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英国議会で審議されていたヒト受精・胚法改正法案ですが、

ハイブリッド胚の作成と救済者兄弟についての投票が行われ、
共に賛成多数で認められたとのこと。

ハイブリッド胚については、336票vs176票。
Brown内閣では3人の閣僚が反対に投じた。

明日の投票は中絶のタイムリミット問題と
レズビアンと独身女性にIVFを認める問題について。

今日の関連ニュースを以下に。


Daffodils and red herrings
The Guardian, May 20, 2008

How they voted on embryo research
The Guardian, May 20, 2008

Hearts or minds
By Adam Rutherford,
The Guardian, May 20, 2008

Do families need fathers?
The Guardian, May 20, 2008



Hybrid Embryo Research Endorsed
The Washington Post, May 20, 2008

たしかGuardianのいずれかの記事だったと思うのですが、
ハイブリッド胚を禁じる改正案を提出した議員が言っていたことで、
「すぐにでも難病の治療法が見つかるかのように思わせられている人が多いが、
 それは誘導であり、偽りの情報であり、現実味のない誇大広告に過ぎない」
といった趣旨のことを言っていたのが、
ああ、私もそんな感じをもっている……と印象的だった。

あと、ハイブリッド胚にもいろいろあって、
細胞がどの程度動物で、どの程度ヒトかの割合によって混成胚とか「本物のハイブリッド胚」と
呼び方が変わるらしいのですが、読んでいると頭が混乱しそうなので、
この先、そんな詳しい知識が必要になるようなことでもあれば、その時でいいや……。
2008.05.20 / Top↑
表題の通りのタイトルを見た瞬間から心が波立って、取り上げたいと思いながら、
しっかり考える時間が欲しい気がして棚上げしていたSeattle Post-Intelligencerの記事。

まだ「しっかり考え」られてなどいないのですが、
前のエントリーで取り上げた日本の空気は
実は世界の空気でもあるというところに通じていくと思うので。
(あ、これは逆で、きっと米国を中心とした世界の空気が日本の空気に通じているのでしょうね。)

記事そのものは、
障害児の中でも自閉症の子どもの親が最も抑うつ度が高く、不安やストレスを抱えている、という結果が
ワシントン大学の調査研究で出たことから、
自閉症の男の子がいるシアトル在住の一家の生活を取材して、
いかに自閉症の子どもとの日常の暮らしが負担とストレスに満ちたものであり、いかに親が大変か
いかに療育にお金がかかるかを描いたもの。

自閉症が急増している現状にも触れる中で親子の現実を描き、
親への支援の必要を訴えていると読んで読めないこともないのですが、
どうもそうばかりと思えない妙なトーンで書かれているから、考えてしまう。

「親は自閉症の隠れた犠牲者」というタイトルに続く副題は
「厄介な障害が痛めつけるのは障害を負った本人だけじゃない」
Baffling disorder hurts more than just those who have it

Parents are autism’s hidden victims
By Paul Nyhan,
The Seattle Post-Intelligencer, May 5, 2008/05/16


確かに自閉症の子どもを育てる日常は負担とストレスに満ちているだろうし、親は大変でしょう。
日本と違ってお金もかかって破産の危機すらあるというのも
アメリカの障害児の親ならではの苦労かもしれない。

それでもなお「犠牲者」という言葉の選択には、
私はとても大きな抵抗を感じます。

仮にそう呼びたいほどの現実があるとしても、それでも敢えて選択したくない、
「それを言っちゃ、もうお仕舞いでしょう」という種類の言葉だと思う。
そこのところを、しっかり時間をかけて考えてみたかったのだけど、
まだ煮詰まっていないので、この点については改めて整理できたら書きます。

ここでとりあえず問題にしておきたいのは、新聞側の姿勢。
なぜなら、取材を受けた親が自らを「犠牲者」と形容しているわけではなく、
「犠牲者」という言葉を選んだのは記事を書いた記者ですから。

たいへん恐ろしいことなのだけど、私には
「親は犠牲者だ」というタイトルのこの記事全体に
障害や障害を持った子どもを否定的に捉えるトーンが
漂っていると感じられてならないのです。

記者が親に寄り添うのはいい。
だけど、この記者は子どもに対峙する位置で親に寄り添っているような。
そこから冷たい眼で迷惑そうに子どもを眺めながら、語っているような。

例えば
Children have autism, but parents are often invisible casualties.
自閉症があるのは子どもだが、親はしばしば目に見えない犠牲者である。

(casualtiesという言葉は、事故や災害の死者や負傷者を指して使われる言葉で、個人的にはvictimsよりも非人格化された響き、「負傷者10名」という場合のような数値化されたような響きを感じます。)

By his third birthday, this engaging child had choked a baby and wanted to kill the family cat.
3歳の誕生日も迎えぬうちに、何にでも手を出していくこの子どもは、赤ん坊を1人窒息させ、家族が飼っている猫を殺そうとした

Like an invasive weed, Sharky’s autism permeated most daily routines for his first four years.
Sharkyが4歳になるまでの間、自閉症はまるで雑草がはびこっていくように、ほんの些細な日常のルーティーンにまで浸透していった。

His sweet social nature now far outweighs more typical outbursts of 30 minutes or less.
かつての可愛らしく人懐こい性格はどこへやら、今ではどうかすると30分も続くかんしゃくがすっかり御馴染みになってしまった。

本当に自閉症に理解があって、親への支援の必要を訴えようとする記者ならば、
同じことを書いても、もっと違う表現を使うのではないでしょうか。

この記事の2日後に、
私と同じように「犠牲者」という表現に違和感を覚えた自閉症の子どものお母さんが、
以下のブログで取り上げて「皆さんはどう思いますか?」と問いかけ、いろんなコメントが寄せられています。
「実際に犠牲者だと思う」といった声もあるようです。



それにしても、不思議だなぁ……と思うのは、、

この記事には、ワシントン大学の研究者が
自閉症の子の親が一番大変だという結果を出したと書いてはあるのですが、
通常なら説明されるはずの調査内容や方法の詳細がまるきりなくて、
主任研究者の名前もなければ、コメントもない。
この長い記事の中には、この調査に関する詳細は一切ないまま、
ただ「UWの研究者が自閉症の親が一番大変だという結果を出した」と。
そんなバカな”報道”はないんじゃないでしょうか。

自閉症の急増ぶりを示すグラフは
わざわざCDC(米国疾病予防管理センター)のサイトから引っ張ってきて
やたら大きく載せているというのに。

この記事の行間から漂ってくる隠微なメッセージ、
私にはこうささやいているように聞こえてしまう。

「自閉症の子どもが生まれたら、親の人生はもうお終いですよ。
でも、そんなコワ~イ自閉症は増えているのです。 
いいんですか? どうします?」
2008.05.20 / Top↑

この議論、そっくり車椅子使用者にも当てはまめられてしまう可能性が気になるのだけど、
そちらに広がっていく可能性は本当にないのだろうか……。

例えば「混んでいる時は迷惑だから、空いている時間に出かけろ」といった論調には
他者への想像力がまったく欠落していて、

その反面、というか、むしろ、欠落しているだけに、
混雑する駅で子どもを抱き、荷物とベビーカーのやりくりに難儀している親に
この人は手を貸すのだろうかと想像すると、きっと目に入っても見えないだろうとしか思えないし

そういうことが、そのまま車椅子使用者に当てはめられていく事態も
このベビーカー論争のすぐ隣にありそうな気がして、不気味。


こんなのも論争になっていたらしい。



これ、いずれも、
運転マナーの悪い人は性別を問わずに存在するのだけど、
自分の前の車がウインカーを出さずに交差点を曲がったことにムカついた時に、
ドライバーが男だったら「なんだよ、マナー悪いな」と個人の資質で捉えられるものが、
ドライバーがたまたま女だったら「これだから女のドライバーは……」と
一気に性別の問題に一般化されがちなことと同じパターンのような……。

(ベビーカーでなくても大きな荷物を抱えてマナーが悪い人もいるし、
 知的障害がなくても乱暴な子どもも謝らない親もいるし。)


それにしても気になるのは、やはり、この空気。
誰か1人が口火を切ることで、それで免責された気分で「みんなで言えば怖くない」、
言い合っているうちに、「みんなで社会的弱者への想像力なんか投げ捨ててしまおう」とでもいった勢い……。

それは議論が正当だからではなく、ただ単に数の力が生んだ勢いに過ぎないのに。

あぁ、そして、そんな「弱者たたき」の雪崩れ現象が頻発していることこそ、
実はみんなが弱者になってきたからじゃないかということに気がつかなければ、
本当はそれが一番コワイことなんじゃないのかという気がするのですが?
2008.05.20 / Top↑