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Ashley問題で抗議行動を続けているFRIDAのブログにも
1月18日付で Michigan Activists at Ashley X Debate Todayという記事があり、
Diekema講演を聴きに行った障害者の人権アクティヴィストからの報告が
簡単に取り上げられています。

それによると、
600人収容のホールに1000人くらいの聴衆があふれ、
入りきれなかった人たちは別室に案内されたとのこと。

Diekema医師が講演後に答えた質問は2つだけで、
その2つとは
「倫理委のメンバー数」と
「Ashleyの親は社会サービスの利用を真剣に検討したのかどうか」。

後者の質問は、mlive.comの記事で紹介されていたEngle氏のものと思われます。

今日の段階でリンクはまだ上記のmlive.comの記事のみですが、
FRIDAでは講演を聴きに行った人からの報告を募っており、
情報があり次第リンクを張るとのこと。


FRIDA 関連エントリーは以下。

2008.01.22 / Top↑
前のエントリーで紹介したDiekema講演の模様を伝える記事から、
当日会場から出た障害当事者の発言と重症児の母親の言葉を。

Engle という車椅子の男性は
Ashleyの親と医師らのしたことは一線を越えているとし、

Ashleyは現在10歳だが、いずれ女性に成長し、
おそらく両親の方が先に亡くなるだろう。
それでも親が自分に代わって決定したことのツケを
払い続けなければならないのはAshley本人だ

この決定はAshley本人のものではない。


また同じく車椅子のJaoseph Stramondoは、
(生命倫理と哲学の博士号取得を目指して勉強中)

重症児の場合は親が主に意思決定をするべきだろうが、
コトが医療上の必要のない処置となれば話が複雑になってくる。

医師らがやったことはAshleyの病気を治すわけではない。


障害者の人権アドボケイトのNella Uitvlugtは、

車にバンパーを取り付ける仕事をする人の自給は30ドルなのに、
グループホームで働く人の自給は8ドル。
問題を抱えているのは我々の社会の方。

(これ、今日本で問題になっている介護職の処遇の問題と重なりますね。)

これに対して、
前のエントリーでも登場していた23歳の重症障害者Rachelの母親は

認知レベルがこんなに低かったら親がやるしかない。
親が決めているのは、
なんでもかんでも親が決めることになるからです。


25歳の重複障害者Mikoyaの母親は

子どもは一人ひとり違うから意思決定は個々に行われるべきです。
気管切開も経管栄養も、決断する時は大変な思いをしました。
それでも決断は私がするしかありませんでした。



ただし、冒頭のEngle以外は、全てが会場の討議の場で出た声ではなく、
この記事の取材である可能性もあります。
2008.01.22 / Top↑
Diekema講演当日の模様を報じるニュース記事が出ていました。
会場は満員で車椅子の人も相当数詰め掛けたようです。

Group debates ethics of disabled child’s care
mlive.com (Chronicle News Service) January 19, 2008

しかし、正直、この記事はショックでした。

読んで真っ先に感じたのは、
「もう流れは作られてしまったのではないか」という強い危機感。

そして、この流れを意図的に作ろうとしている人たちがいるとしたら、
彼らの持っている力の強大さと巧妙さ、したたかさ。その不気味。

実際に障害のある人たちが会場で何を言ったのかについては
次のエントリーでまとめますが
ここでは、危機感のアンテナに引っかかった部分について。


会場に車椅子の人たちが多数つめかけたことが、
むしろDiekemaサイドには思う壺だったのではないか
と私には感じられてならないのです。

車椅子だというだけでも
相手によっては奇異な目を向けられることのある人たちです。
何人も集まると、異様な集団のように見てしまう人も少なくないでしょう。

加えて、この問題では
既に彼らには「子を愛する親の前に立ちはだかる存在」というラベルが貼られてしまっています。

障害のある人たちが不自由を押して出かけていけば行くだけ、
彼らは会場からは浮き上がって
「抗議行動のために大挙して押しかけてきた異様な集団」
「攻撃的・敵対的な雰囲気を持ち込んできた」という目で見られてしまう。

抗議の声を上げれば上げるだけ、
その内容や思いではなく、
声の大きさばかりが響いてしまう。

彼らを待っていたのは、
そういう舞台だったのではないでしょうか。

そういえば講演前にDiekema医師は
同窓会誌で長いインタビューを受けたり
地元メディアの取材を受けたりするなかで、
「抗議の声を上げたのは障害者だけ」
障害者団体からの嫌がらせがひどいので」などと、
さりげなく予見の種を蒔いてもいましたね。
きっと当日の会場の様子を想定していたのでしょうね。

(さらに、そういえば、
 インタビューの数週間前にAshley父とランチを食べたとも言っていましたね。
 あれだけ大きな会社でモノを売る世界規模の戦略を立ててきた人だということを
 つい今まで忘れていましたが。)
 


        ――――

そして予め仕組まれていたと思われる講演後の討議での1コマ。

モデレーターの小児科医Ronald Hofmanが
23歳の重症障害のある娘を持つ母親に尋ねるのです。

「もしも15年前に
Rachelを小さなままにしておくことができると医師から聞いたとしたら、
あなたはなんと答えていましたか?」

Rachelの母親はそれに答えて
「ありがとう、と」


Diekema講演はもしかしたら、
「親の愛」対「過激で自分勝手な障害者たち」
という対立の構図を浮き彫りにする場として、
実は機能してしまったのかもしれません。

ちょうど英国でDaily MailとTelegraphの報道が
とても複雑な問題をみんな話の外に追いやって
分かりやすい単純な対立の構図の中に全てを落とし込み、
障害者たたきを誘発したのと同じように。

       ―――――

もう1つ、
当日講演を聴きに行った人のブログ
BETHANY’S BLOGに寄せられたコメントにも
当日の雰囲気を伝える目撃エピソードがあります。
(このブログに書かれた講演の感想については、また改めて。)

講演の日に大学内の歩道橋で
1人の女性がDiekema医師批判のビラを配っていたところ
大学職員がやってきて「許可は取っているのか」と。
女性が「表現の自由だ」と答えると
職員は、「それでもここは私道だから」と大学セキュリティに連絡。
車が来て止まると、女性はぷりぷりしながら立ち去った、と。

どうも、嫌な雰囲気になってきました。

この感じ……。

イラクでボランティアやバックパッカーの人たちが誘拐された際に
手をこまねいている政府への批判が噴き出す寸前に、
「自己責任」という一言が流れを変え、
あっという間に世論をバッシングに傾斜させていった時のような。
2008.01.22 / Top↑