健康な若者優先の腎臓分配制度を提言した3月1日のNYTの社説に対する反論が
5日に同じくNTYに掲載されています。
補遺で簡単に拾っておこうかと思ったら、
著者が、なんと Lainie Friedman Ross ――。
あのNorman Fostと並んでシアトルこども病院生命倫理カンファの常連、
Ashley事件でもメディアで早々に擁護発言をかました、病院のオトモダチの一人なのです。
Rossは、救済者兄弟や兄弟間の臓器提供について
「家族全体の幸せが子どもの幸せなので、家族のために
子どもの健康に最小限の不利益を及ぼす(minimally compromise)ことは可」とする
「親密なつながり原則」を謳っている人物。
そのRossの、「若い人優先」分配方式への批判の論点は、
そんなことをすれば生体からの提供腎臓が逆に若い人に回らなくなり、
移植を待ちながら死んでいく高齢者が増えるだけで、
臓器不足という本質的な問題解決にはならない、というもの。
じゃぁ、どうすればいいのか、Rossが提言しているのは、
まずネットワークがマッチングしている現在の調整地域を広げて、
広域でマッチングが行われるようにする。
次に、本人同意があれば家族の反対には応じない現在のルールは
ネットワークとして引き続き守らなければならないが、
臓器不足解消のためには、国民への教育が大切。
腎臓提供はほとんどの場合安全であることの周知を図ると同時に、
交通費や提供にかかる医療費など提供を阻む要因を見極め、対処すること。
生体ドナーの提供後の健康の長期に渡る追跡調査も
ネットワークはもっと熱心にやるべき。
さらに「腎臓ペア交換」など革新的なプログラムを推進すること。
How Not to Assign Kidneys
The NYT, March 5, 2011
「解決すべき本質的な問題は臓器不足そのもの」と本気で言っておられるらしいことには、
そりゃ、臓器のために誰かを殺すしかないんでは……? と強く反発を感じるけれども、
今の英語圏の「“臓器さま”が人間より大切」と言わんばかりで“臓器の亡者”じみた
“臓器不足”解消努力の流れを思うと、全体として、たいそう穏当な提言ではあります。
ただ、ドナーの長期追跡調査という個所が私には何より大事なことのような気がして
今の段階で十分な追跡調査が行われていないわけだから、それなら、
「ほとんどの場合安全」と国民に向かって“教育”するエビデンスは
一体どこにあるのか……? と疑問が沸いてくる。
それに最後に出てくる「腎臓ペア交換」システムは
以下のエントリーで紹介したように、既に動いているものですが、
「腎臓がほしければ、他人にあげられる腎臓と物々交換で」時代が始まろうとしている?(2010/6/30)
私は、このシステムは家族、特に女性家族に不当な提供圧力がかかり、
自発提供ルールを侵していると思う。
あ……、考えてみれば、ここでもまた
「名ばかり“自己決定”」が推し進められているだけなのかもしれませんが。
最近、「名ばかり“自己決定”」に「自己申告“自殺幇助”」に「植物状態もどき」……。
なにやら「似て非なるもの」が「そのもの」として処理されていくパターンが
増えつつありますね。
まるで、似て非なるものであることは本当は分かっているんだけど、
そんなことは、もう誰も構っちゃいないんだ……と言わんばかりに――。
5日に同じくNTYに掲載されています。
補遺で簡単に拾っておこうかと思ったら、
著者が、なんと Lainie Friedman Ross ――。
あのNorman Fostと並んでシアトルこども病院生命倫理カンファの常連、
Ashley事件でもメディアで早々に擁護発言をかました、病院のオトモダチの一人なのです。
Rossは、救済者兄弟や兄弟間の臓器提供について
「家族全体の幸せが子どもの幸せなので、家族のために
子どもの健康に最小限の不利益を及ぼす(minimally compromise)ことは可」とする
「親密なつながり原則」を謳っている人物。
そのRossの、「若い人優先」分配方式への批判の論点は、
そんなことをすれば生体からの提供腎臓が逆に若い人に回らなくなり、
移植を待ちながら死んでいく高齢者が増えるだけで、
臓器不足という本質的な問題解決にはならない、というもの。
じゃぁ、どうすればいいのか、Rossが提言しているのは、
まずネットワークがマッチングしている現在の調整地域を広げて、
広域でマッチングが行われるようにする。
次に、本人同意があれば家族の反対には応じない現在のルールは
ネットワークとして引き続き守らなければならないが、
臓器不足解消のためには、国民への教育が大切。
腎臓提供はほとんどの場合安全であることの周知を図ると同時に、
交通費や提供にかかる医療費など提供を阻む要因を見極め、対処すること。
生体ドナーの提供後の健康の長期に渡る追跡調査も
ネットワークはもっと熱心にやるべき。
さらに「腎臓ペア交換」など革新的なプログラムを推進すること。
How Not to Assign Kidneys
The NYT, March 5, 2011
「解決すべき本質的な問題は臓器不足そのもの」と本気で言っておられるらしいことには、
そりゃ、臓器のために誰かを殺すしかないんでは……? と強く反発を感じるけれども、
今の英語圏の「“臓器さま”が人間より大切」と言わんばかりで“臓器の亡者”じみた
“臓器不足”解消努力の流れを思うと、全体として、たいそう穏当な提言ではあります。
ただ、ドナーの長期追跡調査という個所が私には何より大事なことのような気がして
今の段階で十分な追跡調査が行われていないわけだから、それなら、
「ほとんどの場合安全」と国民に向かって“教育”するエビデンスは
一体どこにあるのか……? と疑問が沸いてくる。
それに最後に出てくる「腎臓ペア交換」システムは
以下のエントリーで紹介したように、既に動いているものですが、
「腎臓がほしければ、他人にあげられる腎臓と物々交換で」時代が始まろうとしている?(2010/6/30)
私は、このシステムは家族、特に女性家族に不当な提供圧力がかかり、
自発提供ルールを侵していると思う。
あ……、考えてみれば、ここでもまた
「名ばかり“自己決定”」が推し進められているだけなのかもしれませんが。
最近、「名ばかり“自己決定”」に「自己申告“自殺幇助”」に「植物状態もどき」……。
なにやら「似て非なるもの」が「そのもの」として処理されていくパターンが
増えつつありますね。
まるで、似て非なるものであることは本当は分かっているんだけど、
そんなことは、もう誰も構っちゃいないんだ……と言わんばかりに――。
2011.03.08 / Top↑
8年前に妻と3人の子どもを殺して死刑を宣告された37歳の男性が
毎日せまっ苦しい独房に閉じ込められて過ごしたって何の償いにもならないけど、
死刑になった後で使える臓器をみんな提供すれば多くの人を救って
少しでも罪を償うことができる、と許可を求めたところ、
「公益のためにも死刑囚のためにも申請は却下する」と
刑務所から拒絶されてしまった。
米国には死刑囚の臓器提供を禁じる法律はないが、
現在、それを認めている刑務所はない。
主な理由は4つで、それぞれにLongo氏の反論をくっつけてみると、
① Oregonその他で死刑に使われる複数の薬物のカクテルが臓器を痛める可能性。
しかしOhioとWashingtonでは一種類なので臓器は痛まない。
② 死刑囚の臓器には、HIVや肝炎に感染しているリスクがある。
しかし、事故でいきなり運び込まれてきた脳死者の臓器よりも
健康チェックを受けている死刑囚の臓器の状況の方が確実にチェックできる。
③ 臓器提供のために身柄を移すなどすれば逃亡に使われる恐れがある。
しかし死刑そのものが刑務所内で行われるなら、その場で摘出もできる。
④ 米国では1963年から1973年にかけて、オレゴン州の囚人を
睾丸へのレントゲン照射実験への有償“ボランティア”にした恥ずべき歴史がある。
しかし、まったくの自発意思による臓器提供なら認められて然りだろう。
つい先頃のミズリー州の
双子の一人がもう一人に腎臓提供する条件で終身刑を免除され釈放された事件を思い出し、
臓器提供で何らかの特典を狙っているのだろうと思われるかもしれないが、
そんなことは全く考えていない。
Oregonには現在35人の死刑囚がおり、
自分はそのほとんど全員と話をしたが、約半数が
上訴がかなわなかったら臓器提供したいとの希望を持っている。
もし自分が今日、体中の臓器を提供することができれば、
OR州の臓器移植待ちリストの1%を解消することができる。
このまま、ただ死刑になれば、それらの臓器はただ無駄になってしまう。
自分の死後に自分の体をどうしたいかを自分で決める権利を
奪わないでほしい。
Giving Life After Death Row
Christian Longo,
NYT, March 5, 2011
私はこの記事を読み始めた時、
英語圏のジャーナリストが記事を書く際によくやるように
誰かの視点から物語ることで皮肉や風刺を際立たせる修辞法なのだろうと考え、
どこかで話に、くいっと、ひねりが起こって、
行き過ぎた臓器不足解消の動きがここまで行ったらどうするよ~?
とのメッセージが送られるのだろうと予測しながら読んだのですが、
話はそのまま、「まんま」のメッセージでした。
しかし、いくら読んでも、
死刑囚の「罪を償いたい」という切実な思いはちっとも伝わってこず、
「死刑囚が臓器を提供すれば臓器不足が解消される」と
まるで功利主義の学者が、この主張を正当化するために論文でも書いているかのような
奇妙なほど理路整然と、極めて合理的な文章なのだけれども。
ちなみに、これを書いたLongo氏は
g.a.v.e. offering life from an unexpected placeという
どうやら「死刑囚をはじめ、人間みんな臓器を提供しましょう」活動団体を
立ち上げたという人物。
(私はサイトをちゃんと覗いてみるところまでできていません)
で、この記事を読んだ私の最大の疑問は
死刑囚のLongo氏が、どうやったら
オレゴン州のその他34名の死刑囚のほとんど全員と話ができるのか。
次に、
このLongo氏という人物のバックグラウンドは――?
(こういう理路整然と学者のような論文を書ける人物なのか?)
(囚人の中には、誘導されやすかったり迎合的な傾向の人が多いのでは?)
それから、
最近、米国では死刑に使われる毒物の不足がニュースになっており、
そのため、自殺幇助で使われる薬物に切り替えていく州が出始めているのだけれども、
もしかして、死刑囚からの臓器提供への条件づくりという側面は――?
ついでに、
自殺幇助合法化で先頭を切り、今ではすっかりC&Cが浸透しきっているOR州で
こういう声が上がったということの意味は――?
【7日追記】
Wesley Smithがすぐさま反応。
「死刑囚に提供させてはいけない」とエントリーを書いている。
http://www.firstthings.com/blogs/secondhandsmoke/2011/03/06/condemned-prisoners-should-not-be-able-to-donate-organs-after-execution/
毎日せまっ苦しい独房に閉じ込められて過ごしたって何の償いにもならないけど、
死刑になった後で使える臓器をみんな提供すれば多くの人を救って
少しでも罪を償うことができる、と許可を求めたところ、
「公益のためにも死刑囚のためにも申請は却下する」と
刑務所から拒絶されてしまった。
米国には死刑囚の臓器提供を禁じる法律はないが、
現在、それを認めている刑務所はない。
主な理由は4つで、それぞれにLongo氏の反論をくっつけてみると、
① Oregonその他で死刑に使われる複数の薬物のカクテルが臓器を痛める可能性。
しかしOhioとWashingtonでは一種類なので臓器は痛まない。
② 死刑囚の臓器には、HIVや肝炎に感染しているリスクがある。
しかし、事故でいきなり運び込まれてきた脳死者の臓器よりも
健康チェックを受けている死刑囚の臓器の状況の方が確実にチェックできる。
③ 臓器提供のために身柄を移すなどすれば逃亡に使われる恐れがある。
しかし死刑そのものが刑務所内で行われるなら、その場で摘出もできる。
④ 米国では1963年から1973年にかけて、オレゴン州の囚人を
睾丸へのレントゲン照射実験への有償“ボランティア”にした恥ずべき歴史がある。
しかし、まったくの自発意思による臓器提供なら認められて然りだろう。
つい先頃のミズリー州の
双子の一人がもう一人に腎臓提供する条件で終身刑を免除され釈放された事件を思い出し、
臓器提供で何らかの特典を狙っているのだろうと思われるかもしれないが、
そんなことは全く考えていない。
Oregonには現在35人の死刑囚がおり、
自分はそのほとんど全員と話をしたが、約半数が
上訴がかなわなかったら臓器提供したいとの希望を持っている。
もし自分が今日、体中の臓器を提供することができれば、
OR州の臓器移植待ちリストの1%を解消することができる。
このまま、ただ死刑になれば、それらの臓器はただ無駄になってしまう。
自分の死後に自分の体をどうしたいかを自分で決める権利を
奪わないでほしい。
Giving Life After Death Row
Christian Longo,
NYT, March 5, 2011
私はこの記事を読み始めた時、
英語圏のジャーナリストが記事を書く際によくやるように
誰かの視点から物語ることで皮肉や風刺を際立たせる修辞法なのだろうと考え、
どこかで話に、くいっと、ひねりが起こって、
行き過ぎた臓器不足解消の動きがここまで行ったらどうするよ~?
とのメッセージが送られるのだろうと予測しながら読んだのですが、
話はそのまま、「まんま」のメッセージでした。
しかし、いくら読んでも、
死刑囚の「罪を償いたい」という切実な思いはちっとも伝わってこず、
「死刑囚が臓器を提供すれば臓器不足が解消される」と
まるで功利主義の学者が、この主張を正当化するために論文でも書いているかのような
奇妙なほど理路整然と、極めて合理的な文章なのだけれども。
ちなみに、これを書いたLongo氏は
g.a.v.e. offering life from an unexpected placeという
どうやら「死刑囚をはじめ、人間みんな臓器を提供しましょう」活動団体を
立ち上げたという人物。
(私はサイトをちゃんと覗いてみるところまでできていません)
で、この記事を読んだ私の最大の疑問は
死刑囚のLongo氏が、どうやったら
オレゴン州のその他34名の死刑囚のほとんど全員と話ができるのか。
次に、
このLongo氏という人物のバックグラウンドは――?
(こういう理路整然と学者のような論文を書ける人物なのか?)
(囚人の中には、誘導されやすかったり迎合的な傾向の人が多いのでは?)
それから、
最近、米国では死刑に使われる毒物の不足がニュースになっており、
そのため、自殺幇助で使われる薬物に切り替えていく州が出始めているのだけれども、
もしかして、死刑囚からの臓器提供への条件づくりという側面は――?
ついでに、
自殺幇助合法化で先頭を切り、今ではすっかりC&Cが浸透しきっているOR州で
こういう声が上がったということの意味は――?
【7日追記】
Wesley Smithがすぐさま反応。
「死刑囚に提供させてはいけない」とエントリーを書いている。
http://www.firstthings.com/blogs/secondhandsmoke/2011/03/06/condemned-prisoners-should-not-be-able-to-donate-organs-after-execution/
2011.03.08 / Top↑
なにもテキサス州のように
一方的な「無益な治療」の停止を法的に認めなくても、
家族の意思決定が病院側の気に入らなければ、
家族から代理決定権をはく奪しプロの切り捨て請負人ガーディアンを任命……。
そんな手口もアリなようです。
また「無益な治療」概念は、本来、
「救命可能性が低いにもかかわらず、本人に苦痛を強いているから
そうした治療は本人の利益にならず無益である」という判断だったはずで、
07年のGonzales事件が大きく報道され論争になった際にも
病院側は「お金を問題にしてはいない」と釈明していたのですが、
ここ最近、「お金」が問題にされた「無益な治療」論が
公然と語られるようになってきた空気の変化も感じられて
非常に懸念されます。
メリーランド州の「無益な治療」事件。
ルワンダからの合法移民のRachel Nyrahabiyambereさん58歳は
昨年4月に脳卒中で永続的植物状態に。
居住年数が5年に満たないためにメディケイドの対象にならず、
保険もないため、Georgetown University Medical Centerは息子たちに
ナーシング・ホームに入れる、家に連れ帰る、ルワンダに送り返す、の
いずれかを選択するよう迫った。
栄養と水分の停止を試みては6人の息子たちの反対にあってかなわず、
病院と家族の関係は悪化。
病院は11月に、法定代理人を立てるよう裁判所に申し立てた。
この家族が意思決定者として法的に妥当なのかという疑問があったためだと
病院は、家族がいるのに代理人を申請した理由を説明している。
12月28日の短時間のヒアリングで
息子たちはMyirahabiyambereさんに独立の弁護士をつけてくれと求めたが
認められなかった。
(これについては、事情の複雑さを考えると付くべきだったと
Virginia Guardianship Associationのメンバーがコメントしている)
息子たちは家族が母親の代理決定者であり続けられるよう求めたが、
判事は弁護士であり看護師でもあるAndera J. Sloan氏を代理人に任命。
その人選は、病院から報酬をもらっている弁護士によるもの。
判事は息子たちが「医療的に適切な退院手続きを怠ってきた」と。
代理人になったSloan氏はすぐにナーシング・ホームへの入所手続きを行う。
これまでホームの経費の支払いを申し出たことなどなかった病院が、
今度は支払うという。
ホームに移ると、今度はSloan氏は
Rachelさんをホスピス・ケアの患者としてしまう。
この点について、Sloan氏からNYTへのメールの返事は
家族はSloan氏が計画した話し合いにも出てこなかったという。
電話とメールでの話し合いで、「入院拒否」と「蘇生拒否」には同意したものの、
栄養と水分の停止によって死なすことはルワンダの文化では受け入れられないと抵抗。
それに対して、Sloan氏は、
「ルワンダの文化を理解してくれと言うけど、私は理解してあげようとしていますよ。
だってルワンダの文化には、経管栄養そのものがないでしょ?」
そして、
本人が「栄養チューブを付け、オムツをして、誰ともコミュニケーションが取れないまま
ナーシング・ホームで」生き続けたいと本人が望んでいると立証できないなら、
栄養チューブは外す、と宣言。
2月19日に栄養と水分のチューブが取り外された。
米国国民である2人を含む6人の息子たちは
もはや傍観者として母親が死なされるのを見ていることしかできなかった。
Sloan氏は、
「植物状態の人の延命治療の決断は、保険があったとしても
緩和ケアの方が妥当だという問題なので、
本質的には国籍とか財源とは無関係」と。
しかし、ペンシルバニア大学の倫理学者 Arthur Caplanは
「終末期医療の決断は細心に行うべきで、
家族を決定プロセスのすべてに関与させ、また家族を尊重して行うべき。
治療中止がお金の問題とちょっとでも繋がってしまうと、
それは大きな倫理問題。それこそ死の委員会になってしまう」
(死の委員会とは、
Obama政権の医療制度改革案が出てきた時に、
終末期医療に関するカウンセリングの項目が「死の委員会」だと
ティーパーティなど保守層から攻撃のターゲットになったことを指すものと思われます)
取り外しから2週間後の3月3日現在、Rachelさんはまだ生きている――。
Immigrant’s Health Crisis Leaves Her Family on Sideline
NYT, March 3, 2011
この事件、メディアも世間も05年のShiavo事件のように騒いでいない。
それほど「無益な治療」概念が米国には浸透してしまったということなのでしょうか。
記事には、一家がルワンダの1994年の内乱を生き延びて難民キャンプに辿り着き、
一家離散を経て米国に渡り、その後、息子たちがそれぞれに働きながら大学へ行って
国籍を取得し両親を支えてきたことなども書かれており、
そういう苦労と重ねて生きてきた人たちが、やっとたどり着いた米国で
今度はこういう仕打ちを受けるのかと思うと胸が苦しくなりますが、
もう1つ、私がこの記事でものすごく気にかかるのは、
栄養チューブを外される日のRachelさんの様子を記述した冒頭個所。
息子の1人が部屋に入って、
Rachelさんの持っていたルワンダの音楽をかけ、
額を軽く叩くと、Rachelさんは一瞬、目を開けたといいます。
ルワンダの言葉で「調子はどう?」と声をかけると、
身動きもした、と。
このブログで読んできた、既に数え切れないほどの関連記事から
実際の意識の有無には、もはや英語圏の医療現場が興味を失っているだけなのでは……?
私には、そんな気がしてなりません。
仮に意識があったとしても、
寝たきりで普通の方法でコミュニケーションが取れず、何もできないなら
そのQOLの低さは意識がないに等しいと、暗黙のうちに了解されてしまっているような……。
だから、そういう状態の人は
一切合財ひっくるめて便宜上「永続的植物状態」にしてしまったところで、
大した違いなどありはしない……とでもいうような……。
2月にもミネソタ州で妻が夫の医療に関する代理決定権を奪われていましたが、
そういう場合に法定代理人候補として控えている
Sloan氏のようなプロの「切り捨て請負・法的代理人」、既に沢山いるのでは?
一方的な「無益な治療」の停止を法的に認めなくても、
家族の意思決定が病院側の気に入らなければ、
家族から代理決定権をはく奪しプロの切り捨て請負人ガーディアンを任命……。
そんな手口もアリなようです。
また「無益な治療」概念は、本来、
「救命可能性が低いにもかかわらず、本人に苦痛を強いているから
そうした治療は本人の利益にならず無益である」という判断だったはずで、
07年のGonzales事件が大きく報道され論争になった際にも
病院側は「お金を問題にしてはいない」と釈明していたのですが、
ここ最近、「お金」が問題にされた「無益な治療」論が
公然と語られるようになってきた空気の変化も感じられて
非常に懸念されます。
メリーランド州の「無益な治療」事件。
ルワンダからの合法移民のRachel Nyrahabiyambereさん58歳は
昨年4月に脳卒中で永続的植物状態に。
居住年数が5年に満たないためにメディケイドの対象にならず、
保険もないため、Georgetown University Medical Centerは息子たちに
ナーシング・ホームに入れる、家に連れ帰る、ルワンダに送り返す、の
いずれかを選択するよう迫った。
栄養と水分の停止を試みては6人の息子たちの反対にあってかなわず、
病院と家族の関係は悪化。
病院は11月に、法定代理人を立てるよう裁判所に申し立てた。
この家族が意思決定者として法的に妥当なのかという疑問があったためだと
病院は、家族がいるのに代理人を申請した理由を説明している。
12月28日の短時間のヒアリングで
息子たちはMyirahabiyambereさんに独立の弁護士をつけてくれと求めたが
認められなかった。
(これについては、事情の複雑さを考えると付くべきだったと
Virginia Guardianship Associationのメンバーがコメントしている)
息子たちは家族が母親の代理決定者であり続けられるよう求めたが、
判事は弁護士であり看護師でもあるAndera J. Sloan氏を代理人に任命。
その人選は、病院から報酬をもらっている弁護士によるもの。
判事は息子たちが「医療的に適切な退院手続きを怠ってきた」と。
代理人になったSloan氏はすぐにナーシング・ホームへの入所手続きを行う。
これまでホームの経費の支払いを申し出たことなどなかった病院が、
今度は支払うという。
ホームに移ると、今度はSloan氏は
Rachelさんをホスピス・ケアの患者としてしまう。
この点について、Sloan氏からNYTへのメールの返事は
Hospitals cannot afford to allow families the time to work through their grieving process by allowing the relatives to remain hospitalized until the family reaches the acceptance stage, if that ever happens.
Generically speaking, what gives any one family or person the right to control so many scarce health care resources in a situation where the prognosis is poor, and to the detriment of others who may actually benefit from them?
もしも家族が時間をかければ受容できる段階に至るのだとしても、
家族が悲しみのプロセスを時間をかけてくぐりぬける間ずっと
家族のために患者を入院させておくような経済的なゆとりは病院にはありません。
それに一般論として、
予後の悪い患者のために少ない医療資源を好きなようにするなんて、
そんな権利が、どうして一家族や一個人にあるんですか?
そんなの、その資源があれば現に利益を得るかもしれない患者を
犠牲にすることなんですよ。
家族はSloan氏が計画した話し合いにも出てこなかったという。
電話とメールでの話し合いで、「入院拒否」と「蘇生拒否」には同意したものの、
栄養と水分の停止によって死なすことはルワンダの文化では受け入れられないと抵抗。
それに対して、Sloan氏は、
「ルワンダの文化を理解してくれと言うけど、私は理解してあげようとしていますよ。
だってルワンダの文化には、経管栄養そのものがないでしょ?」
そして、
本人が「栄養チューブを付け、オムツをして、誰ともコミュニケーションが取れないまま
ナーシング・ホームで」生き続けたいと本人が望んでいると立証できないなら、
栄養チューブは外す、と宣言。
2月19日に栄養と水分のチューブが取り外された。
米国国民である2人を含む6人の息子たちは
もはや傍観者として母親が死なされるのを見ていることしかできなかった。
Sloan氏は、
「植物状態の人の延命治療の決断は、保険があったとしても
緩和ケアの方が妥当だという問題なので、
本質的には国籍とか財源とは無関係」と。
しかし、ペンシルバニア大学の倫理学者 Arthur Caplanは
「終末期医療の決断は細心に行うべきで、
家族を決定プロセスのすべてに関与させ、また家族を尊重して行うべき。
治療中止がお金の問題とちょっとでも繋がってしまうと、
それは大きな倫理問題。それこそ死の委員会になってしまう」
(死の委員会とは、
Obama政権の医療制度改革案が出てきた時に、
終末期医療に関するカウンセリングの項目が「死の委員会」だと
ティーパーティなど保守層から攻撃のターゲットになったことを指すものと思われます)
取り外しから2週間後の3月3日現在、Rachelさんはまだ生きている――。
Immigrant’s Health Crisis Leaves Her Family on Sideline
NYT, March 3, 2011
この事件、メディアも世間も05年のShiavo事件のように騒いでいない。
それほど「無益な治療」概念が米国には浸透してしまったということなのでしょうか。
記事には、一家がルワンダの1994年の内乱を生き延びて難民キャンプに辿り着き、
一家離散を経て米国に渡り、その後、息子たちがそれぞれに働きながら大学へ行って
国籍を取得し両親を支えてきたことなども書かれており、
そういう苦労と重ねて生きてきた人たちが、やっとたどり着いた米国で
今度はこういう仕打ちを受けるのかと思うと胸が苦しくなりますが、
もう1つ、私がこの記事でものすごく気にかかるのは、
栄養チューブを外される日のRachelさんの様子を記述した冒頭個所。
息子の1人が部屋に入って、
Rachelさんの持っていたルワンダの音楽をかけ、
額を軽く叩くと、Rachelさんは一瞬、目を開けたといいます。
ルワンダの言葉で「調子はどう?」と声をかけると、
身動きもした、と。
このブログで読んできた、既に数え切れないほどの関連記事から
実際の意識の有無には、もはや英語圏の医療現場が興味を失っているだけなのでは……?
私には、そんな気がしてなりません。
仮に意識があったとしても、
寝たきりで普通の方法でコミュニケーションが取れず、何もできないなら
そのQOLの低さは意識がないに等しいと、暗黙のうちに了解されてしまっているような……。
だから、そういう状態の人は
一切合財ひっくるめて便宜上「永続的植物状態」にしてしまったところで、
大した違いなどありはしない……とでもいうような……。
2月にもミネソタ州で妻が夫の医療に関する代理決定権を奪われていましたが、
そういう場合に法定代理人候補として控えている
Sloan氏のようなプロの「切り捨て請負・法的代理人」、既に沢山いるのでは?
2011.03.08 / Top↑
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