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シカゴのKatie Jonesは
Ashleyや英国のKatieよりもさらに重症な、
いわゆる超重症児です。

現在、養護学校の2年生。

何度も呼吸が止まったことのあるKatieが
蘇生拒否の意思を明らかにして学校へ通っていることを巡って
去年12月に論争が起こりました。

Schools ponder role as child nears death
the Chicago Tribune, December 9, 2007


Katieの障害は出生前の無酸素脳症によるもので、
栄養は胃ろう。
感染を起こしやすく、
タンがのどに詰まると激しく咳き込んで急変します。
去年の11月には授業中に呼吸が止まりましたが、
幸い先生が抱き起こすと戻ったとのことです。

ただ、ここをしっかり押さえておきたいのですが、
記事の中でも学校へ行くのを喜んで笑顔になるとの記述があり、
Webのコメント欄での情報によれば、
Katieにはトーキング・エイドを使って意思表示ができていた事実もあるので、
超重症だからといって、決して植物状態でも意識がないのでもありません。

蘇生拒否(DNR:Do Not Resuscitate)を学校で受け入れるかどうかを巡っては、
すったもんだがあったようですが、
最終的に両親の思いを尊重することにした
特別教育district(日本の教育委員会に当たる)では
スタッフに対応の意識統一を図る一方で、
学校で生徒の死を看取ることになる可能性という不慣れな事態に
万が一の時には看護師・教師・生徒らに辛い状況もありうるかと懸念もある、と。

両親がDNRを決断した背景には法律がらみのジレンマがあるようです。

仮に家でKatieが死にそうになって救急車を呼んだ場合でも、
救急隊員には法律上、救命の義務があるために
どうしても侵襲的な処置をされ強い薬を投与されてしまうことになるとのこと。
しかも親から引き離されて、
死はしばらく先に延ばされるだけなのに、
その延びた時間はドタバタの混乱の中で過ぎていくことになってしまう。
そうしたジレンマの中で両親がDNRを覚悟したという事情。

学校で万が一の事態があった場合には
まず母親に電話し、次にパラ・メディックスを呼ぶ。
ただし母親が到着して救命するかどうかを判断するまでパラ・メディックスは待機する、
とのDNR指示となっています。
もちろん他の生徒には見えないように、すぐに保健室に移します。
学校でしてもよいのは吸引、酸素マスク、呼吸を楽にする姿勢介助。

またKatieにはホスピス支援で看護師がつけられているので、
連絡によって家に駆けつけ、母親が連れて帰った彼女のケアに当たります。

こうしたケースが徐々に増えており、
教育委員会によって対応も様々であることから
問題提起としてChicago Tribuneが取り上げたものです。

ニュースに寄せられたコメント情報からすると、
Katieのように非常に重症であったり医療的ニーズが高い子どもの場合には
障害者教育法(IDEA:Individuals with Disabilities Education Act)に基づいて
1対1対応の看護師がつけられるとのこと。

(私もワシントン州のある教育委員会で
特別教育の責任者から同じ話を聞きました。)

  ―――    ―――    ―――

医療がこれほど学校にも在宅にも届けられていない日本の現状では、
むしろ目を見張りつつ、
同時にいろんなことを考えさせられますが、

いろんなことを考えさせられるのはアメリカの人たちも同じだったようで、
私が最後に覗いてみた1月6日、
Webサイトの上記ニュースへのコメント欄には150のコメントがありました。
60読んだところで力尽きてしまったのですが、
ここでの論争について書いている障害当事者のブログもあったので、
それら記事を巡るコメント内容については、また改めて。
2008.01.08 / Top↑
昨日に引き続き、CNNのビデオで見つけた
面白い実験(試み?)について。

ビデオのタイトルは Sensitivity Suit(1月4日)。

Sensitivityという言葉をいろいろ考えてみたのですが、
今のところ私には適当な訳語が見つからず、
ここでは「誰かの身になって感じたり考えたりする能力・感受性」を言っているので、
ちょっと無理があるかもしれないけど「共感スーツ」かなぁ。

Sensitivityを離れて、機能で名づければ、
アリゾナの病院看護師Lorraine Foranさんが
独自に考案したセンシティビティ・スーツとは
いわば「肥満の疑似体験スーツ」。

アメリカでは、さぞ珍妙な仕掛けでしょうが、
正月番組でさんまとキムタクが着ていた「力士の着ぐるみ」をユニット化したようなもので、
日本人にはあまり違和感のないスーツです。

ビデオでは、
これを着用したLorraineさんが
病院の敷地内を歩き、
苦労しつつ階段を上る姿。

(スーツの上に衣服を着ているので、
 外見上はただの肥満体に見えます。)

肥満の患者さんはこのように物理的・身体的に様々な困難や差別に出会うほかにも、
このスーツを着て町のベンチに座っているだけで、
いかに社会が肥満の人に冷たい目を向けているか
その疎外感がひしひしと感じられる、と。

病院では「sensitivity トレーナー」という任務に当たる彼女が、
患者が受ける差別や肥満から来る苦しみなどについて病院職員に講義し、
どのように患者に対して共感的に接するべきか
熱心に説いている姿もあります。

インタビューでは
「患者さんの体だけでなくメンタルな部分の治療も大事ですから」と。

Orange郡のニュースサイトにForanさんが登場する関連記事がありました。

           ――――

このニュースから、ふっと思ったのですが、

認知能力はあるのに表出能力が限られているために
「どうせ何も分からない」と勝手に決め付けられてしまう
重症障害児・者の疑似体験というのを誰か考案してくれないものか。


たとえば Peter Singer だとか Norman Fost だとか、
そうそう、ぜひ Diekema医師にも、
拘束衣を着てもらったうえで、
ゼッタイにものを言ってはいけないというルールで
1日どこかのデイ・サービスで過ごしてもらう、

または、
車椅子に乗って拘束衣が見えないように毛布でくるみ、
そのまま誰かが押して街中に出る、
レストランで全介助で水を飲ませてもらい(必ずこぼれます)、
全介助で食事をする
(食べこぼしが散らばります。顔も汚れます。きっと満足感もありません)。
もちろん絶対に口を利いてはいけないのがルールで。

認知に問題があるどころか頭の切れは抜群の、
けれど外見だけは重症障害者となった彼らに、
はたして周囲がどんな目を向けるものか──。

女性の腰のくびれとテストスコアの相関を調べるよりも
こっちのほうが、よほど有意義な実験ではないかと
私は思うのですが。
2008.01.08 / Top↑