当ブログでも紹介しましたが、
3月10日にBBCの番組で聾のアーティストTomato Lichy氏が
「着床前診断で聾の子どもを持ちたい。聾は障害ではない」と主張し
番組ホストとの間で論争となりました。
それを受けてBBCの障害関連サイトOUCH!に
聾(いくらかは聞こえるようです)のジャーナリストが
「聾は障害か?」という記事を書いています。
3月10日にBBCの番組で聾のアーティストTomato Lichy氏が
「着床前診断で聾の子どもを持ちたい。聾は障害ではない」と主張し
番組ホストとの間で論争となりました。
それを受けてBBCの障害関連サイトOUCH!に
聾(いくらかは聞こえるようです)のジャーナリストが
「聾は障害か?」という記事を書いています。
聾は障害ではないとの主張は
他の障害者を貶める可能性がある点で論議を呼ぶと指摘しながら、
聾が障害ではないと主張する聾コミュニティの側も、
障害だと決め付ける世間のメインストリームの側も
共に正しいとはいえないとの立場に立つ
Atkinsonの論点をいくつかまとめてみると、
他の障害者を貶める可能性がある点で論議を呼ぶと指摘しながら、
聾が障害ではないと主張する聾コミュニティの側も、
障害だと決め付ける世間のメインストリームの側も
共に正しいとはいえないとの立場に立つ
Atkinsonの論点をいくつかまとめてみると、
・一般の人がイメージする「耳が聞こえない」状態は
それを体験した事のない人の勝手な想像に基づいており、
現実の聾者の体験とは違っている。
聾者の多くは生まれ付いての聾なので
音が聞こえるという体験が初めからないために、
聞こえないことに不自由を感じていない。
・一方、聾者の方も障害者手当ては受け取っておきながら
自分たちは障害者ではないと名乗るのはいかがなものか。
・耳が聞こえないという身体の状態そのものは障害ではなく
みんなが聞こえないのであれば音のない世界に誰も不自由はないはずだと考えるので、個人的には、障害を生むのは社会のありかたによるとする「社会モデル」に立つ。
・その一方、社会から完全にバリアが消えることはない以上
「社会モデル」で言う意味で自分は障害者だと考えるし、
自分の耳が多くの人と同じようには機能しないことも事実だという点でも、
自分のことを障害者だと捉えている。
それを体験した事のない人の勝手な想像に基づいており、
現実の聾者の体験とは違っている。
聾者の多くは生まれ付いての聾なので
音が聞こえるという体験が初めからないために、
聞こえないことに不自由を感じていない。
・一方、聾者の方も障害者手当ては受け取っておきながら
自分たちは障害者ではないと名乗るのはいかがなものか。
・耳が聞こえないという身体の状態そのものは障害ではなく
みんなが聞こえないのであれば音のない世界に誰も不自由はないはずだと考えるので、個人的には、障害を生むのは社会のありかたによるとする「社会モデル」に立つ。
・その一方、社会から完全にバリアが消えることはない以上
「社会モデル」で言う意味で自分は障害者だと考えるし、
自分の耳が多くの人と同じようには機能しないことも事実だという点でも、
自分のことを障害者だと捉えている。
そして以下のように結論付けています。
「自分は障害者ではない。聾者である」という主張は慎重に。
そう口にする人は、
障害をそれほどおぞましいものだと見なしていると見えるから。
私としては「障害」という言葉は
低い地位や欠陥や望ましくないものと同意になるのではなく、
プライドと連隊の象徴となるべきだと思う。
障害は人が生きるということの一部:
そういうスタンスに、聾者も含めてみんなが立つべきである。
そう口にする人は、
障害をそれほどおぞましいものだと見なしていると見えるから。
私としては「障害」という言葉は
低い地位や欠陥や望ましくないものと同意になるのではなく、
プライドと連隊の象徴となるべきだと思う。
障害は人が生きるということの一部:
そういうスタンスに、聾者も含めてみんなが立つべきである。
2008.03.28 / Top↑
最近まで見落としていた記事なのですが、
去年の5月にAshleyの子宮摘出の違法性が明らかとなった際の報道で、
ワシントン州保健局の病院ライセンスを担当する部局の責任者Steven Saxe氏が
病院や医師らに対して何らかの懲罰措置をとることになれば、
さらなる調査が必要であると述べていました。
去年の5月にAshleyの子宮摘出の違法性が明らかとなった際の報道で、
ワシントン州保健局の病院ライセンスを担当する部局の責任者Steven Saxe氏が
病院や医師らに対して何らかの懲罰措置をとることになれば、
さらなる調査が必要であると述べていました。
医師らには罰金や研修、免許の取り消しの対象になる可能性すらある一方、
保健局としては懲罰を科すよりもむしろ
今後の予防措置に向けて病院を指導する方針とも。
保健局としては懲罰を科すよりもむしろ
今後の予防措置に向けて病院を指導する方針とも。
Children’s Hospital admits it broke state law with girl’s surgery
The Seattle Post-Intelligencer, May 9, 2007
The Seattle Post-Intelligencer, May 9, 2007
これは州当局から出されたかなり重大なコメントのはず。
それなのに、
その後ワシントン州の保健局が実際に調査を行ったのかどうか、
病院にどういう指導を行ったのかについて、
保健局が何も発表しないのもおかしなことであれば、
その後ワシントン州の保健局が実際に調査を行ったのかどうか、
病院にどういう指導を行ったのかについて、
保健局が何も発表しないのもおかしなことであれば、
メディアがその後について取材していないのも
非常におかしなことだと私は思うのですが、
非常におかしなことだと私は思うのですが、
これは、いったいどういうことなのでしょうか?
2008.03.28 / Top↑
Ashley X: The Little Girl Who Will Never Grow Up というタイトル。
記事そのものはそれほど長いものでもなければ、
内容も事件の概要をまとめただけの簡単なものなのですが、
内容も事件の概要をまとめただけの簡単なものなのですが、
その中に、
まるでそこだけゴシックで書かれているかのように
私の方が勝手に感応してしまった1文があって、
まるでそこだけゴシックで書かれているかのように
私の方が勝手に感応してしまった1文があって、
The fact that Ashley’s treatment and case remained private is most likely the reason no legal challenges were ever made.
法的な疑問が投げかけられたことがなかったのは、
おそらくはAshleyの治療とケースが公にされていなかったためだろう。
法的な疑問が投げかけられたことがなかったのは、
おそらくはAshleyの治療とケースが公にされていなかったためだろう。
先日のCNNでのインタビューでAshleyの父親が
「自分の思い通りにやれていたら、
一般の人を議論に巻き込まずに医療者と親だけに情報提供をしたんだったのに」
という趣旨の発言をしていることとを合わせ考えると、
「自分の思い通りにやれていたら、
一般の人を議論に巻き込まずに医療者と親だけに情報提供をしたんだったのに」
という趣旨の発言をしていることとを合わせ考えると、
現在でも、またこれからも、
“Ashley療法”を是とする医師と
それを求める親とが出会ってしまった場合には
いくらでも水面下で行われてしまう……ということではないでしょうか。
“Ashley療法”を是とする医師と
それを求める親とが出会ってしまった場合には
いくらでも水面下で行われてしまう……ということではないでしょうか。
ワシントン州をはじめ州によっては
未成年や知的障害者への不妊手術には裁判所の命令が必要だと法律で規定していますが、
未成年や知的障害者への不妊手術には裁判所の命令が必要だと法律で規定していますが、
Ashley事件を振り返ってみれば、
この法律の規定は
法律を遵守して実施の前に裁判所に許可を求めるだろうとの医療職性善説に立っており、
医師や病院の側にこうした法律を尊重する意思が最初からなく、
親との合意でこっそりやって後は口をぬぐってしまった場合には
非合法であれなんであれ、
それで済んでしまうということでしょう。
この法律の規定は
法律を遵守して実施の前に裁判所に許可を求めるだろうとの医療職性善説に立っており、
医師や病院の側にこうした法律を尊重する意思が最初からなく、
親との合意でこっそりやって後は口をぬぐってしまった場合には
非合法であれなんであれ、
それで済んでしまうということでしょう。
こうした危険性を考えてみても、
なぜAshley事件で子宮摘出の違法性が認められながら、
その違法行為に対してなんら責任追及がされないのか──。
なぜAshley事件で子宮摘出の違法性が認められながら、
その違法行為に対してなんら責任追及がされないのか──。
そこのところが私には理解できない。
2008.03.28 / Top↑
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