久々にAshley事件について新発見。
WPASの調査報告書のシアトル子ども病院との合意内容を読んで
ずっと頭に引っかかっていることの1つに、
ずっと頭に引っかかっていることの1つに、
ところが、その9月を過ぎても、まったくそういう話が出てこなかった。
どうなっているのか確認するすべもないまま、
もう1年以上ずっと引っかかっていたのですが、
どうなっているのか確認するすべもないまま、
もう1年以上ずっと引っかかっていたのですが、
ネットをごそごそしていたら、ひょっこりと関連文書に出くわしました。
子ども病院の方針に関する公式文書2つ。
子ども病院の方針に関する公式文書2つ。
ただし、
①の未成年の不妊手術に関する方針の方は
2007年10月29日に起草、
Medical Executive Committeeによって11月15日に承認され、
翌16日に改定された上で病院長、副病院長兼総看護師長、副病院長兼医療部長の3名が署名して
採択されていますが、
①の未成年の不妊手術に関する方針の方は
2007年10月29日に起草、
Medical Executive Committeeによって11月15日に承認され、
翌16日に改定された上で病院長、副病院長兼総看護師長、副病院長兼医療部長の3名が署名して
採択されていますが、
②の「発達障害のある患者への成長抑制介入」に関する方針の方は
2008年4月11日に起草されたまま、
Medical Executive Committeeの承認欄も
病院長らの書名欄も空白のままなのです。
2008年4月11日に起草されたまま、
Medical Executive Committeeの承認欄も
病院長らの書名欄も空白のままなのです。
これは一体どういうことなのか──?
シアトル子ども病院は
不妊手術に関してのみ予定よりも2ヶ月遅れで方針を採択したものの、
成長抑制(ホルモンによる成長抑制、乳房芽切除など)については
当初の合意を翻したということなのでは?
不妊手術に関してのみ予定よりも2ヶ月遅れで方針を採択したものの、
成長抑制(ホルモンによる成長抑制、乳房芽切除など)については
当初の合意を翻したということなのでは?
しかし、病院は2007年5月16日の記者会見でのプレスリリースでも、
このようなことが二度と起こらないように新たなセーフガードを導入すべく検討中として、
ホルモン療法による身長抑制についても、乳房芽または子宮摘出についても
裁判所の命令なしに行わないことを明確にセーフガードに含めていました。
このようなことが二度と起こらないように新たなセーフガードを導入すべく検討中として、
ホルモン療法による身長抑制についても、乳房芽または子宮摘出についても
裁判所の命令なしに行わないことを明確にセーフガードに含めていました。
そもそも、その合同記者会見自体、
WPASと病院との合意を公式に発表したものなのだから、
その後もしも病院が部分的にせよ合意内容を覆すのであれば、
それは公に発表すべきことのはず。
WPASと病院との合意を公式に発表したものなのだから、
その後もしも病院が部分的にせよ合意内容を覆すのであれば、
それは公に発表すべきことのはず。
最初から隠蔽ばかりやっている病院側はともかく、
WPASはこんな重大なことを公表もせず、
姑息にも病院側の設定したワーキンググループに加わって
なんでそうまでして病院の正当化のお先棒を担いでいるのか。
WPASはこんな重大なことを公表もせず、
姑息にも病院側の設定したワーキンググループに加わって
なんでそうまでして病院の正当化のお先棒を担いでいるのか。
障害者の権利を守るという本分は、どこへ行ったんだ。恥を知れよっ。
2009.03.18 / Top↑
標題の通りのニュース。
もう、あっちでもこっちでも議会に法案が提出されて
どこの州で議論になっているんだかワケが分からなくなっていたのですが、
(漏れはあるかもしれませんが個別情報は「尊厳死」の書庫に)
どこの州で議論になっているんだかワケが分からなくなっていたのですが、
(漏れはあるかもしれませんが個別情報は「尊厳死」の書庫に)
とりあえず、Connecticutでは、法案は出たものの棚上げ、と。
他にもいろいろ棚上げされたうちの1つだったようですが、
もともと提案した人自身が
もともと提案した人自身が
この問題を考えている人が増えているので提案したけれど、
法制化の議論がそれほど簡単でないことは分かってるし、
一回の議会の審議で片がつくような問題でないことも分かっている
自分としても議論を始めることが目的であり、
議論を終えることを目的としていたわけではない、と。
法制化の議論がそれほど簡単でないことは分かってるし、
一回の議会の審議で片がつくような問題でないことも分かっている
自分としても議論を始めることが目的であり、
議論を終えることを目的としていたわけではない、と。
Physician-Assisted Suicide Bill Is Shelved By Connecticut Legislature
The Hartford Courant, March 18, 2009
The Hartford Courant, March 18, 2009
この問題とは全く無関係な話で恐縮ですが、
昨日から日本のテレビでもやっている「AIG役員の巨額ボーナスがけしからん」という米国ニュースに
去年から製薬会社と研究者・医師との癒着がらみで
当ブログで何度もお名前を取り上げているGrassley上院議員が出てきたものだから、
去年から製薬会社と研究者・医師との癒着がらみで
当ブログで何度もお名前を取り上げているGrassley上院議員が出てきたものだから、
「ああ、この人かぁ……」と
それなりの敬意と感慨をもって拝顔していたら
この人、ものすごいことを言った。
それなりの敬意と感慨をもって拝顔していたら
この人、ものすごいことを言った。
「金を返すか、日本人のように自殺するか、どっちかにしろ」って……。
「死んでお詫び」ということ──?
まさか、ハラキリのことをおっしゃっているので?
「日本人みたい」にって?
「日本人みたい」にって?
うへぇ。
私の感覚では、最近では「自殺」というと
欧米の方がはるか先を突っ走っておられる……という感じがしていたのだけどな。
欧米の方がはるか先を突っ走っておられる……という感じがしていたのだけどな。
2009.03.18 / Top↑
ニュースのタイトルを見た瞬間、嫌な予感で胸がドキドキした。
読んでみたら、やっぱりウチの娘が生まれた時の状況とそっくりの話だった。
読んでみたら、やっぱりウチの娘が生まれた時の状況とそっくりの話だった。
カナダ、ケベック州の事件。
2007年11月
難産で生まれたPhebe LaurendeauちゃんがMontreal 子ども病院に搬送される。
重態のため生命維持装置を装着。
難産で生まれたPhebe LaurendeauちゃんがMontreal 子ども病院に搬送される。
重態のため生命維持装置を装着。
両親は
助かる見込みは少ないので人工呼吸器も経管栄養も中止するほうがよいと医師に勧められて、
それに同意した。
助かる見込みは少ないので人工呼吸器も経管栄養も中止するほうがよいと医師に勧められて、
それに同意した。
ところが、呼吸器を取り外した後に、
Phobeちゃんは自力呼吸ができることが判明。
病院の倫理委員会は両親の決定を覆して生命維持を再開した。
(ただし、この部分の事実関係は裁判でもまた確認されていないとのこと)
Phobeちゃんは自力呼吸ができることが判明。
病院の倫理委員会は両親の決定を覆して生命維持を再開した。
(ただし、この部分の事実関係は裁判でもまた確認されていないとのこと)
両親が350万ドルを求めて病院を提訴。
両親の弁護士は、
病院倫理委はケベック州法に違反しており、両親の決定を上回る力を持つのは裁判所のみのはずだ、と。
病院倫理委はケベック州法に違反しており、両親の決定を上回る力を持つのは裁判所のみのはずだ、と。
記者会見での両親側弁護士の発言
「絶対に許せません。
あの人たちは自分たちの治療についての意見を両親に押し付けただけです。
栄養を与えるたびに本人を苦しめることになるから諦めたほうがいい、
苦痛や不快を抑える緩和ケアに切り替えたほうがいいと勧めたのです。
あの人たちは自分たちの治療についての意見を両親に押し付けただけです。
栄養を与えるたびに本人を苦しめることになるから諦めたほうがいい、
苦痛や不快を抑える緩和ケアに切り替えたほうがいいと勧めたのです。
人生最悪の決断だったと両親は言っていますが、
その時にはPhebeが生きたとしても、どういう生活を送るかなんて分からなかった。
その時にはPhebeが生きたとしても、どういう生活を送るかなんて分からなかった。
もしも本人がその時に同意できたとしたら
きっと命を終わらせてほしいと同意しただろうと両親は考えています」
きっと命を終わらせてほしいと同意しただろうと両親は考えています」
Phebeちゃんは2ヵ月半の後に退院し、
医師が出るといっていた聴力・視力の障害はないものの、
脳性まひなど重い障害があって常時介護が必要。
医師が出るといっていた聴力・視力の障害はないものの、
脳性まひなど重い障害があって常時介護が必要。
退院時に両親は
親権を行政に引き渡して保護してもらうこと(protective custody)も選べるし、
家につれて帰ってもいいと説明され、後者を選んだ。
親権を行政に引き渡して保護してもらうこと(protective custody)も選べるし、
家につれて帰ってもいいと説明され、後者を選んだ。
現在1歳半で、両親を見たら笑顔になる(笑顔の写真が記事に)。
母親はPhebeのケアのため仕事を辞めなければならずダブル・インカムではなくなった。
母親はPhebeのケアのため仕事を辞めなければならずダブル・インカムではなくなった。
The Euthanasia Prevention CoalitionのAlex Schadenbergは病院倫理委の決定を支持。
裁判所は両親の訴えを却下すべきだ、と。
裁判所は両親の訴えを却下すべきだ、と。
Couple Sues Quebec Hospital for Not Dehydrating Disabled Infant Daughter to Death
LifeSiteNews.com, March 17, 2009
LifeSiteNews.com, March 17, 2009
……ったく、どこをとっても私にとっては22年前の追体験みたいな事件で
いろんな思いや感想が群がり起こってはいるのですが、
それはまた、ある程度整理してから、ということにして、
まずここでは、心ではなく頭に浮かんだことを。
いろんな思いや感想が群がり起こってはいるのですが、
それはまた、ある程度整理してから、ということにして、
まずここでは、心ではなく頭に浮かんだことを。
①医療における判断というのは
患者の容態が常に移り変わっていたり、
急変(良い方向も含めて)の可能性を常にはらんだ中で行われるのだということ。
患者の容態が常に移り変わっていたり、
急変(良い方向も含めて)の可能性を常にはらんだ中で行われるのだということ。
② それを前提に考えれば、この事件の本質は
実は最初の段階で医師の判断にミスがあったということに過ぎない、
つまり、両親に決断を求めた医師の判断が早すぎた、という問題なのではないか。
実は最初の段階で医師の判断にミスがあったということに過ぎない、
つまり、両親に決断を求めた医師の判断が早すぎた、という問題なのではないか。
③ 当初は消極的安楽死として提案され決断されたはずのことが、
一度覆されてしまった事実をはさんで
まるでロングフル・バース訴訟と同じ
生命ではなく生命の質を問題にする論理に変質してしまっている。
一度覆されてしまった事実をはさんで
まるでロングフル・バース訴訟と同じ
生命ではなく生命の質を問題にする論理に変質してしまっている。
④両親の下した選択は
「もはや死は避けがたいので苦痛を和らげて死なせてあげる」だったのだから、
「死が避けがたい」という前提で安楽死を選ぶかどうかの選択だったわけで、
それは「死が避けがたい」という前提がなければ
そもそも存在しなかったはずの選択だったのに、
今、両親が訴訟で主張していることは事実上は
「死が避けがたいものでなくなった場合にも
重い障害が残る可能性を前提に改めて選択をさせてくれるべきところ、
その選択をさせてもらえなかった」ということでは?
「もはや死は避けがたいので苦痛を和らげて死なせてあげる」だったのだから、
「死が避けがたい」という前提で安楽死を選ぶかどうかの選択だったわけで、
それは「死が避けがたい」という前提がなければ
そもそも存在しなかったはずの選択だったのに、
今、両親が訴訟で主張していることは事実上は
「死が避けがたいものでなくなった場合にも
重い障害が残る可能性を前提に改めて選択をさせてくれるべきところ、
その選択をさせてもらえなかった」ということでは?
⑤ 当初の決定が覆っていることが話をややこしくしているので
そこの事実関係とか法的解釈が裁判では問題になるのでしょうが、
「死に瀕していなくても重症障害が残るのだったら死なせてほしかった」という主張は
当初の選択とは実は別の選択なのだから、
そうした事実関係と実は無関係なのでは?
そこの事実関係とか法的解釈が裁判では問題になるのでしょうが、
「死に瀕していなくても重症障害が残るのだったら死なせてほしかった」という主張は
当初の選択とは実は別の選択なのだから、
そうした事実関係と実は無関係なのでは?
⑥ 自殺幇助合法化議論で行われているのとまったく同じ、
問題の混同がここでも起こっているのではないか。
問題の混同がここでも起こっているのではないか。
つまりターミナルな状態を前提にしているはずの議論が
一定の障害像(“生命の質の低さ”として捉えられる)は生きるに値しないという前提へと
いつのまにか拡大・変質していることの不思議。
一定の障害像(“生命の質の低さ”として捉えられる)は生きるに値しないという前提へと
いつのまにか拡大・変質していることの不思議。
だからこそ、最初の問題に戻って
「ターミナル」だとか「植物状態」だとか「最少意識状態」などという「診断」は
時間をかけてゆっくりと慎重の上にも慎重を期して行うべきなんじゃないのか、と思うし、
「ターミナル」だとか「植物状態」だとか「最少意識状態」などという「診断」は
時間をかけてゆっくりと慎重の上にも慎重を期して行うべきなんじゃないのか、と思うし、
医療職も患者も昨今の倫理学者も我々一般人も、
医療における判断は患者の容態が常に移り変わっている中で行われる危ういものだという事実を
もう一度しっかり思い返し確認して、
医療における判断は患者の容態が常に移り変わっている中で行われる危ういものだという事実を
もう一度しっかり思い返し確認して、
なんにせよ、後戻りできないような決断は急がない方がいいんじゃないかなぁ……。
それにしても、記事にあるPhebeちゃんの笑顔を見ながら
彼女が愛していて、何の疑いもなく笑顔を向けている、その両親は
「本人だって、あの時にもし同意できていたら
死なせてくれと同意したはず」
と考えている……ということを思うと、なんとも暗澹とします。
彼女が愛していて、何の疑いもなく笑顔を向けている、その両親は
「本人だって、あの時にもし同意できていたら
死なせてくれと同意したはず」
と考えている……ということを思うと、なんとも暗澹とします。
ともあれ、今後の推移を注目したい裁判。
---
ちなみに、カナダ医師会からこんなのが出ていました。
2009.03.18 / Top↑
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