Ashley事件について spitzibara の、この1年の動きと思い
Ashley事件に関しては個人的には
2008年2月に英語ブログを立ち上げました。
(詳細はトップページに)
2008年2月に英語ブログを立ち上げました。
(詳細はトップページに)
Ashley事件をメディアで批判した英米加の研究者やジャーナリスト数人と
個人的にコンタクトも試みましたが、
大半の人には無視されて終わり。
個人的にコンタクトも試みましたが、
大半の人には無視されて終わり。
数人の人からは
「Ashleyの父親が誰かということはあげつらうべき問題ではない。
この問題はもっと一般的・本質的な問題である」
「スキャンダルをほじくっても意味はない。
なぜ親がこんなことをしなければならないのかを考えるのが大事」
などなどのご意見を頂戴して、これまた相手にされずに終わり。
「Ashleyの父親が誰かということはあげつらうべき問題ではない。
この問題はもっと一般的・本質的な問題である」
「スキャンダルをほじくっても意味はない。
なぜ親がこんなことをしなければならないのかを考えるのが大事」
などなどのご意見を頂戴して、これまた相手にされずに終わり。
しかし、私にはどうしてもわからないのです。
もしも当ブログの仮説のように
Ashleyの父親がマイクロソフト社の幹部であり、
そのためにゲイツ財団と縁の深いW大学と子ども病院が
特例としての政治的配慮によって内密裏に行ったことだったとしたら、
Ashleyの父親がマイクロソフト社の幹部であり、
そのためにゲイツ財団と縁の深いW大学と子ども病院が
特例としての政治的配慮によって内密裏に行ったことだったとしたら、
それはただのスキャンダルではなく、
事件の本質そのものではないのでしょうか。
事件の本質そのものではないのでしょうか。
みんなが議論している「“Ashley療法”は倫理的に許されるか」という問いを
「シアトル子ども病院の倫理委はしかるべく機能したかどうか」という問いに置き換えてしまう、
それこそ本質的な問題なのではないでしょうか。
「シアトル子ども病院の倫理委はしかるべく機能したかどうか」という問いに置き換えてしまう、
それこそ本質的な問題なのではないでしょうか。
「なぜ重症児の親がこんなことをしてしまうのか」という問いですら
Ashley専属の看護師くらい何人でも雇える親の財力を考えれば、その答えも
多くの人が論じているように「社会の介護支援が不足しているから」ではなく
「Ashleyの父親は“科学と技術で何でも簡単解決文化”の信奉者だから」という
まるで本質の違う答えに行き着く可能性だってあるかもしれない。
Ashley専属の看護師くらい何人でも雇える親の財力を考えれば、その答えも
多くの人が論じているように「社会の介護支援が不足しているから」ではなく
「Ashleyの父親は“科学と技術で何でも簡単解決文化”の信奉者だから」という
まるで本質の違う答えに行き着く可能性だってあるかもしれない。
2年前にAshley事件と出会い、
始めは事件の事実関係や背景をただ知るために、
次いで、思いがけなく恐ろしい様相を呈している英米の医療を巡る動きへと
興味が広がっていくにつれて、
Ashley事件は非常に象徴的な事件だったように思えてきました。
始めは事件の事実関係や背景をただ知るために、
次いで、思いがけなく恐ろしい様相を呈している英米の医療を巡る動きへと
興味が広がっていくにつれて、
Ashley事件は非常に象徴的な事件だったように思えてきました。
科学と技術で人の身体や命に手を加えて思い通りにしようとする簡単解決文化の蔓延。
それと同時に医療の世界で進行している巨大な利権構造とそれによる人命・人権軽視。
そして慈善資本主義の資金が世界の保健医療を効率とコスト計算で再編しようとする動き。
それらを正当化するラディカルな生命倫理・功利主義の跋扈。
それと同時に医療の世界で進行している巨大な利権構造とそれによる人命・人権軽視。
そして慈善資本主義の資金が世界の保健医療を効率とコスト計算で再編しようとする動き。
それらを正当化するラディカルな生命倫理・功利主義の跋扈。
Ashley事件を詳細に眺めていくと、
英米を中心に、どんどん病んでいく人間社会で起こっていることごとくが
みんな、この事件からは透けて見えてくる。
英米を中心に、どんどん病んでいく人間社会で起こっていることごとくが
みんな、この事件からは透けて見えてくる。
1月23日のシアトル子ども病院のシンポも注目しておきたい。
2009.01.05 / Top↑
この1年間の医療・障害・生命倫理を巡る英米での動き概観
英米の医療や障害者関連のニュースを簡単に追いかけてきた中で
Ashley事件からの2年間、特に去年1年間の動きで印象的だったことを。
Ashley事件からの2年間、特に去年1年間の動きで印象的だったことを。
・ワシントン州の住民投票で自殺幇助が合法化されたこと。米国で自殺幇助が合法化されているのはオレゴンとワシントンの2州となりました。
・英国を中心に、スイスのDignitasクリニックに出かけて幇助自殺を遂げる人が急増。合法化を求める声の高まりと同時に、本来なら余命半年程度で耐えがたい苦痛がある人など厳密に設定されているはずの条件がどんどん曖昧になり、ターミナルでもなければ苦痛もないのに障害があるから、家族に介護負担を負わせたくないからといった理由で自殺を幇助される人が増えています。闇で安楽死を請け負うビジネスも横行しているようです。
・臓器不足のため、脳死を待たずに呼吸器を外して臓器を摘出する医師が増えているし、それを正当化する理論付けを行う生命倫理の専門家も出てきているようです。
・英国議会でのヒト受精・胚法改正議論で、障害児に対する優生的な視線、発言が相次ぎました。
・英米で障害のある子どもたちがクラスから、飛行機から、教会から排除されるという事件が相次ぎました。
・英米で製薬会社の利益優先・人命軽視の実態と、影響力の大きな医師との癒着が相次いで問題となりました。科学と技術による簡単解決文化の背景に潜んでいるものを考えされられます。
・重症障害者への治療が無益だと停止され、栄養と水分の供給すら停止されるケースが目に付いています。
・障害児が親に殺されるケース。障害児が生まれると親がどんなに大変かと、障害児を加害者的に見るメディアのトーンも目に付くような気がします。
・親による子どもの殺害、虐待。親にも学校にも制御不能の、荒れる子どもたち。
・ワシントン大学にゲイツ財団からの巨額の資金提供によって、世界の保健医療をコスト計算で再評価するIHMEが開設されました。英国の医学誌Lancetと提携し、死亡率だけでなく障害の発生率も抑える新基準DALYを医療のスタンダードとして導入ことを目指しています。
・明るいニュースとしては、イリノイ州で知的障害のある女性に子宮摘出の要望が出されていたケースに、裁判所はNOと判断。
・英国を中心に、スイスのDignitasクリニックに出かけて幇助自殺を遂げる人が急増。合法化を求める声の高まりと同時に、本来なら余命半年程度で耐えがたい苦痛がある人など厳密に設定されているはずの条件がどんどん曖昧になり、ターミナルでもなければ苦痛もないのに障害があるから、家族に介護負担を負わせたくないからといった理由で自殺を幇助される人が増えています。闇で安楽死を請け負うビジネスも横行しているようです。
・臓器不足のため、脳死を待たずに呼吸器を外して臓器を摘出する医師が増えているし、それを正当化する理論付けを行う生命倫理の専門家も出てきているようです。
・英国議会でのヒト受精・胚法改正議論で、障害児に対する優生的な視線、発言が相次ぎました。
・英米で障害のある子どもたちがクラスから、飛行機から、教会から排除されるという事件が相次ぎました。
・英米で製薬会社の利益優先・人命軽視の実態と、影響力の大きな医師との癒着が相次いで問題となりました。科学と技術による簡単解決文化の背景に潜んでいるものを考えされられます。
・重症障害者への治療が無益だと停止され、栄養と水分の供給すら停止されるケースが目に付いています。
・障害児が親に殺されるケース。障害児が生まれると親がどんなに大変かと、障害児を加害者的に見るメディアのトーンも目に付くような気がします。
・親による子どもの殺害、虐待。親にも学校にも制御不能の、荒れる子どもたち。
・ワシントン大学にゲイツ財団からの巨額の資金提供によって、世界の保健医療をコスト計算で再評価するIHMEが開設されました。英国の医学誌Lancetと提携し、死亡率だけでなく障害の発生率も抑える新基準DALYを医療のスタンダードとして導入ことを目指しています。
・明るいニュースとしては、イリノイ州で知的障害のある女性に子宮摘出の要望が出されていたケースに、裁判所はNOと判断。
一言で言えば、
Ashley事件からの2年間で
世界中で障害児・者への排除の空気が非常に濃厚になってきたという印象。
Ashley事件からの2年間で
世界中で障害児・者への排除の空気が非常に濃厚になってきたという印象。
“Ashley療法”論争当時は、それでもまだ
あからさまに「社会的にコスト」をあげつらって声高に云々する人は
多くはなかったように思うのですが、
この2年間の間に障害児・者について医療費・教育費、その他支援の社会的コストが
ずいぶん露骨に言われるようになりました。
あからさまに「社会的にコスト」をあげつらって声高に云々する人は
多くはなかったように思うのですが、
この2年間の間に障害児・者について医療費・教育費、その他支援の社会的コストが
ずいぶん露骨に言われるようになりました。
Ashley事件はそういう時代の急激な変化を前に、
まるでその後の排除の空気への急傾斜を予告・警告するかのように起きた事件だと
いま振り返ると、つくづく感じます。
まるでその後の排除の空気への急傾斜を予告・警告するかのように起きた事件だと
いま振り返ると、つくづく感じます。
2009.01.05 / Top↑
Ashley事件、2008年の動き。
それで今年もやはり「正月休みも終わりだな」と思うと同時に
「ああ、Ashley事件から、もう2年も経ったんだ……」と、頭はそこに巡ります。
「ああ、Ashley事件から、もう2年も経ったんだ……」と、頭はそこに巡ります。
日本ではもともと2年前の論争そのものを知らない方が多く、
当初は興味を持っていた人のほとんども「もう終わったこと」になってしまっているし
他の国々でも、もはや忘れ去られようとしている事件なのだろうと感じるのですが、
いえいえ、この事件、まだまだ終わってなどいないのです。
当初は興味を持っていた人のほとんども「もう終わったこと」になってしまっているし
他の国々でも、もはや忘れ去られようとしている事件なのだろうと感じるのですが、
いえいえ、この事件、まだまだ終わってなどいないのです。
そこで、Ashley事件を巡る2008年の動きをまとめてみました。
1月
Diekema医師がCalvin大学にてAshleyケースについて講演。その前後にメディアで大いにしゃべる。「Ashley療法は水面下で行われている」、「論争時にオプラ・ウィンフリーが一家を番組に招待したが、自分たちが何者かが世間に知れると大変なことになると両親は判断して断った」とも。(詳細は「Diekema講演(08年1月)」の書庫に)
3月
CNNがAshleyの両親にeメールでインタビュー。父親は翌日にブログでAmy Burkholderのインタビューに関する記事を批判。またブログで“Ashley療法”を多くの重症児に広めていくための活動方針を具体的に語っています。(詳細は「両親インタビュー(08年3月)の書庫に」
8月
Diekema医師、またもAshleyケースについて講演。今回は米国科学協会とカナダ科学キリスト教協会のジョイント学会にて。(詳細はこちら)
9月
NYのStony Brook 大学で認知障害に関する大きなカンファレンスが開かれ、その中でPeter SingerがAshleyケースに言及。(講演の当該箇所をビデオで聴いてみた印象では、Ashleyケースを親の決定権で擁護したというよりも、むしろAshleyケース自体を「障害児については親の選択に任せよ」という自分の主張の根拠にしたという文脈のような・・・・・・。)
12月
9月の認知障害カンファの内容を考察するシリーズが、各国の研究者ら数人が共同で運営するブログでスタート。今のところ上記Singerの「障害児には道徳的地位はないのだから、生死も含め親の選択権に」という主張などを、カナダのAlberta大学の教授2人が批判しています。(今のところ「Ashley関連(09年)」の書庫に入れていますが、近く独立した書庫を作るかもしれません。)
1年を通じて
Diekema医師は生命倫理の専門家として大活躍されました。まるで米国小児科関連の生命倫理のご意見番のごとく、あれこれのニュースや論文に発言を求められ活躍されるようになりました。Ashley事件で名前を売ったから、というだけでしょうか。
Diekema医師がCalvin大学にてAshleyケースについて講演。その前後にメディアで大いにしゃべる。「Ashley療法は水面下で行われている」、「論争時にオプラ・ウィンフリーが一家を番組に招待したが、自分たちが何者かが世間に知れると大変なことになると両親は判断して断った」とも。(詳細は「Diekema講演(08年1月)」の書庫に)
3月
CNNがAshleyの両親にeメールでインタビュー。父親は翌日にブログでAmy Burkholderのインタビューに関する記事を批判。またブログで“Ashley療法”を多くの重症児に広めていくための活動方針を具体的に語っています。(詳細は「両親インタビュー(08年3月)の書庫に」
8月
Diekema医師、またもAshleyケースについて講演。今回は米国科学協会とカナダ科学キリスト教協会のジョイント学会にて。(詳細はこちら)
9月
NYのStony Brook 大学で認知障害に関する大きなカンファレンスが開かれ、その中でPeter SingerがAshleyケースに言及。(講演の当該箇所をビデオで聴いてみた印象では、Ashleyケースを親の決定権で擁護したというよりも、むしろAshleyケース自体を「障害児については親の選択に任せよ」という自分の主張の根拠にしたという文脈のような・・・・・・。)
12月
9月の認知障害カンファの内容を考察するシリーズが、各国の研究者ら数人が共同で運営するブログでスタート。今のところ上記Singerの「障害児には道徳的地位はないのだから、生死も含め親の選択権に」という主張などを、カナダのAlberta大学の教授2人が批判しています。(今のところ「Ashley関連(09年)」の書庫に入れていますが、近く独立した書庫を作るかもしれません。)
1年を通じて
Diekema医師は生命倫理の専門家として大活躍されました。まるで米国小児科関連の生命倫理のご意見番のごとく、あれこれのニュースや論文に発言を求められ活躍されるようになりました。Ashley事件で名前を売ったから、というだけでしょうか。
このシンポ、
Ashleyケースそのものの事実関係が全く解明されてもおらず、
また部分的には違法性が明らかになったにもかかわらず、
またも当事者である病院があたかも利害関係のない第三者のような立場を装って
問題を一般化し、翻って自分たちのやったことを正当化し
それによってAshley事件の特異性を糊塗してしまおうとしているように
私には見えます。
Ashleyケースそのものの事実関係が全く解明されてもおらず、
また部分的には違法性が明らかになったにもかかわらず、
またも当事者である病院があたかも利害関係のない第三者のような立場を装って
問題を一般化し、翻って自分たちのやったことを正当化し
それによってAshley事件の特異性を糊塗してしまおうとしているように
私には見えます。
しかし、もしもAshleyの父親がこの人物でなかったとしても
病院は同じ決断をしていたのかどうか、私は疑問だと考えています。
病院は同じ決断をしていたのかどうか、私は疑問だと考えています。
そもそも、事件が論争になって2年も経ち、
世の中が事件を既に忘れ去っているかのように見える今になってもなお、
このように執拗に周到にことを仕組み、
自分たちがやったことを正当化しなければいられない病院の行動こそ
罪悪感と真実を暴かれることに対する不安心理がやらせることなのではないでしょうか。
世の中が事件を既に忘れ去っているかのように見える今になってもなお、
このように執拗に周到にことを仕組み、
自分たちがやったことを正当化しなければいられない病院の行動こそ
罪悪感と真実を暴かれることに対する不安心理がやらせることなのではないでしょうか。
彼らの思惑に乗せられて
一般論としての成長抑制が議論されていくことは大変危険なことなのでは?
一般論としての成長抑制が議論されていくことは大変危険なことなのでは?
まずはAshleyに行われた医療処置の背景、
特に倫理委員会の議論の内容が明らかにされ
利益関係のない第三者によって十分に検証されるべきであり、
この特異な個別事例が解明されるまでは
Ashleyに行われた医療措置のいずれの部分も一般化されて議論されてはならないのでは?
特に倫理委員会の議論の内容が明らかにされ
利益関係のない第三者によって十分に検証されるべきであり、
この特異な個別事例が解明されるまでは
Ashleyに行われた医療措置のいずれの部分も一般化されて議論されてはならないのでは?
もしも当ブログが検証してきたように、
本来は水面下で密かに行われて表ざたになるはずがなかったAshley事件が
さまざまな事態の推移の中で公表されてしまったために、
いまや病院や医師らが自分たちの名誉を守るために
成長抑制を一般化・正当化することに躍起になっているのだとしたら、
本来は水面下で密かに行われて表ざたになるはずがなかったAshley事件が
さまざまな事態の推移の中で公表されてしまったために、
いまや病院や医師らが自分たちの名誉を守るために
成長抑制を一般化・正当化することに躍起になっているのだとしたら、
Diekema医師を始めシアトル子ども病院の医師たちに問いたい。
あなたたちは自己保身のために、
「重症児の尊厳や身体の全体性については健常児とは話が別」という価値基準を医療の中に作り、
それによって多くの重症児が生身の身体に手を加えられる可能性を生じさせようとしている。
「重症児の尊厳や身体の全体性については健常児とは話が別」という価値基準を医療の中に作り、
それによって多くの重症児が生身の身体に手を加えられる可能性を生じさせようとしている。
そのことに、あなたたちの医師としての良心は痛まないのか──?
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