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ついに出た。IHMEがかねて出すと言っていたグローバル・ヘルスの“成績表”。Financing Grobal Health 2009: Tracking Development Assistance for Health. これはゲイツ財団の資金でやられている研究なのだということを忘れないでおこう。
http://www.healthmetricsandevaluation.org/resources/policyreports/2009/financing_global_health_0709.html

NYで自己啓発の講師らしきJeff Lockerという人が殺された事件で、逮捕された男は「保険金のために殺してくれと頼まれた」と自殺幇助を主張。殺しておいて自殺幇助だといい逃れる人がこれから多くなるのだろう。C&Cを始め、死の自己決定権アドボケイト、責任を感じよ。
http://www.nydailynews.com/news/ny_crime/2009/07/22/2009-07-22_cops_arrest_manhattan_man_in_murder_of_long_island_motivational_speaker_jeffrey_.html
http://wcbstv.com/topstories/motivational.speaker.killed.2.1096988.html

米国の子どもたちの鬱病の兆候チェックは小2で?
http://www.medicalnewstoday.com/articles/158428.php

米国メディケアで中絶の支払いが認められるのは、レイプと近親相姦、それから女性の生命の危険がある場合のみなのだけれど、州によっては貧困層の女性にはそれ以外のケースでも支払われている。で、中絶費用は誰が支払うの? と。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/07/22/AR2009072201802.html

豚インフルで、健康問題のなかった6歳の女児が死亡。バクテリア感染も併発して、死因は敗血症だった。英国での犠牲者としては30人目。豚インフルの子どもへの影響に懸念。
http://timesonline-emails.co.uk/go.asp?/bTNL001/mOQXA3B/q6HOS3B/uM9ZZ6/x0YTB3B

英国政府のキャンペーンにも関わらず、都会でのナイフによる犯罪が相変わらず増加している。:考えてみれば、日本でも同じことが起こっているのか……?
http://www.guardian.co.uk/uk/2009/jul/22/knife-crime-deaths-rise

簡単レシピ100選。2番と3番、やってみたい。トマトだけを1時間もオーブンでゆっくり焼く……それ自体が贅沢。うまそ。
http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2009/jul/19/easy-quick-recipes

妊婦の唾液に含まれるプロジェストロンのレベルが低いと早産の可能性が高い? リスクが高い妊婦にステロイドを投与すると、胎児の肺の発達をうながし、障害や死産を防げる。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8159547.stm

人造の脳が10年くらい後にはできるんだそうな。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/technology/8164060.stm
2009.07.23 / Top↑
連休最後の月曜日の夜。
夕食後に娘を園(重症心身障害児施設)に送っていった。

この時間はもう、みんな、それぞれベッドに入っている。
スタッフは順番におむつ交換をして回っていて大忙しの時間。

娘をベッドに寝かせ、オムツを替えていると
担当の福祉職Aさん(看護と福祉それぞれ1人ずつ担当者が決まっている)が来た。

「お帰りなさい。連休はいかがでしたか」
「お天気が悪くてねー。外へ出られなかったので……」てな話をしていると、
娘は首をひねり、Aさんに何かを訴え始めた。

「あー、あー」と不自由な体で一生懸命に、にじり寄っていく姿は
いかにも「親に言っても仕方がないのよ、Aさん、オネガイ」と訴えている。

「え? なに? テレビが気に入らないの? チャンネル替える?」とAさん。
「うーん。うーンン」
「違うの? あ、もしかして、テレビじゃなくてDVDにしろ?」
娘の顔はそこで「ピンポーン!」と輝く。

「ああ、そうか。じゃぁ……ポニョにする?」
今度は「やったぁ!」と全身が弾み、
拘縮予防にクッションをはさんだ両足が喜んでキョンキョン跳ねた。

そういえば、さっき玄関を入ったところで出会った職員さんが、
園で「崖の上のポニョ」のDVDを買ったばかりだと話していたっけ。
こいつは、あれを聞いて、あわよくばと狙っていたわけかぁ……。
なるほど、そりゃ確かに、親に言っても仕方が無いわな……。

ここには、親とはかかわりのない、この子の世界があるんだ……と
もう何年も前から何度も確認してきたことを、また痛感する。

「ポニョ」をプレイヤーに突っ込みながら、Aさんは
ミュウさんはこんなふうに自分の思いをはっきり表現してくれるのがいいですね。
また、頼みを聞いてくれる職員と聞いてくれない職員をよく見抜いて
聞いてくれる職員を狙い撃ちにするのが上手い。
すごく喜んでくれるから、こっちも嬉しいし。
だから、ミュウさんは結構いろんな人に好みのDVDをかけてもらっていますよ。
と、話してくれる。

Aさんはベテランなのだけど4月に他の施設から転勤してきたばかりで
実は、この施設もウチの娘も初めて、という人。

わずか数ヶ月で、そこまで観察するAさんのプロとしての力量にも敬服するし
言葉を持たない身で短期間に、そこまで分かってもらったミュウにも
「うちの子、なかなか、やるなぁ」と内心ヤニ下がってしまう。

ジャーン……。
テレビにジブリのマークが大きく映った。

……と、うちの娘は「キャハァ」と一声、
さっと自力でテレビの方に寝返りを打って親に背を向けた。

え……?

いつもならポジショニングをした後で
「じゃぁ、今週は、これだけ寝たら、また迎えに来るから」と指を折って説明し、
納得はしていながらも、ちょっと寂しげな別れのシーンになるところ。

こんなにさっぱりと娘の方から背を向けたのは
6歳で入園して以来、22歳になろうとする現在に至るまでで、初めてだ。

なんちゅう現金なやっちゃ……。
思わず、笑ってしまった。

「……あんたね。もう親の声なんか、とんと聞こえてないかもしれないけどさ、
一応これだけは後々のために言わせてもらっておくと、
今週はいつもよりも短くて、4回寝たら、また迎えに来るから。
あ、まぁ、聞こえていないなら、それでもいいんだけどね」

苦笑しつつ、娘の背中に向かって一方的にしゃべっていると、
テレビの前から立ち上がったAさんが
「ミュウさん、たくましいですよね。親としては、複雑な気持ち?」

うん……複雑なものがないわけではないけど、
でも、実際、考えてみれば、そうなんだよね。

また一週間をここで現実に暮らしてくのは、この子なんだから、
この子にとっては、親と別れる感傷よりもポニョを見ながら今夜を楽しく過ごす方が
現実問題として、はるかに切実に大事なわけで……。

もちろん、痛い目にも会い、辛い思いもし、
悔しかったり腹が立ったり悲しかったり、いろんな思いをしているのだろうけれど、
それでも、言葉で表現できないまま、それらをみんな飲み込む度量を身につけて、
この子は、こうして笑顔で自分を主張し、人と関わりながら暮らしている──。

大人になってからだって、置いて帰られる時には寂しそうな顔になるし
いつもなら、それを自分から断ち切るかのように大きく腕を振り上げて
大げさなほどのバイバイをして見せる子が、

親の方だって、何年たっても、何百回繰り返しても、
娘をここに残して帰っていくことに慣れることができないでいるというのに、

親との別れの寂しさよりも、
現実に今夜を楽しく過ごす戦略をちゃっかり優先させるほどに
いつのまにか精神的に大きな成長を遂げて──。

複雑な気持ち……というよりも、やっぱり、嬉しいよ。
お母さんは、そんな、あんたが、誇らしいよ、ミュウ。

親なんか、もうとっくに帰ってしまったみたいに、
娘の背中はポニョの始まりに固唾を呑んでいる。

この子を残して死んでいけるだろうか……と、
親は必死の思いで自分の胸のうちを探り暮らしているというのに……。

なにやら、カラカラと大笑いしたいような気分になった。

「あのね、ミュウ。お父さんとお母さんは、実はまだいたんだけど、
もう帰ってもいいみたいだから、じゃぁ、帰るね。
いい? 帰るよ。じゃぁ、おやすみ」

なんだよ。背中を向けたままでもいいから、
せめて、ちょっとバイバイしてくれたってバチは当たらないじゃないか……。



「知能が低いから重症児は赤ん坊と同じ」とDiekema医師は言った。
でも、それは、ゼッタイに違う、と思う。

子どもはホルモンや体や知能だけで成長するわけじゃない。
経験と、人との関わりによって成長するのだから。

体と頭だけじゃない。心も成長するのだから。
限りなく成長する可能性を秘めているのは、人の心なのだから。
2009.07.23 / Top↑
16日のエントリー
障害当事者のBad CrippleことWilliam Peace氏による
Diekema医師らの成長抑制論文批判のブログエントリーを紹介しましたが、

それを受けて、カナダの重症児のお母さんのブログに、
とても良いエッセイが書かれています。

Coming of Age and Growth Attenuation
LIFE WITH A SEVERELY DISABLED CHILD, July 18, 2009


脳卒中で重症障害を負った娘さんは15歳。
2日前に生理が始まったといいます。
そのことの感慨を背景に感じる記事です。

部分的に抜き出したり、要約しつつ以下に。

私の娘は一人の人です。
前は小さな女の子でしたが、今は女性になりました。

自転車に乗れるようになったとか、泳げるようになったというような
普通の子どもたちが刻んでいく成長の記録は我が家にはありませんでしたが、
それでも私は娘の成長と変化をしっかりと見てきました。

障害があっても娘の成長は優美です。
手足が長くなり、手が大きくなり(この子は、とてもきれいな手をしているのです!)
体のそこここが丸みを帯びて、顔つきが大人びてきて。

私は他の親と同じように、娘の成長を目の当たりにしてきました。

そして、なんて、きれいな子なんだろう、と
娘がありのままに何一つ欠けたものなく美しいこと(perfection)に息を呑むのです。

美術館でずらりと並んだ絵を見たことはありませんか?
絵はそれぞれに違っていて、それぞれの力で見る人に訴えかけてきます。
どの絵もみんな貴重な作品です。

どの絵もみんな、白紙のキャンバスの上に
一度に一筆の絵の具を塗り、その一筆一筆を重ねて描かれてきたものです。

私の娘は、そんなふうに一筆一筆成長し、変わっていく、
素晴らしいアーティストによる作品です。

私はただ、数歩引いたところに立って、そんな娘の姿を見ています。

こう書いて、この人はAshley療法を批判しています。

おそらく、Diekema医師なら
「子宮を取っただけで卵巣はそのままなのだからホルモンは分泌されるし、
背が低い以外は普通に成長するのだから、この批判は当たらない」と反論するでしょう。

でも、このお母さんはホルモンによる体の成長だけを言っているのではないのだと思う。

最後の1行は、I simply stand back and watch.
この stand back には「手を出さずに」という意味がこめられている。

その子なりに子どもから大人へと少しずつ脱皮していくプロセスにこそ
その子にしかない一筆一筆の積み重なりがあり、
どんな子どもであっても、そんなふうに重ねられていく成長にこそ、
何一つ欠けるところのない完璧な美しさがあるのだ、ということ。

だからこそ、その子なりの成長という、その子だけにしか描けない作品に
親であっても手を加えてはならないと、彼女は主張しているのだと思う。

これこそ、論争当初からCaplanはじめ多くの人が
「どの子どもにも成長する権利がある」と主張していたことなのではないでしょうか。

――――――――

私もまた、思春期の娘を前に、その美しさに息を呑んだことがあります。
やはり15歳、16歳の頃だったように思います。

「子ども」から「女の子」になり、「女の子」が「少女」になって、
「少女」から大人の「女性」に向かって脱皮を始めようとする、その、ほんの束の間、
女の子には、えもいわれぬ美しさに包まれる時がある──。

その透明な輝きを知っておられる方は多いのではないでしょうか。

ウチの娘でいえば、
それまでは「デッヘェ」とか「ギャッハー」みたいな騒がしい笑顔ばかり見せていた子が
ある日ふと気がつくと、静かな微笑をたたえている。

え? と、改めて娘を眺めやってみれば、

いつのまにか伸びやかになった手足の線は優しい丸みを帯び、
肌はすっきりと透き通って内側から輝いていて。

穏やかに微笑んでいる姿は
まるで、うす桃色の砂糖菓子でできた、透明な繭にでも包まれているかのようで。

いままで原色の存在だった子が
いつのまにか、存在まるごと、パステルカラーになった……という感じ。

ただ、静かにそこに座っている、そのたたずまいは、満ち足りて、
ふうわりと優しく柔らかで。そして、どこか、はかなげで。

それは、このカナダのお母さんが言うように、本当に
1つとして欠けるもののない優美、完璧な美しさでした。

どこか、はかなく、もろい感じが漂っていたのは
やはり、生涯で、ほん1度だけ、ほんの束の間にだけ訪れる美しさだったからでしょう。

17歳、18歳と成長するにつれ、
肩や腰の線の丸みは、やがて、たくましい厚みとなり全身がずっしりと質感を増して、
小さい頃から汗をかかないはずの子の髪が汚れるようになり
肌には、にきびができて……大人の体へと変貌を始めました。

透明感も、はかなさも、どこかへ消えて、
私は大人になった娘のために小さな制汗スプレーを買いました。

そして、子どもの頃には3日と続けて元気だったことのない娘は
その頃を境に、めったなことでは風邪も引かない人になりました。


生や死が、呼吸や脳機能だけで云々して捉えきれるような大きさのものでないのと同じように、
子どもの成長もまた、ホルモンや知能だけで測りきれるようなケチなものじゃない──。

そんな気がします。
2009.07.23 / Top↑