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これは大いに気になるので、ちゃんと読んでみたい記事。米国の子ども全員にうつ病検査をして精神障害の早期発見をという話? 本気で? 正気?
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/05/22/AR2009052202274.html


スイスが2009年最初の4半期で不況に突入。Dignitas関連ニュースを追いかけているのでスイスは気になる。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/business/8078424.stm

電子タバコって、米国政府は認可していないし安全性の研究もないんだと。知らなかったよ。日本でも「さんまのまんま」に誰かがお土産に持ってきて、大売れしているはず。ニコレットも発がん性が指摘されていたけど、回りまわって実は普通にタバコを吸っているのが一番害が少なかったなんてことになるのか……?
http://www.nytimes.com/2009/06/02/us/02cigarette.html?_r=1&th&emc=th

ダライ・ラマに聖者として選ばれて、僧侶らにあがめられて育った少年Osel Hita Torresが、マドリッドで映画製作の勉強をしながら、チベット仏教幹部らへの恨みを語っている。
http://www.guardian.co.uk/world/2009/may/31/dalai-lama-osel-hita-torres

史上初めて65歳以上人口が16歳以下人口を超えた英国で老いるとはどういうことか・・・というGuardianのシリーズ記事、第1回。
http://www.guardian.co.uk/uk/2009/may/17/ageing-population-retirement-saga-housing

人口の高齢化で親と同居する英国人が増えている。介護のため。
http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2009/jun/01/caring-family

決勝で惜しくも2位になったSusan Boyleさん、疲れから入院。でもハッピーだと。
http://www.guardian.co.uk/media/2009/jun/01/susan-boyle-britains-got-talent

テキサス州上院議会がメディケイドの対象にはならないものの保険に加入できない過程の子どもを対象とした公的健康保険S-CHIPの対象拡大を議決。連邦政府の貧困ラインの200%以下の家庭まで対象を拡大。
http://www.medicalnewstoday.com:80/articles/152017.php
2009.06.02 / Top↑
当ブログでも去年から追いかけてきましたが、
多発性硬化症の女性 Debby Purdyさんは将来、病気が進んだ時に
スイスのDignitasに行って自殺したいと考えており、
(既に会員登録している英国人800人のうちの一人)

その際に夫に付き添ってもらったら
現在の英国の自殺法では、その行為が自殺幇助とみなされて
帰国後に夫が罪に問われる可能性があるので
法律の明確化を求めてきました。

高等裁判所は去年10月に「法改正は議会の仕事」として却下。
最高裁も今年2月に同じ論理で却下しています。
ただし2月の最高裁は事実上「罪に問われたとしても懲罰は課さない可能性はある」とも
付け足しました。

つまり、自殺希望者を海外へ連れて行く行為で実刑を受けることはないと
事実上、認めたような形となっています。

実際、これまでDignitasで自殺した英国人は100人を超えましたが、
彼らに付き添っていった家族が罪に問われた例はありません。

このたびPurdyさんの訴えを受けて英国議会に
この点を明確化することを狙った法案が提出されることから
Purdyさんも活発に発言しており、BBCもインタビューを行っています。

内容は、2月の報道で語っていたこととほとんど同じで、

最近、寝る前に痛み止めを飲むようになった。
口も少ししびれてきて、人と話をするとツバが飛ぶようになった。
でも、これは症状だから仕方ないと思っている。

怖いのは、この先もっと症状が進んだ時に
動けない体で自分ではどうにもできない痛みに直面すること。

自分がDignitasに行って自殺する時に夫がそれに付き添うという行為が
どういう状況下では自殺幇助とみなされ、どういう状況下では自殺幇助にならないのか
きっちり明確にして欲しい。

確かに、これまで、それと同じ行為で罪に問われた人はいないけれども
違法であることは間違いないのだから、少しでも可能性があるのだとしたら
自分は愛する夫にそんなことをさせるわけにはいかない。

英国人の8割は自殺幇助を支持しているのだから
この闘いに負けるとは思わないけど、

そこがはっきりしないなら、
当初考えていたよりも早く、まだ自分で動ける時期に
一人でスイスに行って死ぬほかないと考えている。



(2本ともに同じインタビュービデオがありますが、
上の方が長いヴァージョン。
下の方は記事が詳しいですが、内容的にはこれまでのまとめ。)

ちょっと不思議なのは、
この人の夫が発言を控えていること。

このインタビューでも、一緒に現れて
インタビューの間そばにいるのに何も言わない。

確かに、自国での自殺幇助を違法とする法律を手付かずにしておきながら
スイスに連れて行く行為を事実上は容認している英国政府の現状は偽善的で、
そこを明確にせよという彼女の主張は、それなりに分からないではないのだけれど、

Purdyさんはあくまでも自分たち夫婦のケースについて
「ウチの夫を罪人にしたくない」と言い続けているわけで、

「少しでも有罪になる可能性があるなら
愛する夫にそんなことをさせられないから私は独りで行く」と
まるで夫自身には意思がなくてPurdyさんが決めることという前提で
この人が常に語ることに、私はいつも、なんとなく抵抗を感じている。

この人の夫は、すぐ側で妻のインタビューを聞きながら、何を考えているのだろう。

法の明確化とは別の問題かもしれないけど、
ちょっと聞いてみたい気がする。

        ------

この件に関する Guardianの読者の意見サイト。
2日夜10時現在で38件。

Should the assisted suicide law change?
The Guardian, June 2, 2009

メディアがこういう問いを設定する時にはいつものことだけど、ここでも
「自殺幇助の法は改正すべきか」と、問いそのものがズレている。

今回の改正のポイントは自殺幇助そのものの合法化ではなく
海外に連れて行く家族の行為を違法な自殺幇助とするかどうかだというのに。

こういう時に、メディアはもう少し正確な質問設定をできないものか。

 
Purdyさんのケースを含め、
英国の自殺幇助関連議論についてはこちらのエントリーにまとめました。

【8月9日追記】
その後、最高裁が公訴局長に法の明確化を命じ、Purdyさんは勝利を喜び、
メディアは既に自殺幇助が合法化されたかのような大騒ぎを演じていますが、
そんな中、キューバ人のPurdyさんの夫がインタビューに応じて、口を開いています。

この戦いは妻の戦いであって自分の戦いではない。
彼女がハッピーだから自分も嬉しい……など。

2009.06.02 / Top↑
1月のObama大統領の就任式の中継を見ていた時に、
ブッシュ元大統領(父親の方)が杖を突きながら歩いている姿を見て、
CNNのベテラン・大物キャスターのウルフ・ブリッツアが
「ちょっと痛そうです」とコメントし、
後に記者席に訂正情報が届いたらしくて「痛みはないのだそうです」と
訂正したのが印象的だったという話を

大統領就任式でCNNキャスターが失言のエントリーで書いた。

人は誰かの体が自由にならない場面を見ると、こんなにも無邪気に何の疑いもなく
その人が苦痛を感じているはずだと自動的に思い込んでしまうのだなぁ、と
改めて痛感させられるブリッツァの失言だった。

先週、吉田修一著「悪人」(朝日新聞社)を読んでいたら、
これとまったく同じ誤りを見つけた。

ストーリーとは無関係に、わびしい夜の病院の点景として描かれる、
「小児まひの男の子」に関する記述。

待合ホールの奥に目を転じると、昼間はつけっぱなしにされている大型テレビの前にベビーカーを置いて、今夜もまた、髪を赤く染めた老婆がぽつんと座っている。何をするわけでもないのだが、ときどき思い出したように、ベビーカーを揺すったり、中の男児に、「なんね? どうしたと?」とやさしく話しかける。
 ベビーカーには小児まひの男の子がのっている。ベビーカーにのせるには、少し大きすぎる男の子で、歪んだ手足がフリルのついたベビーカーから突き出している。
 老婆は毎晩、この時間になるとここへくる。ここへ来て、返事をしない男の子に話しかけ、痛がってよじる体を摩ってあげる。(p.122-123)

 ベビーカーの男の子を間近でみるのは初めてだった。遠目にもなんとなく想像はしていたが、男の子のからだは、想像以上によじれており、弱々しい斜視が、焦点もなくさまよっている。
「マモルくん」
美保は男の子の細い腕を摩った。
横で老婆が、どうして名前を知っているのか、怪訝そうな顔をする。
「さっき、看護師さんがそう呼んでたでしょう?」
美保が慌てて説明すると、嬉しそうな顔をした老婆が、「マモルは、人気者やねぇ、みんな、マモルのこと知っとるよ」と男の子の汗ばんだ額を撫でる。
こうやって撫でてやっとると、痛みば減るとやもんねぇ
そう言いながら、老婆はぐったりとした男の子の肩を摩った。自動販売機が、かすかに音を上げてうなる。(p.137-138)


「小児まひ」とは通常はポリオのことだけれど
ワクチンが普及した今では滅多にないと思われ、
ここで著者が意図しているのは「脳性小児まひ」つまり「脳性まひ」のことでしょう。

脳性まひで(多分ポリオでも)手足が捻じ曲がっていることそのものには
痛みは伴いません。

本当は
多少はみ出すとしてもベビーカーに乗れるくらいの年齢では
まだ体もそれほど、ねじれてはいないはずだし、
もし既にねじれて見えるとしたら、緊張の強い痙直型だろうから
逆に「ぐったり」などしていないはずだと思うのだけど、
そのあたりの細かい矛盾はともかく、

ここに見られるのもまた、
「身体に重い障害がある」外見から直線的に連想されてしまった「痛み」。

体を自由に動かせないから、または体の部分がねじれているから、
本人にとってはただ動こうとする身動きでしかないのに
傍目には「体をよじっている」ように見える。

しかし、体の動きが「よじっているように見える」ことは
そのまま「痛みがある」ことを意味するわけではありません。

そこに痛みへの連想をくっつけて「痛がって体をよじっている」と解釈するのは
「こんなによじっているのだから痛いに違いない」とする
障害に対する無知に基づいた勝手な誤解であり、
ブッシュ元大統領が杖を突いて歩く姿に「痛そうです」と感じたブリッツァと同じ。

著者はブリッツァと同じ誤解に基づいてこのシーンを書いているので、
自動的に読者もその誤解を共有させられて、
男の子の「汗ばんだ額」も「ぐったりした肩」も
おそらくは「小児まひの痛み」と繋がってしまうのではないでしょうか。

どれほど多くの人が、この本を読み、
ストーリーの展開と無関係な、この男の子に関する記述を
大して気にも留めずに読みすごし、だけど読みすごしつつ無意識のうちに
「全身の痛みに常時耐えている小児まひの子ども」という悲惨なイメージを
自分の中に取り込んでしまうことか。

外見的な障害の重さに、人は根拠もなく、こんなにも単純に
痛苦を連想し、勝手に結び付けてしまう。

「こんなにも体がねじれて痛いに違いない」
「こんなにも障害が重度なのだから生きていることそのものが苦しいに違いない」

「寝たきりで言葉もなく、自分では何もできないのだから
きっと何も分からないのだろう」

こんな体で生きていても、痛くて苦しいばかりで
いっそ死んだ方がマシなんじゃないか……。

きっと本人だって、そう感じているはずだ……。

英米でジワジワと広がっていく
「死なせてあげることが本人の最善の利益」という“慈悲殺”の論理と
こうした、無知からくる誤った連想との距離は、
実は思いのほか小さいのかもしれない。

小さなマモル君が誰かに撫でてもらっている時だけ和らぐほど痛みに常時さいなまれていて、
それが何もしていない時にも体をよじらせるほどの耐え難い痛みなのだと、
本気でリアルに想像してみれば、マモル君の置かれた状況は
それこそ想像する方が耐え難いほどの悲惨になってしまう……ということを思えば、

その、見ている方が耐え難いと感じる悲惨を、実は何の痛みも感じていないマモル君に投影するだけで
慈悲殺の論理との距離は埋まってしまう。




ちなみに「悪人」そのものは悪くない作品でした。
2009.06.02 / Top↑