先月、連邦政府の保健医療政策提言機関 the US Preventive Service Task Force が
12歳から18歳までの子ども全員に対して大うつスクリーニングを
プライマリ・ケアの診療所やクリニックで定期的に行うべきである、と提言。
12歳から18歳までの子ども全員に対して大うつスクリーニングを
プライマリ・ケアの診療所やクリニックで定期的に行うべきである、と提言。
ただし提言をまとめるに当たって数々の研究を評価したところ、
このようなスクリーニングが有効だったのは
うつ病が分かった場合に、その子どもに専門的な個別ケアが提供された場合のみ。
このようなスクリーニングが有効だったのは
うつ病が分かった場合に、その子どもに専門的な個別ケアが提供された場合のみ。
Task Forceの上級メンバーでコロラド州の保健局幹部でもあるNed Calonge氏によると
Task Forceの結論としては、
Task Forceの結論としては、
12-18歳に対しては、有効なスクリーニング手段も治療法もある。
しかし子どもへの薬の使用にはリスクもあるので、
うつ病の子どもに対する最初の治療はいずれの場合も
Prozac, Paxil, Zoloft などのSSRIではなく心理療法とする、というもの。
しかし子どもへの薬の使用にはリスクもあるので、
うつ病の子どもに対する最初の治療はいずれの場合も
Prozac, Paxil, Zoloft などのSSRIではなく心理療法とする、というもの。
それでも、スクリーニングが広くおこなわれると
製薬会社にそそのかされた医師が新たな処方箋を書くことに繋がるのでは、との懸念の声も。
製薬会社にそそのかされた医師が新たな処方箋を書くことに繋がるのでは、との懸念の声も。
実は3月にも、 議会の諮問機関であるthe Institute of Medicine (IOM) から
精神障害に関する医療費負担を削減するには早期スクリーニングが鍵となる、との提言があった。
精神障害に関する医療費負担を削減するには早期スクリーニングが鍵となる、との提言があった。
こちらは特にうつ病や子ども対象に限定したものではないが、
IOMの副議長で小児科医、Cincinnati大学の Thomas Boat氏は
小児科受診の4件に1件は問題行動に関するものであり、
子どもの精神的な問題が大きくなっていることに小児科が対応し切れていない、
学校で子どもの精神障害のスクリーニングができるくらいなら
医師がやるほうがいい、と。
IOMの副議長で小児科医、Cincinnati大学の Thomas Boat氏は
小児科受診の4件に1件は問題行動に関するものであり、
子どもの精神的な問題が大きくなっていることに小児科が対応し切れていない、
学校で子どもの精神障害のスクリーニングができるくらいなら
医師がやるほうがいい、と。
というのも、
Columbia大学と提携して精神障害スクリーニングを行っている会社 TeenScreenは
すでに530の学校と地域の機関においてスクリーニングを行っている。
対象は11歳から19歳で、事前に親の了解を取っている、とのこと。
Columbia大学と提携して精神障害スクリーニングを行っている会社 TeenScreenは
すでに530の学校と地域の機関においてスクリーニングを行っている。
対象は11歳から19歳で、事前に親の了解を取っている、とのこと。
なお、Task Forceは2002年には
子どもでのうつ病のスクリーニングを勧めるにはエビデンスが不足と結論付けていたので、
今回の提言でそれを覆したことになる。
子どもでのうつ病のスクリーニングを勧めるにはエビデンスが不足と結論付けていたので、
今回の提言でそれを覆したことになる。
Task Forceには利益の衝突に関する厳しいガイドラインが課せられた、とは
前出のCalonge氏の言。
前出のCalonge氏の言。
6月2日に読者の反応として、
「スクリーニングの隠れたコスト」というタイトルの投稿。
「スクリーニングの隠れたコスト」というタイトルの投稿。
これら提言の、スクリーニングが安全だとの前提は間違っている。
ただ不適応を起こしているだけの子どもが大勢“病気”にされて“治療”されることになる。
子どもの時に精神病を診断されることのスティグマは計り知れない。
また医療費の負担を軽減するとの主張にも根拠がない、と。
ただ不適応を起こしているだけの子どもが大勢“病気”にされて“治療”されることになる。
子どもの時に精神病を診断されることのスティグマは計り知れない。
また医療費の負担を軽減するとの主張にも根拠がない、と。
The WP, June 2, 2009
最近の科学研究関連ニュースには、つとに、何のための予防なのかという本来の目的を見失って、
予防そのものが目的化してしまっているのでは……という感じは抱いていましたが、
米国的“科学とテクノで簡単解決”の単細胞思考は、
とうとう、ここまで行き着いてしまったのか……という感じ。
予防そのものが目的化してしまっているのでは……という感じは抱いていましたが、
米国的“科学とテクノで簡単解決”の単細胞思考は、
とうとう、ここまで行き着いてしまったのか……という感じ。
既に530の学校で実施されていることにしろ、
そんな会社がある(なんて下劣な社名なんだ)ことにしろ……ため息。
そんな会社がある(なんて下劣な社名なんだ)ことにしろ……ため息。
それに、これは医師らよりもWPの記者の感覚なのかもしれないけれど、
記事を読んでいてものすごく気になったこととして、
子どものうつ病を早期発見・早期治療するという話が、
いちいち成績や学習効果との関係で語られてしまうこと。
記事を読んでいてものすごく気になったこととして、
子どものうつ病を早期発見・早期治療するという話が、
いちいち成績や学習効果との関係で語られてしまうこと。
スクリーニングが行動療法に繋がり、
妹の自殺後のうつ病がケアできた女子高生のケースが紹介されているのですが、
妹の自殺後のうつ病がケアできた女子高生のケースが紹介されているのですが、
記事の冒頭、妹を失った後の彼女の様子を描写する部分からして
「数学のテストの途中に突然フリーズして集中できなくなった」ので
学校からメンタルヘルスの検査を勧められて、
姉の自殺が原因のうつ病だと診断されます。そして行動療法を経て、
「数学のテストの途中に突然フリーズして集中できなくなった」ので
学校からメンタルヘルスの検査を勧められて、
姉の自殺が原因のうつ病だと診断されます。そして行動療法を経て、
現在20歳の本人が言うには
「成績は幾何学で落第すれすれだったのに優秀者のリストに載るところまで上がりました。
治療が効いたんです。
無用なものが頭の中にごちゃごちゃ詰まっていたのをみんな追い出してもらって、
そのおかげで頭に入れるべきことが入るようになったのですから」
「成績は幾何学で落第すれすれだったのに優秀者のリストに載るところまで上がりました。
治療が効いたんです。
無用なものが頭の中にごちゃごちゃ詰まっていたのをみんな追い出してもらって、
そのおかげで頭に入れるべきことが入るようになったのですから」
あんたね……。そういう価値観を植えつけられちゃったんだね。かわいそうに……。
この子の妹は児童精神科医の簡単な診察で Zoloftを処方されたのですが、
その理由というのが「テストの時に不安があるから」というもの。
(これは親が医者へ連れて行った理由でもありますね)
その理由というのが「テストの時に不安があるから」というもの。
(これは親が医者へ連れて行った理由でもありますね)
そして12歳の時に「その方が成績が上がるから」と薬の量を増やされます。
母親が不安を訴えると、「安全で効果があるのに、何を案ずるか」と一蹴された、と。
(しかし、それでも飲ませ続けたのも親ですね)
母親が不安を訴えると、「安全で効果があるのに、何を案ずるか」と一蹴された、と。
(しかし、それでも飲ませ続けたのも親ですね)
2004年のある日、家族と笑いながらテレビを見た直後に自室で首を吊って自殺。
FDAがZoloftには自殺念慮の副作用があるとの警告に踏み切ったのは、その直後のことだった。
FDAがZoloftには自殺念慮の副作用があるとの警告に踏み切ったのは、その直後のことだった。
科学とテクノ万歳文化は、知能崇拝とパラレルになっているのでは……というのは
英米のニュースを読みながら、ずっと感じている懸念で、
英米のニュースを読みながら、ずっと感じている懸念で、
たとえばトランスヒューマニストらに感じる知的優越感。
科学とテクノロジー万歳文化の人たちの、知的障害者への嫌悪・蔑視・軽視。
「幼児期に○○な子は大きくなって成績がよい(悪い)」的、
「少しでも頭のよい子どもを作ること」が目的となったかのような科学・医学研究の数々。
科学とテクノロジー万歳文化の人たちの、知的障害者への嫌悪・蔑視・軽視。
「幼児期に○○な子は大きくなって成績がよい(悪い)」的、
「少しでも頭のよい子どもを作ること」が目的となったかのような科学・医学研究の数々。
しかし、
妹を自殺で失った子どもには、
仮に試験中にフリーズするようなことがなかったとしても
家庭でも学校でも特に配慮してあげなければならないことくらい、
うつ病の検査をするまでもなく、あたりまえの思いやり・愛情・教育的配慮ではないのか。
仮に試験中にフリーズするようなことがなかったとしても
家庭でも学校でも特に配慮してあげなければならないことくらい、
うつ病の検査をするまでもなく、あたりまえの思いやり・愛情・教育的配慮ではないのか。
身近な人の死に直面した子どもは
頭の中にいろんな”無用なもの”を詰め込んでいるのがあたりまえで、
それを異常な状態として追い出してしまうのではなくて
あたりまえな状態として、そのごちゃごちゃを受け止めてあげることが
本当は必要だったのではないのか。
頭の中にいろんな”無用なもの”を詰め込んでいるのがあたりまえで、
それを異常な状態として追い出してしまうのではなくて
あたりまえな状態として、そのごちゃごちゃを受け止めてあげることが
本当は必要だったのではないのか。
彼女に必要なのは、
無用な物思いを追い出して勉強に集中させるためだけの「病気」への「行動療法」ではなく
そのあたりまえの悲しみを十分に悲しみ、乗り越えていくプロセスに寄り添う
グリーフ・カウンセリングだったのではないのか。
無用な物思いを追い出して勉強に集中させるためだけの「病気」への「行動療法」ではなく
そのあたりまえの悲しみを十分に悲しみ、乗り越えていくプロセスに寄り添う
グリーフ・カウンセリングだったのではないのか。
さらに言えば、
12歳にも満たない子どもがテストの前に
医師に相談しなければならないほどの不安を感じて苦しんでいたのだとすれば、
12歳にも満たない子どもがテストの前に
医師に相談しなければならないほどの不安を感じて苦しんでいたのだとすれば、
するべきことは精神科医に連れて行って薬を飲ませることではなく、
まず、そんなプレッシャーをかけるのをやめることであり、
テストなんて薬を飲んで不安を抑えてまで頑張って受けるほどのものではないし、
勉強なんて命を懸けてまでやるものじゃないと
教えてあげることではなかったのか。
まず、そんなプレッシャーをかけるのをやめることであり、
テストなんて薬を飲んで不安を抑えてまで頑張って受けるほどのものではないし、
勉強なんて命を懸けてまでやるものじゃないと
教えてあげることではなかったのか。
なんだか無性に腹が立っておさまらない――。
2009.06.03 / Top↑
Debby Purdy さんが求めている方向で法の明確化を実現する法改正案を
このたび英国議会に提出する 2人の議員の一人 Charlie Falconer 氏が
改正案の理念や内容を説明する文章をTimesに寄せている。
このたび英国議会に提出する 2人の議員の一人 Charlie Falconer 氏が
改正案の理念や内容を説明する文章をTimesに寄せている。
概要はこれまで当ブログで拾ってきたものと同じ論理に沿ったもので、
だいたい以下のような感じ。
だいたい以下のような感じ。
現在の英国法では自殺希望者を海外へ連れて行く行為は違法とされている。
実際にはそれで罪に問われた人はいないし
23歳の元ラグビー選手がDignitasで自殺した事件で
両親が警察の取調べは受けたものの、それ以上の追及を受けなかったことで
そうした行為は罪に問われないとの前例もできたわけだけれど、
依然として法において犯罪であることには違いはない。
Purdyさんが言うように、
有罪とされるリスクは依然としてあるのだから、
そこを明確化しなければならない。
改正案の趣旨は、
愛する人の人生の最後を支えるべく海外のクリニックに付き添う人を
自殺幇助を合法とする国での自殺を可能とし、それを支援する目的の場合に限って
保護しようとするもの。
セーフガードも設けた。
それぞれ無関係な医療職2人によって
自殺希望者がターミナルであることと意思決定能力があることの2点が確認される必要。
さらにこのような形で自殺を希望するとの書面による意思表示が
身近な友人でも親族でも介護者でもなく
その人の死から利益を得ることのない独立した証人立会いの下で書かれていること。
実際にはそれで罪に問われた人はいないし
23歳の元ラグビー選手がDignitasで自殺した事件で
両親が警察の取調べは受けたものの、それ以上の追及を受けなかったことで
そうした行為は罪に問われないとの前例もできたわけだけれど、
依然として法において犯罪であることには違いはない。
Purdyさんが言うように、
有罪とされるリスクは依然としてあるのだから、
そこを明確化しなければならない。
改正案の趣旨は、
愛する人の人生の最後を支えるべく海外のクリニックに付き添う人を
自殺幇助を合法とする国での自殺を可能とし、それを支援する目的の場合に限って
保護しようとするもの。
セーフガードも設けた。
それぞれ無関係な医療職2人によって
自殺希望者がターミナルであることと意思決定能力があることの2点が確認される必要。
さらにこのような形で自殺を希望するとの書面による意思表示が
身近な友人でも親族でも介護者でもなく
その人の死から利益を得ることのない独立した証人立会いの下で書かれていること。
A more civilized approach to suicide
Escorting a loved one on the final journey to a Dignitas clinic should not be a criminal offence
By Charlie Falconer
The Times, June 3, 2009
Escorting a loved one on the final journey to a Dignitas clinic should not be a criminal offence
By Charlie Falconer
The Times, June 3, 2009
この記事の内容で見る限り、
セーフガードとして付いた条件は米国オレゴンやワシントンの尊厳死法の条件を参考にしており、
将来の自殺幇助そのものの合法化へのステップであることが明らかですが、
セーフガードとして付いた条件は米国オレゴンやワシントンの尊厳死法の条件を参考にしており、
将来の自殺幇助そのものの合法化へのステップであることが明らかですが、
反面、自殺希望者が「ターミナル」であることを求めつつ
オレゴンやワシントン州の尊厳死法のように「余命6ヶ月以内」とまでは厳密ではない、
「耐え難い苦痛がある」との条件がはずされている、
幇助自殺希望の意思表示が一定期間をあけて再確認されることを求めていない、など
それらに比べて、はるかに厳密さを欠いたものとなっています。
オレゴンやワシントン州の尊厳死法のように「余命6ヶ月以内」とまでは厳密ではない、
「耐え難い苦痛がある」との条件がはずされている、
幇助自殺希望の意思表示が一定期間をあけて再確認されることを求めていない、など
それらに比べて、はるかに厳密さを欠いたものとなっています。
また、かなり気になる記述として、
This amendment does not affect our approach to palliative care. People should be able to access high-quality end-of-life care. On the whole, those travelling abroad to die are not doing so because of a failure of modern medicine to alleviate their physical suffering. They are doing so because they want to take understandable control over the time and manner of their own deaths. Better palliative care is not going to prevent increasing numbers of people wanting to go abroad to die. There is no hiding from this fact.
幇助自殺は死ぬ時期と死に方を自分で決めたいという話であり、
緩和ケアが苦痛を十分にとりきれない現在医療の欠陥が問題だというような話ではない、
良質な緩和ケアへのアクセスは保障されるべきだが、
緩和ケアが改善されたからといって海外で死にたい人が減るわけではない、と。
緩和ケアが苦痛を十分にとりきれない現在医療の欠陥が問題だというような話ではない、
良質な緩和ケアへのアクセスは保障されるべきだが、
緩和ケアが改善されたからといって海外で死にたい人が減るわけではない、と。
つまり、これは死の自己決定権、コントロールの問題だというわけですね。
実はBBCのインタビューでPurdyさんも
将来の「動けない体で自分ではどうすることもできない痛み」を想像すると
そうなるよりも先に死にたいと語っています。
将来の「動けない体で自分ではどうすることもできない痛み」を想像すると
そうなるよりも先に死にたいと語っています。
Purdyさんの言う「自分ではどうすることもできない痛み」という表現は、
確かにコントロールの問題なのだけれど、
ここで彼女が言っているのは「痛みのコントロール」であり
Falconer議員の言うように「死ぬ時と死に方のコントロール」ではないことに注意したい。
確かにコントロールの問題なのだけれど、
ここで彼女が言っているのは「痛みのコントロール」であり
Falconer議員の言うように「死ぬ時と死に方のコントロール」ではないことに注意したい。
自殺幇助希望者が苦しんでいるのは「現状」ではなく、
むしろ将来自分が経験することを想像して、それが自分には耐えられないと感じるので、
そのリスクから自分を守ろうとしている先取り不安なのだ、とのOregonからの調査報告もあります。
むしろ将来自分が経験することを想像して、それが自分には耐えられないと感じるので、
そのリスクから自分を守ろうとしている先取り不安なのだ、とのOregonからの調査報告もあります。
この研究を発表した著者らは
自殺希望者から相談を受けたら、
まず医師は患者の「自分ではどうすることもできない」という感じを
拭い去る努力をしなければならないと説いています。
自殺希望者から相談を受けたら、
まず医師は患者の「自分ではどうすることもできない」という感じを
拭い去る努力をしなければならないと説いています。
この「自分ではどうすることもできない」という部分を
Purdyさんの「自分ではどうすることもできない痛み」という言葉と重ねて考えると、
自殺希望者が求めているコントロールの対象は
Falconer議員がいう死ぬ時と死に方ではなく、
痛みであり症状のコントロールではないでしょうか。
Purdyさんの「自分ではどうすることもできない痛み」という言葉と重ねて考えると、
自殺希望者が求めているコントロールの対象は
Falconer議員がいう死ぬ時と死に方ではなく、
痛みであり症状のコントロールではないでしょうか。
それならば「痛みのコントロール」が可能であれば
「死ぬ時期と死に方のコントロール」は不要ということになり、
緩和ケアが十分に行われれば自殺希望者は減少するはず。
「死ぬ時期と死に方のコントロール」は不要ということになり、
緩和ケアが十分に行われれば自殺希望者は減少するはず。
すなわちFalconer議員の上記の主張は否定されることになります。
―――――――――――――
私は最近よく考えるのですが、
余命が6ヶ月以内と非常に限られていて、なおかつ耐え難い苦痛がある人に限って、
意思決定能力があると確認されれば医師による自殺幇助を認めるという
既存の各国の尊厳死法の理念を
意思決定能力があると確認されれば医師による自殺幇助を認めるという
既存の各国の尊厳死法の理念を
死ぬ時と死に方が既に決定付けられてしまった人に対して
消極的安楽死から、さらに一歩踏み出した積極的安楽死として
医師による自殺幇助を位置づけたものと考えるならば、
消極的安楽死から、さらに一歩踏み出した積極的安楽死として
医師による自殺幇助を位置づけたものと考えるならば、
それは、むしろ「死ぬ時と死に方を自分で決める権利」としての死の自己決定権とは
逆方向のものなのではないでしょうか。
逆方向のものなのではないでしょうか。
「死の自己決定権」を主張する人の多くは
「余命6ヶ月以内で耐えがたい苦痛がある人」という要件を
いとも簡単に無視して自殺幇助合法化の議論を進めてしまうけれど、
「余命6ヶ月以内で耐えがたい苦痛がある人」という要件を
いとも簡単に無視して自殺幇助合法化の議論を進めてしまうけれど、
それは本当は別の問題、問題のすり替えではないのか、という気がする。
自殺幇助希望者の増加はもはや防げないのかもしれない……とは私も考えるけれど、
でもそれはFalconer議員が言うように、緩和ケアが無力だからでも
希望者の動機が痛みの緩和と無関係だからでもなく、
希望者の動機が痛みの緩和と無関係だからでもなく、
本来は逆方向の理念であるはずの積極的安楽死の問題を死の自己決定権の問題に飛躍させ、
問題を摩り替えてしまった対象者なんでもありのグズグズの議論が
どんどん広がっているから、その影響できっと増加するのだろうな……と
想像するのであり、
問題を摩り替えてしまった対象者なんでもありのグズグズの議論が
どんどん広がっているから、その影響できっと増加するのだろうな……と
想像するのであり、
そのグズグズの議論が向かう、さらに先にあるのは
Giderdale事件に見られるような「自殺幇助希望の代理決定としての慈悲殺」であり、
無益な治療論との合流なのだろうな……と想像すると、なんだかやりきれない気分になる。
Giderdale事件に見られるような「自殺幇助希望の代理決定としての慈悲殺」であり、
無益な治療論との合流なのだろうな……と想像すると、なんだかやりきれない気分になる。
2009.06.03 / Top↑
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