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国連のソマリアへの支援食料が横流しされている。
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/africa/article6499155.ece?&EMC-Bltn=KJW9UA

米民主党は医療過誤訴訟から医師を守ることに対して否定的だったが、オバマ大統領は医療過誤訴訟を減らすことも医療改革の一環との考えらしい。
http://www.nytimes.com/2009/06/15/health/policy/15health.html?_r=1&th&emc=th

個人の家庭に雇われるケア・ワーカー(子守、家事労働者、介護者)が搾取・虐待されている問題は前にちょっと調べてみたことがあった。そうした家庭内労働者の人権擁護の必要をNYTが社説で。これは本当に深刻な問題。日本でも格差が広がると起きてくるような気がする。もう起きているのかもしれない。
http://www.nytimes.com/2009/06/15/opinion/15mon3.html?th&emc=th
2009.06.15 / Top↑
Deikema&Fost の成長抑制論文
シアトル子ども病院とWPASとの合意を否定している点について、

当ブログでは、そのあたりの背景を検証してきているので、
関連情報を整理し、ひとつの仮説を立ててみたいと思います。


Ashleyケースに対するWPASの調査の終了を受けて、
子ども病院とWPASが合同記者会見を行ったのは2007年5月8日のことでした。

この段階で発表された合意とは

・今後、子ども病院は子宮摘出だけでなく乳房芽の切除、成長抑制療法についても、
 裁判所の命令なしには行わない

・裁判所の命令なしに行われないよう、明確な方針を作る

・今回のようなことが起きないように、倫理委に障害者の権利に明るい人を加えるなど、
 病院内に抑止策を設ける

などの点。

記者会見に際しては、子ども病院の medical director Dr. David Fisher名で
プレスリリースが出されて、これら合意事項について明記されています。

ところが、以下のように、その直後から非常に不思議なことが起こっているのです。


①病院がこのような公式な合意をアナウンスしたというのに、
Diekema医師は一人、記者会見当日からメディアやインターネットで、
病院の公式見解に反する発言を繰り返し、合意を認めないスタンスを取り続けました。

そう、ちょうど、今回の論文とまったく同じスタンスでした。

その発言の実際は、英語ブログの方でこちらに抜き出してあります。

この辺りのことを日本語で取り上げたエントリーはこちら。
A事件:病院記者会見の直後に堂々と相反する発言を繰り返したD医師(2009/4/7)


②病院側も実は
「裁判所の命令なしに行わないとする方針を2007年9月1日までに採択する」という
WPAS側との合意を守っていません。

「未成年の不妊手術に関する方針」は2007年11月に採択されていますが
「発達障害のある患者への成長抑制介入に関する方針」は
2008年4月11日に起草されたまま、未採択となっています。

この辺りの詳細については、こちら。
子ども病院はWPASとの合意を覆していた?(A事件)(2009/3/18)


③今年1月の成長抑制シンポで解説された成長抑制ワーキング・グループの議論でも、
病院とWPASの合意はまるで存在しなかったかのように丸無視されていました。

WPASのCarson弁護士がWGのメンバーに加わっているにも関わらず。


④そして、今回のDiekema&Fost論文
「障害者団体が病院にこんな合意をさせたが
あれには法的根拠がなく、医療の慣行からしても行き過ぎ。
そんな必要はない。せいぜい倫理委で検討すれば十分」と、堂々と主張。


これは一体どういうことなのでしょうか。

2007年5月8日の記者会見で
病院側は最初から嘘をつくつもりで、
その場限りの合意を発表したのでしょうか。

それはないだろう、と思います。

いくらなんでもシアトル子ども病院ほどの公共性の高い権威ある病院が
仮にも記者会見を開き、プレスリリースまで出すのだから、
あの段階では病院側は本気で合意を守るつもりだったのでしょう。

病院は、2007年5月の段階では、とりあえずDiekema医師の抵抗を押し切ってWPASと合意し、
重症児に対する、いわゆる”Ashley療法”を封印することを選択したのだと思います。

(WPASはAshley事件の真相を楯に病院に譲歩を迫っていたはずだし……)

そこで病院の公式見解が世間に表明された以上、普通ならば、
一職員に過ぎないD医師の立場としては黙らざるを得ないはずなのだけれど、
彼は黙るどころか、平気で病院の見解に反する発言を繰り返す。

それは、
自分の背後にAshleyの父親がいる以上、
自分が「一職員に過ぎない」以上の存在であることを
彼が十分に知っていたからではないでしょうか。

9月1日までに採択すると合意されていたはずの
「子宮摘出に関する方針」の起草は2007年10月。
「成長抑制に関する方針」の起草は翌年にずれ込んだ2008年4月。

この起草の時期の大幅なズレは、
病院内で意見の対立が起きていたことを示していると思われます。

少なくとも起草されているのだから、病院内に採択への意思があったことは確かでしょう。
しかし、子宮摘出よりも起草が遅れたのは、成長抑制に関しては別の意思がそれに抵抗していたためでしょう。

その対立の結果、成長抑制に関する方針は未だに採択されていません。
すなわち、病院側がDiekema医師らの主張と圧力によって
WPASとの合意から押し戻されてしまったということであり、

Diekema医師の思惑の通りに、
彼の背後にいる人の力の前に病院は再び屈して
政治的判断をする以外になかったのではないでしょうか。

それが、表に出せない類の政治的判断であるがゆえに
病院としてはWPASとの合意を正式に破棄することもできない。

WPASも事情は同じ。
病院に合意を覆されたからといって「実はあれは取引でした」と
いまさら認めるわけにもいかない。

ここに至って、もはや、子ども病院もWPASも 
Diekema医師らの動きに抗うすべがなくなってしまったのではないでしょうか。

Diekema医師らはAshley事件に幕引きを終えて真相を完全に隠蔽するために、
そしてAshleyの父親は、念願の”Ashley療法”を広く一般に普及させるために、

成長抑制一般化に向けた世論に対する工作として
一切のプロセスが隠蔽され、誰も知らないうちに
成長抑制ワーキング・グループなるものが組織され、シンポが開かれる。

そして、医療の世界に向けた工作として
FostがDiekemaと一緒に今回の論文を書く。

おそらくは、米国小児科学会に成長抑制療法を承認させるためのステップとして。


Diekemaの背後には、ずっとAshley父がいる──。
そして、Ashley父は、きっと最初からFost と繋がっている──。

そう考えれば、この事件の不可解のすべてに説明が付く。
2009.06.15 / Top↑
Diekema、Fostらの成長抑制論文についてのエントリーです。

論文は冒頭部分で
「重症の認知障害」が未定義であること、線引きが難しいことは認めつつ、
成長抑制目的で「重症の認知障害」という場合には以下の3つを条件とし、
重症児医療の経験のある小児科医がこれらを永続的だと判断すればよい、と述べています。

その3つとは、
・歩かないこと
・日常生活が全介助であること
・ニュアンスによるものも含めコミュニケーションができないこと
(いわれることが理解できない、自分の意思や感情を表現できない)

この部分について、私が大いに問題だと感じるのは2点。

まず、
成長抑制を目的にした場合に限っての「重症の認知障害」という基準を
特別に設ける、と彼らは述べているわけで、

その論理は日本の脳死・臓器移植法の論法と同じく、
先に目的ありきで、その目的を実現するためだけに
その目的に適応する場合のみの便宜上の定義を作りましょう、と

つまり「方便としての定義」を、わざわざ別枠で作ろうとしている。

次に、しかし、いかに方便といっても、
この論文を読む人には、ここをよく考えて、たぶらかされないでいてもらいたいのだけど、

「歩かない」ことは身体障害です。

「日常生活が全介助である」ことも直線的に認知障害と結びつくわけではなく、
身体障害が重ければ、認知障害が全くなくとも全介助になりえます。

3つ目のコミュニケーションの不能についても、
身体障害によって意思・感情の表出能力が奪われている状態はありえるため、
コミュニケーションの不能は必ずしも重症の認知障害を証明しません。

つまり、ここに書かれていることは
成長抑制療法の対象とする場合に限り、
重症の身体障害を認知障害として捉えましょう」という
無茶苦茶な主張なのです。

なぜ、こんな無茶苦茶なことを言い張ってまで
成長抑制療法は重症の認知障害に対処するものであると主張するのか。

きっと著者自身、
成長抑制は実は身体障害が引き起こす介護負担の軽減でしかないことを知っていて、

その上で、認知障害を
「やってもいいよね。どうせ本人には分からないんだから」という
正当化のアリバイに利用しているだけだからではないでしょうか。

成長抑制療法が世論から支持されるためには
あくまでも「どうせ何も分からない重症の認知障害者」が対象でなければならないのです。

「重症の身体障害児にホルモンを大量投与して成長抑制を」と主張したところで
世論には受け入れられないのが明白だから。

そのため、あくまで看板は「重症の認知障害を対象に」なのだけれど、

その条件の中身には、さりげなく重症の身体障害を並べて、
「成長抑制目的の場合には、これらを含めて重症の認知障害と定義する」といえば、
世論はごまかされてくれる。2007年の論争の時と同じように。

なんという言語道断の欺瞞なのだろう。

しかも、この論法には、
重症重複障害児への成長抑制療法が一般化された後には
重症の身体障害児へも対象が拡大されていく可能性が潜んでいます。

論文の一説には
成長抑制の対象は「現在のところでは」
身長が低いことが社会的・心理的な体験を阻害したり、
セルフ・イメージにマイナスの影響を及ぼすことのない重症の認知障害に絞るべきだろう、との表現があり、

わざわざ「現在のところでは(at present time)」と但し書きがついている。

いずれ「重症の認知障害」以外にも拡大されていく可能性も匂っているのです。

なぜ、この医師たちは、こんな詐欺まがいの情報操作をしてまで
一重症児の父親が思いついたという成長抑制療法を一般化しようと画策しているのか。

この論文から考えなければならないことは、
成長抑制療法の妥当性でもリスクや利益でもなく、
実はそちらの問いの方ではないでしょうか。
2009.06.15 / Top↑