2ntブログ
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
インターネットをぶらぶらしていると、
世の中には本当にいろんなブログがあるんだなぁ……と目を見張ることは多いけど、

ゲイツ財団を監視するブログもちゃんとあった。

その名もなかなかシャレていて、
門番という意味のgatekeeperに引っ掛けて、Gates Keepers

サブタイトルは、
Civil society voices on the Bill and Melinda Gates Foundation
(ゲイツ財団についてモノ言う市民社会の声)

慈善事業の名に隠れて、財団の巨大資金を
マイクロソフトの独占的世界支配の具としているとして、
主にゲイツ財団の活動の透明性に疑問を投げかけつつ
財団に関するニュースやブログ記事などを収集するブログのようです。

このところ、時々覗いてみていたのですが、

あの権威ある科学誌Lancetに対して、
「Lancetの特集はゲイツ財団に買収されたのか?」と
疑惑を投げかける、気になるポストが目に付きました。



「Lancetの特集はゲイツ財団に買収されたのか?」と6日に疑問を提示、
それに対するLancet誌からのリアクションを紹介するのが9日のポスト。

Lancetの特集記事で特に政治的に物議を醸す生殖がらみのものについては
あちこちの財団からお金が出ているらしいのですが、
ゲイツ財団のように巨額を投じている場合には、
財団の利益や、財団が資金を提供している機関からの投稿に対して、
本当にLancetとして独立した審査ができるのか――。

ここでGates Keepersが投げかけている一般的な疑問というのは、
しごく当たり前の、そういうもの。

しかし、個別的な問題として指摘されているのは、
この春にSeattleのWashington大学にGates財団の資金で創設された研究機関があって、
Lancet誌がお金を介してそこに繋がっていく構図なのです。

Ashley事件ウォッチャーとしては聞き捨てならないので、
これについては、またあちこち当たってみてから
改めて書こうと思いますが、

とりあえず、この話を別にして考えてみても、
科学研究については資金がどこから出ているかを確かめてから……という程度には
世の中の裏側というのを意識はしていたつもりだけど、

「Lancetに論文が出た」というと、「お、懐から印籠を出してきたぞ」
と感じるほどの雑誌にもお金にまつわるそういうウラがあったんだと知ると
ちょっと衝撃。

出した人の意図はともかくとして、
受け取った人の中では独立した審査や公平中立なんて不可能にするだけの魔力が
お金というものは具わっていると、私は個人的に考えますが。

仮に出した人が「こうして欲しい」といわなくとも、
仮に見返りを要求する意図などゼロだったとしても、
そのお金を頂戴する側には、
いつのまにやら過剰な“慮り”や
言われないうちから先回りの“配慮”をさせてしまう魔力──。

それは、巨額のお金が動くところには
人間一人ひとりの善意や悪意とは無関係に
必ず生じるものなのでは──?
2008.04.13 / Top↑
「慈善資本主義(もしくは博愛資本主義)」という新語ができているんだそうな。
英語ではphilanthrocapitalism。

例えばロックフェラー、フォード、カーネギーといった大金持ちが
かなり大雑把な理念であちこちにお金を投じた20世紀の慈善事業のやり方を
慈善ヴァージョン1.0とすると

21世紀の現在、例えば
マラリアがGDPに与える損失を算定して
それなら撲滅にお金を使うことに価値がある…と判断を下すBill Gates氏のように
投資と同じ計算で「社会の利益を最大にする」ことを目的とした慈善事業は
いわば慈善ヴァージョン3.0だと、
以下の記事を書いた筆者のPeter Wilbyは言う。

(進化・変貌の大きさを強調して3.0としているので
ヴァージョン2.0については不問に、とのこと)

It’s better to give than receive
By Peter Wilby
The New Statesman, March 19, 2008


富裕層や慈善団体が「さぁ、自分はどこに寄付をしよう?」と考える際に参考にと
英米には各種チャリティや団体の活動データを提供する団体があって、
そのようにして行われる寄付行為で働く原理はどうやら
「最少金額で最大多数の生命を救うために」。

Wilbyはこうした慈善事業のあり方に5つの懸念を述べているのですが、
簡単にまとめると、

社会の格差を肯定、固定化し、
これまで税を通じて富の分配を担ってきた政治の社会保障機能を鈍化させ、
ごくわずかな富裕層のコストパフォーマンスの価値観が優位となることで
支援の効果が見えにくい(つまり最も支援を必要とする)人々が黙殺されていく、
また、これまで社会の変革をもたらしてきた市民運動の活力がそがれる。

そもそも超富裕層が慈善事業を通じてやっているのは
実は己のビジネス拡大だけであるばかりか、

彼らが慈善資本主義によって流しているのは

「世の中が抱える問題は我々のビジネス・テクニックに任せて。
 そのかわり我々を大金持ちにしてくれる仕組みはこのままにしといてね」

というメッセージに他ならないではないか、とWilbyは批判。

……というのが「慈善資本主義」。

      ----      ----

Shiavo財団がスポンサー不在に困っているんだったら、
Gates財団に支援を申請すればいいのに……と
前のエントリーでふざけてみたけど、
ジョークにしても、この溝、相当に深かったようですね。

「最少金額で最大多数の命を救うため」というのにしろ、
この記事に書かれているゲイツ財団の支援原則の
「最も大きな変革を起こせるところにお金を」にしても、
結局はリベラルな生命倫理の説く功利主義の論理。

彼らのお金はShiavo財団ではなく、
むしろ「無益な治療」論を後押しする方向に動くことでしょう。
2008.04.13 / Top↑