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医師らと両親の発言の食い違いの中で、私が重大だと思うものの1つはアシュリーの知的レベルに関する点です。

両親のブログにはアシュリーの知的レベルについて、「生後3ヶ月の時から認知と精神発達能力はずっと同じレベルにある」と書かれています。アシュリーの知能レベルには多くの人が論争の中で触れていて、ほとんどの人がブログのこの箇所をそのまま採用しています。一番多いのは、アシュリーに行われた医療処置について賛成・賛同・擁護・容認する立場の人たちが、それぞれ是とする根拠の一つとして「アシュリーのメンタルレベルは生後3ヶ月なのだから」と言及する場合。アシュリーの知的レベルがどの程度かという点は、この論争の非常に重要なポイントと言ってもいいでしょう。

では、論文ではアシュリーの知的能力について、どう書かれているでしょう。論文では「他者への反応はある」という趣旨の1文がある他、「重度の認知障害」、「重篤な認知の損傷」といった抽象的な表現しかありません。月齢で捉えるということそのものをしていないのです。
しかし、論文執筆者の1人であるDiekema医師はメディアで発言する際には、ほぼ一貫してアシュリーのメンタル・レベルを生後6ヶ月と述べています。「ほぼ」というのは、2月9日付けのSalon.comの記事では、今度は「生後3ヶ月」と語っているからです。そしてシンポでは、完全に断言するほど確かな記憶ではありませんが、彼は月齢を使わず「乳児並」という言葉を使っていたように思います。

メンタル・レベル生後3ヶ月と生後6ヶ月との間の差は、そんなに大きな違いはないのかもしれないので、ここでは問わないことにします。気になるのは、その根拠です。
両親のブログにある、生後3ヶ月の頃から知的発達が止まったという見解は、ともに暮らしてきた中での観察を率直に述べたものでしょう。つまり、両親はそういうふうに感じている、という主観的観察です。ブログの他の箇所には、実験的なものまで含めて可能な限りの検査を行ったと書いてあるのですが、特に触れてないことを考えると、その中に発達検査や知能検査は入っていなかったのでしょうか。

次に、Diekema医師がアシュリーのメンタル・レベルを生後6ヶ月とする根拠は一体どこにあるのでしょう。
1月12日のCNN「ラリー・キング・ライブ」での当人の発言によると、彼がアシュリーに初めて会ったのは、シアトル子ども病院内分泌科に紹介されてきたアシュリーの6歳7ヶ月時以降なのだから、彼には両親のような観察をすることはできなかったはずです。では、彼はどこからこの生後6ヶ月という数字を持ってきたのでしょう。そして、なぜそれが後では3ヶ月に変わったのでしょうか。

WPASの報告書に添付された2004年5月の倫理委の資料では、「発達レベル6ヶ月以下?」と、どういう意味なのか疑問符がつけられています。論文が発表されたのが2006年の10月。両親のブログが立ち上げられたのが2007年1月1日深夜。そしてDiekema医師がメディアで発言しているのが、それ以降です。これらを時期によって順に書いてみると、以下のようになります。

2004年5月    「生後6ヶ月以下?」

2006年10月    「他者への反応はある」「重度の認知障害」、「重篤な認知の損傷」

2007年1月1日  「生後3ヶ月で知的機能の発達が止まった」

    1月11日  「アシュリーの脳が生後6ヶ月なのだったら、6ヶ月として扱われるべきなんじゃないでしょう               か。……アシュリーを大人として扱うことが適切かどうか、私にははっきりとは分かりません。             本人がどう扱われたいかでしょう。生後6ヶ月の世界に反応するのであれば、6ヶ月として接            するのが尊厳ある接し方じゃないですか」

    1月12日   「理解する能力で言えば、彼女は6ヶ月児のままでしょう」

    2月9日   「アシュリーの生活というのは、生後3ヶ月の生活です」

 太字が両親の観察です。他はすべて医師らの発言。倫理委で6ヶ月以下とされていたはずが、論文を書いた時点では漠然と「重度」、「重篤」。両親のブログの「生後3ヶ月」を挟んで、また「生後6ヶ月」。そして2月にはまた生後3ヶ月……。

このようなDiekema医師の表現の変化は、一体どこから来るのでしょう。倫理委の段階で、発達検査を行って生後6ヶ月以下との判定結果が出ていたのでしょうか。では論文では、それを書かずに「重度」とか「重篤」としたのは? それとも、論文を書いた後に発達検査を行って生後6ヶ月と判定したので、疑問符が取れて発言し始めたものでしょうか。しかし、いずれにしても1月2日以前に受けた検査であれば、当然のことながら両親のブログに登場するはずなので、受けていたとしても、それ以後のことになります。では、メディアが沸騰し、病院にも取材が押し寄せているはずの1月3日から11日までの間に受けたのでしょうか。仮にそんなことがありえたとしたら、医師は番組で批判的なニュアンスの質問を受け、それに応えているのですから、具体的な検査名と検査の日をきちんと述べた方が説得力があるはず。さらに言えば、検査を受けて出た結果であれば、その後6ヶ月から3ヶ月とぐらつくことも考え難いのですが。
 彼は「3ヶ月ないし6ヶ月」と一貫して言っているのではなく、「6ヶ月」と言っていたものが「3ヶ月」に変わっているのです。

 コトは「アシュリーへのクリスマス・プレゼントには、月齢何ヶ月の子を対象にした玩具がふさわしいでしょう」というような他愛ない話ではありません。多くの人が、このような医師の発言から「アシュリーの知的レベルは生後3ヶ月または6ヶ月だと医学的に証明されている」という前提に立って、“アシュリー療法”の是非を云々しているのです。そのことの重大さを念頭に、もう一度上記の時系列での発言の変化を見た時に、私には納得できないものが残ります。アシュリーの知的レベルは、実は、専門的な発達検査で判定されていないのではないでしょうか。

ちなみに私自身は、発達検査も含め、知的障害のある人の知能レベルについて安易に評価を下すことには、あまり意味を認めたくない立場をとっています。特に月齢で評価することはむしろ危険だとも考えています。「わかっていると証明できない」ことは、「分からないことが証明できた」ことと同じではないからです。
しかしながら、Diekema医師はあちこちで発言し、シンポでも言っていたように、今後適応を検討するケースの条件として「乳児並の知能」と「歩かないこと」の2点をあげているのです。広く使われている発達検査が複数あることは、障害児医療にかかわっている医師なら知らないはずはありません。知的レベルを根拠とする以上、少なくとも発達検査を行い、用いた検査の名前、検査方法、検査日時、観察者、などが明らかにされるべきでしょう。アシュリーのケースのように医師がなんら実証もせず、「この子の知的レベルは生後6ヶ月くらい」と言えば倫理上の問題がクリアされてしまうのであれば、こんな危険なことはありません。

それに、「乳児並み」とは彼は何ヶ月相当で線を引くつもりなのか。いったい誰が、どういう方法で実証したら、その線を引けるというのか。が、この点はまた別の問題になるでしょう。
2007.06.08 / Top↑
この論争で多くの人が疑いもなく議論の前提にしているように見える思い込みの1つに「医師らと両親が言っていることは同じ」というものがあります。

特に批判的な立場をとる人にとっては、「こんなことをした張本人」という捉え方にもなるため、両者はまるでタグを組んだチームのように感じられるかもしれません。しかし、実際に細かく発言をつき合わせてみると、これもまたコトの本質を見誤ることに繋がる予見のようです。むしろ、両者の発言は食い違っています。

1月のニュース・ブレイクから私が続けてきたのは、この問題について基本的な事実を確立する作業でした。そんなことを思いついたのは、当初、医師らの論文と親のブログを読み、さらにメディアの報道を読むと、事実関係が食い違っていたり、何が事実なのか分からない紛らわしい情報が多すぎるように思えたからです。アシュリーの障害像をきちんと確認せず、事実とまるで違うイメージだけで議論している人があまりに多いことにも疑問を抱きました。そんなことから当初は軽い気持ちで始めた確認作業だったのですが、矛盾や疑問ばかりに突き当たっていくうちに、いつのまにか膨大な資料と格闘しながらの徹底検証になってしまいました。

具体的には、資料をまずは医師らが書いた論文と両親のブログ、それからメディアでの両者の発言に限定しました。そして以下の4点にそって、それぞれの事実関係を、資料から該当箇所を付き合わせながら確認していきました。

①誰に対して行われたことか(アシュリーの障害像)
②何が行われたのか
③それは何故か
④アイディアが生まれて実施に至るまでの経緯

その結果、両親の言っていることと医師らの言っていることとは、非常に多くの場合に食い違っていました。④については、すでにいくつかのエントリーで書きましたが、両者の言っていることがほぼ一致しているのは、この経緯の点のみ。その他の①、②、③については、両者の言っていることはしばしば食い違っています。また、同じことを言っている場合でも、その表現方法には大きな違いがあるのです。
もちろん、一つ一つは注意してみなければ気がつかない程こまかい食い違いです。これからのエントリーで私が指摘しても、まずは取り立ててあげつらうこともない些細な差に見えるかもしれません。しかし、実はそれらには1つずつ、食い違っている意味や理由がちゃんとあるのです。食い違いそのものよりも、なぜそういう食い違いが起こっているかを掘り下げて考えてみると、そこから、とても重要なことが見えてくるように思われます。
2007.06.07 / Top↑
前回、WPASの調査報告書の中に書かれているのは、子ども病院の恒常的倫理委のメンバーのことであって、それがそのままアシュリーのケースを検討した当該倫理委のメンバーとは言えないということを、要注意点として注記しました。

この調査報告書を読むと、その他にも3つばかり私には不思議に思える点があります。

1.なぜ当該倫理委について踏み込まなかったのか。

Exhibit Lとして報告書に添付された2004年5月5日の当該倫理委の記録は、記録というにはあまりにも内容がありません。メンバーについての記述は皆無で、相変わらず人数も職種も不明です。さらに、どのような議論が行われたのかということについても、ほとんど何も書いてないに等しい記録です。この記録については、いずれ別にエントリーを立てたいと考えていますが、誰が考えてもこの事件の核心はこの倫理委のはずなのに、その記録が非常にいい加減なままなのです。「医師らはやっぱり“乳房芽”など認めていなかった」で触れた親の提案書も、当日は委員に配布されたはずですが、どこにも見当たりません。

WPAS自身、1月8日のワシントン大学宛と1月10日の子ども病院宛の書簡(内容は同じ)において、その他の情報と並んで「発達障害のある人を対象にしたあらゆる形態の成長抑制療法について、承認を検討したあらゆる倫理委員会が使用したプロセスを説明する全書類」の提供を求めているのです。それなのに、どうしてWPASはこの程度の資料で引き下がったのでしょうか。肝心の倫理委に、なぜWPASの調査は踏み込んでいないのでしょうか。

2.アシュリーの人権が侵害された件については、責任は追及されないのか。

調査報告書のイントロダクションでは調査の目的は「アシュリーに虐待またはネグレクトが行われたかどうか、またアシュリーの人権が侵害されたかどうかを見極めること」とされています。そして、調査はアシュリーに対して人権侵害があったと結論付けました。

もちろん今後に向けて世の多くの障害者を守るための改善策は必要です。しかし、上記の調査目的に従って調査を行い、アシュリーの個別ケースにおいて人権侵害があったと結論付けられたのであれば、今後の改善策とはまた別問題として、アシュリーに対する人権侵害の責任もきちんと追及されるべきではないのでしょうか? 

調査報告書にはExhibit E として、インフォームドコンセントが出来ない人に関するワシントン大学のインフォームドコンセント方針(2001-2004)が添付されています。「WPAS調査報告書 添付資料一覧」に簡単にまとめたように、この中には、精神的に能力を欠いた人の不妊手術には法定代理人は同意できないこと、同意できるのは患者自身であること、患者がインフォームドコンセントを与えられない場合には、裁判所の命令が必要であることなどが、ちゃんと明記されています。

Gunther医師はワシントン大学の職員ですから、彼は明らかにこのIC方針に違反しています。病院は5月8日の記者会見で、倫理委と担当医の間に意思疎通の齟齬があったことが原因のミスだと釈明しましたが、このIC方針が存在する以上、担当医が「知らなかった」では済まないはずなのです。

実はWPASが関与した職員への懲戒措置を病院側に求めていた形跡はあるのです。

3月27日にWPASから子ども病院宛の書簡(Exhibit P)。これは言葉は丁寧ながら、内容的にはほとんど恫喝に等しい手紙です。まず、調査が最終段階に入り、アシュリーの人権が侵害されたことが判明したと述べます。さらに「調査が完了すれば、さらに判明することもありそうです」と脅した上で、病院側に2つの追加情報の提供と、合意文書に盛り込む前提で4点の要求事項を突きつけています。

要求している追加情報は①”アシュリー療法“にかかった費用総額と支弁者についての全ての情報。②アシュリーに行われた”アシュリー療法“について、何らかの形で誰かに対して懲罰措置がとられたかどうかについての情報。

4点の要求事項は後の合意文書につながっていくものですが、この中の2点目は合意文書の中に盛り込まれていません。その2点目が、裁判所の命令なしにアシュリーに対して今回の医療処置を実施した医師について、保健省に対して不服を申し立てることを含め、懲戒措置を求めるものです。

両者は4月4日に会談しているようですが、翌5日付の子ども病院からWPAS宛の書簡(Exhibit Q)によると、会談はあまり友好的なものではなかったようです。病院サイドはWPASの権限の範囲を疑うような発言を繰り返しています。そして、組織としての是正措置で十分であるとの見解が揺るがないことを示して、懲戒措置を拒絶しています。

この2つの書簡からは、WPASが最後まで懲罰行為を要求してぎりぎりの交渉を行っていたらしい気配がうかがわれます。病院側は嫌悪感を隠していませんから、会談の際にも、かなり激しいやり取りがあったのではないでしょうか。その過程で何があったのか。

アシュリー個人への人権侵害から、今後のセーフガードへと、いつのまにか問題が摩り替わってしまっているという気がするのは、私だけでしょうか。


3.アシュリーに行われた医療処置にかかった費用の総額が確認されていないのはなぜか。
    
上記2.でも触れたように、WPASはかかった費用の総額と支弁者を解明しようと試みています。報告書に添付されている明細では、病院に支払われたのは26389ドル15セント。ただし報告書「Ⅲ事実」のDに書かれているように、この26389ドルには含まれていないものが多く、総額は依然として不明です。
アメリカの医療費の支払いは、医師からは別立てで請求されるシステムになっているので、この金額にさらに外科医、麻酔医、内分泌医への支払い、各種検査、退院後のフォローアップなどの費用がかかっているほか、ホルモン療法にかかった費用も含まれていません。

ちなみに1月4日のガーディアン紙の記事によると、アメリカ連邦政府の規制緩和によって民間の小児科医でもできるようになった低身長の男児に行われる成長ホルモン治療は、年間4万ドルかかるとのこと。

シンポで会場から「費用はどのくらいで、誰が負担するのか」と質問が出た際、「ブログに両親が確か3万ドルと書いており、いずれにしてもたいした額ではないが、誰が払うかは大きなポイントだ」とのコメントがありました(発言したのはGreg Leoben 氏だったと思うのですが定かではありません。)両親がブログにそう書いているのは事実ですが、この金額を費用の総額とすることは事実と違います。別途担当医らに支払われたは費用やホルモン療法にかかった費用を想像してみれば、「たいした額ではない」はずがありません。それなのに、なぜ病院サイドからもWPASサイドからも指摘がなかったのでしょう。

WPASが情報提供を病院に求めた以上、この点を明らかにすべき理由があったはずなのです。なぜWPASはこの点を明らかにしなければならないと考えたのか。なぜその追求を途中で断念したのか。

なお、支払ったのは民間の保険会社だと両親のブログでも報告書の中でも書かれています。Exhibit R の明細の中に、PREMERA MICROSOFT という記述があります。PREMERA というのは大手保険会社の名前なので、この記述の意味するところは被用者保険によって支払われたということではないかと私は考えていますが、この点はアメリカ人の知人が「たぶんそうだと思う」という以上には確認できずにいます。もしも違っていたら、どなたか、ご教示ください。

また、この箇所が仮に被用者保険での支払いを意味しているとしても、アシュリーのケースで保険で支払われたからといって、必ずしも他のケースでも保険でまかなわれるということにはならないので、注意が必要ではないかと思います。


以上の3点と、前回のエントリーの内容とを考え合わせると、私がWPASの調査報告書から感じるのは、アシュリーの個別ケースに関する情報の多くは、WPASの調査が終了した今に至っても、いまだに曖昧なままにされているという印象です。


2007.06.06 / Top↑
WPASの報告書を読んで、誤解を招くのではないかと非常に気になった箇所がありましたので、注記しておきます。

誤解を招きそうな紛らわしい書き方があるのは、「Ⅲ事実」の「B.アシュリーの両親は“アシュリー療法”に関して子ども病院倫理委員会に意見と勧告を求めた」という項目。“アシュリー療法”が一連の処置の新しくユニークな適用法であり、特に確立された方針がないことから両親と医師らは子ども病院の倫理委員会に意見と勧告を求めたという下りに続いて、次のような一文があります。

 子ども病院の倫理委員会は医療倫理のトレーニングを受けた(専門的サービスの?)提供者と地域の人、さらに子ども病院の弁護士1名から成る多職種構成である。この委員会は、倫理上の懸念が起こりそうな処置や医療についてガイダンスを求めている臨床家と家族に対して、拘束力を持たない勧告を行う。

注意を要するのは、ここで触れられているのはシアトル子ども病院の恒常的に設置された倫理委員会のことに過ぎないということ。この部分、「Exhibit Hを参照」との脚注がついていますが、Exhibit Hとは子ども病院の倫理委の職務規定です。つまり、ここで述べられていることは子ども病院の恒常的な倫理委(継続的に任命され、1年毎に見直し)についての話であり、いわば一般論。特にアシュリーのケースを検討した2004年5月5日の倫理委の席にいたメンバーとは限りません。

「倫理委のメンバーは実は18人とも」で既に見てきたように、アシュリーのケースを検討した倫理委のメンバーについては、ワシントン大学とシアトル子ども病院の職員のみで構成されていたとの証言があり、Exhibit Hの子ども病院の倫理委のメンバーがアシュリーのケースを検討したという単純な話とは違っているように思えます。

しかし報告書のこの部分では、上記で引用した記述に「2004年に、子ども病院の倫理委員会が開かれ」、アシュリー療法という過激な介入が本人のQOLに寄与するかどうかの判断をしたといった意味のセンテンスが続くので、流れだけを不用意に読むと、2004年のアシュリーの症例を検討した委員会が上記引用と同じメンバーによって行われたかのように感じられてしまいそうです。

当該倫理委の記録がExhibit Lとして添付されていますが、ここにも倫理委のメンバーについては人数も職種も書かれていません。(こちらの記録に関する疑問については、また回を改めて整理しまが、このエントリーのテーマに関わるかもしれない点として、タイトルに Special CHRMC Ethics Committee Meeting/Consultation とあり、この Special が何を意味するのか、ひっかかります。)

明示しておきたいのですが、WPASの調査報告書では、アシュリーのケースを検討した2004年5月5日の倫理委のメンバーについては、まったく明らかにされていません。

誤解を招きそうな上記引用の記述には、「医師らの論文にはマヤカシがある その4」で指摘した、論文の倫理委についてのトリックに似通った紛らわしさが感じられるのが、気になるところです。



当該倫理委のメンバーについては、シンポでも何度か話題になった場面はありました。minxさんのシンポの報告によると、Alice Dregerさんからの障害学の視点を持った人が委員会に入っていないとの指摘に対して、同倫理委の委員長だったWoodrum医師が「障害者コミュニティの代表は入っている」と述べたとのこと。ただし、彼はそれが具体的にどういう立場の人かは述べていません。また、そういう人が「病院の倫理委に入っている」ということと、「5月5日のアシュリーの件に関する倫理委の席にそういう人が入っていた」という事実とは異なるはずですが、彼はいずれのことを意味していたのか……。
私の記憶では、午前の場面でもWoodrum医師は当該倫理委には弁護士も含まれていたと述べていました。
しかし、彼は倫理委のメンバーに言及したその2つのいずれの場面でも、当該倫理委の具体的な人数や構成について、それ以上に詳しく述べようとはしませんでした。

また、「親のブログがなかったら隠蔽は成功していた?」と 「倫理委のメンバーは実は18人とも」とで書いたように、両親のブログのカン違いから多くの人が思い込んでいた「倫理委のメンバーは40人」との誤解を、病院側はシンポで数が正面から問題とされるまで、4ヶ月以上も放置し訂正しようとはしませんでした。

その問題の場面、Dregerさんが「だって40人もいたんでしょう?」と質問者に切り返した際には、しばし誰もすぐには答えようとせず、病院サイドの困惑が感じられました。しばらくしてCarter医師が「40人に見えたんだよ」と言ったわけですが、不思議だったのは、そのCarter医師の発言の後、誰もそれに次いで発言しないまま、この場面がうやむやになってしまったこと。多くの人が信じていた「40人いた」を否定したのだから、普通に考えたら、「40人に見えただけ。実際の人数はこうだった」という話が出てもいいはずです。会場からの質問者もまだ答えてもらっていなかったのに、質問そのものがうやむやに立ち消えとなりました。なにか非常に奇妙な間の悪さが漂う場面でした。あれ以上、この話題に触れたくなかったのではないでしょうか。

これまで眺めてきた、

①論文では倫理委の構成メンバーについて巧妙な誘導トリックを仕掛けていた。
②両親の誤解から広く流布した40人という誤解を病院サイドは敢えて指摘・訂正しなかった。
③上記のシンポでの倫理委のメンバーを巡る各場面。

の3点から考えて、病院サイドは倫理委のメンバー構成については明かしたくないようです。しかし一方で、この事件の核心が倫理委員会であることは、多くの人が感じていることでしょう。2004年5月5日の倫理委の席にどのような人がいて、どのような議論が行われたのか、それこそがこの事件の核心のはずです。(この点については、「重大な疑惑」の書庫にあるエントリーを参照してください。)

それなのに、この調査報告書では、アシュリーのケースを検討した2004年5月5日の倫理委のメンバー構成はもちろん、議論の内容についても、ほとんど触れられていません。

WPASは調査において、そこに踏み込まなかったのでしょうか。


(6月1日からDisability Rights Washingtonに名称が変更されていますが、報告書は5月8日付のものなので、ここでは、とりあえずWPASのままとしました。)
2007.06.05 / Top↑
WPASの調査報告書を読み返していたら、 「医者も知らない”乳房芽”?」に関連して、面白い発見がありました。

Exhibit Lとして報告書に添付されている2004年5月5日の倫理委員会の記録では、「乳房芽」という言葉は一切使われていないのです。ここでは「発達する前に乳房を取り除く」となっています。それから、たとえば乳がんなどで乳房を取り除いてしまう場合の手術と同じmastectomyという言葉が使われています。

シンポでDiekema医師の「今だったら小さな乳房芽の切除で済むが、将来病気になってからだとmastorectomyとなって手術のリスクも大きくなるから医学上の必要があってやったこと」との発言と矛盾しますね。倫理委が開かれた時点で、彼らの捉え方は、「乳房芽の切除」などではない。あくまで「乳房の切除」であり、mastorectomyだったのです。

さらに興味深いのは、親が望んでいることとして3つ挙げられた3点目である「発達する前に乳房を取り除く」の部分には「倫理委に提出された親の提案書を参照のこと」と括弧で付け加えられていること。(親の提案書は調査報告書には添付されていません。)親の提案書を読む以外に、理解のすべがなかったということでしょうか。

乳腺芽という組織があって、それを取り除けば乳房が大きくなることを防げるというのは、あくまで「理論上はそうなるはずだ」との両親のリサーチから出てきたアイディアに過ぎなかったのではないでしょうか。そして実は医師らは、乳房芽にせよ乳腺芽にせよ、そんなものを取り除くという発想そのものを、医学的に認めていなかったのではないでしょうか。だから彼らにとっては親の言っていることは「乳房の切除」でしかなかったし、mastectomy でしかなかった。「医者も知らない”乳房芽”?」で既に疑問を呈したように、やはり親が提案している目的での mastectomy など、とうていconvensional な医療行為ではなかったのではないでしょうか。だからこそ、彼らは医師として、この点については論文に書けなかったのではないでしょうか。

しかし、それならば、そこからは、もっと大きな疑問が生じます。それほど医師らにとっても奇異だった「乳房芽の切除」を、なぜ倫理委が認めたのかという疑問です。いや、それ以前に、なぜ倫理委にまで話が行くほど、医師らがまともに相手にしたのかという疑問です。

親がこんな突飛なことを独自にリサーチして思いつき、アイデアとして持ち込んできた場合に、通常、医師は相手にするでしょうか? 普通ならば倫理委でプレゼンさせてもらうどころか、診察室で切り出したとたんに、ろくに話すら聞いてもらえず追い返されるのがオチなのでは?

この点は、にわかにこの事件の本質に迫ってきたように思います。  
2007.06.04 / Top↑
Exhibit A “アシュリー療法”に関する各州の法的要件問い合わせ先

Exhibit B  アシュリーの両親のブログ

Exhibit C  2007年1月8日付けWPASからワシントン大学宛書簡

      調査開始の通達。協力要請。資料請求。発達障害法その他からの関連抜粋添付

Exhibit D 2007年1月10日にWPASから子ども病院宛書簡(文面同上)

Exhibit E ワシントン大学医学部インフォームド・コンセント・マニュアル(2001-2004)

「代理決定者の権限の制約」の項目の1.Sterilization of Mentally Incompetent Person で、代理決定は不可、裁判所の命令が必要と明記されている。2.Limits on Guardianship でも、代理人が同意できない場合を精神科について3つ挙げ、その次に「この制限の意図は、その人の身体の尊厳に影響を及ぼす、侵襲性が高く不可逆的な治療については、法的代理人が同意する前に裁判所の命令が必要ということである」とも明記。

Exhibit F 1月22日付、子ども病院からWPAS宛書簡(両者は1月22日に会談しており、その際に手渡しされた)

Exhibit G 子ども病院の成長抑制/不妊検討サブ委員会資料

Exhibit H 子ども病院倫理委員会の職務規定

Exhibit I 子ども病院の、患者が未成年の場合のIC決定方針

 方針の基本は「患者の最善の利益」とする。代理決定者には6つの優先順位あり。決定のフローシートのNの項目が「発達障害のある人」。誰が代理人になれるかという点しか触れていない。最後に、親の代理決定があれば、病院スタッフは決定の責任を問われないと但し書きあり。

Exhibit J 2007年1月23日付、子ども病院からWPAS宛書簡

  前日に両者が会談したことが書かれている。

Exhibit K 子ども病院の未成年の不妊についての方針

 親も代理人も知的に同意能力のない患者に代わって不妊手術への同意はできない。同意できるのはIC可能な成人のみ。それ以外は裁判所の命令が必要。子ども病院では、裁判所の命令が出た後も医療部長、倫理委、理事会(general counsel)の承認が必要。通常は親または法定代理人が裁判所の命令を求めるが、病院が命令を請求しなければならない場合の最終決定は院長またはCEO。

Exhibit L  子ども病院特別倫理委委員会会議/相談の記録(2004年5月)

 リスクと利益を量りにかけるという論理。

 話題になったこととして、

    1.背が低いと、アシュリーに具体的にどのようなメリットがあるか
    2.生理回避には他の方法があるのでは?
    3.乳房切除がどのようにQOLの改善に結びつくのか?
    4.誰の利益か? 患者が親か?

 結論は長期的なアシュリーへの利益がリスクを上回るというコンセンサスだった。

Exhibit M re Hayes の判例資料

Exhibit N re K.M. の判例資料

Exhibit O  弁護士Larry Jones からアシュリーの父親への手紙(2004年6月10日)

 子宮摘出術について、アシュリーの利益を代理する法定代理人または弁護士を立てる必要があるかどうかの問い合わせに答えたもの。答えは目的が不妊ではないのでその必要はないとする。文中でHayes, K.M、Morinaga事件について解説しているが、捉え方がWPASの解釈とずいぶん違っている。
 結論として、「もしアシュリーが子宮がんだったら摘出できるのだから、不妊以外の目的のother compelling medical reasons なら認められる」とする。
 同じく結論の2点目「アシュリーの状態の永続性」のところで、「アシュリーには親を訴える訴訟を起こす能力はないし、前にもちょっと言ったように、子ども病院を被告にして訴訟を起こす一流弁護士は殆どいない。陪審員に人気の子ども病院とその医師らが被告に含まれていたら、まず勝ち目はないから」

Exhibit P WPASから子ども病院宛書簡(2007年3月27日)

 調査がほぼ終わり、最終的に必要な情報請求。それとともに調査報告と同時に改善の申し入れを行うことの予告。WPASとの間で同意文書を作ることを病院側に要求している。

Exhibit Q 子ども病院からWPAS宛書簡(2007年4月5日)

 前日に両者は会談。その際に、病院側はWPASの言動は権限を越えていると発言した様子。そう考えていることを重ねて書いている。また、「アシュリー療法」に関与した職員個人に対しての懲罰処分を文中で拒否していることから、それを求めるWPAS側と緊迫した交渉が進行していたことが伺われる。

Exhibit R  アシュリーに関しての病院の請求書

 両親がブログで全額が保険で支払われたと書いていたが、総額はこの請求書では26389ドル15セント。ただし、医師らへの支払い、その他は別途のため、実際にかかった総額は不明。なお、2枚目最下段にPREMERA MICROSOFTの記述あり。

Exhibit S Scott Stiefel の履歴書

Exhibit T 子ども病院とWPASの署名入り合意文書

  合意は2007年5月1日から5年間の期限付き。

追記 Exhibit Fの日付について誤りがあったため、6月13日に訂正しました。
2007.06.03 / Top↑
Ⅳ 関連の法的要求事項

A.憲法上の権利:privacy and liberty interests

1.privacy and liberty interests generally

Skinner v. Okrahoma, Addidngton v.Texas, Harper v.Washington, Cruzan V. Director, Missouri Dept. of Health, Gristwold v. Connecticut, Roe V. Waide などの判例により、生殖に関わる選択を個人的に行う権利、侵襲的な医療処置を意に反して受けなくても良い権利、生命維持医療を拒む権利、本人の望まない不妊術を拒む権利などが認められている。

2.インフォームドコンセントで同意できない(not competent)大人と未成年の治療決定に関して必要な法的手続き

 末期治療の決定については、しかるべき手順を踏んで任命された裁判所認定の代理人が決定できる。それ以外の決定では、侵襲性が高く不可逆的な治療(電気痙攣治療、本人の望まない抗精神病薬の使用、本人の望まない不妊手術)については、法定代理人でも不可。緊急の場合を除き、裁判所の命令が必要。
 未成年の場合、親の決定権は成人の法定代理人よりも広いが、ワシントン州では本人の望まない精神科への入院、命に関わるような緊急時でない場合の電気痙攣治療、精神科手術、成熟した未成年の妊娠中絶、不妊手術、それ以外の侵襲性が高く不可逆的な治療、特に親と子の利害が異なっている場合には、裁判所の審理と許可が必要。
 1980年のre Hayes 判例(16歳女児、機能は4,5歳。性行為あり妊娠の可能性を恐れた母親と医師が不妊手術を求めた)では、ワシントン州最高裁は発達障害のある子どもの親に不妊治療への同意権を認めなかった。本人の望まない不妊治療は本人の憲法上のプライバシーと自由権を侵すとの判断が示されたもの。不妊手術については、公平な立場の法定代理人または弁護士が子の利益を代理してヒアリングが行われることが必要。また、この判決によって、裁判所が発達障害のある人への不妊手術を認める基準が示された。

1.子どもが自分で不妊手術への決定ができない。

2.予見可能な将来において、不妊手術について説明を受けた上で判断ができるだけの発達がその子には見込めない。

3.その子どもが身体的に生殖可能。

4.その子どもが現在または近い将来において、妊娠に繋がりそうな状況で性行為を行うと思われる。

5.その子どもは、子どもの世話をする能力を永久的に持たない。

6.監督、教育、トレーニングを含め、不妊手術ほど過激でない避妊手段が役に立たない、または使えないことが証明されている。

7.提案されている不妊法は、その子どもの身体への侵襲度が最も低いものである。

8.可逆的な不妊法または、その他のより過激でない避妊方法がすぐには使えず、なおかつ

9.科学の発展によって、その子どもの障害の治療がすぐに見込める状況にない。

 K.M.の判例では、法定代理人が立てられたが、親と医師の言い分を認めたために裁判所の許可が下りた。が手術実施前に上訴、上訴裁判所は法定代理人は本人の利益を熱心に(zealously)に主張する必要があり、ただ立てただけでは「無意味なジェスチャー」に過ぎない、改めて弁護士を代理人とするように指示し、差し戻した。本人の利益を充分代理する、公平でアドボケートとして効力がある代理人が必要との判断が示されたもの。

 アシュリーのケースでは、成長抑制と乳房芽の摘出については前例がないが、侵襲性が高く不可逆的な治療であることを考えると、裁判所の命令が必要。

B.“アシュリー療法”がアシュリーに対して実施される前に、裁判所の命令が必要であったか?

1.子宮摘出術

 アシュリーの両親の弁護士は、父親への手紙の中で子宮摘出術は不妊を目的としたものではないので、Hayesの判例が適用されないとの判断を示しているが、Hayesの判決の中に「不妊手術命令が出されるべきかどうかを決定する、いかなる手続きにおいても、知恵の遅れた人は公平な法定代理人によって代理されなければならない」と述べられている。
 また、アシュリーの両親の弁護士がK.M.の判例を引いて、アシュリーはこのケースの子どものように親を訴えたり、モノを言うこともないのだから当てはまらないと述べている点について、法律上の権利が障害の重さによってグラデーション状態に漸減するわけではないと反論。

2.乳房芽とホルモン療法

 侵襲性が高く不可逆的な治療により、憲法で保障されたプライバシーと自由権が侵されている。

3.障害に基づいた差別

 発達障害がなかったら認められない行為が障害を理由に認められることそのものが、差別問題となる。障害を理由にした差別は州法でも連邦法でも禁じられている。

Ⅴ.不妊治療と成長抑制が求められた場合に発達障害のある人の法的権利を守るための改善策とその他組織改革

 アシュリーのケースでは、裁判所の命令が求められなかったことからアシュリー本人の立場も代理されることがなかった。その反省に立ち、子ども病院は以下の手段をとることでWPASと合意した。

A.成長抑制医療介入に関する方針と手順の実施

 裁判所の命令なしに発達障害のある人に成長抑制を行わない。裁判所の命令があった場合、子ども病院はさらに倫理委員会で検討を行う。方針と手順についてはWPASと密に相談し、2007年9月1日までに策定する。
 さらに、それら手続きなしに治療が行われたり薬が処方されることがないよう、病院のコンピュータ・システムにセーフガードを儲ける。また成長抑制療法に裁判所の許可が下りた場合は、プライバシー法の範囲で、子ども病院はWPASに通知する。

B.改善策
 上記コンピュータ・システムの改善。職員への教育。

C.裁判所の命令なしには不妊手術を行わない。

D.倫理委のメンバー

 子ども病院はWPASから推薦を受け、倫理委のメンバーに発達障害のある人のアドボケートが出来る人を任命する。また、発達障害のある人に関するケースでは、倫理委は内部外部の専門家に相談する。WPASがその他の領域の専門家を倫理委に含めるべきだと勧める場合には、子ども病院は注意深く検討し、WPASと相談する。

Ⅵ 結論

 裁判所の許可なしにアシュリーに行われた不妊手術は、明らかに憲法とワシントン州法への違反。裁判所の命令が求められなかったために、結果として不妊治療や「アシュリー療法」全体の合法性が検証される機会もなかったことになる。

 これまでの判例に見られるように、親や代理人、医師の利益が不妊を求められる子ども自身の利益と同じであるとは限らない。だからこそ法律に定められたしかるべき手順を踏むことが重要。アシュリーのケースで裁判所が命令を出していたかどうかは不明。今後の同様なケースで裁判所の判断がどうなるかも分からない。引き続き社会として発達障害のある人をどのように尊重していくのかの対話が必要。アシュリーと家族の直面している問題は全国に見られる。介護や支援サービスの不十分の問題は確かにある。それでもなおかつ、障害のある人やアドボケートは自立生活運動を推進し、地域と施設での介護状況の改善に協力して努力をしてきたことも事実。
 アシュリーのケースで巻き起こったメディア報道と論争を好機として、論争のあらゆる立場の人が加わって、ソーシャルサービス提供システム改善策を模索すればよい。WPASはこの問題をアシュリーと子ども病院だけの問題とせず、広く啓発活動を行う。(Executive Summaryに「次のステップ」あり。)
2007.06.03 / Top↑
WPASの調査報告書の概要を以下に。ただし、個々の訳語はあまり吟味したものではありません。あくまでご参考までに。



「アシュリー療法」に関する調査報告書 

2007年5月8日
Washington Protection & Advocacy System
(2007年6月1日より Disability Rights Washington に改名)

WPASとは
 The Developmental Disabilities Assistance and Bill of Rights (DD) Act(発達障害支援および権利章典法)、the Protection and Advocacy for Individuals with Mental Illnesses Act(精神障害者のための保護及び権利擁護法), the Protection and Advocacy for Individual Rights Act, the Revised Code of Washingtonなどに基づき、ワシントン州において障害者の保護と権利擁護サービスを提供する民間NPO。設置は連邦政府により各州、テリトリーに義務付けられており、全国で57のP&Aシステムがある。活動資金の大半は連邦政府が提供。発達障害のある人への虐待とネグレクトが疑われる場合に、調査を行う法的権限が与えられている。

Ⅰ イントロダクション

 2006年秋の論文発表から今年始めの両親のブログ立ち上げに続く論争の中で、一連の医療介入が合法的に行われたかという視点での議論は実質的に皆無だった。多くの苦情も寄せられた。報道内容を検討し、DD法に規定された虐待に当たる可能性があると判断し、調査に踏み切った。ただし、「アシュリー療法」を巡る倫理問題と法律問題は多岐にわたるが、この調査と報告書ではアシュリーの権利が侵害されたかどうか、DD法に規定された虐待とネグレクトをアシュリーが受けたかどうかという点のみを対象とするものである。

Ⅱ 調査の方法

 調査の開始は2007年1月6日。目的は、アシュリーがこうした療法によって虐待またはネグレクトを受けたかどうか、また法的権利を侵害されたかどうか、を判断すること。調査方法はA.文書を請求し審査、B.証人の面接、法的調査、C.医療の専門家への相談。

A. の文書の中には、今後の子どもに対する成長抑制や不妊手術の要望を検討するための委員会の運営方針、現在の倫理委員会のミッション・ステートメント、子ども病院のIC方針、未成年の不妊手術に関する方針(案)、「アシュリー療法」を検討した倫理委員会の記録などが含まれる。
また、子ども病院はWPASとの間で、今後の発達障害のある子どもの権利擁護に向けて改善と組織的改革を行うとの合意文書に署名。
当該外科手術は子ども病院で行われたものの、関与した医師はワシントン大学の職員であるため、同大のインフォームドコンセント方針を請求した。

B.面接したのは内分泌医(2月12日)と外科医(2月14日)。

C. 医療に関する相談役としては、発達障害に詳しい小児科医であり精神科医である、ソルトレイクシティのユタ大学神経精神科クリニックのScott Stiefel M.D.

Ⅲ 事実

A.両親がアシュリーを子どもの状態に留めることを望んだ。

ブログの中で子宮摘出は不妊手術を目的とするものではないと書いているが、利点の一つとして妊娠の可能性を避けることも挙げている。
民間の病院であるシアトル子ども病院において、ワシントン大学の職員である医師が外科手術を行った。

B.両親は「アシュリー療法」に関して子ども病院の倫理委に意見と勧告を求めた。

 子ども病院の倫理委員会は他職種構成で、医療倫理の訓練を受けた専門職と地域の人たち、それに子ども病院の弁護士。倫理的な問題が起きる可能性のある処置に関して臨床家と家族にガイダンスを求められた場合に強制力のない勧告を行う。
 2004年の倫理委では両親が一連の介入を求める論拠を提示し、担当医らが両親の求める外科的介入と薬剤による介入について説明sh地あ。倫理委は提案された介入について「アシュリー本人への長期的利益がリスクを上回るとのコンセンサス」にいたり、医療として倫理的と結論付けたが、不妊手術部分に関しては病院には決定する権限がないので、合法性については”court review”を求めるべく弁護士を雇うように両親に告げた。

C.子宮摘出を含め、療法に対する裁判所の命令は請求されず、許可も得ていない。

 アシュリーの両親が相談した弁護士Larry Jonesは娘に障害があり、発達障害のある子どもの親のアドボケイトとして仕事をしてきた人物。ワシントン州では知的障害のある子どもの不妊手術には裁判所の命令が必要としながら、アシュリーの場合は不妊手術が目的ではないので適用外との判断を示した。
 外科医は弁護士から父親宛の手紙のコピーと、倫理委員会の勧告文書の両方を受け取っている。彼は手術前に医療部長のところに相談に行ったとのこと。この弁護士の判断を持って倫理委の勧告した”court review”がクリアされたものとして、医療部長が最終的に手術の実施を承認したとのこと。

D.保険と請求

 両親はブログで、成長抑制、子宮摘出、乳房芽の切除の経費全額が保険でまかなわれたと書いている。「アシュリー療法」の推計を約3万ドルとも書いている。子ども病院は民間の保険会社が病院で行われた外科手術の支払ったことを認め、調整前で26、389ドルの請求書を提出。ただし、この中に外科医、麻酔医、内分泌医、各種評価、フォローアップ、ホルモン療法の経費は含まれていない。

E.懲罰と改善措置

 裁判所の命令なしに手術が行われたことに対して、誰かに何らかの懲罰処分があったかどうかを病院側に問い合わせたが、病院は組織的な過誤であり、今後への改善を行うとの見解。
2007.06.03 / Top↑
 この事件について、「医師が何か特別な思惑を持って親を誘導し、やらせたのではないか」という疑念を持っている人は、案外に多いのではないでしょうか。私がこのニュースを初めて知った時に頭に浮かべたのも、「誰か医療職が親の頭に種を蒔いたのではないか」との疑念でした。この件について話してみた相手から「それは、きっと医者がやりたかったのよ」という感想が出てきたこともあるし、論争の中でそういう懸念を書いた人も少なくありません。

実際、アイディアとして考えた場合に、子宮摘出だけなら、障害のある娘のケアをする親が冗談半分に口にするのを聞いたこともありますが、それに加えてホルモン療法と乳房芽の切除までを盛り込んで、セットでやってしまおうなどというアイディアが、そう簡単にある日だれかの頭に天啓のように降り来るというものとは思えません。だから、医師が何らかの思惑を持って親の頭に種を蒔いたのではないか、と考えても不思議はないように思われます。

しかし、実際に当事者の発言をつき合わせる作業をしてみると、そんな予見はどうやら見当違いだったようです。一部「まだある論文の“不思議” その3」と重複しますが、いわゆる“アシュリー療法”のアイディアが生まれて具体的な計画となるまでの経緯について、当事者の発言を追ってみます。

まず、両親のブログで、アイディアが出来たいきさつに触れられているのは以下の部分です。

 アシュリーが6歳6ヶ月の2004年初頭、思春期初期の兆候が見えました。それに関連したアシュリーの医師との会話の中で、アシュリーの母親が既に早熟な思春期を加速させて大人になったときの身長と体重を最小限に抑えるというアイディアに思い至りました。シアトル子ども病院内分泌のダニエル・F・ガンサー小児科助教授の予約を取り、私たちの選択肢を相談しました。そして、成長抑制は大量エストロゲンで実現可能であることが分かりました。この療法は背が高い女の子が好まれなかった60年代と70年代に始まり、10代の少女に行われたものですが、不都合な副作用や長期の副作用はありませんでした。

どの医師かは不明だけれども、彼女の成長の早さについて「アシュリーの医師」と話している際に母親が相当細部に渡るアイディアを思いつき、小児内分泌の専門家であるガンサー医師の予約を取った、という流れ。上記では「私たちの選択肢」と訳してみましたが、元は our options とあるので、既にオプションとして選択肢がいくつかあったことになります。文脈からすると「骨端線の伸びを加速させて身長を抑制することを巡って、これはできるだろうか、あれはできるだろうかと自分たちで考えてできた」アイディアをガンサー医師にぶつけて、どうでしょう、と相談したのでしょう。それに対して、ガンサー医師が成長抑制はエストロゲン大量投与で可能だと答えた。その際に、この療法の歴史的背景とリスクについて話したということなのでしょうか。「リスクがないと知って安心した、そして計画を進める決断をした」とブログの他の箇所に書かれています。

当初、ここに書かれていることから、もしかしたらアシュリーの母親は医療関係者なのだろうか、という疑問が私の頭に浮かんだこともありました。父親は1月2日のロサンジェルス・タイムズの記事によるとソフトウエア会社の重役だとのことだから、医療関係者ではありません。論文では「両親ともに大学教育を受けた専門職」とありますが、アシュリーの母親についてはそれ以外には何も明かされていないので、医療職かどうかを確認する方法はありません。しかし、もしも医療職だったのだとしたら、最初から内分泌医にダイレクトに相談するようにも思われます。また、ブログもその場合は母親の方が書くのではないでしょうか。ブログの文章は常にweと夫婦を主語としていますが、書いたのは父親です。初期に何件かあったメディアの取材にも一貫して父親が対応しています。
もっとも、今のIT時代、特に医療関係者でなくとも、その気になればどんなテーマであれ、相当専門的な知識を探し出すことは不可能ではないだろうから、医療関係者でなければ思いつけないというものでもないのかもしれません。
 
論文の中では、

両親と医師(無冠詞単数形)が長い間相談した末に、大量エストロゲンを使って成長を抑制し、治療前に子宮摘出術を行って思春期の一般的な長期的問題と、とりわけ治療の反作用を軽減するという計画ができた

とのみ書かれています。受動態で書かれているので、誰が計画を作ったのかは不明。しかし、両親が揃っていること、計画の細部が出来上がっていることを両親のブログの記述と付き合わせると、最初に母親だけが「アシュリーの医師」と話した場面ではなく、その後で、次のステップとして両親揃ってシアトル子ども病院のガンサー助教授を訪ねた場面だと思われます。

ブログでも論文でも、アイディアや計画が出来た場面について直接触れている箇所はこれ以外にはありません。しかし、そのことに直接触れてはいないものの、その他の発言には、この点に関連するものが見られます。

例えば、1月5日付けのThe Daily Mailの記事 ”Why we froze our little girl in time”で、取材に答えた父親の発言。アシュリーは困難な人生を割り振られたのだから、親として介護者として、せめてQOLくらいは最善にしてやりたかったのだとの思いを述べた後で、

このアイディアをいろいろ調べてみて、アシュリーの医師から可能だとの確認もあって、あとはできるだけ早くやってしまうことに集中しました。アシュリーの生涯にわたるメリットはリスク・ファクターよりも大きいというのが明白でしたから

ブログでもサマリー冒頭で

私たちはたくさん考えて、リサーチを行い、そして医師たちと協議した後にこの療法を行いました


この2つの発言で一貫している「考えて、調べ、そして医師らと協議した」という順番は、注目に値するのではないでしょうか。医師らと協議する前に、彼らは既に「考えて、調べ」ていたのです。そしてまた、「私たちは……この療法を行った」という主体性。

さらに、ブログの中で3回も繰り返されており、1月3日から5日にかけてのLATimes、英ガーディアン他との電話取材でも父親が強調していることとして、「この決断は多くの人が想像しているような困難なものではなかった」との主張があります。報道を受けて巻き起こった批判に対して1月7日にブログに新たに書き込んだ部分でも、「娘にこの療法を提供することは容易な決断だった」とまで言い切っています。ここには、何かゆるぎない自信すら感じられます。

すでに触れたように、乳房芽の切除については、両親がブログで「利点を詳しく説明することで医師らのreluctance を乗り越えた」と書いている通り、倫理委員会ではパワーポイントを使ってプレゼンテーションまで行っています。特に乳房芽の切除については尻込みしている医師らを説得するべく、おそらく写真やグラフなどの資料を駆使して、ブログの文章のように理路整然と熱弁をふるう父親の姿が目に浮かぶようです。

minxさんが詳細にまとめてくださった5月16日のシンポの報告によると、倫理委の委員長だったWoodrum医師は午前のシンポで「両親が説得力ある議論を出してくれたおかげで、私たちの仕事を代わりにやってくれた」と述べたとのこと。Dregerさんとminxさんが指摘するようにWoodrum医師の発言そのものは倫理委の委員長としてあまりに無責任、不謹慎ですらありますが、両親のプレゼンテーションの存在感が感じられる発言です。

それと対照的に、これまで見てきた医師らの発言から感じられるのは、あの論文に見られた姑息さ。後ろめたさ。一貫性のなさ。

アイディアと当初の計画についての主体は、最初から親だったのではないでしょうか。

さらに言えば、アイディアが思いつかれ、それがある程度リアルな“選択肢”になったのは、母親と「アシュリーの医師」との会話の前後の時期、父親が書いている「たくさん考え、リサーチをし」た頃のことと考えてもいいのではないでしょうか。その上で夫婦は「私たちの選択肢」を持ってガンサー医師のところに相談に行った。つまり、論文を執筆した2人の担当医は、当初は白紙状態で親のアイディアと直面した、というのが真相ではないでしょうか。「まだある論文の“不思議” オマケ」で触れたように、医師らも最初は困惑したものの、いろいろ話を聞いて親の真意を探るうちに「それは、案外いい知恵かも知れない」と考えるようになったということではないでしょうか。

もしも、当初の私のように、医師が親を誘導したような印象を残したまま、この問題を議論した方があったら、その思い込みは一度清算した方がいいかもしれません。
2007.06.01 / Top↑

ここまでGunther医師とDiekema医師が書いた論文と、その内容をめぐる彼らの発言を検証してきました。途中あちこち脱線してしまったので、一度ここで整理しておきたいと思います。

この論文についての考察の、とりあえずの結論:この論文は実はとても胡散臭い。
なぜなら、

①論文には隠蔽、ごまかし、トリックが潜んでいる。
②自分たちがやったことがマズイことだと、医師らが実は自覚していたフシがある。
③なぜ、こんな中途半端な論文を、あんな中途半端な時期に発表したのか、大きな疑問。
④なぜ、論文発表まで2年も漏れなかったかも、疑問。


「まっとうジャーナルに論文が掲載されている」という事実は、それを知る者にある種の予見を与えます。「まっとうなジャーナルに掲載されているのだから、まっとうな論文なのだろう」という予見です。もしかしたら「まっとうなジャーナルに論文を発表したくらいなのだから、医師らがよほど自信のある症例なのに違いない」とか「医師らのしたことが、それほど、まっとうだったのだろう」との予見に繋がった人もあるかもしれません。

「まっとうなジャーナルに掲載されているのだから、まっとうなことが、まっとうに書かれた論文なのだろう」という予見は、論文に直接当たらずに医師らの発言や報道を真に受けることに繋がっていきます。メディアで医師らが「乳房芽が云々」とぺらぺらしゃべっているのを聞くと、論文が乳房芽の切除を隠蔽しているなどとは夢にも考えない。もちろん、考えないのが当たり前なのです。隠蔽するほうが異常なのだから。しかし、この論文には、そうした異常が含まれているのが事実。

このように「実は誰も確かめていないことが、多くの人の予見によって、いつのまにか事実として一人歩きしている」という図式が、なぜかこの事件には非常に多いのです。こうした思い込みと、そこから生じる情報の錯綜は、隠したいことがある人たちにとっては思う壺。彼らを利するだけでしょう。

次回は、「こんなアイディアを思いついたのは誰だったのか」という点について、検証してみたいと考えています。

2007.06.01 / Top↑