Two Brain Death Exams May Be Pointless, Undermine Organ Donation, And Increase Family Anguish
The MNT, December 16, 2010
上記MNTの記事では
Neurology誌に報告された調査を行ったのも論文を書いたのも
「NYのThe North Shore LIJ Health Systemの研究者ら」だとされているのですが、
記事にあるリンクから当該論文のアブストラクトに行ってみたところ
Second brain death examination may negatively affect organ donation
D. Lustbader, MD, D. O'Hara, MS, E.F.M. Wijdicks, MD, PhD, L. MacLean, PhD, W. Tajik, A. Ying, MS, E. Berg and M. Goldstein, MD
Neurology doi: 10.1212/WNL.0b013e3182061b0c
この論文の著者の中には、今年7月に出された米国神経学会の
成人の脳死判定ガイドライン改定版の著者も混じっているようです。
ガイドラインの改定は以下で、
Evidence-based guideline update: Determining brain death in adults
Report of the Quality Standards Subcommittee of the American Academy of Neurology
Neurology
このガイドライン改定については日本語の情報がかなり出ているようです。
例えば日経メディカルはこちら。
脳死判定基準作成の難しさを指摘し、さらなる研究が必要と書かれているような気配なので
今回の論文は、それを受けてエビデンスを出した、という位置づけなのかもしれません。
なお、MNTの記事には
「米国神経学会は現在、脳死判定を一回にするよう求めている」との記述もあります。
ともあれ、今回のLustbaderらの論文のアブストラクトは以下。
Background: Little is known about the impact of the requirement for a second brain death examination on organ donation. In New York State, 2 examinations 6 hours apart have been recommended by a Department of Health panel.
Methods: We reviewed data for 1,229 adult and 82 pediatric patients pronounced brain dead in 100 New York hospitals serviced by the New York Organ Donor Network from June 1, 2007, to December 31, 2009. We reviewed the time interval between the 2 clinical brain death examinations and correlated this brain death declaration interval to day of the week, hospital size, and organ donation.
Results: None of the patients declared brain dead were found to regain brainstem function upon repeat examination. The mean brain death declaration interval between the 2 examinations was 19.2 hours. A 26% reduction in brain death examination frequency was seen on weekends when compared to weekdays (p = 0.0018). The mean brain death interval was 19.9 hours for 0–750 bed hospitals compared to 16.0 hours for hospitals with more than 750 beds (p = 0.0015). Consent for organ donation decreased from 57% to 45% as the brain death declaration interval increased. Conversely, refusal of organ donation increased from 23% to 36% as the brain death interval increased. A total of 166 patients (12%) sustained a cardiac arrest between the 2 examinations or after the second examination.
Conclusion: A single brain death examination to determine brain death for patients older than 1 year should suffice. In practice, observation time to a second neurologic examination was 3 times longer than the proposed guideline and associated with substantial intensive care unit costs and loss of viable organs.
MNTの記事での、著者のLustbader医師の発言はもっと率直で、
One of the most disturbing findings of our study is the prolonged anguish imposed on grieving families in the intensive care unit waiting for the second brain death exam. Not only is the opportunity for organ donation reduced, but families may endure unnecessary suffering while waiting an average of 19 hours for the second exam to be completed.
Since organ viability decreases the longer a person is brain dead, our results show that conducting more than one brain death examination results in the loss of potentially life-saving organs. A repeat exam adds an extra day of intensive care resulting in additional costs of about a million dollars per year in the New York region alone.
アブストラクトとMNTの記事から
私なりの理解で内容を以下にまとめてみると、
NYの臓器提供ネットワークの19カ月期間のデータで
1229人の成人と82人の子ども分を調べたところ、
最初の判定から2度目の判定までの間に、
脳幹機能の回復の兆候を示した患者は皆無だった。
一方、最初の判定後、次の判定までの間に心臓発作を起こした患者は12%(166人)おり、
それは命を救えたはずの臓器が、それだけ利用できなくなったことを意味する。
また、現在、2度目の判定は1度目の後、平均19時間を置いて行われているが、
NY州保健局のガイドラインは6時間で、その3倍もの時間があけられていることになる。
6時間待った場合では家族の同意率が57%なのに
19時間待った場合には45%しかない。
提供拒否も、6時間の場合には23%しかないのに、
19時間待つと36%に跳ね上がる。
これは、すなわち、2度目の判定までの待ち時間が
徒らに家族を苦しめているというエビデンスである。
また19時間も間をあけると
その脳死患者は更に1日余分にICUのベッドをふさぐのだから、
それだけ無駄な医療費もかかっている。
なによりも家族を苦しめてはならないし、
誰かの命を救えるはずの臓器をあたら無駄にしてもいけない、
医療費コストの節約のためにも、結論として、
1歳を超えた患者の場合は、脳死判定は1度で十分である。
http://www.guardian.co.uk/world/2010/dec/16/ireland-urged-reform-abortion-legislation?CMP=EMCGT_171210&
脳死判定の2度目のテストは、無意味だし家族の余計な精神的な負担になるからやめよう、という声。それに摘出臓器にもダメージ与えるし……って。:出たね。ついに。ざっと読んだだけでも心臓がドキドキしてきた。これ、明日エントリー、立てます。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/211785.php
the National Alzheimer’s Project Actが両党の支持を得て米国議会を通った。:でも先の中間選挙で、医療制度改革は暗礁に乗り上げているとかいうのに、アルツハイマー病患者だけをどうするというのだろう?
http://www.medicalnewstoday.com/articles/211712.php
脳のプラークは、あれはアルツハイマー病の原因じゃなくて結果かもしれない?:あらま。私はずううううっと前から、個人的に、ウツ病の脳内化学バランスの乱れも「あれは原因というより結果」説を唱えているんだけど……。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/211578.php
米国医学会雑誌に掲載された論文で、様々な介護形態とコストを比較検討したところ、高齢者包括ケア(PACE)が施設での従来型の介護よりもはるかにコスト効率が良いことが判明。:んなの日本じゃ国を挙げて推進しているんだぞ……と思ったら、米国にもPACEの全米協会がちゃんとできていた。まぁ、日本の地域包括支援システムだって、ゼニの手当てがイマイチどうなるんだか、現場の専門職が2階で梯子外されるかもしれないけど、でも、これはどの国も日本の後を追いかけてくる問題なのだから、いっそモデルになって介護観光大国を目指そーよ。ついでに東洋の死生観に基づく、奥の深い生命倫理を提唱していく……って、ダメ? そんなのはゼニ産まないから?
http://seniorhousingnews.com/2010/12/16/new-study-finds-pace-model-effective-for-long-term-care/
ショッピング・モールや野球場など人の集まる場所での骨髄ドナーの登録キャンペーンに綺麗なお姉さんたちを(わざわざモデルを雇って)起用して、ハイヒールとミニスカートをはかせ、「ちょっと綿球でお口の中をなでてもらうだけでお金になるんだけど、どーおぉ?」と誘わせていた……とさ。:女は骨髄ドナーにならなくていいみたいだよ。
http://www.nytimes.com/2010/12/17/us/17models.html?nl=todaysheadlines&emc=a23
英国連立政権のコストカットで、20万人の子どもたちと、20万人の労働年齢の成人が2012年から13年にかけて絶対的な貧困状態に陥る、との懸念。
http://www.guardian.co.uk/politics/2010/dec/16/spending-cuts-rise-absolute-child-poverty?CMP=EMCGT_171210&
米FDAが乳がん患者へのAvastinの認可を取り消したことに、患者サイドの反応が真っ二つ。「Avastinで命をつないでいるのに、どうしてくれるんだ」というのと、「効きもしない薬で治ると思わせていたんだから、認可取り消し歓迎」というのと。
http://www.nytimes.com/2010/12/17/health/policy/17drug.html?_r=1&nl=todaysheadlines&emc=a2
Larry King が最後のLarry King Liveを終えた。特に好きだったわけではないけど時間帯が夕方だったので、たまたま見ることが多かった。せっかくだから今日の記念すべき最終回も見た。クリントン元大統領がゲストで衛星ナマ出演して、自分のことばっかりしゃべってった。私にとっては、DiekemaもFostも生出演した07年1月12日のAshley事件のLarry King Liveが何といってもダントツに貴重な資料だ。放送そのものは見ていないけど、トランスクリプトは何回読んだか分からない。Larryも「でもアシュリーはどうせ……」という感覚でしゃべっているのにはムカつくけど、Norman Fostが当初は利益関係のない部外者・中立の倫理学者を装って弁護していた証拠があの番組に残っている。Diekemaもあれこれとハッタリかましているし。障害当事者のJoni Tadaさんの健闘が良かった。
http://www.guardian.co.uk/tv-and-radio/2010/dec/15/larry-king-live-final-show?CMP=EMCGT_171210&
米国と西ヨーロッパと日本で、その他の国の腎臓病患者の多くは受けられないでいるという。
その状況をWHOが2008年にまとめた論文がこちら。
とはいえ、米国でも人工透析が普及し始めた60年には
病院ごとに委員会を作って、こっそり患者を査定し、
人工透析を受けさせる患者を決めていた。
1962年にLIFE誌がシアトルの病院の患者査定基準をすっぱ抜き、
世論の非難がまきおこったことから
誰でもメディケアで透析が受けられる制度ができた。
(例のIHMEの所長Murray考案による医療評価基準DALYに
このシアトルの腎臓透析患者選別と同じ基準が含まれているとの批判が出ているのは
何やら興味深いところです。功利主義的切り捨て医療の話には、なぜ、こうもシアトルが絡む――?)
ところがProPublicaの最近の調査で
米国の人工透析制度は莫大なお金がかかっているにもかかわらず
なぜかその他先進国に比べて患者のアウトカムが良くない。
それはどこに問題があるのか、という調査シリーズをProPublicaは進行中なのですが、
その一環で、南アフリカの病院の選別委員会にProPublicaが同席を許され取材。
委員会や担当医師を取材して記事を書いたSheri Finkは
例のハリケーン・カトリーナのメモリアル病院での安楽死事件の記事で
ピューリッツァ賞を受賞したジャーナリスト。
南アフリカでは現在、
何らかの医療保険があったり、GDPの2倍に上る治療費を払える患者であっても
5人に4人は人工透析を受けることができないという。
医療制度の財政のひっ迫で、断られる患者がどんどん増えて
Tygerberg病院では8月には8割の患者を断り、
11月には20人のうち2人しか引き受けられなかった。
判断は病院に任されているが、
断るのは「死刑宣告」をする気分だと医師はいう。
Tygerberg病院ができたのはアパルトヘイトの時代で
建物は左右全く同じ作りのウイングとなっており、もちろん人種別だった。
1988年から2003年までに同病院で透析を受けた患者でみると
白人患者の方が非白人患者よりも認められる確率が4倍も高かった。
1994年にアパルトヘイトが終わった後も、病院の選別基準は変わらなかったようだ。
最近では民間セクターの透析施設が増えて
白人患者はそちらに移行しているので、このような病院には来なくなった。
しかし同時に政府は医療費削減策をとっているため
透析プログラムも縮小を余儀なくされており
それだけに公平と透明性を担保するガイドラインが必要となっている。
関係者らが集まって作ったこの地域のガイドラインはこちら。
今年2月24日付。(関係ないけど、英国で自殺幇助の起訴ガイドラインが出る前日……)
リンク文書のタイトルを見ると、腎臓病の末期の(end-stage)患者の選択基準となっている。
そこに至るまで受けさせてもらえないということなのか?
ガイドラインの最初の概要だけ読んでみると、患者は3つのカテゴリーに分類される。
受けられる人。資源があれば受けられる人。受けられない人。
社会ファクターと医療ファクターを合わせ考えるが特に後者を重視するという。
かつての、社会にとっての当該患者の有益性を問う功利主義の選別は行わない。
で、ProPublicaが実際に覗いてみた委員会では
患者のスライドが映されて、他職種の担当者が次々に患者について説明する。
読み書きできます。アフリカーナもXhosaも話せます。
タバコを吸ったことも薬に手を出したこともありません。
酒を飲むのは週末に妻とのみ。大した量じゃありません。
知的障害も精神障害もありません。
こういうのはポイントになる。
バスタブも台所のシンクもトイレもある持ち家です。
これは大きなポイント。
家で安全な透析が可能な患者だということになるから。
仕事は農場労働者で給料は月175から220ドル程度。
犯罪歴はなく、33歳の妻と4,9、13歳の3人の子どもがいます。
これらは、あまりカウントされない。
アパルトヘイトの文化の根強い国の“犯罪歴”は、背景にいろいろイワクがある。
子どもがいなくても、他の人の子育ての手伝いはできる。
あまりカウントされなくても、医師や看護師やソーシャルワーカーらが
患者がどういう人かを、ともかく語っていきながら、委員会は
かつてのような功利主義の選別にならないように気をつける。
つい、これまでの習慣で、そういう判断に傾いてしまうのが人間だから。
医療ファクターでは特に腎臓移植を受ける体力があることを重視する。
移植で透析不要になれば、その分、透析を受けられる人が一人増やせるからだ。
どれほど誠実な闘病姿勢か、ということも
主治医の報告で問われるところ。
この委員会がカテゴリー3に分類し透析を受けられないと決まった
一家の大黒柱でもあり幼い子供の母でもある40代女性の場合、
決定的なマイナス・ポイントは肥満だった。
この女性はホスピスに紹介された。
決定とその理由については、患者と家族に十分に説明される。
人種や社会経済的な理由で却下されたのではないと分かってもらわなければならないし、
すべてを明らかにすることが選別の倫理性には不可欠だ。
Life and Death Choices as South Africans Ration Dialysis Care
By Sheri Fink,
ProPublica, December 15, 2010/12/17
人種差別の根深い国だからこそ功利主義はとらないということの意味が大きいのだということが
記事の全体から感じられてくる。
だた、功利主義はとらないといっても、委員会での会話を読んでいると、
実際にはくっきり線引きするのは難しいような気がした。
知的障害や精神障害の有無が問題になっているのはどういう理由なのか、
知りたかったのだけど、それは書かれていなかった(と思う)。
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12月8日にNHKのクローズアップ現代が
「ある少女の選択~“延命”生と死のはざまで~」という番組を放送した。
番組のサイトでは以下のように解説されている。
腎臓の「人工透析」30万人。口ではなくチューブで胃から栄養をとる「胃ろう(経管栄養)」40万人。そして、人工呼吸器の使用者3万人。「延命治療」の発達で、重い病気や障害があっても、生きられる命が増えている。しかしその一方、「延命治療」は必ずしも患者の「生」を豊かなものにしていないのではないかという疑問や葛藤が、患者や家族・医師たちの間に広がりつつあ る。田嶋華子さん(享年18)は、8歳で心臓移植。さらに15歳で人工呼吸器を装着し、声も失った。『これ以上の「延命治療」は受けたくない』と家族と葛 藤を繰り返した華子さん。自宅療養を選び、「人工透析」を拒否して、9月、肺炎をこじらせて亡くなった。華子さんの闘病を1年にわたって記録。「延命」と は何か。「生きる」こととは何か。問いを繰り返しながら亡くなった華子さんと、その葛藤を見つめた家族・医師たちを通じて、医療の進歩が投げかける問いと 向き合いたい。
NHKは、なぜ華子さんの選択を描く番組の解説冒頭に、
人工透析、胃ろう、人工呼吸器を使っている患者の人数を並べたのだろう。
それぞれ30万人、40万人、3万人は、
すべて「延命治療」を受けている人たちだとNHKは言うのだろうか。
人工透析、胃ろう、人工呼吸器のおかげで
重い病気や障害があっても、生きることができている人は、みんな、
のべ73万人の全員が「延命治療」を受けているのだと
NHKは本気で考えているのだろうか。
「重い病気や障害があっても、生きられること」が
いつから「延命」になったのか、NHKに聞きたい。
【関連エントリー】
日本の尊厳死合法化議論を巡る4つの疑問(2010/10/28)
賛同する人がそこに署名を加えていくサイトGoPetitionに
13日付でVirginia州の自殺幇助合法化を訴える嘆願書がアップされている。
17日朝9時半時点で、署名者は2名。
Decriminalize Assisted Suicide in Virginia
GoPetition, December 13, 2010
これから、こういう動きが増えてくるのかもしれない。
なにしろ合法化ロビーはゼニも力も動かせる人間も持っている。
休みなく、次々に手を打ってくる。
一見すべてが自由意思に基づいて個人がやっていることのように思えるけれども
本当にそうなのかどうか……。