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Mary Helen Warnockという英国の著名哲学者が
2冊の雑誌のインタビューと寄稿記事とで
認知症患者には家族や社会の負担になることを避けるために死ぬ義務がある」と主張し、
物議を醸しています。




以上の記事の中からWarnock氏の発言を抜き出してみると、

あなたが認知症であるなら、あなたは人々の人生を浪費しているのです。
あなたの家族の人生を浪費しNHSの資源を浪費しているのです。

自分のためにも他者のためにも、そう(自殺)しなければならないと考えることは
ちっとも間違っていません。

苦痛が耐え難いのであれば死ぬ手助けを受けるべきだという議論に
私はまったく完全に同意します。
しかし私としては、その議論をさらに拡げて
家族または国家の重荷になっているから死にたいと
確信を持って心から願う人もまた死ぬことを許されるべきだと思います。

もし、あなたに事前意思(の文書)があって
意思決定能力がなくなった時に代理となってくれる人を任命していれば
その代理があなたはこんな状態で生き続けたくないから死なせてくださいと発言してくれるかもしれません。
そういうことが行われていかなければならないと思うのです。
ちょっと酷い言い方をすれば、他者を死なせる権限を人々に与えようということです。

よく読んでみると結局
Warnock氏自身が「死ぬ義務」という言葉を使ったのではなく、その言葉自体は
氏の発言意図をメディアや批判する人たちが解釈して使った表現のようでもありますが、

Warnock氏は2004年にも同様の発言をしており、

UK’s “Philosopher Queen,” Warnock Says Elderly and Ill have Obligation to Suicide
“I am not ashamed to say some lives are more worth living than others.”
LiveSiteNews.com, December 14, 2004

そこで対象となっているのは高齢者と病者(特に重症児と思われます)で、

文脈が違えば、家族のための自己犠牲は良いことだとされるのだから
大きな負担になっていくことを避けようとする動機が
それほど悪いものだとは私には思えません。

ある人の命は他の人の命ほど生きるに値しないと発言することを
私は恥ずかしいとは感じません。

(医師のアドバイスに反して病気の子どもを生かして欲しいと望む親は
 自分でその費用を支払うべきだと述べて)
つまり、こういうことです。
「わかりました。生かしてあげましょう。
でもその費用は家族が支払わなければなりませんよ」


このたびの発言は
英国上院では安楽死法制化をめぐって議論が行われているタイミングとあって、
法制化に向かって世論を大きく傾ける影響力が懸念され、
アルツハイマー協会を始め関係各所から非難の声が巻き起こっています。

また以下のABCなど米国でも批判の声が起こっていて

“Ashley療法”論争で御馴染みの倫理学者Arthur Caplanが
「死ぬ義務のある人など誰もいない。
 他者への負担となるからといって社会が誰かに死ぬことを“期待”するという考えは
 ただただ倫理的におぞましい」

またアルツハイマー協会への助言団体の関係者 Dr. Sam Gandyは
アルツハイマー患者には病識がないことも多く、自己決定できない場合には、
家族は、自分が自殺を幇助するか、または死なせてくれる医師を探すかの
2者択一を迫られることになる、と批判。
Warnock提案が米国でもてはやされるようになる前に
安楽死の線引きをきっちり議論しなければならない、と。

またCase Western Reserve大学法学部の Maxwell Mehlman氏は
「医療費の増大を制御する方法が模索されている反面、
機能の高い人、少なくともメンタル機能の高い人への高額な医療アクセスが優先されている」

Ohio大学の外科医で倫理学者のDr. Jonathan Gronerは
こういう施策は滑り坂であると批判し、
「社会へのコストという点では、喫煙者のコストの方が大きいと思う。
アルコールの濫用もかなり高価についている。
そういう中でなぜ認知症の高齢者をいじめなければならないのか」


【追記】
その後、もう一度記事をよく読み返してみたら、
Warnock氏自身がノルウェイの雑誌に書いた記事に「死ぬ義務?」というタイトルをつけていました。

           ――――――

個人的に、ちょっと気になったのは
The Mental Capacity Act(MCA)が触れられていて、
それが延命を拒むための代理人任命ツールと捉えられているらしいこと。

英国の新しい後見法であるMCAについては
重症児Katie Thorpeの子宮摘出ケースを追いかける過程でちょっとだけ齧っただけですが

MCA策定の意図は自分で意思決定することが難しい人に対して
最大限の自己決定権を尊重・保障して代理決定を行うための手続きを明確にすることだと理解していたし

とはいえ、どこかでこれは弱者切り捨ての手続き上のアリバイとしても使われるのでは
との懸念はKatieケースでMCAに触れた当時、感じていたので、
ああ、やっぱりこういう捉え方が出てきたか……と。

BBC(9月19日)の記事が
三宅貴夫先生の「認知症なんでもサイト」に日本語で紹介されており
そこでもMCAに言及されています。

もっともこれらの記事を読む限り、
Warnock氏が直接Mental Capacity Act を持ち出しているのか
それともメディアの方で氏の「事前意思と代理」云々をMCAに当てはめたのか
ちょっと判然としないところもあるのですが。


いずれにせよ、認知症に限らず重度の障害者・不治の重病患者を
社会に無駄なコストをかける厄介者として排除しようとする動きは欧米各国で
じわじわと広がっていて、その広がりの速度は思いのほかに速く、

そうした動きは制度化されたり法制化されないまでも、
議論そのものが治療や支援を求めにくい空気を広げていくと思われ

(この点は日本でも表立った議論がないまま、空気だけは広がっているのでは?)

しかし、その一方で、
恩恵を被るのは一部の特権的な人たちのみであることが明らかな
不老不死や人類改造のテクノロジー開発に投入されている膨大な資金については
あまり問題にされることがないのはMehlmen氏が指摘している通りだと思う。


自殺幇助についての関連エントリーは、前の回にまとめました。

また、米国における同様の議論については
「無益な治療」の書庫に。
2008.09.29 / Top↑
Wisconsin州でリンパ腫を患う63歳の男性が自殺。
遺言状には自殺を手助けした妻と娘に財産を相続させると書かれており、
その有効性を問題にして前妻の子どもたちが訴えていた裁判で、

同州の法律では
意図的に殺した人間が被害者の財産を相続することは禁じているものの
「自分の意思で意図的に自らの命を断つ人の手助けをする者が
他者の命を奪っていないことは明白である」として、
男性の妻と娘に遺言状どおりの財産相続を認めた、とのこと。

Court: Relatives who assist in suicide can inherit
AP (The Chicago Tribune), September 28, 2008


妻と娘は男性を病院から連れ出して男性所有の山小屋へ連れて行き、
自殺念慮があることを知りながら弾が入った銃を手渡して立ち去った…
…というのが、訴えた前妻の子どもたちの主張。

それに対して裁判所は
弾の入った銃を提供したことが男性の命を奪ったわけではなく
男性はその銃を使って自分を撃つことによって自らの命を断ったのである、と。

ただし、Wisconsinの法律では自殺幇助そのものが認められておらず、
他者の自殺を手伝う者には重罪として最高6年の懲役の可能性があります。

妻と娘が山小屋に運んだことは認めても自殺幇助の事実まで認めていないのは
恐らくそちらの法律を意識したものと思われますが、
この裁判は遺言状の有効性を問うもので、
自殺幇助を違法とする法律は該当しないようです。


しかし、文末の関連エントリーをみていただくと
ここ暫くの間に当ブログが拾っただけでも、
世界で自殺幇助を巡る動きがどれほど大きいかが一目瞭然と思いますが、

Oregon州では自殺幇助が認められているし、
Washington州にも同様の法律を求める運動が行われているところ。
米国以外でもオランダを始め、いくつかの国が合法化しています。
外国人に自殺幇助を行っているスイスのDignitas クリニックには、
合法化されていない国の自殺希望者が次々に訪れています。

闇で自殺幇助を請け負うプロも現われてきています。

こうした状況の中で自殺幇助をした人にも財産相続権が認められるということになると
自殺したい人が財産と引き換えに幇助を依頼することも起こってくるだろうし、
財産目的の親族に自殺を装って殺される人だって出てくるのでは?



2008.09.29 / Top↑