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自閉症の出生前診断についての前のエントリーを書いて

臨床試験の舞台裏のエントリーで紹介したことのある
Arthur L. Caplanの著書 “Smart Mice, Not-so-Smart People”の
自閉症の出生前診断を取り上げた章を思い出したので。

Caplanは“Ashley療法”を強く批判したペンシルバニア大学の生命倫理学者で、
別の生命倫理の問題でも様々に発言していますが、
私はちょっとしたCaplanファン。

といっても、読んだのは上記の他、日本で翻訳が出ている
「生命の尊厳とは何か - 医療の奇跡と生命倫理を巡る論争」(青土社、1999)だけ。
(この本は情報の宝庫で、とても良かったので、いずれ紹介したいと思っています)

それ以外はAshley事件以降のメディアでの発言しか知りませんが、
まぁとりあえず「いいな、この人」と勝手に思っているわけです。

ただ”Smart Mice, Not-so-Smart People”の中のこの章についてだけは、
読んだ時からちょっと納得できないものを引きずっている。

それはBill Gates 氏を引き合いに出して自閉症の遺伝子診断をテーマにした章(P.136-138)で
タイトルは“Who Needs Bill Gates?” (Bill Gatesが欲しい人?)。

タイトルの問いについては冒頭で説明されており、

今の超ど級スーパーリッチのGates氏が「欲しい人?」という意味ではなく
もしも時間を巻き戻すことが出来てBill Gatesという
世界で最も有名な変人の誕生を止めることができるとしたら止めたいですか。
それとも止めずに世に生まれ出て欲しいですか? という意味だと。

世界にインターネット革命をもたらしてくれたのだから、
おそらく「止めたい」という人はいないだろう。

しかし、天才Bill Gatesは奇人としても通っていて、
その言動にはアスペルガー症候群と通じるところがあると言われる。

Bill Gatesのような天才がほしいと望むことが、実は同時に
彼よりももっと重度の障害をもった子どもが生まれる可能性を引き受けることなのだとしたら?

新たに出来たアスペルガー症候群の患者団体 Aspies for Freedomでは
自閉症は病気ではなく、肌の色の違いと同じ差異に過ぎない、と主張し、
遺伝子診断が登場すれば、それは将来のBill Gatesの終焉を意味すると警告している。

トマス・ジェファーソンやルイス・キャロルなど、
アスペルガー症候群の特徴にそっくりあてはまる秀逸な思想家もいるが
そういう人材も少なくなってしまうかもしれない・・・・・・

・・・・・・といったことを述べた後で、結論部分は以下。

遺伝子診断が可能となることで医学は
正常とされる範疇を少しでも逸れているものは全て病的だということにするのだろうか?

重症の自閉症とアスペルガーのような軽症との間に
我々社会はどのようにして線引きが可能なのだろうか?

どんな子どもを持ちたいかについては、
親に全面的な決定権があるのだろうか?

リスクや障害の確率について、
また生死にかかわるのではなく性格と社会性、天才と奇癖について語るとき、
医師や遺伝カウンセラーはどういうメッセージを伝えるのか?

私に言えることは、
自閉症、アスペルガーその他の精神保健の側面に関して
これから登場しようとしている遺伝子に関する知見については
医学も一般の人々もどのように向き合ったらいいのか分かってなどいない、ということだけだ。

しかし、我々社会の将来は
上記の問いへの我々の答えにかかっている。


Caplanがラディカルな生命倫理を批判してきた発言の数々を踏まえて考えれば、
この論旨がイマイチはっきりしない章で彼が言わんとしていることは

天才や才能・能力だけを望んで
障害だけは排除しようとしたって、
そんなに虫のいい話はないということであり、

いわば
前のエントリーのBaron-Cohen教授の
「自閉症を中絶すると数学の天才も抹殺するから出生前診断は慎重に」という主張とは、
ちょうど逆方向の論理。

自閉症の遺伝子診断には
歯止めを失う“すべり坂”の可能性があるという警告としては、
Baron-Cohen教授の論理より説得力があるようにも思うのだけど、

ざっと上っ面だけを撫でて読んでしまうと、
どうしても人は自分が読みたいものを読んでしまうものだから
「重症の自閉症なら遺伝子診断で中絶もやむをえないが、
軽度のアスペルガー症候群まで対象としたのでは
ちょっと奇人・変人だけど貴重な逸材という人まで失ってしまう」という趣旨と混同されそうな気がして、

才能・能力と障害とを対にして語ることそのものがアブナイし、
やっぱり間違いなんじゃないのかなぁ・・・・・・、と。
2009.01.13 / Top↑