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このニュースはタイトルを見た瞬間に、
「あ、やっぱり、こういう話が出てきたよ……」と嫌な匂いがした。

現在、どんどん小さな未熟児が助かるようになったのは
90年代に使われ始めた薬と治療法のお蔭なのだそうですが、
それをさらに遡る頃から数十年間、
ノルウェイでの出生120万件を追跡調査した結果、
(ただし多胎児は対象に含まれていません)

未熟児は子ども時代に死んでしまう確立が(未熟児でない場合よりも)高く、
大人になっても子どもが持てなかったり、
産んでも自分と同じ未熟児になる確率が高いということが分かり、

どこまで小さな赤ん坊を助けるのかという問題を
今後の医療の課題として提起している……という記事がAPに。


しかし、とても不思議なんだなぁ、この話の展開。

だって、ちゃんと書いてあるんですよ、
「大半の未熟児は健康に育ち、正常に子どもを産む」と。

大半の未熟児は正常なんだけれども、
ごく一部の死亡数を比べると月満ちて生まれた場合よりも死亡率が高い――。
女の子より男の子で高い――。

研究では原因が分析されていないにもかかわらず、
記事は「出生時の損傷と小児癌が一因だろう」と。

大半の未熟児は先ゆき普通に子どもを産むんだけど、
ごく一部の子どもがいないケースや未熟児だったケースを
月満ちて生まれた人の場合と比べるとどちらも高かった――。

こちらについても、この研究では理由は調べていません。

なぜそうなるのかという理由も原因も分析しないでおいて、
「大半は正常に成長し正常に親になる」という事実を無視し、
「どうせ子どものうちに死ぬ確率が高いし、生殖率も低いのだから」
今後どこまで未熟児を助けるべきか課題だ……というのは
論理の飛躍というにも飛ぶ方向がズレているんじゃないでしょうか──?

そして、もっとヘンなことが、この記事には書いてある。

米国では2006年に
出生総数の12,8パーセントという高率で未熟児が生まれているのですが、
その理由は生殖医療による多胎児の増加と高齢出産の増加だというのです。

一方で大人の都合と医療技術とで、わざわざ未熟児を増やしておきながら、
未熟児の行く末を調べてみたら早死にしたり正常な生殖ができない確率が未熟児でなかった人よりも高いから
やっぱり未熟児を助けるのは考えものだ……というのは論理展開がおかしいでしょう。

遺伝子に手を加えたり、生殖補助医療で胚を操作したり
障害児が生まれる確率を高くするような技術を平気で多用しておきながら、
その一方で障害胎児や障害新生児を排除しようとして様々に理屈をひねるのと
全く同じ話の進め方なのですが、

障害児が生まれて困るのであれば、
障害が起こるリスクを上げるような生殖技術の利用をもっと慎重にすべきだし、

上記の研究結果から今後の課題を引っ張り出すというのであれば、
未熟児が生まれないように今の生殖医療のあり方を考え直さなければ……、
という方向に向かうのが正しいのでは?

【追記】
曖昧な表現だったと気づいて一部訂正した時に、
ああ、こういうレトリックの魔術はコワイなぁ……と気づいた。

「未熟児の行く末を調べてみたら早死にする確率が未熟児でなかった人に比べて高い」

という文と

「未熟児の行く末を調べてみたら早死にする確率が高い」

という文では意味するところがまるで違う。

ここで報告されている調査結果はあくまでも前者。
しかも「大半は正常」という前置き付きの前者であるにもかかわらず、

「だから今後、未熟児をどこまで助けるべきか」と論理が飛躍する時には
いつのまにか後者の事実があるように錯覚(歪曲?)されているのではないでしょうか?
2008.04.15 / Top↑
もともと小説でも映画でもSFというジャンルが苦手なので
読んだことがなかったし、正直なところアーサー・C・クラークという作家にも興味がなかったのですが、
新聞で追悼記事を読んでいるうちに
THニストたちの夢の萌芽がこういうところにあるんだろうなと想像されたので
「幼年期の終わり」を読んでみたら、
(ちなみに読んだのは89年に書き直された第一章を含む新訳。翻訳がものすごくよかった。)

いや、面白かった。
私には一番面白かったのは第1章で、
そこだけ独立の短編かというほどぐいぐい惹きつけられた。

第2章以降にしても、これが53年に発表されたとは脅威の想像力・創造力。

人類がもっと頭が良くなった時にもっとできるようになることを
トランスヒューマニストがあげつらう時に、
彼らは芸術にはあまり触れない。

特に文学にはまず触れない。

頭の良さだけで文学的創造ができるわけではないことを、
実は彼らも知っているからなのでしょうか。

だって、これはクラークという作家の彼にしかできない「芸」だもの。

その一方、
この作品を読んで、とてもTHニスト的だなぁ……と
思わず苦笑してしまったのは、
50年代に書かれて21世紀に設定されたクラークの未来世界が
知的レベルの高いエリート白人男性の価値観で作られていること。
(一応、肌の色が既に意味をなくした未来世界とされており、
物理的にも数時間で地球上のどこでも移動可能なのだから、
肌の色という点だけで言えば黒人も登場はしますが。)

クラーク氏は男性と女性の性役割については未来永劫不変だと考えていたみたいで
この未来世界の性役割分担は50年代のまんま。
仕事をするのはみんな男性で
女性は育児と家事をモンクも言わずに引き受けて
彼らの帰りを家でおとなしく“待って”いるのだから、
こればっかりは笑ってしまった。

また人間がオーヴァーロードと呼ぶ宇宙人の外見は「悪魔」にそっくりで、
その姿に人間が理屈抜きの恐怖を覚えるのは
「種族の記憶」とでもいうものがあるからだろうと。

話は“人類”と“宇宙の支配者”という対立軸で描かれているはずなのですが、
ここではキリスト教文化が“人類”に拡大されてしまっているし。

(矢印型のしっぽ……日本人である私のイメージでは「悪魔」というより「バイキン」)

「自分が望まない仕事についている人間が誰もいなくなった世界」では、
食事は主語もなく作られて、主語もなく「片づけが終わる」ものであり、
登場人物たちが集うパーティでは飲み食いが行われているのに、
それを運ぶ人も片付ける人も存在しない。

国連も各国の政府も警察も学校も各種研究機関もあり、
だからおそらくその他の機関も存在して社会を機能させているようだから、
当然のごとく、そうした機能を支える労働者が必要なはずなのだけど、
組織の下層部分を支える労働者も単純労働の従事者もいない、
少なくとも表に姿が見えない世界なのです。

つまり主役しか存在しない世界なわけですね。

知的労働に従事している男性主役たちと、
せいぜい登場するのは
彼らが愛情を注ぐ対象となる妻と子ども、それから愛人という準主役。
この世界で姿を見せる人間はそれだけ。

この辺りに私は一番トランスヒューマンな感じを受けた。

「幼年期の終わり」はこの点では
あたかもみんなが主役のように夢を描いて人をたらすトランスヒューマニズムや、
「主役たるマジョリティの利益のために」功利主義で障害者を切り捨てるリベラルな生命倫理と
根っこのところが繋がっているような。

知的レベルの高い白人エリート男性優位の価値観という根っこ。

彼らの描いて見せる主役だけの世界で、
表に姿が見えてこない人たちは一体どうなっているのか。

その舞台ウラや奈落の下を覗いてみたら
いったいどんな人間がどんな過酷な役割を割り振られているのか。

ジャマだから見苦しいからと奈落の底に放置されたり
薄暗い片隅で舞台に漏れきこえないように声をふさがれて殺されていく存在は
本当にいないのかどうか。
2008.04.15 / Top↑
トランスヒューマニストのRay Kurtzweilが
13日のWashington Postで
エネルギー問題も貧困も最新テクノロジーが解決し、
人の寿命は毎年1年ずつ延びていくというバラ色の未来図を
またまた、お得意の「指数関数的速度」という言葉を頻発して描いてみせています。

Making the World A Billion Times Better
By Ray Kurtzweil
WP, April 13, 2008

彼はIT技術のおかげでアジアの貧困は半減したと書いているのですが、

彼が言っているのは中国とインドのことなのかもしれないけど、
国全体が経済成長を遂げているとしても、
国内の格差はほとんど人命軽視の次元ほどに広がっているのんじゃないのかいな。

世界中を嵐のように席巻しつつあるグローバリズムによって
アジアやアフリカの貧しい国はどんどんと
さらなる貧困へと追い詰められているのではなかったのかいな。
(さすがにKurtzweilもアフリカの貧困に触れてはいませんが。)

もう1つ「え?」と思ったのは、記事の最後でKurtzweilが
「コンピューター・サイエンティストであり発明家」と紹介されていること。
今まで発明家とか未来学者だとか紹介されるのは見たけど、
彼が「科学者」だったとは知らなかった……。


この記事を読んで思い出したのですが
そういえばWPには年明け前後に次のような記事がありました。




前者は
ヨーロッパや日本が人口減と高齢化に悩む中で
米国だけは順調に人口が回復し始めているんだぞ、と
その大きな要因を
働く女性への育児支援施策の充実と国民の宗教心の厚さに勝手にこじつけて
得意そうに胸を張る……といった趣の記事なのですが、
(実は子沢山文化の移民の流入が主因との声も)

その一方で首都の子どもの3分の1は貧困に苦しんでいるという
後者の記事が懸念しているような現実もある。

そういえばブッシュ大統領が無保険の子どもたちへの医療保障予算をカットした
という話も去年あったと記憶しているのですが、

米国の子どもたちがまともに医療を受けられていないという問題は
頻繁に耳にするところでもあり、

Kurtzweilが言うほど問題は単純ではないのでは?
2008.04.15 / Top↑