まず、擁護の記事から。
既に成人して施設で暮らしている重複障害のある女性の養母がthe Daily MailにKatieの母親擁護の文章を書いています。the Daily Mailは“アシュリー療法”論争の際にthe Seattle Timesと並んで、極端に情緒的な記事を書いて両親を擁護した新聞でした。
次にthe Mirrorには、やはり障害児の母親が、娘をケアする1日がどのように大変なものかを時間を追って詳細に書いている記事。これほど大変なのだから、そんな生活を知らない人には批判の資格がない、というメッセージのようです。
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一部重複しますが、the Timesのこのケースについての7日、8日の記事は以下。こちらは中立的です。
この中に、Katieには「重症の学習障害がある」と書かれています。知的障害について障害名を出して触れているものは、今の段階で私が見つけた記事の中では他にはありません。(もちろん、見落としているものもかなりあるとは思いますが、いずれにしても知的障害名があるのは少ない印象なのですが……。)
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/uk/health/article2603965.ece
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/uk/health/article2609442.ece
http://www.timesonline.co.uk/tol/life_and_style/health/article2610704.ece
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/uk/health/article2609442.ece
http://www.timesonline.co.uk/tol/life_and_style/health/article2610704.ece
【追記】その後、Katieに関する様々な記事を読むと、彼女の知的障害を「学習障害」と分類することは不適切だと思われます。少なくとも母親はKatieにはAshleyと同様の重篤な知的障害があると訴えているようです。
【追追記】その後、名川先生に教えていただきました。英国でlearning disabilityというと知的障害のことなのだそうです。
――――――
批判の声としては、
これまで紹介したScope, the UK Disabled People’s Councilのほかに、the Royal Association for Disability and Rehabilitation (RADAR)のCEOであるLiz Sayceがthe GuardianにAuthors of our own destiny (10月9日)という文章を書いています。
障害の有無を問わず自己決定がいかに大切かを語り、自身のニーズや望みを表現しにくい人のために社会全体として代理決定がきちんと行われる法的システムの必要を訴える内容。また親が子どものためを思う気持ちに疑いは持たないが、親が常に子どもの最善の利益を判っているとは限らない、親からの自立は全ての子どもにとって、勝ち取るためには苦労しなければならない権利(a hard-won right)にもなりうる、とも。(青い芝の会の「親が一番の敵」という言葉を思い出しました。)
それから、"アシュリー療法"論争の時にもすばやい抗議行動を行ったFeminist Response In Disability Activism(FRIDA)も10月9日付で抗議声明。
「障害のない子どもに行われてはならないことが障害があるというだけで何故許されることになるのか」と問いかけ、充分な支援に向けて変わるべきは社会であること、国連の障害者人権条約にbodily integrityは人権であると謳われていること、などを指摘。そして、Katieの子宮摘出が行われれば多くの障害女児の体に対する侵害へのドアが開かれることになるとの懸念で締めくくられています。
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FRIDAの声明の最後に書かれている懸念がとてもリアルになっていることを感じます。批判の声がもっと出て欲しい……と焦りにも似た思いになるのは、時間がないかもしれないから。
FRIDAの声明の最後に書かれている懸念がとてもリアルになっていることを感じます。批判の声がもっと出て欲しい……と焦りにも似た思いになるのは、時間がないかもしれないから。
Alison Thorpeが言っていることは、アシュリー事件の前例がなかったら、恐らくは医師からも世間一般からも、これほど受け入れられず、もっと詳細な議論が必要とされていたはずです。しかし、アシュリー事件を前提に、Katieのケースはあまりにもたやすく受容され、進んでいくように感じられます。
非常に特殊な事情のもとに行われた可能性のある“アシュリー療法”。その特殊な事情を考えれば、アシュリーのケースは一般化されてはならない、前例になってはならない事件だったかもしれないのに。
2007.10.10 / Top↑
Echoというニュースサイトが、If only we could have stopped our child growing up, as well(1月10日)という記事で、Katieの母親について詳報していました。“アシュリー療法”論争真っ只中での記事です。
彼女は今年はじめ、アシュリーに行われた医療処置について専門家がラジオで人権侵害であると批判しているのを聞いたとのこと。
その時私はKatieに学校に行く支度をしてやっていたんです。オムツを替えたり、してやらなくちゃいけないことが毎日いっぱいあるんですから。(そこへラジオを聞いて)じゃぁ、来てここに立って私が今やっていることをやったらどうよ、そうでもなければラジオでそんな批判をする資格なんかないわよと考えていました。
Alisonはその通りの内容のメールを番組に送り、一躍メディアの関心の的になった、この記事の前の何日か、テレビやラジオの発言が続いていた……ということのようです。
Katie の状態について、これまでの2回のエントリーで紹介した内容以外では、
・胃ろう。オムツ使用。
・Basildonのthe Pioneer Schoolに通っており、苦痛があるときに介護者に知らせることはできるが、それが何処かを表現することはできない。過去に、足に膿瘍ができていたのに分からず、便秘が原因だとばかり思いこんで、泣き叫ぶほどの痛みを訴える娘に6週間もなすすべもなかったことがあった。(盲腸切除を希望する理由)
・Katieは30歳までしか生きられないといわれている。だからこそ残された時間のQOLを守ってやりたいと母親とパートナーは考えている。
(30歳までしか生きられない理由は何なのでしょうか。「脳性まひ」だからというだけで30歳までしか生きられないというのは、ちょっと考えられないように思うのですが。)
・通常なら成長するにつれて経験の幅が広くなるものなのに、Katieの場合は逆に成長して体が大きくなり、車椅子が大きくなって、外出もままならない。
・娘が小さいころは母親役割が大きかったが、子どもが成長するにつれて介護者役割の方が大きくなってきた。
・Basildonのthe Pioneer Schoolに通っており、苦痛があるときに介護者に知らせることはできるが、それが何処かを表現することはできない。過去に、足に膿瘍ができていたのに分からず、便秘が原因だとばかり思いこんで、泣き叫ぶほどの痛みを訴える娘に6週間もなすすべもなかったことがあった。(盲腸切除を希望する理由)
・Katieは30歳までしか生きられないといわれている。だからこそ残された時間のQOLを守ってやりたいと母親とパートナーは考えている。
(30歳までしか生きられない理由は何なのでしょうか。「脳性まひ」だからというだけで30歳までしか生きられないというのは、ちょっと考えられないように思うのですが。)
・通常なら成長するにつれて経験の幅が広くなるものなのに、Katieの場合は逆に成長して体が大きくなり、車椅子が大きくなって、外出もままならない。
・娘が小さいころは母親役割が大きかったが、子どもが成長するにつれて介護者役割の方が大きくなってきた。
記事の中から、その他、母親Alisonの発言を引いてみると、
・今から(まだ小さかったころを)振り返って、成長抑制が可能だったら同じ決断をしていたかどうかは分からないけれど、同じような選択肢はあって然りだと思います。
・成長抑制と違って子宮摘出は間違いなく、やりたいですね。メンスの不快とか嫌な気分はKatieにはいりません。車椅子に座っているとか、夜寝ることとか、普通に生活するだけでも、いろいろ問題があるんですから。普通なら意識するまでもなく当たり前にできることなのに。
・短期的に見れば子宮摘出手術など受けさせたくないけど、長期的に考えたらKatieの生活が良くなるのは間違いないと思う。
・こうした問題を提起すれば、子宮摘出術がKatieにとっても彼女と同じような他の子どもたちにとっても、もっとすんなりできるものになるんじゃないかと願っています。私たちみたいに感じる人ばかりじゃないでしょうけど、問題は選択できるということなんです。今は私には選択がありませんから。
(しかしKatieには選択ができないことは問題にならないのでしょうか? また一般化することについての発言には、時期によるものかメディアの受け止めによるものか、ちょっとブレがあるようにも思われます。)
・Katieの専門家は私です。どこかの専門家だからといって私の娘のことを私よりも分かっているなんて、考えないでもらいたいわ。
・成長抑制と違って子宮摘出は間違いなく、やりたいですね。メンスの不快とか嫌な気分はKatieにはいりません。車椅子に座っているとか、夜寝ることとか、普通に生活するだけでも、いろいろ問題があるんですから。普通なら意識するまでもなく当たり前にできることなのに。
・短期的に見れば子宮摘出手術など受けさせたくないけど、長期的に考えたらKatieの生活が良くなるのは間違いないと思う。
・こうした問題を提起すれば、子宮摘出術がKatieにとっても彼女と同じような他の子どもたちにとっても、もっとすんなりできるものになるんじゃないかと願っています。私たちみたいに感じる人ばかりじゃないでしょうけど、問題は選択できるということなんです。今は私には選択がありませんから。
(しかしKatieには選択ができないことは問題にならないのでしょうか? また一般化することについての発言には、時期によるものかメディアの受け止めによるものか、ちょっとブレがあるようにも思われます。)
・Katieの専門家は私です。どこかの専門家だからといって私の娘のことを私よりも分かっているなんて、考えないでもらいたいわ。
――――――
Alisonの言葉の激しさが、私には5月16日のWUのシンポで読み上げられた障害児の父親の手紙に重なります。言葉通りではありませんが、私の耳に聞こえてきたトーンはだいたい以下のようなものでした。
今までも助けてくれたことなど1度もなかったオマエらに何が分かる、どうせ何もしてくれないのにエラソーに批判する資格などない、これから自分自身が歳をとり、子どもの世話をできなくなっていっても、それでも自分たちはこの子を背負っていくしかないのだ、親はそれだけのものを背負って大変な人生を送ってきた、これからも送っていくのは親なのだから、一緒に背負うつもりなどないオマエらは、黙ってすっこんでいろ……。
この激しい攻撃性の後ろに隠れているのは、助けてくれることのなかった社会への絶望なのではないでしょうか?
これほどの激しい絶望に至る前には、長い年月にわたって、誰かに助けて欲しいと願いながら上げられなかった声があり、届かなかった多くのSOSがあったはず。だからこそ、「どうせ何もしてくれないアンタたちに、いったい何が分かる? 何を言う資格がある?」、「じゃぁ、ここへきて、この介護をやってみなさいよ」と挑戦的になってしまうのでは?
表面の激しさについ目を奪われてしまいますが、その陰にあるのは本当は「もっと早くに、もっと助けて欲しかった」という嘆きの声であり、「とても親だけでは背負いきれない」という悲鳴なのではないでしょうか?
それならば、これらの声に「たしかに親が一番分かっているのだから、親が望むように手術でも成長抑制でもやらせてあげよう」と応えてしまうことは、これまで通りに親だけが子を背負っていくことを是認することであり、親だけが子どもを抱え込むしかないところへと、さらに追い詰めることになりはしないではないでしょうか。
親が一番分かっていて、親がケアするしか子どもは幸福ではないのであれば、親がケアできなくなったら子どもは不幸になるに決まっていて、それなら親が連れて死ぬしかない……というところへと。
2007.10.10 / Top↑
いったんアップした後、TIMES紙の記事Disabled 15 year-old to lose womb(10月7日)を教えてもらったので、加筆訂正しました。
7日のIndependent Television Newsの記事他によると、Katie Thorpeの子宮摘出術を行う可能性があるのはEssex、ChelmsfordのSt. John’s 病院。担当医はPhil Robarts。同病院の consultant gynaecologistというのですが、ただの婦人科医とどう違うのか……? Robarts医師はKatieの母親のいうことを支持しており、他の医師らも賛同。本人に同意能力がないため、現在は手術実施に向けNHSの弁護士らの同意をとりつけようとしているところ。
【注】担当医の名前は記事によってスペリングがRobertsとなっているものもありますが、病院サイトで確認したところ、e ではなく a 、Robartsでした。またclinical decrctor となっているので、consultant gynaecologistは、婦人科長ということかとも思うのですが、確信はありません。ご存知の方、ご教示ください。
Robarts医師は「確かに過激ですが、母親はこういうことをやりたいというだけの説得力ある議論をしていると思います」。
(しかし、アシュリーの前例がなければ、Katieの母親が言っていることだけで「説得力がある議論だ」とは誰も思わなかったでしょう。つまり、彼女の説得力はアシュリーの親が展開した議論の上に立って初めて成り立っているものです。ところが当ロブログで指摘しているように、そのアシュリーのケース自体が、実は表に出ているのとは全く違う話だったのだとしたら……?)
母親が求めているのは子宮と盲腸の摘出。子宮についてはアシュリー事件以前にも考えていたようですが、盲腸の摘出はアシュリーの親のブログがヒントになって考えたことのようです。成長抑制ももっと早くに知っていればやりたかったけれど、既に15歳となれば今更どうにもできないので残念そうです。
地元のニュースサイトICEssexの記事には、母親のちょっと気になる発言が。
Katieには痛みという概念が理解できません。出血が何処から来るのか分かりません。だから生理を体験するのは彼女のためによくないのです。
もしも分かったとしても、自分の知らない人に生理用品を換えてもらうのは尊厳がありません。
Katieが発達を続けることにメリットはありません。大人に成長することはないし、子どもを生むわけでもないですから。
もしも分かったとしても、自分の知らない人に生理用品を換えてもらうのは尊厳がありません。
Katieが発達を続けることにメリットはありません。大人に成長することはないし、子どもを生むわけでもないですから。
この記事で彼女は自分の立場をアシュリーの親と引き比べているのですが、確かに上記の発言は、アシュリーの親が主張したことの非常に大雑把な焼き直しに過ぎません。その大雑把で乱暴な論理展開には、ずうっとやりたかった母親がアシュリー事件でこれ幸いと勢いづいてしまっただけ、という図を想像してしまうのですが、それにしても気になるのは太字にした部分。
もし(生理のメカニズムについてKatieが)分かったとしても……?
一応、事実に反する仮想として提示されてはいますが、どの記事にもKatieの障害は「脳性まひ」とされているのみで、知的障害については触れられていないのです。「脳性まひ」は身体障害です。もちろん知的障害があるからやってもいいという論理は成り立ちませんが、Katieの脳性まひだけを根拠に「この子には分からないから」というのは筋が通りません。その上で「もし分かったとしても」という母親の発言を考えると、どうもこの人の言うことには、アシュリーの親が展開した理屈に重ねるための、都合のいい飛躍があるのではないかと疑わしい気がします。
さらに「生理が理解できるとしても、よく知らない人に生理用品を交換してもらうのは尊厳がない」という理屈が通るならば、他人にオムツを替えてもらう障害者、高齢者はみんな尊厳がない事態に直面しているのであり、それを避けるために彼らの体に手を加えても許されることになるのでは?
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ついでに英国の脳性まひ者の人権擁護チャリティScopeについて追加情報を。
Scopeは、母親が望んでいるKatie Thorpeの子宮摘出について、10月8日付でホームページに反対声明を出しています。(前のエントリーで紹介したガーディアン紙は、この声明文を引用したもののようです。)
また、Scopeは“アシュリー療法”論争を受けて、障害児の人権擁護のためのキャンペーンThe Ashley X Campaignも行っています。
なお、“アシュリー療法”論争の際のScopeの批判はBBCの記事Ashley – the disability perspective (1月5日)に。
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Scopeの他に、Katie のケースに「受け入れがたい」、「優生思想以外のなにものでもない」と批判の声を上げている障害者団体として、the UK Disabled People's Council。
2007.10.09 / Top↑
the Guardian紙に、エセックスで重症脳性まひの15歳の女児Katie Thorpeに母親が子宮摘出を希望しているとの記事が。
母親は毎月の生理の不快を回避する目的で子宮摘出することが本人の最善の利益にかなうと主張。ただし、自分の娘についてのみ正しい決定であると主張しているのであり、(アシュリーの親のように?)全ての障害児がこの手術を受けるべきだなどと言うつもりはないのだと繰り返し強調しています。
これに対して障害者の人権擁護チャリティScopeは本人の基本的人権の侵害であるとして、激しく批判。医師らが親を支持していることに強い懸念を表明しています。また「このケースが認められることによって、今後イギリス国内の他の障害児への影響が大きい。社会に都合のよいように子どもの方を変えるのではなく、社会の方が子どもを受け入れていけるように変わるべきである」などと批判。Scopeの弁護士は、本人の最善の利益というよりも基本的人権の問題だとし、Katieには独立した法的代理人が付く権利があると主張しています。Scope could potentially make legal representations over the case. とあるのは、Scope がKatieに代わって代理訴訟を起こすということもありうるということでしょうか。
記事は何度もアシュリー事件に触れています。
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実はこの記事を読み、Katieという名前に見覚えがあったので、手元のアシュリー事件のファイルを探してみました。やはり、そうでした。Katieの母親は、今年1月に“アシュリー療法”論争が沸騰した直後、「うちの子にもやって」と手を挙げて話題になった人でした。この中で母親は、これまでも子宮摘出を希望してきたが医師がやってくれなかった、医師からはピルを飲むか3カ月おきのホルモン注射を提案されたが、それでは副作用が心配だと語っています。またアシュリーの親はとても勇気があると思う、自分も訴訟を起こしてでもやろうという気持ちになったとも、語っています。なお、父親はいませんが内縁関係の男性がKatieのケアを手伝っているとのこと。Katieには障害のない妹が一人。
(この記事には母子の写真があり、美容院でパーマをかけてもらっているKatieは、明らかにその状況を楽しんでいるように見えます。記事の中でも、脳性まひがあるとされてはいますが、知的障害については特に触れられていません。)
もちろんthe Daily Telegraphは今回も記事にしていました。
タイトルが語っているように、母親への支持を鮮明にした記事。母親も、批判に対して「とても腹が立つ」と述べ、「毎日こういう子を世話していない人には分からないこと」だと、アシュリーの父親のブログと同じことを言っています。
記事に対する読者からの書き込みも、“アシュリー療法”論争の時と同じ、「親が愛情からすることに外野は文句を言うな」的なヒステリックな擁護論が続いているのが気になります。
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2007.10.08 / Top↑
10月4日のニューヨークタイムズに、「Mom Jobって本当に必要?」Is the Mom Job Really Necessary? という記事があるのですが、
Mom Jobは、Mommy Makeoverとも称され、妊娠・出産・子育てで崩れた女性の体を美容形成で “造り替え”することなのだとか。具体的には、垂れ下がってきた乳房の引き上げ、お腹の引き締め、脂肪吸引。そういう”ママ改造”が流行っているが、いかがなものか……と。
Mommy Makeoverのホームページはこちら。(ちなみにMakeoverとはそっくり最初から作り直すこと。)
このサイトを運営している形成外科医の一人は、垂れ下がってきた乳房の引き上げに、Stevens Laser Bra(スティーブンス先生のレーザー・ブラ)なる新たなテクニックを開発したのだそうで、そのホームページはこちら。
ここのキャッチは the Stevens Laser Bra for Breast Lift, Breast Reduction, Breast Enlargement。おっぱいを引き上げるのも小さくするのも大きくするのも、スティーブンス・レーザー・ブラならお好みのままなのですね。(じゃぁ、アシュリーに6歳のうちから外科手術なんか必要なかったじゃないか……って、そういう問題ではないのですが。)
レーザーを当てると皮膚が縮む原理を利用してしわ取りが行われていることからStevens先生が思いついたのが、乳房の皮膚を同じように縮ませれば引き締めになり、それにつれて垂れ下がったおっぱいも引き上げられるじゃないか……おお、これは内蔵型ブラジャーとも呼べる新技術だ……てなことだったようです。年月を経た後に思わぬトラブルなど起きなければいいですが。
驚いたのは、ここでもまた外見を強化(enhance)するという表現が使われていること。トランスヒューマニズム系の人の言うことを読んだり聞いたりしていると、食傷するほど目に耳にする言葉なのですが、こんなのまでenhanceになるとは。
さらに、レーザー・ブラを考案したStevens先生の相棒Stoker先生が“ママ改造“を正当化する言葉に漂う、どこかでお馴染みの胡散臭さ。
The severe physical trauma of pregnancy, childbirth and breast-feeding can have profound negative effects that cause women to lose their hourglass figures.
妊娠、出産、そして授乳がもたらす重症の肉体的外傷は女性に重篤な悪影響を及ぼし、砂時計のような体形を失わせる原因となります。
妊娠、出産、そして授乳がもたらす重症の肉体的外傷は女性に重篤な悪影響を及ぼし、砂時計のような体形を失わせる原因となります。
たかが、おっぱいがしぼんだり垂れ下がったり、お腹の皮がたるむくらいのことが「重症の肉体的外傷」で、砂時計のような体形を失うのが「重篤な悪影響」???????
ニューヨークタイムズは、
多くの女性は老化と妊娠が体に及ぼす影響と闘っている。しかし、ママ改造のマーケッティングは、妊娠と出産という悪病には奇形をもたらす後遺症があり、それがメスとチューブで修正可能であるかのように言いなして、出産後の体を病的な状態だと思わせようとしている。
と批判しています。
知的障害のある女性が「砂時計のような体形(アシュリーの父親の言うfully formed womanですね)」を持つことが「異常なこと」視されるのと、出産後の女性が「砂時計のような体形」を失うことが「異常なこと」視されることとの間には、全く同じ、なにかとんでもなくコトの軽重を誤った価値観が存在するのではないでしょうか。
それとも同じなのは、巧みに言葉を操って間違った価値観へと誘導しようとする論理の摩り替えの方……?
例えばDeikemaや両親の弁護士がアシュリーの子宮と乳房芽の切除を「医療上の必要」と称したような?
2007.10.06 / Top↑
カーツワイルの「ポスト・ヒューマン誕生」の中でHughesやBostromらと同じく引用されている人物に、Ramez Naamという人がいます。やはりthe Institute for Ethics and Emerging Technologies(IEET) のディレクターの一人で、同じく世界トランスヒューマニスト協会(WTA)のメンバー。
「神を演ずること」は人間性のもっとも高度な表現である。われわれ自身を改良し、周囲の環境に打ち勝ち、子孫に最善の将来を用意しようとする衝動は、人間の歴史を突き動かす力の源であり続けている。このような「神を演ずる」という衝動がなければ、今日あるような世界は存在しなかったろう。いまだにわずか数百万の人間がサバンナや森林に暮らし、狩猟と採集によってかろうじて生計を立てていたはずだ。書物や歴史や数学はなく、自分たちの属する宇宙や自身の内なる働きといった複雑な事柄を理解することもなかっただろう。
ラーミズ・ナム (P.382)
ラーミズ・ナム (P.382)
上記はカーツワイルの著書に引用されている箇所ですが、Naamも2005年に著書を出版しており、その著書More than Human: Embracing the Promise of Biological Enhancementによるトランスヒューマニズムへの貢献に対して、WTAから表彰されています。(TWAのキャッチはBetter Than Well ですが、この本のタイトルは More Than Human。「もっと」というのが大好きな人たちなのです。)
この本も 「超人類へ!バイオとサイボーグ技術がひらく衝撃の近未来社会」と題して翻訳されています。
私がこの本を読んだのは、アシュリー事件の背景にある事情が見えてきた、確か3月ごろだったと思います。両親のブログに引用されていたDvorsky → DvorskyとHughesの繋がり → 世界トランスヒューマニズム協会……とたどっていった先で出てきたのがこの本。実はガザニガよりもカーツワイルよりも先に読んだ本で、トランスヒューマニズム系ではこの本が初めてでした。まだトランスヒューマニズムが一体どういう思想なのか全貌が見えていない状態で読み、いわば私にとっては入門書になったものです。そのためか、Naamの論理は“アシュリー療法”論争で耳にしたリーズニングと非常に近似しているのではないかと、読み始めてすぐに、ほとんど驚愕する思いでした。(その後もう一度読み返してみると、トランスヒューマニズム系の本はどれもこれも同じことを無個性に繰り返しているだけのように感じられ、退屈ですらあるのですが。)
書かれている内容については、ちょっと先になりますがエントリーを改めて書きたいと思っています。ここで取り急ぎ触れておきたいのは著者Ramez Naam のプロフィール。訳書の帯から。
科学技術者。世界中で活用されているマイクロソフトのInternet ExploreとOutlookの開発者のひとり。バイオテクノロジーやナノテクノロジーなどの最先端技術と近未来社会について洞察する若きリーダー。ナノテク企業のCEOを務め、また現在、マイクロソフトのインターネット検索テクノロジーのプログラム・マネージャーとしても活躍している。
2007.10.06 / Top↑
Calvin大学が毎年1月に恒例で行っている講演月間 Janurary Series で、アシュリー論文の執筆者の一人Diekema医師が講演する模様。
演題は
Love, Justice, & Humility: A Bioethicist Meets the “Pillow Angel”
愛、正義、そして謙虚 : 生命倫理学者“枕の天使”と出会う
愛、正義、そして謙虚 : 生命倫理学者“枕の天使”と出会う
2008年1月18日午後12時半から、講演はRealAudioでライブで聴けるようです。
詳しくは以下に。
詳しくは以下に。
2007.10.05 / Top↑
アシュリーの父親はDvorskyを引用するに当たって、
彼がトランスヒューマニストであることを知らなかったのでしょうか。
彼がトランスヒューマニストであることを知らなかったのでしょうか。
問題の「グロテスク」発言とは、
Dvorskyが去年11月6日に自分のブログSentient Develpmentsに書いた
Helping families care for the helplessという記事の一部です。
記事は10月の担当医らの論文発表を受けて書かれたもの。
まだこの段階では広くメディアが取り上げる騒ぎには至っていませんでしたが、
一部の専門家の間では批判の声が上がっていた頃です。
Dvorskyが去年11月6日に自分のブログSentient Develpmentsに書いた
Helping families care for the helplessという記事の一部です。
記事は10月の担当医らの論文発表を受けて書かれたもの。
まだこの段階では広くメディアが取り上げる騒ぎには至っていませんでしたが、
一部の専門家の間では批判の声が上がっていた頃です。
アシュリーの父親はこの一文を読んだ時に、数少ない理解者の力強い発言に喜んだのかもしれません。
しかし、それだけで単純に引用するとも思えません。
自分の文章に引用するには、それがどういう背景を持つどういう人物によって書かれたものか、
普通はチェックするはず。
まして年明けのブログは父親にとって極めて重要な立場表明だったはずです。
しかし、それだけで単純に引用するとも思えません。
自分の文章に引用するには、それがどういう背景を持つどういう人物によって書かれたものか、
普通はチェックするはず。
まして年明けのブログは父親にとって極めて重要な立場表明だったはずです。
一方、問題のDvorskyのブログはというと、何処をどう見てもトランスヒューマニズムそのもの。
そも、ブログの副題が以下のように明白にトランスヒューマニズムを謳っているのです。
Transhumanist and technoprogressive perspectives on science, philosophy, ethics, and the future of intelligent life
George P. Dvorsky’s Blog.
トランスヒューマニストと技術進歩の観点から見る科学、哲学、倫理学そしてインテリジェントなライフの未来
George P. Dvorskyのブログ
George P. Dvorsky’s Blog.
トランスヒューマニストと技術進歩の観点から見る科学、哲学、倫理学そしてインテリジェントなライフの未来
George P. Dvorskyのブログ
Dvorskyとトランスヒューマニズムの繋がりに気づかないまま、不用意に引用した……ということは、
まずありえないのでは???
まずありえないのでは???
―――――――
そこで、新たな疑問が生じます。
では、なぜアシュリーの父親はこのブログから引用する際にトランスヒューマニズムに触れず、
「倫理と新興技術研究所(IEET)の理事会メンバーであるDvorsky」とのみ紹介したのでしょうか。
「IEETの理事会メンバー」ではDvorskyについて何も説明していないに等しいというのに?
「倫理と新興技術研究所(IEET)の理事会メンバーであるDvorsky」とのみ紹介したのでしょうか。
「IEETの理事会メンバー」ではDvorskyについて何も説明していないに等しいというのに?
父親のブログの本文末尾にある参考文献の[4]は上記Dvorskyのブログの当該記事なのですが、
そこに書かれているのは、
そこに書かれているのは、
[4 ] “Helping families care for the helpless”. George Dvorsky. Sentient Developlments. Institute for Ethics and Emerging Technologies. November 6th, 2006.
これではDvorsky個人のブログではなく、まるでIEETのサイトの記事のように見えます。
ブログタイトルSentient Developmentの次に
トランスヒューマニズムを謳った副題がくるのならともかく、
このブログとは直接関係がないIEETの名前が入っているからです。
出典の提示の仕方としては不正確であり、はっきり言ってウソでしょう。
トランスヒューマニズムを謳った副題がくるのならともかく、
このブログとは直接関係がないIEETの名前が入っているからです。
出典の提示の仕方としては不正確であり、はっきり言ってウソでしょう。
もしかしたら、アシュリーの父親はDvorskyとトランスヒューマニズムとの関りを知っていたからこそ、
自分のブログに引用するに当たって、その繋がりを隠したかったのでは……?
自分のブログに引用するに当たって、その繋がりを隠したかったのでは……?
そのために、もっともらしい研究機関の名前然としたIEETを持ち出してきたのでは……?
【追記】その後、気がついたのですが、
IEETのサイトにも同じ文章が転載されていることから考えると、
出典としてウソだということにはならないのかもしれません。
Sentient Develpment と IEETが別のサイトであることを考えれば、
やはり何食わぬ顔で併記しているのはヘンだ、オリジナルの出典のみを出すべきだろうとは思いますが。
IEETのサイトにも同じ文章が転載されていることから考えると、
出典としてウソだということにはならないのかもしれません。
Sentient Develpment と IEETが別のサイトであることを考えれば、
やはり何食わぬ顔で併記しているのはヘンだ、オリジナルの出典のみを出すべきだろうとは思いますが。
2007.10.05 / Top↑
a fully formed woman
寝たきりの重症重複障害のある人間がa fully formed womanとしてさらに成長していくことがグロテスクだ
と、父親は言ったのでした。
と、父親は言ったのでした。
a fully developed adult でも a fully developed woman でもなく、
a fully formed womanであることに注目してください。
a fully formed womanであることに注目してください。
彼の意識が問題にしているのは発達でも成長でもなく、”体つき”なのですね。
初めて両親のブログを読んだ時から、ずっと尾を引いている疑問なのですが、
もしもアシュリーの母親が巨乳の家系でなかったら、
そしてアシュリーが早熟な乳房の発達の兆しを見せていなかったら、
それでもこの父親は乳房芽の摘出などというアイデアを、果たして考え付いただろうか。
そしてアシュリーが早熟な乳房の発達の兆しを見せていなかったら、
それでもこの父親は乳房芽の摘出などというアイデアを、果たして考え付いただろうか。
親のブログで乳房芽切除の理由を説明する部分は、
「授乳することが無いのだから、アシュリーには発達した乳房は必要ありません」
との一文で始まっています。
「授乳することが無いのだから、アシュリーには発達した乳房は必要ありません」
との一文で始まっています。
初めてこのブログを読んだ時に、私はこの箇所で
「胸が小さくても授乳はできるのに?」という疑問を持ちました。
進化論的には女性に乳房があるのは授乳という目的のためかもしれませんが、
だからといって「授乳するために乳房は発達して大きい必要がある」というわけではないでしょう。
授乳の機能と実際の乳房の大小は無関係です。
したがって「授乳しないんだから乳房は小さいままでいい」という父親の理屈は、
どう考えてもナンセンス。
「胸が小さくても授乳はできるのに?」という疑問を持ちました。
進化論的には女性に乳房があるのは授乳という目的のためかもしれませんが、
だからといって「授乳するために乳房は発達して大きい必要がある」というわけではないでしょう。
授乳の機能と実際の乳房の大小は無関係です。
したがって「授乳しないんだから乳房は小さいままでいい」という父親の理屈は、
どう考えてもナンセンス。
彼のホンネはむしろ無防備にメディアの電話取材でしゃべった際の、
この言葉の選択に現われているのではないでしょうか。
a fully formed womanとは、ぶっちゃけていえば
「大きなおっぱい、くびれた腰に丸くて大きなお尻を持った女体」、
「男性に性的にアピールする体つき」ということでしょう。
授乳がどうこうというのは後付けのアリバイ的いいわけに過ぎず、
重い知的障害を持つ自分の娘が巨乳になることが彼にはグロテスクに感じられた、
それが生理的にイヤだっただけなのでは……?
この言葉の選択に現われているのではないでしょうか。
a fully formed womanとは、ぶっちゃけていえば
「大きなおっぱい、くびれた腰に丸くて大きなお尻を持った女体」、
「男性に性的にアピールする体つき」ということでしょう。
授乳がどうこうというのは後付けのアリバイ的いいわけに過ぎず、
重い知的障害を持つ自分の娘が巨乳になることが彼にはグロテスクに感じられた、
それが生理的にイヤだっただけなのでは……?
以前Dvorsky, Huges, Fostらの同様の発言について当ブログで指摘したこと
(男としての個人的な美醜感覚に過ぎない:知的障害のある女が大きなおっぱいなんて気色悪い……)は、
案外アシュリーの父親の感覚でもあったし、
それが乳房芽切除の一番大きな理由だったのでは……?
(男としての個人的な美醜感覚に過ぎない:知的障害のある女が大きなおっぱいなんて気色悪い……)は、
案外アシュリーの父親の感覚でもあったし、
それが乳房芽切除の一番大きな理由だったのでは……?
生後3ヶ月程度の知能しか持たない女が
(つまり、彼らには"女"として認めることのできない人間が)
大きなおっぱいを持ち、そのおっぱいで性的にアピールするのが嫌悪感に結びつくのだから。
(つまり、彼らには"女"として認めることのできない人間が)
大きなおっぱいを持ち、そのおっぱいで性的にアピールするのが嫌悪感に結びつくのだから。
彼らが許せないのは虐待する男の方ではなく、
(そんな資格もないのに?)男にアピールする女体を持っている知的障害者の方なのだから。
(そんな資格もないのに?)男にアピールする女体を持っている知的障害者の方なのだから。
2007.10.03 / Top↑
アシュリーに行われた成長抑制ならびに子宮と乳房芽の摘出を巡って、「この療法をグロテスクだと言う人がいるが、グロテスクなのは乳児並みの知的レベルしか持たない人間が成熟した女性の体に宿っていることの方だ」と言ったGeorge Dvorskyの発言が両親のブログに引用されていることは良く知られている事実です。
またDvorskyと同じトランスヒューマニストであるJames HugesもCNNに出演した際に全く同じ発言をしています。
トランスヒューマニズムと直接のつながりは確認できませんが、様々なところで主張していることを聞くと、彼らに非常に近いスタンスが感じられるNorman Fost医師(アシュリーの担当医Diekema医師の恩師に当たる人物)も、知的障害の重い大人はその精神と肉体のギャップが「気持ちが悪い」と言い、シボレーのエンジンを搭載したキャデラックのようなものだという意味の発言をしています。
あまり知られていないことのようですが、実はもう一人、上記と同じ「グロテスク発言」をした人がいたのをご存知でしょうか。
その発言が掲載されているのは1月4日のガーディアン紙の記事です。
We have also been criticized for harming Ashley’s dignity. But for us, what would be grotesque would be to allow a fully formed woman to grow up, lying helplessly and with the mentality of a three-month-old.
我々はアシュリーの尊厳を傷つけたとも非難されています。しかし、我々にとってグロテスクなのは、ちゃんと成熟した女性の体になったアシュリーに、何もできない寝たきりで生後3ヶ月のメンタリティのまま、さらに成長を続けさせることなのです。
我々はアシュリーの尊厳を傷つけたとも非難されています。しかし、我々にとってグロテスクなのは、ちゃんと成熟した女性の体になったアシュリーに、何もできない寝たきりで生後3ヶ月のメンタリティのまま、さらに成長を続けさせることなのです。
前日3日の夜、ガーディアン紙の電話インタビューに対して答えたアシュリーの父親自身の言葉です。親のブログはDvorskyのグロテスク発言を引用しただけだと一般には考えられていますが、実際は父親はここで、「グロテスク」という言葉を自分自身の言葉としても使っているのです。
また、どのような状況下で、いつの発言を意味しているのか確認できませんが、FostがScientific Americanの記事の中で、「発達段階にふさわしい小さな体のほうがfreak(怪物)にならずにすむ」との父親の主張を支持する際に、この中のfreakという言葉についてカッコで「自分が言ったのではなく父親の言葉」との注をつけています。
――――――
初めて両親のブログ(書いたのは父親です)を読んだ時から、ずっと引っかかりを覚えているのですが、私自身は我が子に関して「グロテスク」という形容は、仮に他人からの引用であったとしても、まず、ありえない……と感じます。わが子を形容する言葉としてはあまりに抵抗がありすぎます。
どうしても同じような内容のことを表現しなければならない場面というものがあり得たとしても、多くの親は、わが子を形容するのであれば、恐らく別の言葉を選択するのではないでしょうか。よほどテレから露悪的になったりジョークで使う場合を除けば、Freakも同様でしょう。
同じ人の子の親として私にはとても不思議なわが子への目線なのですが、「グロテスク発言」が親のブログで引用されている他人の言葉であるだけではなく、父親自身の言葉でもあることは、大きな意味を持った事実ではないでしょうか。
2007.10.01 / Top↑
カーツワイルの「ポストヒューマン誕生」から、
本書の要旨がコンパクトにまとめられている箇所を以下に。
本書の要旨がコンパクトにまとめられている箇所を以下に。
21世紀前半は3つの改革が同時に起きた時代であったと、いずれ語られることになるだろう。その3つとは、遺伝学(G)、ナノテクノロジー(N)、ロボット工学(R)である。これらの革命は、先に述べたエポック5、すなわち特異点singularityの黎明期を告げるものだ。現在「G(遺伝学)」革命はその初期段階にある。われわれは生命の基盤となっている情報プロセスを理解して人類の生命活動プログラムを作り直し、事実上全ての病を撲滅し、人間の可能性を飛躍的に広げ、寿命を劇的に延ばそうとしているのだ。
……(略)……
「N(ナノテクノロジー)」改革によって、この肉体と脳、そして我々と相互作用している世界を──分子ひとつひとつのレベルで──再設計・再構築できるようになり、人間は生物の限界をはるかに超越できるだろう。そして、今まさに起きようとしているもっとも力強い革命は「R(ロボット工学)」革命である。人間並みのロボットが生まれようとしており、その知能は、人間の知能をモデルとしながら、それよりはるかに優れている。知能とは全宇宙でもっとも強い「力」であるため、R革命は一番重要な変革となる。知能は発達し続けると、いずれは前途に立ちはだかるどんな障害も予知し乗り越えられるほどに、言うなれば、賢くなる。(p.252-253)
……(略)……
「N(ナノテクノロジー)」改革によって、この肉体と脳、そして我々と相互作用している世界を──分子ひとつひとつのレベルで──再設計・再構築できるようになり、人間は生物の限界をはるかに超越できるだろう。そして、今まさに起きようとしているもっとも力強い革命は「R(ロボット工学)」革命である。人間並みのロボットが生まれようとしており、その知能は、人間の知能をモデルとしながら、それよりはるかに優れている。知能とは全宇宙でもっとも強い「力」であるため、R革命は一番重要な変革となる。知能は発達し続けると、いずれは前途に立ちはだかるどんな障害も予知し乗り越えられるほどに、言うなれば、賢くなる。(p.252-253)
これら技術が障害者にもたらす恩恵として本書に書かれているのは、
①人工海馬(現在はラットでの実験段階)。
海馬の働きを数学的情報に置き換えてモデル化、
それをチップの上にプログラムした(することが可能になるのでは、と実験されている)もの。
海馬の働きを数学的情報に置き換えてモデル化、
それをチップの上にプログラムした(することが可能になるのでは、と実験されている)もの。
最終的には、この取り組みは、脳卒中やてんかん、アルツハイマー病などで障害を負った患者の海馬を代替するのに利用できるだろう。チップは脳の内部にではなく、患者の頭蓋の上に置かれ、2本の電極を損傷を受けた海馬の部分の両端につなぎ、それを通じて脳と通信する。電極線の1本は、脳の他の部分から入る電気的活動を記録し、もう1本は、必要な指令を脳に送り出す。 (p.226-227)
②人工オリーブ小脳回路。
平衡感覚と四肢の運動協調をつかさどるオリーブ小脳をモデル化した
人工の代替物を作ろうという研究。
平衡感覚と四肢の運動協調をつかさどるオリーブ小脳をモデル化した
人工の代替物を作ろうという研究。
身体が麻痺した患者について考えましょう。水の入ったコップを持ったり、服を着たり、脱いだり、車椅子に乗り込んだりといった、いろいろななんでもない動作を補助ロボットにやってもらえたら、患者の自立が進むのではないでしょうか。(p.226-227)
と、本書ではこの研究に携わっている国際的なチームのメンバーである
神経学者の言葉が引用されているのですが、同時に、
同グループが目指しているのは
「人工オリーブ小脳回路を、軍事ロボットや身体障害者を補助するロボットに利用することだ」
とも書かれています。
神経学者の言葉が引用されているのですが、同時に、
同グループが目指しているのは
「人工オリーブ小脳回路を、軍事ロボットや身体障害者を補助するロボットに利用することだ」
とも書かれています。
この数ページ先には、
「すでに国防高等研究計画局(DARPA)が、年間2400万ドルを投じて、
脳とコンピュータを直接連結する研究を行っている(p.235)」との記述も。
「すでに国防高等研究計画局(DARPA)が、年間2400万ドルを投じて、
脳とコンピュータを直接連結する研究を行っている(p.235)」との記述も。
そして彼は現に、
科学調査の優先事項について合衆国陸軍に進言する団体、
陸軍科学顧問団(ASAG)の5人のメンバーの1人(p.430)なのです。
科学調査の優先事項について合衆国陸軍に進言する団体、
陸軍科学顧問団(ASAG)の5人のメンバーの1人(p.430)なのです。
カーツワイルはこの後、
倫理基準や法的基準を整備することが緊急の課題であると主張するのですが、
それがどういう方向での整備を言っているかというと、
倫理基準や法的基準を整備することが緊急の課題であると主張するのですが、
それがどういう方向での整備を言っているかというと、
……現在の環境では、遺伝子治療試験で死亡事故でも起きれば、研究はひじょうに厳しく制約されるおそれがある。もちろんバイオ医療の研究を可能な限り安全に行うことは正当な要請だが、それにしてもリスクバランス(異種のリスク間の比較)は完全にずれている。遺伝子治療やバイオテクノロジーによるブレークスルーを切望している数百万の人々は、折にふれ喧伝される、こうした開発の過程で不可避だった少数の死亡者に比べて、政治的な重みをほとんどもっていない。(P.565)
つまり、多数の利益になるのだから、少々の人間はそのために死んだって仕方がない、
コラテラル・ダメージとして受け入れろ……というのが、
彼の意味する「倫理基準も法的基準も整備」であり、
コラテラル・ダメージとして受け入れろ……というのが、
彼の意味する「倫理基準も法的基準も整備」であり、
特異点に早く達して、早く超人類が実現し、みんながハッピーになるためには、
個々の人間など捨て石と切り捨てようということなのですね。
個々の人間など捨て石と切り捨てようということなのですね。
参加者を集めるプロセスでいかに安全へのセーフガードが無視されているかということでした。
参加者の安全よりも研究の進行のほうが優先されている実態は、
カーツワイルのコラテラルダメージ感覚にそのまま重なります。
(その後、彼女の死と治験との間に因果関係が実証できなかった、という続報も出ていますが、
それがまたコワイ話かも……?)
カーツワイルのコラテラルダメージ感覚にそのまま重なります。
(その後、彼女の死と治験との間に因果関係が実証できなかった、という続報も出ていますが、
それがまたコワイ話かも……?)
こうしたことを考え合わせつつ、上記の障害者のための研究を振り返ると、
どうも素直に受け取れない。
どうも素直に受け取れない。
特に、軍事利用と障害者のための技術利用が平行して語られる文脈がひっかかります。
障害された能力を補う科学研究とは、
実はその先にある人間の通常の能力を強化する研究(例えば、より戦闘能力の高い兵士とか)の、
いわば“パイロットスタディ”にもなるんじゃないのか……と。
障害された能力を補う科学研究とは、
実はその先にある人間の通常の能力を強化する研究(例えば、より戦闘能力の高い兵士とか)の、
いわば“パイロットスタディ”にもなるんじゃないのか……と。
「ポストヒューマンの未来は障害者にとってもバラ色」的に恩着せがましく言われても、
障害者を対象にした研究成果がその後の軍事利用やマジョリティの利益に繋がる領域にしか、
しょせん資金は集まらないでしょう。
障害者を対象にした研究成果がその後の軍事利用やマジョリティの利益に繋がる領域にしか、
しょせん資金は集まらないでしょう。
いや、それどころか、
知能偏重の価値観を持つ彼らにとって
Peter Singerが主張するように知的障害者には犬や猫以下の価値しかないのだとすると、
真っ先に都合のよいコラテラルダメージ候補とされるのでは……。
知能偏重の価値観を持つ彼らにとって
Peter Singerが主張するように知的障害者には犬や猫以下の価値しかないのだとすると、
真っ先に都合のよいコラテラルダメージ候補とされるのでは……。
2007.10.01 / Top↑