2ntブログ
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
以前のエントリーで紹介した
性転換して男になって結婚した後に妊娠した(やっぱ、ややこしいな)Thomas Beatie氏が3日に
妻と一緒にOprah Winfrey の番組に出演したとのこと。

発言の内容は先月ゲイの雑誌に妊娠を公表した際の記事とほぼ同じ。


ゲイの雑誌に写真を公開したものの
ガセだという声があったことに反発してのテレビ出演なのかもしれませんが、

彼の妊娠を担当している産科医も
「ごく普通の妊娠。経過は良好」と番組にコメント。

You Tube に投稿されたビデオを見てみると、
番組中にお腹の胎児を超音波で見ている映像や
夫婦が準備している子ども部屋や赤ちゃんの服、
その他、夫婦の大変親密な映像まで
よくも、まぁ、ここまで……と思うほど、あれもこれも公開。

こうまでして世の中にアピールしたい動機が
一体なんなのか分からない。

夫婦がこれまでに相談した機関は
「世の中はまだこういうことに対して準備ができていない」として
もれなく公表には反対したということなのですが、

自分の子どもを持ちたいのは男でも女でもなく人としての願いだと彼自身は主張しており、
番組の中でも
「ショッキングだろうけど、今の時代には可能だし、実際に起きているわけですよ」
と言っているのだから、
やはり技術的に可能なのだから
みんなもやろうぜと呼びかけているつもりなのか……?


「なぜ、こうまでして公開したいのか」
という疑問はAshley父にも通じていくのですが、

じゃぁ逆に、
「一般には倫理的に疑問視されることを
例外的にやれてしまった人
または自分で勝手にやってしまった人は
それを公表せずにいるべきなのか」と考えると
これがまた難しい。

(Ashleyの場合は父親の地位への配慮から
 病院が内密裏に実施した特例だった可能性があると
 spitzibaraは考えており、
 Beatieの場合は自分で受精させて勝手に妊娠してしまったわけですが)


公表すればメディアはセンセーショナルに騒ぎ
それが前例を作ることになるから、
当然そこには滑り坂の懸念が出てくるのだろうけれど、

かといって、公表せずに水面下で済まされていいのかといえば、
それもやっぱり違うだろうと思うし。

本当は公開するかしないか以前に、
想像もできないことが起こりうる現実に
現場の専門家ですら付いていけていないほど
進みすぎた技術の方なのだろうけれど、

Ashleyの前例が作られて
一部メディアも煽ったし、擁護した人が一定数いたにもかかわらず
英国でKatie Thorpeの子宮摘出は認められなかったことが
やはり大きなヒントではないのか、と私は思うのです。

物事の勢いや誰かの声の大きさに影響されることなく、
地味であっても時間がかかっても踏むべき手順はちゃんと踏む、ということ。
議論すべきことは順を追ってきちんと漏れなく議論するということ。
最も弱い者が守られるだけのセーフガードをちゃんと整えるということ。
切り捨てるためのアリバイとしてではなく、守り抜くためのセーフガードとして。
それが整えられないうちは慎重が上にも慎重に、ということ。

(Katie Thorpeの子宮摘出要望と却下の顛末については
Katieケース裁判へ
GuardianのKatie記事
他、「英国Katieのケース」の書庫に。)

    -----       -----

Beatie夫妻の子どもはここまで来たら生まれるのだろうけれども、
その子どものために緊急避難的に考えておくべきこと、
この一家の個別のケースのために考えるべきことと同時に、

社会が今回のケースをどのように位置づけるのかということ、
こういうことが起こりうる社会として法律や医療や倫理問題や
興味本位に騒ぐ前に考えるべきことが沢山あるだろうし、

なによりもこの問題において最も弱い者とは生まれてくる子どもなのだから。

それらの問題に社会としての結論が出るまでは
当面禁止するくらいの慎重さを持って欲しいと、
よその国のことながら、思う。

これはAshley問題でも同じ。
他所の国だからといって、関係も影響も全くないとは思えないし。
2008.04.08 / Top↑
先週のある日のこと。

堤未果氏の「ルポ貧困大国アメリカ」を読んでいる時に玄関のブザーが鳴ったので、
出てみると某社の宅配便。

「あ、どうも」と荷物を受け取ろうとすると、
すかさず「トイレット・ペーパーいらない?」

このオジサンはきびきびして気持ちがいい人なのだけれど、
唯一の難点がこれ。

荷物を手渡しし終えるかどうかというタイミングで
「味噌、いらない?」
「美味しい水あるけど、買わない?」

「いらない」と言えば「あ、そう」と引き下がってくれるから大して気にはならないのだけれど、
その日はなんだか未練がましく値段や個数を並べて粘った。

「でも歩いて2分で行ける生協でセールの時買うと120円も安いよ」と言うと
「そりゃ、そうだよね」と、今度はすんなり折れて
その代わりみたいにオジサンがボヤくところによると、

つい先日までは売る努力さえしていれば、
売れようと売れまいとそれでカンベンしてもらえたのだけど、
今度から一定数を売らなければならないことになって
ノルマをさばけなければ罰金を食らう──。

わし、宅配便のドライバーなのに、なんで、こんな目に?
……とばかりに頭を転がしつつ車に戻るオジサンの後姿は苦渋に満ちていた。

ドライバーさんの仕事は宅配なのに、
なんでモノまで売らなけりゃならないんだよ、
しかも罰金ったって、そんなの無茶だよね……と
つぶやきながら階段を戻りかけて
「あ、これなんだ。同じなんだよ」と。

「ルポ貧困大国アメリカ」に書かれていることと
今のドライバーさんの話はまったく同じなんだ、繋がっているんだ、と思ったわけです。

例えばハリケーン・カトリーナの際に全く機能せず
自然災害に人災を加えたと非難を浴びたFEMA(連邦緊急事態管理庁)について
この本の中でFEMAの元職員は言います。

FEMAは実質的に民営化されたも同然でした。他の多くの業界同様、アメリカ人が最も弱い「自由競争」という言葉と共にです。私たちは市場に放り出され、競争が始まりました。主要任務はいかに災害の被害を縮小し多くの人命を救うかということから、いかに災害対策業務をライバル業者よりも安く行うことができるかを証明するということに代わったのです。(P.43)

郵便局も病院も学校も介護の現場も、
「いかにライバルよりも安くあげられるか」、
「いかに目に見える結果だけを短期間に出せるか」を証明することに血道をあげ、
すぐに目には見えないけれども本当は何よりも大切な本来の仕事と
じっくり取り組む余裕をなくしていく日本だって同じことで、

この本に描かれていることは
簡単に言えば9ページの以下の数行に尽きると思う。

……国境、人種、宗教、性別、年齢などあらゆるカテゴリーを越えて世界を二極化している格差構造と、それをむしろ糧として回り続けるマーケットの存在、私たちが今まで持っていた、国家単位の世界観を根底からひっくり返さなければ、いつのまにか一方的に呑み込まれていきかねない程の恐ろしい暴走型市場原理システムだ。
 そこでは「弱者」が食いものにされ、人間らしく生きるための生存権を奪われた挙句、使い捨てにされていく。

これ、
宅配のドライバーさんがノルマを課せられて水や紙を売らされて、
宅配はちゃんと配達していてもモノ売れなきゃ給料から罰金を徴収。
それがイヤなら辞めても結構、代わりならいくらでもおるわい……と
無言のうちに脅されるのと同じことで、

実はこれと同じ話が形を変えて誰の周りにも
いっぱい進行しているんじゃないだろうか。

ただ、この本に書かれていることで、
少なくとも日本ではまだ起こっていないと思う(これからもそう願いたい)アメリカの悲惨は、
それ以外に生きる道が見出せないほどの隘路に貧困層を追いつめておいて
詐欺同然の口車で軍にリクルートしては真っ先にイラクの前線に送り込む恐ろしいカラクリ。

貧困が徴兵装置として機能する格差社会。
不法移民も貧困層も兵士として使い捨てにする分にはまだしも使い道があるといわんばかりに。

しかも戦争まで民営化されて
民間の会社が“社員”を雇って“派遣”するのだから
国には責任は全くないし
給料だって条件だって無法地帯みたいなもので、
どんなに非人間的な条件であろうと不満があれば辞めればいい、
それ以外に生きていけないからやるという代わりの人間はいくらでもいる、と。
まさに「使い捨て」。

ところで、
この本に描かれた「暴走型市場原理システム」を科学とテクノロジーへと当てはめてみると、
それって正にトランスヒューマニズムと生命倫理が描く図になるのでは……?

そういえばNorman Fostは言っていましたね。
薬の人体実験などでリスクを犯して被験者になってくれる人には
リスクに見合うだけの報酬を払えばいいのだと。

無保険だから医療が受けられない貧困層を
いかにも実験に協力すれば治療してもらえるような舌先三寸でたぶらかして
すずめの涙の報酬で人体実験の資材としてリクルート……なんて、
本当は既に起きているのかも?

この本が描いて見せている
格差社会が貧困層を兵士として使い捨てている図は
そのまま科学とテクノロジーの世界でも起こっている、
またはこれから起ころうとしている図……ということでしょう。

本当にいいのか。
歯止めはもうかけられないのか。

と、いつも同じ、ごまめの歯軋り。
2008.04.08 / Top↑