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フロリダ州で去年の暮れに脳卒中で寝たきりになった57歳の女性Karen Weberさんを巡り、
植物状態だから栄養と水分補給を停止してホスピスに移したいとする夫と
目と頭の動きで意思表示が出来る、本人は生きたがっていると主張する母親が対立、
第2のTerri Schiavo事件となっています。

夫の訴えを受けた裁判所は
神経の専門医1人と心理学者2人の委員会を設置し、
本人に意思決定を行う能力がある(competent)かどうか委員会が判断するまで
栄養と水分供給の継続を暫定的に命じています。

なお、本人は倒れる前にこうなった場合について意思表示をしていませんでした。


上記リンクにニュースビデオがあるのですが、
ものすごくショックだったのは
その中にあったTerri Schivoさんの方の映像。

これまで私は静止画像でしかSchivoさんの姿を見たことがなかったので、
ビデオで彼女に表情があること、目の動きが「分かっている」と思われることが
とてもショックでした。

これだけ表情のある女性が、ただ客観的な意思表示ができないというだけで
既に他の女性と暮らしている夫の訴えを受けた裁判所の決定によって
栄養と水分を与えられず餓死させられてしまったのだと思うと
やっぱり考え込んでしまう。

その後Terri Schivoさんの家族はthe Terry Schindler Schiavo Foundationという財団を立ち上げ、
無益な治療論による障害児・者、高齢者の医療中止に反対する運動を続けていますが、

Karen WeberさんのケースについてもTerriの弟のBobby Schindlerが
強く批判する文章を書いています。


彼がこの文章で警告しているのは

多くの人が知らない間にアメリカの病院では
「生命の質」や「本人の最善の利益」、「無益な治療」などの議論によって、
肉体的・精神的・知的に“劣っている”人たちを脱水によって死なせることが慣行化しており、
家族の間に意見の対立さえなければ表に出ることもない、ということ。

かつては「基本的なケア」だとされていた栄養と水分の供給が
いつのまにか「人工的な栄養と水分」であり「医学的な治療」と捉えられて
個人が拒む権利を行使する対象となり、
または病院が「無益な治療」を主張する対象に含まれてしまったということ。


今回のフロリダの裁判所のリーズニングで行けば、
本人に生きたいという意志決定を行う能力があるかどうかを委員会が判断するのだけど、
その能力があれば本人が自分の生死を決めるとしても、
その意思決定の能力ないと判断された場合には
それが栄養と水分の供給を中止して餓死させるという決定に等しいと考えられているようで、
その点が「何故そうなるんだろう、飛躍しているんじゃないのか」と疑問だったのですが、

この点についてBobbyさんは
要するに自分で意思決定能力がある(competent)ことが
ここでは生きるに値する条件になっていると非難していて、

理屈の上では本人に意思決定能力がないのだから
「それが本人の最善の利益だと判断する夫の代理決定」ということになるのでしょうが
実際はBobbyさんの言うとおり、いつのまにやら、
「自分で意思決定できなければ生きるに値しない」ということになっていくということでは?

不可逆なターミナルで耐えがたい苦痛がある時に自分の意思決定が明確である場合にのみと、
限られた条件が揃っている時にだけ、
それでも拒否できるのは「延命のための治療」だったはずのところから、
ずいぶんかけ離れたところまで事態はものすごい速度で進んでしまって、

しかも、

いつのまにか現場での慣行の方が既成事実を作って、
そちらが主導で世論を後追いさせているかのような変化の速さ……。

2008.07.13 / Top↑