今回の成長抑制シンポのレジュメを読んでいると、
改めて不快感を覚えるのは、
改めて不快感を覚えるのは、
病院とAshleyの父親が当初から
「愛情に満ちた重症児の親」 vs 「政治的プロパガンダに満ちた障害者運動」という
対立の構図を描き続け、維持することに意を用いてきたということ。
「愛情に満ちた重症児の親」 vs 「政治的プロパガンダに満ちた障害者運動」という
対立の構図を描き続け、維持することに意を用いてきたということ。
もちろん、それは病院側が障害当事者らからの批判を最も恐れ
「あれは政治的プロパガンダだ」という政治的プロパガンダを
先手先手を打って繰り出している世論操作に他ならないわけで、
「あれは政治的プロパガンダだ」という政治的プロパガンダを
先手先手を打って繰り出している世論操作に他ならないわけで、
例えば
2007年論争当初のインタビューでDiekema医師が
「何よりも驚いたのは障害児の親と障害者運動の間にこれほどの分断があるということだ」
「Ashleyのことを親以上に障害者運動の活動家が分かっているとでもいうのか」と発言したり
2007年論争当初のインタビューでDiekema医師が
「何よりも驚いたのは障害児の親と障害者運動の間にこれほどの分断があるということだ」
「Ashleyのことを親以上に障害者運動の活動家が分かっているとでもいうのか」と発言したり
Gunther医師が自殺した際にも、あたかも
障害者運動からの批判がG医師を自殺に追い込んだといわんばかりのコメントをしたし、
障害者運動からの批判がG医師を自殺に追い込んだといわんばかりのコメントをしたし、
しかし、2007年5月のシンポでも
去年1月のCalvin大の講演後のシンポでも
今回の成長抑制シンポでも、
去年1月のCalvin大の講演後のシンポでも
今回の成長抑制シンポでも、
病院側が恐らくは動員もし、敢てそういうふうに仕組むから
会場にはAshley療法をやってほしいと望む重症児の親が目立ち
一見すると成長抑制が重症児の親の共通の願いであるかのように見えてしまうだけで、
会場にはAshley療法をやってほしいと望む重症児の親が目立ち
一見すると成長抑制が重症児の親の共通の願いであるかのように見えてしまうだけで、
(Ashley療法をやりたい親だから、そこまでの行動を起こすエネルギーがあるともいえるし)
決して、彼らがそう見せたがっているように
全ての重症児の親が子どもの体に手を加えたいと考えているわけではなく、
論争時には「気持ちは理解できるが子どもの尊厳を無視している」と批判する重症児の親も
少なくはありませんでした。
全ての重症児の親が子どもの体に手を加えたいと考えているわけではなく、
論争時には「気持ちは理解できるが子どもの尊厳を無視している」と批判する重症児の親も
少なくはありませんでした。
私は、例えば予防的臓器摘出術にしても、
「合理的だからやりたい」と望む人の割合よりも
「抵抗があるからやらない」と考える人の割合の方が
実は圧倒的に多いはずだと考えているので、
それと同程度には、
成長抑制のために我が子に大量のホルモンを投与することに抵抗がない親よりも
抵抗を感じる親の方が多いのではないかと思うのです。
「合理的だからやりたい」と望む人の割合よりも
「抵抗があるからやらない」と考える人の割合の方が
実は圧倒的に多いはずだと考えているので、
それと同程度には、
成長抑制のために我が子に大量のホルモンを投与することに抵抗がない親よりも
抵抗を感じる親の方が多いのではないかと思うのです。
私自身、重症児の親ですが、Ashleyの身に起こったことを絶対に許せないと感じているように
私のような立場を取る重症児の親も米国にだって少なくないはず。
私のような立場を取る重症児の親も米国にだって少なくないはず。
それならば、必ずしも
親と障害学や障害者の人権運動の活動家とは対立関係にあるわけではないのだから、
むしろ病院側が描く対立の構図に乗せられてしまうことに警戒したいような気がする。
親と障害学や障害者の人権運動の活動家とは対立関係にあるわけではないのだから、
むしろ病院側が描く対立の構図に乗せられてしまうことに警戒したいような気がする。
もちろん、この議論に障害学や障害当事者の視点は絶対に不可欠だと思います。
これはシンポの前に英語ブログの方でも書いたのですが、
最も強く批判してきた障害当事者を含めない限り
議論の中立性などありえないだろう、とも思う。
最も強く批判してきた障害当事者を含めない限り
議論の中立性などありえないだろう、とも思う。
小山さんは当日、会場から
裁判所の判断を仰がずに倫理委で決めたのでは
本人だけの利益を代理する人による敵対的審理が行われない、と
非常に鋭い指摘をしてくださっています。
裁判所の判断を仰がずに倫理委で決めたのでは
本人だけの利益を代理する人による敵対的審理が行われない、と
非常に鋭い指摘をしてくださっています。
これこそ障害学や障害者運動の積み重ねの背景があってこそ出てくる貴重な指摘だと思う。
しかし病院側が作り出す「親vs障害学」という対立の構図の中に障害学の視点を置いてしまうと、
実は障害学や障害当事者以外にも排除されている視点があることが
見えなくなってしまいそうな気がするのです。
実は障害学や障害当事者以外にも排除されている視点があることが
見えなくなってしまいそうな気がするのです。
それは、まず成長抑制に対して批判的スタンスをとる重症児の親たち。
それから地域で重症児・者と直接触れ合いながら、その生活を支えている人たち。
例えばソーシャルワーカー、グループホームのスタッフ、ヘルパー、
養護学校の先生たち、入所施設のスタッフ、重症児・者に関ってきたボランティアたち。
それから地域で重症児・者と直接触れ合いながら、その生活を支えている人たち。
例えばソーシャルワーカー、グループホームのスタッフ、ヘルパー、
養護学校の先生たち、入所施設のスタッフ、重症児・者に関ってきたボランティアたち。
私は当初から
日々の生活において直接重症児・者と関っているこういう人たちに
Diekema医師やAshleyの父親が言うように
彼らには本当に何も分からないのかどうか、
本当に赤ん坊と同じなのかどうかを
聞いてみるべきだろう、と考えてきました。
日々の生活において直接重症児・者と関っているこういう人たちに
Diekema医師やAshleyの父親が言うように
彼らには本当に何も分からないのかどうか、
本当に赤ん坊と同じなのかどうかを
聞いてみるべきだろう、と考えてきました。
こういう人たちの視点が入ることによって
初めてこの議論が”親の愛情”神話から脱却して
「地域で支えられて暮らす」という捉え方の中に置かれるのではないかと
今でも考えています。
初めてこの議論が”親の愛情”神話から脱却して
「地域で支えられて暮らす」という捉え方の中に置かれるのではないかと
今でも考えています。
医療の人たちはどうしても教育や介護の分野の人をヒエラルキーの下において
自分たちが”指導”する対象としかみないし、
自分たちが”指導”する対象としかみないし、
(高齢者介護の実態や高齢者と家族のニーズを一番よく分かっているのはヘルパーやケアマネなのに
介護関係やケアマネの学会に医師が呼ばれて講演することはあっても
地域医療の学会にヘルパーやケアマネが呼ばれて講演することがないのは
非常に不思議なことだと私はいつも思う)
介護関係やケアマネの学会に医師が呼ばれて講演することはあっても
地域医療の学会にヘルパーやケアマネが呼ばれて講演することがないのは
非常に不思議なことだと私はいつも思う)
障害学も含めてアカデミックな「学」の世界の人たちの中にも
現場の人たちに対してヒエラルキーを作り、似たようなスタンスを取る人があるけれども、
当事者のすぐ傍にいて、直接身体に触れながら支えている人たちこそ、
案外に親よりも誰よりも当事者のことを分かっていることがあるものです。
現場の人たちに対してヒエラルキーを作り、似たようなスタンスを取る人があるけれども、
当事者のすぐ傍にいて、直接身体に触れながら支えている人たちこそ、
案外に親よりも誰よりも当事者のことを分かっていることがあるものです。
小山さんが英語版のレポートのタイトルに書いておられる「障害学の限界」や
日本語版のレポートで書いておられる「理論化された障害学」は
一母親の視点からAshley事件を追いかけてきた私にとっても、
おおいにうなずける指摘です。
日本語版のレポートで書いておられる「理論化された障害学」は
一母親の視点からAshley事件を追いかけてきた私にとっても、
おおいにうなずける指摘です。
それだからこそ、
障害学や障害者運動の人たちが
(こういう括り方そのものも問題なのだろうなとは思うのだけど、
「学」の人ではないので、とりあえず許容しておいてください)
重症児の親との対立の構図に乗せられることなく、
むしろ様々な立場を取る重症児の親たちや、
重症児のすぐ傍にいる多様な立場の人たちとも繋がって
そこにいる同じ懸念を共有する人たちと共に声を上げていくということを
考えてもらえないだろうか、と
障害学や障害者運動の人たちが
(こういう括り方そのものも問題なのだろうなとは思うのだけど、
「学」の人ではないので、とりあえず許容しておいてください)
重症児の親との対立の構図に乗せられることなく、
むしろ様々な立場を取る重症児の親たちや、
重症児のすぐ傍にいる多様な立場の人たちとも繋がって
そこにいる同じ懸念を共有する人たちと共に声を上げていくということを
考えてもらえないだろうか、と
もはや、どうにも出来ない段階まできてしまったのかもしれないし
そんなの口で言うほど簡単なことでもないし、
口ばっかりで何もできずにいる私には
こんなことを言う資格などないのだけれども、
そんなの口で言うほど簡単なことでもないし、
口ばっかりで何もできずにいる私には
こんなことを言う資格などないのだけれども、
なんとか抵抗できないかと、もどかしさに身もだえするような思いの中で
考えてたりしてみる。
考えてたりしてみる。
---------
この記事の中ほどで書いた議論の中立性という点では、
なによりも、第1例の当事者である病院に
どうして成長抑制そのものの是非を一般論として議論・検討する資格があるというのだ???
とずっと考えているのですが、
なによりも、第1例の当事者である病院に
どうして成長抑制そのものの是非を一般論として議論・検討する資格があるというのだ???
とずっと考えているのですが、
これについては、また別途書きたいと思います。
2009.01.30 / Top↑
今回の子ども病院のワーキング・グループは成長抑制のみにフォーカスしたもので、
ホルモン投与による成長抑制のみが行われるような印象を与えますが、
ホルモン投与による成長抑制のみが行われるような印象を与えますが、
Sobsey氏が指摘しているようにエストロゲンに発がん性があることは
既に女性の(特に更年期の女性にとっては)常識です。
既に女性の(特に更年期の女性にとっては)常識です。
米国で、乳がんリスクの研究が発表された翌日に
ホルモン補充療法をやっていた更年期の女性の半数がとりやめたという話もありました。
そのために数年後には乳がん患者の数が減ったというニュースも読んだ記憶があります。
ホルモン補充療法をやっていた更年期の女性の半数がとりやめたという話もありました。
そのために数年後には乳がん患者の数が減ったというニュースも読んだ記憶があります。
特に乳がんと子宮がんの発ガンリスクが高くなるということになれば、
昨今の米国で耳にする予防的臓器切除が頭に浮かびます。
しかも、ここで我々が考えているのは
4歳から6歳の我が子の体に平気で
発がん性のあるホルモンを大量にぶち込もうという親なわけだから、
おそらく「ついでに乳房と子宮も切除しておけば、発ガンリスクの問題は解決」と
しごく“合理的な”判断をするのではないでしょうか。
Ashleyの父親と同じように。
昨今の米国で耳にする予防的臓器切除が頭に浮かびます。
しかも、ここで我々が考えているのは
4歳から6歳の我が子の体に平気で
発がん性のあるホルモンを大量にぶち込もうという親なわけだから、
おそらく「ついでに乳房と子宮も切除しておけば、発ガンリスクの問題は解決」と
しごく“合理的な”判断をするのではないでしょうか。
Ashleyの父親と同じように。
また、私がこの点で気になるのは
2006年のGunther&Diekema論文では
子宮摘出の目的がホルモン療法による出血予防のためとされていること。
2006年のGunther&Diekema論文では
子宮摘出の目的がホルモン療法による出血予防のためとされていること。
成長抑制のためにエストロゲンを大量に投与すると子宮から出血するリスクがあるから
その出血を防ぐために、予め外科手術を行って子宮を取っておく必要があった、と。
その出血を防ぐために、予め外科手術を行って子宮を取っておく必要があった、と。
もちろん、改めて、ここにこの部分だけを取り出すと、
とんでもなく倒錯した理屈だというのは一目瞭然ですが、
とんでもなく倒錯した理屈だというのは一目瞭然ですが、
しかし、成長抑制についてのみ書かれたあの論文の数箇所に
さりげなく「予防的子宮摘出」としてもぐりこませてあると
読者はほとんど気にも留めずに読みすごしてしまうようです。
実際に、このマヤカシに気づいたのは、あの2007年の騒ぎの中で私だけだったのだから。
さりげなく「予防的子宮摘出」としてもぐりこませてあると
読者はほとんど気にも留めずに読みすごしてしまうようです。
実際に、このマヤカシに気づいたのは、あの2007年の騒ぎの中で私だけだったのだから。
これは、
実は別目的で父親が求め、倫理委がズルで認めて、こっそり実施してしまった子宮摘出を
あたかもそういう事実などなかったかのように、
あたかもホルモン治療に付随する必要悪だったかのように見せるための
Diekema医師らの巧妙な隠蔽工作だったと当ブログでは考えてきましたが、
実は別目的で父親が求め、倫理委がズルで認めて、こっそり実施してしまった子宮摘出を
あたかもそういう事実などなかったかのように、
あたかもホルモン治療に付随する必要悪だったかのように見せるための
Diekema医師らの巧妙な隠蔽工作だったと当ブログでは考えてきましたが、
しかし、今回の子ども病院のシンポで出てきた
「個別の倫理検討に裁判所の判断を仰ぐ必要はない」との見解とともに
この論文の、成長抑制の副作用予防手段としての子宮摘出の位置づけを振り返ると、
「個別の倫理検討に裁判所の判断を仰ぐ必要はない」との見解とともに
この論文の、成長抑制の副作用予防手段としての子宮摘出の位置づけを振り返ると、
本来であれば多くの州で
本人の意思によらない知的障害者への子宮摘出に必要だとされている裁判所の命令も
Ashleyの両親の弁護士が使った「不妊が目的ではない」という理由で
すっ飛ばされる可能性があるということなのでは?
本人の意思によらない知的障害者への子宮摘出に必要だとされている裁判所の命令も
Ashleyの両親の弁護士が使った「不妊が目的ではない」という理由で
すっ飛ばされる可能性があるということなのでは?
つまり、それは、
成長抑制療法を隠れ蓑に、
子宮摘出も乳房摘出もセットで行われてしまう可能性があるということなのでは?
成長抑制療法を隠れ蓑に、
子宮摘出も乳房摘出もセットで行われてしまう可能性があるということなのでは?
そう――。
2009.01.30 / Top↑
これもまた、今とても重要な情報だと思うので
以下は去年5月16日の「Ashley療法概念図」というエントリーの再掲です。
以下は去年5月16日の「Ashley療法概念図」というエントリーの再掲です。
現在も父親のブログにありますが、細かい部分に修正が行われているかもしれません。
この人の性格からして、逐次練り直して、改定しているような気もしますが、
細かくつき合わせて検証するだけの気力はないので。
この人の性格からして、逐次練り直して、改定しているような気もしますが、
細かくつき合わせて検証するだけの気力はないので。
-------
5月8日にAshleyの父親がブログThe Ashley Treatmentを更新しました。
といっても、新しく文章を書き加えたということではなく、
去年の暮れに彼は、いわゆる“Ashley療法”について一枚にまとめた概念図をアップしたのですが、
この概念チャート「“枕の天使ちゃんたち”の幸福のための“Ashley療法”」に手を加えたようです。
といっても、新しく文章を書き加えたということではなく、
去年の暮れに彼は、いわゆる“Ashley療法”について一枚にまとめた概念図をアップしたのですが、
この概念チャート「“枕の天使ちゃんたち”の幸福のための“Ashley療法”」に手を加えたようです。
1月にチャートをプリントアウトしたのですが、
ここ数日探しているのに、それがどうしても見つからないので、
すぐには前のヴァージョンと比較することができないのですが、
彼がいかに本気でAshley以外の重症児にこうした措置を広げていこうとしているか、
このチャートから伝わってくるので、紹介しておこうと思います。
ここ数日探しているのに、それがどうしても見つからないので、
すぐには前のヴァージョンと比較することができないのですが、
彼がいかに本気でAshley以外の重症児にこうした措置を広げていこうとしているか、
このチャートから伝わってくるので、紹介しておこうと思います。
更新された概念図 The “Ashley Treatment” for the wellbeing of “Pillow Angels”は、こちら
チャートはまずAshleyの状態を整理し、
それをPillow Angelsと彼らが呼ぶところの重症児の定義へと拡大していきます。
それをPillow Angelsと彼らが呼ぶところの重症児の定義へと拡大していきます。
Pillow Angelsの定義には6項目があり、
・最近の医学の発達によって命が助かるようになった子どもたちという新しい障害カテゴリー。
・障害児の1割にも満たない、社会で最も非力な子どもたち。
・介護者への依存度が非常に高く、家族にとってとても大切な存在である。
・家族の愛情に満ちたケアを受けるほうが“人間扱いされない施設に入れられる”よりQOLが豊か。
・家族と介護者の大半は体重と身長の伸びが最悪の敵だと考えている。
・家族の手による個別の選択肢を必要とする極度の障害である。
・障害児の1割にも満たない、社会で最も非力な子どもたち。
・介護者への依存度が非常に高く、家族にとってとても大切な存在である。
・家族の愛情に満ちたケアを受けるほうが“人間扱いされない施設に入れられる”よりQOLが豊か。
・家族と介護者の大半は体重と身長の伸びが最悪の敵だと考えている。
・家族の手による個別の選択肢を必要とする極度の障害である。
最後の行の「個別の選択肢」が矢印で「“Ashley療法”」という囲みにつながり、
さらに「“Ashley療法”」の囲みが矢印で
「乳房芽の切除」「子宮摘出」「健康のためのサイズ調整」の3つに分かれていきます。
さらに「“Ashley療法”」の囲みが矢印で
「乳房芽の切除」「子宮摘出」「健康のためのサイズ調整」の3つに分かれていきます。
上記4つの囲みそれぞれの下に整理されているのは以下のような
「解説」「Ashleyへの主な利点」「Ashleyへの追加の利点」。
「解説」「Ashleyへの主な利点」「Ashleyへの追加の利点」。
“Ashley療法”
解説は「予防的医療ケア」
主な利点は「QOLの改善」
追加の利点は「介護がしやすくなる(介護者と一心同体だから)」
乳房芽の切除
解説は「思春期に大きくなる腺の切除。思春期前なら単純な手術」
主な利点は「横になっている時や支持ベルトに大きな胸は不快、それを取り除く」
追加利点は「繊維症や癌予防」と「介護者に対して性的な存在となることを避ける」
子宮摘出
解説は「小さなうちに子宮を摘出」「選択肢検討するもこれほどの効果なし」
主な利点は「生理痛を取り除く」
追加利点は「出血しなくなる」「妊娠の可能性がなくなる」「癌予防」
健康のためのサイズ調整
解説は「骨端線の閉鎖を加速する2年間のエストロゲン・パッチ」
「体重と慎重をそれぞれ40%、20%の削減」
主な利点は「介護者によって動かすことが増える(可動性、血行、ストレッチ)」
「(施設ではなく)家で暮らせる可能性が高くなる」
追加利点は「側わんの手術と褥瘡の可能性を下げる」と「自己の認知と身体を近づける」
解説は「予防的医療ケア」
主な利点は「QOLの改善」
追加の利点は「介護がしやすくなる(介護者と一心同体だから)」
乳房芽の切除
解説は「思春期に大きくなる腺の切除。思春期前なら単純な手術」
主な利点は「横になっている時や支持ベルトに大きな胸は不快、それを取り除く」
追加利点は「繊維症や癌予防」と「介護者に対して性的な存在となることを避ける」
子宮摘出
解説は「小さなうちに子宮を摘出」「選択肢検討するもこれほどの効果なし」
主な利点は「生理痛を取り除く」
追加利点は「出血しなくなる」「妊娠の可能性がなくなる」「癌予防」
健康のためのサイズ調整
解説は「骨端線の閉鎖を加速する2年間のエストロゲン・パッチ」
「体重と慎重をそれぞれ40%、20%の削減」
主な利点は「介護者によって動かすことが増える(可動性、血行、ストレッチ)」
「(施設ではなく)家で暮らせる可能性が高くなる」
追加利点は「側わんの手術と褥瘡の可能性を下げる」と「自己の認知と身体を近づける」
また「乳房芽の切除」と「子宮摘出」の間に別の色で追加的に「盲腸摘出」が加えられており、
この3つを○で囲んで以下の2つの注がつけられています。
この3つを○で囲んで以下の2つの注がつけられています。
1)扁桃腺を取る程度のリスクの2時間の手術
2)エストロゲン療法の3つの作用(省きます)を防ぐために、これらはエストロゲン投与前に行う
2)エストロゲン療法の3つの作用(省きます)を防ぐために、これらはエストロゲン投与前に行う
なお、上記の“Ashley療法”からは、もう一つの矢印が出て
“Ashley療法”についてのコメント欄につながっており、
いかにAshleyのような子どもたちに有効であるか、
いかに多くの賛同の声があるかという話ですが、
最後の1つが大変気になるところで、
“Ashley療法”についてのコメント欄につながっており、
いかにAshleyのような子どもたちに有効であるか、
いかに多くの賛同の声があるかという話ですが、
最後の1つが大変気になるところで、
「世界中で何十人というPillow Angelの親が我が子のために同療法を検討中」だと。
――――――――
以上について、指摘しておきたいこととしては、
・ 「成長抑制」が「健康のためのサイズ調整(”Sizing for Wellness”)」に言い換えられました。
・「家で暮らせる時期を延ばす」という点を前年の医師らの論文が主たる目的としていたのに対して、Ashleyの父親は去年元旦の立ち上げ時のブログでも1月のメディアによるインタビューにおいても、これを繰り返し強く否定していたのですが、その後同じような子どもの親たちと連絡を取り合ううちに、彼はこのメリットを認めるようになったといいます。そのために、このチャートでは「主要な利点」の中に入っていますが、それによって親が当初主張していた成長抑制の目的を医師らが論文で偽って報告したとの疑惑が変わるものではありません。
・開腹手術のリスクが「扁桃腺切除と同じ程度」という箇所について、医師らの意見を聞いてみたいところです。
・当初は我が子のためを思って考え付いたことかもしれませんが、このチャートを作る彼の思考回路は既に会社の事業計画や新型ゲームの販促のプレゼン作成時のようです。今、彼が情熱を注いでいるのは実は自分が生んだ“Ashley療法”という商品を世に認知させることなのでは? 利点の部分ではeliminate(排除する)という単語がずらりと並んでおり、それを見ていると、我が子の身体のことについて、こういう書き方ができる親って……? eerieという英単語が頭に浮かびました。Stephan King の読みすぎかもしれませんが、「どう考えても普通じゃないものを感じて背筋の辺りがちょっと冷たくなるような感じ」?
・しかし、彼の現在の動機がどうあれ、それによってこんなことが広がっていくのは困るのです。シアトル子ども病院の医師らは、こうした父親の行動をどう眺めているのか。あなたたちは、このチャートの責任を取れるのか、と問いたい。
2009.01.30 / Top↑
今、とても重要な情報だと思うので、
以下は去年1月21日のエントリー「父親がやりたいのは実験?」の再掲です。
以下は去年1月21日のエントリー「父親がやりたいのは実験?」の再掲です。
Ashleyの父親のブログから”Ashley療法”を世界に広めるための計画を
このエントリーの後半にまとめています。
このエントリーの後半にまとめています。
彼は現在もAshleyに行われたのと同じことを希望する世界中の「枕の天使ちゃん」たちの親と
ネットワーク作りを進めているものと思われます。
ネットワーク作りを進めているものと思われます。
Diekema医師が23日のシンポで語った
「成長抑制療法を受けて、その後は良好」だという数例の子どもの親たちからも
Ashley父の元に情報が集まっているのかもしれません。
「成長抑制療法を受けて、その後は良好」だという数例の子どもの親たちからも
Ashley父の元に情報が集まっているのかもしれません。
こうした情報を自分のところに集めて、
正式な研究を求めていく材料とすることが彼の計画ですから。
正式な研究を求めていく材料とすることが彼の計画ですから。
しかも「安全でプライベートな」情報交換で、といっています。
実態もつかめないし、外部から批判もできないまま、
重症児は親の思うままに体に手を加えられようとしています。
実態もつかめないし、外部から批判もできないまま、
重症児は親の思うままに体に手を加えられようとしています。
-------
まず、Ashleyの近況については
・元気にしており、安定している。
・薬も減って今は逆流の薬だけ。
(逆流の薬というのは胃ろうの関係ではないかと思うのですが……。)
・現在の体重は63ポンド、身長は53インチで1年前のまま。
・元気にしており、安定している。
・薬も減って今は逆流の薬だけ。
(逆流の薬というのは胃ろうの関係ではないかと思うのですが……。)
・現在の体重は63ポンド、身長は53インチで1年前のまま。
しかし、Ashleyの近況は最初の4行で終わり、
このアップデイトの眼目はこの後に続く
①両親に寄せられた反響の分析
②今後に向けての計画
のようです。
このアップデイトの眼目はこの後に続く
①両親に寄せられた反響の分析
②今後に向けての計画
のようです。
①受け取った4705通のメールを1月に全て読み分類したところ、
93,9%が支持、6,1%が批判だった、と。
93,9%が支持、6,1%が批判だった、と。
自分たちの「枕の天使ちゃん」に同じことを求めている、
または検討中との家族からのメールが159。
または検討中との家族からのメールが159。
批判した238通のメールはほとんどが障害当事者からのもので、
彼らは自分に同じ事をされたら困るという気持ちに反応しているだけ。
彼らは自分に同じ事をされたら困るという気持ちに反応しているだけ。
(「Ashleyはこういう活動ができるあなたたちとは違うのだ」とはDiekema医師も
去年1月12日のLarry King Live でしきりに強調していました。)
去年1月12日のLarry King Live でしきりに強調していました。)
「枕の天使ちゃん」たち重症児との直接体験のある人はほとんど支持している
という点を強調しています。
また、今後何らかの方法でこれらの反響を公にする方法を検討中とも。
という点を強調しています。
また、今後何らかの方法でこれらの反響を公にする方法を検討中とも。
「おお、この人らしい」と思ったのは、
自分のブログをちゃんと読んでくれた人は支持しているし、
メディアの報道で惑わされていたがブログを読んで気持ちが支持に変わったという人もいる、
とも書いています。
自分のブログをちゃんと読んでくれた人は支持しているし、
メディアの報道で惑わされていたがブログを読んで気持ちが支持に変わったという人もいる、
とも書いています。
・安全でプライベートな情報交換フォーラムを作る。
・初期に行われる症例から学んだことを整理・文書化し先の世代の役立てるために、
“Ashley療法”を子どもにやった人の情報を収集する。
(自分たちのメールアドレスに情報を寄せてくれるよう呼びかけています。)
(「初期の症例」という表現に、
広く世の中に定着したAshley療法が彼の頭では既にイメージされているのが感じられます。)
・こうした草の根の活動を続けて、“Ashley療法”についての正式な研究を促す。
・“Ashley療法“を実施または検討する家族と医師に対して、
Gunther医師の残したAshleyの症例記録と自分たちの記録を公開する。
・初期に行われる症例から学んだことを整理・文書化し先の世代の役立てるために、
“Ashley療法”を子どもにやった人の情報を収集する。
(自分たちのメールアドレスに情報を寄せてくれるよう呼びかけています。)
(「初期の症例」という表現に、
広く世の中に定着したAshley療法が彼の頭では既にイメージされているのが感じられます。)
・こうした草の根の活動を続けて、“Ashley療法”についての正式な研究を促す。
・“Ashley療法“を実施または検討する家族と医師に対して、
Gunther医師の残したAshleyの症例記録と自分たちの記録を公開する。
ここまでくると、この父親が考えているのはある種の実験なのでしょうか。
2009.01.30 / Top↑
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