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BBCのRosling氏の“慈悲殺”の告白を受けて、
今度は77歳の男性が、ハンチントン病の妻の自殺を手伝ったと告白。
さぁ、警察は逮捕に来るなら来い! と。

元看護士の妻は病状が悪化してきた時に、
まずは病院での安楽死を望んでいたのだけれど、
警察が介入して不可能となったために
どの薬なら死ねるかを夫のBarrie Sheldon氏が調べて
致死量の抗うつ薬を手に入れてあげた。

それを妻に渡してから、一週間ほど家を空けた。
帰ってみたら妻は死に切れずに苦しんでいた。
その後、病院で死亡。

警察に事情を聞かれた際には、妻が薬を飲んだ時にどこにいたかが問題となったので、
あの時に家にいるべきだった、と今は後悔しているのだそうだ。

警察も病院も、腹立たしくてならない、という。
だから、すべてを明かすことにした。

何が腹立たしいのかというと、
政治家も法律家も医師も、妻が生まれてくることは許したくせに、
自殺幇助を受けることは認めなかった、と。

I have a burning resentment of the police, the great and the good. The politicians, legal and medical professionals allowed her birth but didn't give her the possibility of assisted suicide. This is a gross injustice and it has wrecked my life.

man ‘assisted in ailing wife’s suicide’
The Guardian, February 19, 2010


まだ、じっくり考える時間はないのですが、
指摘しておきたいのは3点で、

①こうやって、「私も自殺を手伝いました」「私も殺しました」と
次々に人が名乗り出たからといって、それによって、
自殺幇助が正当化されるわけじゃない。

それなのに、英国の自殺幇助合法化議論は、
中身の空疎なイメージで流されていく。

②ハンチントン病は遺伝性だということを考えると、
生まれてくることは許容したくせに、
自殺幇助はさせないのはフェアじゃない」という言葉には
簡単に聞き流すわけにはいかないものが含まれている。

安楽死・自殺幇助議論は、
やっぱり科学とテクノが社会の価値観を変容させて出てきた優生思想と繋がっている。

③どちらも、違法行為だという点では同じなのだけど、
死にたいという人に薬を手に入れてあげる行為と
死にたいという人を枕で窒息死させる行為とが
どちらも「自殺幇助」とくくられてしまうのは正しくないと思う。

前者は「自殺幇助」かもしれないけど、後者は「殺人」でしょう。

ところが、去年9月のDPPのガイドラインでは
そこのところ(自殺幇助の方法)がきっちり区別されていないので、
来週にも出されるという最終ガイドラインが非常に気になるところ。
2010.02.20 / Top↑
ああ、よかった。

カナダで「無益な治療」訴訟になっているIsaiah Mayくんの呼吸器が
Victoria BCのRichard Taylor 医師の診察を受けるため、
少なくとも3月11日までは継続されることになったようです。
(詳細は文末にリンク)

本当に、よかった。

取り外しに反対してきた Euthanasia Prevention Coalitionでは

これが認められてしまうと、
死に直面しているわけでも脳死でもなく、呼吸器から利益を受けている人からの
呼吸器の取り外しが、しかも親が続けてほしいと望んでいるにもかかわらず行われることは
悪しき前提を作ってしまう、と。

(私も同感!)

また、ここ数年「無益な治療」論が
治療そのものの無益から、どの患者が無益かを分けることに使われている、として
無益な治療論にも反対。

(同感! )


Baby Isaiah will remain on ventilator until at least March 11
Euthanasia Prevention Coalition, February 19, 2010


Ashley事件の首領とおぼしきNorman Fostなんか
07年から堂々と「患者の無益」論を説いていましたけど、

あれから3年近く経って、
無益な治療論も、患者の無益論も欧米社会に着々と広がりつつあるというのに
日本では、まったく報じられることも議論になることもない。

ほんと、不思議な国だ――。


2010.02.20 / Top↑
昨日の朝日新聞の家庭欄に
「機械担う 排泄ケア」という見出しの大きな記事があって、
尿吸引おむつ、「尿吸飲ロボ・ヒューマニー」とか
トイレ付きベッド、自動排泄処理装置「エバケアー」が紹介されていた。

こういうものは、前にも、こちらのエントリーで取り上げたことがあって
自動排泄処理装置・シャワーシステムベッド(2008/10/15)

介護というか人間の体というのは、
そうそう簡単に、頭で考える理屈通りにゃ、いかないのよね……と思うし、
いったい人を何だと思っているんだ……ともムカつくのだけど、

ついに新聞にデカデカと登場するところまで、流れはきてしまったかぁ……。

(朝日新聞の家庭欄は最近とても“科学とテクノ”に傾斜していて
まるでNHKかBBCみたい)

「尿吸飲ロボ・ヒューマニー」は
特殊な尿パッドにセンサーが仕込んであって、
機械本体とチューブで繋がっているので、
センサーが尿を感知すると、モーターで本体に吸飲する、という仕組み。

もっとすごい「エバケアー」については、ぜひともこちらを。

ちゃんと介護保険の補助対象になっているそうだから、
これまた、考えたら、えらいことだ。

だって、厚労省のお役人さんたちが、
この路線で行こうとしているってことでしょ、それは。……ひょぇぇ。

このベッド、上のリンクを見てもらえば分かるけど、
股間に直接プラスチックだかシリコンだかの装置を取り付けられて、
その上をシーツと一体化したおむつカバーで覆われる、
つまり、腰をベッドに固定される、という、全くもって、ひどい話。

拘束になるという問題は記事でも指摘はされているけど、

寝返りが一切できないんだから、
背中も腰も、器具が当たっている陰部も
じょくそう だらけになりますよ。

それに、年寄りや重症障害のある人だったら、
すぐに肺炎になって死んでしまいますよ。

――と、朝、新聞を読んで、思った。

その後は、一日中、ずっと忘れていたのに、
さっきトイレでオシッコしてたら、突然、頭の中に、
もっと、ずうううううっと、おぞましい想像がひらめいてしまった。

そんなのより、もっと、ずっと簡単で、合理的で、
拘束にならない、「お手軽排泄ケア」がある……って。

まだ十分に口から食べられる人に
さっさと胃ろうを作って介護の手間を省くのは
もう、とっくの昔に当たり前の“医療”になっているらしいから、

なにも、肌に不快な、こんな装置をつけなくったって、
まだ自力でおしっこができる人に尿管カテーテルを入れてしまえば、いい。

それとも、胃ろうと同じく、
おなかにもうひとつ穴を開けて、膀胱にもボタンをつける?

でも「大」はどうするんだって? 「大」には人工肛門があるっしょ。

ベッドに寝ている時は、それこそパウチにセンサーと吸飲チューブをつないでおくだけで
腰を固定されることもなく、自由に体を動かせる。

パウチの吸飲チューブをはずせば、
大・小のバッグを体にくっつけたまま(外から見えないように工夫してね)、
ベッドから出て自由に行動することも可能だ。

オシッコやウンコを漏らしたらどうしようと不安を感じる必要もないし、
お尻にウンコがくっついたまま気持ち悪い思いをしなくてもいい。
お尻はいつも清潔・快適だし、部屋は臭わないし、

「エバケアー」なんて、ぜんぜん比べ物にならない、高いQOLを得ることができる。

排泄介護が必要な人への
尿管カテーテルや人工肛門の適用は
たぶん、QALYの“効用値”も高いんと違います?

だって、ほら、エーザイとファイザー主催のセミナーでの発表によると、
認知症そのものには治療効果がなくても、
本人さんと介護者さんのQOLを測るQALYの“効用値”が上がれば、
その薬には医療費削減効果がある、だから行うに値する医療だ……という話でしたよね。

つまり、これからは、
病気や怪我だけじゃなくて、患者と介護者のQOLまでが
薬やテクノロジーを含めた「医療」とか「治療」の対象になる、ということでしょう。

じゃぁ、やっぱり、方向はこれで決まりなのでは?

一度は「尿吸飲ヒューマニー」とか「エバケアー」が注目されるかもしれないけど、
所詮は本物の介護を知っている人から見たら全く使い物にならないシロモノ。

やっぱり、ダメだったかぁ……ということになったら、
(その間に、どれほどの人が犠牲になるのかを考えると、本当に痛ましい)
多分、次に出てくるのは、そういう医療化の話なのでは?

まだ口から食べれられようが、自力でトイレに行くことができようが、
食べさせたりトイレに付き添うような贅沢な人手はないし、粗相されても困るから、
それに、本人さんのQOLだって維持向上できるんだし……ということで、

栄養と水分は胃ろう――。
オシッコはカテーテル――。
ウンコは人工肛門――。

きっと、これが、QALYが普及した未来の
“要介護状態の人と介護者のQOLを守る”基本ケア3点セット――。

その際は、きっと
「QOLを中心に社会的利益」 vs 「身体・医療上だけの害とリスク」を比較検討すれば、
「利益の方が大きいから、倫理的にも妥当な医療」だと結論されるんだろうなぁ……。



いかに頭に想像がひらめいたとはいえ、
まったく悪い冗談で、スミマセン。

でも、この基本ケア3点セットの合理性って、
考えてみたら、”Ashley療法”の論理そのもの……。

Ashleyはまだ口から食べることができていたらしいのに
しょっちゅう病気で食欲が落ちては脱水になるからといって
5歳の時に、さっさと胃ろうにされてしまった。

――予防医学の次のトレンドは、QOL維持向上医療。これかもしれない。

すなわち、”科学とテクノ”による”社会の都合”に合わせた”人体改造”……。
2010.02.20 / Top↑