2ntブログ
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
米国で消費される抗生剤の7割が家畜に用いられている。しかも長期に。その人間への害に、やっと目が向けられ始めたらしい。:このブログをはじめてから、スーパーで安売りの肉がアメリカ産だったら、そのきれいな肉の中にぶっこまれている大量の薬物のことを想像してしまって、手が出ない。
http://www.nytimes.com/2009/07/24/opinion/24fr3.html?_r=1&th&emc=th

英国の有害ごみがブラジルに投棄された事件で英国環境相が3人を逮捕。
http://timesonline-emails.co.uk/go.asp?/bTNL001/mEGOF3B/qNY6O3B/uM9ZZ6/xTO273B

なんで、一国の首相と売春婦がセックスしているところが録音されたりするんだろう? 何がどうなったら、そんなことがテクニカルに可能なんだろう? 恐ろしい世の中だ。
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/europe/article6724839.ece?&EMC-Bltn=EGOF3B

中国の研究者がヒトの胚性幹細胞に匹敵する細胞を使って、マウスを作った。胚性幹細胞研究の倫理問題は回避できるかもしれないが、その一方でクローニングとデザイナー・ベビーの懸念。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/07/23/AR2009072301786.html

日本のニュースでもやっていたけど、ケンブリッジで黒人大学教授が不審者と間違えられて逮捕された件でObama大統領が「バカなことを」と発言して、警官の反発を招き、論争になっている。
http://www.nytimes.com/2009/07/24/opinion/24fri4.html?th&emc=th

クルーグマン教授による、Obama大統領医療改革への援護射撃。医療費削減と医療アクセス拡大は、2者択一じゃない。両方やるか、どっちもできないか。思いやりとコスト効率とは両立できる。:ふ~ん。そうなの? クルーグマンさんが言っているのは、今のまま民間任せで保険料がうなぎのぼり、無保険者が増える一方という事態を放置してちゃ、どうにもならないでしょ、と共和党の抵抗に対する援護射撃ということのようでもあるけど。
http://www.nytimes.com/2009/07/24/opinion/24krugman.html?th&emc=th
2009.07.24 / Top↑
今回の臓器移植改正法の成立は
これまで障害児・者を巡って英語圏の医療で起こっていることを追いかけてきた私には
日本でもこれを境に、そちらに向かう「すべり坂」が始まるぞ、とのメッセージとして響きました。

それで、そういうことを、あれこれ考えていたら、

今年の5月1日「世界中で障害者差別反対のブログを書く日」に参加した際に
七転八倒しつつ英語でやっているブログの方に書いたAshley事件についての文章を
日本語にして、こちらにもアップしたくなった。

タイトルは
The damage the Ashley case has done and damages it can still do
(Ashleyケースが犯した、取り返しの付かない害悪。
これから先に、まだ犯しかねない、更なる害悪)

適当に抜いたり、まとめたりしながら、ほぼ全文を以下に。

もう2年以上、Ashley事件を追いかけている。

Ashley事件を機に、
障害児・者の医療をめぐる、その他の事件も気にかかるようになった。

そうして
Emilio Gonzales, Ruben Navarro, Sam Bolubchuk, Kaylee Wallace, Annie Farlow ほか、
障害があることを理由に医療によって見捨てられ、
命の切捨ての対象にされた多くの人々の事件を知った。

この2年以上に起こった、それら多くの事件を経て改めて振り返る時、
Ashley事件はその後に加速化する障害児・者軽視・切捨ての前触れとして
非常に象徴的な事件だったのだ、ということを思う。

Ashley事件が犯した罪の最たるものの1つは
障害者の中に明確な線引きをしたことだ。

Ashleyの父親とDiekema医師、擁護に登場したFost医師らは
重症重複障害のあるAshleyは他の障害者とは違うのだと主張し続けた。
そうして、彼らは障害者を、尊厳を尊重すべきグループと、尊厳など考慮する必要の無いグループとに分け、
両者の間にくっきりとした線引きを行ったのだ。

Ashleyケースの報道で、その線引きと、その正当化の理屈に初めて出くわした時、
賛否いずれの立場で受け止めたかはともかく、世界中の人が衝撃を受けた。

しかし、数ヵ月後にKatie Thorpe事件で同じ正当化が行われた時には
もはや人々は、さほどの衝撃は受けなかった。
Ashleyケースによって、既に線が引かれていたからだ。

あれから2年。Ashleyケースによって行われた線引きが
現在の無益な治療論や自殺幇助合法化論での線引きにぴたりと重なることに
私は薄気味悪いものを覚えている。

成長抑制も無益な治療論も自殺幇助合法化も選択的中絶も着床・出生前遺伝子診断も、
それぞれに個別の議論かもしれないけれど、それらはすべて、
世の中の人々が障害や障害者に向けるまなざしに
大きなマイナスの影響を及ぼしている。

その結果、脳死と永続的植物状態の間の線が曖昧になり、
永続的植物状態と重症の認知障害との間の線が曖昧になり、
それらを区別して引かれていた線は、互いにどんどん近づいていく。

そして、いまや
その人が本当はどういう状態なのかという実像には
誰も興味などないのでは……と、私には背筋が冷える。

「赤ん坊と同じ」「悲惨な」「耐え難い」「ただ寝ているしか」「自分でトイレにすら行けない」
などなどのレッテルが貼られてしまったら、
もはや、その人が具体的にどういう障害像の人なのかが問われることはない。

医師か家族が特定の人について死んだほうがいいと決めてしまったら、
それだけで本当に殺してもかまわないかのように。

まるで、障害者を2つに分ける、この線の向こう側にいる人たちには
何をしたっていいことになったかのように。

2007年のAshley療法論争の時、1月12日のラリー・キング・ライブで
障害当事者の活動家 Joni Tadaさんは言った。

忘れないでもらいたいのだけど、
もしも障害者から適切なケアを引き上げて
その代わりに体の一部を外科手術で取り除けば
それでコスト削減できると、その方法さえ見つければ
社会はそれをやるのだから。

障害者を犠牲にしてマジョリティの便利を優先させる機会さえあれば、
社会はそれをやるのだから。

Ashley療法論争の初期に、誰かが既にこんな警告を発していたことに私は驚く。
そして、彼女の言葉が今まさに現実となりつつあることに、ぞっとする。

しかし、Ashley事件に関してだけいえば、
その他の動きと違う事情があるはずだ。
2004年にAshleyケースを検討した際、
医師らはそれが間違っていることを承知していたはずなのだから。
そうでなければ2年間も隠蔽しなかったはずだ。
そうでなければ、言うことがもっと一貫していたはずだ。

彼らは今さらに成長抑制を一般化しようとしている。
障害者の間に線引きをするという、すでに取り返しの付かない害をなしたこと、
一般化によって、さらに取り返しの付かない害を追加していることを振り返って、
忸怩とした思いをしている人は本当にいないのだろうか。

誰でもいい。
子ども病院の誰かでも、WPASの関係者でも、メディアでも。
真実を知っている人がいるはずなのだから、その中の誰かが
どうか名乗り出て、真実を語り、
既に行われてしまった線引きの害悪を
少しでも修復してもらえないだろうか。

誰でもいいから、誰か。どうか。
2009.07.24 / Top↑
以下の The United States International Council on Disabilities(USICD) のリリースによると、

Obama大統領は大統領選挙での公約どおり、
24日にホワイトハウスで国連障害者人権条約(DRPD)に署名すると
月曜日に発表したとのこと。

大統領の署名後、上院議会で批准に向けた検討・協議が行われることに。

USICDのメンバーで米国障害者法(ADA)の著者でもあるTony Coehio氏は
ちょうどADA法が成立して19年目の記念の週は署名にふさわしいと。

USICのExecutive DirectorであるDavid Morrissey 氏は
「アメリカ社会に障害者の完全な平等、アクセス、インクルージョンを求める運動にとって
これは歴史的な日である」と。



このように国際的に進んでいるように見える障害者の人権を確認する動きが

その一方で着実に進んでいるとして思えない医療における障害者の切捨てと、
そして、その動きに主導されて社会全体に共有されていく
「障害のある生はQOLが低すぎて生きるに値しない」との価値判断とに、
果たして何らかの形で繋がっていくのか、
繋がっていくとしたら、どういう形で影響していくのか、

それとも、それはそれ、これはこれ、というふうに
両者はそれぞれ無関係に、断絶したままなのか……。

例えば、Obama大統領が進めようとしている医療改革
功利主義のコスト効率による配給医療が導入された場合に、
重症障害者はそれによって切り捨てられることになるのだろうけれど、
それは障害者が医療を受ける権利を侵害することにはならないのか。

それとも、いや、もしかしたら、だからこそ、その2つを整合する方策として、
「QOLが低い生は生きるに値しない」という認識の共有が急がれているのだろうか。

「重い障害のある人の生は苦しいばかりで生きるに値しないから
治療を停止して死なせてあげるのが本人の最残の利益」だという
米国のリベラルな生命倫理お得意の「最善の利益」論が社会に共有されていけば
それはもはや医療を受ける権利の侵害とは見なされなくなる。

あ、もしかしたら、
「尊厳」を生命倫理の議論から排斥しようとするのも、
こうした国際的な人権擁護の動きから、科学とテクノをより遠くに引き離す試みの1つだったりして……?


【追記】
その後、ライス国連大使によって30日に署名されたようです。

2009.07.24 / Top↑