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前回のエントリーで紹介したthe Daily Mailの密着取材の日も、
Alisonは例によって非常に雄弁だったようです。
以下は彼女の発言の一部。相変わらず、思慮に欠ける発言が目立っています。

障害児の世話をするというのは終身刑を務めているようなものです。時には、もうこれ以上はやれないと思うことがあります。一番辛いのは睡眠不足。Katieは24時間介護が必要な子で一晩に20回も起きてやらなければならないんです。

夜のうちに自分の吐しゃ物や唾で窒息しかねないので、気を抜けません。でも私はKatieに無条件の愛を感じています。Katieのいない生活なんて想像できません。

自分のことなんて、どうでもいい。彼女が家族の中心で皆がKatie中心に動きます。Katieのニーズがいつでも最優先なんです。

(父親は障害を受け入れられなかったが)私には投げ出すことなどできませんでした。母親ですから、世話をしてやる責任があると感じましたし。でも、生まれた時に死んでいたら、その方がKatieにとっては間違いなく幸せだったと思います。そうすれば苦しむのはあの子ではなくて私だけで済んだから。実際、Katieは苦しんでいるんです。だってKatieには生活(人生)なんてない。ただの存在でしかないんですから。

そして子宮摘出の希望を巡る批判に対しては、

うちのドアは開いています。日々のKatieの介護がどういうものか、きて見てもらいたいわ。その上で判断してちょうだい。

このAlisonの言葉には、記者の次のセンテンスが続きます。

その言葉に従って私はAlisonと共に1日を過ごし、その生活がどういうものかを見た。この経験に頭が下がるという気持ちにならない人がいるとしたら、私はその人を認めない。


しかし、この主張に、私は2つの疑問を抱きます。

①Alisonの介護の頑張りに頭が下がることと、
障害のある少女の子宮を母親が望んだというだけで摘出することの是非とは、
全く無関係の問題です。

誰もAlisonの介護の質を疑っているわけでも
「充分な介護をしていないから娘の子宮摘出を望む資格がない」と言っているわけでもなく、
「体の完全性や尊厳への権利は親とは無関係なKatie固有の権利ではないのか」
との問題が指摘されているのです。

この記事はAlisonの苦難をひたすら書き連ねているし、
Alisonは自分の苦労を延々と語り続けます。
それは苦難の中で頑張っている人を批判するのが難しいことを、
彼らが無意識のうちに知っているからでしょう。
「重症の娘のケアに献身する美しき母親象」を強調することによって、
Katieの子宮摘出の是非の議論がいつのまにか母親の評価の問題へと摩り替えられていきます。

「Katieの話」が「母親の話」に変質するのです。

母性賛美によって批判を封じる──。
この記事が行っていることは、それ以外の何でもありません。


②これが重症児の介護の一般的な現実であり、
Alisonだけの現実ではないという事実が見落とされているのでは?

重症児のケアについて全く無知な人が予備知識なしに行き、
ケアの現実を目の当たりにすれば衝撃は受けるでしょうが、
上記の事実そのものは(語り続けるうちに多少の誇張がつい出てしまったということはあるにせよ)
重症児介護の現実であり、
Alisonだけが特別に過酷な日常を送っているというわけではないでしょう。

もちろん重症児だけに限らない。
形はそれぞれ違っても
、障害児・者、高齢者の介護はこれほど過酷であり得る。
それが介護の現実というものです。

その現実を目の当たりにしながら、
「何故このような介護者の過酷な生活が放置されているのか。
福祉サービスはどうなっているのか」という本質的な問題意識には向かわず、
「こんなに苦労している母親が言うことなのだから反対せず娘の子宮を取らせてあげよう」とは、
それは一体どういうジャーナリズムなのか? 

この記事の主張が通るなら、
Katieと同じような重症児には、親さえ望めば、
子宮摘出やアシュリーに行われたその他の処置ばかりか、
他にも未来志向の人たちが今後「障害者のQOL向上のため」だとして次々に思いつく可能性のある、
どんな「人体改造」だって許されることになるのではないでしょうか?

アシュリーの父親が誇りに感じているらしいrational thinkingと「QOLの維持向上」という題目、
そしてトランスヒューマニズムが説く 「同じ人間同士への配慮」が結びついて障害者に向かえば、

そこから立ち現われてくるのは、
いわゆる「社会モデル」も「医療モデル」も超越した(と彼らは恐らく主張するであろう)
障害者改造支援モデル」なのでは?


 
2007.10.18 / Top↑
その後、Katieに関する以下の2つの記事を読みました。



まず、事実関係についての疑問を。

10月7日のthe Daily Mailの記事ではKatieのメンタルレベルは「1歳半」とされていました。
それが同じ新聞の4日後の記事では「生後3ヶ月」。 
the Guardianの記事では「生後6ヶ月」。
そのいずれもが、根拠を提示していません。

              ――――――

以下、the Daily Mailの記事について。(the Guardianについては回を改めます。)

the Daily Mailは1月の”アシュリー療法”論争でもthe Seattle Timesと並んで、
父親側に偏ったセンチメンタルな報道をしていました。

このたびはKatie一家への(というよりもAlison一家への)1日密着取材を敢行、
いかにKatieのケアがたいへんであるかをドラマチックに、かつセンチメンタルに描写しています。



その中から、まずは新たに目に付いた事実関係(ただし内容は全て母親の言)を以下に。

・1992年3月31日に誕生。出生時に難産から58分間酸欠状態となり、ICUに運ばれた。(同じ新聞の7日の記事では酸欠状態になったのは38分間とされる。)

・退院後24時間のうち22時間泣き続けた。

・脳性まひの診断は生後4ヶ月の時に小児神経外科医から。

・栄養摂取は胃ろうにて。(Ashleyと同じ)

・学習障害の子どもたちの学校(?)に。帰りはタクシーにて(恐らく英国の福祉制度で支給されるのでは?)

・けいれん状に体がびくんびくんすることがよくある。

・高い悲鳴のような声を上げる、または低い声でうなっていることが多いが、気分のいい時には静かに車椅子に座っている。

・夜中に何時間も泣き叫ぶことがあり、近所迷惑なので周辺に家のない場所に引っ越した。

・身体接触を嫌がる。

・Alisonが母親だということも分かっていない。

・自分のニーズを伝えることができないので、ケアはAlisonと、7年前から同居しているパートナーの判断による。

・妹は11歳。

・Alisonは、もとPA。(Physician’s Assistantでしょうか?)

・AlisonとKatieの父親との間がうまくいかなくなった原因のひとつは、彼が娘の障害を受け入れられなかったこと。

・2人目の子どもを産もうと考えたのは夫婦間の亀裂を修復するためと、「正常で健康な子ども」を持つ経験をしたかったから。しかし妊娠5ヶ月目に離婚。

・パートナーのPeterはfloor fitter(カーペットを貼る職人?)。仕事で家に来た時に知り合った。すでに成人した子ども2人の父親で、Katieの障害を受け入れるのに問題はなかった。

・Katieの寿命は15歳から20歳といわれていたが、2人のケアが良いので25歳から30歳に伸びた。

・週に1度「ティーンズ・クラブ」に通い、定期的にお出かけにも連れて行ってもらう。

・時々、家族のレスパイトのためにKatieを預かってもらう。

・パリのディズニーランドやあちこちの行楽地にKatieを連れて行ってきたが、大きくなるにつれて難しくなっている。

              ――――――――

事実関係をここまで整理して、私が抱く疑問。

・この件については母親と婦人科医のコメントが紹介されているばかりで、
Katieの小児科医は登場していません
彼女を小さい頃から診てきた専門医がいるはずなのですが、なぜ出てこないのか。
今回の母親の希望について、またKatieの状態について小児科医の見解はどうなのか???

・Katieには、けいれん発作のコントロールが充分に行われていないのではないでしょうか? 
小児神経の専門医が充分なケアを行うことによって、
夜中の号泣やびくつきは改善する可能性もあるのでは? 
福祉はもちろん、医療的にも通常の重症児ケアの範囲でKatieの不快・苦痛を軽減する
(それは結果的に家族の介護負担の軽減に繋がる)ために
もっとできることが、残されているような気がするのですが? 
この点についても、重症児医療、障害者福祉の専門家の意見を聞きたいところです。

・脳性まひだけで「余命があと何年」という話が出てくることは考えにくいのですが、
最初にKatieの寿命が12-15歳だとされ、
その後、親のケアが良かったから寿命が延びて25―30歳というのは、
一体どういう立場の人がどういう根拠で言ったことなのか?


Alisonはこの密着取材の日もたいそう能弁だったようですが、
長くなるので、彼女の発言については次回に。
2007.10.18 / Top↑