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ジュネーブの第64回世界保健総会でBill Gatesが「“ワクチンの10年”やろうぜい」とガンガン檄を飛ばしている。
http://www.pharmatimes.com/Article/11-05-19/Gates_calls_for_%E2%80%9Cdecade_of_vaccinations%E2%80%9D.aspx

その保健総会でアフガニスタンの保健相が「ワクチン接種のために支援を」とゲイツ氏と会談する予定。子どもの死亡率が世界で第2位だというんだけど、アフガニスタンで子どもの死亡率が高いことの最も急がれる対応策は本当にワクチンなんだろうか。
http://www.reuters.com/article/2011/05/17/health-gates-afghanistan-idUSLDE74F24X20110517

その保健総会で、メディアは先を争ってゲイツ氏のインタビューをとる。やっぱりこの人が世界の厚生相なんだなぁ……。
http://www.channel4.com/news/bill-gates-capitalist-to-philanthropist
http://news.bbc.co.uk/2/hi/programmes/hardtalk/9488576.stm

世界不況のあおりで寄付が減り、資金繰りが難しいWHOは改組が必要。:WHOはもともとゲイツ財団に「ゼニくだせぇ」とすがりつつ、財団の資金を途上国と奪い合っている、って09年から言われていた。ゲイツ財団がワクチン普及のために作ったGAVIともう一つの組織の方が、圧倒的にお金持ちらしい。憂うべき事態なんだけど、なぜか然るべく憂う人が見当たらない。
http://www.google.com/hostednews/afp/article/ALeqM5iVenWuf_GW-ZkUDlSDu_dMIBHnvQ?docId=CNG.dd4b60fa12b9b85d2c4de04c8e17ef89.291

Dying Matters(死ぬことは大事)という組織(たぶん英国)があって、5月16-22日が「死ぬことは大事啓発週間」なんだそうな。まだロクに見ていないので、どういう趣旨の活動なんだか、よく分からないけど、「死ぬことと、死と、身近な人に死なれること、について啓発する」団体らしい。
http://www.dyingmatters.org/

で、そのDying Mattersが啓発週間に発表した死に関するあれこれの意識調査の結果がこちら。永遠に生きたいと望む人が「15%しか」いないって書いてあるんだけど、「15%もいるのか」と私はびっくりした。でも、100歳を超えて生きたい人は「9%しか」いないの「しか」は共感かな。なんでTH二ストは食べるものも食べず、長生きのためにすべてを犠牲にするみたいな生活をして、なにがなんでも150まで生きたいのか、私は前から不思議でならない。ざっとしか目を通していないけど、どうやらDying Mattersってのは、「死をタブーにせず、終末期医療について意思決定しておきましょう」という趣旨の啓発活動を旨とするみたい?
http://www.comres.co.uk/dyingmatterssurveymay11.aspx

5月18日は国際博物館の日。:今日、ふらっと某博物館に行ったら受付で「国際博物館の日の記念品として」と、きれいなクリアファイルとポケット・ティッシュを2個も(!)もらった。特別展示も期待以上に面白かったし、こういう日はなんだか1日気分が爽快。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8%E3%81%AE%E6%97%A5

人に教えてもらった東神戸教会のサイトに「それでも世界は美しい」というタイトルの、とてもいいメッセージがあった。フランクルの「夜と霧」に触れて、東日本大震災のあった日本の我々自身に向けて。
http://www.higashikobech.org/message.htm
2011.05.20 / Top↑
月刊「介護保険情報」誌3月号の連載で
「ヘルシー・ホームズ事業:英国リヴァプール」を書いた。

英国では「燃料貧困」「燃料プア」が社会問題化していて、
特に労働者が多いリヴァプール市がNHSトラストと手を組んで
健康で温かい住宅の実現を通じて健康格差解消を目指すプログラムを実施している。

まさに「福祉と医療の連携」にはこういう形もあるのか……と目からウロコの話を、
これは自前で見つけたのではなく、編集の方から教えていただいて調べてみたもの。

この問題に関する調査が最近あったようで、
その結果を受けてBMJに社説が出ていた。

The health impacts of cold homes and fuel poverty
Editorial, BMJ, May 11, 2011


調査は Friends of the Earthというチャリティによるもの。
5月12日に “The health impacts of cold homes and fuel poverty”として報告された。

「調査から分かったのは誰だって知っていて知らないフリをしてきたことばかりで
寒い家はエネルギーを無駄に使い、住民の健康を害する、ということ」。

英国の家を熱効率の良い温かいものにすれば
二酸化炭素の排出量も減るし、健康への影響も減って健康格差が緩和される。

そのために報告書が提言しているのは3つで、

① 住宅のエネルギー効率を上げて、「温かい家」はバカ高いという事態をなくすことで
家計も楽になり健康度が上がる。

② 家が寒いために燃料貧困から健康格差が起きている状況は正すべきである。

③ 家の熱効率が良くなれば使用燃料が少なくなり
二酸化炭素の排出量が減って長期的には地球温暖化の緩和に役立つ。

ちょっと意外なのは、南半球のオーストラリアにも同じ問題がある、と。


病気予防といえば、やれ、この薬やサプリでこの病気が予防できるとか、
遺伝子検査を受けて病気になる前から健康な臓器をとっちゃえとか、
個体に対して操作を及ぼすことばかり煽る人が多いけれど、
(まぁ、それはお金を生んで誰かを儲けさせるからね)

人は環境から影響を受け、環境に影響を及ぼしながら
「社会」の中で「暮らし」ているんだよねって、
この事業のことを調べていたら、つくづく思ったんだった……。

それを、また思い出した。

このヘルシー・ホームズ事業、
いま流行りの「アウトリーチ」をもう一つ拡大し柔軟にして
さらに、リーチの先にいる人たちのためになるものにするヒントが
隠れているような気がするんだけど。

とはいえ、
英国の連立政権は社会福祉予算の大幅カットを自治体に厳命しているので
リヴァプールの事業もどうなるか心配。
2011.05.20 / Top↑
うわぅ。

5月17日に以下のエントリーで紹介したRasouli訴訟ですが ↓

「“治療停止”も“治療”だから同意は必要」とOntario上位裁判所

なんと、病院側(医師2人)が上訴して、現在最高裁で審理されていました。

昨日、その上訴審で、医師側の主張が出てきたらしいのですが、
これが、なんとも、Norman Fostも顔負けの傲岸さで、

Rasouli氏の生命維持は「死を防いでいるのではなく長引かせているだけ」。
「単に長引かせて、患者の元々の病気の影響を送らせているだけ」なんだそうで、

「(上級裁判所の判決みたいなことを言っていたら)患者が自分の治療を
あれこれ品定めしたり選んだりすることになってしまう。……略……
そんなことになったら医療の意思決定の既存モデルは覆されてしまう」

だから、
自分たち医師が無益だと考える治療を中止することに同意は無用、
そうでなかったら、治療の効果がなくなっても患者に継続を無理強いされることを恐れて
どんな治療もできなくなってしまうじゃないか、

仮にそれが患者の望みに反していたとしても
患者の最善の利益を決めるのは医師の責任である、と。

Consent for ending life support would undermine MD’s authority, court hears
The Globe and Mail, March 18, 2011


「元々の病気の影響(effects)を遅らせて死を長引かせているだけ」が
一方的な治療停止の根拠になるんだったら、ガン治療にせよ糖尿病の治療にせよ、
みんな、ただの「無益な延命」だから中止しても良い……ことにならないでしょうか?

ちなみに、医師サイドの実際の発言には、少なくとも記事の中では、
そういう言葉は出てきていないのですが、記事タイトルは
「生命維持停止に同意なんて医師の権威を損なう、と法廷で主張」。

「医療の意思決定の既存のモデル」って「医師の権威が全て。医療は医師の専決」でしたっけ?

インフォームド・コンセントとか、
患者に分かりやすい説明とか
患者とのコミュニケーションとか信頼関係とか、

あの懐かしい標語の数々は、一体どこへ――?


【追記】
一昨日からずっと、素人のものすごく単純な疑問があるんですけど、
この人、脳の良性腫瘍の摘出手術を受けたんですよね。

良性腫瘍の切除手術で「植物状態」になって、
それで担当医からこういう言われようまでして
「どうせ植物状態で回復しないんだから死ね」と
要求されているわけですよね。それって、あんまり悲しい……というか

もしも担当医ら2人が言うように
患者の最善の利益が医師によって適切に判断されて、
それに基づいた有効な医療がその都度行われていたら、
この人は最初から細菌性髄膜炎にはならなかった……なんてことは?

もしそうだとしたら、今、裁判で医師が言っている「この人の元々の病気」というのは
細菌性髄膜炎ではなくて、良性腫瘍だったことになるのでは?

それとも、こういうのは「過誤」ではなくて
「開頭手術に伴うリスクが現実のものとなってしまったケース」と理解するのが
脳外科医療では常識なんでしょうか。
2011.05.20 / Top↑
武田、ゲイツ財団医療支援分野トップを取締役に招へい(日経新聞 5月11日。一旦貼ったリンクがおかしくなったので、後で修正する予定):グラクソ経由。この人、たぶんこのエントリーの最後に触れているDr.Tanakaじゃないかと思う。そう言えば米国の国際開発支援組織USAIDのトップもゲイツ財団の元職員。

その他、上記の関連で「ゲイツ財団と製薬企業連携」。NPO法人ファーマサポートのサイト。日本語。「第一三共がポリオに効果のある4種混合ワクチンの開発に乗り出したほか、武田製薬、エーザイなど大手がワクチン事業に力を入れ始めている」。:「ワクチンの10年」経済施策がいよいよ日本でも本格的に始動するということか……。これ保健施策じゃなくて経済施策なんだけど、子どもたちの命は本当に守れるのか。日本の子どもたちも、途上国の子どもたちも……。
http://pharma-support.or.jp/2011/03/28/%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%84%E8%B2%A1%E5%9B%A3%E3%81%A8%E8%A3%BD%E8%96%AC%E4%BC%81%E6%A5%AD%E9%80%A3%E6%90%BA/

【関連エントリー】
リスクの“リ”の字もなく“黄金時代”に沸くワクチン開発記事(2009/11/19)
「これからはワクチンが儲かりまっせぇ」の陰には、やっぱりゲイツ財団が……(2009/11/20)
「健康ギャップ」なくても「ワクチン・ギャップ」埋めないと「世界に恥じ」る……と説くワクチン論文(2010/3/5)
「米国のワクチン不信と、そこから見えてくるもの」を書きました(2010/7/5)
日本の「ワクチン産業ビジョンの要点」の怪(2011/3/8)
ゲイツ財団がコークとマックに投資することの怪、そこから見えてくるもの(2011/3/9)
ゲイツ財団はやっぱりビッグ・ファーマの株主さん(2011/3/28)


英国では今、子どものホスピス週間らしい。
http://www.walesonline.co.uk/news/wales-news/2011/05/18/hospice-helping-parents-care-for-sick-children-91466-28712759/

パジャマなど乳児向けのポリウレタンを使った製品に何十年も前から発がん物質が含まれていたことが明らかに。(NYT)
Chemical Suspected in Cancer Is in Baby Products:A chemical suspected of being a carcinogen that was removed from children’s pajamas decades ago prevalent in baby’s products made with polyurethane foam, new research shows.

プラスチック製品にも。子供向けの商品含め。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/225592.php

ADHD治療薬に将来の心臓病リスクが懸念されていたけど、調査で否定された。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/225536.php

ルワンダの1994年のツチ族大虐殺の首謀者に禁固30年。
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/59165268.html
2011.05.20 / Top↑
Ashley事件におけるDiekemaらの正当化の中で私がずっと不思議だったことの一つに、
開腹手術のリスクが一切言われないことがありました。

これもまた偶然拾った“お宝”なのですが、

外科手術のリスクについて
Diekema医師が法廷での証言で語っている資料を見つけました。

http://www.circumstitions.com/ethics-diekema.html

時は2006年1月。
Ashleyの手術から約1年半後、
あのGuntherとの共著論文を書く数ヶ月前……とでもいったタイミングでしょうか。

ワシントン州で、男児の包皮切除が失敗したケースが裁判となり(死亡例も結構あるようです)、
そこに専門家として呼ばれて証言を求められたもののようです。そのポイントは
「外科手術のリスク」と「医師が適切な利益対リスク検討を行う責任」について。

まさにAshley事件に、そのまま当てはまるポイントです。
当てはまる個所の発言を抜いてみると、

Non-therapeutic procedures that involve excessive risk should be avoided. An appendectomy on a healthy child, who has no history or symptoms of an appendicitis and who is not undergoing an abdominal surgery for other therapeutic reasons, for instance, would not be ethically justifiable because the absence of benefit to the child would not justify the surgical risks.

過度なリスクを伴うなら治療目的ではない医療は避けるべきである。例えば、盲腸炎の病歴も症状もなく、その他の治療上の理由による開腹手術を受ける予定もない健康な子どもの盲腸切除術は倫理的に正当化できない。なぜなら、その手術のリスクを正当化する利益が子どもにはないからだ。



Ashleyの盲腸は確かに開腹手術の“ついでに”切除されたものですが
その開腹手術は「治療上の理由」によるものではありませんでした。

で、彼が考える「手術のリスク」の具体的な内容はというと、

…a surgical procedure can only be justified when the benefits likely to accrue to the patient outweigh the harms that might arise from surgery – pain, possibility of death or complications.

患者にとっての利益がその手術から起こるリスク―痛み、死と合併症の可能性―を上回る場合にのみ、外科手術は正当化される。



痛みと、死と合併症の可能性――。
それが生命倫理学者Douglas Diekemaの考える「外科手術のリスク」なのです。

外科手術は、死の可能性を賭してでも得るべき患者への利益がある場合のみ正当化される。
Diekema医師は、そう言っているわけですね。

そういう「外科手術のリスク」観を持ち、
盲腸切除術で上記のようなことを言う倫理学者ならば、
健康な子どもに行う子宮摘出術や乳房摘出術での「手術のリスク」については
さらに重要視し、慎重に手術の是非を判断するはずです。

ところが、

06年のGunther & Diekema論文が
「予防的子宮摘出」の「利点」をずらずらと挙げた後で、
そのリスクについて書いているのは

The risks of this surgical procedure in prepubertal girls, and the risks of long-term complications, are minimal- certainly they do not excess risk of similar procedures many of these children will experience as part of their medical care.

思春期前の少女での子宮摘出術のリスク(複数形)と長期的合併症のリスクはミニマルなものである。それらのリスクは、こうした子どもたちの多くが受ける医療の中の、同様の治療のリスクを超えるものでは決してない。



また、2010年のFostとの共著論文では、

any risk-benefit analysis of hysterectomy and breast bud removal cannot ignore the potential benefits of ameliorating or avoiding breast discomfort, menstrual cramps, pelvic exams, and Pap smears, and any consideration of harms of the alternative treatments that would have been necessary (e.g., 30 years of birth control measures, anesthesia for gynecological exams and mammograms, breast biopsies, etc.)

子宮摘出と乳房芽摘出のリスク対利益検討では、乳房の不快感、生理痛、性器診察、子宮癌検査を和らげたり避けたりする利益の可能性を無視することはできない。さらに、子宮があれば必要になるであろう代替え療法(30年も避妊薬を続けること、婦人科の検査のために欠ける麻酔や、マンモグラフ、乳房の生検査など)の害も無視できない。



一見、後半部分で「害」について検討しているように見えますが、
これは摘出手術によって「取り除かれる害」のことを言っているのであって
あくまでも「利益」を云々しているにすぎません。

一方、著者は「手術のリスク」については、またも過小に書きます。

Hysterectomy is a common procedure with a low incident of serious harm performed for many reasons, including those cited in Ashley’s case. Breast bud removal is also an accepted procedure, …..

子宮摘出は、重大な害が起こることの少ない、ありふれた治療で、Ashleyの症例で挙げられたものを含めて多くの理由で行われている。



利益を数える際には、
あるかどうかも分からない生理痛や
将来Ashleyが受けることになるかどうかも分からない検査や、そのための麻酔までが
「取り除かれてよかった害」としてほじくり出されて「無視できない」と力みつつ、

「死と合併症の可能性」というリスクは丸無視する。

それは、いったい、どういう生命倫理学者の
いったい、どういう「リスク対利益」検討なのか?


さらに治療の侵襲度や親の意向についても、
06年の法廷での証言でDiekema医師は興味深い発言をしています。

A parent or proxy decision-maker would not be offered surgery as an option until the less harmful therapy had been attempted and demonstrated to be unsuccessful.

外科手術が選択肢として親や代理決定者に提示されるのは、より害の少ない療法を試みて、その効果がなかったことがはっきりした後のことである。



また、彼は米国小児科学会の声明の以下の部分に同感だとも言います。

…Providers have legal and ethical duties to their child patients to render competent medical care based on what the patient needs, not what someone else expresses….The pediatrician’s responsibilities to his or her patient exists independent of parental desires or proxy consent.

医療提供者には小児患者に対して、誰か他の人の言い分ではなく、患者のニーズに基づいて、有効な医療を行う法的また倫理的な義務がある。……患者に対する小児科医の責任は、親の望みや代理決定者の同意とは独立して存在するものである。



ふ~む……。

2004年のシアトルこども病院の特別倫理委が
父親のブログによると当初は「乳房切除をしぶっていた」にも関わらず
父親のプレゼンの後で(つまり「誰か他の人の言い分」を聞いた後で)納得し、
「親に決めさせてあげよう」という結論に至った(Diekemaの08年の講演での証言)……
……というのは、上記の声明に照らせば、まったく不可解な話です。

また、成長抑制ワーキング・グループの論文が
「親の望みとは独立した医師の患者に対する責任」を言わず、
ひたすら「医療に関する親の意思決定の尊重」を言い、
「親と共に行う意思決定(shared decision-making)」を説いているのも妙な話。

WGの論文といえば、
「女児の場合には成長抑制と子宮摘出は分かち難い」と認めつつ
「ここでは子宮摘出については論じないこととする」と断っているのも言語道断。

それは「女児の成長抑制には外科手術のリスクがあり得ます」と認めつつ、
「でも、痛みや死と合併症の可能性は問題にしない」と言っているわけで
(しかも「治療上の理由なしに課せられる外科手術のリスク」なわけですが)

そうしておいて、この論文は
「成長抑制療法のリスク対利益」は通常の重症児医療での親の意思決定の場合と同じだから
条件によっては道徳的に正当化される……と「妥協点」と称して「結論」づける。

それもまた、いったい、どういう「成長抑制のリスク対利益」検討なのか?

Diekema医師が、実はちゃんと認識している手術リスクを
”Ashley療法”論争で意図的に無視してきたことは、この法廷での証言から明らか。

要するに、アンタらがやってきたことは、
06年の論文から今回のWGのHCR論文に至るまで、
ただの「利益と利益の検討」じゃないか――。
2011.05.20 / Top↑