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一連の報道によると事件が起きたのは2006年4月3日。
Betty Whitten(59)は障害のある娘Nyakiambi(34)を包丁で3回刺して殺害。

その後、遺体を車に乗せて橋からガードレールを突き破り川沿いの公園に。
母親もこの事故で怪我をしていますが、
それが心中を試みたものか
警官が車に近づいてきたための突発的な行為なのかはよくわかりません。

Nyakiambiは2歳の時に脳性まひと発達障害と診断されたとのこと。
娘を刺殺するかなり前から母親は抑うつ状態がひどかったようで、
逮捕後も州の精神病院で治療を受け、
裁判を受ける能力の有無が取りざたされていました。

最終的に司法取引で有罪と精神疾患を認めて、
20年の服役の間に治療を受けることになったとのこと。

家族状況の詳細が分からないのですが、
もしも黒人女性が単親で32年間も娘のケアを担い、
あげくにウツ状態に陥って娘を殺したとしたら、
痛ましい事件だと感じると同時に、

米国とカナダで国も違ってはいますが、
同じように娘を殺しても白人のLatimerが7年で保釈され、
娘を苦痛から解放した慈悲殺は正当だったと能弁に主張していることと、
つい引き比べて考えてしまいます。




2008.03.23 / Top↑
先月末に保釈されたRobert Latimerが
2010年12月8日に完全釈放となるまで
day paroleの期間を過ごすハーフウエイ・ハウスに3月17日に入ったのですが、
その際オタワの空港でメディアのインタビューを受け、いろいろしゃべっています。

Latimer wants new jury trial
Leader-Post, March 18, 2008

あれこれ言っているのですが、
具体的な発言について興味のある人は上記の記事を当たってもらうとして、
彼が言いたがっているらしいことは、要は

これまでの裁判は自分が娘を殺したかどうかという事実認定をしただけで、
それなら殺したのは事実だから殺人罪で懲役の実刑になったのもよしとするが、
自分が娘を殺したことが正しかったか間違っていたかの判断はまだついていない。

新たな陪審員によって裁判をやり直し、
自分が娘を殺したことが正しかったかどうかについて裁判所は正直に答えるべきだろう。

世論は重症障害の苦しみから娘を解放した自分の行為を支持してくれているし、
世論も自分たち親子のような状況には正直に向かい合えと求めている。

事実認定によって有罪となったのだから
重症障害があっても殺した行為は殺人以外のなんでもなく、
したがって彼が娘を殺したことは正しくなかったとの判断が下されたのだ、
とは考えられないのでしょうか。

Latimerが何度も「正直に」と繰り返していることが印象的です。
裁判所だってホンネでは正しいことだと思っているのに認めないだけだと
彼はおそらく考えているのでしょう。

もう1つ印象的なのは
自分が個人的に激励のメッセージを多数受け取っていることを根拠に
世論は自分を支持していると正当化する感覚。
Latimerは
「ここにくる機中でも自分がLatimerだと分かったら
自宅に招待してくれる人だっていたぞ」と
世間の人々から支持されている自分を強調するのですが、

そのあたり、
「私のブログに寄せられる賛同のメッセージを見てみろ」と胸を張る
Ashleyの父親に似て、なんだか小児的だなぁ……と。


Latimer事件に関する、これまでのエントリー。

2008.03.23 / Top↑