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「現代思想」2月号に上記タイトル通りのタイトルで
日本尊厳死協会副理事長の荒川迪生氏(内科医)と
生命倫理学者の小松美彦氏の対談があるのですが、

その中で射水市民病院の尊厳死事件と
中島みち氏の「『尊厳死』に尊厳はあるか」での指摘が取り上げられており、
とても面白かったので。

射水事件当時ろくに事実関係も明らかにならない内から
日本尊厳死協会が当該医師の現場復帰嘆願署名運動を行っていたと
中島氏は著書の中で指摘しているのですが、

ここを突っ込まれた荒川氏が本は読んだといいながら
調査してみないと分からないと答えたのはともかく、

あれだけ詳細に書かれているにもかかわらず、
あの事件について
「脳死判定は確かにずさんだったにせよ、理念的には許されるのではないか」などと
なんとも大雑把な論理で尚も容認しているのには唖然としてしまう。

全体にこの対談でのお二人の議論のすれ違い方が
そのまま「『尊厳死』に尊厳はあるか」の中に描かれていた
中島氏と当該医師との会話のチグハグそのものといった趣。

尊厳死協会の安楽死と尊厳死の定義や
尊厳死の3要件の矛盾を小松氏が突いていくのですが、
荒川氏から出てくるのは漠然とした一般論や
最終的には情に絡めた「だって誰だって自然に死にたいだろう」のみで

現在の医療危機とそれに伴う医療と福祉の切捨ての中で、
自己責任で費用負担して障害や病気を抱えて生きていくか
 それとも自己選択で死を選ぶか
の二者択一を国民に迫ることになるとすれば、
尊厳死協会は権力の先鋒隊または権力そのものではないかと突っ込まれた際には
「尊厳死協会はそれほど影響力のある団体ではないですから」。

いや、それは卑劣な逃げというものでしょう。

中島氏の著書を読んだ時には
脳死を人の死と定める動きの先導役だった人物が
尊厳死協会の現理事長であると知って、
「それは一体どういうことだ??」と仰天したものですが、

この対談で小松氏はさらに衝撃的な事実を明かしていて、
日本安楽死協会の初代理事長であった太田典礼氏は
1948年の優生保護法の制定に寄与した第一人者だと。
確かに小松氏が引用している太田氏の発言からすると
明らかに障害者に対して強い差別意識を持った人物。

リビング・ウイルを考えている人は、
もう一度あちこちの事実関係・背景をよくよく確かめて、
法制化の動きもじっくりと静観した後にした方がいいかも?

          ――――――

そして、またしても
この問題はAshley事件の構図とぴったりと重なる、
生命倫理の議論としてもまさに同質だと痛感したので、
それについては次のエントリーで書こうと思います。



2008.03.02 / Top↑
民主党の次期大統領候補を巡って
Hillary Clinton候補と熾烈な戦いを繰り広げているBarack Obara氏が26日の討論で
Terry Shiavo事件での議会による政治介入は間違っていた、
家族の選択に介入すべきではなかった
と発言したとのこと。

Obama regrets intervening to save Terri Schiavo
World Net Daily, February 27, 2008

法的手続きの問題として
政治介入が間違いだったという趣旨の発言のようだから
それについては「なるほど」とは思ったのですが、

この記事によると
去年4月の討論でもObama氏は
Terryさんの栄養と水分補給はもっと早く中止するよう自分は闘うべきだったと
述べていたとのこと。

私はObama氏について云々するほどの知識はないのですが、
この事件では
本人なら求めたはずだとの根拠で
夫が栄養と水分の補給の停止を求めたから
「尊厳死」問題と捉えられたし、
本人の意思がどうだったかという争点もあったのでしょうが、

同じことを病院が求めると「無益な治療」の問題になるのだろうと思われ、
その場合は本人の意思すら問題にならないわけですね。

健康な人間並みの水分補給でもって末期の患者さんの肺を水浸しにして
無用に苦しめて死なせているという話も以前よく聞いたので
そんなことをされたくないという意味では尊厳死を選びたいとは思うけれども、

でも、過剰ではなく適量の栄養と水分の補給まで「医療」や「治療」なのか
どうせ助からないから脱水と飢えで死なせるというのが本当に「自然死」なのか
という疑問は「尊厳死」についてもずうっとあって、

さらに「無益な治療」の話にいたっては、
シアトル子ども病院生命倫理カンファで「無益な治療」を提唱するFost講演など、
用語の巧妙な操作によって
社会的に「無益な命」と「有益な命」
「助けるコストに値しない命」と「助けるコストに値する命」の選別を
「治療の無益」に置き換えているだけだと聞こえてしまうし、

Fostは明らかに「どうせ助からないから」ではなくて
「どうせ助かってもQOLが低すぎるから」ということを根拠にしていたし、

そうかと思うとParis講演では
いつのまにやら乙武クンのような四肢欠損について安楽死が論じられていたり、

いろんなところで、
とてもご都合主義な微妙な「ずらし」が起こっているとしか思えない。

この「ずらし」が実は何よりも危険なのではないかと考えるのだけれど、
その一方で同じカンファで慎重論を唱える医師らもいたわけだから、

こうしたご都合主義の短絡は一部の医療倫理が先走っているものの
社会一般にはもっと抵抗感が根強いのだろうと想像していたもので、

いまや大人気に見えるObama候補が
そういう考えの持ち主であったということには
ちょっと「ん?」という感じも。
2008.03.02 / Top↑
ロンドンの研究者が
3歳の子どもと5歳の子どもの発達テストの結果を親の所得階層別に比較したところ
この2年間で
テストの出来が最も良くて最も貧乏な階層の子どもと
テストの出来が最も悪くて最も富裕な階層の子どもの差が
顕著に縮まっていることが分かった、というニュース。

しかも所得格差そのものは
70年代、80年代から変わっていない、とも。



どういう発達テストなのか詳細が分からないし、

そう単純に子どもの将来的な成長や変化を決め付けられるものではないと
この研究結果に疑問を投げかける政府の見解にも一理あるとは思うのですが、

一方で遺伝子診断やデザイナーベビーなど
新興テクノロジーによって「より健康でより頭のいい子どもを」と望む親や
そうした技術を駆使して人類全体の能力の底上げを望む人たちがいることを思えば、

そしてその是非がきちんと議論される前に
技術を利用するだけの財力のある人は我先にやってしまう現実が
既に存在することを考えれば、

この研究は
強い者がより強くなり、
弱い者がさらに切り捨てられていく世界という現在の方向性をこそ
言い当てているのかもしれないし、

もしそうだとしたら、
親の財力によって子どもの能力に差ができるという傾向は
この先も強くなることはあっても弱まることはないのかもしれない……と。

それはおそらく
親の財力によって子どもの健康状態にも差ができる
ということでもあるのでしょうね。

         ――――――

ドバイの映像をテレビで見かけるたびに
私はつい頭に思い描いてしまうのですが、

将来的には世界人口の1~2%程度の超富裕層が
あの、どこもかしこも人工の町に集まって支配層を形成し、

当然そこには高齢者も病人も障害者もいないのだろうし、

その1~2%の超富裕層の生活と欲望を支える社会機能とサービスとを
世界中の各国が分担して提供するという形で世界経済が動いていたりして……?

例えば英国は特に生殖・クローニングを中心に担う「世界の病院」となり、

(その頃には労働者階級は子どもを産むことを禁じられて
 それぞれの仕事に適した、つまり支配層が搾取しやすい遺伝形質を持つ
人間のクローンが大量生産されるのかも)

その他分野で富裕層の超人類化を担う科学と技術の研究所が米国。

いかに超人類となってもいずれは衰えて死ぬから、
衰退期に入った富裕層は「世界の老人ホーム」東南アジアが手厚く介護し看取る。
(もしくは手厚く安楽死させる。)

富裕層に食を供給するのがイタリア・フランス・中国で、
(素材はクローン技術でできた肉や野菜かもしれませんが)

日本は……なにをするんだろう??
もしやゲーム・アニメ・歌舞伎など各種エンターテインメント担当……?

今でも有害IT廃棄物の処理場にされているアフリカ大陸については、
想像するのも恐ろしい……。
2008.03.02 / Top↑