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7月8日に米国で封切りになったドキュメンタリー映画  “Project Nim”。

映画の予告映像は、こちらの日本語サイトで見ることができます。

このサイトの説明によると、
手話を駆使して人間と会話することで世界的に有名になった
チンパンジーのニムの生涯をまとめたドキュメンタリー。

映画の公開に当たって、実験の詳細を振り返る記事がSalonにありました。

Pick of the Week: The chimp they tried to turn human
Salon, July 7, 2011


プロジェクト・ニムは、70年代に
動物が人間の言語を習得できる可能性を模索するため、
知能の高いチンパンジーの子どもニムを人間の子どもと同じように養育し、
手話を教え込もうとしたコロンビア大学の心理学者 Herbert Terraceの実験。

手話を教えたのは、
チンパンジーが人間の言語を話すための筋肉を欠いているため。

当時、言語学者ノーム・チョムスキーが
言語は人間にしか習得できないものだという説を唱えており、
実験が彼の説にチャレンジするものであったことから、
ニムは“ニム・チンプスキー”とも渾名された。

しかしTerraceの結論は
ニムは125語程度の手話の習得に留まり、
目先の目標を達成するための原始的な合図を超えたレベルに達することがなかった、
というもので、当時、論議を呼んだ。

しかし、今こうして実験の詳細やニムの生涯を振り返ると、そこに見えてくるのは、
70年代の米国のアカデミズムを背景に、チンパンジーに投影された、
ありとあらゆる種類の人間の欲望とイデオロギーであり、
チンパンジーと言語の問題よりも、むしろ人間の傲慢。

実験はまず、ニムの母親を麻酔銃で撃ち、捕まえてきた生後2週間の赤ん坊を
Terraceの元恋人でチャンパンジーに関する知識など皆無である女性Stephanie LaFargeに
引き渡すことから始まった。

LaFargeの家はマンハッタンの混沌の中で何世帯もが共同生活をしており、
もともと多くの子どもが野放図に暮らしている家庭だったので、
そこに動物が一匹加わったからといって大勢に影響がなかったのだという。

フロイド心理学を学んだ元大学院生であったLaFargeは
言語習得のみを念頭に置いたTerraceの単純素朴な実験意図にも関わらず、
ニムに母乳を飲ませ、自分の身体を触らせ、自慰行為を観察するなど、
勝手に独自の実験を行った。酒を飲ませ、マリファナも吸わせた。

やりたい放題に甘やかされたニムが
嫉妬深くてわがままな、愛情も豊かだけれど性欲にも暴力にも抑えが利かなくなると
Terraceは、ニムを大学の施設内に移し、

今度はその時点での恋人であった、学部学生の Laura-Ann Petittoに託す。
少なくとも2人の関係が終わるまで、ニムはPetittoに託され、

その後はまた別の学部学生 Joyce Butlerに預けられた。

5年間の実験の間、ニムは3人の代理母の間を転々とした。
こんなことが人間の子どもで起こったら、大きな問題のある生育環境のはず。
ニムは、実験の間、そうした無秩序で一貫性のない状況に置かれたのである。

テラスはニムを単に実験の道具としかみなさず、
実験が失敗に終わると、ニムが生まれたオクラホマ州の霊長類研究所に送り返してしまう。
コーヒーの味を覚え、皿を洗い、人間のトイレを使っているチンパンジーを
沢山のサルが詰め込まれたキタナイ研究施設に送り返したのだ。

彼がその施設にニムを訪ねたのは、
1797年に本を出版した際にプロモのためにカメラマンを連れていった1度きり。

後にその研究所が、ニムを含め所有していたサルの多くを
霊長類でワクチン実験をしていたNY大学の実験室に売り払った際にも、
テラスは全く興味を示さなかった。

彼の現在のHPにも
70年代のニムに関する仕事は一切記載されていないとのこと。

しかしニムはオクラホマで、その後、彼の親友となる大学院生と出会っていた。
その大学院生Bob Ingersollが弁護士や他の研究者らと一緒にメディアに訴え、
ついに動物の権利擁護活動家Cleveland Amoryの関心を引いた。そして、
ニムは仲間のチンパンジーたちと共に過ごせる環境で生涯を終えることができた。

Ingersollの言葉がとても印象的で、

彼は言語を習得できるかどうかという議論には全く興味がないが、
ニムが独自に考案したものも含めた手話と、非言語コミュニケーションを通じて
彼自身はニムとちゃんとコミュニケーションが取れた。

それは、しかし、動物と一緒に暮らしたことのある人ならみんな知っていることで、
動物だって知恵もあれば知能も高いけれど、だからといって
動物を人間のように仕立てようとするのは間違いだ、というのは常識。

テラスの実験は、その常識から外れ、その常識をまっこうから否定するものだった、と。

映画「プロジェクト・ニム」は、
ニムは果たして言語を習得したのか、あるいは習得の可能性はあったのか、との問いには
答えを出していない。

記事の最後のセンテンスが示唆的で、

It does suggest that only by treating other species with dignity and respect can we respect our own unique status, and that’s a lesson we keep forgetting.

映画が描いて見せるのは、

尊厳と敬意を持って他の種の動物を扱うことによってのみ
我々人間だけが人間であるということに敬意を払うことができる。
しかし我々人間は、その教訓をいつも忘れてしまう……というメッセージ。




この問題、
以下の2つのエントリー・シリーズで考えてきたことに通じていくような気がします。

閻魔堂論議「なぜ人間が特別なのか?」シリーズ
「なぜ人間は動物と違って特別なのか?」種差別批判からの問い 1(2010/10/7)
「なぜ人間は動物と違って特別なのか?」種差別批判からの問い 2(2010/10/7)
「なぜ人間は動物と違って特別なのか?」種差別批判からの問い 3(2010/10/7)

P.シンガー「大型累次年の権利宣言」シリーズ
①Singerらの「大型類人猿の権利宣言」って、あんがい種差別的?
②Peter Singerの”ちゃぶ台返し”
③SingerやTH二ストにとっては、知的障害者も精神障害者も子どもも、み~んな「頭が悪い人たち」?
2011.07.11 / Top↑
原発関連でいろいろ本を読んでおられる方から、「原発事故を問う―チェルノブイリから、もんじゅへ」七沢 潔著(岩波新書)がいちばん興味深かった、と教えてもらった。アマゾンのレビューでも評価が高いみたい。

BuffettがGates財団に15億ドル。06年から順次、資産の99%を拠出すると公にしている計画の一環として。他にも報道が多々あって、どうやら15億相当の株式を提供したということみたい。:この2人、どんどん距離を縮めていく感じなのだけど、共同経営者として「グローバル世界慈善資本主義帝国」という企業に出資している……みたいな……?
http://www.reuters.com/article/2011/07/07/buffett-gates-idUSN1E7661WL20110707

世界で初めて、幹細胞から作られた人造臓器(気管)の移植手術。
http://www.guardian.co.uk/science/2011/jul/08/cancer-patient-synthetic-organ-transplant?CMP=EMCGT_080711&

NYTのオピニオン欄に、抗ウツ薬の効果を擁護する記事。
In Defense of Antidepressants: It’s all the rage to question their effectiveness. But critics don’t understand the research.

NYTによれば、ついに、精神科のカウンセリングまでウェブ上で、という会社がぞろぞろと出ているらしい。
The Therapist Will See You Now, via the Web:Psychiatry thorough a video connection was pioneered several decades ago. Today, start-up companies are trying to popularize therapy over the Internet.

英国の大衆紙Sun の日曜版the News of the World の電話盗聴事件に関する日本語記事。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110709-00000097-san-int

この事件で出したリリースで墓穴を掘り、メディア王マードックにも投獄の可能性が。
http://www.canberratimes.com.au/news/world/world/general/murdoch-may-face-jail/2220198.aspx?src=enews

死刑に使われるチオペンタールが不足してペントバルビタールに切り替える州が相次いでいる問題で、Hospira以外の会社がペントバルビタールについても治療に使う医療機関を優先することを表明。さらに不足が深刻に。
http://www.chron.com/disp/story.mpl/metropolitan/7646392.html

2011.07.11 / Top↑
今からちょうど1年前、ケアラー連盟設立を祝して
「介護保険情報」誌7月号の連載で書いた記事を――。



英国NHSの介護者支援サイトCares Direct

先月7日、介護者の権利擁護を進める「ケアラー連盟」が日本で誕生した。これまで介護者が「人権」という文脈に乗せられることは日本では少なかったが、ついに「介護者の人権」を求める声が上がった。英語圏の介護者支援については、これまでも何度か紹介してきたが、これを機に、今回は英国のNHS(国民医療サービス)がウェブ上に開設している介護者支援サービスCarers Directを覗いてみたい。

Carers Directのトップページは「ケアホーム情報」「介護を始めたばかりの人」「お金と法律」「介護ガイド」「若年介護者」「介護者の福祉」「仕事・勉強との両立」「介護者の体験談」「介護者手当て」「介護者アセスメント」の10テーマに分かれている。また地域ごとにサービス情報を検索する機能、関連サイトへのリンクも用意されている。

初めてこのサイトを訪れた人や介護を始めたばかりの人にお勧めなのは、ページ右下にある「誰かの介護をしていますか?」と題したQ&Aコーナーだろう。

以下の6つの質問に順次答えていくと、その人に応じたアドバイスと共に、サイト内のどの情報が参考になるか、どんな支援が使えるかを教えてくれる。6つの質問からはNHSの介護者支援が何を重視しているかが伺えて、たいへん興味深い。

①介護者として必要な情報が手元にあり、必要な情報をどこで手に入れたらよいか知っていますか。
②介護ができにくい身体的不調がありますか。
③介護のために夜眠れなかったり、孤独を感じたり、自分には無理だと感じることがありますか。
④何があれば介護がしやすくなりますか。(経済的サポートや住宅改造、移動支援など6つのチェックリスト)
⑤介護から離れて介護者役割を休む時間はとれていますか。
⑥介護以外のところで生活上の困難を感じていますか。(通学、仕事、健康、自分の時間など6つのチェックリスト)

また個々の相談を受ける「ヘルプライン」も用意されている。直通電話相談は月曜日から金曜日は午前8時から午後9時まで、週末は午前11時から午後4時までで、英国内なら設置電話からでも携帯電話からでも無料。電話の他にもメールや手紙での相談も受け付ける。

相談窓口なので直接の支援を行う訳ではないが、相談者のニーズに応じた情報を提供したり、サービス受給に問題が生じている場合には不服申し立ての手続きを手ほどきしたり、自治体やNHSの担当者に繋ぐこともある。また、必要に応じて各種専門家も紹介する。

外国人、障害者向け電話通訳・翻訳サービス

この介護者相談電話、特に目を引かれるのは、外国語にも聴覚・言語障害者にも対応ができていることだ。もっとも、ヘルプラインが独自に用意したものではなく、既に普及・定着した民間サービスが、民間企業はもちろんのことNHSを始めとする官による行政サービスにも導入されているということのようだ。

Language Lineのサービスでは、加入すると通訳を入れ3方向の会話が可能となる。対応言語は170以上。25年も前から各種機関の行政サービスと契約しているというから驚く。

聴覚・言語障害者向け電話通訳・翻訳サービスは、80年代に王立全国聴覚障害者協会が始めた取り組み。その後、同協会と英国の通信大手ブリティッシュ・テレコムがそれぞれ提供していたサービスが去年3月に統合されてTextRelayとなった。通常の電話番号の前に専用番号を入力するとオペレーターが介入し、キーボードのついた文字電話(現在はPCの転用も可)と通常の電話の間で、文字から音声へ、音声から文字へと通訳する。あらかじめの手続きも予約も不要。無料サービスで、通訳により通常よりもかかった時間分の料金も払い戻しを受けられる。

こうしたサービスが介護者相談電話で当たり前に使えるとは……。人の多様性を認め尊重する英国社会の人権意識の歴史の厚みを、改めて見せつけられる気がした。もっとも、これを機に検索してみたところ日本にも電話通訳サービス企業はある。代理電話サービスや、手話による電話通訳も始まっているようだ。

そして、ここにまた、日本の人権意識においても介護者支援においても着実な一歩――。
ケアラー連盟設立、おめでとうございます。



ケアラーズ・ダイレクトのサイトはこちら ↓
http://www.nhs.uk/carersdirect/Pages/CarersDirectHome.aspx


【関連エントリー】
介護者の権利を守るための「ケアラーズ連盟」、6月7日に発足へ(2010/5/18)(その後、名称変更)
「ケアラー連盟結成宣言」(2010/7/6)
日本のケアラー実態調査(2011/6/14)
ケアラー連盟設立1周年記念フォーラムに参加しました(2011/7/1)
2011.07.11 / Top↑
WA州の尊厳死法による死亡報告書の死因欄に「医師による自殺幇助」ではなくPASの動機となった元々の病気名が記入されることの問題が以前から指摘されていたけれど、今回、死因をPASと明記するよう法改正を求める法案が州議会に提出されるも、委員会で投票に至らず。ただ、再提出もありうる。
http://westernfrontonline.net/top-stories/13629-death-with-dignity-act-may-face-amendment

家族介護者などケアラーの3分の1が、介護している相手から虐待を受けている、というNZの記事。:まだちゃんと読めていませんが。
http://www.nzherald.co.nz/health/news/article.cfm?c_id=204&objectid=10736795

英国のNHSの急性期病棟で高齢の入院患者は尊厳あるケアを受けていない。:こういう報告、私が英語ニュースを読み始めた5年くらい前から、高齢者についても知的障害者についても、ずっと出続けているんだけど。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/230473.php

NYTの社説が、高価な抗がん剤がメディケアを圧迫する可能性について書いている。:ってことは、Oregon州の「抗がん剤はダメだけど自殺幇助なら給付OK」が広がっていくことの社会的ニーズが、そこにこそある――?
Extremely Expensive Cancer Drugs: Costly treatment that have limited medical benefits for some cancer patients could be a drain on Medicare.

これは昨日のNYTに、自閉症に環境要因が関わっているのでは、との研究結果。
New Study Implicates Environmental Factors in Autism: A new study of twins released online on Monday marked an important shift in thinking about the causes of autism.

歳をとって腰が痛くなるのにも、遺伝子が関わっているんだとか。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/230533.php

子どもの喘息の原因には、妊娠中の母親のうつ状態とかストレスが関与しているんだとか。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/230485.php

マイクロソフトが中国のBaiduと提携。:中国には(にも?)ビル・ゲイツがさんざん慈善で恩を売っては人脈を繋いできたんだから、そりゃビジネスだって思うがままでしょーよ。
http://www.guardian.co.uk/technology/2011/jul/04/microsoft-baidu-china-search-engines?CMP=EMCGT_050711&

日本の「ワクチン産業ビジョンの要点の怪について3月にエントリーにしているのだけど、今日ひょんなことから気付いてみれば、1年近く前に、いつもお世話になっているmyuさんが既にコメントで教えてくださっていた。その時にも厚労省のサイトは覗いているのだけれど、私にはその段階ではまだ背景の大きな図が見えていなかったために、推進委員会の意味するところが理解できなかったのだろうと思う。改めて、いろいろと示唆的な気付きをもらった。
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/60932414.html#60952006

国連女性報告。:まだまだまだまだまだまだ……。
http://www.guardian.co.uk/global-development/2011/jul/06/un-women-report-access-to-justice?CMP=EMCGT_060711&

アルマーニ氏が新作コレクションを日本の震災に捧げる、と。
http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2011/jul/05/armani-dedicates-collection-japan?CMP=EMCGT_060711&

またNZで大きな地震が起きている。
http://www.canberratimes.com.au/news/world/world/general/big-quake-prompts-tsunami-fears/2218930.aspx?src=enews
2011.07.08 / Top↑
子どものワクチン接種に懐疑的な親が少数ながら着実に増えていることは
米国で麻疹の流行がぶり返していることもあって、
ずいぶん前から米国で議論になっている。

そんな中、
シカゴのNorthwestern Children’s Practice (NCP)の8人の小児科医など一部の小児科医から、
CDCと小児科学会推奨スケジュール通りにワクチン接種をしていない子どもの
診療を拒否する動きが出ている。

この記事でずっとコメントを延々と引用されているのはDouglas S. Diekema医師。

D医師はゲイツ財団と密接な関係にあるシアトルこども病院の所属であり、
ワクチン打たせない親には法的責任を問えとまで主張するほど
実はワクチン推進派なのだけど、この記事での発言はあざといほどに中立的で

彼の発言の要旨は、

確かにここ10年、米国の親の中にワクチン拒否が広がっているのは事実だけれど、
ワクチン懐疑の発端となった自閉症ワクチン犯人説のWakefield論文をLancetが抹消してから
1年以上が経過しているので、この傾向がどこまで広がるかは
まだ様子を見ないと分からない。

ワクチン拒否が医師を深く懸念させているのは事実で
教育と説得にも応じない親の場合、診療の対象から外したことのある医師が5~10%いる。

ただ、小児科学会もイリノイ支部も以下のように
スケジュール通り接種していない子にも診療は提供し、
関係を継続する中で親の説得を続けるよう求めている。

"Families with doubts about immunization should still have access to good medical care, and maintaining the relationship in the face of disagreement conveys respect and at the same time allows the child access to medical care," the AAP policy states. "Furthermore, a continuing relationship allows additional opportunity to discuss the issue of immunization over time."


で、D医師の結論は、
「小児科医は、ワクチン接種しないことのリスクを親に理解させる努力をもっとしなければ。
今の親は、こういう病気の直接体験が少ないのだから」と。

Some pediatricians taking stand for vaccine program
The Chicago Tribune, July 6, 2011


シカゴのNCPが6月1日に施行したワクチン方針本文はこちら。

「医療提供者として、我々には出来る限り多くの子どもを病気から守る責任があります」。

また「多くの場合、ワクチンは
開発されてからルーティーンで使われるようになるまでに
少なくとも10年の検査期間を経ている」とも書かれていますが

う~ん……でも、
HPVワクチンは異様に短期間で認可されたという話だったような……。

それに「ワクチンの10年」祭りと、その経済施策としての意味合いを考えると、
これから数年の間に次々に開発されるといわれる新ワクチンは
HPVワクチンと同じくらいのスピードで認可されていくんじゃないかという予感も
私個人的にはあったりもして、

この記事でも指摘されているように
最も多くの親が拒絶しているのがHPV子宮頸がんワクチンであるということは、

Wakefield論文が招いた不信から親が拒絶している……という時代は実はもう終わっていて、
むしろビッグ・ファーマと研究者やFDAとの癒着など、向精神薬スキャンダルに象徴されるような
ワクチンの周辺や背景にある、もっと構造的な問題に対して
今の親は不信を募らせている……ってことじゃないのかなぁ……?


それについて、去年書いてみたのがこちら ↓
「米国のワクチン不信と、そこから見えてくるもの」を書きました(2010/7/5)


Wakefield論文抹消の前後の報道については、以下の補遺に ↓

2010年1月28日の補遺
(Wakefield医師って、裁判にもなっているらしい)

2010年6月10日の補遺
(英国で「これから次々に新しいワクチンが開発され、安全性が確立されていくのに備えて、個人レベルで人々の不安に対処すべく医療職がちゃんと意識を持つよう教育しなければならん、そもそも医療職でちゃんと季節性インフルエンザの予防接種を受けているのが7人に1人以下とは何事か」の声)

2011年1月6日の補遺
(BMJの論文がLancetの論文抹消を受けてWakefield叩き)

2011年1月14日の補遺
(Wakefieldの論文抹消に関するNYTの社説)

2011年1月21日の補遺
(DiekemaらがLancetの論文で改めてWakefield叩き)

2011年1月23日の補遺
(NYTがWakefield論文以前からワクチン不信はあった、と指摘)
2011.07.08 / Top↑
今年も6月13日から19日、
英国では恒例の介護者週間 Carers Week が行われました。

今年は1700以上の地方組織がイベントを実施。
去年よりも30%も増えたとのこと。

関連の報道記事は期間中の補遺にいくつも拾っています。

私が初めて英国のCarers Weekのことをネットで調べてみた2007年には、
まだ地方紙が地元のケアラーの特集記事を書くくらいだった印象があるのですが、
今年はGuardianが特集記事を書き、BBCも特集番組を作っていて、
なんだか大きなイベントの成長したんだなぁ……と、感慨がありました。
(その間、特に毎年きっちり追いかけたわけではないので、無責任な感慨ですが)

それら補遺で拾った記事の中で、特に以下の表現が印象的に残りました。

finding hidden carers (隠れたケアラーを探し出す)
finding the true face of carers (ケアラーの隠れた顔を探し出す)

実は、前者は、もともと英国政府の全国介護者戦略にも
アウトリーチ型の支援の理念を巡って使われている表現。

そして後者は、ちょっと面白いことに
今年のCarers Weekのテーマが the True Face of Carers なのです。

このテーマ、なかなか深い……と思います。

Carers Weekのサイトには
ケアラーで、介護に関する著書があるHugh Marriottさんという人が
このテーマの理念を、軽妙でありながら心に響く文章で解説しています。

私自身が先日、ケアラー連盟のフォーラムでお話しさせていただいたことにも
そのまま通じていくような気がするので、以下に全訳してみました。

Mariottさんの著書はケアラーが豚のキャラクターに設定されているらしく、
この文章も、「なんでボクが?」という看板をもった豚が描かれ、
ケアラーである豚君の語りとして書かれています。


原文と、これを言っている豚くんのイラストは、以下のリンクにあります。

The True Face of Carers
Carers Week 2011


【7日追記:おことわり】
今朝までこのエントリーに置いていた豚クンの語り全文の仮訳は
「介護保険情報」誌8月号の連載で取り上げることにしたため、
いったん閉じさせていただきました。

8月号の掲載から1カ月経過した後、
掲載された改訂版を改めてエントリーにしたいと思います。

よろしくお願いいたします。
2011.07.08 / Top↑
昨年7月に英国政府が
公正で持続可能な成人介護制度の財政システムを検討すべく立ち上げた独立の委員会
Commission on Funding of Care and Support(とりあえず「介護と支援の財政委員会」?)から
昨日7月4日、詳細なデータ分析を含んだ報告書が発表されました。

報告書で特に注目される提言内容は

・現在は個々人が支払う介護費用は
状況によってはどこまでもかさんでいく可能性があるが
個人が一生の内に介護に費やす費用には上限を設けて、
それ以上は国が全額を支援するべきである。

上限の金額は25000ポンドから50000ポンドの間が相当で、
委員会としては35000ポンドに設定するのが最も適切と考える。

・資産審査による介護費用全額支給資格の上限額を
現在の23.250ポンドから10万ポンドに引き上げるべきである。

・一貫性を保障するために受給資格基準を全国的に統一し、
どこでも使えるアセスメントを導入すること。

・成人した時点でケアと支援のニーズのある者については全員に
資産審査なしに即座に国から無料支援を受ける資格を認めること。

委員会の試算では、個人支払額35000ドルの上限を前提に
この勧告の実行に国が要する費用は17億ポンド。

Commission Report Published
Commission on Funding of Care and Support, July 4, 2011


委員長が経済学者のAndrew Dilnot氏であることから、通称 Dilnot委員会。Dilnot報告。

そのDilnot氏の発言には、
政府の社会保障カットが続いているだけに、ちょっと胸を打たれます。

成人の介護資金の問題はあまりにも長く無視され続けてきた。
高齢者の寿命が延びたことも障害のある若者が以前より自立した生活を送っていることも
どちらも慶賀すべき事実だというのに、

我々は「歳をとることの負担(burden)」を云々しては
人々は不安を抱えケア費用を賄えるのかと心配しながら暮らしている。

現在の制度は紛らわしく、不公平で制度維持性にも欠ける。
国民は非常に高額になる介護費用のリスクに晒されて
家など全財産を失いかねない。

この問題は放置されると悪化するのみで、
そうすれば社会の最も弱い立場の者が苦しむこととなる。

この委員会が提言する制度では
現在国から無料支援を受けている人は全員がそのまま受け続けることができ、
国民全員が今よりも豊かに暮らせることになる。
一生の内に支払う介護費用に上限があれば、
費用をどのように用意するか予め予定もできるし、
資産の多くが保護されれば全財産を失う恐れもなくなる。




上記リンクの委員会のページに、
報告書 Fairer Care Funding 本体などへのリンクがあります。

また、この委員会報告を受け、Guardianのデータ・ブログが
詳細に委員会のデータを解説・整理・検証しています ↓

Elderly care:the key data from the Dilnot report
The Guardian, July 4, 2011

上記の記事の解説によると、Dilnot報告の試算は
以下の予測に基づいているとのこと。

今後20年間で
英国の65歳以上人口は50%増加。
90歳以上人口は3倍近くに膨らむ。
知的障害のある就労年齢の成人人口は30%増加。

2009-2010年の地方自治体の総予算額に占める
社会ケア費用の割合は31%と高く、教育と警察の予算をしのぐ。
2010-2011年に提言が完全に実行されれば
その割合は35%に増加し、追加支出は地方自治体を経由することになるが
提言では支出は増え、依然として自治体経由ではあるものの
資金は中央政府から出る。

現行制度では
試算が23.250ポンド以上ある人が入所介護を要する場合には
資産審査によって、まったく支援が受けられない状態に等しいが
65歳以上で持ち家のある人の住宅資産の中間値は16万ポンドなので
家を所有している人が受給資格を得るためには
ほとんどの人が家を手放さなければならないことになる。

つまり現行制度では中間層が最も厳しい状況に置かれているので
委員会勧告の上限設定と資産審査基準の見直しによって
現行制度よりも公平な制度となる、と、このブログは分析しています。

また、以下のGuardianの昨日の記事によると、委員会の提言の中には、
いわば自治体が貸しつける“リバース・モ―ゲッジ”が含まれている模様。

持家のある人が入所施設に入る場合に
その家の資産価値に対して有利なレートで自治体がローンを組ませ、
死亡時に家を売って償還するという仕組み。

55歳から64歳の英国人は、通常、総額20万ポンドの資産を有しており、
それら資産から介護費用をねん出する方策として提言されたもの。

3日には26のチャリティが連名で委員会提言の改革を実行するよう求めた他、
労働党の党首Ed Miliband氏もこれまでの労働党の介護方針はさておき、
Dilnot提言について与党と開襟して議論しようと呼びかけているが、

Guardianの取材やBBCのインタビューでの財務相も保健相も、
イマイチ反応が歯切れが悪いらしい。

Councils could offer loans to homeowners in Dilnot report proposal
The Guardian, July 4, 2011


それから、こちらの記事はざっと最初のあたりを読んだだけですが、
委員の一人 Jo Williams (Dameという敬称がついているのでナイト爵をお持ちの女性)が

長い間、みんなの苦しみを放置してきたんだから、
上限35000ポンドも含め、政府が委員会提言の改革をやらなかったら
それはもう“失望”なんて言葉じゃ表現できないわ。
“不快極まりない”わね。

Dilnot commission warns government not to kill off care funding proposals
The Guardian, July 4, 2011


さてさて、このところ社会保障費カット・カットさらにカット……と
飛ばしている英国の連立政権、この報告書をどう受け止めるものでしょうか?


……と、ここまで朝の内に書いて寝かせていた間に続報があり、

費用の大きさに、政府は報告をもろ手を挙げて歓迎はせず、
「これだけのコストをかけるなら、さらなる意見募集が必要だ」とか
この報告書はあくまでも議論のたたき台だ、みたいなことを、
うだらうだらとゴネているようです。

Government questions Andrew Dilnot’s £1.7bn long-term care plan
The Guardian, July 4, 2011


まぁ、予想通りの反応というか……。
2011.07.08 / Top↑
ケアラー連盟設立1周年記念フォーラムで話題になっていた「地域支え合い体制づくり事業」について、おもしろい記事を見つけた。
http://www.caresapo.jp/fukushi/insurance/2011/06/post_14.html

OR州で自殺キットの販売を禁じる法が成立。(これまでに補遺で追いかけた前記事は、「自殺キット」で書庫内内容検索してもらったらいくつも出てくると思います)
http://www.lifenews.com/2011/07/01/oregon-governor-signs-bill-banning-sale-of-suicide-kits/

英国保健省から100ページの緩和ケアに関する報告書 Finding the Right Care and Support for Everyone。良質な緩和ケアを受けることが出来ていない人が10万人もいると報告されている。:この報告書の現実を一方に、PAS合法化を議論するのって、やっぱりオカシイと私は思うんだけど。
http://medicalfutility.blogspot.com/2011/07/new-palliative-care-system-for-england.html

土曜日に始まったツール・ド・フランスでドーピングが問題となり、こういう問題ならこの人、Norman Fostがコメントしている。
http://news.discovery.com/adventure/cycling-doping-drugs-sports-110701.html

米国有権者の大多数が、連邦政府はバイオテクノロジー企業を支援すべきだ、と考えている。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/230244.php

ProPublicaが脊髄関連の医療機器を巡る論争で、医学雑誌と企業との癒着について。
http://www.propublica.org/blog/item/spinal-product-controversy-raises-red-flags-on-medical-journals-disclosure-

こちらは医学雑誌に掲載される薬の広告の正確さについてLancetの調査論文。
http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736%2803%2912118-6/abstract

処方薬の消費者への直接広告(つまり「お医者さんにソーダンだっ」)に疑問を呈するLancet論文。
http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736%2801%2906254-7/abstract

で、Lancet自身が、Lancetの薬の広告について。
http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736%2811%2961001-5/fulltext?elsca1=TL-010711&elsca2=email&elsca3=segment

NYTの社説。「現代の奴隷制」。NYTでは日本通のコラムニストKristoffがこの問題をずっと追いかけている。
http://www.nytimes.com/2011/07/02/opinion/02sat3.html?_r=2&nl=todaysheadlines&emc=tha211

英国から、子どもの時に受けた性的虐待が統合失調症の原因になる可能性がある、との研究報告。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/230198.php
2011.07.05 / Top↑
カナダの死の自己決定権訴訟にALS患者の女性が加わったというニュースを
7月1日の補遺で拾いましたが、

そのニュースに対してVancouver Sun誌に米国オレゴン州から投稿された
William L Toffler医師の文章が、とても、とてもいいのです。

ご存知のようにオレゴン州では医師による自殺幇助(PSA)は合法化されています。

したがって、この医師も
これまで10数人の患者とPASを話し合ったことがあると言います。

まだ最初の頃に話し合った一人は、
進行性のMSで車イス生活となっていた男性がPASを希望したケースだったとのこと。

Toffler医師がこの男性に言ったのは
彼の不安ややりきれない気持ちはよくわかるし、
自殺するのが一番いいと考えることも分かる、と。

そして、これから先、彼の病状が重くなり、体力がなくなっていっても、
自分は出来る限り最善の医療と支援をする、と。

どんなに障害が重くなろうと、少なくとも私にとって
あなたの命は、どんな時でも、生きているというそれだけで価値あるものなのだ、
だから、私は自殺は勧めないし、自分もあなたの自殺に手を貸すことはできない。

その男性は、ただ一言「ありがとう」と。

Toffler医師は、このような要望に医師がどのように応じるかによって
患者は自分の命を価値あるものと感じるか、さらに希望を失わされるか、
患者によっては、医師の対応によって、
自殺への道を歩むしかないと感じてしまうことだってあるだろう、と書いた後で、

「我々の法律では、PASの死が患者の本人意思によるものだとの保障はありません。
我々の間違いを繰り返さないでください」

‘Legalizing assisted suicide is a mistake’
The Vancouver Sun, July 4, 2011


この人が書いていることって、こういうことじゃないかな…… ↓

「医師の姿勢で薬の効き方違う」と非科学的なことを言う、緩和ケアの「こころ医者」(2010/6/3)
2011.07.05 / Top↑
舞台はテキサス子ども病院。
患者はJordan Allen(14)。

ごく普通の健康な子どもだったJordanは去年、手術不能の脳腫瘍と診断され、
先月、心臓発作を起こして意識不明状態に陥り、人工呼吸器を装着。

先週、病院から両親のところに届いた手紙は
Jordanはターミナルで不可逆な状態なので
病院の倫理委が生命維持は中止すべきだと決めた、
転院できないなら日曜日までに呼吸器を取り外す、と通告するものだった。

一応、病院側も受け入れてくれる転院先を探すとは言い、
また当初はテキサス子ども病院の予後によって治療費支払いを拒否した保険会社も
一転して、転院先での治療費は払うと言い始めるなど、状況は予断を許さないものの、

両親は息子には回復の兆しが見られる、闘う、と。

病院からは声明が発表されて、

This is a challenging and emotional time for the patient and his family and the doctors and staff of Texas Children's Hospital. Our collective hearts go out to our patient and his family as they strive to determine what is best for their family."

"In cases where there is a disagreement about medical treatment, Texas Children’s Hospital’s Bioethics Committee, which is composed of members of the Houston community, clergy, bioethicists, physicians of various disciplines, nurses, social workers and health care administrators, reviews the physicians’ recommendation that care should be withdrawn. These members of the committee, many of whom are parents themselves, are sensitive and highly skilled. They take into account ethical considerations, state law, and the parents’ position regarding life-sustaining treatment in reviewing the treatment decisions regarding the patient."



患者家族への同情を形だけ示しつつ
言っているのは、ただ「倫理委員会が決めたことだから」。

Family fights to keep teen alive as hospital decides to end life support
KHOU, July 1, 2011


「意識不明状態」って「ターミナルで不可逆」なんでしたっけ……?

それに、Jordanが意識不明状態に陥ったのは「先月」のことだと書かれていますが、
そう書いているのは、7月1日付の記事。


テキサス州は米国で唯一、
一方的に生命維持治療を停止する権利を病院側に認める“無益な治療”法を持つ州  ↓

生命維持の中止まで免罪する「無益な治療法」はTXのみ(2011/1/21)


つい先日、せめて転院先が見つかるまで継続させるよう
改正法案が議会に出されて、つぶれたばかり ↓

テキサス州議会に「無益な治療法」の廃止を求める法案(2011/5/12)
TX州の「無益な治療」法改正法案、“死す”(2011/5/25)



【TX州のGonzales事件関連エントリー】
テキサスの“無益なケア”法 Emilio Gonzales事件(2007/8/28)
ゴンザレス事件の裏話
生命倫理カンファレンス(Fost講演2)
TruogのGonzales事件批判
2011.07.05 / Top↑
たぶんドイツ医師会なのだと思うのですが(違っていたら、どなたかご教示ください)
ドイツの Federal Medical Councilの投票で

医師が自殺幇助を行うことに対して
反対 166 vs 賛成 56 (棄権7)により、

PSA禁止の続行を確認。

会長の Jerg-Dietrich Hoppe は、
「医師は、患者の尊厳と本人意思を尊重しながら
死んでいく患者を支えなければならないが、
患者に求められたからといって殺すことは禁じられている。
自殺を幇助してはならない」

German docs keep ban on assisted suicide
BioEdge, July 2, 2011


【追記】
ドイツ医師会は2月にガイドラインで
自殺幇助に関する判断を個々の医師にゆだねているとの報道があり、

ここで投票を行ったのは医師会ではないことに気付き、タイトルを変更しました。
2011.07.05 / Top↑
カナダの"無益な治療"訴訟 Rasouli事件で、オンタリオの上訴裁判決。3月の下級裁判所の判決の通りで、医師側に独自の決定権を認めず、CCB(同意と能力委員会)の判断を仰がなければならない、と。
http://medicalfutility.blogspot.com/2011/06/decision-in-rasouli-ontario-doctors.html
http://www.ontariocourts.on.ca/decisions/2011/2011ONCA0482.pdf

【Rasouli裁判関連エントリー】
「“治療停止”も“治療”だから同意は必要」とOntario上位裁判所(2011/5/17)
「患者に選択や同意させてて医療がやってられるか」Rasouli裁判続報(2011/5/19)


カナダ、バンクーバーの自殺幇助の権利を求める裁判の原告団に、ALS患者の女性Gloria Taylorさん(63)が加わることに。
http://www.vancouversun.com/news/Westbank+woman+joins+court+fight+with+dignity/5022045/story.html
http://www.guardian.co.uk/science/2011/mar/06/nasa-scientist-evidence-extraterrestrial-life?CMP=EMCGT_290611&

子どもの虐待死が疑われるケースでは裁判所の判断が揺らいでいるのでは、とProPublica.:ここの記事は読みたいものが多いのだけど、なかなか読めていない。なんとなく日本の子どもの臓器移植第1例で自殺ではないかと問う声が出ても、厚労省が「自殺者から取っても違法というわけではない」と開き直って確認すらしようとしないことと、この話題が繋がった。
http://www.propublica.org/article/the-hardest-cases-when-children-die-justice-can-be-elusive

かつてNIHによって女児ADHDの広告塔として利用された女性が、当時を振り返ってWPに語っている。
http://www.washingtonpost.com/national/health/former-poster-child-for-female-adhd-decides-her-past-wont-hold-her-back/2011/05/31/AGOz5unH_story.html?wpisrc=nl_cuzheads

NYTのOp-Edに、「おとぎ話が患者の苦悩の理解に役立ってくれた」というコラムがある。:河合隼雄先生の先駆性を思いつつ、英語圏の生命倫理には日本の人間観から学べることが沢山あるのになぁ……と、またいつものボヤキが出た。
Practicing Medicine Can Be Grimm Work: Fairy tales helped me understand the suffering of my patients.

3月11日の津波の直後、英国で福島原発事故を過小に言いなすPRキャンペーンが始まっていたことが明らかに。
http://www.guardian.co.uk/environment/2011/jun/30/british-government-plan-play-down-fukushima?CMP=EMCGT_010711&

HIVの治療薬の一部に老化が促進されるものがある、というニュース。:この治療薬が使われているのは主にアフリカ、というところで、24日のエントリーを思い出した。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/229723.php

カルシウムのサプリを採っている女性には、腎臓結石のリスクが上がるかも?
http://www.washingtonpost.com/national/health-science/can-calcium-supplements-cause-kidney-stones/2011/06/23/AGuEC7nH_story.html?wpisrc=nl_cuzheads

ジャンク・フードの広告全面禁止をオーストラリアが検討中。:肥満対策がどーだこーだと言われる半面、貿易規制緩和で日本でもジャンクフードや高カロリー高脂肪のスイーツが花盛り。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/229684.php

NASAの科学者が「地球外生命体は存在している」と。化石があったとか?
http://www.guardian.co.uk/science/2011/mar/06/nasa-scientist-evidence-extraterrestrial-life?CMP=EMCGT_290611&

南米って、麻薬戦争でたいへんなことになっているらしい。グァテマラも。
http://www.guardian.co.uk/world/2011/jun/28/guatemala-town-mexico-narco-wars?CMP=EMCGT_290611&

中国で、地方自治体の職員が道路状況を視察している写真が公式サイトにアップされたところ、誰が見ても明らかなお粗末な合成写真で、非難ごうごうに。:それにしても、「切って貼りました」みたいな酷い写真。ここまでナメられたら、いくら「ウソも方便」の国の住民もさすがに怒る……。
http://www.guardian.co.uk/world/2011/jun/29/chinese-county-ridicule-doctored-photograph?CMP=EMCGT_010711&
2011.07.01 / Top↑
文末にリンクしたように
2009年から、Dignitasなどで批判されている“自殺ツーリズム”への規制を模索し
国民の意見聴取などを行ってきたスイス政府ですが、

現行法は
弱者へのセーフガードと自己決定権のセーフガードのバランスが十分に取れており、
濫用を防ぎつつ、政府がDignitas等の活動を是認していると思わせないものであるとして

規制を断念することを発表。

Swiss govt drops plan to curb assisted suicide
AP, June 29, 2011


やはり5月のチューリッヒの住民投票の結果が大きかったのでしょうか……。↓

チューリッヒの住民投票、“自殺ツーリズム”規制を否定(2011/5/15)



【スイスでの規制関連エントリー】
スイス議会が自殺幇助規制に向けて審議(2009/6/18)
Dignitas あちこち断られた末にお引越し(2009/6/28)
スイスで精神障害者の自殺幇助に「計画的殺人」との判断(2009/6/30)
スイス自殺幇助グループExit、当局と合意(2009/7/12)
APが「スイスは合法的自殺幇助を提供している」(2009/7/18)
チューリッヒ市が自殺幇助に“規制強化”とはいうものの……(2009/7/21)
スイス当局が自殺幇助規制でパブコメ募集(2009/10/29)
スイス連邦裁判所が「チューリッヒ市とExitの合意は無効」(2010/6/18)
スイス政府、“自殺ツーリズム”全面禁止せず、規制強化で対応の方針(2010/9/18)
2011.07.01 / Top↑
ケアラー連盟については、
これまで以下のエントリーでとりあげてきました ↓

介護者の権利を守るための「ケアラーズ連盟」、6月7日に発足へ(2010/5/18)(その後、名称変更)
「ケアラー連盟結成宣言」(2010/7/6)
日本のケアラー実態調査(2011/6/14)


このほどケアラー連盟は設立1周年を迎え、
6月28日、記念フォーラムが開催されました。

詳細はこちら

私自身も最後に15分ばかり、
ケアラーの立場から発言の機会をいただきました。

このブログで書いてきたことのごく一部を繰り返しているに過ぎませんが、
その内容を以下に。

私たち夫婦には、もうすぐ24歳になる一人娘があります。名前を海と言い、重症心身障害があります。24年前に娘が生まれた時、私は地元の小さな短大の専任講師をしていました。英語の先生が天職だと思って、この仕事をずっと続けて生きていくものだと考えていました。私たち夫婦は中学高校6年間ずっと同級生だった同級生夫婦なのものですから、結婚してからも女役割も男役割もなく暮らしていました。だから子どもが生まれても、保育所を利用し母の力もちょっと借りれば、2人で子育てをしながらそれぞれ働いていけるものとばかり思っていました。

ところが出産時のアクシデントで娘が障害を負うこととなると、そんな目論見は一瞬でふっとんでしまいます。障害のない子どもを育てながら働くための支援は当時でも整備されていましたが、子どもに障害があるということになると、ありとあらゆることが障害児の母親は働いていないものという前提で成り立っていました。とりあえず毎月の小児科受診。2カ月ごとの整形外科受診。2週間に1度のリハビリ、2カ月に1度の言語訓練。これがすべて平日の昼間です。1歳の時に参加した母子入園は2カ月の合宿生活でした。2歳を前に知的障害児の通園施設に通うようになりましたが、ここも午前10時から午後3時まで。それでも娘の施設は母子分離でしたが、当時は通園といっても母子通園が当たり前の時代でした。

勤務先が大学なので私の方は多少は時間が自由になる面もあって、何とか綱渡りの生活をしていましたが、なにしろ娘が言語道断な虚弱さで、3日と続けて元気だということがないんです。何か助けてもらえる方法はないかと市役所の福祉課に電話で相談してみたことがありました。ざっと事情を説明すると、「その子どもさんのお母さんはどうされているんですか?」「私が母親ですけど」「子どもに障害があったら、みんなお母さんが面倒をみておられますよ」

ものすごい勇気を振り絞ってSOSを出したのに、なんのことはない、叱られて終わってしまった、という。でも、このパターンは実は介護を我が身の体験として知っておられる方には案外お馴染みの体験ではないでしょうか。

行政の方に限らず、世の中には、なぜか励ますっちゃぁ叱ることだとカン違いしている人が多いので、障害のある子どもの親になった途端に、私はどこへ行って誰に会っても頻繁に叱られるようになりました。「お母さんが弱音を吐いてどうするの」「お母さんが頑張らないとダメよ」「お母さんが頑張ってこの子を歩かせるのよ」

もう1つ、当時の私に精神的にきつかったのは、娘はしょっちゅう入院していたのですが、そうすると私は病院に泊まり込んでそこから職場に通うわけです。朝、職場に行くと、何かと融通してもらっていたりもするので、会う人会う人に頭を下げ、ご迷惑をおかけします、申し訳ありません、と謝っている。仕事から病院に帰ると、今度は母に謝り、娘に謝り、医師や看護師に謝り、一日中誰かれに頭を下げ、謝っているんです。オマエは子どもの責任者でありながら、その責を全うできていないではないかと、いつも誰かに問われているような、そして、それに対して謝り続けているみたいな、そんな気分でした。疲れているので、私の方も高い熱を出していたりするのですけど、私の体調を気にかけてくれる人はどこにもいなくなってしまって。私を心配してくれる人や、私をいたわってくれる人は、もうどこにもいなくなってしまった……みたいな。それはまるで、私は「娘の療育担当者」だとか「介護者」という「役割」とか「機能」そのものになってしまって、もう一人の人ではなくなってしまったみたいな、うらさびしさでした。

結局、働いていられなくなって子どもが2歳の時に離職したのですが、なぜ?という思いを、それからずっと抱えてきました。なぜ私は天職だと思い決めていた仕事をやめなければならなかったのだろう? それまでは男とも女とも意識せずに暮らしてきたのに、子どもに障害があるということになったら、なぜ「母親だから」と言われてしまうのだろう? なぜ子どもに障害があるというだけで、母親は自分の人生を生きることを許されないのだろう?

こうした思いをこういう言葉で当時の私がちゃんと意識していたかというと、もちろんそういうわけではなくて、これは今だから言えることだろうと思います。ものを考える余裕などほとんどない過酷な介護のさなかでは、むしろ世間さまからの叱咤をどこかで真に受け、自分の中に内在化させて「母親なんだから私が頑張らなくちゃ」とひたすら自分を追い詰めていたような気がします。

肉体的にも精神的にも限界を超えた生活が続くと、もうこれ以上耐えられないッ、と気持ちが切迫する時がありました。毎晩すさまじい号泣を続ける娘を夫婦で交代で抱きあやしながら、それが何時間も何日も続くと、ふと窓から放り投げてしまいたい衝動にかられることもありました。でも、そういう危うい一瞬は過ぎていけば、今度は強烈な罪悪感をつれてきます。私はなんてひどい親なんだろう、母親のくせに、と自分を責めると、本当はもう逃げだしたいと思っていたり、今にも「助けて」と叫びだしそうな声を自分で封じ込めて、「いや、でも私は母親なんだから」とさらに頑張るしかないところへと自分を追い詰めていきます。時代は変わり、サービスや支援も増えてきましたが、負担の大きな子育てや介護をしているケアラーの中には、今もそんな思いを繰り返しておられる方がおられるのではないでしょうか。

2008年の秋に、福岡で繊維筋痛症を患う母親が発達障害のある小学生の息子を殺す事件がありました。あの時、ネットには母親に対する非難の言葉がわっと沸いて出たのですが、その中に私は忘れられないものがあります。「いやしくも母親なら、我が子の介護くらい、血反吐を吐いてでもやり遂げてみろ」。我が身の直接体験として介護を知らない多くの人は、人は心に思うことは全て行動で形にすることができるものだと、とても幸福な錯覚をしておられます。何日眠れない日が続こうが、自分が病気で血反吐を吐くほどの状態になっていようが、愛さえあれば明るく笑顔で介護し続けることができるはずだ、と。まるで、不可能を可能にすることだけが介護者の愛の証しであるかのように言われたりもします。

またあの事件の際、一方の支援の専門家からも母親への批判の声がありました。「支援が必要なら自分から声を上げ、行動を起こさなければならない」。でも、そんなダブル・スタンダードこそが、ケアラーから助けを求める声を奪っているんではないか、と私は思うんです。「もう耐えられない」という思いや「助けて」という声を自分で封じ込めて背負いこみ、頑張ることが出来ている間は、世間はそこに美しい母性愛や家族愛を見て手を叩き称賛し、その称賛で悲鳴を上げそうになる口にさるぐつわをかませます。でも、そうして抱え込んだ挙句に、万が一にも虐待や殺害に至ってしまった時には、今度は一転、なぜ助けを求めなかったのかと、ケアラーは介護を抱えて込んだことを責められるのです。社会がこのようにダブル・スタンダードを使い分けることによって介護者は二重に縛られ、ダブル・バインドの状態に置かれています。

そのダブル・バインドを解くためには、今日もお話に出ている「アウトリーチ型の支援」が大事ではないかと思います。私自身はそれを「支援する側から迎えに行く支援」という言葉で呼びたいのですが、ダブル・バインドに縛られて身動きできなくなっている人に向かって「助けが必要なら自己責任で行動しろ」と言って待っているのではなく、こちらから迎えに行ってダブル・バインドを解いてあげることも時に必要ではないでしょうか。

英国では毎年6月にケアラーズ・ウイークという介護者支援の啓発週間が行われており、今年も13日から19日に行われました。インターネットで関連記事をあれこれ読んでいたら、とても面白い表現と出会いました。「隠れたケアラーを見つけ出す」「ケアラーの本当の顔を見つけ出す」。こういうことが「アウトリーチ型の支援」「支援する側から迎えに行く支援」かな、と思います。

ケアラーだって生身の人間です。どんな深い愛情を持ってしても、どんなに壮絶な自己犠牲や努力を持ってしても、生身の人間に出来ることには限りがある。それが誰にとっても介護というものの現実なのだということを認め、受け入れることから、介護を語り始めたい、と思います。この度のケアラー連盟の実態調査が、その現実を誰の目にも見える形にしてくださいました。この現実から目をそらさず、認めることから介護を語り始めたいと思うのです。ケアラーが育児や介護の機能としてではなく、一人の人として認められ、尊重され、介護をしながらもケアラー自身の生活と人生を諦めることなく生きていけるように、ケアラーその人への支援がほしい、と思います。

障害を負っても、歳をとっても、その人自身も介護者も両方が、それぞれに自分の人生を自分らしく生き続けることができる社会を、と願っています。




フォーラムの前に他のパネラーの方々と興味深いお話しをあれこれさせていただいたり、
多くの人が集まってくださった会場でお話しさせていただいていると、
娘が小さかったころの、あのやり場のない思いの数々が改めて振り返られました。

1998年に「私は私らしい障害者の親でいい」という手記を出版した時、私はその中で
私たち障害のある子どもの母親は「こんなにもしんどい。でもこんなにもかわいい」という順番でしか
ものを言うことを許されていないけれども、そろそろ逆の順番で
「こんなにもかわいい。でも、こんなにもしんどい」と
発言し始めるべきなのではないか、その順番でものを言ったからといって
それは愛情がないことと同じではないはずだ、という意味のことを書きました。

今、まさにその順番で、私は発言する機会をいただいているのだ……と感じ
あれから長い時が経ったこと、世の中を着実に変えてきてくださった方々があったことを思って、
お話しさせていただきながら、心から深い感慨を覚えていました。

多くの方々と出会い、思いを共有しながら語り合える体験をいただき
とても幸福な数時間でした。

関係者の皆さま、ご来場くださった皆様、声をかけてくださった方々、
本当にありがとうございました。

私にできることは、ごくごく小さいけれど、
やっぱり自分なりの思いを言葉にし続けていこうと
大きな励みをいただいて帰ってきました。


これまで介護者としての思いや介護者支援について書いてきたエントリーは
「子育て・介護・医療」の書庫に多数あります。
2011.07.01 / Top↑