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ビタミンのサプリメントは、
実は寿命を延ばす効果がないばかりか
逆に命を縮めているかも……

という研究結果が出たんだそうで。

Vitamin supplements may increase risk of death
The Guardian, April 16, 2008/04/16


Guardianの記事は
「ビタミンを摂取するならサプリで摂るよりも
果物と野菜をしっかり食べなさいということですね」

そんなの、もともと当たり前の常識。
2008.04.16 / Top↑
4月1日のエントリーで紹介しましたが、

周産期に子どもの病気や障害が分かった場合に
その病気や障害についての詳細な情報が母親に提供されるよう求める法案が
米国議会の関連委員会を通過しました。

それについて、保守系の論客Wesley Smith が賛意を表明しています。

Politically Correct Eugenics: Brownback and Kennedy do the right thing
By Wesley Smith
The Weekly Standard, March 31, 2008

最初にSmithが指摘するのは
一方で障害者への差別をなくす努力をしつつ、
その反面でダウン症をはじめとする障害や病気を持った子どもの排除に忙しい
米国社会の障害者に対するダブルスタンダードと、

現在ダウン症だと分かると中絶されている9割のケースでは
医師らによる否定的な情報提供と中絶への誘導が行われているのではないか
という疑義。

実際にダウン症の子どもを育てている親が
子どもとの暮らしの中から語るポジティブな声がそうした情報の中に
しっかり含まれていれば9割という数値は変わるのではないか、と。

ちなみに、
この法案を提出したEdward Kennedy 上院議員は強固な中絶権支持者で、
共同提出者であるSam Brownback 上院議員は熱心なプロライフであること。

中絶については立場が正反対の2人が
共にこの法案のスポンサーとしてバランスの取れた情報提供の必要を訴えているというのは
なかなか悪くない話ですね。

中絶の是非の問題は、その先に行くと選別的中絶の問題があり、
選別的中絶の問題はその先へ行くと無益な治療法論や、
さらにネオ優生思想の問題へと繋がってもいて、

もちろん、全部をひっくるめて論じるような大雑把な議論はできないのだけれど、
繋がっているのだということは頭においたうえで、
一つ一つの問題を丁寧に考えていくことが大事なんじゃないでしょうか。

一番怖いと感じるのは、
一つ一つの議論での勢いに任せた乱暴な議論によって
充分な検討がなされないままに、
それぞれが影響しあって、なし崩しに
「どうせ障害児だから」という社会の空気がいつのまにか作られていくということ。

(Ashley事件で私が何よりも強烈に肌に感じたのは
 この「どうせ重症児だから」という空気であり、
 多くの人の発言から聞こえてくる言外の「どうせ」という響きでした。)

そういう動きが現に懸念されるからこそ、
ハイテクで人間の病気はほぼ克服できて寿命が飛躍的に延びるとか
難病が間もなく克服されるといった話の華やかさはないけれど、
子どもの障害や病気を知らされた親にネガだけでなくポジも含めた充分な情報提供を行うという、
一見地味だけれど本当はとても大切なことを1つずつしっかり抑えていくという努力が
やはり忘れられてはならないのだと思う。
2008.04.16 / Top↑
さっき10時過ぎに何も考えずにテレビをつけたら
いきなり小泉元首相が国会で演説している映像にぶつかって面食らった。

なんだ、なんだ? と思ったら、

「報道ステーション」が
後期高齢者医療制度ができた当時、政府がいかに説明もせず強引に決めてしまったか
国会や委員会での質疑の映像を編集して流しているところだった。

何をいまさら──。
憤りで体が硬直した。

後期高齢者の医療を切り離すという方向性だけは明確に打ち出されていましたよ、当時。
今の高齢者はカネ持ってるし、とね。
それをメディアが知らなかったとは言わせない。

小泉政権下で過酷な弱者切捨て施策が次々と巧妙に進められていることを
メディアはちゃんと知っていたはずだし、
今いろんな形で起こっている医療と福祉の崩壊は、
当時から既に多くの人に予想も懸念もされていたというのに、

2005年の総選挙の時に郵政民営化の刺客騒ぎばかりに連日狂騒して、
医療制度改悪や介護保険改悪の動向も障害者自立支援法案もロクに報道せず、
オモシロおかしい選挙に仕立て上げて小泉政権の追い風を作ったのは
あなたたちメディアではないのか。

あの選挙の当時、
日本中から危機感を募らせた障害者らが不自由な身体を国会へ運び
国会議事堂周辺に布団を持ち込んでまで座り込んだ。
彼らの存在をメディアが知らなかったとは言わせない。
それでも彼らの映像を流すことも、その切実な訴えをきちんと報道することもせず、
ホリエモンと彼の行く先々に群がる人々を
あなたたちは、ひたすら追いかけ続けたのではなかったか。

後期高齢者医療制度の内容を今日まで知らなかったわけでもあるまいに、
高齢者らが天引きされた年金を受け取って混乱をきたし、怒りが頂点に達した日を待って
当時の委員会での強引な採決場面を放送し、
「こうして決められた制度は許せない」、「廃止すべき」と嵩にかかって叩く。

後期高齢者医療制度が混乱をきたしているのは「説明が足りない」からではありません。
老人は、また余分にゼニをとられることに怒っているのです。

そして、
今日もらえるはずの年金が減っていたことに怒った高齢者は、
やがて今度はこれまで受けることができていたはずの医療が
新制度に変わって受けられなくなるという事態にも直面して、
さらに腹を立てることになる──。

そのことをメディアはちゃんと知っているはずだ。

新制度について「説明が足りない」責任の一端は、
あなたたちメディアにあるのではないのか。
2008.04.16 / Top↑