前のエントリーで取り上げたKenneth Fisherという腎臓専門医のブログは
Healthcare in America(アメリカの医療)というタイトルの通り、
アメリカの医療制度改革を考えるものなのですが、
ブログの副題に次のように書かれています。
Healthcare in America(アメリカの医療)というタイトルの通り、
アメリカの医療制度改革を考えるものなのですが、
ブログの副題に次のように書かれています。
Before we can hope to have universal healthcare coverage, we must first solve the problems that make healthcare so outrageously expensive.
国民皆保険を考えるよりも先に、まず
医療を言語道断なほど高価にしている問題を解決しなければならない。
国民皆保険を考えるよりも先に、まず
医療を言語道断なほど高価にしている問題を解決しなければならない。
特に彼が具体的な解決策として提案しているのが
独自に考案した「入院時事前意思票」。
ブログの5月23日のエントリーで詳しく書いています。
独自に考案した「入院時事前意思票」。
ブログの5月23日のエントリーで詳しく書いています。
The Problems with Advance Directives, Inappropriate Care and A Solution
Healthcare in America, May 23, 2008
Healthcare in America, May 23, 2008
現在、患者は自分が意思決定できない状態に陥ることを予め想定して
自分が受けたい、または受けたくない医療の内容について事前意志(advance directives)を
表明しておくことが出来ますが、
実際に事前意思を行使しているのは米国人の20%。
自分が受けたい、または受けたくない医療の内容について事前意志(advance directives)を
表明しておくことが出来ますが、
実際に事前意思を行使しているのは米国人の20%。
しかも事前意志のシステムはいわば「オプト・アウト」なので
事前意志が明記されていない患者については
医療サイドは「手を尽くす」ことが前提になっています。
事前意志が明記されていない患者については
医療サイドは「手を尽くす」ことが前提になっています。
そもそも心肺蘇生というのは
患者人口もまだ若くてメディケア制度もなかった時代に生まれた技術で、
こんなに患者が長生きの高齢者でターミナルが多いという時代には合わない。
患者人口もまだ若くてメディケア制度もなかった時代に生まれた技術で、
こんなに患者が長生きの高齢者でターミナルが多いという時代には合わない。
Fisherに言わせれば、
今や「意思表示なければ手を尽くす」前提こそが医療資源の無駄遣いを生んでいる。
今や「意思表示なければ手を尽くす」前提こそが医療資源の無駄遣いを生んでいる。
そこで彼は心肺蘇生について基本ラインを「行わない」こととし、
敢えて「行う」と明記した患者についてのみ行う「オプト・イン」方式を提案するのですが、
ただしオプト(選択)するのは患者の意思ではなく医療サイドの判断。
敢えて「行う」と明記した患者についてのみ行う「オプト・イン」方式を提案するのですが、
ただしオプト(選択)するのは患者の意思ではなく医療サイドの判断。
Fisherの「入院時意思表示票」の中心部分を以下に
患者にはエビデンスに基づき個別に吟味された医療を受ける権利がありますが、価値のない医療を受けることは出来ません。利益ある医療(患者への利益がリスクを大きく上回るもの)が何かを決定する責任は医師チームにあります。争議が起こった場合には病院内の委員会(適切な医療委員会)が開かれます。委員会は1事業日以内に決定を下します。
患者に提供されるのは
「利益がリスクを“大きく”上回る」と医師チームが決めた医療のみであり、
「利益がリスクを“大きく”上回る」と医師チームが決めた医療のみであり、
患者に与えられているのは、
その中からさらに「これはしないでください」と拒否する権利のみ。
その中からさらに「これはしないでください」と拒否する権利のみ。
この入院時事前意思票をFisherは
メディケア、メディケイドで医療を受ける患者に義務付けようと言います。
メディケア、メディケイドで医療を受ける患者に義務付けようと言います。
著作権まで取得して、
ブログ読者に向かって
それぞれ自分の選挙区の議員にこの様式を送って採用するように働きかけろと呼びかけています。
ブログ読者に向かって
それぞれ自分の選挙区の議員にこの様式を送って採用するように働きかけろと呼びかけています。
現物はこちら。
ご丁寧なことに、
読者が議員に送る際に添付する手紙まで一緒にくっついてきます。
読者が議員に送る際に添付する手紙まで一緒にくっついてきます。
なにしろ、
This would save many thousands of patients a great deal of discomfort and preserve billions of dollars of resources.
この入院時事前意思票によって
何千もの患者がたいへんな不快を免れ
同時に何十億ドルという資源が守られることになるでしょう。
この入院時事前意思票によって
何千もの患者がたいへんな不快を免れ
同時に何十億ドルという資源が守られることになるでしょう。
そして、移植用臓器の不足も解消されるしね。
(Kenneth Fisher医師は腎臓の専門医。)
(Kenneth Fisher医師は腎臓の専門医。)
2008.07.31 / Top↑
去年テキサスで起こったEmilio Gonzalesの治療を巡る「無益な治療」論争について
ラディカルな生命倫理の主張で知られるDr. Robert Truogが
Emilioの治療を停止しようとした医師らを批判していることを
前回のエントリーで紹介しました。
ラディカルな生命倫理の主張で知られるDr. Robert Truogが
Emilioの治療を停止しようとした医師らを批判していることを
前回のエントリーで紹介しました。
このTruogの論文を自分のブログで槍玉に挙げているのが
終末期医療にかかる費用を明らかにするとして医療改革を提唱する本
“In Defiance of Death: Exposing the Real Costs of End-of Life Care”を上梓したばかりの
Michigan州Kalamazooの腎臓専門医 Kenneth Fisher。
終末期医療にかかる費用を明らかにするとして医療改革を提唱する本
“In Defiance of Death: Exposing the Real Costs of End-of Life Care”を上梓したばかりの
Michigan州Kalamazooの腎臓専門医 Kenneth Fisher。
Truogの批判に反論するエントリーは4月28日の
Can Medical Ethics Taken to the Extreme be Detrimental
Healthcare in America (Dr. Kenneth Fisher’s blog), April 24, 2008
Healthcare in America (Dr. Kenneth Fisher’s blog), April 24, 2008
「医療倫理が極端に走ると弊害があるか」とタイトルで問い、
本文冒頭で「絶対あると思う。最近の例ではこれだ」とTruogの論文を挙げているのですが、
本文冒頭で「絶対あると思う。最近の例ではこれだ」とTruogの論文を挙げているのですが、
逆からの読み方をすれば、Fisherが言っていることそのものが
あまりに極端に走った医療倫理とも見えるのが、ちょっと可笑しい。
あまりに極端に走った医療倫理とも見えるのが、ちょっと可笑しい。
それほどFisherのTruog批判には
典型的な功利主義の医療倫理の考え方がはっきり出ているような気がするので。
典型的な功利主義の医療倫理の考え方がはっきり出ているような気がするので。
例えば
・Gonzales事件で医師らが懸念したのは、経管栄養、持続点滴をされ、何度も血液検査をされて人工呼吸器で呼吸させられるというEmilioの状態の尊厳のなさであったのに、Truogには本人の尊厳はどうでもよかったらしい。
・Truogは裁判所が判断すべきだと主張するが、治療が特定の患者にとって有益であるかどうかを判断できるのが医師の専門性であり、その専門性による判断は患者や家族の要望や裁判所の判断を超えるものである。
・Truogは医療の現場では公正さが守られないというが、意見の違いから争議が起こった場合には自分が提唱している全国的な「適切な治療委員会」によって解決すればよい。
(「適切な治療委員会」とは治療の妥当性判断のみを行う倫理委のようなものと思われます)
・米国で1年間に55万人もがICUで医療資源を過剰に使って死んでいき、社会に大きな負担を強いているのはTruogのような考え方をするからである。
・医師は日々の診療の中で生じる争議を法廷のような他者に明け渡してしまうのではなく、患者の最善の利益を念頭に、医療の専門家としての知識の範囲内で治療を行う責任を身につけるべきである。
しかし、彼らのような主張をしている人から
「呼吸器や経管栄養は本人にとって尊厳のない状態」だと言われても
ちっとも本人の尊厳が尊重されているようには聞こえない。
「呼吸器や経管栄養は本人にとって尊厳のない状態」だと言われても
ちっとも本人の尊厳が尊重されているようには聞こえない。
気になるのは、ここで経管栄養まで「尊厳がない」と言われていることです。
最近「第2のシャイボ事件」が相次いで、いつの間にやら
呼吸器だけではなく経管栄養までが「無益な治療」の対象となってきたことが
改めて恐ろしく思われます。
呼吸器だけではなく経管栄養までが「無益な治療」の対象となってきたことが
改めて恐ろしく思われます。
それに、こういうことを言うのが
やっぱり移植医療に関係する腎臓の専門医だということも。
やっぱり移植医療に関係する腎臓の専門医だということも。
2008.07.31 / Top↑
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