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北京オリンピック・パラリンピックの公式ボランティア・ガイドが
障害者を説明する文言で批判を浴びています。

ボランティアが障害者に対して非礼な態度を取らないように、
障害者への理解をもってもらおうとの気持ちからだというのは明らかなのですが、
ガイドを作成している側からして偏見でコテコテだということが
図らずも露呈してしまっている。

例えば

身体障害者は多くの場合精神的には健全で、感覚も反応も記憶や思考も他の人と変わらないが、奇形や障害のせいで変わった性格になっていることがある。

例えば、身障者の中には孤立して人と付き合わず内向的な人もいるし、身障者が自分から進んで人と接しようとすることは少ない。

身障者は意固地で指図がましい(controlling)こともあるし、傷つきやすかったり、人を信用することが難しいこともある。

時に彼らは過剰に自己防衛的であり、特に「かたわ」とか「不自由」などと呼ばれたときにはそうなる。

(ボランティアは絶対に)彼らの体の変形している部分をじっと見る(ようなことをしてはならない)。

上からものを言ったり子ども扱いするような態度を取ると、敏感に察知する。それは脳が損傷している患者でも同じ。(手足が自由にならなくても、視覚と理解力は他の人と変わらない。)

多くの人と同じく身障者もボディ・ランゲージがわかる。

話をするときは敬意を持って。

冗談にも「かたわ」とか「ちんば」などの言葉を使わないように。

障害者は防衛的だったり、強い劣等感を抱いていることがある。

人生がもたらす多くの困難にもかかわらず、多くの障害者は誇りを持ち自立している。

ボランティアが介助する際には平等と相互尊重の気持ちで。


翻訳の問題かも知れぬとか、中国の文化の特性を云々して
「政治的に正しく」と力んだあまりのことだと擁護する声もあるようだし、

まぁ、気持ちは分かる、分かってあげたい、気持ちだけは分かってあげましょうよ……とは思うものの
これは、ちょっと、やっぱり不快感があるよなぁ……。

……というか、日本の「障害者差別はやめましょう」式教育や啓発にも時々あることだけど、
実は「自分たちを守るための障害者差別の抑止や防止」を考えているだけという人がいて、
そういう人たちがこういうガイドを作ると、こうなってしまうんじゃないかなぁ。



China cops flack for its Games disability guide
AAP, The Canberra Times, May 27, 2008

【追記】

その後、続報がありました。

2008.05.27 / Top↑
前のエントリーで紹介した最相葉月さん主催の生命倫理問題サイトLNET
04年の文科省の総合科学技術会議を取材していた最相さんが
ヒト胚の研究利用に反対の立場を明確にしたことから
中立の立場でサイトの運営はできなくなったとして
その後、更新されていません。

別の形でリニューアルを検討中と著書には書いてありましたが、
その後、京大の山中教授チームによるiPS万能細胞作成の成功を受けて
「ヒトクローン胚の医療応用という夢が幻想となった」とし、
11月22日にLNETで以下のように書いています。

人クローン胚の医療応用という夢が幻想となったこの10年とは、科学は決して社会的な理解を無視しては発展しえないということを誰もが強く認識するに必要な時間だったのでしょうか。「受精卵は人か否か」という言葉でクローン技術の人間への応用に至る経緯をウォッチングしてきたLNETですが、今後その必要はなくなりました。リニューアルを予告しておりましたが、本日、更新終了を決定いたします。

私も京大とウィスコンシン大のブレイク・スルーで
研究利用の目的でヒト胚を作って廃棄することの倫理問題の議論には終止符が打たれたのだと
これまで考えていたのですが、

(去年の秋、ブッシュ大統領もカトリック教会もそう言って
山中教授チームの快挙を歓迎したのではなかったっけ?)

どうにも、わからない……。

5月21日の朝日新聞に「ヒトクローン胚作り 年内にも解禁へ」という
小さなニュースが掲載されていて、
わが国で、難病研究の目的に限ってヒトクローン胚の作成が認められるという話。

「04年に総合科学技術会議が限定的に容認する方針を決定し」て
その後文科相が関係者らの話を聞きながら「検討してきた」のだそうで、
この文脈には去年のiPS万能細胞の快挙なんて存在しないかのようで……。

体細胞からでも作れるなら倫理問題は解消したといいつつ、
やっぱりヒトクローン胚から作るんですか──?

じゃぁ、倫理問題、ぜんぜん解消していないこと、ない──?
2008.05.27 / Top↑
「いのち 生命科学に言葉はあるか」を読んだ時に覗いてみた
最相葉月さん主催の生命倫理サイトが大変面白かった。


(ただし更新はすでに終了)

ただ、
このサイトに情報提供で協力してきた専門家サポーターの座談会において、
日本での着床前遺伝子診断について
一般国民を巻き込んだ議論をするべきかどうかという点で、
日本国民の知識も判断力もまだ充分ではないから
医療者としては、そっとしておいて欲しい
専門家の間でまずは議論すべき
などと発言される方が複数あったのが
ちょっと気持ちに引っかかったままになっている。

確かに最相さんの「いのち」を読んでも、このサイトを読んでも、
自分の知識不足や意識の低さを痛感して恥じ入るばかりだし、
私もAshley事件では“世論”の危うさを感じてはいるから、

もちろん専門家同士がどんどん議論してくれることは大切なのだけれど、

その反面、ある意味で専門家の“狭さ”にも
専門家って実はモノを知らないよね……と言いたいような危うさがあるという気がする。

それに「専門家に任せておけ」、「そっとしておいてくれ」というのは、
やっぱり、その専門家意識のあり方そのものに
何か非常に危険なものが潜んでいるような……。

専門家は、どんなに鈍くても世論に訴えかけていく努力を続けるべきだと思うし、
特に国家や権力や利権を握っている人たちの利益になる情報が、
彼ら強い者の利益になる形でのみ流されがちで
都合の悪い情報は隠されたり、ゆがめられて伝えられているようにも感じられる現在、
そのように表に出てきにくい情報を掴んでいる専門家こそ
それを世論に投げかけてもらいたいと思うし。

最相さんのサイトの意図も
生命倫理に関する正しい情報を広く一般に知らせて
議論を喚起することにあったと思うので、

何らかの形でこのサイトが再開されるといいなぁ……と。
2008.05.27 / Top↑