2ntブログ
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昨日の朝日新聞には、
親から引き離した幼児を歯科医師がネットで治療台に抑制し、
アレルギーがある子どもの鼻呼吸を確認もせずに局部麻酔を行って治療して、
麻酔によるアナフィラキシーショック(窒息死の可能性も)で死なせたとの
福岡で現在進行中の訴訟についても記事がありました。

訴訟を起こしている父親の佐々木富雄さんが書かれているブログと著書は以下。

ももブログ
「桃香ごめんね」 (佐々木富雄 ジャパンマシニスト)


この新聞記事でも触れられていますが、
昨今、「医療は刑事訴訟になじまない」という声がじわじわと大きくなりつつあり、
そういう話になると、
「患者が何でもすぐに訴える、またメディアがすぐにたたく」と
医師の側の被害者意識がここぞとばかりに噴出して、さらに
「このままでは医師になろうという人間などいなくなる、
 本来、医療のことなど医師にしか分からないのに」と
あれこれ別次元の問題をごちゃまぜにしてしまって
一気に都合のよい結論に飛んでいくような言い分が耳につくのですが、

医療の崩壊や医師不足の問題と、医療過誤の問題とは
本来は「それそれ、これはこれ」と整理して議論すべき別問題なのでは?

誠心誠意、患者のために身を粉にして尽くしておられる医師が沢山おられて、
それでも医療にできることには限界があることは事実であり、
それは患者も知っていなければならないとは思うけれど、

その一方、
現にお粗末な医師による無責任な医療で患者が被害を受けているケースがあることも事実。

医師不足の話から
水準以下の医療からも最低限の倫理の欠落からも医師を免責するべきだと主張するのは、
やはり、ちょっと話が飛躍しすぎるのではないでしょうか。

専門家の専門性が司法判断を超えるとする主張は
なし崩し的に他の分野でも司法の機能を無力化していくリスクを孕んでいて、
そこには専門性という権力の暴走を許す危険が潜んでいると思うので、
そういう話を未整理のままゴリ押しするのは勘弁してほしいと思う。

そもそも当ブログが詳細に追いかけてきたAshley事件とは
米国屈指の子ども病院とその小児科医らの専門性や倫理がいかに簡単に金と権力に屈してしまうか、
そして本来なら最も細心の注意を払って守るべき重症障害児の人権を彼らがいかに簡単に踏みにじるか、
その証左のような事件だと私は考えていて、

さらに
医療サイドが「無益な治療」論による一方的な治療停止権を持つアメリカやカナダで
司法が患者の生きる権利を守る最後の砦となっている現状を齧ったり、
知的障害者の不妊手術を巡るイリノイ上訴裁判所の意見書を読んでみても、

専門性とは強大な権力であるということを切実に感じるし、
その権力が最も弱い者に対して行使されるときに
社会はどのようなセーフガードを念入りに設けておくのかという視点を見失ってはいけないと強く思う。




2008.05.11 / Top↑
射水市民病院の呼吸器外し事件で以下のような進展があった模様。



事件の事実関係を知れば、
この事件をもって延命治療の是非を問う議論が加速化すること自体に、むしろ
いまの日本の終末期医療を取り巻く状況がとんでもなく危ういことを痛感するのですが、

伊藤医師が温情厚い患者の味方であるかのようにもてはやした
事件直後のメディアの騒ぎ方に比べて、
今回の展開については、なんと静かなことか。

この件について、コメントしておられるお医者さんのブログがありましたので、
以下にトラックバックさせていただきました。

2008.05.11 / Top↑