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米国バージニア州ノーフォークで去年、90歳の女性Olwen Doris Greenさんが認知症の進行を恐れて自殺。8日に検視官が自殺と断定。Dignity in Dyingのメンバーで死ぬ時は自分で決める権利があると考えていたという。自殺ほう助の疑いで娘が逮捕され、現在保釈中。
http://www.eveningnews24.co.uk/news/coroner_rules_90_year_old_norfolk_woman_s_death_was_suicide_1_858756

ドイツ政府がゲイツ財団との合意により、途上国の子どもたちのワクチン接種を進めるため、1900万ドルをGAVIに提供。:かくしてGAVIてのは、WHOやUNESCOよりもはるかにカネを持った国際組織。WHOやUNESCOの方が「ゼニくだせぇ」と頭を下げていくんだよ。
http://www.news-medical.net/news/20110408/German-government-Gates-Foundation-sign-agreement-to-provide-funding-for-GAVI-Alliance.aspx

NYTが月に20本を超える記事を有料化したので、ニュースレターのタイトルをうかつにクリックできなくなった。で、タイトルとリードだけで。共和党が優勢になった米議会がモメて予算成立が危ぶまれる事態となっていたのだけど、そこに大きな対立点として出てきたのが中絶だったことは米国の保守層の変化を浮き彫りにした、と。
Late Clash on Abortion Shows Conservative’s Sway:The emergence of abortion as the most contentious issue holding up the budget deal highlighted the sway of social conservatives.

これは今日のNYTで、開いて読みたかったけど、とりあえずパスしたもの。米国で、エイズに感染した人の臓器をエイズ患者に移植したがっている人たちがいる。:時間があったら、ちゃんと読んでみる。
A New Push to Let H.I.V. Patients Accept Organs That Are Infected: Organ from people infected with the virus that causes AIDS are suitable for transplant to patients who are already infected, doctors say.

もう一つ、こちらは土曜日のNYTから。日本からの荷に米国の港で9.11で導入された放射能探知システムが使われている。
Japan Cargo Is Screened at U.S. Ports: A system installed after the Sept. 11 attack is now also being used to detect any radiation-tainted Japanese imports.

日本の原発奴隷について、NYTが取り上げている。これは、つい開いてしまった。
http://www.nytimes.com/2011/04/10/world/asia/10workers.html?_r=1&nl=todaysheadlines&emc=tha

生殖補助医療を利用して妊娠する人は、余剰胚の扱いについて保管しておくか、廃棄するか、実験に提供するかの3者択一を迫られる。スタンフォード大では、実験に利害のある研究者が一切接触することなく自宅で当時者だけで考えてもらうシステムに。利益の相反があるから、と。:今ごろになってやっと話題になることそのものに、びっくり。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/221768.php

Engineering and Physical Sciences Research Council (EPSRC)センターなるものを英国政府が立ち上げ。化学物質の製造過程改革のため。:つまり、科学とテクノの国際競争において英国が仕掛けてきた、ということでは?
http://www.medicalnewstoday.com/articles/221817.php
2011.04.14 / Top↑
Ashleyの主治医で、
06年にDiekemaと共著でAshleyの症例について論文を書き、
その後07年の9月30日午後9時30分以来ずっと死んでいるはずのGunther医師が
(詳細は「Gunther医師の死」の書庫に)

なんと生き返って、

「今月」また、あの同じ小児科学会誌に、またDiekemaと共著で、
6歳の重症児への成長抑制療法(子宮摘出を含む)を報告する
論文を発表した……ってぇぇぇぇ???

親の要望を受けて「慎重な相談と倫理委員会の検討を経て始められた」もので、
両医師は成長抑制療法について「倫理的かつ実行可能で、
親への選択肢の一つとすべき」だと主張している……ってぇぇぇ????

で、その論文にBroscoとFeudtnerが、また、論説を書き、
その判断を「間違っている」とはいうものの、今後の検討には
「さらなる研究とパブリックな議論が必要」だと言っている……ってぇぇぇ????

……と考え、私は仰天しましたよ。

なぜか子ども服を売る地味なサイトに昨日アップされた
なんとも場違いな、この記事を読んだ時には――。

よくよく読んでみれば、どうやら
2007年の論争当時の文献から
Ashley父の立場で言いたいことだけを都合よく抜き出すと
たぶん、こういう書き方になるだろうなぁ……という内容の記事を
どこかから探してきてコピペしたのか、

はたまた
誰かが改めて書いたものを、いかにもコピペした別記事のように見せかけているのか、どちらか。

確かに最初の一行は
「この記事についての意見を好きなだけ詳しくコメントして」で、
そのすぐ後に上記の記事が続くという形。

しかし、その記事にはリンクもなければ、ソースも日付も一切ないばかりか、
明らかにAshley事件について書いているというのにAshleyの名前すらないので、
もしも予備知識のない人が読むと、現在進行形で起きている事件のことだと
思いこむのは間違いない。

これもまた、たぶんAshley事件で続いている例の怪現象の一つなのだろう。

これまでは、ずっと同じAP通信の記事のコピペだったのだけど、
新手を繰り出してきたってことなのかしら。

what is your reaction about this article as psychology?
Baby And Infant Clothing, April 9, 2011


それにしても、いくら世間から忘れられないように話題のエサを撒きたいとはいえ、
死んだ人を生き返らせて同じことをもう一度やらせるような失敬なマネ、するなよ。

“Ashley療法”論争の渦中で自殺したんだよ、その人は――。
2011.04.10 / Top↑
John Harrisはマンチェスター大学の倫理学者。

前のエントリーで映画「わたしを離さないで」についてのSomervilleの論説を読んだ際、
Harrisが臓器売買を認めろと主張する文章を最近書いているとのことだったので、
探して読んでみた。

Professor John Harris:This would end an evil trade – and save lives
The Independence, January 5, 2011


彼が生体間の臓器売買を一定の規制のもとで認めようと提案する理由は2つ。

① 世界中で臓器目的で人が誘拐され、騙され、殺されてすらいる現状。
② 世界規模の提供臓器不足によって引き起こされている
本来は失われずともよい命の悲劇的な死。

自分は別にショーバイにしようというわけじゃない、
臓器不足によって命と自由が失われていくことが我慢できないだけなのだ、と。

ここまでで私が「ちょっと待って」と思うのは2つで、

① は、「セーフガードさえあれば臓器売買も犯罪も起こらない」と言って
移植医療を推進してきた人たちの主張が間違っていたことのエビデンスであり、

それは、とりもなおさず
売買についてもアンタが言っている「一定の規制」なるものが
セーフガードとして機能しないことのエビデンスじゃないの?

② で、死が「臓器不足によって引き起こされている」という、あざとい書き方は
ぜんぜん正しくなくて、それらの死はあくまでも「病気によって引き起こされた」のでは?

でも、Harrisが、もっと“えぐい”のは、
この後、売買反対論の懸念を一つずつ上げてつぶしていくところ。

まず、
① 売買を認めたら自発的に善意で提供する人がいなくなる、という懸念。

Harrisはそれに否定するのではなく「そうなったって、いいじゃないか」という。
だって、臓器不足を排除できれば(remove the organ shortage)
それくらいの代償は小さなものさ、臓器に払うコストだって
人工透析の費用が浮くんだからその2年分程度で賄えるんだから、と。

次の論点は、もっと、えぐい。

② ドナー希望者に対して、どのくらいのリスクがあるのかが
十分に説明されるのか、という懸念に対して、

これもHarrisは、否定はしない。
そうだとしても、ドナーにリスクがちゃんと説明されないリスクよりも
「臓器不足を終わらせ」ないことのリスクの方が大きいだろう、と一言。

そして、次に、この極め付けのえぐさは、どうよ?

③ 売買を認めたら、臓器を売ろうとするのは
「最も弱い立場にある人たち」になるのでは、との懸念を、

やはりHarrisは否定せず、「そうかもしらんよ」と、あっさり認め
「でも腎臓提供の安全性と倫理性はもう確立されている」。

ここに見られる、
「様々な要因で弱い立場にあるために臓器を売るしかなくなる」人の
立場や絶望や痛みへの想像力と共感性の欠落は、
そのまま「わたしを離さないで」の世界に通じていくものだ。

しかもHarrisはさらに、こんなイヤラシイことをそこに付け加える。

「臓器提供は命を救うのはもちろん、非常に愛他的な行為なのだから、
それを考えれば、むしろ、そうした英雄的な愛他的行為が
果たして弱者以外の特権になっていいのかと問うべきだろう」。

なんッちゅう、偽善的で恥知らずな、おためごかしだよ、それはっ。

売買できるようになれば、金持ちが順番をすっ飛ばすと思うかもしれないが、
「臓器不足を排除」すれば順番そのものがなくなるじゃないか、とも。

               ―――――

頭に血が上っているから数え間違えているかもしれないけど、
「臓器不足を排除する」という表現が少なくとも2回。
「臓器不足を終わらせる」が1回。

つまり、
移植臓器を必要とする人全員に臓器がいきわたる世の中にすべきだと
Harrisは本気で考えているわけですね。

たぶん、SavulescuやWilkinsonなんかと一緒にね(詳細は文末にリンク)。

「わたしを離さないで」についての
Somervilleの言葉が思い出されます。

「道徳的な良心も道徳的な感性も持たない人たちが
純粋功利主義と道徳的相対主義によって
新たなテクノ科学を統制したら……」って、

Harrisさん、アンタのことですよ。

アンタの頭の中に描かれている「臓器不足が排除された」世界と
「わたしを離さないで」の臓器庫クローン畜産業との距離はごくごく近い。

そして映画では、その産業は“政府直営”だった――。



【関連エントリー】
英国の臓器提供“みなし同意”論争(2008/11/18)
Kaylee事件から日本の「心臓が足りないぞ」分数を考えた(2009/4/15)
生殖補助医療の“卵子不足”解消のため「ドナーに金銭支払いを」と英HFEA(2009/7/27)

「生きた状態で臓器摘出する安楽死を」とSavulescuがBioethics誌で(2010/5/8)
Savulescuの「臓器提供安楽死」を読んでみた(2010/7/5)
「腎臓ペア交換」と「臓器提供安楽死」について書きました(2010/10/19)
臓器提供は安楽死の次には”無益な治療”論と繋がる……?(2010/5/9)
「“生きるに値する命”でも“与えるに値する命”なら死なせてもOK」と、Savulescuの相方が(2011/3/2)
2011.04.10 / Top↑
映画の公式サイト(英語)はこちら
(英語圏でも公開中らしく、ツイッター随時追加されています)

日本語の公式サイトはこちら

原作を読んで1月に書いたエントリーは、こちらに ↓
カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」メモ(2011/1/13)


現在日本で公開中の映画「わたしを離さないで」について
去年カナダで公開された際に生命倫理学者 Margaret Somervilleが
素晴らしい論説を書いている。

まず、冒頭、作品の設定を説明した上で、

現在カナダで公開中の
カズオ・イシグロの原作に基づく映画Never Let Me Goで我々が目撃するのは
急速に発達中の「再生医療」と呼ばれているものが
倫理的に使用されれば大いなる希望をもたらす反面、
非倫理的に使用された時に何が起こりうるかという
ディストピアの一例である。



その後、Somervilleが指摘しているのは、

過去に時代設定された軽々しく風変わりなSFとして映画評論家は論評しているが
この設定に関わっているのは臓器移植、遺伝子操作、生殖補助など50年代、60年代には
既に世の中に登場していた技術であり、現在は「科学的事実 Science Fact」である。



ここに描かれている世界は我々が思うよりもはるかに我々の近くにある。

映画の強烈なメッセージとは、
21世紀のテクノ科学が提起する倫理問題に
我々は今よりももっと敏感になる必要がある、というものだ。

例えば、と彼女が指摘しているのは、

・富裕な人間の将来の必要のために臓器庫として作られたクローンである主人公たちは
モノとして扱われ、人間として扱われていない。それは、彼らへの扱いからも
また頻繁に「可哀そうな子たち you poor creatures」とかけられる言葉からも感じられるが、
こうして彼らを人間扱いしないことによって、彼ら自身も非人間的になっていくことは
現在のヒト胚や胎児を云々する時の我々の姿勢や言葉遣いを思わせる。

ヘイルシャムの寮で主人公たちの健康維持を管理する医師や看護師のふるまいは
まるで修理工が車を点検するかのようだし、

主人公の一人の「ドナー」から
命にかかわる臓器(たぶん肺だったと思う)を摘出するシーンで
医療職たちは摘出の作業までは慎重に行うものの、あとは
さっさと生命維持装置を切り「患者」への関心を全く失って、
血だらけの穴を縫合もせず患者を置き去りにしていく。

あれほどの医療倫理にもとる行いができるとは、一体どういう医師や看護師なのか。

ナチの医師らにも問われた問いだ。どこかの国では現在も、
囚人をドナーにして同じことが行われているのではないのか。
カナダ人がそのレシピエントになっている可能性は?

なぜ(映画の)社会にはそれを禁じることができなかったのか?
一体どこに監視団体が、倫理問題を担う科学や医療の専門組織が? 
そんなセーフガードは機能を失った事態だったとでも?

・つまるところ、これらの子どもたちの「畜産」は儲かる産業なのだ。

そのための言葉の言い替えは巧妙で、彼らを作らせた人間は originalだし、
自分がコピーである相手を目撃すると、その相手は possible だし、

当然、そこには kill も death もない。
ドナーは die 「死ぬ」のではなく、complete 「終了」するのである。

ちょうど
ヒトクローンは「実験目的でのみ」作るならいい、と言う人たちがいるように。

しかし、試験管の中のクローン胎児の細胞を1つ取り出して、女性の子宮に着床させ、
もう一つを冷凍しておいて、生まれた子どもに病気があったら
その時は代理母に妊娠させて最終段階で中絶、その臓器を使うことは?
(と、その行為とこの映画が描く行為との距離を問うているのだと思う)

Never Let Me Goは
道徳的な良心も道徳的な感覚も持たない人たちが純粋功利主義と道徳的相対主義によって
新たなテクノ科学を統制したら、当然起こってくる「倫理的アウトカム」への
痛切な警句である。



(ここで私の頭に浮かんだのは、Savulescu と Wilkinson と Singer と Fost)

Closer Than You Know – The movie Never Let Me Go holds a searing lesson in bioethics we must heed today
The Institute of Evangelism, November 22, 2010


もう1つ、オーストラリアから。

必要とする人みんなにスペアの臓器を保障するためには、
政府は他者に臓器を提供するための人々のブリーディングを行わなければならない。
それが、この映画のキモである。



臓器不足は世界中で深刻で、
英国ではマンチェスター大のJohn Harrisが売買を認めようと提案したばかりだし、
すでに「みなし同意」制度を導入した国がスペイン、フランス、ベルギー、スウェーデン。
その他の国でも検討されている。

イシグロの原作小説が発表された2005年とは、
40代の女性たちが若い女性から卵子を買い始め、
病気の子の親たちが“救済者兄弟”を作り始めた頃だ。

人の身体を利用すれば利益を得て良い方に向かう。
社会はそういうメッセージを送っている。

ニコールキッドマンの代理母が
「gestational carrier 妊娠代行者? 胎児培養容器?」と称される時代だ。

Never Let Me Go: the organ donation debate continues
On LINE opinion, March 30, 2011


なお、上の記事にはなかったけれど、オーストラリアの記事によると、
別のところでSomervilleは以下のように書いているとのこと。

Each technology, taken alone, raises serious ethical issues, but combined they raise ethical issues of a different order, as we see in Never Let Me Go." (themark.com, Nov 25, 2010)

テクノロジーのそれぞれは、それ1つでは深刻な倫理問題は生じないが、
それらが合わせられた時には、まったく異なった次元の倫理問題が生じる。
Never Let Me Goに見られるように。



【追記】
その後、Somervilleが言及しているHarrisの記事を見つけて
次のエントリーを書きました。
2011.04.10 / Top↑
かねて補遺で追いかけてきたように
自殺幇助を明確に違法と規定するIdaho州の法案SB1070ですが、
3月14日に上院を通過したのちに
28日に下院を通過。

このほど知事もサインして、法律となったとのこと。

プロライフの全米組織AULの会長であるCharmaine Yoest医師は
「(同法は)希望を諦めて人生を終えよと圧力を受けがちな
われわれ社会の弱者に向けてアイダホが差し伸べる助けの手だ」

「自殺幇助を“権利”にしようとの意図的な試みを
アイダホ州の政治家は阻止した。

高齢者、病者、障害者に対して、品位と共感で応じるなら
それは彼らの生を終わらせることではなくQOLを改善することだ」

AUL says Idah Senate Bill 1070 (signed by the Governor) Protects the Terminally Ill, Disabled, & Elderly
Americans United For Life, April 7, 2011


どんどん勢いづいていくと見える合法化の動きに対して、
こういう揺り戻しのような動きが出てきたことは、希望のように思えないわけではない。

一方で、米国でのいわゆるプロライフの中には、
女性の選択権や同性婚の否定や、貧困層への医療を巡る「自己責任」論など、
非常に不寛容な姿勢にも繋がっているところがあることが、ずっと気にかかっている。
2011.04.08 / Top↑
このところ、お天気が良くて、
ぽかぽかと暖かい日が続いている。

お昼ご飯を食べた後で、
あれこれヤボ用を兼ねた近所のお散歩へ出掛ける。

背中を照らす日差しは、ほとんど暑いくらいで
寒い間ちぢこまっていた身体がのびのびと広がって、喜んでいる。

ぬわっし、ぬわっし、と大きなストライドで歩く。

今年はなかなか咲きあぐねていた桜も
ここ数日で一気につぼみがほぐれて、この調子なら
週末にはミュウの大好きなおむすびを(父親が)作って(おかずは母の担当ですっ)
お花見に行けるなー、昨日おとーさんとスーパーに行って花ソーセージ買ったし……

……と、ずっと向こうに電動車イスらしい人が見えた。

遠いので、やたらずんぐりと大きな白い塊のように見えるのだけど、
その白い塊が頭を載せて、くる、くる、と向きを変えながら移動する動きは
ミュウの周辺で見慣れた電動車イスのものだった。

信号をこちら側に渡ってこようとしている。

信号を渡った先(それは、ちょうど私のいる歩道の入り口にあたる)には
ちょっと傾斜のきつい個所があり、そこは路面が痛んで凸凹になっている。
いつもミュウの車イスを押して通る際の要注意箇所なので
大丈夫かなぁ、電動車イスってどのくらいの馬力があるんだったっけ? 
などと思いながら見ていると、

いたってスムーズな動きで信号を渡ると、
くいっと一旦車道に逸れて(ちゃんと難所だと知っていて避けたのね)
改めてこっちの歩道に入ってきた。

さすがー。やるなぁ……。

なんにせよミュウが基準になっている私は、
電動であれ手動であれ、車イスを自分の体の一部のように操る人たちの
鮮やかな手さばきには、いつも見惚れてしまう。

それに、電動って馬力あるんだなぁ……。

最近はいつも父親が押してくれるけど、
ミュウが小さい頃に散歩に来た時だって、
あそこの凸凹坂を押して上がるのはキツかったよ……

……てなことを思っている場合では、実はなくて、
電動車イスというのはデカいんである。
そして私が歩いている歩道は狭い。

私から見て右手はヨソ様の家やらなんやらゴチャついている。
左手はつつじ(さつき?)の植え込み。

まだ距離はあるけど、向こうからやってくる白い人の幅を目測すると、
この歩道の幅の3分の2以上を占めているように見える。どうする?

どちらかというと右寄りを歩いていた私は、
歩きながら、とっさに右に寄ってみる。……あ、でも、
車イスが左に寄ると植え込みにひっかかるか……?

じゃあ……と今度は私が左に避けようとするのを見て、
その人が車イスを私から見て右に寄せるような動きをした。
あ、でも、そっちには、どこかの庭への大きな段差があるじゃんっ。

どうする??

これ全部、ほんの数秒間の出来事なんだけれど、私はたぶん、その数秒間の間、
頭で考えることがイチイチそのまま「吹き出し」になるような
単純な身体の動きをしていたんじゃないかと思う。

ちょうど、道で出会いがしらにぶつかりそうになった人同士が
互いに避けようとしては同じ方向に避けて、またぶつかりそうになって
思わず苦笑いしながら、互いに相手の出方を図ってみる時のような
独特の“間”みたいなものが、距離を隔てているものの、その人と私の間に生じた。

……と、この辺りですれ違おうとすると狭いけど、
私がもうちょっと先に行ってしまえば、右手に小さな出っ張りがあるのに気付き、
左に避けかけた地点から、右手の出っ張りに向けて、とっとっとっと数歩ホップ。

我ながら、ちょっと滑稽な身体の動きになって、
ついテレ笑いが出る。

そこへ、その人がスイスイと進んできた。

なんだか福々しい顔をしたオッサンだった。
全身を車イスごと大きな白いタオルでくるまれているので
まるで大きな柔らかい大福モチみたいに見える。

テレて笑ったままの顔を向けたのを
大福モチは恵比寿さんみたいな大きな笑顔で受けて、
「えらい、すんませんなぁ」

「いえいえー。こちらこそ、すみませーん」
頭でもぼりぼり掻きそうな気分で、返した。

そのまま、また背中に日差しを受けて、歩く。

いましがたの自分の口調が「開けて」いたことに、
自分でちょっとびっくりしていた。

私は見知らぬ人に対してあんまり「開けている」という人じゃなく、
どちらかというと腕組みして自分を固く閉ざしているみたいな万年思春期オバサンなので。

大きなストライドで、ぬわっし、ぬわっし、と歩きながら、
なんていうか、間って、あるんだよね……と考える。

たまたま互いに相手の動きを読もうとした“間”があったこととか、
そこで私の動きがいかにも滑稽になったことだとか、

その人の全身がたまたまタオルで覆われて大福みたいに見えたこととか、
その人の福々しい顔とか、その顔が笑うと恵比寿さんみたいになったこととか、
そういう場面で挨拶し慣れている人の軽やかで柔らかい口調とか、
なんでこの辺で関西弁なんだか知らないけどオッサンの思いがけない関西弁だとか、

それから、たぶん、
たまたま今日の空がみごとに晴れ渡っていたこととか、ポカポカ暖かかったこととか、
長く寒かった冬が終わって、その人もミュウも気軽に外に出られる季節がきたことだとか、
たまたま前の日に花ソーセージを買ってたこととか

たぶん、そういう、“たまたま”があれこれみんな寄って集まって、
その瞬間にしかありえない、不思議な“間”……みたいなもの……?

――いや、理屈はいいんだ、そんなの。どうでも。
だって今日は、ほ~んと、あったかい。

春がきたよ、ミュウ。
2011.04.08 / Top↑
記事の書き出しが、まず
「あまたある恐ろしい慢性病の中で、たった一つ、
重症の腎臓病だけが連邦政府の特別扱いを受けている」。

年齢や支払い能力を問わず腎臓不全の患者にはタダ同然の医療をと、
39年前に法律が作られた時には、

その後に高齢者がこんなに長生きするようになるなんて想定外だったし、
もともとは若い人やせいぜい中年が人工透析によって元気になり
働いて生産的な人生を長く送ることができるようにと意図されたものだった。

それなのに、多くの高齢者が長生きするようになって、
そのためにあっちもこっちも合併症だらけで
人工透析をしたからといって、治るわけでもなければ
さほどの延命効果があるわけでもないのに
患者の自己選択だからというだけで高価な人工透析が行われている。

今年、米国が重症の腎臓病患者の人工透析に費やすコストは
400億から500億ドルと言われる。

今では毎年100万人に400人以上の割合で人工透析患者がおり、
その3分の1は65歳以上の患者で、そこに経費の42%がつぎ込まれている。
75歳以上の透析患者も増える一方だが、彼らは高齢者の常で
糖尿病、心臓病、脳卒中、進行した認知症すら抱えている。

そういう重症な慢性合併症を抱える高齢患者は
透析をしたところで長くは生きられない。

透析をやっても余命が1年そこそこと見られる、そういう高齢患者には
人工透析をやらずにホスピスを選択しろというのが言いにくければ
「人工透析なしの医療マネジメント」という新たな名称を使ってはどうか。

それによって
何もせずに死なせるためにホスピスに送るわけじゃないですよ、
ちゃんと緩和ケアをしてあげますよ、というメッセージを送ってはどうか。

When Ailments Pile Up, Asking Patients to Rethink Free Dialysis
The NYT, March 31, 2011


例えば、どういう経緯でかターミナルになって、
人工透析が本人にとって負担にしかならないから
やめておいた方が本人のためだというケースがある……というのは分かる。

そういう患者さんにも、病院の利益だとか、家族の無理解その他なんらかの理由で
本人を苦しめるだけの過剰医療が行われているなら、それは止めた方がいいと私も思う。

だけど、それは、以下のエントリーで書いたように、
日本の尊厳死合法化議論を巡る4つの疑問(2010/10/28)

「個別の判断をもっと丁寧にして過剰医療はやめましょう」という筋の話であって、
「コストがかかるから、どうせ長生きしない合併症のある高齢者には諦めてもらおう」と
線引きの話とは、本来筋が違うだろう、と思う。

それに、この記事を読んで単純に疑問に思うのは
そういう患者に人工透析をしてもせいぜい1年ほどのことなのなら
彼らを切り捨てて浮くコストというのも全体に占める割合は小さいはず。

この点は、シアトルこども病院のWilfond医師が
障害児への医療切り捨てを主張するFostらへの反論として
「医療費全体で考えれば、大した額ではないのだから
コストを主たる問題にして子どもの医療を考えるのは止めよう」と
提案していたことに通じていくのでは。

(もっとも、それは07年の話であって、その後の展開を考えると
今のWilfond医師が同じことを言うとも思えない節はあるけど)

もちろん、この記事のような話が次々に出てくることで
「それでも私はやりたい」とは言いにくい空気が広がっていくだろうし、
現場のあれこれや、担当医師の説明姿勢も当然影響されてくるだろうから、
間接的なコスト削減効果はそれを上回って大きくなるんだろうし、
狙われている効果は、むしろそちらなのかもしれないとも考えてみたりするけども。


【関連エントリー】
「功利主義はとらない」……南アフリカの人工透析患者選別委員会の模索(2010/12/17)

この12月17日のエントリーの最後に触れているNHKの
クローズアップ現代の「ある少女の選択」での人工透析拒否については、
こちらの補遺に、ちょっとだけ書いています ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/62289982.html


このケースを巡るNHKの表現の選択に見られるように、

「人工呼吸器や胃ろうや人工透析によるケアを受ければ
それなりのQOLで生きていくことができる」ことをもって
乱暴にひとくくりに「延命」と称する場面が日本でも
目についてきたのはとても危険なことではないかと
私は感じています。
2011.04.08 / Top↑
まず、3日のエントリーでとりあげたMaitlandさんのDignitasでの自殺について、いろいろリアクションが出ている。

Wesley Smithが批判ポスト。
http://www.firstthings.com/blogs/secondhandsmoke/2011/04/03/fear-of-dying-of-old-age-assisted-suicide-in-switzerland/

これまでも合法化に向けた動きを批判してきたCristina OdoneさんがTelegraphに批判記事を寄稿。
http://blogs.telegraph.co.uk/news/cristinaodone/100082268/why-end-it-all-just-as-we-enter-a-golden-age/

同じくBBCには「個人の選択」「彼女は尊厳ある死を遂げた」との擁護記事。:BBCは合法化ロビーだからね。
http://www.bbc.co.uk/news/uk-12959664

同じくGuardianは、Maitlandさんがターミナルでなかったことで、合法化ロビーの間で意見が割れている、と。
http://www.guardian.co.uk/society/2011/apr/03/assisted-dying-nan-maitland-dignitas-arthritis?CMP=EMCGT_040411&

2人のメンバーがスイスまでMaitlandさんに付き添ったスコットランドの死の自己決定権支援グループFate(Friends at the End)が、事件について釈明。
http://www.heraldscotland.com/news/home-news/suicide-group-in-old-age-euthanasia-row-1.1094362?localLinksEnabled=false


(ここから、その他の話題)

06年に認知症による自己決定能力の欠如を理由にDignitasで幇助を断られたオーストラリアの男性Graeme Wylieさん(71)が、数ヵ月後に内縁の妻Shirley Justins(62)の用意した毒物で自殺。Shirleyさんは裁判で自殺幇助の罪を認めた。
http://news.smh.com.au/breaking-news-national/woman-admits-aiding-partners-suicide-20110404-1cyes.html

補遺でずっと追いかけてきたNYの自己啓発講師の殺人事件で、本人に保険金目的で頼まれたから縛ってナイフで刺し殺したのであり自殺幇助だとの弁護側の言い分を退け、20年の禁固刑。
http://www.reuters.com/article/2011/04/04/us-crime-suicide-idUSTRE7334SL20110404

2010年に国外で医療を受けた米国人は875000人。例えば米国内で奥歯を治療して冠をかぶせると2000ドルかかるんだけど、インドで同じ治療を受けると200ドルで済むんだそうな。特に歯科と股関節の置換手術が人気で、中には心臓のバイパス手術で医療ツーリズムに走る人も。
http://www.washingtonpost.com/national/health/medical_tourism_draws_growing_numbers_of_americans_to_seek_health_care_abroad/2011/02/09/AFkbobeC_story.html?wpisrc=nl_cuzheads

09年の英国のベビーRB事件について、病院サイドと一緒に生命維持装置停止を求めた母親がBBCのインタビューを受け、事件を振り返った。RB君とはロニー君。ただ名字のBは父親の方の名前なのでBのまま。母親は再婚して次の子どもが生まれたばかり。:特に目新しい内容があるわけではなく、わざわざ引っ張り出してまでBBCは何を言わせたかったのだろ。http://www.bbc.co.uk/news/health-12958932

米国で死刑に使う薬物が不足して、自殺幇助で使用されるペントバルビタールで代用され始めている件について、今日火曜日に死刑執行予定の死刑囚Clever Fosterが、テキサス州で初めてのペントバルビタールによる死刑を受けるのは実験に使われるようなものでイヤだと、薬の変更手続きに問題があると申し立て。:なぜ突然にこれまで使われてきた薬物が不足するのか、というのがずっと疑問で、この問題を追いかけてきているのだけど、その疑問は解けないまま、一方で死刑囚から臓器をもらおうという声が上がってきていることを考えると、なにかそういう関連で薬を変更する利点があるのかもしれない、と思ってみたりする。ただ、自殺幇助ではペントバルビタールで死にきれなかった人が出ているので、この人がモルモットになるのはイヤだという懸念は理解できる。
http://www.dailymail.co.uk/news/article-1373427/Cleve-Foster-does-want-guinea-pig-new-lethal-injection-drug-tomorrow.html?ITO=1490

米国の医療制度というのがイマイチちゃんと分かり切れないんだけど、「コンシェルジュ医療」というのが出てきているそうな。「病気になってもならなくても、今年一年よろしく」と、定額を支払って医師を雇う恰好の契約。だいたい年1500ドルくらいで契約し、その代わり病気になったら待たずに診てもらえる、というもの。ただ、そういう医師、年契約の患者しか診なくなるので、メディケア・メディケイド制度を揺るがしかねないという問題。
http://www.cbsnews.com/stories/2011/04/02/health/main20050039.shtml

本よりも音楽がいいという若者は、音楽より本がいいという若者よりも、将来うつ病を発症する確率が高い。:へぇ。逆なのかと思った。どっちにしても、それだけで言えることじゃないと思うけど。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/221206.php

アルツハイマー病のリスクとなる遺伝子が4つ見つかった。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/221114.php
2011.04.05 / Top↑
Nan Maitlandさん(84)は元作業療法士で
英国でthe Society for Old Age Rational Suicide (SOARS)という
(ターミナルであるかどうかに限らず)高齢者の自殺幇助合法化活動団体の創設者。

3月1日にスイスのDignitasで自殺。

長年、関節炎に苦しんではいたが、特に重病があるわけではなかった。
去年10月にはオーストラリアで開かれた「死ぬ権利」の国際会議に出席した。

友人に宛てた手紙には
「多くの人が死ぬ前に不運にも経験する、
時に“長期に渡る衰弱期”とも呼ばれる長い下降期間」を避けたいための決断だ、と説明。

また、
「もう何年か、私の人生には喜びよりも苦痛の方が多く、
これからは月ごとに苦しみが増え喜びが減っていくでしょう。
先にどんな恐ろしいことが待っているか怯えながら
一日一日を暮らさなくてもよくなると思うと、大きな安堵を感じます」

「素晴らしい人生でした。
自分で選んだ時に死ねて幸運です」とも。

スイスでの自殺前夜には5つ星ホテルのレストランで
友人たちと3時間のディナーを楽しみ、最後の日の朝には
運転手つきリムジンで医師の診察を受けに行った。

死に臨んでも冷静で、致死薬を飲む15分前に
ツメがささくれているからといって、
やすりをかけてもらったという。

英国の合法化反対ロビーCare Not Killingは
「現行法を改正すると、家族や介護者や国家のお荷物にならないように自殺しろと
弱者に対してプレッシャーがかかる」。

また反対運動を続けている緩和ケア医のFinlay上院議員は
「これは拡大解釈です。(こんなに拡大していけば)一体どこで止めるんですか?
自殺するのではなく、生き続けたいとか介護してほしいと望む人が
利己的な人だということになってしまう危うさがある」と。

Woman kills herself to avoid old age
The Australian, April 3, 2011

British woman kills herself at Swiss suicide clinic to avoid ‘prolonged dwindling’ of old age
The Daily Mail, April 3, 2011



【英国人のDignitasでの自殺事件エントリー】
スイスDignitasで幇助自殺とげた英国人100人に(2008/10/3)
息子をDignitasで自殺させた両親、不問に(英)(2008/12/10)
「病気の夫と一緒に死にたい」健康な妻の自殺をDignitasが検討中(2009/4/2)
Dignitasに登録の英国人800人(2009/6/1)
これまでにDignitasで自殺した英国人114人の病名リスト(2009/6/22)
英国の著名指揮者夫妻がDignitasで揃って自殺(2009/7/14)
またしても著名英国人音楽家がDignitasで自殺(2009/9/20)
Dignitasの内部をGuardianが独占取材(2009/11/19)
国別・Dignitasの幇助自殺者、登録会員数一覧(2010/3/1)
また英国の著名人がDignitasで自殺:Purdyさんと同じ多発性硬化症(2010/4/1)
リッチな英女性のDignitas死に財産がらみの不審か、警察が捜査に(2010/4/14)


【Finlay議員関連エントリー】
英国医師会、自殺幇助に関する法改正支持動議を否決(2009/7/2)
BMJの副編が「生きたい障害者が死にたい病人のジャマするな」(2009/9/6)
Campbellさん率いる障害者団体連合が自殺幇助ガイドラインを批判(2009/12/22)
Warnock, Finlay, Purdy他が自殺幇助で円卓討論(2010/1/31)
「PAS合法化なら年1000人が死ぬことに」と、英シンクタンクが報告書(2010/10/26)
英国上院に自殺幇助に関する検討委員会(2010/11/30)
2011.04.03 / Top↑
安楽死と臓器移植が結びつこうとしていることについては
文末にリンクしたように当ブログも兼ねて懸念しているところですが、
Wesley Smithが「安楽死と臓器摘出」というエントリーを書いています。

Euthanasia and Organ Harvesting
Secondhand Smoke, March 31, 2011


その中に、
特に最近の米メデイァがしきりにヒーローとして描いているJack Kevorkian医師について、
これまで私は知らなかった事実が出てきており、

Savulescuらが提唱し、
ベルギーで2005年以降に実施されている安楽死後臓器提供を
Kevorkian医師が既に98年に実践していた、と。


Jack Kevorkian医師と言えば、
自作の自殺装置で100人を超える患者の自殺を幇助した医師として有名だけれど、

1991年に書いた著書 Prescription: Medicineの中で、
彼は既に自殺幇助した人からの臓器摘出を謳っていたとのこと。

それだけではなく、98年には
脊髄損傷で寝たきりになった元警察官Jaoseph Tushknowkiの自殺を幇助した際に、
その腎臓を無造作に切り採り、弁護士と臨んだ記者会見で、
移植用にほしい人はいないかと募った。
「早い者勝ちですよ」と言って。

さすがに誰も手を上げなかった。

しかも、その腎臓の摘出方法たるや、
死んだ人のセーターをたくし上げただけで、無造作に切り開いて採った後、
血管を適当に結び合わせてあったという。

この事件についてもSmithは当時、メディアに投稿している ↓

The Serial Killer as Folk Hero
Weekly Standard. Com, July 6, 1998

こちらの記事の中でSmithは、
障害者の臓器は障害者その人よりも価値があり、したがって、
障害者は生きているよりも死ぬ方が世の中に貢献できることになり、だから
絶望している障害者や病者は殺してあげるのが世のためということになる、

さらに言えば、Kevorkianは彼らが生きている間から
生体実験に使えるようにすればよいとまで考えている、と指摘。

患者の苦しみを取り除いてやるために自殺を幇助するなんて
大ウソだと暴いている。

そして、昨日のエントリーでは、Savulescuらが提唱しているように
安楽死させるチームと、臓器摘出のチームを分けたからといって
そんなことはセーフガードとして役に立ちはしない、と言い、
次のように書いている。

Once a society decides that some of its members have a life of such low quality that it is acceptable for doctors to kill them, and once these patients―many of whom already feel like burdens―learn that they can save lives by their suicides, the seductive pull of asking for euthanasia/organ harvesting could reach gravitational strength. We have entered exceedingly dangerous territory, made the more treacherous by doctors and bioethicists validating the ideas that dead is better than disabled and approvingly recounting how patients can be viewed as a natural resource.

QOLが低いとされる患者たちはもともと自分たちをお荷物だと感じているので
そういう人は医師が殺してもよいと認められてしまった社会で
死ねば誰かの命を救えるのだと説かれると、彼らは
安楽死臓器提供に向かって強く背中を押されてしまう。

我々の社会は極めて危険な領域に足を踏み入れてしまった。

さらに医師と生命倫理学者とが
障害を負うよりも死んだ方がマシだという考えを裏付けては
患者って、ほら、こんなすばらしい自然資源でもあるのだから、と
説いて回っては、人々をたぶらかしている。





【安楽死後臓器提供・臓器提供安楽死関連エントリー】
ベルギーで2年前にロックトインの女性、「安楽死後臓器提供」(2010/5/9)
ベルギーの医師らが「安楽死後臓器提供」を学会発表、既にプロトコルまで(2011/1/26)
ベルギーの「安楽死後臓器提供」、やっぱり「無益な治療」論がチラついている?(2011/2/7)

「生きた状態で臓器摘出する安楽死を」とSavulescuがBioethics誌で(2010/5/8)
Savulescuの「臓器提供安楽死」を読んでみた(2010/7/5)
「腎臓ペア交換」と「臓器提供安楽死」について書きました(2010/10/19)

Savulescuらが、今度はICUにおける一方的な「無益な治療」停止の正当化(2011/2/9)
「“生きるに値する命”でも“与えるに値する命”なら死なせてもOK」とSavulescuの相方が(2011/3/2)


【Kevorkian医師関連エントリー】
自殺幇助のKevorkian医師、下院出馬の意向(2008/3/14)
アル・パチーノ主演でKevorkian医師の伝記映画作成か(2009/5/27)
Dr. Deathをヒーローに祭り上げ、シャイボさんをヘイトスピーチで笑い物にするハリウッド(2010/3/25)
FENが「Kevorkian医師の半生記映画見て“死ぬ権利”考えよう」(2010/4/22)
Kevorkian医師「PASは医療の問題。政治も法律も関係ない」(2010/4/26)
CNN、Kevorkian医師にインタビュー(2010/6/16)
Kevorkian医師の半生記映画、主演のパチーノ共、エミー賞を受賞(2010/8/30)
2011.04.03 / Top↑