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90年代にすばらしい薬だともてはやされた新世代抗ウツ剤(プロザックなどのSSRI)も
鬱病の若者に自殺念慮を生じたり、
Harvardの著名児童精神科医Biedermanが
製薬会社からの金銭授受を隠していたスキャンダルなどで
最近ではトンと売り込みにくくなったが、

強迫性障害のある子どもでは、リスクよりもメリットがはるかに大きいというのに
それを親に説明しても説得力がないのは
メディアがリスクばかりを取り上げるからだ、とこぼす精神科医も。

Prince of Wales 病院の青少年科の精神科医Michael Dudleyが
特に鬱病に焦点を当ててSSRIのリスクとメリットを調べるべく
様々な研究結果を検証したところ、
鬱病の場合と違って、強迫性障害の人に使うと効果があった、と。

で、結論はというと、

「これらSSRIは使い出はあるということ。
ただ、用心して使いましょう、ということ。
ちゃんと警告をつけて、必ずモニターを行う。
一時見られたような、お気楽な使い方をしてはいけない。
親には明快かつ正確な情報を提供し、
確かでもない効果を安売りするのではなく、薬の限界もちゃんと伝える。
この分野で尊敬されていて、なおかつ製薬会社のヒモつきでない学者で
私と同じ意見の人は沢山いる」


笑えるのは、この結論の後にDudley氏が

「私は製薬会社から一切資金提供を受けていないから
便宜を図るためにモノを言う必要などないのだ」と
付け加えていること。

考えてみれば
この記事の冒頭で記者が書いているように90年代の
「そんなにすばらしい薬なら
水道水に混ぜてみんなで飲んだら?
と思わせるほど」の騒ぎが尋常ではなかったのであって、

「医師は安易に効果を安売りしたり、お気楽な使い方をせず、
正直に情報提供して慎重に使いましょうね」というのは
もともと、ごく当たり前の常識のはずなのに

そんな当たり前のこと言うだけのためにも「私は製薬会社のヒモつきではない」と
いちいち断らなければならないというのも、なんだか可笑しい。

それに、妙なもので、
わざわざそこを強調されると、逆に
ヒモっていっても、製薬会社からもらうお金だけじゃなくて、
たとえば業界の権力構造の中を泳ぐためのヒモっていうのも
ないわけじゃないような気もしてきたりして、

そういえば、検証結果そのものは
「抗ウツ剤でありながら、鬱病には使えないけど強迫性障害に限っては使える」と
言っているようにも読めないことはないのに、

記事に出てくるこの人の「結論」は
病気を限定することなく「SSRIは有効だ、使い方の問題のみ」と、
微妙に変化しているところが気になったりもして……。


These drugs can work, but must be used with caution
The Sunday Morning Herald, October 23, 2008
2008.10.23 / Top↑
ああ、こういうのもアリなんだなぁ……と目からウロコ。


某所で耳にした話では
司法書士など専門家のアドバイスを受けて、
親の会が立ち上げるNPOでは主に身上監護を担っていこうという話だとか。

旭川荘の親の会、やるなぁ。すごいなぁ。

         ―――――

この件で検索していたら
旭川荘児童院では他にも「愛の訪問里親」制度というのも始められていた。

詳細は児童院通信9月号の2ページ目に。

法的な縛りや意味合いの一切ないボランティアで
重症者と関る上で必要な知識や技術に関する講座を受けた上で里親として登録した人が
行事や学校の参観日に親代わりとして訪れたり食事介助や散歩などで
親の高齢化や死去で面会者がなくなる入所者に外部の人との関りを、という趣旨。


かつて見学に行った時に
旭川荘では布オムツを使用していて、
洗濯から上がってきた膨大な量のオムツを畳む仕事を
ボランティアの人たちが担ってきた伝統があると聞いた。

そういう伝統があってこそ、
長年、旭川荘に通っているボランティアの人たちの中から
おのずと生まれてきた制度なのかもしれない。

自立支援法で施設の経営状況が厳しくなり
介護職も看護職も不足しがちな状況の中で、
どの施設もが飛びついたりすると同名の別物も出てきて
職員がするべき仕事を安易にボランティアに頼ることにもなりかねない懸念が
ないわけではないけれども、

それまでのボランティア活動の継続の中から
自然に「私はこの人のことがなんだか気になるのよ」という気持ちになってくれた人が
その人の「訪問里親」となって気にかけてくれるのであれば、
親亡き後ならずとも、入所者の生活が広がり豊かになる。

娘の施設を見ていると、
施設職員の方々の中にも利用者さんとの繋がりが仕事上のかかわりで終わらず
異動や退職をされた後にも「どうしているかと気になって」と
覗いてくださったり行事のお手伝いに来てくださることも多い。

そういう人が「訪問里親」となってくださるのもまた、
親にとってありがたく、将来への不安軽減につながるような気もする。

施設が閉鎖的な空間になるのも防げるし……などと考えていくと
「親の安心のために」というセコさ(エゴ?)がどうも先行しているなぁ……と
我ながら鼻についてもくるのだけど、

親が障害のある子どもを殺すことを、そのことの是非だけで論じて
ゼロか100かの議論をするよりも、

親だってそれが正しくないことだと判っていないわけでもなければ
殺したくて殺すわけでもないのだから、

ゼロか100かの間で見過ごされている障害児・者親子の置かれた現実を
その現実に則して細かく丁寧に理解していくことと同時に
どういう支援なり仕組みがあったら親が殺さずに済むのかという手立てを
丁寧に考えていくとしたら、
ゼロと100の間には、まだまだ無限の可能性があるはずで、
そっちの方が本当は大切なことなんじゃないだろうか。
2008.10.23 / Top↑