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早産の原因となると思われる遺伝子の変異まで見つけたんだそうな。:それでどうしようというのだろう? 何でも遺伝子で決まるみたいに言うのも、そろそろ限界だという声、もっと出てきてもいいと思う。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8498712.stm

アフリカのマラリア患者はグレードの低い薬しか与えられていない、とのWHOの調査結果。:あらま。いったい、どうしたんですか、ゲイツ財団さん。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/8504137.stm

英国の大学が資金カットのため教師陣の首切り、キャンパスの閉鎖など、大量の失業者を出すことに。:大学院生が教授の代わりを務めると、サブタイトルにはあるんだけど……。
http://www.guardian.co.uk/education/2010/feb/07/job-losses-universities-cuts

そういうのに関連して、この前びっくりした、森岡正博先生のブログのこの記事。大阪市立大学で文系学部の閉鎖が決まった、とのこと。:国際競争力のためには理系学問を重視したいのかもしれないけど、文系学問を大事にしないと人類のためにならないと思う。
http://d.hatena.ne.jp/kanjinai/20091211/1260489823

2008年1月の名高きステロイド・ディベイトはNorman FostとJulian Savulescuが出ているとあって、当ブログでも取り上げていますが、今頃になって面白いものを見つけました。そのディベイトの進行と同時に行われたと思われるネット投票。ステロイド解禁派の明々白々な敗北をみて、ほっとした。(最近、ある人に教えてもらったところでは、SavulescuってPeter Singerの1番弟子だそうな。ほぇ~。じゃぁ、案外にSinger とFost は、実はお友達だったりしてね。いや、冗談ではなく、これまでの言動からすれば十分ありうる……これ、Ashley事件においては非常に重大な可能性……。)
http://intelligencesquaredus.org/index.php/past-debates/we-should-accept-performance-enhancing-drugs-in-competitive-sports/

ギャンブルでお金をすりたくないという不安を起こしている脳の部位が判明したそうな。:こういう研究もあるんですねぇ……。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8504605.stm

自殺念慮があって、うつ病がひどいティーンには地域での従来型の治療よりも家族カウンセリングが即効性があって有効。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/178418.php
2010.02.09 / Top↑
ロシアのジャーナリスト Aleksandr Nikonov氏が
殺そう。苦しまないように」というタイトルの記事を書き、
“出生後中絶”は慈悲の行為だと主張。

障害児の誕生は多くの家族にとって耐えがたい悲劇であり「地獄」である、
「新生児を殺すのは実際のところ中絶と同じ」、
自立することのない障害児を殺すのは「真のヒューマニズムである」と述べて、
高齢者が安楽死で殺されているのと同じように、
新生児を安楽死させる権利を親に与えよう、と主張した。

また、ロシアでは非常に非礼であるとされる debil という言葉を
発達障害のある子どもたちに使用しており、

障害のある子どもの母親2人がNikonov氏を相手取った訴訟を起こした。

同氏を罰するというよりも、社会が障害児に対して冷たくなりつつあることへの懸念から。
障害児をケアすることについて問題提起をしたいから、とも。

その一人 Svetlana Shtarkovaさんは
「このような意見は決してNikonov氏に限ったものではなく、
統計でもロシア人の4人に1人が同様の意見を持っているとされています。

通りすがりの人から障害児がいるのは自業自得だといわれたこともあるし、
障害が重いと医師もソーシャルワーカーもちゃんと対応してくれない」と。

彼女らの弁護士がヒットラーに例えたことを受け、
Nikonov氏はRadio Free Europeのインタビューで

自己紹介しましょう。私はアドルフ・ヒットラーです。
どうも、そうふうに言われているらしいんでね。

しかし、本当にひどいのはそう言っている連中の方です。
私に向かって『人が苦しむのはいいことで、フェアなことだ、
人間らしさという机上の概念さえ影響されない限り
苦しむ人はそのまま放置しておけばいい』といっているわけだから。

そんな連中はくそくらえだ。

人を苦しませるべきじゃない。私はそう思う。
黙らせようったって私は黙らないよ。


当然ながら記事は最後にPeter Singerを引き合いに出しています。

そして、Singer や Nikonovの言っていることが、ただの思想でとどまらず
実際に社会もそのように考え始めていることを懸念しています。

Peter Singerの価値観の勝利という
2008年7月のWesley Smithの記事を引用して、
オランダで新生児の死亡例の8%は医師が殺したケースで
そういうケースが年間90例もある、

さらにオランダの医師会までが、それを支持している、と。



どうして障害児・者切り捨て論を説く人というのは
こんなふうに揃いも揃って、上から目線で
押しつけがましく攻撃的な物言いになるんだろう?

なぜ、冷静に誠実に議論をしようという姿勢でないのだろう。

Peter Singer も Norman Fost も この人もそうなんだけれども、
揃いも揃って2チャンネル的なものの言い方をする。

そういう姿勢に、
私はそれこそ知性の欠落を感じてしまうのだけど……?


2010.02.09 / Top↑
スコットランドの議会に提出されている自殺幇助合法化法案が
ターミナルな状態の人だけでなく身障者も対象としていることは
こちらのエントリーで紹介しましたが、

06年に元GPだった母親をスイスのDignitasに連れて行って死なせた経験から
死の自己決定権アドボケイト Dignity in Dyingの活動をしているEdward Turner氏が
スコットランドの自殺幇助合法化法案が身障者を対象に含めていることについて、

道徳的に曖昧で、
障害者の生の価値が過小に評価されることにつながる恐れがあり、
障害について経験もなく無知な健常者中心の社会が
障害問題の解決策は自殺幇助だと短絡してしまうのではないかと
障害者らが不安を感じるのも当然だと批判。

また、
申請までに18ヶ月間スコットランドのGPに登録していることという条件についても
お金やコネのある人や、準備期間をおける人なら、回避可能だ、とも。

一方、法案提出者でパーキンソン病のMacDonald議員は
事故で全身マヒになってDignitasで自殺した23歳の元ラグビー選手Dan Jamesさんや
先日来話題になっているMEのLynn Gilderdaleさんの母親による自殺幇助事件から
むしろ、必要だと考えると述べ、

生きることが耐えがたいなら
そういう人たちにも死ぬ権利を与えようとしているのです。
彼らには自己決定権があるのだから、意思を尊重してもらえて然りです



Dan Jamesさんというのは、
ラグビーの練習時の事故で首から下が麻痺してしまった23歳の青年で、
「下級市民(second class citizen)」として生きていくのは耐え難いから
スイスに行って死にたいと主張し、両親がDignitasに連れて行って自殺させたケース。

どちらかということ、これまでの自殺幇助合法化議論では
「すべり坂」の象徴のように取り上げられてきた事件ですが、

両親の行動について、英国の公訴局は取り調べは行ったものの
「起訴することは公共の利益にはならない」という
訳のわからない理由で不起訴としたために、この事件を機に、
「近親者の自殺幇助行為は不起訴」「これまで罪に問われた人はいない」と
広く言われることになり、

やがてDebby Purdyさんが「明確化せよ」と裁判を起こす素地を作りました。
(詳細は文末にリンク)

Purdyさんの要求を下級裁判所は突っぱね続けたものの、
最高裁が公訴局長に「はっきりせよ」と命じたために
出てきたのが9月の公訴局長の法解釈のガイドライン暫定案。

そこへ先月、Inglis事件、Gilderdale事件(文末にリンク)の判決から
近親者の自殺幇助合法化議論は、にわかに慈悲殺擁護論にまで拡大して
今や「あのガイドラインでは不十分」という空気。

そこまで来ると、
最初に一線を越えたと見られたDan Jamesさんの事件も、もはや「すべり坂」の象徴ではなく、
「ほら重症障害は死ぬよりも耐え難いのだから」という証拠にまで使われる……。

世の中には、一度はJamesさんと同じところに陥りながらも、
周りの人々の支援によって、そこから這い出てきて
「生きていてよかった」と思えるようになった人だって沢山いるのに、

慢性疲労症候群(ME)の女性が17年間も寝たきりでいるなら、
その人と母親に必要なのは、自殺させてあげることでも幇助や慈悲殺を認めてあげることでもなく、
2人それぞれに対する支援の介入だったろうに。

支えることの必要になど誰も触れないまま
「生きることが耐えがたいなら死なせてあげましょうよ」という社会は、
無言のうちに「だって、どう考えたって、障害を抱えて生きているなんて
誰にとっても耐え難いことに決まっているでしょ、ね、ね」と信号を送っている――。





2010.02.09 / Top↑
Kathleen(Kay) Carter さん(89歳)は2人の娘を伴ってスイスに行き、
1月15日にDignitasで自殺。

Dignitasで自殺した15人目のカナダ人となった。
(公表されたのはCarterさんが初めて。)

前日に「私は明日、尊厳をもって死ぬことを選びました」というメモを
口述筆記で家族と友人宛に残した。

近親者らが自殺幇助で罪に問われないよう、Kayさんがあらかじめ指示していたように
その手紙のコピー120通が、娘たちによってスイスから発送された。

Choosing to die with dignity
Ottawa Citizen, February 8, 2010


なんだかなぁ……ここでも、まったく解せないのは Kay Carterさんの病名。


このリンクの説明を読む限り、症状は要するに、腰痛とか身体のしびれのようなのですが
記事では「脊柱管狭窄症というターミナルなconditionだった」と書かれている。

(ちなみに英語で condition という場合、「状態」というよりも
「病気と障害」を一括して称する場合によく使われているように思います)

一体、どうして脊柱管狭窄症がターミナルな病気または障害なのか。

この病気そのものが命にかかわるようなものだとは思えない上に、
よほど重症化したからといって、それだけでターミナルになるということすら
私にはあり得ないことのように思えるのですが、
もし違っていたら、どなたかご教示ください。

しかも、この記事は脊柱管狭窄症の追加説明として、
以下のようにも書いているのです。

「脊柱管狭窄症、これがどういうものかというと、
Kayさんが“もう、まったくどうすることもできなくなる”と表現したようなcondition」。

Kay さんが実際に使っているのは totally collapsing。

collapse というのは建物などが崩壊するイメージで、
ここでは、人の肉体・精神の状態を、そのように完全に崩壊させていくような、という意味でしょう。

つまり全身がどうにもいうことをきかなくなる(精神的にも?)といった感じを言っているのでしょう。

しかし、これは、あくまでも本人の主観的な感じ方であって、
この記事のような文脈で「脊柱管狭窄症というのは、これほど酷い病気なのです」と言わんばかりに
その主観的な言葉でもって病気がどういうものかの”解説”に変えてしまうのは、

例えば風邪で熱を出している人が
「体中の関節が痛くて、だるくて、とても起きる気にならない」という言葉尻を捉えて、
「風邪というのは全身の関節がやられて、その痛みとだるさで寝たきりになってしまう病気」と
解説してしまうに等しいのでは……?


Inglis事件、Gilderdale事件を巡る世論の喧騒に
殺された人が実際にどういう状態だったかにはもはや誰も興味すら持たないかのようだ……
という感想を私はずっと抱いてきたのですが、

慢性疲労症候群が
「母親が慈悲で殺したって許される」どころか「よくぞ殺してあげた」と言わんばかりに
称賛されるほどの悲惨な病気としてイメージ操作されることと、

脊柱管狭窄症があたかも、それだけでターミナルとなる病気であるかのように
Kay Carterさん自殺の報道がイメージ操作されていることとの間には、

なにか、非常に巧妙でイヤらしいものが通じている――。
2010.02.09 / Top↑