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英国の介護者支援施策は高齢者だけではなく、
広く障害児・者・病人の介護している人も対象にしています。
(この論旨には関係しませんが、家族の介護を担う子どもへの対策も講じられつつあります。)

私には英国の介護者支援について関連記事を読むたびに
自分や周囲の障害のある子どもの介護を巡って考えることがあって、

障害をもつ子どもを育てるのは「介護」ではなく「育児」でしかないのか――。

障害のない子どもの子育てに比べてどれほど負担が大きくても、
それは「育児」だから、あれもこれもすべてひっくるめて
「あなたがお母さんなんだから」、
「親ががんばらなくては」という話になるのかなぁ……と。

社会の潜在意識の中に「子どものために献身する美しい母の姿」「無私の愛」に対する憧れが根強くて、
また親、特に母親自身も、そうした社会の母性信仰、「献身する母親」モデルを内在化しているために、
「もうこれ以上できない」、「助けて欲しい」と感じることがあったとしても、
内在化された母性信仰によって「こんなことを思う自分は、なんて酷い母親なんだろう」と
逆に自分を責める心理が働いて却って負担やストレスを抱え込み、
外に助けを求めようとする声を自ら封印してしまう。

それは、本来の「育児」期間が終わっても続いていて、
子どもに障害があったら、その子が30や40になっても、場合によっては高齢になっても、
親がその子をケアするのは「介護」というより「育児の延長」と捉えるような
いつまでも「親子の愛し愛される、世話し世話される関係」の中で「介護」を眺めるような
そんな意識が、どこか漠然と文化の潜在意識のようなものとして、
ありはしないでしょうか。

最近、障害のある子どもたちに向ける社会の空気が冷え込んで、
親の大きな介護負担と、それを担う親の愛情によって
Ashleyに行われた過激な医療や Katie Thorpeの子宮摘出希望が正当化されたり、

また例えば「親は自閉症の隠れた犠牲者」の記事のように
情緒的で過剰にネガティブな親の介護負担の強調がそのまま
障害そのものへのネガティブな視線へとずらされていくような事例が
非常に気になるのですが、

Ashley事件で賛美された「大変な介護をものともしない親の愛」と
「親の介護負担はこんなに大きく、親は犠牲者」との間には
とてつもなく大きな距離がある。

その2つの間にこそ、できること、やるべきことが沢山あるのでは──?


通常の育児の範疇を超えて大変な介護負担を担っている親には
「子育て」として距離を置くのではなく、
「子育ても含めた介護」と捉えて、そこにしっかり支援をする。

療育を通じた子どもへの直接支援だけではなく、
介護者としての親への支援を行う。

「どんなに自分が辛くても明るく優しく子どもに献身する親の愛」という情緒を完全に廃して、
どんなに愛情があっても生身の親が1人で背負うことの出来る負担には限界があるという現実を認め、
親が支援を求めやすい文化的な土壌を作る、
そのうえで丁寧に現実的な支援を考えていく。

もう、愛情さえあれば何でも出来るかのように親を追い詰めるのはやめよう、

だけど、親を「犠牲者」や「被害者」にしてしまう視点に短絡する前に
するべきこと、できることは、まだまだ沢山あるはずだよ……と思う。

障害のある子どもの子育てや介護には、
負担感だけじゃなく、喜びも楽しみも幸せだって沢山ある。
余裕がなければ、それを感じにくい時だってあるかもしれないけど、
適切な支援が得られて親に心と体の余裕があれば、
嬉しいこと楽しいことが、そのまま嬉しいこと楽しいことと受け止められるようになる。

子どもとの時間にそんな心の弾みを感じられる余裕があれば、
きっと「犠牲者」や「被害者」にまでならなくて済むんじゃないだろうか。


         ―――――

“Ashley療法”論争の時に
Northwestern大学の医療倫理の教授 Alice Dreger氏が
Hastings CenterのブログBioethics Forumに発表した論考「Ashleyと無私な親という危険な神話」
Ashley and the Dangerous Myth of the Selfless Parent(January 18, 2007)は
障害児の親の介護負担を考える際のこうした陥穽を見事に指摘していました。

2008.07.04 / Top↑
6月10日に発表された英国の新しい介護者戦略については既に紹介しましたが、
介護サービス改革を巡る当事者チャリティの動きを2つ、メモ的に。

Right care Right deal
The right solution for social care

高齢者介護に関る以下の3つのチャリティが共同で立ち上げたもの。



②中でも介護者支援チャリティのCarers UKは
さらに独自にキャンペーンを立ち上げて介護サービス改善への提言を行っている。

その名も Back Me Up

これは発音する時には Back Me up と、Meを強調するんだろうな。
「介護者である私を支えて」ということなのだから。

日本の介護者も、もっと声を上げたいですね。
「介護者である私だって支援が必要なんです。私を支えて!」
2008.07.04 / Top↑
Brown首相が就任時にNHS改革担当として保健省副大臣に起用した
現役外科医のAra Darzi卿がとりまとめた
今後10年間のNHS改革案が6月30日に発表されました。

High quality care for all: NHS Next Stage Review final report

こちらからサマリー、全文ともダウンロードできます。
全文は84ページ。

事実上の統廃合による病院機能の集約化と成果主義導入……。
患者の満足度と治療のアウトカムによって病院にボーナスと罰金だとか。

現場が首を絞められるというのは、「改革」に付き物の「痛み」なのかしらん。

       ―――――

同時に初のNHS憲章の草案も発表されており、
NHSは10月までパブリックオピニオンを募集。

NHSの当該サイトはこちら


【追記 7月7日】

The Lancet 最近刊に
Darzi卿が発表した今後10年間のNHS改革案についてのコメントがありました。

「急速に変貌する今の世界における医師のprefessionalism」という視点から書かれたもののように思われ、
referrenceに面白そうで読んでみたい文献もあるのですが、
たぶん本文もこちらも読めないと思うので、一応のメモ。

The Darzi vision: quality, engagement, and professionalism
Richard Horton
The Lancet 2008, 372; 3-4
2008.07.04 / Top↑