今年のシアトル子ども病院の生命倫理カンファレンスが7月25、26の両日に決まったようです。
テーマは「未来を予測する:子どもの遺伝子診断と家族」。
テーマは「未来を予測する:子どもの遺伝子診断と家族」。
Predicting Our Future: Genetic Testing in Children and Their Families
July 25, 26, 2008
At Bell Harbor International Conference Center
Seattle, Washington
July 25, 26, 2008
At Bell Harbor International Conference Center
Seattle, Washington
急速に発達する科学によって遺伝子診断の意味も変貌していることから、
遺伝子診断が提起する倫理と政策の問題として、
カンファレンスのトップページでは
以下のように考えるべき点が挙げられています。
遺伝子診断が提起する倫理と政策の問題として、
カンファレンスのトップページでは
以下のように考えるべき点が挙げられています。
・新生児すべてに行われるべきなのはどの診断であり、成人するまで許されてはならないのはどの診断か。
・乳がんやアルツハイマー病など将来の病気リスクを知るために、親が幼い子どもの診断をすることは許されるべきか。
・家族に影響が及ぶ診断結果については家族に知らせる義務とは?
・注意欠陥障害、中毒やウツなど、行動傾向を予測するために遺伝子診断を使うことは倫理的には?
・例えばスポーツでの活躍の可能性など、能力強化に向いている遺伝的資質を探すことに対する倫理的な考察とは?
・遺伝子診断の意思決定を巡って思春期の子供と親の意見が一致しない場合は?
・子どもを養子に迎えようとする人は前もって遺伝子診断をしてもよいか?
・乳がんやアルツハイマー病など将来の病気リスクを知るために、親が幼い子どもの診断をすることは許されるべきか。
・家族に影響が及ぶ診断結果については家族に知らせる義務とは?
・注意欠陥障害、中毒やウツなど、行動傾向を予測するために遺伝子診断を使うことは倫理的には?
・例えばスポーツでの活躍の可能性など、能力強化に向いている遺伝的資質を探すことに対する倫理的な考察とは?
・遺伝子診断の意思決定を巡って思春期の子供と親の意見が一致しない場合は?
・子どもを養子に迎えようとする人は前もって遺伝子診断をしてもよいか?
一方で各種報道によれば、
既にインターネットでもお手軽な遺伝子診断まで出回っていて、
(ただし結果の信憑性については疑問の声もあるようです)
広く一般に行われていることを思えば、
ここでの議論ですら社会の現実を後追いするしかないのかという気もしますが……。
既にインターネットでもお手軽な遺伝子診断まで出回っていて、
(ただし結果の信憑性については疑問の声もあるようです)
広く一般に行われていることを思えば、
ここでの議論ですら社会の現実を後追いするしかないのかという気もしますが……。
興味はあるのだけど、分科会を含めて全部で14のプレゼン──。
聴き取り能力がない者がWebcastで聴くのは、やっぱ辛いよなぁ……。
聴き取り能力がない者がWebcastで聴くのは、やっぱ辛いよなぁ……。
――――――
ちなみに、例年登場しているNorman Fost医師 とLainie Friedman Ross医師が
今年もそれぞれ一回講演するようです。
今年もそれぞれ一回講演するようです。
Ashley論争では、お二方とも
メディアに登場した数少ない擁護者の中に混じっておられましたが、
やはりシアトル子ども病院と、ずいぶんと近しい関係のようですね。
メディアに登場した数少ない擁護者の中に混じっておられましたが、
やはりシアトル子ども病院と、ずいぶんと近しい関係のようですね。
2008.05.08 / Top↑
イリノイ州で知的障害女性に対する不妊手術の要望が却下された件で出した意見書において、
裁判所は意思決定を行うことのできない人の基本的人権を守るために慎重な判断を求めており
不妊手術の検討にはセーフガードを充分に実施する責任と義務が裁判所にあると
繰り返し書いています。
裁判所は意思決定を行うことのできない人の基本的人権を守るために慎重な判断を求めており
不妊手術の検討にはセーフガードを充分に実施する責任と義務が裁判所にあると
繰り返し書いています。
しかし、この意見書のことを考えていて非常に気になり始めたのですが、
このような司法の機能と権威は果たしてどのように保全されるのでしょうか。
このような司法の機能と権威は果たしてどのように保全されるのでしょうか。
去年7月のシアトル子ども病院の生命倫理カンファにおいて
Norman Fost医師は「裁判所の命令など無視したところで医師が罪に問われた例はない」と述べ、
強い口調で医師らに「裁判所には行くな」と説いているのですが、
Ashley事件の違法性がなんらの懲罰行為に至らなかったことを考えれば、
実際にFostの言うとおりの現実があるわけです。
Norman Fost医師は「裁判所の命令など無視したところで医師が罪に問われた例はない」と述べ、
強い口調で医師らに「裁判所には行くな」と説いているのですが、
Ashley事件の違法性がなんらの懲罰行為に至らなかったことを考えれば、
実際にFostの言うとおりの現実があるわけです。
これでは、いくら裁判所がセーフガードの必要性を説いたところで、
そこに実体が伴わなくても不思議ではないような……。
そこに実体が伴わなくても不思議ではないような……。
以前のエントリーでも指摘しましたが、
そもそも意見の対立さえなければ裁判の場に医療での意思決定が持ち込まれることもなく
家族と医療者の合意によって違法行為が行われてしまう可能性はあるでしょう。
そもそも意見の対立さえなければ裁判の場に医療での意思決定が持ち込まれることもなく
家族と医療者の合意によって違法行為が行われてしまう可能性はあるでしょう。
もちろんイリノイの上訴裁判所の意見は自分で意思決定できない人の不妊手術に関するものであり、
その他の問題にそのまま繋げることはできませんが、それでもなお、
裁判所がセーフガードとして機能するかどうかが医療職の良識にかかっているという現実には
問題があるのではないでしょうか。
その他の問題にそのまま繋げることはできませんが、それでもなお、
裁判所がセーフガードとして機能するかどうかが医療職の良識にかかっているという現実には
問題があるのではないでしょうか。
Norman Fostの上記シアトル子ども病院の生命倫理カンファでの発言からは
障害児・者に今後さらに適用されていきそうな「無益な治療」論の手続きにおいて、
現在の裁判所のセーフガードとしての機能を
病院内倫理委員会に移してしまおうとする意図すら感じられます。
障害児・者に今後さらに適用されていきそうな「無益な治療」論の手続きにおいて、
現在の裁判所のセーフガードとしての機能を
病院内倫理委員会に移してしまおうとする意図すら感じられます。
しかも会場から「本人の利益は誰が代弁するのか」と問われたFostは
「倫理委に地域の代表を1人か2人入れておけばいいだろう」と答えているのです。
「倫理委に地域の代表を1人か2人入れておけばいいだろう」と答えているのです。
まだまだ統一の基準もなく、整備状況も活動内容もバラバラだという
病院内生命倫理委員会が司法の判断の代用になっていくとしたら、
「病院の倫理委が充分の検討のうえで承認したことだから」と
医師らの恣意的な判断を正当化するアリバイに利用されかねないのではないでしょうか。
病院内生命倫理委員会が司法の判断の代用になっていくとしたら、
「病院の倫理委が充分の検討のうえで承認したことだから」と
医師らの恣意的な判断を正当化するアリバイに利用されかねないのではないでしょうか。
ちょうどAshley事件でそうだったように。
2008.05.08 / Top↑
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