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以下のTimesの記事によると
英国の43歳の女性がこの16年間で8人目となる代理出産を控えているとのこと。


彼女には自分の子どもはおらず、
これまでの7人の出産はすべて報酬をもらっての代理出産。

2006年の前回で終わりにしようと思っていたのだけど
その子どもを産んだ後でウツ状態に陥り、
やっぱり妊娠していたいと思ったんだとか。

今回生まれる子どもは
これまでに子どもを生んであげた家族に兄弟として「提供し」たいんだとか。

(でも、この書き方だと行き先はまだ決まっていないのですね。
 だとしたら妊娠してから赤ん坊の買い手を捜すようなものですね。
 それは代理出産というよりも「赤ん坊の売買」では?)

本人は太っているから自尊心が低くてウツになっただけだと主張するものの、
専門家からは度重なる妊娠と出産の繰り返しの影響を指摘する声も。

本人の意識の上ではどのように誤魔化されているにせよ、
他人が子どもを持つための道具にされるわけだから、
自尊心が低くなるのも、それは当たり前でしょう。

そういう形で誰かの道具になってあげることによってしか
自分が他者に必要とされていると感じることができなくなってしまっているのだとしたら、
それはとても恐ろしいことですが、

この問題は例えば「救済者兄弟」の心理にも重なってくるのではないでしょうか。
2008.03.09 / Top↑
Diekema医師は
「子どもの利益と介護者である親の利益は分かちがたい」と主張しています。

しかし父親は
親の介護負担軽減が目的だとの批判に対して
「そうではない、あくまで本人のQOLのためだ」と何度も繰り返していました。

「絶対に親の介護負担軽減のためではない」とあれほど力説した父親の言い分が
いつのまにか、なし崩しにどこかへ追いやられて
Diekema医師や擁護派の人たちにおいては
「親のケア負担軽減は子どもの利益でもある」という正当化にずらされているのです。

そこで考えてみたいのですが、

もしも父親が最初から医師らと同じように
「親の負担を軽減したい。
 そうすれば子ども本人にとっても利益になる」
と発言していたとしたら、
支持・擁護・容認した人たちは果たして同じ反応をしたでしょうか。

私にはそうは思えないのですが、

Ashleyの父親が
「これは親の便宜のためではない。あくまで本人のため」と繰り返し、
英国のKatie Thorpe の母親Alisonのように介護負担についてグチったりしなかったから
「親が子どものためにやることなんだから許してあげれば?」と是認する世論は、

もしも父親が少しでも介護負担をネガティブに捉える発言をしたり、
「親の介護負担軽減」を目的に加えていたとしたら、
「親が自分のためにこんなことをやるなんて言語道断」
という方向に振れていたのではないでしょうか。

しかし
「本人のQOL」という正当化の枠組みそのものは
介護を巡る親の発言がどうであっても変わらないはず。
(その正当化の枠組みが妥当かどうかは別問題としてあるにしても。)

もしも「愛情からの行為かどうか」という次元で世論がブレるとしたら
それはセンチメンタリズムに過ぎないでしょう。

しかも、そのセンチメンタリズムは
どうにでも繕うことのできる言葉という不確かなものによって
愛情の有無を皮相的に確認しているだけなのです。



私はとても気になるのですが、
デザイナーベビーをはじめとする遺伝子診断でも
リスク懸念を置き去りに高度に発達していく生殖補助医療でも
最近日本でも論争になっている代理母にしても

正当化のアリバイとして持ち出されてくるのは
みんな「親」を巡る情緒です。

世論はいつだって親子を巡る情緒に弱いように見えるから
世論操作をしたい人にとっては、そこがチョロイのだとしたら

「障害児の親」というステレオタイプに見られるような
「美しい親の愛」神話を離れて、

親と子の間には実は利益の対立があるという事実を
事実として冷静に受け止めることが、
今、とても大切なのではないでしょうか。
2008.03.09 / Top↑