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1月18日のDiekema講演の際に会場内外で抗議の声を上げビラを配った
障害者団体ADAPTの地元の2つの支部から当日の活動報告が出されていました。
色んなところを経由して以下のブログに転載されています。

Michigan ADAPT’s Ashley X Action
the Roving Activist’s Blog, January 31, 2008

まだアドレナリンが駆け巡っているような「凱旋報告」といった趣の文章なので
Diekema講演で起こったこと」のエントリーで紹介した地元紙の記事などと
合わせ読んだほうがよかろうとは思いますが、
気になった点のみ以下に。

①講演内容について

We were surprised at how technically he spoke of Ashley and how he said nothing of the social implications of these procedures.

我々が驚いたのは
Diekema医師がAshleyについてなんとテクニカルに語るのだろうという点と、
こうした処置が社会的にはどういう意味を持つかということに一切触れない点。

生命倫理カンファで
「小児科患者の利益を考えるに当たっては
 医療の範疇を超えて広範に」といった主張を行ったのは、
一体誰でしたっけ?

②講演後の質疑でADAPTのメンバーが
「なぜ介護の手段を考え直すというオプションを選択しなかったのか」
 と質問した際に、
そういう選択肢がとられなかった理由は
単に両親が使いたくなかっただけだったと
認めざるをえなかった。」

(これは一見なんでもないように思えますが、
 よくよく考えてみると相当に重大な発言なのでは?)

③講演後の討議についてかなり詳しく報告されています。
まず参加者の顔ぶれが初めて具体的に出てきましたが、
これが非常に興味深いのです。

医療関係者が複数
Diekema医師の弟(外見から分かる軽い身体障害がある)
賛否両方の立場の一般市民
重症児の母親が2人

Diekema医師の弟がここで登場していることに仰天します。
弟に軽い障害(事故によるもの)があることは
去年1月にもToronto Starの電話取材の折りに語っていました。
そのときの文脈から考えると、
今後彼が弟の存在をどういう方向で利用していこうとしているのか読めるようで、
汚いなぁ……と改めて懸念されますが
それについてはまた別エントリーで書こうと思います。


ところで討議では、
ファシリテーター(小児科医)が明らかにDiekema支持だったというのも、
重症児の母親はこのファシリテーターが自分の患者の中から選んで
いわばサクラとして仕込んだあった人たちだったというのも、
地元紙の記事から私が受けた印象と同じ。

ADAPTのメンバーやその他障害者らは会場の後ろに陣取って声を上げたようです。
ファシリテーターが彼らの存在と声を凌いで討議を進めるために
“そこの後ろの人たち”と何度も声をかけたようですから。

ADAPTのこの凱旋報告では、
会場での受け入れもよくて
「良くぞ言ってくれた」という類の声もあったということなのですが、
全体には地元記事のトーンから感じた懸念が
やっぱり当たっていたんじゃないのかなぁ……という気がします。

障害者団体が来ることを想定して
周到・巧妙に作戦を立てていた
Diekeme(+Ashley父?)サイドの思惑通りに、
障害当事者らが声をあげれば上げるほど世間の偏見が増強され
Diekema(+Ashley父)に有利に作用する……
という包囲網が既に敷かれてしまったのではないか……と。

もしかしたらこの講演自体がその作戦の一貫だったのかも。
講演の直前にDiekema医師が
「障害者団体からの嫌がらせ」を仄めかしたり
「Gunther医師がどんな目に会ったかを見たら誰も後は継がない」
などと発言していたし、

これを書きながら、ふっと思い出したのですが、
直接の担当医であるGunther医師が自殺した際にも、
同医師の自殺はヒステリックに非難した障害者団体のせいだ」という声が
トランスヒューマニストのブログから即座に出ましたね。
Ashley父が自分のブログに引用したトランスヒューマニストのブログでした。
2008.02.05 / Top↑
市場テロでの無責任な報道から
事実と確認されたわけでもない物語が作られて一人歩きしている件で、
それでも次から次へと流れてくる刺激的なニュースに取り紛れて
この事件も既に忘れられ始めているのが現実なのだと痛感するにつけ、

実は世の中にはそういう物語で作られた“事実”があふれていて
我々はそういう物語の積み重ねの中で世の中を眺めているに過ぎないのかもしれない──

などと考えてしまうのは私の場合、
“Ashley療法”事件とどうしても重なって見えてしまうからというに過ぎないのですが、
その“Ashley療法”論争の際に日本で起こったことを。

            ――――

去年の1月に世界中で論争が巻き起こったとはいえ、
遠い(?)米国で1人の重症児に行われた過激な医療を
日本で取り上げたメジャーなメディアはほとんどなく、
ニュースを広げたのは主にインターネット上のニュース・サイトのようでした。

いくつかのサイトが海外ニュースを紹介する形で報じた中で
非常に残念なことに
「(Ashleyの)知的機能は既に失われ」と書いた記事がありました。
Ashleyが植物状態であるかのような印象を与えますが、
これは明らかに事実誤認なのです。

おそらく、いくつかの英文記事を読む過程で
記者が予め持っていた重症児のステレオタイプやスティグマによって
そういう誤解が頭に植えつけられていったものでしょう。

ほんの10文字──。
長い記事の全体からすると、ほんの小さな部分です。
しかし、たまたま最も早く最も詳しかったために、
この記事は多くのブログにコピペされて広まりました。
そして
「知的機能が失われているのだから、やむをえないかも」などの意見の論拠となりました。
この記述から「Ashleyには感覚がないのだから」と理解した人もありました。

当時、私には理解できにくかったのは、
そうした議論をしている人の中に
Ashleyの写真を見た人も少なくなかったこと。

Ashleyの笑顔を見ながら、
どうして、それが「知的機能は既に失われている」子どもだとの記述を
疑わずにいられるのか……。

それが私にはどうしても分かりませんでした。

今もよく分からないのですが、
まず多くの人は重症児の現実を直接的に知らないからかもしれない。

その記者と同じステレオタイプやスティグマが読者の側にもあった場合には
Ashleyの表情の豊かさには注意を引かれないのかもしれない。

それが、自分の見たいものだけを見てしまう
スティグマというものの怖さなのかもしれない、と思ってみたり。

もう1つには、
私たちはニュースを読むときには基本的に内容を信頼しているということ。
だからこそニュースから受ける衝撃が大きければ、
心が波立っている分だけ余計に、
冷静に自分の頭で検証しながら読むよりも、
早く事実を知ろうとしてしまう。

(イラク市場テロの爆破犯が知的障害者だったと聞くと、
 私も衝撃の方が先に来てしまって
「どうして分かったんだろう」という当たり前の疑問が
 とりあえず引っ込んでしまいました。)

そして私たちはAshley事件でも市場テロ事件でも
メディアから受け取った物語の上に立ってそれを論じる。
強固な事実という土俵に立って自分は論じていると信じている、
その土俵が実はぺらぺらのベニヤ板でできたニセモノかもしれないなどと
疑ってもみずに。


でも一番怖いと思うのは、
1年前、Ashleyに行われたことに衝撃を受けて心を波立たせ、
人と話し合ったり、ブログに意見を書かないでいられなかった多くの人が、
本当はどういう事件だったのかという事実や真実を知ることもないままに、
あっという間にこの事件への関心を失ってしまったこと。

けれども、その人たちの記憶の中には
英米のメディアが流した物語とあいまって、
「知的機能が既に失われて感覚すらないアメリカの重症児に
親が愛情からこんな処置をした。
病院の倫理委も本人の利益だとして承認した」
という物語が“事実”として残ってしまったこと。

その“事実”だけを記憶に残して、
まだ続いている事件には
もはや誰も感心を持たないように思えること。

このまま事実が隠されてしまったり、
巧妙に何かを進めていくことを願っている人たちにとっては、
とても都合のいいことに。
2008.02.05 / Top↑
「知的障害者の女性に爆弾を巻きつけて遠隔操作で爆破させた」という物語が
一人歩きしているイラクの市場テロ事件ですが、

2月2日に日本のメディアがどういうタイトルでニュースを打ったかを以下に。

市場テロは知的障害ある女性に付けた爆弾…イラク軍報道官(読売新聞)
自爆女性は知的障害者か=市場のテロ、死者99人に─イラク(時事通信)
知的障害女性爆弾に 遠隔操作で爆破? 72人死亡 バグダッド(産経新聞)


よ~く見ると、
読売は「あくまでもイラク軍報道官の発表ですよ」
時事通信は「知的障害者“か”と書き断定はしていませんよ」
産経も「遠隔操作で爆破?と、疑問符をつけていますよ」
と、いずれも事実でなかった場合の微妙な逃げを予め打ってあるのですね。

しかし、このニュースに衝撃を受けた人たちのブログを見る限り、
ほとんどの人がタイトルを見て衝撃を受け、
タイトルから受けた「なんて酷いことを!」という衝撃の中では“か”も“?”も意味を留めず、
「そういう事実があった」との前提で本文が読まれたのです。

(私自身、読売の記事を読んだ後
「なんで分かったんだろう」との漠然とした疑問はありながらも
NYTimesの記事を読むまでは事実だと考えていました。)

読売は確かにイラク軍報道官の発表だと本文でも書いていますが、
それに続く部分が
イラクでは最近、女性による自爆テロも起きていたが、知的障害者を利用した爆弾テロは異例。同国で暗躍する国際テロ組織アル・カーイダ系武装勢力などによる、新たな「手口」の可能性もある。
というのでは、
やはりイラク軍の報道官の発表が事実であることを前提にした記事だとの
印象を与えるのではないでしょうか。

そもそもタイトルで上記のような“逃げ”が打ってあるのは、
タイトルをつけた人たちの頭に「事実でない可能性もある」との認識があったからでしょう。

それならば、なぜもう少し冷静・正確な報道ができなかったのでしょうか。
2008.02.04 / Top↑
「心は実験できるか――20世紀心理学実験物語」という本の中に、
ロボトミー批判は向精神薬にも当てはまると書かれた部分があり、
興味を引かれたので。

著者のロボトミーについてのスタンスは
「患者の苦痛を実際に軽減した面もあり
純粋な悪としてしまうのは短絡的」とするもの。
むしろ過去の精神外科医療との2極的な善悪対比によって
現在の精神医学的治療が不当に正当化されているのではないかと
警鐘を鳴らしている箇所です。

昔行われていたことはしらないけれど、今行われていることはわかっている──私たちはプロザックやリタリンを口に放り込みながら、あるいは自分のホルモンをいじり、幸福を願ってエストロゲンを刺激しながら(転写ミスではなく原文のままです)、そう考える。けれど、実際のところ、現在の治療法はかつての治療法とどう違うというのだろう。
(p.361)

そしてロボトミーで批判された「限定性」、
つまりロボトミーがターゲットとした部位に明確な科学的根拠が欠落していたことを
現在の向精神薬に当てはめれば、

けれども、事実として、プロザックが脳の中でどう機能しているか分かっている人はいない。そのメカニズムは誰も理解していないのである。……ロボトミーと同じく、プロザックも、なぜ効くのか誰にも分からない。
(p.362)

もう1つロボトミーで批判される「不可逆性」、
取り返しが付かないという点に関しては、

けれども、現在私たちが、向精神薬の服用により、まだ明らかになっていない恒久的障害を被っている可能性がないとは誰にも言えない。精神科医のジョセフ・グランミュレンは、プロザックは脳の中にアルツハイマータイプのプラークと混乱をもたらす原因となりうると警告する。プロザック服用者の多くがもの忘れを訴え、車のキーの置き場所や、車をどこに駐めたかすら思い出せないというのは、そのせいである可能性があるとグレンミュレンは指摘する。最新の薬でさえ、長期にわたって服用を続けると回復不能な運動障害を引き起こしかねないとされる。二十年もすると、このプロザック国家は忘却の時代へと進んでいくことになるのかもしれない。
(p.362)


Ashley事件の担当医らが論文で
「前例がない以上、効果もリスクも想像するしかない」と書いた過激な医療が
6歳の子どもに易々と実施されてしまうことにも、

あるかもしれない未証明の効果は追求してみたいが、
 副作用は未証明である以上ないものと前提する
といった“科学的な姿勢”が関係しているのかも。


------ ------


「心は実験できるか――20世紀心理学実験物語」
ローレン・スレイター著 岩阪彰訳
紀伊国屋書店 2005

20世紀の大きな心理学実験を取り上げて
それぞれの背景や顛末、後世への影響を解説するという内容なのですが、
情緒的な思い入れが小うるさくて
amazon の書評「著者が邪魔」に座布団1枚。

しかし、いくつかの章はホラーとして濃密な読後感あり。
2008.02.04 / Top↑
自前で取材したと思われるWPの以下の記事によると、

イラク内務省のスポークスマンは
「目撃者も警察も犯人の女性が2人とも知的障害者だったと言っている」
と述べたとのことですが、

米軍関係者は「そういう主張を裏付ける証拠はない」と。


After Months of Relative Calm, 2 Deadly Blasts Rock Baghdad
By Joshua Partlow
Washington Post Foreign Service, February 2, 2008



どうも……
”Ashley療法”論争とその背景について調べ始めて1年になるのですが、
この間を通じて何よりも目に余ると感じるのは
メディアのいいかげんな報道姿勢。

あまりにも無自覚・無責任。


【追記】2月3日午後

その後、イラク側の発表を鵜呑みにしたタイトルを打ったニュースや
そのタイトルを鵜呑みにしたブログでのこの事件を巡る書き込みが
どんどん出ているようなのですが、

真実がどうだったかということは置き去りにされたまま
ニュース・タイトルの衝撃だけが広く皆に共有されて
わぁわぁ騒がれているうちに

いつのまにか

もしかしたら真実でもなければ事件の本質でもないかもしれないタイトルが
逆に”真実”を創作し定着させていくようにも思えて

(真実も本質もメディアが隠蔽・変質させてしまった
 Ashley事件の構図と似ていますね。)

よく本文を読めば「イラク側がそう発表している」というだけのニュースが、
センセーショナルなだけで真実でも本質でもない無責任なタイトルによって
「事実がそうだった」というニュースとして広がっていく。

これはとても怖いことなのでは?
2008.02.03 / Top↑
以下のAFPの記事を読んでみました。
なんか、なぁ……この話、ちょっと怪しく思えてきたのですけど……

「バグダッドの爆破犠牲者98人に上り米国は”狂っている”とアルカイダを非難」
US slams “twisted” Qaeda as Bagdad bombs toll rises to 98
AFP February 2, 2008

バグダッド駐留米軍コマンダーが記者会見で言ったことと、
イラク軍・当局の関係者数人が言ったこととで
記事が構成されており、
いずれも犯人とされる女性が2人とも知的障害者だったと断言しています。

しかし、その根拠はというと、
2人が非常に似ていたこと
ダウン症っぽい顔つきだった
という程度の話。

さらに、おや?と思うのは、
知的障害者だったという情報にくっついて出てくる内容も
どれもこれも憶測に過ぎないことが事実のように語られているのですね。

例えば米軍のコマンダーは
犯人が2人とも女性でよく似ていたと述べたうえで
「2人には知的障害があった形跡がある」
(健常者よりも)状況を把握しにくいためにアルカイダに使われたのだ。
 身体を調べられることも少ないし。

いや、でも憶測をそんなに断定的に語ってはいけないのでは?

一方、イラク軍のコマンダーは
2人に知的障害があったことには確信がある(he was sure)と語り、
写真もある。
似ていますよ。
モンゴロイドっぽい顔つきです。 
信用できる情報があるんです。
と言いつつ、

しかし、
2人が血縁だったかどうかはまだ分からないとも言っている。

驚くことに、この人はさらに
2人は誘拐されたと見られ、
自分たちが送られた先で死ぬことになるとも気づいていなかった
これまた憶測を事実のように語る。

そして、
アルカイダは過去にも子どもを使ったことがある。
 あいつらはどんな非人間的な手段を使ってでも汚いことをやるのだ
と、どうもここのところを一番強調したかった様子。

米軍のコマンダーが記者会見でぶち上げたのも、
イラクのアルカイダが
狂ったイデオロギーを使って人の心に恐怖を拡げようとしている」。

ああ、それから「遠隔操作」に関しても、
イラク軍の関係者は「知的障害のある女性に爆弾をくくりつけて遠隔操作で爆発させた」と語ったようですが、
米軍のコマンダーは「遠隔操作の形跡はない。起爆の方法は不明。」と。


この人たち、
その2人の女性が知的障害者だったという証拠を
今後きっちりと出す責任があると思いますが。

そうじゃなかったら、
「障害」を利用したり道具にしたのは一体どっちなんだという話にも
なりかねないのでは?

             ―――――――


もう1つ、
これもまた気にかかるのですけど、

キーワード検索をかけると
あちこちのメディアのニュース・タイトルの中で
やたらと目に付くのが以下。

Mentally impaired female bombers kill 64 in Baghdad markets
(知的障害女性爆弾犯バクダッドの市場で64人を殺害)


もちろん自前記事は少ないから
Yahoo!Newsみたいに
上記のAFP伝のタイトルをこういうふうに変えてたりするわけですが、

事実確認もされないうちに
世界中でこんなタイトルがわんさと流れたりして
本当にいいのかなぁ……。

それに、このタイトルのなんとな~く嫌な響き……。
アルカイダへのネガティブ・キャンペーンが入っているとしても
これでは知的障害者のスティグマも強化されそう
……って、勘ぐりすぎでしょうか?
 


2008.02.03 / Top↑
Yahoo!Japanで記事タイトルを見て、思わず唸った。
許せない。




以下のNYTimesの記事では、

イラク軍のスポークスマンがAP通信に語った話として
「自爆したのは知的障害者 」と書きつつも
決定的な証拠が示されたわけではない」とも。

米軍が出したプレスリリースでは
「イラク当局から女性が知的障害者との発表があったことは承知している。
それ以上の我々独自の報告は得ていないが
イラクの発表を疑う理由もない」

また記事の後半には
「市場で(2人のうち1人の)女性の切断された頭部を調べた結果
ダウン症だと結論付けられたとのイラク内務省警察部隊の高官発表があった」

ただ
「以前にもイラク官憲は同様の発表をしたことがあり、
爆発の衝撃で頭部にゆがみが生じた可能性の有無はすぐには分からない」とも。

(これは以前の発表は間違いだったということでしょうか。
それから顔で判断したということ?
 染色体を調べたのではなくて? )

Two Bombings Wreak Carnage in Iraqi Capital
The New York Times, February 2, 2008

チェックポイントでの検査が強化されて
車に仕掛けたのでは通過しにくくなったために、
チェックポイントで検査を受けない女性を使うという
新たな戦術に出たものだろうとの見方も。

その女性に関連した部分を
とりあえず原文で以下に。

Iraqi security officials said the women were mentally disabled, but offered no conclusive evidence. The Iraqi officials said the bombs were set off by remote control.

Iraq’s chief military spokesman in Bagdad, Brig. Gen. Qassim al-Moussawi, told The Associated Press that the bombers were mentally impaired.
Other officials made similar claims. Maj. Gen. Abdul Kareem al-Ezzi, a senior officer in the Ministry of Interior police commandos, said officials at the Ghazil market concluded after studying the bomber’s severed head that she had Down symdrome.But Iraqi officials have made similar claims in the past, and it was not immediately clear whether the bomber’s head could have been distorted by the blast.

記事ではこのすぐ後に露天商の目撃談が続いており、
彼が爆発の数分前にこの女性を見かけた際には
「見たところ普通に行動していた(apparently behaving normally)」、
「小さな男の子の手を引いて後ろを振り返りながら歩いていた姿は
 落ち着いていた(she wasn’t uncomfortable at all)」と。

爆発後に切断された頭部を見て、その時の女性だと気づいたが
男の子の姿が消えていた、
無垢な眼差しが忘れられないので
あの子がどうなったか気になる、とも。

【追記】
しかし、
1人は何らかの手がかりがあってダウン症と判断したのだとしても
染色体を調べたのでなければNYTimesが言うように根拠が乏しいし、

さらに
もう1人の女性が知的障害者だったというのはどういう根拠で判断したことなのか?

この話、もしかして、ちょっと……??

【追追記】
上記NYTimesの記事の中に、
女性だとチェックをかいくぐりやすいという点で、
最近は自爆テロで死んだ兵士の未亡人から志願者を募っているらしい
という話もありました。


     ------------


もちろん障害に付け込んで武器として利用するなどという卑劣は
どんなに憎んでも憎みきれない非道ですが、

知的障害者だから治療をさっさと切り上げて臓器を取ってしまおうとか、
障害者だから病院から追い出して路上に捨ててしまおうとか、
障害があるから親に殺されてもやむをえないところがあるとか、
障害者だから生まれてすぐに殺してもいいだろうとか、

健常者の利益や都合のために
障害のある人の命を軽んじる、
または障害に付け込んで、障害をいいわけに理不尽な扱いをするという意味では
根っこにあるものは違わないのでは?

これが本当にイラク当局の発表どおりの事件だったにせよ、
もしも何らかの意図で流されたガセだったにせよ、

この事件もその他世界のあちこちでもう少し目立たない形で起こっていることと同じ、
障害者に向ける世の中の目がどこか決定的に変質しつつあることの1つの表象なのでは
……という気がしてくるものだから改めてまた背筋が冷たくなるような……。
2008.02.02 / Top↑
日本で起きた中国製毒入りギョーザ騒動2日目の31日、
NYTimesには中国での白血病治療薬汚染の話が出ています。

国営の大規模製薬会社が作った白血病の薬が汚染されて
去年の夏に200人近い中国の癌患者らがマヒを起こしたとか。
この事件で上海警察が刑事事件として捜査を開始、
既に工場責任者2人が逮捕されるなど、
国を挙げてのスキャンダルに発展しているとのこと。

この製薬会社 Shanghai Hualianは20数カ国に薬を輸出しているというのですが、
日本は大丈夫なのでしょうか。


-------


ところで、
去年アメリカでは中国製のオモチャの塗料とか
ペットフードの汚染が問題になっていましたが、
この汚染薬品スキャンダルは直接的にアメリカで被害が出たわけでもないのに、
何故こんな大きなニュースになっているかというと、
この会社がアメリカで使われているRU-486と呼ばれる経口中絶薬の唯一の製造元だから。

同じ会社とはいえ、問題の白血病の治療薬を作ったところとは別工場で作られているとか、
そちらの工場については上海のFDAがしっかり査察しているとか、
内容はそういったニュースなわけです。


このRU-486については
つい最近気になる記事を読んだ覚えがあったので
当たってみたら1月22日のWashington Postに
As Abortion Rate Drops, Use of RU-486 Is on Rise

プライバシー権に含まれるとして初めて女性に中絶権を認めた
Roe v. Wade 裁判から35年、
アメリカの中絶事情も様変わりして、
中絶の全体数が減っている一方で
2000年に認可された経口中絶薬RU-486の使用が急増しているというニュース。

女性には自宅で目立たずに中絶できる点が好評で
医師にとっても、
中絶を行うクリニックはどうしても目に立つけれど
経口中絶薬を処方するのは外部からは伺えないので
プロ・ライフ派の批判を浴びにくいという利点があって、
これまで中絶はしないという方針だった医師の中にも
経口中絶薬を処方する人が増えてきているとのこと。

これはつまり、誰にとっても「お手軽だから」ということですね。
リスクが全くないというわけではないのですが。

どうも英米のニュースからは、
様々な薬がとても安易に濫用されて、
それを当たり前と感じる文化が広がりつつあることが懸念されます。

6歳の子どもにエストロゲンを大量投与するなどという考えも、
こうした背景の中から出てくるものでしょうが、
インターネットでの薬の売買をちょっと覗いただけでも
薬の濫用は日本でも実は意外なほどに広がっているのでは、という気もします。

WPの記事では生殖医療の専門家団体のメディカル・ディレクターが
この薬のインパクトと将来性は大きいですよ。
 このまま中絶をごく普通のことにしてしまうでしょう。

まるで製薬会社のプロパーさん(MR?)が営業しているみたいに。


         ―――――――

ちょっと古い記事ですが
シアトル在住の日本人助産師さんが
RU-486を巡るアメリカの医療を解説しているサイトがありました。
リスクについても詳しく書かれています。
女性の健康 第4回:中絶ピル


RU-486に関する日本の厚労省の見解はこちら
2008.02.02 / Top↑
前回のエントリーで紹介したMedill Reportの記事では、
脳性まひ協会や昨年5月のWUのシンポでも発言していた障害者団体のArcの
Ashleyケースについての見解のほか
当初から批判していた倫理学者のArt Caplanの言葉などが紹介されています。

その中でCaplanは以下のように述べています。

子どもが大きくなっても親が対処できて行き詰らないように
こういう状況にある親には、
もっと在宅支援とカウンセリングや休暇が必要なのです。

子どもを施設に入れることが恐ろしくてならないということにならないように、
施設のケアが改善される必要があります。


これは、私自身も“Ashley療法”論争の始まりから
ずううううっと疑問だった点。

健康な身体に親の勝手でメスを入れて健康な臓器を取ったり
発癌リスクが云々されるようなホルモンを大量に子どもの身体に投入することよりも
施設に入れる方がよほど“ひどいこと”だというのは、
どうにもバランスを欠いた感覚と思えてならず、

そこにあるのは
「重症児にはどうせ何も分からない」というステレオタイプと同じ、
「施設というのはひどいところに決まっている」というステレオタイプなのでは?

本当に米国の障害者施設がそれほどひどくて
Ashley父らが言うように「入れたら高い確率で職員にレイプされてしまう」ような場所なのであれば、
その施設をもっとまともなところに改善することの方が
よほど社会の急務なのではないでしょうか。

だって、現に様々な事情から施設で暮らしている障害児は沢山いるのだし、
障害を持つ子供がみんなAshleyのように財力のある両親に恵まれているわけではないし、
それどころか人生には何が起こるかわからないのだから、
どの親だって、いつ障害のある子どもを置いて逝くことにならないとも限らない。

それならば、
将来子どもが誰かにレイプされて妊娠することを想定して
早々と6歳の子どもから子宮を摘出するよりも
そんなことはまず起こらないと信頼できて
親にいつ何があっても安心して子どもを託すことができる
安全で快適な居場所がこの世の中に確保されることの方を
考えたらどうなのか、と。

広く重症児のためだとの謳い文句で
財力のある親にしかできない過激な医療処置を喧伝するよりも、
どんな家庭に生まれたどんな境遇の重症児であっても
安全で幸福な生活が保証される世の中のありかたを模索する方が
よほど本当に「広く重症児たちのため」なのではないか、と。


        ----

去年の論争当時から、
Caplan は「重症児にも成長する権利がある」という点と、
障害児の親が社会福祉への信頼と希望が持てないことが問題」だと指摘しています。
当ブログの関連エントリーはこちら。

2008.02.01 / Top↑
Northwestern大学・生命倫理学部の企画で毎週行われている講演の1つとして
1月31日に“訓話としてのAshley X”と題する講演があった模様。

原題は Ashley X as a Cautionary Tale。

講演者は同大学のMedical Humanities & Bioethics の准教授 Kristi Kirschner。

この講演をアナウンスするMedill Reports というサイトの記事(1月30日)で
Karischnerの発言を拾ってみると、

医療では障害がきちんと教えられていません。
医療提供者はすぐに他の医療上のニーズと関連付けて見がちですが、
障害は人間のコンディションの一部です。

力関係と文化の問題によって議論から取りこぼされる可能性のある人のことを
しっかり時間をかけて考えることが重要です。

このような検討には広範な視点が含まれていなければなりません。


Northwester大学の該当サイトはこちら

もしかしたら、この先、講演がPodcastで聞ける可能性もあるようですが……???
2008.02.01 / Top↑