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ベルギーで23年間“植物状態”だと診断されていた男性が
実はずっと意識があったことが分かったというニュースを
昨日のエントリーで紹介しましたが、

一般に混同されて使われがちな
「植物状態」と「最少意識状態」と「昏睡」と「ロックトイン症候群」とは
一体どう違っているのか、

また、なぜ「ロックトイン症候群」が「植物状態」と誤診されがちなのか、について
米国のリハ医がABCテレビで解説しています。

こちらのABCビデオのサイトから
Coma Misdiagnoses: How Could it Happen?  というタイトルのビデオを。

読むのと違って正確を期すためには何度も聞かなければならないし、
それでも私の聞き取り能力では、ちょっと自信もないので、
それらの厳密な違いについては直接聞いてもらいたいのですが、

私が個人的に印象的だったことは以下の3点で、

①「植物状態」とは presumed unconsciousness だという表現。
つまり、「意識がない」というのは「推定」であり「みなし」に過ぎないという理解。

②なぜロックトインの人が植物状態と誤診されてしまうのか、という点について

ロックトインの人は注意してよくよく見れば、
こちらの指示に従って、わずかにでも目を動かしたりするのが分かるし、
本来なら、診断する専門家はそれだけの観察ができなければならないのだけれども、
現実には、そのわずかな動きやサインが見落とされているのだろう、という指摘。

③そこで番組キャスターが、ここぞとばかりに、
ハイテクの脳科学技術で誤診を防げるという方向に話を持っていこうとするのに対して、

リハ医は引きずられるのではなく、むしろ
現場で患者の側にいる人たちの観察眼や診断技術を磨く方向で考えているようだったこと。


このニュースを受けて、米国のブログにも同じことを書いた人がいたけど、
特にやっぱり②のところで、私もシャイボ事件を思いました。

意識がないとされて餓死させられたTerry Shiavoさんは
映像を見ると、目が動いていること、その目に表情があること
私にはずっと気になっています。


【26日追記】
この映像を見た時に、文字ボードを介助で押さえているシーンがあるのが気になりました。
FCが絡んでいるとしたら、その点でもって全面否定の反応が出てくるのかなぁ……と思っていたら、
どうも、やっぱりネット上で「これは、やらせだ」というコメントが出ているようです。

私には、24日の記事の2枚目の写真の男性の姿は、
重いマヒによる言語障害のある人が全身の力を振り絞って何かを伝えようとする際の
私には非常になじみのある顔や体の動きであるように見えることと、

別に「足の動きでYes-NOを伝えている」という話もあるので、個人的には
文字盤を使う1つの場面だけでは何ともいえないと思いますが。


              ―――――――

ずっと前に仕事で出会った素晴らしいOTさんの一人と
この前久しぶりに会って話した時に、聞かせてもらった、とてもいい話を思い出しました。

“機能”だけではなく、“人”と向き合い、
なんというか、作業療法のココロそのものを生きている……みたいなOTの川口淳一さん。

著書はこちら
ああ、こういうふうに患者と向かい合っている医療職もいるんだぁ……と、
じわ~っと心に沁みてくる、本当にいい本です。

この人の作業療法のすごさについては、
また改めて書きたいと思っているのだけど、
とりあえず、その日聞いた話を。

ターミナルで、病棟の誰から見ても反応がなく、
「もう意識がなくなっている」と思えていた女性シズエさん(仮名)。

ところが川口氏は、呼びかけた時に、
酸素マスクをつけた女性の苦しそうな呼吸のリズムが、ほんのちょっとだけ変わることに注目する。

もしかしたら、これは呼びかけに反応しているのでは……と。

「聞こえてたら目をぎゅっと閉じてみて」と試しに言ってみたら、
その人は目をぎゅっと閉じて見せてくれた。

それから、その人は呼吸リズムと目を閉じることで周囲と会話することが出来るようになった。


このエピソードを聞いて、つくづく思った。

誰もが「どうせ、この人には分からない」と思い込んでしまったいる中で、
必死で出している弱々しい信号を、たった一人、誰かか「もしかして……」と受け止めてくれたから、

その人は「意識がない人」から「意識がある人」に変わることが出来た――。

死の直前に、その”たった一人”がいてくれたことは、
シズエさんにとって、どんなに大きな喜びだったことだろう。


そのエピソードを書いた、川口氏のブログエントリーは以下に。

希望
マイライフ・ユアライフ 2009年10月22日



2009.11.25 / Top↑
シアトル子ども病院のサイトに
来年7月の第6回生命倫理カンファの予告が出されています。

テーマは
Tiny Babies, Large Questions:Ethical Issues in Prenatal and Neonatal Care
小さなベイビー、大きな問題:周産期ケアの倫理問題



当ブログがAshley事件のマスターマインド(筋書きを書いている人)と考える人物で、
これまでは第3者を装って隠れていたくせに今年に入って俄かに表舞台に出てきては
Diekema医師と一緒に論文を2本も書いている  Norman Fost医師は、

このシアトル子ども病院の生命倫理カンファでは
Ashley事件の前から定番スピーカーの1人なのですが、
来年も、もちろん登場。

彼のプレゼンのテーマは

Whatever Happened to Baby Doe? The Transformation from Under-treatment to Over-treatment
ベイビー・ドゥはいったいどうなった? 不十分な治療から過剰な治療への移行


Baby Doe事件というのは、
米国の生命倫理関連事件の中でも大きなものの1つで、
日本語ではあまりいい説明がないのですが、立岩先生のところのサイトがこちら

英語のWikipediaはこちら

私もあちこちで読んでいて、ファイルのどこかに資料があるはずなのですが、
ちょっと探してみただけでは、すぐには見つかりませんでした。

細部に間違っている部分があるかもしれませんが、ざっと私の頭にある理解では、

1984年に生まれたダウン症の男の子で、
出生時、消化器系に手術で十分に治療可能な異常があった。

しかし、ダウン症であることを理由に両親が手術を拒否して、男児は死亡。

この事件が大きく報道されて論争となったことから
世論の圧力を受ける形で当時のレーガン大統領が児童虐待法を改正。

現在“Baby Doeルール”と呼ばれる一連の法律を作り、
子どもが不可逆的な昏睡か、救命が明らかに不可能な場合のほかは
治療を停止してはならないと定めた。

同時にそのための予算を連邦政府から地方に下ろすことを定める一方で、
この法律に違反する治療停止事例を通報させるホットラインまで作ったものだから
医療現場から激しい反発を受けた。

ホットラインはその後、停止。

親の希望もQOLも問わない、としたことが現在に至るまで論争になっている。

ちなみに、2005年に米国小児科学会誌上でBaby Doeルールを巡る論争があり、
Ashley事件に登場して不可解なほどオドオドしつつ擁護したJoel Frader医師が
その中で「最善の利益」はポルノと同じで使う人の意向次第でどうにでもなる概念だと批判しています。

この論争関連の論文は、Pediatrics誌のサイトで無料で読めます。
Frader医師の論文はこちら

なお、米国小児科学会倫理委員会は今年7月に
小児に対する栄養と水分の供給停止のガイドラインを作っていますが、
委員長が、あのDiekema医師とあって、相当に怪しげな作文となっています。
詳細は以下のエントリーに。

2009.11.25 / Top↑