前のエントリーのWilkinson論文を見つけた時に、
ずらずらっ……と金魚のウンチ的に出てきた
子どもの治療と、栄養と水分の停止または差し控えに関する論文を以下に。
① 2004年にカナダの法学者が、
医師が勝手に患者をDNR(蘇生拒否)にすることは法的に許されるかなどの問題を検討し、
「一方的な治療の停止や差し控えは、カナダ最高裁によって法解釈されている
社会が尊厳を守る強い責任(strong social commitment to dignity)の侵害である」と
結論する論文を書いている。
ということは、
04年に既にカナダでは医師が勝手な判断で患者をDNRにしていたということ。
DNRって「私に蘇生を行わないで」という一人称なんであって、
そこに自己決定の精神が屹立していたんではないのか?
他人が勝手にカルテにちゃっちゃと書きこんでいる、その図こそ、
「無益な治療」論の本質を象徴している。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/15511032
②未来を予測する認知能力を欠いた新生児に
未来は無価値だとするSingerとMcMahanへの反論。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/17929196
③「栄養と水分停止で死なせるのは子どもの最善の利益ではない」というから、
期待して読んだら、なんと、「栄養と水分の停止でじわじわと死ぬに任せるのは苦しいから
本人の利益ではない。殺すのが本人の利益」だと。これ1986年の論文。
こんなに早くから、こういうことを言う人はいたのね~。
医療人道生命倫理ジャーナルっての、これ? げに恐ろしい学問があったり……。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/10280413
④アブストラクトは読んだんだけど、忘れた。ていうか、もう、いい。考えたくない……。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/17444823
ずらずらっ……と金魚のウンチ的に出てきた
子どもの治療と、栄養と水分の停止または差し控えに関する論文を以下に。
① 2004年にカナダの法学者が、
医師が勝手に患者をDNR(蘇生拒否)にすることは法的に許されるかなどの問題を検討し、
「一方的な治療の停止や差し控えは、カナダ最高裁によって法解釈されている
社会が尊厳を守る強い責任(strong social commitment to dignity)の侵害である」と
結論する論文を書いている。
ということは、
04年に既にカナダでは医師が勝手な判断で患者をDNRにしていたということ。
DNRって「私に蘇生を行わないで」という一人称なんであって、
そこに自己決定の精神が屹立していたんではないのか?
他人が勝手にカルテにちゃっちゃと書きこんでいる、その図こそ、
「無益な治療」論の本質を象徴している。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/15511032
②未来を予測する認知能力を欠いた新生児に
未来は無価値だとするSingerとMcMahanへの反論。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/17929196
③「栄養と水分停止で死なせるのは子どもの最善の利益ではない」というから、
期待して読んだら、なんと、「栄養と水分の停止でじわじわと死ぬに任せるのは苦しいから
本人の利益ではない。殺すのが本人の利益」だと。これ1986年の論文。
こんなに早くから、こういうことを言う人はいたのね~。
医療人道生命倫理ジャーナルっての、これ? げに恐ろしい学問があったり……。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/10280413
④アブストラクトは読んだんだけど、忘れた。ていうか、もう、いい。考えたくない……。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/17444823
2011.03.02 / Top↑
去年、この人がSavulescuと書いた「臓器提供安楽死」論文については、↓
「生きた状態で臓器摘出する安楽死を」とSavulescuがBioethics誌で(2010/5/8)
Savulescuの「臓器提供安楽死」を読んでみた(2010/7/5)
「腎臓ペア交換」と「臓器提供安楽死」について書きました(2010/10/19)
臓器提供は安楽死の次には”無益な治療”論と繋がる……?(2010/5/9)
この人が先月、Savulescuと一緒に発表した「ICUでの無益な治療は一方的に停止」論文については、↓
Savulescuらが、今度はICUにおける一方的な「無益な治療」停止の正当化(2011/2/9)
この人とは、
Savu と同じくオックスフォード大学ウエヒロ実践倫理センター所属の Dominic Wilkinson。
彼は先月、単独でもAmerican Journal of Bioethics誌に
トンデモな論文を発表していました。
障害のある新生児の場合は
「無益な治療」でなくても、将来のQOLがさほど低くなくて、たとえ「生きるに値する命」だとしても、
医師と親とで死なせる決断をしても許される場合がある、と主張。
アブストラクトは
When is it permissible to allow a newborn infant to die on the basis of their future quality of life? The prevailing official view is that treatment may be withdrawn only if the burdens in an infant's future life outweigh the benefits. In this paper I outline and defend an alternative view. On the Threshold View, treatment may be withdrawn from infants if their future well-being is below a threshold that is close to, but above the zero-point of well-being. I present four arguments in favor of the Threshold View, and identify and respond to several counterarguments. I conclude that it is justifiable in some circumstances for parents and doctors to decide to allow an infant to die even though the infant's life would be worth living. The Threshold View provides a justification for treatment decisions that is more consistent, more robust, and potentially more practical than the standard view.
彼が提唱しているのは、the Threshold View という理論で、
threshold というのは「出入り口付近」のこと。
ここを超えたら治療の差し控えと中止を認めましょうというラインがあるとして、
Wilkinsonは、そのラインだけじゃなくて、その「ラインのあたり」というふうに
対象児を「その“辺り”になんとなく広げていきましょう」と言っているわけですね。
アブストラクトには書かれていませんが、
タイトルに A life worth giving? (与えるに値する命?)という文言があるので、
去年から Wilkinson が Savu と連発している論文の流れから考えても、
「正当化できる場合がある」とは「臓器を与えるなら、それは与えるに値する命」ということでは?
もしかしたら、「死なせて”与えるに値する命”にしてあげよう」なのかも?
A life worth giving? The threshold for permissible withdrawal of life support from disabled newborn infants
Dominic J. Wilkinson
Am J Bioeth. 2011 Feb;11(2):20-32
この論文にヒットした時に、
「無益な治療」関連で気になる論文をいくつか見つけたので、
次のエントリーにメモとしてリンクまとめてみました。
「生きた状態で臓器摘出する安楽死を」とSavulescuがBioethics誌で(2010/5/8)
Savulescuの「臓器提供安楽死」を読んでみた(2010/7/5)
「腎臓ペア交換」と「臓器提供安楽死」について書きました(2010/10/19)
臓器提供は安楽死の次には”無益な治療”論と繋がる……?(2010/5/9)
この人が先月、Savulescuと一緒に発表した「ICUでの無益な治療は一方的に停止」論文については、↓
Savulescuらが、今度はICUにおける一方的な「無益な治療」停止の正当化(2011/2/9)
この人とは、
Savu と同じくオックスフォード大学ウエヒロ実践倫理センター所属の Dominic Wilkinson。
彼は先月、単独でもAmerican Journal of Bioethics誌に
トンデモな論文を発表していました。
障害のある新生児の場合は
「無益な治療」でなくても、将来のQOLがさほど低くなくて、たとえ「生きるに値する命」だとしても、
医師と親とで死なせる決断をしても許される場合がある、と主張。
アブストラクトは
When is it permissible to allow a newborn infant to die on the basis of their future quality of life? The prevailing official view is that treatment may be withdrawn only if the burdens in an infant's future life outweigh the benefits. In this paper I outline and defend an alternative view. On the Threshold View, treatment may be withdrawn from infants if their future well-being is below a threshold that is close to, but above the zero-point of well-being. I present four arguments in favor of the Threshold View, and identify and respond to several counterarguments. I conclude that it is justifiable in some circumstances for parents and doctors to decide to allow an infant to die even though the infant's life would be worth living. The Threshold View provides a justification for treatment decisions that is more consistent, more robust, and potentially more practical than the standard view.
彼が提唱しているのは、the Threshold View という理論で、
threshold というのは「出入り口付近」のこと。
ここを超えたら治療の差し控えと中止を認めましょうというラインがあるとして、
Wilkinsonは、そのラインだけじゃなくて、その「ラインのあたり」というふうに
対象児を「その“辺り”になんとなく広げていきましょう」と言っているわけですね。
アブストラクトには書かれていませんが、
タイトルに A life worth giving? (与えるに値する命?)という文言があるので、
去年から Wilkinson が Savu と連発している論文の流れから考えても、
「正当化できる場合がある」とは「臓器を与えるなら、それは与えるに値する命」ということでは?
もしかしたら、「死なせて”与えるに値する命”にしてあげよう」なのかも?
A life worth giving? The threshold for permissible withdrawal of life support from disabled newborn infants
Dominic J. Wilkinson
Am J Bioeth. 2011 Feb;11(2):20-32
この論文にヒットした時に、
「無益な治療」関連で気になる論文をいくつか見つけたので、
次のエントリーにメモとしてリンクまとめてみました。
2011.03.02 / Top↑
これまで、終末期医療に関する代理決定については
代理決定者がどのように決定や決定の支援を行うかという研究は
いくつかあるものの、
その代理決定が代理決定者におよぼす心理的な影響についての研究はなかった。
Annals of Internal Medicineに発表された研究が
2832人の代理決定者(半分以上が家族)のデータを含む刊行済み論文40本を検証し、
自己決定できない成人に代わって決定を行うことが代理決定者に及ぼす影響を調べたところ、
少なくとも3分の1にネガティブな心理的な影響があること、
その影響はしばしば大きなもので、通常、何か月、何年と続くことがわかった。
具体的には、意思決定を行う際のストレス、
実際に決めたことに対する罪悪感、
その決断は正しかったのだろうかという疑念など。
例えば本人のリヴィング・ウィルがあるなど、
本人の意思を代理決定者が承知していた場合には
事前支持なしに代理決定を行う場合に比べてストレスが少なかった。
When Many Surrogates HaveTo Make Treatment Decisions They Experience A Negative Emotional Effect
MNT, February 28, 2011
元論文のアブストラクトはこちら.。
タイトルを見て思いだしたのは、
「いのちの選択 -今、考えたい脳死・臓器移植」で
脳死臓器提供に同意した家族が語っていた、あの深い苦悩――。
そこから、
こういう研究は脳死臓器移植の家族同意やドナーになる意思決定などでも
もっとされたらいい……というのが、読み始めながら頭に浮かんだことなのだけど、
記事の最後のところまで読み、
次いでアブストラクトに行って結論を読んでみると、
こういう研究結果も、情報としての使い道は
結局、時代によって決まっていくのかなぁ……、
いや、もしかしたら、その時代の要請が使い道を見いだすからこそ、
こういう研究がこういうところでだけは、ある……ということなのかなぁ……
そしたら、やっぱり脳死臓器提供の家族同意で
こういう研究が行われるということは、考えにくいのかなぁ……と。
やっぱり「ない」研究は、
その研究が「ない」という事実そのものが見えなくされてしまうのだけれど、
実は、どの研究があって、どの研究がないか、ということから見えてくるものが
大事な真実を語っていたりもするんじゃないのかなぁ……とも。
代理決定者がどのように決定や決定の支援を行うかという研究は
いくつかあるものの、
その代理決定が代理決定者におよぼす心理的な影響についての研究はなかった。
Annals of Internal Medicineに発表された研究が
2832人の代理決定者(半分以上が家族)のデータを含む刊行済み論文40本を検証し、
自己決定できない成人に代わって決定を行うことが代理決定者に及ぼす影響を調べたところ、
少なくとも3分の1にネガティブな心理的な影響があること、
その影響はしばしば大きなもので、通常、何か月、何年と続くことがわかった。
具体的には、意思決定を行う際のストレス、
実際に決めたことに対する罪悪感、
その決断は正しかったのだろうかという疑念など。
例えば本人のリヴィング・ウィルがあるなど、
本人の意思を代理決定者が承知していた場合には
事前支持なしに代理決定を行う場合に比べてストレスが少なかった。
When Many Surrogates HaveTo Make Treatment Decisions They Experience A Negative Emotional Effect
MNT, February 28, 2011
元論文のアブストラクトはこちら.。
タイトルを見て思いだしたのは、
「いのちの選択 -今、考えたい脳死・臓器移植」で
脳死臓器提供に同意した家族が語っていた、あの深い苦悩――。
そこから、
こういう研究は脳死臓器移植の家族同意やドナーになる意思決定などでも
もっとされたらいい……というのが、読み始めながら頭に浮かんだことなのだけど、
記事の最後のところまで読み、
次いでアブストラクトに行って結論を読んでみると、
こういう研究結果も、情報としての使い道は
結局、時代によって決まっていくのかなぁ……、
いや、もしかしたら、その時代の要請が使い道を見いだすからこそ、
こういう研究がこういうところでだけは、ある……ということなのかなぁ……
そしたら、やっぱり脳死臓器提供の家族同意で
こういう研究が行われるということは、考えにくいのかなぁ……と。
やっぱり「ない」研究は、
その研究が「ない」という事実そのものが見えなくされてしまうのだけれど、
実は、どの研究があって、どの研究がないか、ということから見えてくるものが
大事な真実を語っていたりもするんじゃないのかなぁ……とも。
2011.03.02 / Top↑
米国小児科学会の雑誌に
例のシアトルこども病院が組織したWGのHCR論文に関するコメンタリーが出ている。
無料で読める最初の20%だけからは、著者のスタンスは不明。
In 2006, Ashley, a 6-year-old child with severe developmental disabilities, received treatment at Seattle Children’s Hospital (SCH) with high-dose estrogen and surgical removal of the child’s uterus and breast buds, in order to attenuate her growth to facilitate parental care-giving and to improve her future quality of life. Subsequently, a 20-member working group comprised of ethicists, legal experts, and community representatives was assembled at SCH to discuss ethical and legal aspects of growth attenuation in children like Ashley. In this report the working group’s deliberations are summarized. The group could not establish a consensus, but the majority reached this position of moral compromise: growth attenuation in the nonambulatory profoundly developmentally delayed child is ethically acceptable because the benefits and risks are similar to those . . .
多様な人で構成された20人のWGが
「シアトルこども病院に集まって」協議した、という書き方が気になる。
シアトルこども病院は単に協議の場所だったのではなく、
いまだ多くのことが解明も説明も正当化もされていない第1例の当事者であり、
そのシアトルこども病院が自ら組織したWGだということが問題だというのに。
Growth Attenuation in Children in Profound Disabilities
By Felipe E. Vizcarrondo, MD, MA, FAAP
AAP Grand Rounds 25:36 (2011)
著者については、こちら。
このコメンタリーそのものがどういうものかは分かりませんが、
私は論争の初期からDiekemaやFostは
成長抑制を小児科学会に承認させようと働きかけているだろうと考えており、
あのHCRの論文をはじめ、
彼らがこれまでやってきたシンポや論文は、
そのための布石として周到に準備されてきたことなのかも……と
これを見て、チラっと頭によぎりました。
【関連エントリー】
米小児科学会に“A療法”承認の動き?(2008/3/13)
次は米小児科学会が成長抑制を承認するかも?(2009/2/1)
例のシアトルこども病院が組織したWGのHCR論文に関するコメンタリーが出ている。
無料で読める最初の20%だけからは、著者のスタンスは不明。
In 2006, Ashley, a 6-year-old child with severe developmental disabilities, received treatment at Seattle Children’s Hospital (SCH) with high-dose estrogen and surgical removal of the child’s uterus and breast buds, in order to attenuate her growth to facilitate parental care-giving and to improve her future quality of life. Subsequently, a 20-member working group comprised of ethicists, legal experts, and community representatives was assembled at SCH to discuss ethical and legal aspects of growth attenuation in children like Ashley. In this report the working group’s deliberations are summarized. The group could not establish a consensus, but the majority reached this position of moral compromise: growth attenuation in the nonambulatory profoundly developmentally delayed child is ethically acceptable because the benefits and risks are similar to those . . .
多様な人で構成された20人のWGが
「シアトルこども病院に集まって」協議した、という書き方が気になる。
シアトルこども病院は単に協議の場所だったのではなく、
いまだ多くのことが解明も説明も正当化もされていない第1例の当事者であり、
そのシアトルこども病院が自ら組織したWGだということが問題だというのに。
Growth Attenuation in Children in Profound Disabilities
By Felipe E. Vizcarrondo, MD, MA, FAAP
AAP Grand Rounds 25:36 (2011)
著者については、こちら。
このコメンタリーそのものがどういうものかは分かりませんが、
私は論争の初期からDiekemaやFostは
成長抑制を小児科学会に承認させようと働きかけているだろうと考えており、
あのHCRの論文をはじめ、
彼らがこれまでやってきたシンポや論文は、
そのための布石として周到に準備されてきたことなのかも……と
これを見て、チラっと頭によぎりました。
【関連エントリー】
米小児科学会に“A療法”承認の動き?(2008/3/13)
次は米小児科学会が成長抑制を承認するかも?(2009/2/1)
2011.03.02 / Top↑
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