Idahoの州議会上院が
テキサスの無益な治療法とほぼ同じ内容の法案を可決。
テキサスの無益な治療法とほぼ同じ内容の法案を可決。
Idaho Legislature Considering Dangerous Futile Care Bill Putting Patients at Risk
LifeNews.com, March 10, 2009
LifeNews.com, March 10, 2009
この記事は多くをWesley Smithのブログ記事に負っているようなので、
そちらも読んでみました。
そちらも読んでみました。
(つまりは主流メディアが記事にしていないということですね。
法整備のプロセスが複雑なために専門のロビーグループでも雇わない限り追跡は不可能で、
そのため、あまり表に出ないうちにこういうことが決まっていく怖さがある、と
Smithは以下の記事の冒頭で指摘しています。これは日本でも同じかも))
法整備のプロセスが複雑なために専門のロビーグループでも雇わない限り追跡は不可能で、
そのため、あまり表に出ないうちにこういうことが決まっていく怖さがある、と
Smithは以下の記事の冒頭で指摘しています。これは日本でも同じかも))
患者に対する治療が医学的に不適切である、または無益であると
医師または病院の倫理委が認めた場合には
仮にその患者が事前意思指示書によって望んでいた治療であったとしても、
病院は患者に転院先を探す15日間の猶予を与えた後に
治療を拒否することができる。
医師または病院の倫理委が認めた場合には
仮にその患者が事前意思指示書によって望んでいた治療であったとしても、
病院は患者に転院先を探す15日間の猶予を与えた後に
治療を拒否することができる。
Smithは「医学的に不適切または無益」という表現が曖昧であると批判。
また不可逆的な昏睡状態に関連して
これまでは「生命を引き伸ばす」という意味で使われてきた「延命」が
ここでは「ただ死を引き伸ばすに過ぎない治療」という表現に置き換わっていることを鋭く指摘。
これまでは「生命を引き伸ばす」という意味で使われてきた「延命」が
ここでは「ただ死を引き伸ばすに過ぎない治療」という表現に置き換わっていることを鋭く指摘。
さらにSmithは唖然とするような法文を見つけているのですが、
いったん倫理委で治療を拒否された患者が
またその病院に再入院してきた場合には
最初の判断から6ヶ月以内であれば
当初の倫理委の決定を適用することができる、というのです。
またその病院に再入院してきた場合には
最初の判断から6ヶ月以内であれば
当初の倫理委の決定を適用することができる、というのです。
治療を無益とされた患者が他の施設で生き延びて戻ってきたとしたら、
それは治療が無益ではなかった、当初の判断が間違いだったということなのに!
それは治療が無益ではなかった、当初の判断が間違いだったということなのに!
さらに、倫理委の判断で行われるように書かれている一方で、
「倫理委の協議は純粋にボランタリーなものである」との追記もあって、
これは要するに、医師がそれぞれ自分が持っている患者の命の質への偏見に基づいて
決められるということではないかとSmithは批判しています。
「倫理委の協議は純粋にボランタリーなものである」との追記もあって、
これは要するに、医師がそれぞれ自分が持っている患者の命の質への偏見に基づいて
決められるということではないかとSmithは批判しています。
to Die in Idaho! Legislature Close to Passing Futile Care Bill
Wesley Smith, Secondhand Smoke, March 9, 2009
Wesley Smith, Secondhand Smoke, March 9, 2009
Idaho Futile Care Bill: Doctors Can Unilaterally Decide to Push People into the Grave
(こちらは上の記事の追記的なもの)
(こちらは上の記事の追記的なもの)
「治療の無益」と「患者の命の無益」とは別の話だから
医師だって、そこらへんはきちんと区別してくれるものだと
当初は私も考えていました。
医師だって、そこらへんはきちんと区別してくれるものだと
当初は私も考えていました。
しかし、シアトル子ども病院の生命倫理カンファにおいて
Norman Fost医師が説いた「無益な治療」論は
医療における無益という概念を「量的無益」と「質的無益」に分けており、
後者は「この患者の命は助けるに値するか」と患者の命の質を秤にかけるものでした。
Norman Fost医師が説いた「無益な治療」論は
医療における無益という概念を「量的無益」と「質的無益」に分けており、
後者は「この患者の命は助けるに値するか」と患者の命の質を秤にかけるものでした。
医療倫理の功利主義でも同じように、
全体のコストパフォーマンスから治療の有益・無益を測ろうとしています。
全体のコストパフォーマンスから治療の有益・無益を測ろうとしています。
Smithがいうように、
このような無益な治療法が広がっていけば、
それぞれの医療現場でそれぞれの医師がそれぞれの価値観によって
治療の無益を判断することになり、そこには自ずと
患者の命の質を治療のコストと天秤にかけて
「この患者はこれ以上の治療には値しない」との判断が生じてくると思われます。
このような無益な治療法が広がっていけば、
それぞれの医療現場でそれぞれの医師がそれぞれの価値観によって
治療の無益を判断することになり、そこには自ずと
患者の命の質を治療のコストと天秤にかけて
「この患者はこれ以上の治療には値しない」との判断が生じてくると思われます。
左側からは自殺幇助の合法化議論が
右側からは無益な治療論がジワジワと推し進められてきて、
その両方がだんだんと高齢者・障害者・病者の居場所を狭めていく……
……という気がしてなりません。
右側からは無益な治療論がジワジワと推し進められてきて、
その両方がだんだんと高齢者・障害者・病者の居場所を狭めていく……
……という気がしてなりません。
【注】
Idaho州上院、発達障害者の治療「無益または非人道的なら差し控え」と全員一致でというニュースが
3月3日のAP電にあったのですが、
これがSmithが取り上げている法案の一部に発達障害者に限定した項目があるのか、
それとも別に発達障害者に限定した法律が議論されているのかは、いずれの記事からもよく分かりません。
Idaho州上院、発達障害者の治療「無益または非人道的なら差し控え」と全員一致でというニュースが
3月3日のAP電にあったのですが、
これがSmithが取り上げている法案の一部に発達障害者に限定した項目があるのか、
それとも別に発達障害者に限定した法律が議論されているのかは、いずれの記事からもよく分かりません。
【3月18日追記】
その後、Idahoの無益な治療法は反対の声が多く、成立が難渋している模様です。
その後、Idahoの無益な治療法は反対の声が多く、成立が難渋している模様です。
Idaho Futile Care Bill Stalled in Legislature After Strong Opposition, Action Needed
LifeNews. Com, March 17, 2009
LifeNews. Com, March 17, 2009
【10月19日追記】
3月の こちらの Wesley Smith の情報で、法案は流れたようです。よかった。
3月の こちらの Wesley Smith の情報で、法案は流れたようです。よかった。
【テキサスの無益な治療法を巡る裁判、Gonzales事件関連エントリー】
Emilio Gonzales事件
ゴンザレス事件の裏話
生命倫理カンファレンス(Fost講演2)
TruogのGonzales事件批判
Emilio Gonzales事件
ゴンザレス事件の裏話
生命倫理カンファレンス(Fost講演2)
TruogのGonzales事件批判
2009.03.11 / Top↑
自殺幇助の問題を考えるに当たって、
非常に参考になりそうな記事を見つけました。
非常に参考になりそうな記事を見つけました。
Oregon州の医療センターと医療大学の共同研究で、
Oregon州で医師による自殺幇助を希望している人の動機は
現在の症状ではなく、むしろ将来の苦痛や
これから先に自律性を失ってしまうことへの心配である、と。
Oregon州で医師による自殺幇助を希望している人の動機は
現在の症状ではなく、むしろ将来の苦痛や
これから先に自律性を失ってしまうことへの心配である、と。
初めて医師による自殺幇助を求める人は
現在の症状に苦しんでいるわけではなく、
また現在の自分のQOLが低いと感じているわけでも
現在生きていることを無意味だとか価値がないと感じているわけでもない。
現在の症状に苦しんでいるわけではなく、
また現在の自分のQOLが低いと感じているわけでも
現在生きていることを無意味だとか価値がないと感じているわけでもない。
むしろ
将来経験することを予想すると、
それが自分には耐えられないとしか思えないので、
そのリスクから自分を守ろうとしているのだ、と。
将来経験することを予想すると、
それが自分には耐えられないとしか思えないので、
そのリスクから自分を守ろうとしているのだ、と。
従って、研究の著者らは
患者が自殺幇助を希望してきた場合には
医師はまず患者の「自分ではどうにもできない」という感じをなくす努力をし、
教育して、将来出てくる症状の管理について患者に安心感を持たせることが必要、と。
患者が自殺幇助を希望してきた場合には
医師はまず患者の「自分ではどうにもできない」という感じをなくす努力をし、
教育して、将来出てくる症状の管理について患者に安心感を持たせることが必要、と。
Oregonians Interested in Physician Aid In Dying Appear Motivated By Fear Of Future Events
The Medical News Today, March 9, 20090
The Medical News Today, March 9, 20090
ターミナルであっても、
痛みさえ十分にとってあげることができたら
患者さんは死にたいとは言わなくなると
ホスピス医が書いていたのを読んだことがあります。
痛みさえ十分にとってあげることができたら
患者さんは死にたいとは言わなくなると
ホスピス医が書いていたのを読んだことがあります。
だとしたら、はやり
死にたいと望む人に、まず必要なのは
緩和ケアで体と心が十分にケアされて、
最後まで自分は大切にケアしてもらえると安心できることなのではないでしょうか。
死にたいと望む人に、まず必要なのは
緩和ケアで体と心が十分にケアされて、
最後まで自分は大切にケアしてもらえると安心できることなのではないでしょうか。
そして、終末期ではない状態で死にたいと望む人にも
病気や障害によって、それまで持っていた機能を失ってしまっても、
それで人間としての価値や尊厳が変わるわけではないし
それで人間としての価値や尊厳が変わるわけではないし
人の手を借りながら生きていくあなたも、
それまでのあなたと何も変わらない、
それまでのあなたと何も変わらない、
堂々と人の手を借りてあなたらしく生きていけばいい……
……というメッセージを送ってあげられる社会であれたら、と思う。
この自殺幇助希望者の先取り不安、
ふっと障害のある子を連れて死んでいく親の先取り不安と重なってしまった……。
ふっと障害のある子を連れて死んでいく親の先取り不安と重なってしまった……。
2009.03.11 / Top↑
英国にもFriends at the End(FATE)という「死の自己決定権」のアドボカシー団体があり、
そのFATEのメディカル・アドバイザーで元GP(家庭医)のDr. Libby Wilsonが
スコットランドの女性が餓死によって自殺した際に
彼女に助言していたことをテレビのインタビューで告白。
(インタビューのビデオが以下のリンクにあります)
スコットランドの女性が餓死によって自殺した際に
彼女に助言していたことをテレビのインタビューで告白。
(インタビューのビデオが以下のリンクにあります)
女性は75歳で運動神経系の病気による重い障害がある。言葉も不自由。
このまま生きて、やがて自分の唾も飲み込めなって窒息するのは嫌だと考えるようになった。
このまま生きて、やがて自分の唾も飲み込めなって窒息するのは嫌だと考えるようになった。
しかし安楽死は英国では違法であるため、
Wilson医師が助言し、女性は食べ物と水分を断ち25日間かけて自殺した。
Wilson医師が助言し、女性は食べ物と水分を断ち25日間かけて自殺した。
The General Medical Councilでは、
このような選択肢を患者と協議しただけでも医師には除名の可能性もある、と。
このような選択肢を患者と協議しただけでも医師には除名の可能性もある、と。
Wilson医師は
「列車に飛び込んだり、高いビルから飛び降りたい人はいません。
そんなことをせずに、我が家で家族に囲まれて静かに安らかに死にたいのです」と。
「列車に飛び込んだり、高いビルから飛び降りたい人はいません。
そんなことをせずに、我が家で家族に囲まれて静かに安らかに死にたいのです」と。
警察も検察もこの事件について捜査はしない、とのこと。
また夫妻をよく知る近所の人は
「お2人とも地域で積極的に活動されるエネルギーに満ちた方でした。
とてもプロ・アクティブな方々だったので、
癌によって、これまで関ってこられた芸術や様々な活動が断たれてしまうのは辛いことだったと思います。
ああいう方々にとっては自分がエネルギッシュだっただけに、
その自分が体力も活力も失ってしまうことが辛いのでしょう。
子どもや孫に長くストレスの多い死を看取らせなければならないと考えたら
黙ってそういうことをやるようなご夫婦でした。
ただ座して死を待ち、自分にも周りの人にも長く苦しみを引き伸ばすよりもね」
「お2人とも地域で積極的に活動されるエネルギーに満ちた方でした。
とてもプロ・アクティブな方々だったので、
癌によって、これまで関ってこられた芸術や様々な活動が断たれてしまうのは辛いことだったと思います。
ああいう方々にとっては自分がエネルギッシュだっただけに、
その自分が体力も活力も失ってしまうことが辛いのでしょう。
子どもや孫に長くストレスの多い死を看取らせなければならないと考えたら
黙ってそういうことをやるようなご夫婦でした。
ただ座して死を待ち、自分にも周りの人にも長く苦しみを引き伸ばすよりもね」
夫妻は末期がんでしたが、
近所の人の言葉には微妙に「自分はそうは感じないだろうけど、
ああいうご夫妻だったら、そういうふうに感じるのも分かる」というトーンが感じられます。
ああいうご夫妻だったら、そういうふうに感じるのも分かる」というトーンが感じられます。
ここで「わかる」と言われているのは、
「尊厳」が「誇り」と微妙に重なり合って、
「能力があった自分がその能力をなくしていくことの耐え難さ」であり、
「一定の状態になることには誇りをもてず、だからその状態で生きることには尊厳がないと考える」ことでは?
「尊厳」が「誇り」と微妙に重なり合って、
「能力があった自分がその能力をなくしていくことの耐え難さ」であり、
「一定の状態になることには誇りをもてず、だからその状態で生きることには尊厳がないと考える」ことでは?
また、周囲に介護負担を負わせることを避けたい気持ちも
幇助自殺を許容する理由に挙げられていることが気になります。
幇助自殺を許容する理由に挙げられていることが気になります。
「ただ座して死を待つ」などという表現が家族の介護負担との関連で使われる……。
ここに滲んでいるのは
「死の自己決定権」がOregonやWashington州の尊厳死法の対象範囲を越えて
「滑り坂」になる可能性なのでは???
「死の自己決定権」がOregonやWashington州の尊厳死法の対象範囲を越えて
「滑り坂」になる可能性なのでは???
なお、スコットランドで餓死した女性は
ターミナルな状態だったわけでもなければ
耐え難い苦痛があったわけでもありません。
ターミナルな状態だったわけでもなければ
耐え難い苦痛があったわけでもありません。
2009.03.11 / Top↑
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