昨年11月のオーストラリアの政権交代で労働党の新政権でイノベーション相となったKim Carr氏が
科学研究の予算を削ってきた過去10年の施策を批判し、
威勢のいい気炎を吐いています。
科学研究の予算を削ってきた過去10年の施策を批判し、
威勢のいい気炎を吐いています。
組織的な詳細や
彼の発言を巡って野党側から出ている批判などについて興味がおありの方には
上記記事を直接当たってもらうとして、
彼の発言を巡って野党側から出ている批判などについて興味がおありの方には
上記記事を直接当たってもらうとして、
Carr氏が言っていることは基本的には
「これまで政治的な正しさによって萎縮させられて
モノを言う気力すらなくしてしまった科学者に
もっと堂々と意見を言わせよう。
科学者が活躍できる環境を取り戻そう」
ということのように思われるのですが、
「これまで政治的な正しさによって萎縮させられて
モノを言う気力すらなくしてしまった科学者に
もっと堂々と意見を言わせよう。
科学者が活躍できる環境を取り戻そう」
ということのように思われるのですが、
そのために彼は科学を個々人の身近なものにしようと語り、
科学者には自分たちを働かせてくれるコミュニティに奉仕する“義務”があると
科学者らに呼びかけます。
その奉仕の義務をどのように果たせといっているかというと、
科学者には自分たちを働かせてくれるコミュニティに奉仕する“義務”があると
科学者らに呼びかけます。
その奉仕の義務をどのように果たせといっているかというと、
人々をもっと金持ちに、もっと健康に、もっと頭がよく、もっと安全にすることによって
コミュニティへの奉仕ができる。
我々のこの傷つきやすい惑星を救う道を見つけることによって、できる。
人々の人生を美と希望と感嘆で満たすことによって、できる。
コミュニティへの奉仕ができる。
我々のこの傷つきやすい惑星を救う道を見つけることによって、できる。
人々の人生を美と希望と感嘆で満たすことによって、できる。
地球を救うのはともかくとして、
なんだか、
「とりあえず大衆の目先の欲望に応えてやれ。
そうすれば科学の力を見せ付けて社会から信頼を勝ち取り、
これまでみたいに政治的正しさに遠慮しなくても
思う存分好きなように研究できるんだぞ」
と檄を飛ばしているように聞こえるし、
なんだか、
「とりあえず大衆の目先の欲望に応えてやれ。
そうすれば科学の力を見せ付けて社会から信頼を勝ち取り、
これまでみたいに政治的正しさに遠慮しなくても
思う存分好きなように研究できるんだぞ」
と檄を飛ばしているように聞こえるし、
この文脈でよくよく考えてみると、
彼が言う「政治的正しさ」とは「先進科学における倫理問題」のことではないでしょうか。
彼が言う「政治的正しさ」とは「先進科学における倫理問題」のことではないでしょうか。
例えば長く議論されていた
ES細胞研究におけるヒト胚の破壊という倫理問題においても
科学者の側からは「倫理問題がうるさくて自由な研究が出来ない」という声も
起こっていたわけですが、
ES細胞研究におけるヒト胚の破壊という倫理問題においても
科学者の側からは「倫理問題がうるさくて自由な研究が出来ない」という声も
起こっていたわけですが、
そうした状況に誰かが仮にCarr氏のように
「倫理問題」→「政治的な正しさ」という言い替えを導入したとすれば
「倫理問題」→「政治的な正しさ」という言い替えを導入したとすれば
それは
あらゆる倫理的な配慮を欺瞞だと切り捨てる一言にもなっていたはず。
あらゆる倫理的な配慮を欺瞞だと切り捨てる一言にもなっていたはず。
政治的な正しさ──。
どうも胡散臭い言辞です。
どうも胡散臭い言辞です。
2008.04.03 / Top↑
脳死者からの臓器摘出を考える時に
私が必ず思い出してしまう怖い漫画があって、
私が必ず思い出してしまう怖い漫画があって、
もうタイトルも何も覚えていないのですが、
小学生の頃(今から40年以上前)に読んだ楳図かずおの短編作品。
小学生の頃(今から40年以上前)に読んだ楳図かずおの短編作品。
病気だったのか事故だったのか、
なにしろ頭も体の感覚も普通なのに、
誰からも死体のように見える状態に陥ってしまった男が
病院で身体を切り刻まれて(たぶん死因を特定するための解剖だった?)
悲鳴を上げ続けるのに誰にも伝わらない恐怖と絶望のうちに
ついに棺に納められてしまうのです。
なにしろ頭も体の感覚も普通なのに、
誰からも死体のように見える状態に陥ってしまった男が
病院で身体を切り刻まれて(たぶん死因を特定するための解剖だった?)
悲鳴を上げ続けるのに誰にも伝わらない恐怖と絶望のうちに
ついに棺に納められてしまうのです。
通夜と葬式の間も彼は必死で周囲に自分が生きていることを知らせようとするのですが、
誰にも伝わらないまま棺おけの蓋が閉じられます。
誰にも伝わらないまま棺おけの蓋が閉じられます。
暗闇の中で外の気配から彼は焦燥を募らせていくのですが、
棺は段取り通りに焼き場に運ばれ、
ついに釜に入れられて火がつけられます。
そして苦悶と絶望の絶叫を放ちながら
男は生きたまま焼かれていく……。
棺は段取り通りに焼き場に運ばれ、
ついに釜に入れられて火がつけられます。
そして苦悶と絶望の絶叫を放ちながら
男は生きたまま焼かれていく……。
なんという救いのない壮絶な漫画が
小学生が読むような雑誌に掲載されていたことか──。
小学生が読むような雑誌に掲載されていたことか──。
あの時代にはリアリティのないホラーだったかもしれないけれども、
やはり楳図かずおは時代を先取りした天才なのでしょう。
やはり楳図かずおは時代を先取りした天才なのでしょう。
生きているのに死んだことになってしまって、
自分が生きていることを誰にも分かってもらえない孤独。
自分が生きていることを誰にも分かってもらえない孤独。
生きたまま切り刻まれる苦痛はもちろん、
自分が生きたまま焼かれてしまうことを知りつつ
その刻限に刻々と近づいていくのを止められない恐怖と絶望。
自分が生きたまま焼かれてしまうことを知りつつ
その刻限に刻々と近づいていくのを止められない恐怖と絶望。
それは当時の私にとって想像を絶する恐怖と絶望だったのですが、
今の私にとっても、思い出すだに怖くてならない話です。
今の私にとっても、思い出すだに怖くてならない話です。
あの漫画に描かれていた男の体験は
人間というものが体験し得る
最も恐ろしい孤独と恐怖と絶望の1つだと思う。
人間というものが体験し得る
最も恐ろしい孤独と恐怖と絶望の1つだと思う。
臓器を採るために脳死体にメスを入れると血圧が跳ね上がったなどと聞くと、
私は必ずあの漫画を思い出すのです。
私は必ずあの漫画を思い出すのです。
私はそんな死に方はしたくないし、
愛する者にそんな死に方など、万が一にもさせたくない。
愛する者にそんな死に方など、万が一にもさせたくない。
もしかしたら現実に
そんな死に方をしている人がいるのかもしれないと想像するだけでも
なんだか苦しくてなってしまう。
そんな死に方をしている人がいるのかもしれないと想像するだけでも
なんだか苦しくてなってしまう。
2008.04.03 / Top↑
Zach Dunlapさん(21)が交通事故にあい、
テキサスの病院で脳死を宣告されたのは去年11月19日のこと。
テキサスの病院で脳死を宣告されたのは去年11月19日のこと。
臓器提供に同意した家族がいよいよZachさんと最後の別れに臨んだ時に手足が動き、
ポケットナイフで足をなぞったりツメの間に押し付けたりすると反応を示した、と。
ポケットナイフで足をなぞったりツメの間に押し付けたりすると反応を示した、と。
48日間後に退院を許され、現在自宅療養中。
3月24日にNBCテレビの番組に両親と共に出演した彼は
医師らが自分の死亡宣告をするのを聞いたことを覚えていると語り、
「動けなかったから、その時やりたかったことができなくてよかった」と。
医師らが自分の死亡宣告をするのを聞いたことを覚えていると語り、
「動けなかったから、その時やりたかったことができなくてよかった」と。
「その時やりたかったこと」というのは医師らに掴みかかって生きていると言いたかったのかと問われて、
「たぶん窓が飛び散るくらいの激しさで掴みかかっていただろうね」
「たぶん窓が飛び散るくらいの激しさで掴みかかっていただろうね」
脳死状態の彼の脳のスキャンを見た父親の話でも
血流は全く見られなかったというのですが、
いまだに記憶には障害があるものの
テレビに出演してこれだけ筋の通った会話ができるところまで回復しているのは事実。
血流は全く見られなかったというのですが、
いまだに記憶には障害があるものの
テレビに出演してこれだけ筋の通った会話ができるところまで回復しているのは事実。
「本当にありがたいです。諦めないでいてくれたことがありがたいです」
Dunlapさんのこの言葉、
よくよく考えると恐ろしい言葉ではないでしょうか。
よくよく考えると恐ろしい言葉ではないでしょうか。
諦められて、
臓器を摘出するための医療に切り替えられて
死んでいく人が現実に沢山いるのだから。
臓器を摘出するための医療に切り替えられて
死んでいく人が現実に沢山いるのだから。
その人たちがもしかしてDunlapさんと同じように
自分が脳死宣告される声を聞いた記憶を持ちつつ死んでいくのだとしたら……?
自分が脳死宣告される声を聞いた記憶を持ちつつ死んでいくのだとしたら……?
臓器を保存するための処置を(それはとりもなおさず自分を殺す処置になるわけですね)
医師らが始めようとする気配や会話が
もしかしてその人の最後の記憶になるのだとしたら……?
医師らが始めようとする気配や会話が
もしかしてその人の最後の記憶になるのだとしたら……?
そんな孤独と絶望の中で死んでいくことが
ドナーになろうとの愛他的行為の見返りなのだとしたら
それはあまりにも酷い話では?
ドナーになろうとの愛他的行為の見返りなのだとしたら
それはあまりにも酷い話では?
2008.04.03 / Top↑
| Home |