieの写真はたいていノーマルに見える。確かに、障害があるのは見てとれますよ。だけど、ちゃんと分かっているように見えるというか、まるで周囲とやり取りできているように写っている。私はカメラマンには必ず言うんですよ。舌も突き出しているし、よだれも垂らしているんだから、それをちゃんと撮ってくださいって。そしたら向こうは困るみたいで。だから、いいから撮ってくださいって言うんだけど、いや、そんなことはできません、と言われてしまう。そんなのはあまりないというんですね。親ならたいてい子どものそんな写真は嫌がるって。

そこでAlisonが口を挟みます。

イヤだと思う自分だっていますよ。それは。可愛い15歳の女の子を見てもらいたいという思いは私の中にもあるんです。でもPeterが言う通りなのよ。私はこういうことと格闘しているわけだから。そういう写真はいやだと思う気持ちもあるけど、でも、やっぱりこれが真実なんだと分かってもらいたいとも思うんです。


……子どものプライバシーについて、親の権利はどこまで及ぶのか。そういう問題が取り上げられたことはあるのでしょうか。

Ashleyのケースについても、子どものプライバシーにかかわる体の細かな状態についてまで親が公表してしまうことに疑問を感じるという意見もありました。

擁護の先頭に立っていたFost医師ですら、Scientific American.com(1月5日)で「今回は親が自分でしたことだからいいが」と断りつつ、本人の医療上のプライバシーがここまで公開されたことについての懸念を口にしています。しかし、「親が公開したのだからOK」と、本当に言えるのでしょうか?

また、Ashleyの写真を出した際に家族の顔だけは黒く目隠しを入れたことも、ひっかかります。名川先生もブログのコメントでこの点に触れておられますが、1月12日のCNN“Larry King Live” で Ashley の両親に前もって出された質問状の中にも同じ問いがありました。それに対する親からの回答は、

This story is about Ashley.
これはアシュリーの話ですから


父親は1月5日のthe Daily Mail紙の記事で、名乗らないのは他の2人の子どもを守るためだと言っていますが、それならばAshleyの写真もいっそ出さない方が2人のプライバシーはよほど完全に守れるはずです。つまるところ、写真公開についても「どうせ重い知的障害があって本人には分からないのだから構わない」という、子宮摘出の正当化と同じ理屈が働いているのでしょう。

しかし、アシュリーの写真を公開することは、この議論のために本当に必要だったのでしょうか?

(アシュリーが美しい少女でなかったら、それでも親は写真をブログに掲載しただろうか……との疑問は、以前のエントリー「アシュリーが美しいということ」で書いています。)


Ashleyの親にせよKatieの親にせよ、スタートは確かに子を思う愛情から始まったことだったかもしれません。しかし、この人たちは、どこかの時点から、自分たちの言い分の正当性を証明するための道具として、子どもを利用してはいないでしょうか? 

そしてまた、メディアや社会の方も、障害のない子どもについて親がここまで公開した場合には、そうした情報が出てくることそのものに、もっと抵抗を感じるのでは?
2007.10.25 / Top↑