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英米でロボトミー手術の歴史が振り返られているようです。

継母との折り合いが悪く反抗的だったために
1960年に本人の同意どころか説明すらなく
Walter Freeman医師にロボトミー手術を行われたHoward Dully(58)氏は

奇跡的に後遺症を免れて
現在バスの運転手として働いており、
去年ジャーナリストCharles Flemingとの共著で自伝を出版。


また、つい数日前になりますが1月21日には
2005年に出版された医療ライターJack El-Haiの同名の伝記を元にした
1時間のTVドキュメンタリー番組“The Lobotomist”が放送されたようです。

“Lobotomist” Serves as a Warning
Washington Post January 15, 2008

米国にロボトミーを持ち込み、
功名心に逸って、根拠もない医療で多数の犠牲者を出した
Freeman医師の人物像を再検討する動きがあるようです。

しかし、WTの記事にあるように
このドキュメンタリーに描かれているのは
1人の男がいかに道をはずしていったかという軌跡ではなく、
 社会がいかに道をはずして行ったかという軌跡だ」
という面も忘れてはならないでしょう。


ObserverがFreeman医師の息子の1人にインタビューを行っています。
最初の手術に使われたのはFreeman家のキッチンにあったアイスピックだった、
21歳の時に父親の手術を見学し、
頭蓋骨が割れる音をいまだにはっきり覚えている、などと
衝撃的な証言をしている他、

父のことは大いに誇りに思っています。
父への評価はフェアじゃないと思う。
介入主義の外科医、パイオニアだった父には
たいへんな勇気があったと思う。


さらにHoward Dully氏へのロボトミー手術について感想を問われて、

(Dullyは)反抗的で人と協力するということもなく、
言ってみればコワイ奴だったわけだから、
あのままだったとしても、
どうせ行き着く先は刑務所か精神病院だったに決まっている。
Howardみたいな人がロボトミー手術を受けて
いつのまにかまともになっていたということは多いですよ。
Howardももう何年も自活しているし、
今では結婚もして妻との関係もいいわけだから。

この息子は医療関係者ではないのですが、
それでも医療行為を正当化する際に使われている理屈は
どこかの生命倫理学者と全く同じ「どうせ……」と「本人の利益」なのですね。



片や、被害者Dully氏のFreeman医師への現在の思い。

Freemanが悪人だったとは思いません。
考えが誤っていたのです。
自分では正しいことをやっていると思っていたのでしょう。
ただ、途中で辞めることができなかった。
問題はそこにあったのです。

この言葉、Ashleyの父親にぜひ届けたいですね。
2008.01.25 / Top↑
前回のエントリーに続いて、
療養病床廃止による病院からの高齢者の追い出しと同じことが
超重症児でも起ころうとしていることについて。


日本では今のところ、それほど
えげつない呼び方はされませんが
今の日本の超重症児を取り巻く現状は
英国で重症障害新生児たちが「ベッドふさぎ(bed blocker)」と
呼ばれ始める直前の状況と似ているように思われ、
それが不安です。

英国でも、まず高齢者の社会的入院が「ベッドふさぎ」と呼ばれて
病院で高齢者がはっきりと邪魔者扱いされました。
その数年後に、今度は
障害新生児によるNICUの「ベッドふさぎ」が原因で、
もっとポテンシャルのある患者の治療ができなくなっているとして
障害新生児の安楽死が言われ始めたのです。

しかし、
英国のKatie Thorpe親子が受けていた介護サービスを思い出してください。
ソーシャルサービスから介護者が派遣されています。
定期的に外出や宿泊のレスパイトサービスも受けていました。
養護学校への通学にはタクシー送迎が支給されていました。
それでもAlisonが語っていた介護者の負担はあれほど重いのです。

そんなサービスなど「ないないづくし」の日本で、
超重症児の在宅介護がどれほど重い負担であることか。
そこへ調整役を置いて“病床移行”させようというのです。

日本の場合は安楽死を云々する代わりに
支援が充分でないまま無理やり家庭に戻して、
親がケア負担を背負い続けた後で、
やがて力尽きたら、勝手に心中しなさいとでもいうつもりなのでしょうか。

英国のように「殺そう」という代わりに、親の責任で「連れて死ね」と?


     ―――――

「天漢日乗」という医師のブログで
この問題が取り上げられていました。

NICUの向こう側(その3)超低出生体重児の海外での扱い→追記あり
というエントリーの後半で日本の現状を分析し

少子化対策で不妊治療には補助をだすが、
生まれた子どもが障害児だったら知らないという
国の施策は見直すべきではないかと主張し、
以下のように述べています。

国はともかく、
重度心身障碍者の社会的コストを明らかにした上で、
福祉政策を立てていただきたい。

今の予算編成は
重度心身障碍者とその家族を追い詰める構造になっている。

それでも尚
高齢の母親や体外受精で多胎妊娠した母親に
少子化対策として「子どもを産ませる」つもりならば、
一定数は必ず生まれてくる重度心身障碍児のための施設の充実が必要である。

こうしたコスト計算を表に出さないのが 日本的優しさならば、
重度心身障碍者とその家族を「無理心中」に向かわせる圧力も、
日本的優しさの産物ということになる。

そう。
Ashley問題から英米の社会のあり方を覗き見るにつけ、
私もいつも思うのです。

一方で障害児・者を嫌悪し、
社会のお荷物扱いしながら、

またその一方で、
生殖補助医療やら配偶子の遺伝子操作やら、
障害児が生まれる確率を上げるような技術
喧伝・支援・推進するとは

それは一体どういう矛盾なのだ、と。
2008.01.25 / Top↑