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米国メリーランドのJohns Hopkins 大学病院で
6人のドナーから6人のレシピアントへの生体間腎移植が同時に行われたという
世界初、偉業達成のニュース。

といっても、
ドナーとレシピアント6ペアの移植が単純に同時に行われたというのではないのです。

生体間移植では
家族や友人など親密な関係にある人がドナーになろうとするケースが多いわけですが、
マッチして希望通りに腎臓をあげられるとは限らない。

そんな「あげたいけどあげられない」ドナーとその相手とをペアとして捉えた場合に、
1組のペアの間では実現不能な腎移植も、
何組か揃えることによってマッチングが可能となる、と。

同病院はこの他方向同時移植のパイオニアで
2005年に3方向、一昨年の11月には5方向の同時生体間腎移植を成功させています。

で、今回6方向をやった、というニュース。


今回の手術に関する病院サイトはこちら

2006年の5方向手術に関する病院サイトはこちら


2006年の5方向の際もドナー希望者を個人的に連れてきた患者は4人で、そこに
愛他的(個人的関係がなくボランティアで提供しようという人)ドナーが1人加わることによって
5人のドナーから5人の患者への移植が可能になったということでしたが、
(ドミノ移植も含まれていたとのこと)

今回も5人の「愛する人にあげたいけどできない」ドナーに愛他的ドナーが1人加わることで
いきなり6人への移植が可能になった。

同病院では、これをKidney Paired Donation(KPD)と呼んでおり
(人を組み合わせるのではなく腎臓を組み合わせる移植システムとの意でしょう)

ドミノ移植も含め、組み合わせがクロスして錯綜するから同時なのかと
2006年に5方向のニュースを読んだときには、
そのカラクリがよく分からないままに考えていたのですが、

上記BBCの記事によると
自分の愛する人が臓器をもらったとたんに
ドナー予定者がイヤだと言いだすのを避けるためだとか。
なるほど──。

確かに、あげたくてもあげられない人や愛他的ドナーの善意を
無駄にしないシステムだよね、画期的だね、とは思うのですが、
(見も知らない人に自分の腎臓を片方あげてもいいと
ボランティアで思える人というのが
正直なところ私は個人的には想像できにくいのですが)

2006年の際は
外科医12人、麻酔科医11人、看護師18人の陣容で
手術室6室を使い10時間の手術だったとのことで、

今回も関わったスタッフざっと100名。

普通に働いている人が盲腸の手術をしたら破産の危機だといわれる米国で
この手術を受ける人は、いったいどれだけの医療費を支払うのだろう、
それとも世界のパイオニアたる病院の偉業達成に協力するのだから
無料または大幅な値引きがあるのか……

つい下世話なことを考えてしまう。

もう1つ、どうしても考えてしまうのは
移植医としては、やっぱり次は7方向で……? 
2008.04.11 / Top↑
アメリカの大学生に不人気な講座の典型だった哲学がどうやら最近人気……といっても、
彼らが人生の真理を極めようとの志に目覚めて哲学者への道を選んでいるのではなく、

医学にせよ法学にせよ経済学にせよ
自分が進もうとする分野で成功するためには
哲学を受講して論理的思考力、文章力、分析と批判能力を身につけるのが有利……
との計算によるもの。

つまり学問としての哲学でも、よくある哲学学ですらなく、
理屈で闘って人を論破するテクを身につけようという発想ですね。

ってことは、関係性とか人の感情など全く度外視した
超極端な事例を考え付いては
なんだかんだと高飛車な理屈をこねくり回し
結局は自分に都合のいい結論を導く……

そういう正当化の豪力ワザばかりに長けた頭でっかち人間が
米国の支配層に増えていくだろう……ということなのか。

今なんだかやたら威勢のいい
生命倫理学者と呼ばれてる人たちみたいな──?


なんか、なぁ。

何もかも科学で説明がつくわけでもなければ
論理だけで相手を言い負かしたら、それが正しい証明になるわけでもないと思うんだけど、

そういうのって、

お気に入りの空間で好もしく思う相手と美味しいものを食べて理屈抜きのシアワセに浸る……
なんていうことを自分の生活では当たり前として楽しんでいながら、

他人の食については平気で栄養素とカロリーの問題に貶めて
数値だけで乱暴にぶった切って捨てる、

それも「どうだ、反論はできまい」と高圧的に。

……みたいな人が増えるということのような気がする。
2008.04.11 / Top↑